Moonlight scenery B
 

 
          




 非力ながらも彼の精一杯で強く強く。ゾロの逞しい胸板へ しっかとしがみついて。小さなルフィはまるでこれまでの空隙を、心の渇きを、急いで埋めようとしているかのように見えた。ずっとずっと逢いたかった、こうしたかった。懐かしい温み、懐かしい匂い。遠い国からやって来たばかりの彼の、凛とした雄々しさに胸を鷲掴みにされた。異国から来た人だからと物珍しかっただけじゃあない。刃のような鋭さと裏腹、何かの拍子に見せる綺麗な翡翠の眼差しのやさしさに、自分だけが気づいたのがドキドキと嬉しかったからだ。いつもずっと傍にいてほしいと思って、生まれて初めての我儘なハンストまでやらかして。やっとやっと手に入れた素敵な人。だのに、最初に叱られた。ご飯を食べないと言い出したことで沢山の人が困ったのだと、自分の命や体を楯にするなんて卑怯な真似は二度とするなと、そう叱られて…ますますカッコいいなぁとのぼせてしまった。まとわりつく自分へ、柄ではなかろうにいちいち構ってくれて、外遊先で危険に遭えばいつもいつも素晴らしい働きで庇ってくれて。そして………いつもは背中で守ってくれてた彼が、その大きな手には似合わぬ短刀でルフィに切りつけてからのずっと。3年もの間ずっと。逢うことが適わないままでいた、大好きな"大剣豪"。
「なあ、もう帰ろう。国へ一緒に帰ろう。…な?」
 やっと逢えた。やっと見つけた。この3年で自分も背が伸びたけど、それでも全然、大きいままなゾロ。やっぱり温かい、やっぱり大好きなゾロ。ずっと寂しかったけど、我慢してお勉強やお仕事をたくさん頑張った。そして…やっと。サンジが"見つかったぞ"と報告してくれた時からこっちは、興奮が止まらなくって、やっぱり我慢するのが大変だった。………なのに、
「そうはいかないんだ。…こいつらから聞いてないのか?」
 サンジの方を顎でしゃくるようにして見せながら。ルフィの顔の左目の目尻近く、高貴な身分の子供にはあるまじき深い傷の跡に視線が留まる。………他でもない、自分のこの手が、彼を守る筈の護衛官がつけた傷だと思い出す。それを見つめるゾロだと気づいて、
「だって…っ! これはっ。」
 ルフィは必死に言いつのった。


