月想曲 〜月夜に躍るV
          *このお話は『月夜に躍る』の続編にあたります。


 
          



 月光を受けての冷ややかな光沢が、まるでシルクのようにつるんと肌触りのいい。そんな軽やかな夜陰がひらひらと幾重か垂れているような、それはそれは静かな夜。蒼い月の欠け加減も麗しく、春先の星々も夜気に冴えてくっきりと。神妙荘厳、せっかくの趣きに満ちた夜だのに、煌々と灯された明かりでわざわざ昼間のように照らし、がやがやと喧しくしている人々がある。

  『夫人は大概の場合、定位置から動かない。』

 何かしら特別な主旨あっての集いでない限り、招いた側とはいえ、来賓たちがご機嫌伺いにと眼前へまで足を運ぶのを、泰然と待ち受けるってのがパターンになっている、と。下調べをきちんとこなした彼はそう言っていた。そして、
"…ホントだ。"
 大ホールの奥向き寄りの中央辺り。窓辺に据えられた大きなグランドピアノの傍らという、背景や小道具もばっちり揃って見栄えのいい位置に、上質の絹織りのモスリンだろうか、贅沢な錦を足元まで裾を垂らしたデザインの、それは豪奢なドレスをまとったこの館の夫人がずっとずっと動かず立っている。時々は、立場の関係か…数歩ほどこちらから迎えるように歩み寄る相手もなくはないが、ご挨拶が済めば再び元の位置へと戻ってくる彼女であり。後で"どうしてなんだ?"と訊いたら、

  『写真を撮られる時に、その位置に立ってると一番豪華な背景になるんだと。』

 緑髪の"師匠"は、さも愉快とくつくつ笑いながらそう教えてくれた。馬鹿馬鹿しい見栄の張ったことだよなと、そう言いたげな笑いであり、
"そだよな。いくらお偉い格のおばさんだっていったって、お客様を招いておいて挨拶に来いって態度はないよな。"
 それに窓の近くってのは、暴漢の乱入とか狙撃とか考えたら一番危ないんだし…と、一丁前なことを思う彼こそ、ある意味で立派な"乱入者"。天井裏の指定されてた位置のコンパネ板をそっとそっと、大きめのコインほどに刳り貫いて、そこから真下の様子を覗いているところである。とある港町の高台の上、大使館ほどもある白亜の邸宅に住まう資産家夫婦主催の饗宴で、何のパーティーだかは聞いてないが、週末には恒例のものであるらしい。来賓たちには女性が多く、小さな講堂ほどもありそうな大ホールは脂粉の香りでむせ返りそう。また、彼女らがまとったドレスや装飾品も綺羅々々しくて、
"お金も贅沢品も、あるトコにはあるんだなぁ。"
 そうだねぇ。贅沢と無駄遣いは紙一重って言いますからねぇ。それに、いつぞや某国の王子様へ護衛官さんが言ってましたでましょ?
(笑) 日常には必要のない贅沢品も、だからといって全く無くなっては困るって。文化・芸術としての価値を考えると、それを生み出す優れた技術は残したいし、となると、その贅沢品の購買層の存在もまた必要不可欠なんだって。そんなこんなはともかくも。裕福優雅な階級の方々が集う華やかな饗宴が、水晶の滴を幾つも連ねたような、きらきら煌めく大シャンデリアの下、お召し抱えらしき楽団の奏でる典雅な室内楽と共に始まって幾刻か。食器やグラスの触れ合う音、談笑の声などなどが漫然とした塊りになった立食型パーティーの雰囲気は、割とお行儀よく整然と盛り上がっている模様。それを見下ろしつつ、
"早く始まらないかなぁ。"
 待機ってのはなかなかこれで骨が折れる。手のつけられないほど短気な訳ではないのだが、それでもね。一気呵成に動き出した状況を掻いくぐり、突発事態に遭っても…まるでアトランダムな波を瞬時に読んで咄嗟に体を対処させるサーフィンするみたいにサ、機転を利かせて乗り切るって方が どっかスリリングで楽しいし。
"ゾロはこれまで、そうやってこなして来てるんだもんな。"
 ずっとずっと"追っかけ"やって、注目し続けてた凄腕の怪盗。どんな複雑堅牢な金庫でも、どんな危険な護衛の只中にある秘宝でも。鮮やかに忍び入り、鮮やかな手管で目的のお宝を奪取して、これまた鮮やかに撤退しちゃう、一匹狼の"大剣豪"。それなりに念の入った下調べもしようし、裏工作もしようけど、基本的には…その身一つにての突入型で。思わぬアクシデントに遭遇しても、その鍛え上げられた体躯と鋭い反射神経とで、素晴らしいまでの機転を利かせて成功させて来た、大胆不敵な大怪盗。
"いぶし銀の仕事人だもんなvv"
 …随分と派手な"いぶし銀"があったもんだが。
(笑) そんな怪盗さんだが、ここ最近の仕事の幾つかは、決まったパートナーを連れてこなしている。それが、この…天井裏に潜んでいる、小柄で童顔な黒い髪の男の子。名前をルフィといって、中学生に見えなくもないが、歴れっきとした高校生。先程ちらっと述べたように、怪盗さんの追っかけをしてまとわりついた揚げ句、その"押しかけ弟子"になってしまった少年である。
"…むむう。そんな言い方ないじゃんか。"
 あら、だって。結構強引でしたわよ? その接近の仕方。(詳細は『月夜に躍る』参照してねvv)それよか、ほら。筆者とMCしてる場合じゃないぞ。階下の大ホールで、何かしら状況が動きそうな気配が…。



