天上の海・掌中の星

    “真昼の漆黒・暗夜の虹” 〜覚醒の果てに B
 



          




 V高校はどちらかと言えば新興の学校なせいか、校舎や施設はどれもまだまだ綺麗なそれだし今時風であり。例えば教室の窓には清潔で軽いアルミサッシを使っているし、昇降口に壁代わりの列になってずらずらと居並ぶ下駄箱も、スティール製の小型ロッカーなので、一見すると何だか郵便局の私書箱室のよう。廊下も教室にも板張りという床はなく、汚れても洗剤で簡単に拭えるので清潔ではあるけれど、何だかその分、大切に手入れしなさそうだなと思ってしまうのは、筆者が古い学校しか知らないからだろうか。
(う〜ん)

  「へえ〜、盛況じゃないか。」
  「みたいだな。」

 校庭や校舎周辺の通路沿いに展開する出店やアトラクションにも、結構知恵を絞ったものがあって。父兄やOB、在校生たちのみならず、近所の子供、他校生らしいグループなどなども、多数ご来場というにぎやかさ。そんな中をぶらぶらとした歩調で進んでいたのは、普段は 堅い“合”封咒の基点となっているお家での“待機組”であるお兄さんたちで。現状は分かっているけど、今日のこの日だけはガッコまで来いよなと、坊や自らのおねだりがあっての推参である。
“ねだられなくとも来る予定ではあったんだが。”
 建前から言うと、部外者が坊やの至近へ入り乱れて入り込み放題な1日なのだから、護衛も厳重を帰さないでどうするかという立派な理由から。そしてそして…本音を言えば。一生懸命練習していたルフィの一世一代の舞台をちゃんと観覧しないでどうするかという、100%全くの私情から。
「もともと真面目な子の多い、活気のある学校だからな。」
 ご近所にあった中学校時代ほどではないが、それでも…先の体育祭以外でもここまで運んだことが何度かあるゾロが…なんだか母校に遊びに来たOBみたいな言いようをする。身頃に切り替えの利いたトレーナーとジーンズという、若々しくもざっかけないいで立ちの彼であり、淡い緑というちょっと珍しい髪の色でさえなかったら、このまま周辺の華やいだ賑わいの中へ、仲間として自然と飲み込まれていたかも知れずで。
「そんな感じだな。満ちてる空気の質が良いったら。」
 元気で前向き。皆で団結してこういうお祭り騒ぎに挑むのが、楽しくて楽しくてしようがないという、溌剌とした高揚感がそこここに満ちている。何とも健全な空気に、ついつい微笑ましげなお顔になった、こちらは…今日はダークスーツではなく軽いデザインのジャケット姿の聖封様。蜜をくぐらせたみたいな甘い金髪が風に乱れたのを指先でついと掻き上げて、
「誰もがこうだったら苦労はねぇんだがな。」
 ついつい小声で一言。そうだったら…陰湿な事件も起こらないだろうし、不景気だって吹っ飛ぶかもだが、そうはいかないのが困った世情であり現実であり。
“ま、そういう社会批判は別な機会に憂えて下さいな。”
 そだね。
(苦笑) どっから仕入れたのか、お揃いのハッピ姿だとかお揃いの白衣姿での(?) 寄ってって下さ〜いという呼び込みもにぎやかな校庭を通り抜け、校舎前の掲示板に張り出された案内図を見、傍らに長テーブルをおいて設けてあった“会場案内”の女の子たちに一応の確認を取って、講堂への道を選ぶ。
「キャ〜ンvv 今のって、ルフィくんトコのお兄さんたちでしょ?」
「うんうんvv 相変わらずカッコいい〜vv
「あの可愛いルフィくんは居るわ、あんなお兄さんたちは居るわだなんて、夢のようなお家よねぇ〜vv
 こらこら、お嬢さんたち。気持ちは判らんでもないけれど…身をよじりもって黄色い声を張り上げてないで、ちゃんと仕事しな。
(苦笑)
「…お。」
 日頃はそこで運動部がストレッチなどに励むのだろう、広々としたコンクリの打ちっ放しのポーチに囲まれた格好の体育館兼用の講堂は、本校舎とは二階建て構造の渡り廊下でつながっており。二階部分の方は、そのまま階段状になっている観客席に直通しているらしいが、今日は文化祭ということで部外者が出入りしないようにと講堂側のドアが施錠されている。講堂内部は3階分ほどの高さまで吹き抜けになっていて、日頃は体育館として使われることの方が断然多い施設ながら、今日は舞台使用のみということで。床一杯に保護シートを敷き詰めた上へ、一応の通路を確保しつつもパイプ椅子をぎっしりと並べており、固定された観客席が据えられた二階部分の通廊は、照明係などのスタッフ以外は立ち入り禁止。大窓には暗幕が引かれており、一種独特な緊張感と期待という雰囲気に満ちている中、父兄や生徒たちが仄かにざわめきながらも、お行儀良く席について次の演目を待っている。
「ちょっと遅れたが、却って丁度良かったのかもな。」
 お昼も間近い時間帯だったが、この大入りな様子はそれだけのせいでもなかろう。特に在校生たちが次から次へと集まりつつあり、
「や〜ん、間に合ったの?」
「大丈夫、大丈夫。まだ始まってないし。」
 中には息せき切ってと言うノリで駆けつけているクチもあるほど。その殆どが女の子ばかりという辺り、
“誰がお目当てかが見え見えだよな。”
 微笑ましいことだと苦笑が絶えないゾロやサンジだったのだけれども、
「あの二人はどうしてる。」
「ああ。ビビちゃんは放送部のお手伝いで舞台側の裏手にいる。たしぎちゃんは外っかわのポーチに、父兄の振りして控えてるよ。」
「…お前、女はいちいち“ちゃん”をつけんと呼べんのか。」
 こういう事態の只中でも相変わらずなところが、余裕なんだか危ないんだか。この野郎はよと眉を顰めたゾロへ、
「大目に見ろよ。毎日のようにお前みたいなむさ苦しい男と、一日中顔を突き合わせてんだからよ。」
 しれっと言い返したサンジではあったものの、

