天上の海・掌中の星

    “真昼の漆黒・暗夜の虹” 〜覚醒の果てに G
 




          




 上にも下にも前後左右にも。その限界
はてが曖昧で、白っぽい埃のような靄もやが立ち込める、ここは所謂“亜空間”という時空の狭間。あまりに負の要素が強い、つまりは他を滅ぼすことでしか存在出来ない邪悪な陰体であるがため、器が必要な陽界にまではそのまま出現することが出来ない大型邪妖も、此処へなら何とか“個体”を保って辿り着くことが出来る空間であり、

  『俺を招きしマスター、何とかしておくれな。』

 自身を召喚した者だから、つまりは“支配者”だと。主人呼ばわりまでして一旦は庇った筈の召喚師を、巧妙に間近まで誘い出して大きな鎌のような爪にてあっさりと串刺しにし、その血をルフィへと跳ね飛ばした邪鬼が、

  『そやつを救ったこと、すぐさま後悔することとなるぞ?』

 そんな言いようをしたことへ、さすが真っ先に何事か閃いたらしいサンジが、だが…それほどの反射さえ間に合わなかったことへと歯咬みして悔しがる。
“そうなんだ、こいつそのものが居なくたって構わないんだ。”
 足元でうんうんと苦しげに唸っている、出来損ないの不甲斐ない召喚師を憎々しげに見下ろしながら、
“咒陣を描いた者の意志や意識に連なる一部さえ手にしていれば、陣ごと自在に出来もする。”
 こやつを とっとと元の世界に叩き出すか、若しくは…助けず見殺しにして方がよかったのかもと、心優しき聖封さんがそこまで思ってしまったほどの、これは大ごと、途轍もない“どんでん返し”であり、

  《 ほほお。
    こんなチビさんに我を収められるほどの大きさが備わっていようとはの。》

 いかにも聞こえよがしな声での感嘆が紡がれ、爪からしたたり落ちてきた鮮血にどす黒く染まった鬼の巨大な手のひらの上、ふわりと灯った光があって。

  「………っ!」

 そこへと明け星のように掲げられた存在へ、こちらの陣営の3人が苦しげな顔を上げて息を飲む。見上げた先、果てしのない漆黒の闇の中にくっきりと浮かび上がるは、力なくも萎えたままの少年の小さな頼りない肢体が一つ。この亜空間に吸い込まれて以降、意識がないまま中空にその身を浮かべていたものが。先程の一連のやりとりの末に、突然その姿を掻き消したルフィであり。常に傍らにあって防御の咒をかけてやっていたゾロの想いと、この危機に際して彼自身の防衛能力が咄嗟に働いたのとによって、その意識は一応守られてはいたものの。召喚師の描いた咒陣がそんな自分たちへの妨害障壁になっており、こちらからも手を出すことは出来なくて。そして、その召喚師の血という“鍵”を手に入れた邪鬼により、今の今、選りにも選って、敵の正に手の上へと攫われてしまった彼であり。苦痛も恐怖も何をも感じず、ただただ無心に眠っているその表情が、こんな事態にあってはむしろ痛々しい限りで、
「………クッ。」
 彼を必ず守るからと堅く誓いし面々なればこそ、この状況には臓腑が煮えて引き千切れそうな想いがして、居ても立ってもいられない。無論、何もしないままに見とれていた訳ではなく。
「貴様っ!」
 頭上へ高々と差し上げた精霊刀。先程までに込めた念を、更にと鋭く尖らせて、大きく振りかぶったそのままに、壁のようにそそり立つその足元、脛へと斜めの袈裟がけに斬りつけたものの、
「…っ!」
《 効かぬわ、童っぱ。》
 ルフィを文字通り“手中”に収めたことで、よほどのこと、その防御の結界の威力も増したのか。破邪からの渾身の一撃を目に見えぬ障壁にて易々と弾いたと同時、何ともいやらしい含み笑いの響きが籠もった声で、見下すような言いようをし、