 「これは…あん時は、そうしなくちゃ俺がホントに殺されてた。そうなんだろっ?!」


 あの時の留学先となった国は、古くからの交流が確かにあった国ではあったが、近年、ひそかに政情が不安定にもなっていて。政府は必死で隠していたが、既に軍部によるクーデターの動きさえあったとか。到着早々そんな気配を嗅ぎ取ったゾロは、国王と兄王子にそれを報告。仲間たちにも秘密裏に慎重な調査をしていて、そして…途轍もない計画にぶち当たった。
「友好国からの留学生、それも王族の人間を暗殺し、公的な場での信用を失墜させる。ついでに当時の政府の後ろ盾、金蔵だったウチとの関係を断つ。そんな無謀な計画だ。理屈は目茶苦茶だったが、優雅にやって来て下へも置かないおもてなしを受けている他国の王子様には、貧民層からの不満も集まりやすかったから実行犯には事欠かない。」
 裏の世界に通じている同僚をその"アンダーグラウンド"にて探すという、新たな、そしてたいそう難儀な仕事に着手したおかげで、ついつい吸う量が増えた煙草。それに火を点けつつ、サンジは肩をすくめて見せた。
「海外留学ってのは同時に外交の一翼を担ってるようなもんではあったが、それでも俺たちには面子だの駆け引きだの貸し借りだの、そんなもん関係ない。俺たちにとって重要だったのは、王子の、ルフィの身の安全だけだったからな。」
 さして旨そうでもない顔つきで、最初の紫煙を吐き出すと、
「だから、お前は自分から国王に進言した。」
 サンジはその煙草の先を、黒づくめの元同僚へと差し向けた。
「この計画は相当無軌道なまま、だが、名前だけが勝手に反政府勢力の間で駆け回っている節がある。いつどんな凶刃が、どんな下部組織の"鉄砲弾"が闇雲に飛び掛かってくるやもしれない極めて危険な状況だった。とはいえ、こちらは訪れたばかりの国賓、確証もないことを持ち出して勝手に引き払う訳にもいかないし、それこそ面子を楯にして政府も引かないだろうから、そうそう簡単には帰国は許されまい。」
 今やきれいに暗唱出来るほど、頭の中に刷り込まれた衝撃の事実。これをすっかりと把握するまでの間、どれほどこの男を恨んだか知れない。自分たちの宝である王子からああまで慕われておきながら、それを…その信頼ごと切って捨てて逃げ出した卑怯者へだ。まさかそんな裏書があったからと立ち上げられた"茶番"だったなんて、当時の隋臣たちの一体誰が見抜けただろうか。
「………。」
 依然として何とも応じない、相変わらずに表情の乏しい、義理堅いくせに水臭い男に向けて、サンジは忌ま忌ましげに並べ立てた。
「そこで。お前は茶番を打つことにした。俺たちにもルフィにも真相は秘密の、決死の茶番をな。…自分が"暗殺者"になって、裏切り者という汚名を着ることで、俺たちを国へと帰させたんだ。」
 やっと仮の住居にも馴染んだばかりの昼下がり。渋々という顔をしつつも、いつだって言うことを聞いて遊んでくれた。そして、いざという時にはこれ以上はないほど頼もしい楯となってくれた若き護衛隊長。そんな彼が突然、隠し持っていた剣を振るい、ルフィ王子の顔に切りつけた。当然のことながら大きな騒ぎとなり、しかも彼が頑として口を割らないまま、護送中に行方不明になったものだから。再度の襲撃を恐れて王子たち一行は早々に自国へ戻ることとなり、それからあまり日を置かずしてその国ではクーデターが勃発。あの護衛官へ王子の暗殺を依頼したのはやはり反政府組織だったのだろうという…あくまでも"噂"が、当時の世界中のニュース番組のほとんどで取り上げられたものだった。だが、そんなことはどうでも良かった。誰が何をどう言い立てようと、やはり自分たちには関係ないし関心もない。ただ、
「お前ほどの男が、どんな窮地にあっても表情を動かさない男が、あの時だけは何ににか驚いて目を剥いていただろう? あれがずっと気になっててな。」
 多少は怪我を負わせるつもりがあっての、なればこそ、二度と戻るつもりのなかったほどの覚悟を込めた上での強行だったのだろうに。だったら何故また、彼ほどの腕を持つ男が、今更とも思えるような感情を乗せた顔をして見せたのか。すべてが判った今になってなお、それが不思議でしようがないと訊く金髪の隋臣長へ、

