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最初の取っ掛かりは足首、踝くるぶしくらいの高さだった、広い広い緑の草原。見渡す限りというのは大仰だけれど、背丈の小さなルフィには十分過ぎるくらいに広々と大きくて。途中からどんどん背丈が高くなって来た柔らかい草の海を、どんどこ駆けて突き進む。
「面白れぇ〜〜♪ 擽ったくてツルツルで、上等な布の海みたいだ。」
絹みたいな感触だけではなく、色合いも。ただただ緑一色ではなく、背丈が高い草は白っぽい透明感のある下地の上へ、青や紫のモザイク模様みたいな色が散っているという変わった配色の葉になっているのが、いっそ舞台装置や遊園地の遊具みたいで面白く。風に揺れると明るい陽光の中で柔らかな色がゆらゆら泳いで、まるで大きなカーテンを掻き分けながら駆けてるみたいで。そんな見た目や肌触りを純然と楽しみながら、ざかざか進軍してゆくルフィであったが、
「待てって。こら、ルフィ〜〜〜っ!」
迷子にさせては一大事だと、追っ手のゾロはそれどころではない。唯一の目印である黒い髪を乗せた頭が、草の海の中に沈みそうになるたびに冷や冷やしながら、こちらさんもわしわしと、草の海を掻き分けながら猛然と進む進む。
「え〜〜いっ!」
とうとう舞台の緞帳みたいな高さにまで大きくなった草の垂れ幕を、えいっと左右に掻き分けると、唐突に視界が開けて、
「わあぁ〜〜〜。」
そこは涼しげな泉のほとりだった。エメラルドのような鮮やかな緑の芝草が敷き詰められた空間の先には、そこまでの草の海で こそりと隠されていたかのような、静かな水辺の風景が広がっている。趣き深く落ち着いた色合いの岩や石が幾つも岸辺から連なっていて、透き通った清水をたたえた泉の中へと続いている。葦や茅だろうか、直線的な草の株が青々と茂っている一隅もあり、親子だろうか小さな水鳥たちが、そこからすべり出すように"つーいつい"と並んで進み出て来て愛らしい。あれほど元気よく駆けて来たルフィの歩調が、いつの間にかゆるくなっており、水際まで辿り着く頃には歩く速度になっていて。
「う〜ん。」
そういえば、家の中から直接来たものだから。裸足のままなんだと今になって気がついた。ここまでに駆けて来た草原があまりにも…足元まで柔らかな感触の場所だったからで。その裸足の先を片方、そろ〜りと持ち上げ、ちょいっと水面へと浸してみると、
「うひゃっvv」
ほのかにひんやり、でもでも、飛び上がるほどではない冷たさが心地いい。それよりも…ちょんっと爪先を浸したその先から放たれた水の輪が、広がった先で王冠みたいに波の縁をヒラヒラと盛り上げてる。テレビの"ハイスピードカメラで撮影しました"なんていうスローモーションでしか見たことがない現象。透明な、間違いなくお水が、飴細工や氷みたいに薄いまま、きちんとナミナミになって立ち上がって揺れている。
「わ、わ、ゾロっ。あれあれっ!」
「ああ?」
こちらは やっとこ追いついて、思わぬ駆けっこに…ルフィを見失うんじゃないかという恐れもあってのドキドキに、肩で息をしている破邪様。何をそんなに感動しているのかと顔を上げ、
「ああ…そりゃ水の中にいる妖精の仕業だ。」
「よーせー?」
「ああ。」
大きく息をつき、それで落ち着いたか。膝についてた手を上げて、身を起こすゾロであり。
「ここの水も空気も、基本的には地上と性質は変わりない。炎は水をかければ消えるし、空気を吸い込めば呼吸が出来る。その空気は、温度の差で対流が起こして風となる。」
ルフィの隣りまで進み出て、泉の縁に屈み込むと、その静かな表を人差し指でちょいちょいと突々き、
「水は水。飲めるし、泳げるし、意志はない。ただ、」