  《 さぁて、それでは。》


 意識がないままなのが何とも痛々しい、くったりと萎えた身のままで。ルフィの小さな肢体が大鬼の手に掴み上げられた。対比させると玩具のような、それはそれは小さな身体が、邪鬼の胸板へと臥せるように押し付けられて。

  「…っ!」

 途端に…その全身へいやらしい剛毛が蔓のようにヒルのように絡みつき始める。細っこい腕へ脚へ。薄い肩や頼りなく見える華奢な腰、瞼の下りた顔へまで、触手のようにまとわりついて。それが幾重にも絡まる中へと、見る見る内にも埋まるようになって吸い込まれ、そこからそれ以上に内へ内へと取り込まれてゆく彼ではないか。

  「ルフィっっっ!!」

 負の陰体には触れるだけでその身を腐食させて滅ぼさせるほどに、それはそれは忌まわしき存在である筈の、極強の精霊刀を振るっても届かない。陰体を焼き尽くすほどの威力と聖的エナジーとが籠もった、聖封サンジが放つ炎弾も光弾も、触れる前から易々と跳ね返す邪鬼であり。
「くっ!」
「ルフィっっ!」
 何の手も打てない自分たちの、あまりの非力さが恨めしい。こんな下らないレベルの下衆の邪妖に、あの、復活を企んだ“黒鳳凰”からでさえ守った大切な少年を取り込まれてしまうとは。しかも、

  《 おほっ!》

 そんな邪鬼にすぐさまの変化が現れ始めた。本人にも実感があったか、奇妙な声を上げており、
「な…。」
 まぶたの薄い下へグリグリと丸く、濁ったような眸が収まっていたのだが、それが…縦に何重もの絃を重ねた虹彩を絞られて らんと輝き。また、額から突き出していた角が、チリチリと軋みながら長く枝分かれして伸び始めた。明らかな変化に視線を奪われていると、
「あれは…ルフィくんの“能力”が発動した徴
(しるし)です。」
「…え?」
 真摯な表情になったコウシロウ氏がその眉を顰めて見せて、
「彼が…陰体を招きやすい身だというのは判っていましたが、余程に大きな容量なのでしょうか。」
 そういえば。この人は…前世の記憶があるというだけで、今はまだ、今世の側で起こった騒動や事象の“詳細”までは知らない身。いわばデータの上書きをされていない人である。ルフィに関してだって“尋常ではない身の上らしい”ということしか知らず、少年のどういった素養に惹かれて、邪妖たちがこぞって集(たか)って来ていたのかにも通じてはいないに違いなく。………だが、
「伝説の黒鳳凰がそうでした。万全の再生能力を持つ忌ま忌ましい妖鳥で、翼を折られたら倍に増えて羽ばたきを増し、クチバシが欠ければ鋭さを増して幾千もの人々を串刺しにした。あれはあの鳳凰の瞳と同じですからね。」
 その“前世”に於いて鮮烈に彼の記憶へと焼きついていたこと。太古の昔の封印を破って飛び出さんとした黒鳳凰を再び押し込め直さんとした“聖魔戦争”にて、自分たち“天使長”が総力戦でかかっていって、それでも圧倒的な力の前にはさしたる手立てを打てなかった“化け物”を思い起こしたのだろう。そして…それを聞いてサンジが息を飲んだ。

  “それではやはり…。”

 ルフィが背負っていた…黒の鳳凰の“筐体”としての能力が。邪妖との接触という機会を得たことで、今ここに、目覚めてしまったということか。

  “………そんな。”