 男性たちはネクタイ着用、女性たちはイブニングドレスを着用という、所謂"セミ・フォーマル"の会合であるらしく、かなりがところ世間離れした方々だからか、女性たちのドレスは揃いも揃って丈の長いちょいと古風なデザインが多い。
「そちら、もしかしてブルックシィの新作じゃあございませんこと?」
「あら、お気づきになられましたの?」
「先日、新作のカタログを取り寄せたばかりですもの。まあまあ、オーガンジーの使いようが華やかですこと。」
 一般向けの"新作"ではせいぜい膝丈までの、シェイプされたシルエットやスリットのカットも大胆でなまめかしい"カクテルドレス"止まりなものが、この会場内では二、三百年ほどタイムトリップしたんじゃないかと思ってしまうほど、スカートの丈が長かったり嵩高かったり。こうまでずるずるしたドレスを当然顔でまとう人々って、やっぱ…家事どころか自分の身の回りのあれこれまで、何もしなくて良い人たちだからなんだろなというのをしみじみと感じさせる。

  ――― そんな会場の真ん中辺りにて。

 突然沸き立ったのが、パンパンッ・パパパン…ッと何かが勢いよく爆(は)ぜる音だ。しんと静かだった訳ではないが、それでもこの唐突な炸裂音は心臓へダイレクトに伝わるほどのインパクトがあり、
「きゃっ!」
「な、なんですのっ!」
 ご婦人たちが次々に甲高い悲鳴を上げる。

『大丈夫なんだろうな。ドレスの裾から引火なんてことになったらシャレにならんぞ。』
『任せろって。これは薬品が湿気を吸うことで化学反応を起こすことを利用したかんしゃく玉なんでな。』
『???』
『だから。容器から取り出した途端に空気中の湿気を吸うだろ? そいで化学反応が起きて、内部で膨張しきった空気が弾けることで大きな音が出る仕組みになってるんだよ。音は凄まじいが火花やガスなんかは一切出ない。』

