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およそ“次空界”というのもの理ことわりの中に於いての、最強にして特殊な結界の“合”を結び、その中に立ち上げた亜空間にての対峙を構えた最終決戦。謎の召喚師が“連結の楔”という召喚陣をルフィへと触れさせることで招いたとされる、嵩と力のやたらバカ大きいらしき邪妖と向かい合い、とっとと追い返すぞと身構えた破邪と聖封。シリアスな決戦の場。それもクライマックスの正念場だというのに、
「お、お前っ! この人に見覚えも何もないってのか?」
「………え?」
妙なムードで引いてしまった前章でしたが、いきなり緊張感を削る方向へ話を持って行こうとしている訳ではありませんので念のため。見栄えはこんなに…淡い金色の髪もさらさらとよく映える、細面の美貌が優しくも麗しい若者であっても。天聖界では随一の能力者という誉れも高き、最高レベルの結界封印能力を保持するサンジであったが、負の陰体である“邪妖”が人間を…それもほぼ初見の相手を庇うなどという不可解なものを目撃したがゆえの不意を突かれては堪らない。避ける暇もないままに、正面からまともに浴びるところだった、電撃系の苛烈な攻勢だったのに。そんな彼の前へと素早く立ち塞がってあっさりガードしきれた御仁があったから、これもまたビックリな現象で。
『ぼんやりしていると危ないですよ?』
何ともおっとりとしたお声をかけて下さった彼かの人は。癖のない真っ直ぐな黒い髪をうなじで束ねるほど伸ばした、背の高い男性で。こちらさんもまた、先に現れた謎の召喚師と似たような、縁の細いメガネをかけていらっしゃるが、謎の召喚師という怪しい存在と比するまでもなく、その穏やかそうな表情や物腰からは…温かそうな人性が伺い知れて。
「あ、そうだ。」
ポンと大きな拳で手を叩いたゾロが思い出したのが、
「確か、例の物理の先生じゃなかったか? 黒須とかいう。」
ルフィが担任でもないのに姿を見れば傍らまで駆け寄るほど妙に懐いていると聞いている、物腰の柔らかい温厚そうな先生。実は先日、その話を家での会話の中で持ち出したところ、教育実習生として学校に潜入しているビビが携帯電話で撮った写真を持って帰ってくれたので、お顔は既に確かめ済みな破邪殿であったらしく、
「…だとすれば、やっぱ、生身の人間だよな。」
先に現れてこの邪妖に庇われた“召喚師”といい、生身の人間がほいほいと踏み込める空間ではない筈なのに。これは希有なことよ、どうしたことか…と、冗談抜きに訝いぶかしげな顔になったゾロへ、
「………お前。ホンットに覚えがないってのか?」
今度は半ば呆れつつ、確かめるように訊いたサンジの肩をわざわざ叩き、
「仕方がないでしょうね。覚えていると寂しいだろうと思って、私自身が彼から記憶を持って行ってしまったのですし。」
その男性本人が…そんな言いようをした。しかもしかも、
「風の使いのロビンさんのことも、再び逢うまで覚えていなかったのでしょう?」
「………っ☆」
そんなことまで知っているとは? これには、さしもの…ルフィさえ幸せなら後は何がどうなろうと構わないという方向への主旨替えも著しい、破邪で仙聖の精霊さんでも、さすがに思うところがあるらしく。ギョッとしたそのまま、
「………。」
戸惑い半分、怪訝そうな顔つきのままで目許を眇めたゾロへ。あくまでもにこやかに微笑んだままでおいでのその男性が、二の腕へ腕章を巻いたワイシャツ姿のその懐ろへ自分の手のひらを軽く伏せて見せ、
「今のこの身で名乗っている名は、黒須コウシロウと言うんです。」
「…っ!」
さらりと名乗られた自己紹介を受けてようやっと。相手の素性を理解し、思い出せたらしき破邪の君。愕然として翡翠の眸を大きく見開き、
「そんな…っ。」
ついのこととて、相手を指差してしまう。自分の“始まり”からのしばらくを一緒に過ごし、この世の理ことわりや咒の知識、格闘の鍛練に精霊刀の使い方、果ては…鋼さえ断ち切れる技を会得する修養にまで尽力下さった、戦いと雷光を司る天使長。
「師匠…っ!?」
「遅いぞ、お前。」
他でもない、天にも地にも同族を持たない自分にとっての親代わりの存在だった御仁を、うかーっと忘れ去っていたとは、情けないにもほどがあり。
「転生なさっておいでだったのですね。」
「ええ、そうみたいです。」