 あれほどの苦戦を乗り越えたのに。関わった者が皆、心身共にぼろぼろになりながら、抗えぬ“時”とさえ競い合うようにして。ぎりぎりの限界と、正に紙一重という間合いを擦り抜けて、何とか勝ちを得た自分たちだったのに。そして、そんな戦いの中で、最も傷つきながら最も頑張ったルフィだったのに。選りにも選ってそんな彼が、敵の手中へと落ち、しかも…その悪しき覚醒を始めてしまっただなんて。
「…もしも。」
 確かめることさえ恐ろしい現実。されど見ぬ振りは出来ない真実。
「黒鳳凰と同じ能力だったとしたら…どうなるんです?」
 伝説の大邪妖。再生能力を持ち、混然一体としていた最初の世界の有り様を分断した転輪王の働きに抗い、元の“混沌”へ引き戻そうとした力の具現化した怪物で。いわば…現世界に存在するあらゆる“個々”が独立した個々であろうとして働いている反発力を、一気に合体させられるほどの力をも持つ、途轍もない存在だということになり、
「吸収した力が聖であれ邪であれ関係なく、そのまま飲み込んで蓄積してしまえる。核になっているものがどんな詰まらないレベルの邪でも、意のままにレベルを上げて成長出来るということです。」
 尋常ならざる事態を淡々と語る元天使長へ、
「今のうちなら…まだ力を蓄えてはいない内なら、抗いの余地もあるのでは?」
 何とか勝気を見いだそうと訊いたサンジであったが、黒須氏は目許を細めると、宥めるような表情になって緩くかぶりを振って見せ、
「黒鳳凰の吸収力が働くのは、内へと取り込んだ力にだけではないのです。受けた攻撃の衝撃をも吸い込んで“学習”してしまうんですよ。」
「学習?」
「ええ。それが術や咒によらない物理的な攻撃ならば、叩かれた強さに動じない強化をという格好で、その身を より強靭なものへと高めてしまいます。」
「そんな…っ。」
 自分への攻撃や抵抗する作用でさえ、それへと屈しないよう、その桁の威力をまんま飲み込んでしまえるようになるということか? ということは。まだ“始まり”という現段階の今であっても、どんな力を持って来ても凌駕出来るものではないということか。
“しかも…意識の主体になっているのはさっきの鬼。”
 ルフィの身を“寄り代”にしている鬼が、自我をも支配している“主格”であるのだ。到底真っ当な存在であろう筈はなく、強靭な身となるがまま、好き放題に暴れるに違いなく。無論のこと、ルフィの意志は封じられたままでおかれよう。そのうち溶解して消え果てるか、鬼の意識へ混ざり合って潰
ついえてしまうか。

  “ルフィ…っ。”

 果たしていつまで。彼の身にかけてある咒は効いているのだろうかと。翡翠の眸をいただいた破邪がその胸中にて切なくも思ったのがそれだった。無意識の内に、その意識を守るべく起動したとされる封印の咒。彼自身の意志を侵食されぬようにと働いたシールド。それに頼れるのは一体どのくらいなのだろうか。そこから目覚めることもないままに、そのまま、こんな奴の意識の中へ彼は飲み込まれてしまうのだろうか。そして…自分は何もしてやれず、こうしているしかないというのか。そうと思うと、

  「………くっ。」

 何とも忌ま忌ましい展開へ、手のひらへ爪が食い込むほどにもきつくきつく指を折り、精霊刀の柄を握り締めるゾロであり。その背後にて、
「それでは…封印しか手はないと?」
 あの伝説の転輪王が選んだ策。切ることも砕くことも、燃やすことも凍すこともかなわぬ大妖。そうまでもの能力に満ちた、滅ぼすことが敵わぬ相手ならば。外界との接点を断ち、天巌窟に封印し、少しずつ少しずつ浄化しながらその力を削いでゆくしかないと? そうと訊いたうら若き金髪の聖封殿へ、黒須先生は困ったように吐息をついて、
「ええ。ですが、押さえつけることが出来るだけの力を持つ者がいないでしょう?」
 今の自分たちに足りない“決定的な点”を指摘する。
「あやつのキリのない再生を封じるためには、転輪王様ほどに、つまりは神格に近いまでの莫大な力で包み込むようにして押さえつけるしか手はありません。そうした上で、仮の活動停止、つまりは凍結状態にし、封印する。恐らく、それしか方法はないんです。」
 それほどまでに強大にして、しかも凶悪な意志に乗っ取られた存在。そうであることを知らされ、そうであることを正しく理解したからこそ、
「く…っ。」
 驚愕に、若しくは途轍もない脅威に、大きく目を見張りそして、肩を落とすサンジであり、