 足元にばらまかれた特殊なかんしゃく玉。あまりに突然だったことと、一応はそれなりの格付けがある有名人たちの集う場であったことから、物騒な銃声のように聞こえもし、
「…の確認をとれっ!」
「避難誘導の準備は?」
「いつでも出られますっ。」
 のんびり構えていた警備陣営に緊張が走り、
「何ですのっ?」
「政敵がいらっしゃるような方では…っ。」
「こんなまでされる要人が招かれていたのか?」
「まさか。」
「奥様のサロンの延長みたいなものですのに?」
 主催側・来賓、双方取り混ぜて慌てたの何の。とはいえ、
「皆様、どうか落ち着いて下さいませっ。」
 そこはやはり、それなりの屋敷なればこその対処も準備されている。おおっとと焦った警備陣が、それでもきっちりと仕事をこなす。さりげなく駆けつけて、騒ぎの原因を見定める。
「…かんしゃく玉?」
 騒ぎの元が、そんな他愛ない花火の音だと分かったとして、だが"安全な代物だ"とまでは知らない訳だから、場内の人々の注意はやはり足元に向く。
「いやですわ、ドレスに火が移ったらっ。」
「お母様、怖いですぅ。」
「皆様、こちらへっ。」
 その場から離れようと人々が混乱のままに移動するその隙をつき、
"………。"
 天井裏から繰り出したは、細くて丈夫な釣り用のテグス。狙うは"アントワープの黎明"という名の大きなダイヤがトップに下がり、ぐるりと巡らされた他の石たちも大きい粒の、お数珠みたいな
(笑) 豪奢なネックレスで、
"そぉーっと、そぉーっと。"
 まず引っ掛けたのは二股になった小さな鈎ぎ針。連なった石たちが大きかったがため、中を通っている糸が随分と肌から浮いている。そこに目をつけた仕掛けであり、するりと糸のところまで、針を食い込ませて引っ掛けると、
"…よし。"
 くっとかすかに引っ張る。そのアクションで、小さな小さな輪環がずれて、鈎ぎ針が二つに分かれる仕組み。もう一度"くくっ"と引くと、その2つの針の間でネックレスの石に通された糸が音もなく切れる。小さな鈎ぎ針の片方は糸に固定されて残るため、宝石は散らばることなく一連の紐のようになり、そのまま引き上げれば強奪成功vv
"あとは…。"
 その場しのぎの身代わりにと、安物のネックレスを掛けてやる。今は足元に気が向かっている夫人であるから、それ以外のところで何をされているのか、全く気がついていなかろうが、