この危急の最中に、妙にのんびりとした和やかな会話を交わす師弟だったりして。
“…ったくよっ。”
こちらは先にそれへと気がついていたからこそ、先程から さんざん呆れていた聖封さんだったらしいのだけれど、
「記憶を持って行った?」
ちょいと間が空いての問いかけになってしまったが、確かにこの方、さっきそんなことを仰有ってなかったか? サンジが小首を傾げたのへ、
「ええ。」
コウシロウと名乗った先生は、やはり“にこり”と微笑みながら頷いて見せる。今は非常事態中なのでそれ以上の言はなかったが、後で聞いた話によれば、
『先の黒鳳の覚醒に始まった聖魔戦争の時に、
体躯はともかく中身はまだまだ幼な子に等しかったこの子を残して、
取り急ぎ 戦地へ赴かなければならなくなって。』
遥かに太古のこの世の初め。転輪王が封じたとされる大邪妖“黒い鳳凰”が、その封石から目覚めかかったことがあった。その余波を受け、魔物や邪妖たちが一斉に蜂起し、天聖界が滅ぼされ、世界は再びの混沌に帰そうとしかかったほどの混乱状態に陥ったのだが、当時の天使長たちが奮戦して事なきを得、最終的にはサンジの母上が“封じの咒”を紡ぐことで修復され、再び封巌窟に収められた黒鳳だったのだけれども。天使長たちの中にはその存在を保つことが出来ぬほどの打撃・衝撃を受けた方々も多数おられ、白の陽力で相殺することよって強大な負の力を殲滅なされて殉職なされた方々の中には、聖封殿の父上もいらっしゃれば、どこからか現れた不思議な子供を育てていた“戦いくさの天使長”もおわしまし。
『知識としての事実記憶のみを残して、日常的な雑多な記憶は洗いざらい持ってゆきました。』
手間暇は大してかからないことだったと言いたげなお師匠様であり、
『この人には後の苛酷な仕事が待ち構えていましたからね。弱みや隙の源となりかねない“思慕”の念は、その身への負担にしかならないと思われたのですよ。』
『あ………。』
記憶や思い出というものは、人格形成のための礎でもあり、その持ち主本人の究極の宝物である筈で、それを持ち去ったとは随分と勝手な処断であり、非情なことのようでもあったけれど。それもまた…彼が生涯の仕事として請け負うこととなる“職務”への枷や負担にしないため。単に、負力を持つ“滅びの邪妖”の殲滅のみにかかわる訳ではない場合だって、きっと降りかかるに違いない。知恵のある邪の企みにうまうまと翻弄されたり、もしくは…邪を召喚した人間の、誰かを想っての呪いや切望、そんな切ないまでの愚かしさに動揺したりするような、様々な事案や事件が彼を待ち受けているやも知れず。心を揺さぶられたその結果、彼自身が傷つかぬよう、感傷的になりそうな材料としての記憶を根こそぎ持っていったと、とんでもないお言いようをなさったお師匠様であり。………まま、今はそれどころではないので、積もるお話も後回し。
「今世にこの身で生まれた私には、成長に従って鮮明になってくる不思議な記憶がもう一つほどありました。それが、前世の…天聖界で過ごした頃のそれなのだと、はっきり分かったのが、この春にルフィくんと出逢った時です。」
桜並木を駆けて来た、高校生には到底見えなかったお元気な坊や。彼がまとっていた守護の咒の匂いにハッとして。そして、何をか理解した先生だという。出会うべくして出会った相手。若しくは、遠い遠い輪廻の旅の末に巡り来た再びの出会いへの予感。神憑りな響きのある“運命”というものはあまり信じない性分なのだけれど、巡り合わせというものはあるのだなと痛烈に感じたのだそうで、
「何か、そう。その子に何かが起きた時には、助けを果たさねばならないらしいなという“巡り合わせ”が、私には課せられているのだと思っておりましたが。」
目許を細めて微笑んで、
「まさか、もう一度あなたに逢えようとはね。」
「先生…。」
一気に思い出した優しい笑みは、昔とちっとも変わってはいない。ああ、こんなにも暖かい思いを、どうして忘れていたのだろうか。悔しいことだと思いもしたが、それと同時に強く“理解”もしたことが一つ。
「そこまでのご深慮をなさっていただいて、ありがとうございます。」