  “せめて…俺がそのくらいのことをこなせるほど、
   十分なまでの力を得る修養を遂げているような身であれば。”

 何が聖封かと、何が天聖界随一を誇る封印結界術の権威の血統かと、そんな肩書があっても到底足りはしない、手も足も出ない現状に打ちのめされて、自分の身の不甲斐なさに息が詰まりそうになる。あんな小さな坊やを一人、助けてやれもしなくて何がと、全身の血が羞恥に泡立って消し飛びそうな焦燥に駆られてしまい、ぎりと唇を咬みしめる。先だっての騒動の時もそうだった。今回だって、この忌ま忌ましきエセ召喚師の活動を追跡しきれず、非力なルフィに不安を抱かせ続けて。その揚げ句がこれかと、そうと思うと何とも情けなく。
“…ちくしょっ!”
 当たりどころのない苛立ちを、それでも何とか咬み殺した聖封殿であったのだが。そんな彼の鼻先にて、
「………これは。」
 辺りの靄
もやがどんどん晴れてゆくのに気がついた。この亜空間を構成しながら、霞かすみのように埋めていた雑多な微細物質。視野を奪うほど、その存在を主張していた何物か。それらが…どうした訳だか濃度を薄めて晴れているらしく。不審を覚えたサンジへ応じるように、コウシロウさんが静かに声を放った。
「…手初めに、この空間を呑んでから外へと出て行くつもりなのでしょうね。」
 陰体のままでは陽世界に存在することが適わぬ鬼だが、今の彼が寄り代として得た“筺体”の持ち主はそちらに“肉体”を持つルフィだから。此処から“連結の楔”を辿って出さえすれば、そのまま向こうの世界にも…ルフィの体へ収まることで受け入れられよう。
「ここと陽世界を繋いでいる“連結の楔”を辿るため、余計なものを排除にかかっているのでしょうよ。」
 ルフィの意識が封じられているため、そうする以外に此処からの出方が判らないということか。
「力技で飛び出そうというのですか?」
「ええ。それも、この空間を手土産に。」
 にっこり笑った黒髪の師匠は、
「きっと、私たちごと飲み込む気なんでしょうね。」
 そんなとんでもないことまで付け足してくれたが、
「………。」
 どういう訳だか、冗談ではないと焦る気さえ起きない。反発する気さえ起きないほど、こうまで落ち込んだサンジというのも例のないことながら、
“坊主を救ってやれなかった、これも罰なのかもだな。”
 そんな気さえしての失意や傷心から来ていることであるなら、それも仕方のないことか。ここまで八方塞がりな事態では、これもまた“自業自得”と受け入れざるを得ないことである気がした彼であり、
“敵前逃亡、か。”
 諦めて崩壊や絶命を待つ、そんな終わり方になろうとは。雄々しくも戦って天聖界を守った“英雄”の父とは違う、あまりに情けない末だよなと苦々しく感じたそんな瞬間に。

  ――― え?