やはり広がった綺麗な透明の水王冠を指さして、
「こういう泉には妖精や聖霊が住み着いてるからな。ようこそ、とかいう挨拶代わりに、水を使ってこういうことして遊んでくれんだよ。」
水面から持ち上げられたゾロの指先から、ぴちょんと落ちた水滴。それが…水面で弾んで、ふわりと跳ね返り、元の指の上へと飛び乗ってぴょいぴょいと撥ねる。
「うわぁあ〜〜、良いな良いなvv」
俺もそれがしたいっ、と。しゃがみ込んだゾロの背中にしがみつき、伸ばされていた腕へ自分の腕を添わせて伸ばせば、悪戯な水滴はルフィの指にまで撥ねて来て、
「わ、わ、わvv」
着ていた水色のTシャツの袖口。触れたのに濡れないまま、肩まで登って来て。鼻先、目の前でちょんちょんと大きめに撥ねてから、宙へと躍って泉へ戻る。
「わあぁあ〜〜〜っ♪」
まるでもっと幼い子供のように、水玉のダンスにこうまではしゃぐのだから、
"水精だって懐くってもんだよな。"
小さな存在の水の妖精たちは、力はないが能力は鋭い。異世界から紛れ込んだ存在へ、警戒もせぬまま…こうまで懐くなんて、本来だったら有り得ない。まずは水から水へと警戒の震えでもって危険を伝えて、聖宮の警備兵に異変を知らせているからで。そんな間は、こんな芸当を披露することもない、ただの水でしかない筈なのに。
「あははvv 凄げぇ。この水、当たっても濡れないぞ、ゾロvv」
ぴちゃぴちゃと水面から跳ね上がっては、坊やのお顔や腕へと触れて戻ってゆく水滴たち。冷たいキスの感触を残していくだけで、どこも濡れないのが何とも不思議。大きな琥珀の瞳を見張り、そうかと思えば糸のように細めて、満面の笑みで屈託なく笑う。不揃いな猫っ毛が、水の上をわたる風に遊ばれてさわさわ揺れて、丸ぁるいおでこを擽っている。ふくふくとした頬は楽しげな笑みを沢山たくさん頬張っていて、ほらほら見てとゾロの注意を引こうとする声も、何とも軽快で溌剌と…可愛らしい。
"……………。"
何がどうしてこうなっているのか。さっきまではそれが気になってて、今にもルフィが、…この異世界に飲み込まれて、どうにかなってしまうのではなかろうかと心配で。それはそれはハラハラしていた筈なのに。どこにいたってマイペースで、精霊にさっそく好かれている彼を見ていると、そんな警戒に尖っていた心持ちも不思議と和んでしまう。
"それじゃあ いかんのだがな。"
此処は警護の固い天聖界だから、いつものような邪悪な魔物からの襲撃はなかろうとはいえ。それならそれでルフィの方が異分子であるのだから、やはり警戒は必要な筈が…ついついお顔がゆるんでしまう。周囲へ気を配るより、無邪気なルフィのはしゃぐ様子を見ている方がいいと、ついつい可愛らしい彼本人の方にばかり意識が向いてしまう。ここが自分の庭のような世界でもあるが故、ある意味では油断をしている証拠なんだろうと。判ってて、でも態度を正せないほどに、ルフィが可愛いのがいけないと。………どこの子煩悩なお父さんですかと言いたくなるような心持ちにて、はしゃぐルフィの相手になってやっている。
「ほら。水だけじゃない。」
「え? …あれ? いつの間に?」
少し大きいTシャツの二の腕に、さっき掻き分けて来た柔らかい草が丁寧に編み込まれたミサンガみたいな腕輪が結ばれている。
「草にも妖精がついてんのか?」
「ついてもいるが、これは風の方だな。」
「風?」
「ああ。水の子ばっかり構ってないでって、さっきまで草の中で遊んでくれてたでしょって。」
「…あ、そか。」
目隠しするように わざと行く手をふわりと塞いでた草の波。あれって、風が悪戯してのことだったんだ。ほら、掻き分けてみてvv 楽しい? 楽しい? そんな風にルフィへ構ってくれてた風の子たちらしく。
「おんもしろいトコだよな〜〜〜vv」