大きな両の手で ぎりと握り締め直した精霊刀の白い柄。直接対峙する相手の立場や、巻き込まれた人々それぞれの事情、背景。そのままでは何万もの人々が悪夢に踏みにじられるというような、規模も大きいその上に、一刻を争うような途轍もない緊急事態にこそ呼ばれる“最終兵器”故に。ただ殲滅をとだけを望まれて、その特命だけを果たしに、現場へ向かわされることの多かった、凄まじい力のをのみ頼りにされていた自分には。相手への同情や何やをその対処へ差し挟んではいられなかったから。もしもその身に備わった感情というものが、人並みに豊かで深いものだったならば、様々な悲劇や理不尽と向き合わされて、なのに死神のように容赦のない裁断を下さねばならなかった我が身を憂い、とっくに自我を破壊されていたかもしれない。心を打ち捨てて臨まねばならぬ、それは厳しい職務にこれまで淡々と当たって来れたのは、そんな対処を取っていただいてあったからこそなのだろう。だが今は、
「今回だけは、感情的にならせてもらいますが。」
鋭い眼差しの向かう先。やや上段にじゃきりと構えた刃の向こうには、いまだ片腕だけしか姿のない悪鬼がいる。選りにも選ってルフィに かざされた“連結の楔”などというふざけた咒陣に招かれし、口が達者で馬鹿力持ちの邪妖。こやつだけは何としてでも撃破せねばならないし、考え違いをしているらしき“召喚師”にも、でかくて熱い灸を据えねば気が収まらない。ただ体つきだけが育った訳ではない。永劫続くかと思われた、無味乾燥、冷ややかに凍りついているばかりだった時間の流れの中にて、自分の存在に替えても守りたいとする大切なものを見つけた。坊やのためにとしゃにむになっていることが、視野を価値観を歪曲させるかと思いきや。狂おしいほどの想いが煮えた結果として、自分の中から別の聖格の覚醒を促せたほどに、彼へと大きな成長を齎もたらした、それはそれは大切な宝物。なかなか頼もしい威容をもって、大物邪妖へと剣を構えた愛弟子の大きな背中へ、
「頑張って下さいね。」
にっこりと笑ってのエールを送って、さて。こちらはこちらで大仕事に立ち向かわねばと、
「あの召喚師さんは、ウチの学校にも出入りしている武具店の若主人です。」
防御担当のサンジへとそんな言葉を掛けているお師匠様。自分たちと相対している人物の素性を明かして下さった。
「怪しい魔術に凝っているらしいという話を聞いたことがありはしましたが、こうまで本格的なものへ手を出していらっしゃろうとはね。」
前世はそっちの筋の方ではあるが、今は普通の、それも学校の教師というお立ち場の先生。困った方ですねと眉を下げて見せ、
「あなたたちを困らせるほどの手管を身につけていようとは。」
自分は見知っていた人。なのに、そこまで発展させていたとは気がつきませんでしたよと、自分の不覚を謝るように肩をすぼめた先生だったが、
「いえ。もしかしたら、我々が放っていた力を浴びての影響というのもあったのかも知れません。」
ひょんなことから出会って、それから。色々と降りかかる火の粉を払いつつ、絆を深め合い、このところはささやかな幸いを積み上げては笑ったり泣いたりと、至って穏やかな日々を過ごしていただけだったのにね。異世界の住人たちの出入りや襲撃。一般の方々にはあまりいい影響を与えはしないだろうからと、こちらに関心を持たなくなるよう働きかける“意志結界”をほどこしたりと出来る限りの注意を払っていたものの、あの“黒鳳”による不意を突かれた襲撃に関しては、残念ながらどこまで後始末が行き届いたか。そして…そんな現象が彼にとって、強い興味を持っていた方向のものであったから。ますますの関心を招いてしまい、その結果として“ルフィ”という鍵を嗅ぎつけられてしまった。それもまた悪い意味での“巡り合わせ”というやつで、当事者たちには非のないこと。現状までの流れを悔やむより、今は…全力をかけて善処するしかなかろうと、新たな封印の咒を構えるサンジであり、
「ただ。一つだけ分からないことが。」
ゾロの師匠で戦闘の天使長に訊いても判らないことかもしれないなと思いつつ、聖封殿がぽつりとこぼしたのが、
「どうして生身の人間に、この“合”への侵入が果たせたのでしょうね。」
「ああ、それですか。」
確かに厄介な不可解ですよねと、うんうんと頷いたコウシロウ先生。
「あの“連結の楔”とやらに、道標系の威力も加えたのでしょうね。」
折角の、今回の文化祭の出し物の中で一番話題の舞台を見もせずに、何とも怪しい…何かに取りつかれたようなお顔のまま、舞台脇へと急いでらしたのが妙だったのでと、後を追ってみた黒須先生。そこで見たのが…不思議な光の柱の中に取り込まれていたルフィと、その周囲にばたばたと倒れていた生徒たち。そして、