   「………顔に当たるとは思わなかった。」

 緑髪の大男は、ぽつりと、だがくっきりとした声で呟いた。
「いざというその時になって…腕が萎縮していたんだろうな。ホントは二の腕に少し、すぐにも塞がる程度に切りかかるつもりだったんだが。」
 尻腰のないことだと頬に張りつけたような笑い方をするゾロへ、ルフィは何度もかぶりを振って見せる。
「そんな言い方するな。」
 危険が牙をむいて襲い掛かって来たいざという時、いつだって自分に背中を向けていた男。本当なら一番間近に控える者はそんな守り方はしない。襲撃を阻止したり、犯人を追うのは二の次で、あくまでも護衛を優先し、護衛すべき対象を懐ろにかばって姿勢を低く。そうすれば、確実に庇えるし、護衛の人間も急所の少ない背中だけを晒すことになる。
『万が一、頭や胸板、急所を撃たれてご覧なさい。護衛官がそのまま、邪魔な死体となってしまうでしょう?』
 口さがのない使用人がいつだったかそんな風な言い方をし、佑筆官のナミからこっぴどく叱られていたが。それでも乱暴なその説明に嘘はなかった。銃社会になった現在は、それが基本の筈なのだ。だのに、この緑髪の男はいつだって、ルフィをその広い背に入れるように庇い続けた。もともと傭兵だった彼だから、護衛の基本を知らないんですよと周囲の者は言っていたが、
『…しょうがねぇだろ。』
 ルフィはとっくに、本人から無理矢理聞き出していた。話してくれるまでここから降りないよと、彼のお膝に陣取って。
『向かい合えば顔を見せることになるじゃねぇか。』
 凄腕の剣の使い手のようにいつだって毅然としていて、そして一流の狙撃手として名を馳せた彼であっても、そんな時にまで余裕で構えていられるとは限らない。緊迫に固まった顔を、誰にもこの大切な王子を害させはしないと必死になっているその顔を、本人には見られたくない。それよりも、そんな大それたことをしでかした張本人を睨みつけて射殺してやった方がマシと、そう思ってつい、背を向けて守っていた。
『背中に傷を負うのは"逃げ傷"って言って剣士の恥だって言うからな。俺はあちこち傷だらけだが、背中だけはきれいなもんだ。だから、そこへ庇うのが一番安全なんだよ。』
 にんまりと笑った彼に、しょってるよなと言い返しつつも。そんな自信家の彼が、ルフィはやっぱり大好きだった。だのに。やっと見つけたこの男は、
「判らんのか? 俺は大恩ある王子の暗殺に失敗して、とっとと尻尾巻いて逃げ出した裏切り者だ。」
 だから戻れる筈がなかろうと言う。
「そんなのっ。全部お芝居だったって言えばいいじゃないかっ!」
 周囲の隋臣たちが…このサンジやナミまで含めた皆が皆、口を揃えて彼を非難したのへ耳を塞いで。何か事情があったのだと信じて疑わず、父や兄に彼の行方を捜したいと訴え続けた。そうしてやっと事の真相を聞き出し、何もかもを投げ打って、3年かかってやっと捜し当てたその彼は。こんな場末で寝起きをし、誰にも心を開かぬまま、機械のように正確無比な手腕でもって"危険な仕事"をこなしているという。元々そんな冷めた雰囲気を持っていた彼ではあったけれど、こうまで冷ややかにこうまで体温を失くしたような男ではなかった筈なのに。もう良いから、昔のように笑ってよと、迎えに来たんだと言いつのる少年へ、だが、ゾロは苦しげに息をついて見せ、
「そうはいかねぇんだよ。判ってねぇ王子さんだな。」
 どこか苦々しげな声になって、
「いいか? 確かに"茶番"には違いないが、じゃあそれを公表したなら…誰がそんな猿芝居を俺にさせたってことになる? 王子の命を守るためなら、たかが護衛官一人の人権も何もあるもんかいと、王や王宮がそんな姿勢で俺を見殺しにして犠牲を払わせたってことになっちまうんだよ。」
 はっきりと言い放ったのだ。
「そんな…っ!」
 そうまで無慈悲極まりない仕儀など誰も企んでなんかいない。移送途中で姿を消したゾロを、父王も兄王子も必死で探していたのだ。なればこそ、やはりルフィが直々に"ゾロを探して"と訴えた時に、事の全容を語ってくれたのだ。それこそが真実だと、言いつのろうとしたルフィの言葉を遮って、
「俺たち当事者はそんな訳ないって重々判ってる。誰よりも俺自身がな。だが、世間はそうは見てくれない。ただでさえ裕福な国だ。様々な事業や支援に、金と一緒に口も出すってんで、煙たがられてるし妬みだって買っている。そんな状況下でそういう事実が暴露されてみろ。どんな風に叩かれるか、どんな誤解から国連だなんだっていう介入が入ってきて他国からの重圧が集中するか。そこまで考えて物を言えよ? 王子さん。」
「…っ。」
 一気に語られた冷たい理屈。世間体とか体裁とか、そういった…こだわる姿がちょいと見苦しくも浅ましいものを、だが、大きな組織ほど気にせねばならないのも悲しいかな事実ではある。文字通り"光の速さ"で情報がやり取りされている時代だ。誰がどこに付け込むか。例えば根拠のない流言ひとつで、隆盛を極めていた産業があっと言う間にその屋台骨を傾けてしまうことは往々にしてある。何らかで破綻した時に火の粉が降りかかるのは自分たちだけへではない。そんなことは重々判っていたが、だからといって"真実"に蓋をし続けるのはそれこそ気持ちが収まらない。それに…それより何よりも、
「…そんな呼び方、すんな。」
 彼のよそよそしい口調が胸に痛い。お前とか坊やとか、昔もふざけ半分に、王子が相手だとは到底思えないような呼称で呼ばれていたが、それらは親しげな気持ちの籠もったものだったから。この彼の、深みのある響きのいい声でそうと呼ばれるのがたいそう嬉しかったルフィだったのに。王子さん…と冷たく距離を置かれているのが堪らなく口惜しい。だのに、
「それに、これは俺が望んだことだしな。」
 ゾロはそうと言い放ち、
「…っ?!」
 愕然となった少年の肩を、再び自分の胸元から引き離して、形ばかりなブラインドの降ろされた窓辺へと足を運んだ。
「あのままお前の傍にいるのが苦しかった。…子供のお守りはごめんでね。だから、いい切りだと思ったまでさ。」
 差し込む月光に縁取られた横顔は、あくまでも冷ややかで冷たいままだ。