あはははは…と明るく笑って見せたルフィ。気味が悪いと怯えたり、悪い意味から面白がって、草を蹴散らし泉を濁すというような乱暴はしない。相変わらずに不思議な子。明るくて元気で、優しい子。
「…さて。」
理屈は相変わらずに不明ながら、それでも現に何ともないルフィなので。どうやら大丈夫らしいということで。ゾロは立ち上がると、ルフィの細っこい胴へと腕を回して立ち上がらせる。
「何だよぉ。」
まだ遊んでたいのにと、ちょこっとだけ不平を鳴らす坊やへ、
「慣れた顔触れが居るトコへ移ろう。」
おでことおでこがくっつくほどに、足が浮くほど抱き上げてやり、そんな一言を囁きかける。すると、
「"慣れた顔触れ"?」
すぐには意味が通じなかったか、眸を見開いてキョトンとする幼いお顔がまた、凶悪なくらいに愛らしくって。
"このやろ〜〜〜。少しは物怖じくらい せんかい。///////"
こっちが動揺してどうすんだかと焦りつつ、
「ああ。サンジとかナミがいるのは此処じゃなく、東の聖宮だから…。」
そうと言いかかったゾロの声を遮って、
「あ〜〜〜っ、やっぱりルフィだっ!」
甲高いそんな声が割り込んで来た。聞き覚えがある声で、しかもその後から、
「あら、本当だわ。」
「ナミさん、直接には1度しか逢ってないでしょうに。」
「なによ。あたしが見間違えるって言うの?」
「そんなことは申しませんが………あ、ホントだ。」
こちらもやはり、聞き慣れた声が続いた。傍らの水草の茂みをがさがさ掻き分けてひょこりと出て来たのが、小さなトナカイ聖獣の仔であり、その後から出て来た男女にも重々見覚えがある。
「え? あっ、チョッパーっ! サンジもっ!」
かけられた声へにっこしと笑って手を振って………。
「このお姉ちゃんは誰だ?」
あらあら。(笑) あ、そういえば。ルフィの側からは"逢った"と言えるよな逢い方はしてなかったんだっけ。お約束みたいにキチンとコケてくれてから、それなりの咳払いをして見せる。こういう立場の方は、自分から軽々しく名乗ったりしないのがセオリーだからで、
「こちらは、東の聖宮、天水宮の御当主にして、
"破邪"の仕事を担ってる精霊たちを束ねる天使長様。
ナミ様であらせられるんだよ、ルフィ。」
珍しくも…半袖のシャツにサファリパンツというざっかけない姿のサンジがご紹介申し上げ、
「初めましてじゃないのだけれど、覚えてないのも無理はないわね。」
にこりと笑った天使長様。オレンジがかった亜麻色の髪をショートカットにした、高校生くらいにさえ見えかねないほど若々しい女性。細い肩先にリボンを結うように袖の端を結んだ、鮮やかな夏の花柄のデザインブラウスに、七分丈のスポーティなパンツ。天使長なんていう神々しい方だとは到底思えぬ、バカンス仕様のいで立ちでいらっしゃるせいもあって、
「ごめんな。こんな綺麗なお姉ちゃん、覚えてないなんて失礼だよな。」
面目ないと言いたげに、きゅううと眉を下げちゃう坊やに、綺麗なと言われて悪い気はしなかったらしくて、
「んもうっ、何を言ってるのよvv」
我らが…手ごわい筈の女神様。(サンジ限定/笑)女学生みたいに"やんやんvv"と身をよじると、上機嫌になって坊やの手を取り、
「向こうで水遊びしながら涼んでいたの。ご一緒してくれるわよね?」
畏れ多くも直々に、ご招待のお声を掛けて下さったりする。図らずしも顔を揃えられて、良かったんだか悪かったんだか。ルフィにとっては不思議な世界での夏の避暑は、これからが佳境であるらしい。
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*何だかにぎやかな顔ぶれが揃いましたね。
楽しい夏休みになればいんですが…。 |