  “………おや?”

 ふと。そんな彼の視線が留まったのが、自分たちが立っていた入り口からは少し遠い、別の面の壁に開いていた入り口の傍ら。自分たちと同じように席には着かず、壁を背に立って舞台の方を見やっている人物があって。すらりとした長身で清潔そうなワイシャツにネクタイという姿。二の腕には腕章をつけているから、今日のこの文化祭に何かしらの役回りを担当している、この学校の教師なのだろう。直毛の黒髪を撫でつけ、いかにも文化系ですという穏やかで繊細そうな雰囲気の男性で、通りかかった生徒たちからも気安い声をかけられている辺り、人気のある先生であるらしく。

  “あれって…。”

 もしかして。ルフィが話してた黒須とかいう先生かもなと、自分の持ってた知識と本人とを重ねようとしていたそんな間合いだったのだが、
「………お。」
 ふっと照明が落ちたことで思考を妨害される。
「始まるのか?」
「らしい。」
 袖に包まれても頼もしい腕を胸高に組み、こちらさんは壁へゆったりと凭れたゾロの様子に、それはちょっと油断のしまくりではと口許をへの字に曲げたサンジだったが、
「…お。」
 背後のドアが係の生徒によって閉められて、いよいよ始まると場内の意識が舞台へ集まりつつあるのを察知すると、自分もまたそちらへと意識を振り向ける。右下に学校の名前が金の縫い取りで浮かび上がっている大きな緞帳の片隅。ぽうっと灯されたスポットライトが描いた光の円の中、袖から出て来た制服姿の女生徒が真ん中へと収まると、ペコリとお辞儀をし、それを合図に場内がシンと静まり返る。

  【ただ今より、1年B組の演目『遥かなる風宮・天空の庭』をお送り致します。】

 タイトルを読み上げた彼女はそのまま“語り部”の役でもあるのか、そこに立ったまま、ファミレスのメニューみたいな頑丈そうな表紙のついた大きな冊子を、胸の前でぱかりと開いて見せる。

  【お話の舞台は中世のヨーロッパのとある小国。
   周辺の列強国による大きな戦も静まって、一見穏やかな同盟外交が進み、
   国内では由緒正しき王室を核とした貴族社会を中心に、
   産業も発達し、経済も文化面でも豊かで華やかな繁栄を見せておりました。】

 するするっと開いた幕の向こうには、庭を望めるポーチのある豪奢なお部屋のセット。大きな窓から見通せる庭先に、誰かが立っている後ろ姿があって、

  “あ…。”