   「ゾロ…。」

 真横を向いた顔は、ちらともこちらを向いてくれない。あの頃は滅多にこんなに泣かなかったから、それで呆れちゃったのかな。だってしょうがないじゃないか。この3年、それでもずっと我慢してた。皆から…サンジやナミやウソップやチョッパーから、公的な行事とか何とかに触りが出たらこの捜索はすぐにも止めるからと言われてたから。だからずっと我慢して、泣いたりしょげたりしないようにお仕事いっぱい頑張って。その分も辛かったから、ゾロにやっと逢えてつい泣いちゃったんじゃないか。

   「………。」

 どうして判ってくれないのだろうかと、切ない気持ちを抱き締めて立ち尽くす少年の視線の先にて。

   「………。」

 言葉もなく、じっと凝視してくるその視線が辛い。そう思って、だが、息を殺してじっと堪えたゾロだった。下手な言い訳だったなと自分でも思う。子供のお守りが嫌だったなら、とっとと離れる術はいくらだってあったのだ。だのに。それを選ぶどころか、思いつきさえしなかった。物心ついたころから戦いの中にいた。両親ともに傭兵という、外人部隊の中で生まれ育った生粋の戦士。この王国の皇太子であるエースにその実力を見初められ、それが縁で招かれた時も、この国のあまりの平和さに…内心で"そんなに長居はしなかろう"と思ったのが正直なところだった筈なのに。お日様みたいに屈託のない、可愛い弟王子に何故だかひどく懐かれて。単なる雇われ者へ覗き込むよな温かい眸を向けてくれる、すっかり凭れて慕ってくれるのが、何だかとてもくすぐったくて。

  《先々で父ちゃんやエースを助けなきゃいけないのは勿論判ってるけどさ。
   他にも何か、俺に…俺にだけ出来ることってないのかな。
   王子だから出来ることじゃなくってさ、
   俺が俺だって判んない人ばっかのとこででも出来るよなこと。》