  『騒ぎが収まった途端に首回りがいきなり寒々しくなれば、
   ネックレスが盗まれたってことにすぐにも気づかれちまうからな。』

 この場で盗んで、盗まれたこと自体も"隠しようがない事実"として人々の間に広めるのが目的だったから。人気のない深夜に忍び込んで…という手筈ではない、こんな危険な手での強奪になった。とはいえ、せめてこの騒ぎが収まるまでのしばらくほどは"時間稼ぎ"をしたいからと、ゾロからそんな"お土産"の段取りも指示されたルフィであり、
"それって、俺が逃げやすいように、なんだろな。"
 一人で立ち回っていた頃は、職人気質
かたぎの手慣れた仕事ぶり…の端々で、自信あってこその乱暴・強引な段取りも取っていた彼だろうに。例えば今回の場合だって、雇われボーイか招待客に成り済まし、素知らぬ顔で夫人に近づいて、直にその手で掠め取るというやり方だって出来たかも。だのに、ルフィという"弟子"を使うようになってから、妙に慎重な策を練るようになったゾロだ…と思う。
"気のせいなんかじゃねぇぞ。"
 判ってますって。だって、彼の仕事ぶりをずっとずっと見て来たあなたですもんね。
"…俺、まだまだお荷物なんかな。"
 警棒みたいな短い釣竿。その先まで引き揚げたネックレスを針から外し、格納用の袋に入れてジャケットの蓋のついた内ポケットへと確保する。ここへと入り込んだのは、裏口付近に集荷口がある、洗濯物用シュートのそばの通風口からで、出る時は出入りの作業員として制服姿で出れば良い。ゾロがちゃんとIDカードを作っておいてくれたのを提示すれば、入って来たところを見てないぞと気づかれても、
「ああ、ここに常駐の子か。」
 そうと解釈されるため、まず怪しまれはしない。
「何でも、お客様のドレスにワインだかドレッシングだかの染みがついたそうなんで。騒ぎが聞こえませんでしたか?」
「ああ、そういえば何か騒がしかったな。」
「よくは知りませんけど、ちょっとした騒動があって。その弾みでドレスを汚しちゃったって方が出たんだそうです。普通に洗濯しちゃいけない生地なんで、お店の工房まで持って来いって親方に言われまして。」
 どこか幼い、でもお行儀は善さそうな、アルバイトらしき…クリーニング店からのお使いの子。そんな印象の男の子がカクテルドレスの入ったリネンの袋を抱えて出て来たのへ、出入り口担当の警備員たちも特に警戒することもなく、
「急ぎな、坊主。」
「今夜中に仕上げにゃならんのだろ?」
「はいっ、すみません。」
 にこぉ〜っと見せる笑顔もまた、それはそれは純真な代物だったものだから。育ちの良いエリート警備会社の方々は、何にも疑わぬままに通してくれたりしたのだった。ぱたぱたぱた…と通用口から外に出て、物陰に停めておいたミニバイクにまたがる。急いでお店に帰らねばならないのだから、呑気に"走って"帰っては怪しまれよう。
"あとは…。"
 ホールの中にてかんしゃく玉を撒くという小細工をしたゾロが後から出て来るから、少し離れたビルの裏、駐車場で落ち合って一緒に帰る手筈になっている。頑丈そうな鉄柵を檻みたいに巡らせた、敷地も広い屋敷の回りをぐるりと半周もしただろうか。表の正門から見やれば、まるで迎賓館や大使館ばりの豪華な庭園が前庭として広がるのが、ところどころライトアップされていて、
"………あれ?"
 夜陰に緑が沈んでしまい、群雲のような茂みの向こうで、あまり見通しはよくないが、それでも…招待客の何人かが、ホールのテラスから外へ出て来ているのが遠目に見えた。人いきれにあたってのぼせた身を冷まそうと涼んででもいるのか、それとも…薄暗がりなのを良いことに、ちょこっと艶っぽい語らいにと示し合わせたカップルか。中での騒ぎも知らん顔という趣きにて、何組かの人々が優雅に佇んでいるものだから、ルフィとしてはちょいと呆れた。
"結構薄情だよな。"
 突然鳴り響いたところの、銃声にも似た凶悪な炸裂音に、真っ青になって逃げ惑ったご婦人たちもあったというのに。こちらの人々のなんと平然と取り澄ましていることか。まま、全員でパニックになってもそれはそれで大変だし、やんごとない階級の人々の集まり、あまり物事に動じない方々も多いということかも? ともあれ、もう自分には関係のなくなった場所。他人顔にて通過しようと顔を正面へと戻しかかったルフィだったが、

  "………え?"

 ハンドルを握っているミニバイクの操縦さえどこか疎かになるほどに、その視線が釘付けになった人影がある。何の木だかまでは知らないが、こんな季節にも梢を覆う緑の葉の繁る形のいい樹。その幹あたりに背を預けるようにほっそりとした妙齢のご婦人が立っていて、その彼女と向かい合い、何事か語らっている人物が見える。ありふれた闇色のスーツをまとった、だが、かっちりと張った肩や伸びやかな背中が見栄えをシャープに引き立てて頼もしい、上背のある偉丈夫で。涼しげな眸は真っ直ぐにご婦人を見やり、形の良い口許には穏やかに優しげな笑みが絶えないでいる。大きいけれど無駄なく機能的に動く、ルフィの大好きな手が…向かい合う女性の左側の耳元近くへ添えられた髪飾りにそっと触れ、何が話題になっているやら二人揃って楽しげに笑い合っている様が、どうしてだろう、結構距離はある筈なのに、くっきりと良く見える。


  "………ゾロ。"


 長い手脚もよく映える、日頃には見慣れぬ正装にての堂々とした素振りや態度が相変わらずカッコいいなと、そう思いつつも。何でだか何でだか、胸の奥、つきんって尖った何かを感じる。喉の奥にがりざりと苦い何か。

  "…俺は此処に居るんだよ?"

 こっちからはこんなに良く見通せるのにね。あは、当たり前か。こっちは暗い表通りだし、用もないのにそんな外ばっか見てたら訝
おかしいもんね。まして、眸が合ったりしちゃあヤバイんだし。判ってるのに、何だか辛くて。そんな気持ちごと振り切るみたいに前を向き、あらためてアクセルをふかすと夜更けの道を急いだルフィだった。





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