 唐突に ぱんっと。質量があったのではないかと思えたくらい、それは目映くも力強く弾けた閃光があったから。あまりの間近で閃いた鮮光の強さに、咄嗟にギュッと目をつぶったサンジの傍らにて、

  ――― ふぁさ…っ

 軽やかな何かが舞い降りたような気配が立つ。どこぞかへ吸われて薄まる靄と入れ替わり、空間の奥底から絞り出されて来るような闇の主張が強まりつつあったものが。今度はそれを目映い光にて追い払おうとするかのような勢力としての、力強い純白の羽毛が辺りを覆う。ハッとしたサンジが見やった先には、

  「………ゾロ?」

 もはやどうすることも出来ないのかと、絶望を覚えたサンジとは正逆に。破邪の男はあまりに無力な自分への怒りを、その身の裡
うちにて極限まで高めたらしい。秋物のシャツの下、がっつりと撓う筋骨の隆起が雄々しく張って頼もしい、そんなゾロの肩の向こう、背の上部にて。表面の白が闇を弾いて力強く羽ばたいたもの。健やかにして強靭な張りを保ったまま、ゆったりと波打つように開いては宙に躍る、純白の大きな大きな翼が一対。この姿こそは、

  “淨天仙聖…。”

 背丈が伸びるだの、筋骨が幾回りも分厚くなるだの。髪が伸びるだの、角が生えるだの、羽衣がどこやらか飛んで来て、その身に巻きつくだのというような。特にその姿に極端な変化が起こる訳ではないながら、唯一の特徴となる聖なる翼がその背に現れる。元は神格者であった存在から引き継いだもの。天聖界に於ける“古典”になっているほど古い伝説の中、かつて転輪王と共に挑みたる、黒鳳凰との戦いの場にて。世界の浄化の役を務めたという、神々の眷属“月夜見”の末子、仙聖の生まれ変わりのその本性が覚醒した時にのみ発動する聖なる翼。愛弟子がそんなものに縁があろうという記憶はあいにくと無かったらしきコウシロウさんが、それでも…知識としては知っていたらしき存在へ、

  「あれは、もしかして“聖護翅翼”でしょうか?」

 思わずだろう、その名を口にした。邪気を払って瘴気を清める、この世で最も強靭な楯でもある純白の翅翼。それを招いたほどの怒りと決意を静かに滾
たぎらせて、破邪の男は…大妖へと膨れ上がりつつある、醜い邪鬼へと真っ向から向かい合う。

  《 一体何者なのだ、お前。》

 翼が増えただけでなく、先程までの雰囲気ではない威容だと、そこはさすがに気づいたか。それなり手古摺っていた時も“童
っぱ”呼ばわりしていたものが。念願の力を得たにもかかわらず、警戒を含んだ物腰での言いようをする。小山のような体躯の、その足元に立つという、あまりに小さな存在が相手だのに。綺羅らかに光を放つ翼の存在感に少しは圧倒されるのか、軽んじて蹴り飛ばすような素振りさえ見せず、窮屈そうに顎を引いて相手の中身を見透かそうとするかのように目許を尖らせる。こんなに巨大になりつつあるのに、本性の下卑たところはそうそうは抜けないものなのか。自分を脅かす存在ではなかろうか、付け込むところはないものかと、隙や油断を窺っている者の卑屈な目。無遠慮にもあちこち弄まさぐるような視線を受けても物ともせず、
「俺は俺以外の何者でもない。」
 きっぱりと言い放ったゾロであり。毛むくじゃらな四肢や巌のような馬鹿でかさの手を見上げ、

  「飲み込んだ子を今すぐ返せ。」

 その手に下げた直刃
すぐはの和刀。刃に流れる光が反転したのは、拳の中で柄をじゃきりと握り直したから。腹の底から低い声をゆっくりと放って、怒りに嵩の増した気概を静まれと自ら宥める。ただ激しただけの無制御な感情は、どんなに大きく強いものであれ、切っ先をぶれさせるだけ。一気呵成の勢いが必要な戦いもあるけれど、これはそれではないと判る。神格者としての威容や力の厚みが増したとて、それを叩きつけても相手に吸収されてしまうだけのこと。逃れようのない鋭い一撃をただ一点へ。それで相手の力の増殖を制し、その一瞬を逃さず、一気に封印すればいい。数を平らげる持久戦や、馬鹿力に対応するための体力勝負だけが能ではなく。溜めた力を鋭く繰り出す、絶妙な間合いとなる“一瞬”を読み取る術にも長けているのが一流の剣士。

  ――― っ!