 宮廷内で王家の方々の警護を担当する“近衛兵”だろう、サテンの生地に金糸銀糸の刺繍をほどこされた詰襟のウエストカット丈の上着と、下は脛の半ばほどまでの長さのやはり結構凝ったモールの縁取りつきのズボンという、なかなかに華やかな恰好をしており。
“それにしては…頭が貧相だがな。”
 カツラをかぶるのはヤダと強硬に嫌がったため、素のままのショートカットの黒い髪。微妙な角度の斜めを向いて立っている、サランドルことルフィがのっけからの登場とあって、
「キャッvv
「あの子よ、あの子vv
 場内に早速にもざわわと静かなどよめきが立つ。そんな声を静めるかのように、ナレーションの声は続いて、手前のお部屋には王様の側近や大臣殿が現れては昨日今日の城下の安泰な様子を語り合い、侍女たちが現れては庭にいる主人公さんへの評をきゃっきゃとはしゃいで語り合い、そうかと思えば王室付きの乳母とその娘が現れて、本来であれば王室の人間であるものをと、お姫様と仲の良いサランドルくんの本当の素性が語られて。数奇な運命の星の下に生まれた少年のことが少しずつ明かされてゆく構成。単調な解説台詞ばかりの流れにならないよう、人々の出入りの切っ掛けやら、交わされる掛け合いやらはなかなか見事に練られてあり、コミカルなアドリブも多くて、場内は自然な笑いに何度もドッと沸く。やがて庭先のご本人へと声を掛けたのが、彼をひそかに慕っているお姫様と、乳兄弟のやはり近衛兵の少年で。今夜は舞踏会が催されること、その場に怪しい刺客が紛れ込んでいるらしいと、選りにも選ってお姫様が漏れ聞いてしまったという会話になり。そんな不心得者は、この俺が退治してやると、やや棒読みの言い回しにてサランドルくんが言い切って、乳兄弟と共に、城下を見回って来るからと勇んで飛び出して行く。演技らしい演技は、前半部分は此処だけだそうで。………正味、5分もあったかどうか。楽な主人公があったもんだよなとは、練習にも付き合った筈だが…それでもやっぱり呆れた、サンジさんの一言だった。





            ◇



 城下のにぎわいの中、本当に潜入していた刺客たちの陰謀の場面と、つばが広くて豪奢な羽根もついた帽子にマントという、ますます派手な恰好となったルフィたちが、一応は“秘かに”探索して回る様子が展開され、そして…暗転。

  「おい、急げよ。」
  「衣装、確認したか?」
  「女子が一人足りねぇぞ。」
  「ヤッコ、何してるのっ。」
  「だってこれ…ファスナーが引っ掛かって。」

 場面が変わって次はいよいよの舞踏会の図に入る。近衛兵さんたちも、公式の場用の装束に変わるのらしく、長めのマントを取ってその代わり、真ん中に穴を空けてそこに頭をくぐらせ、体の前と背中へ振り分けて垂らす、帯のようなエプロンのような上衣を重ね着る。
「あれ? 俺のは?」
 同じ“近衛兵”たちがいる中、ルフィのだけは微妙に色が違う。同じカッコでは見分けがつかないだろうからという工夫なのだが、その色違いの一枚だけが見当たらない。舞台袖の“仮楽屋”はさして広くもなく、それと気づいた面々が一緒になって探し回ったが、
「ねえぞ、どしたんだよ。」
「おかしいなぁ、一緒にまとめといたのに。」
「衣装の箱の中、も一回見たか?」
「穴が空くほど見ました。」
「これが最後の衣装替えだから、他んトコにはもうない筈だしね。」
 わたわた慌てても無いものは無い。頑張って縫った係には悪いが、
「しょうがないわ。ルフィ、マント着て。」
 舞台転換も終わったし、もう時間がないからと、それで見分けてもらうことにし、ルフィも袖の方へと追いやられた。
「…何か変じゃないか? これ。」
「しょうがないわよ。」
 マントは外套の一種だのに、護衛の者がそんな礼儀知らずな作法で良いのかなと、珍しくもルフィがそんなことを感じたほどのドタバタ振りだったのだが、

  「…あったっ!」

 一応の衝立で仕切ってあった空間のその片隅から、裏方役の生徒が高々と上げて見せた手には、皆が白なのと違い、青地に白い柄となった上衣が握られており、
「何でまたそんな隅っこに?」
「さあな。紛れ込まないようにって除
けといたのが、却って不味かったんじゃねぇの?」
 居合わせた面々の手をリレーされ、やっとのことでルフィの手元まで届いた衣装。周りにいた面々に寄ってたかってマントを剥がされ、さあ かぶれと赤ちゃんの着替えもかくやというノリで頭からかぶせられた、青い上衣だったのだが。


   “……………………え?”


 頭上に広げられたその瞬間に、何だか覚えのある感覚がした。良い感触じゃない。何か良くないこととセットになってた前触れ。どこか遠くから吹きつけて来ようとしている突風の、不吉な先触れみたいな、生臭い感触。何だったかなと、もどかしげに思い出そうとしていたそこへ、
「さ、いってらっしゃいvv
 ばさりとかぶせられた衣装の向こう、進行役の女生徒の声が、いやにくっきり聞こえたのを最後に、ルフィの意識は………ぱたりと寸断されてしまったのだった。







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