Moonlight scenery A
 

 
          




 大航海時代の昔から、代々の首長の商才により小国ながらも豊かに栄えた王国があった。石油の国と砂漠の国とに挟まれて、地中海にちょろっと突き出した半島と幾つかの島を領土とする小さな小さな王国で。海運のみでその歴史を悠々と紡いで来た、現在は観光産業のみに頼っている小国…と表向きには語られているものの、その実は。代々の国王や宰相が絶妙な才覚で投資し、増やし続けて来た巨万の富を楯に、世界規模の政財界を自在にコントロールすることさえ可能な"ご意見番"だとさえ噂されている、その筋での有名有力国家。それが、この彼らがそれぞれに別な立場からの関わりのある国だ。………こんなご紹介をしたならば。さぞかし抜け目のない、海千山千の恐ろしげな人々が集う王室かと誤解されそうだが、そんなことはまるきりなくて。
「………あーっっ! 見つけたっ! 見つけましたぞ、殿下っ!!」
「やばっっ!」
 国民すべてに平等に、その富が、豊かさが行き渡った、地中海の奇跡とまで呼ばれる王国は、気前が良くってあっけらかんとした豪気な国王に束ねられ、世間様の不景気もどこ吹く風と、順風満帆、何の憂いもないままに、昨日の続きの今日を、そのまま明日へ届ける、穏やかで変わりない日々を安穏と過ごしているばかり。今世の王には王子が二人授かった。母王妃は第2王子が幼い頃に病に倒れ、哀しいことに早逝なさったが、それでも皆から愛される和子たちとして、聡明気さくなまま健やかにお育ちになり。特に弟王子の方は、それはそれは腕白で無邪気で、お日様のようなと誰からも形容される、溌剌と明るい少年へと育った。王位を継ぐのは兄王子だが、だからと言って遊びほうけていて良いという訳にはいかない。何と言っても"王国"で、執政権も王室が掌握している国家である。先々では外交や文化方面などなどで、政務も担当せねばならないし、まだ幼いうちからだって、国の顔としての何やかや、公の場での恥ずかしくない礼節知識や教養などを求められもするところ。よってそういう教育をきっちりと受ける義務があるのだが、
「お部屋へお戻りくださいませっ!」
「家庭教師がお待ち申し上げておりますればっ!」
「やーだよっと!」
 すばしっこい身ごなしで、王宮の中庭、したたる緑とベラドンナの赤い花々、明るい陽射しが彩るその中を駆け回る小柄な少年。タンクトップにジョギングパンツという、南洋に間近い気候の夏場には最も適していながらも、それなりの身分のある人間にはちょいと相応しくないハレンチな恰好で。少し伸ばした漆黒の髪を獅子のたてがみのようにふさふさとなびかせて、侍従たちから逃げ回る無邪気な子供。
「国民から愛され慕われるカリスマ性だけなら抜群なんだけどね。」
「それで済まされるのは、一桁の年齢のうちだけですよ。」
 テラコッタと呼ばれる赤銅色の素焼きレンガを敷き詰めたパティオ。霧雨のような噴水を据えた泉水の周囲をぐるぐると駆け回り、侍従たちを良いように振り回している少年だったが、
「うわわっ!」
 行く手に突然立ちはだかった者がいて、その懐ろへ自分からぽそんと飛び込んでしまったから、
「おお、捕まったか。」
 中庭を見下ろせるテラスから、高みの見物と洒落込んでいたクチの人々が、いつもと同じ流れにくすすと笑う。
「かたじけない、ロロノア殿。」
 肩で息をしつつもやっと追いついた年嵩な事務方の臣下たちへと、取っ捕まえたやんちゃ坊主を差し出したのは、屈強な体躯をした上背のある若者だ。
「離せよっ、ゾロっ!」
 脇に両手を差し入れられての"高い高い"。子供だ少年だと言っても、もう十三歳。育ち盛りの身長は、日々健やかに伸びて。大人の侍従たちと大差無いほどになりつつあるというのにも関わらず、足が地から浮くほどまで軽々と抱え上げられていて。
「なあ、離せってば。今日は昼から遊ぶって言ってたじゃんかっ。」
「ダメだ。」
 一応は"王子"に対して、この口の利きよう。
「午前中にちゃんと講義を済ませてないから、こうやってずれ込んだんだろうが。」
「だってよぉ、クロッカスのおっちゃん…。」
「先生、だ。」
「うう。」
 自分の不遜は棚に上げ、王子様の目上への言葉遣いを正すこの青年。家臣であっても季節に合わせて"半袖シャツにネクタイなし"が許されている中で、きっちりとネクタイを締めたいかにも堅物そうないで立ちと裏腹、
「遊びたいならその前に。やるべきことをきちんと済ませなって、俺、毎日のようにお前に言ってないか? まるで挨拶代わりだぞ?」
 やはり砕けた口調でもって、王子様へと説教をする。
「…だってよぉ。」
 ぷく〜っと膨れるあどけないお顔へ、メッと目許を眇めるこの青年。王族の一人ではないし、要職にある重臣でもない。この第2王子の側近の一人で、身分も王子直属の"護衛隊長"にすぎないのだが、ちょびっと我儘で腕白で、なかなか御すのが難しい第2王子を簡単にいなせるところから、王宮中の人々からも一目置かれているとかどうとか。
「ほら。お待たせしている先生にちゃんとお詫びをするんだぞ?」