 留学を前にして、そんなことをこっそり話してくれた小さな王子様。高い志向性と向上心のある少年。王子という枠を窮屈がらず、むしろそれを踏み台にして蹴っ飛ばし、もっと大きな何かが出来ないかと。王宮の外れの"隠れ家"である、高い高い樹の上で大真面目に語ってくれた少年だったから。広い世界を視野に入れての言いように、だが…現実としては、この王宮という一種の枷から解き放たれることは難しかろうと、そんな夢みたいなことをと、一笑に付すことが何故だか出来なかったゾロだった。子供の他愛ない夢ではない。日々の生活に追われることはない"高み"にいる身だからこそ、そういう大変さに追われている人々の代わり、世の中を暮らしやすく出来ないか、皆が笑っていられるように頑張れないかと、素直な心と柔軟な行動力とで、本気で望んでいた王子様。

  《何かが見つかると良いな。》
  《おうっ、頑張るぞ。だから、ゾロはずっと此処に居ることっ!》
  《ああ"? 何だ? そりゃ。》
  《何ででもだっ!》

 むんっと力んで言うものだから、判った判ったと笑いながら、けれど"絶対"というおまけ付きで約束した。いつまでもいつまでもその傍らに居ると。彼の目指すものとやらが何処にあってどんな形になるやら、まだ全く分からなかったものの、悪い方へ転がる筈はなかろうと、信じて助けてやりたくなったから。………そんな矢先にあんな事態に相覲
まみえてしまったのだから、運命をつかさどる何物かが居たとしたなら、そいつはさぞかし意地が悪いのだなと苦々しくも噛みしめたゾロだった。

   「……………。」

 長い長い沈黙は何も生み出さないままに夜陰に沈みゆき、
「…お前がそうまで腐り切ってるとは思わなかったな。」
 そんな間合いへ業を煮やしたように口を挟んで来たのは、そんな二人を見やっていた年若き隋臣長だった。
「帰ろう、ルフィ。」
「でも…。」
 肩を落とす少年を、だが諭すようにして、
「3年もあれば人は変わるんだ。こいつはもう、俺たちが覚えてるロロノア=ゾロじゃあない。裏の世界で立ち回ることを生業
なりわいにしている、そっちの世界の住人なんだ。」
 淡々と語りかける。そう。調べて行くうちに判って来たことが、やはり彼らを驚かせたのは事実である。人を殺
あやめてこそいないが、その闇の履歴の何と華々しいことか。内戦の只中にある戦地の中心、難攻不落と呼ばれていた武装満載の砦へ単身で乗り込み、捕虜として捕らえられていた要人を救い出して来ていたり。はたまた、敵味方の顔触れも入り乱れ、誰が本当に恨んでいるのだか判らないほど敵の多い政治家を、その疑獄事件への裁判中だけ護衛として守ったり。逆に巨大な権力者を告発したがため、証人ごと焼き打ちにあって殺されかねないような人物を守るという、危ない護衛も数知れずで、よくもまあ今日まで生きながらえて来たものだと眸を剥くような仕事ぶりが出るわ出るわ。
「そうまで危険な男を王宮に連れ戻す訳にはいかない。判るだろう? どんな因縁を抱え込んでいるか、どんな暗殺者に狙われているか、知れたもんじゃないんだからな。」
「でも、サンジ…。」
 頑張って連れ戻そうなって、言ってくれたのに。皆で一緒に帰ろうなって。明日明後日にはきっと昔と同じに、寝ぼすけな王子様だなって寝所までずかずか上がって起こしに来てくれるぞって。そんな風に言ってくれたサンジだったのに。
「………。」
 此処に至ってそんなあっさりとは諦められないらしく。煮え切らないルフィを言い諭していたサンジが、
「ちっと待ってな。」
 ジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出しながら、ふっと彼に背中を向けて少しばかり離れたその瞬間。