『…っ、何をするんですか。止めなさいっ!』
確か教育実習生だった女性が懸命に制止するのを突き飛ばし、そんなルフィへと手を伸ばして…姿を消した彼だったのへビックリし、
『お待ちなさいっ!』
自分もまた、この少年によって とある記憶を掘り起こされた身。尋常ではない状況らしいなら制止せねばと…後に続いてここに来てしまったのだそうで。
「邪妖を招くための より強力な威力となればと添加したのでしょうが、それが、彼をこの亜空間へ導くための働きまで発揮したらしいのですよ。」
ちょっとした怪奇への気休め的な手当てに用いるような、ただの子供だましに近いものだったのかもしれないが。それを仕掛けられたルフィが…真実“陰”の力に過敏な子であったがため、口惜しいことに発動してしまってのこの状況ということなのだろう。
「何の素養も持たない人でも、さっきの邪妖の言いようではありませんがそれを手掛けた張本人ですからね。あの咒陣を発動させようとした“意志”というものが連動して、彼が此処へと分け入ってくるのを受け入れてしまったらしいのですよ。」
陰界は生気の力、言い換えれば“意志・意欲”が大きにものをいう世界でもあるから、そういうことも起こり得るということか。
「それじゃあ…。」
サンジが感慨深げに眉を寄せる。一丁前に不敵な表情とやらを張りつけさせた、怖いお顔になっている召喚師さんだが、
「あれを追い返したいなら、やはりあの咒陣を消すしかないと。」
姿のないハンモックにでも寝かされているかのように。宙に浮かんだままのルフィを見やり、その背中で時折ちかちかとおぼろな光を放っている円陣を、忌ま忌ましげに睨みつける。
「そういうことですね。」
しっかと頷いたコウシロウ先生。とはいえ、
「残念ながら、今の私には専門的な手立ては打てません。」
「………はい?」
急に遠巻きに“応援してますから”というような口調になったのへ、はい?と怪訝そうな顔を向けたサンジへ、
「私はほら、あの召喚師と同じく、今はただの人間ですから。」
「この亜空間に来れているのにですか?」
あっちの召喚師が踏み込めたのは、憎たらしい咒陣の導きのお陰だとして、じゃあ“ただの人間”に転生しただけというコウシロウさんが、やはり此処にその身を運べたのはどうしてだ?
「さあ。彼のオマケみたいなものじゃないのでしょうか。」
直後に追って来ましたから、彼が興奮状態になって振り撒いていたオーラを多少はかぶっていたのかも。冷静に分析する先生へ、
「…ですが、さっきの雷光は?」
自分を庇ってくれた、とんでもない閃光。あんなものを普通の人間が操れるはずがない。単なる人間には出来ないことですよと、白い指を顔の前へと立てて言及すれば、
「………そういえばそうですが。」
でも、と。困ったように眉を下げ、
「外の、元の世界ではそんなこと出来やしなかったんですが。」
「やってみたことがあるんですね?」
ええ少し。恥ずかしそうに笑って見せて、不思議な記憶がちゃんと落ち着いたその中に、そんな技を振るう自分というのもあったので、試しにと念じてみたこともあったのだけれど。一度たりとも何かしらの力を発揮出来たことはなかったのだそうで。
「此処が不思議な空間だからでしょうかね。」
「………だったら、今だけでも貢献して下さい。」
ああ疲れるわ、年寄りとの会話は…と思った聖封さんだったかどうかは不明なれど。あれだけの稲妻が出せる身で見物はないでしょうよと、後込みなさる先生の腕を引き、こちらもそれなり対峙の構えを取って…さあ。忌ま忌ましい邪妖とその召喚師サマナー相手の戦いがあらためて始まろうとしていたのだった。
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*あああ、何だかコミカルな内容になって来たような気が。(大笑)
ゾロの師匠のコウシロウ先生は大好きな人だったので、
どっかで出ていただきたかったんですが。
しまった、この人、ホントのホントにという切羽詰まった正念場以外では
必要以上にのほほんとしてらしたんだ。
(そこがイイんですけれどもね。)
いきなり一服しているような運びになっちゃいましたけれど、
それだけ力強い応援が来たんだということで。(おいこら)
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