「はぁ〜い。」
 渋々のように侍従たちに引っ立てられてゆく小さな背中を見送って、何とも言えない…愛惜しげな顔をする彼こそは、砂漠の大国の王族たちから"幾らでも支度金は積むから"とその身と腕前を請われている"大剣豪"ロロノア=ゾロという男である。
「お〜い。」
 頭上から降って来た声へ顔を上げ、目映い陽光に照らされた白いバルコニーに綺麗な翡翠の眸を細めた。その上に顔を出しているのが見えた青年の金色の髪が、蒼穹にやはり目映く映えている。
「隋臣長か?」
「ああ。上がって来ないか? 佑筆殿もいる。」
 判ったと手を上げ、建物の中へと入ってゆく大きな背中。年に似ない頼もしさは、数年を流浪の旅で過ごして身につけた"本物"だ。兄王子が留学先で知り合って、護衛官にとスカウトして連れ帰ったところが、弟王子がその腕っ節に一目惚れ。自分に付けてくれなきゃハンストするぞと駄々を捏ねたため、末っ子に甘い父王と兄王子が頭を下げて、待遇はそのままに急遽配属が変わったという、笑える曰くつきの護衛隊長さんである。
「彼には話してあるの?」
 オレンジ色の髪を短く揃えた闊達そうな女性が、大振りのトレイを運んで来たのに気がついて、
「おおう、ナミさん。そんな重いものを持っちゃあいけませんて。ウソップの奴はどこ行ったんです。」
 大慌てで駆け寄るサンジへ、
「さっき典医さんに呼ばれていたから、川辺まで薬草摘みについてったみたい。」
 くすっと笑ってテラスに出されたテーブルへと、トレイごと冷たい飲み物のセットを載せた。上品なカットのなされたグラスたちと、大きくて厚手のクリスタルの水差しには、様々な形の砕き氷と王国自慢の地下水が、陽射しを呑んで煌めいている。冷たくしたコーヒーや紅茶、ソフトドリンクの入った細身のデキャンタは、先にサンジが用意した、盥
たらいほどもありそうな桶にひたされていて。露をまとっていかにも涼しげな風情で待機中である。何とも清涼感にあふれたテラスにて、昼下がりのお茶など楽しもうかいと構えた彼らであったが、
「さっきの話。」
 佑筆殿に促されて、金髪碧眼、たいそうな美丈夫の隋臣長は、
「ああ、はいはい。話してありますよ。ルフィの留学の話でしょう?」
 兄王子が学んだ国とは別の、古くからの友好国にてほんの数年。ルフィ王子もまた、様々な見識を高めるためにと近々留学することが既に決まっている。
「彼奴も我々同様、同行することになりますしね。」
 王子が幼い頃から今までのずっと、話相手も兼ねる恰好でお傍にいた彼らにしてみれば、あの護衛隊長は、素性の知れない"新参者"であるのだが。そこは首長からしてあっけらかんとしたお気楽な王室。兄王子が見込んだ人柄に怪しいところがあろう筈もなかろうと、まるで何年も前からの知己同士であるかのように、屈託のない間柄として…時には口喧嘩なんぞも交えつつご陽気に接している。
"まあ、向こうからはどう思っているやら、だがね。"
 口数少なく、日頃からもただならぬほどの緊張感を身の回りに張り巡らせた男だ。この国の、国内にいる限りは安泰な空気にはそれでも何とか馴染みつつあるのだが、いざ何かしらの凶事凶弾が飛び込んで来ようものなら、あっと言う間に抜き身の白刃のようになり、俊敏にして的確な働きで、被害も最小限に抑えて事態を収拾させることの出来る、凄腕の戦闘工作員。今時に刀剣なんぞそうそう使う訳でなし、だのに彼に冠された"大剣豪"の名は、そういう…冴えた鋭さと容赦のない"仕置き"に対しての揶揄だそうで、
「頼もしい限りよね。」
 ルフィ王子の秘書官であり、ついでに癖のなかなか直らない悪筆を指導してもいる"佑筆"ナミ嬢がくすすと笑った。この国には、いや他国にだって珍しい、緑の髪の雄々しい新顔護衛官は、黙っていたっていかにも武骨な格闘家だと偲ばせるほど、厳ついまでに鋭角的な容貌をしているにも関わらず、王宮仕えの女官たちにもこっそりと受けが良いらしい。そんな彼と最も近くにて仕事をこなしている彼女には、毎日のように…彼のあれやこれやを知りたがるクチからの質問や催促が降って来てうるさいほどだとか。ご本人はルフィに構ける方で手一杯、まだ他の殿御には関心が沸かないらしいナミさんであるらしく、
「おや。ナミさんの窮地には、この俺が何をおいても駆けつけますよ?」
 ちょっとおどけてそんなことを言う、洒落者の隋臣長へ、
「ええ。頼り
あてにしているわ、サンジくん。」
 くすくすとそれは綺麗な笑みを見せる。穏やかな日々、それに酔いしれて。誰も皆、この安泰が昨日から今日、そして明日へと。これまでそうだったように連綿と、当たり前に続くものだと信じ切っていたのだった。








   それからほんの数ヶ月後。
   華々しく送り出された留学先の地にて、
   彼らが新しい仲間として迎え入れた頼もしき護衛隊長が、
   彼らの一番大切な王子に白刃を向けて斬りつけるという、
   前代未聞の大事件が起こるとも知らないで。






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