   「…っ!」

 男が何かしらの気配を拾ったとほぼ同時、さほど大きなものではなかったが、それでもそれと判る音量で鳴り響いた銃声があって。


   「ルフィっっ!」


 誰もいない筈の廃墟の中だ。遮るものもない中に弾けるように轟いてなお、乾いた残響が辺りの夜陰を撓
たわませ続けて幾刻か。ようやっと静寂が戻って来た空間に、何事もなかったかのように月光が照らす情景は…ほんのちょっぴり様子が違っていて。
「あ…ぞろ?」
 銃声が轟く一瞬手前。本当に本当にかすかに聞こえた撃鉄の音へと、反射的に動いていた人影があって。その影が………埃だらけの床に伏せ、その腕の中にしっかとばかり、相変わらず小さな王子をくるみ込んでいる。見事なまでに完璧な"護衛"の型を見せてくれている元護衛官の彼へ、
「ぬぁ〜にが"子供のお守りはごめんでね"だ。しっかり守っておいてよ。」
 打って変わって…にまにまと笑いつつ、サンジはそんな言いようをするものだから、
「うるせぇな。体が勝手に動いちまうんだから仕方がないだろう?」
 つい、口汚く罵って。だが、
「ぞろっvv」
 一緒に身を起こした少年は、砂ぼこりに白くした高価そうなコートをものともせず、自分を引き倒して庇ってくれたゾロへ、今度こそ離れないからと抱き着いている。何ともほのぼの、感動的なまでに性懲りのない光景へ、こちらも今度こそ"にっかり"とくっきりした笑い方をして見せて、
「そうだよな。勝手に動いちまうんだよな。」
 新しい煙草に火を点けながら、
「出て来ていいぞ、ウソップ。」
 そんな声をどこへか掛けた。下敷きにしかけた少年を…抱き着かせたままで立ち上がったゾロが、
「………ウソップ?」
 聞き覚えのある名前だと小首を傾げるその前へ、トイレや流し場のある奥向きへのドアを開いてひょっこり現れたのは…これまたここの住人ではない一人の青年。黒い縮れた髪をうなじに束ねたひょろりと細い彼には見覚えがあった。だが、
「…確か、ルフィの遊び相手じゃあ…。」
 早くに母親を亡くしたルフィを育てた乳母の息子。そんなような、簡単な紹介しかされてはいなかったが、その手には銃口から硝煙の立ちのぼる小口径の銃が握られている。
「お前ほどの"実戦"は積んじゃあいないけどな、こいつはウチの凄腕スナイパーなんだよ。それを紹介する間もなく、ああいう騒動が起こっちまったんだがな。」
 王子がいるところへ、いくら身内でも銃を持つ人間を同座させるとはよほどのこと。
「さては…。」
 眉を寄せて目許を眇めるゾロの迫力に負けじと、
「ああ。お前のこった、絶対素直には従わないって思ってたからな。こちらもやっぱり茶番を打たせてもらった。」
 サンジは鷹揚そうに"ふふん"とばかり、鼻高々に言い放ち、
「3年間だ。3年間も俺たちを欺き、自分の義務を放棄して、この我儘坊ちゃんのお守りをさぼったんだからな。それなりの穴埋めはしてもらう。」
「だが…。」
 先程挙げた理屈は、動かせない事情はどうなると繰り返しかかったゾロの声へとかぶせるように、