 ぐんと、剣がその刃渡りを伸ばす。よくよく練られた鋼の刃は、シンプルな凶器に見えてその実、重くて鋭い複雑なバランスをしているがため、腕力と握力が両方揃っていないと良いように振り回される。不用意に振り下ろすと、ブレーキが利かないまま自分の足をずっぱり斬るなんて事故も珍しいことではなく。そんな厄介な代物だからこそ、それを侭に扱える者には、神憑りな使い手として名を馳せるほどの凄まじい破壊力や奇跡の技を齎
もたらしてくれもする逸物なのであり。よって、持ち主の意志を乗せ、持ち主の望みをそのまま実現させるほどの名器というのは、切れ味が良い、よくよく鍛えられた銘刀を言うのではなく、持ち主の腕に馴染んだものを言う。刃の幅も大きく広がり、蛮刀か薙刀のようなそれへと姿を変えた“和道一文字”は、それでもゾロには自分の腕の延長。ぶんっと足元へ向けての一振りを薙ぎ、重さを確かめ、手ごたえを身に染ませて。
「…っ!」
 さして助走を刻むことなく、かといって背中の翼にも頼ることなく。本当の床かどうかも怪しいながら、亜空の地を蹴り、高々と宙へその身を躍らせて。そんな跳躍の最中に、脇から引き上げ、そのまま小脇に。大きく頑丈な両手で固定して、加速ごと思い切りの体当たりを敢行する。

  「哈っ!」

 澄み切った泉の水表のような。微塵も乱れのない冴えた気概を乗せた最初の一太刀は、重く深く、相手の脾腹へと突き立った。

  ――― あぎゃあぁあぁぁっっっ!!

 位置こそルフィを飲み込んだその胸板よりも下ではあったが、その胎内にあの少年を飲み込んでいる体を相手に、怖じけもせずに攻撃を加えたゾロであり。前回での迷いや気持ちの怯みなどは微塵もない、ただただ相手を撃破せんと集中させた闘気を捏ね上げて叩きつけた渾身の一撃。よくぞ全身が砕け散らなかったものよというほどの途轍もない打撃に、のた打ち回らんというほどの絶叫を上げる鬼であるところから察しても、これはかなりのダメージを与えた模様。そのままゾロ本人が通り抜けられるほどの大きな風穴を空けて、すれ違うように背後へと着地。そして、その位置から間髪入れずに再びの攻撃へと向き直る。集中力を途切らせることのないままに、相手の再生が間に合わないほどの連続にて。間を空けずの攻勢を畳み掛けるしかないと踏んだゾロだったらしく。
「よしっ、そのまま続けて下さい。」
 あのコウシロウ氏が思わず感情を高ぶらせ、拳を握って見せたほどに。その手際には迷いも間違いもなかったものの。必殺の切っ先を脇へと固めて、再び相手へ襲い掛かったその瞬間に、


  『……… ゾロっ!』

   ――― っ?!


 今まさに躍りかからんとした破邪の眼前へと浮かび上がった像があり、その姿への反射が鋭い身であったがゆえに、選りにもよって…ゾロのこれ以上はなかろうほどに煮えていた戦意を鈍らせたから皮肉なもの。そう。今の今まで案じていた存在。是が非でも奪還せねばと、彼らほどの手練れたちが意識が焼ききれそうなほどの焦燥を胸に抱き、それが動揺に転じないよう何とか押さえつけながら、一気呵成、渾身の一撃を叩きつけようとしていたものを。敵の盾になるように現れたのは紛れもなくルフィの姿であり、

  「ルフィっ!」

 その幼い姿ごとふわりと広がった少年の気配は、今にもとどめをさそうとしていた彼の守護を引き止め、それから…。



   《 …甘いのォ、童っぱ。》








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  *あまりに長丁場なので、2つに分けました。
   もちょっとお付き合いくださいませね?