   「公開しなきゃあ良いんだよ、要は。」

 サンジは。その伸び伸びと表情豊かな声であっさりと言い放った。
「公明正大な国なんて、実際には何処にもありゃあしないんだ。法規や書類、手続きその他、どっかで何かに引っ掛かるって言うのなら、いっそその存在、居るけど居ない"透明人間"扱いしちまえば良い。」
 ………つまり。非合法オッケーとばかり、何の登録もなさない、そこに実際"居る"のだけれど、書類処理的には国内には居ないという扱いにすれば良いと。もっと端的に言えば、密入国&不法在住の異国人であれと、そんな乱暴なことを言い出した彼であり、
「こんな秘密の一つや二つ、可愛いくらいささやかなもんだ。それに、こういうもんを抱えてた方が、いっそミステリアスでカッコいいじゃねぇかよ。」
「…おい。」
 勝手を言うなと唸りかかったゾロの声を、今度はルフィが、
「それで決まりな、決まりっ!」
 明るい声で塗りつぶし、しがみついた男の大きなコートの懐ろの中、今度こそ追い出されまいと脇に腕を回して深々ともぐり込む。
「…お前ら。」
 それで済む筈がなかろうがと往生際悪く呆れたゾロに、ウソップが………厳かに駄目押しにかかる。
「観念した方が良いぜ。今サンジが言ったのは、兄王子様、エース皇太子が提言なさった打開策だ。無論のこと、国王様の承諾も取ってある。」
「う…。」
 一見お気楽な王国だが、その実は。強かな采配を振るって、表舞台で"うるさ方"な欧米の列強を牛耳ることだって可能なほど、恐るべき国王が束ねて来た、さすがは"地中海の奇跡"である。
"俺の観察力も甘かったってことだろな、こりゃ。"
 何が何処が"安泰安穏な"暢気な王国だ。修羅場の怒号を子守歌にして育った、生まれついての戦闘工作員の、鋭い眸さえ眩ます、冴えた鼻さえ誤魔化す、実は実は屈強な奥の深い国。そしてそして、

   「なっ? 一緒に帰ろ? ゾロvv」

 まるで向かい合っての"二人羽織り"みたいに、こちらのコートにしっかりもぐり込んでしがみついた王子様が。3年経ってもさして変わらぬ、愛しいお顔で見上げてくるものだから。






   「……………ああ。判った。」



 根負けして頷首した、緑髪のエージェント・コマンダー。途端に"やたっ!"と坊やの笑顔が弾ける。本物の戦場や修羅場にて培った、何物にも怯まず屈しない頑強な自負を、あっさり呑んでしまった幼
いとけない王子様の満足そうなお顔を見やりつつ、


  ――― 天使みたいな顔してるけど、もしかして悪魔の息子か? この王子。


 溜息混じりに、それでも久々。3年振りに小さく小さく破顔したロロノア=ゾロであったのだった。地上を照らすは無言の月光。拙く、愚かしく、されど愛しい人々を、何年も何千年もの昔から、変わりなく見つめ続けてきたディアナは、今夜もまたただ静かに、夜陰の帳の天上にて、黙って佇むばかりであった。







   aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


   「知ってたか? ウチの王国の別名。」
   「別名? "地中海の奇跡"っていうアレかい?」
   「それだけじゃあない。」
   「???」
   「古来から伝わるもう一つの名は"海賊王の国"だ。」
   「………成程ね。」



   〜Fine〜 02.11.27.〜02.11.28.


  *カウンター57000hit リクエスト
    菜水さま
     『こんな恋愛をしたかった Ver.で、ルフィが幸せなお話』

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  *リクメールを拝見して、勢いづいたままに
   ワープロにガッツガッツと打ち込んでおりました。
   こんな恋愛ですが、いかがでしょうか。
   あ、しまったっ。まだ恋愛に至ってはいないかも…。
   ルフィ、くっつき虫なだけだし。(ダメじゃん/笑)
   ちょっとばかし、いつもと違う設定のものを書いてみたくなったのですが、
   途端に趣味全開でございます。(『黒い瞳の…』再び)懐かしいよぉvv
   高貴な方に仕える人の、身分とか立場とかをわきまえたストイックさって、
   何だかとっても好きなもんで。
   (でも、イガラムさんみたいな笑える侍従さんも実は大好きvv)
   そして、書き終わってみれば
   いつものバカップルと大差無かったりして。(撃沈)

  *そして、図に乗って“後日談篇”を書いてみました。→
コチラ


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