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遭難者のクレールちゃんは、実はまだ女学生なのだそうで、
「春のバカンスだったんで、お友達の別荘にご招待されていたの。」
温かいスープと野菜のやわらかな甘みが一杯のリゾットをお腹にいれたことで落ち着いたのか、自分のことを少しずつ話し始めてくれて。和気あいあいとしたムードは少々苦手か退屈だったか、そっと医務室を後にしたロビン嬢がふと、頭上の景観が微妙に変わっていることに気がついた。主帆柱を見上げた彼女に気づいて、索具を締め直していた剣豪さんが渋い顔をして見せ、それへと"くすす"と微笑ったお姉様。そのまま主甲板まで降りて来て、
「張り直したのね。」
「ま〜な。遠目にでも見えてたんなら今更だが、接近した時は意識無かったからな。見てないかも知れない。」
「でも、船長さん辺りが自分で話してしまうかもよ?」
「ああ。」
俺もそう言ったんだがなと、淡緑の髪が載った頭に腕を上げ、こりこりと後頭部を掻いて見せる。彼らが話していたのは"海賊旗"のこと。日頃、誇りとして高々と掲げている麦ワラ帽子をかぶった"ジョリー・ロジャー"だが、あの遭難者さんが気づいていないのなら余計な脅威を与えては可哀想というナミからの指示の下、二本のマスト上からそれぞれを引き降ろし、帆の方も無地のと交換したらしい。こんなの小細工に過ぎないと言いたげな剣豪さんは、相変わらず…たかが女の子一人、その身にどんなフェイクが隠されていようと脅威でも何でもないという余裕のお顔でいる。ロビンさんが無断乗船していた時とは えらいこと対応が違うが、それは…、
"私のように、人間関係上での、絆というか信奉というのかをころころと変える人間は、彼のような一途で頑迷な人には理解しにくいから。それですんなりとは信用しにくいのでしょうね。"
いや、そんなはっきりと。(苦笑) それもなくはないのでしょうが、それより何より、警戒せざるを得ないほど、腕っ節も怜悧なところも"お強い人"だったからというのもあると思いますよ? まま、もうすっかりと馴染んでいるのだし、そんな過去のことは今はともかく。
「俺が気になるのは、悪魔の実の能力者かどうかってことだけなんだがな。」
随分と省略されまくった言いようで、さっきまでその"疑惑対象"の傍らにいたロビンに聞いてみる。彼女もまたその身に宿しているこの特殊能力は、どれをとっても途轍もない代物。戦闘担当として腕っ節には自信のあるゾロにしてみれば、そうだという事実を"対戦歴"という実体験からよくよく身に染みて知っているだけに、大人しげな見かけだけで人を判断出来ない難点ネックでもあって。だが、
「さあ、まだどうだか判らないわね。」
ロビンからの返事はあっさりとしたもの、
「彼女のような、爪も牙も持たなく見える人にとっては、ある意味で切り札ですもの。見た目に似合わず強かであればあるほど、知り合ったばかりの人間相手に そう簡単にご披露しはしないでしょう。」
ちなみに。海に呪われている身なのにボートで漂流していたなんて、あまりに無謀すぎるから違うだろう…という理屈を言い切れる人間は、少なくともこの船にはいない。何たってあの船長さん自身が、そういう無謀な船出をした人物であり、わざわざ場を構えて語った訳ではないものの、何かの折に聞いたナミやウソップがサンジやチョッパーへと話してやっており、ロビンも当然聞いていること。よって、今や知らないクルーはいない話であり、
"まあ…それはあの船長さんほど無謀な人だから出来たことであって、他の人へはあまり参考にはならないのかもしれないけれど。"
でも、得体の知れない果実だそうですしね。うっかり食べて能力を得たクチの人でも、判ってて食べた人であっても、そうそう大差ない"無鉄砲さん"だと思いますが。
"あらあら。耳が痛いことvv"
あやややっ、あのあの…っ。クラッチ攻撃は堪忍して下さいですぅ。(笑)
◇
さて。次の島は明日にもその姿が見えるほどの間近だし、自分たちも補給の必要があるから、港に接舷した上でゆっくり滞在する予定なんだよと、すっかり"羽伸ばしモード"に入りかかっているクルーたちのお喋りをにこにこと聞いていたクレール嬢は、
『………あ。』
ふと。お顔を曇らせて、胸元を押さえて俯いて見せ、船医さんを慌てさせた。
『少し休んだ方がいいよ? すっかり回復した訳じゃないんだからね。』
どれほどの時間、どんな状況下で海上を漂っていた彼女なのかははっきりしないが、脱水症状や熱射病という重大な状態を引き起こしていたって不思議ではなかった環境にいたには違いなく。それより何より、精神的に疲れてもいよう。こんな時は安静が一番だからと、他のクルーたちを押し出しがてら、自分もまた医務室の外へと出て、
『御用があったら呼んでね?』
オレは耳が良いから壁越しでも十分聞こえる、チョッパーって名前を呼んでくれたらすぐ来るからねと言い置いて、眠りやすいようにと一人にしてあげた。ドアがパタンと閉じられて…幾刻か。
「…さて。」
むっくりと。ベッドの上へ身を起こしたクレール嬢は、自分の胸元へ小さな手のひらを伏せると"大きく息を吸って深呼吸〜"をまずは一往復。それから、ズボンのポケットへと手を突っ込み、輪っかになった髪止め用のゴムバンドを取り出して、金茶色のセミロングの髪をきゅうっとうなじの後ろへまとめて縛り上げる。
"落ち着け、クレール。"
ドキドキするけど大丈夫。この船のクルーたちの頭数は、ちゃんと調べがついているその通りだった。…まさか、調書では"ペット"ってことになってたトナカイさんが、人間の乗組員と同格の存在して数えなきゃいけないほど、働き者で優秀だとは思わなかったけど。
"こないだの初仕事と一緒よ。それどころか、これに成功したなら一気に名を挙げられるのよ。"
自分を励ますように、胸元のお手々をぐぐっと握り締めたこの彼女。………はい、もうお気づきですね? 民間人の遭難者に成り済ました、実は実は"賞金稼ぎ"のクレールちゃん、17歳でございます。賞金稼ぎといっても、まだまだ初心者もいいところで、今回のこのお仕事が何と二件目。だというのに、
"新進気鋭の麦ワラ海賊団、キャプテンが1億ベリー、他にも7900万、6000万なんていう大物がゴロゴロ乗ってる船なんだから。"
そんな大物相手の大きなお仕事に、何でまた初心者の彼女が手を出したか、いやいや"出せた"のか? ………いかにもお暢気な雰囲気の船だから、もしかしたら侮あなどられたってのもアリかもですね?おいおい
"さあっ。早速にもお仕事に取り掛からねば。"
ふぬぬと自分にエールを送り、ベッドからそぉっと足を降ろす。小さなキャラベルは、見た目ほど"安普請"ということはないようで、すぐお隣りだというキッチンの物音もさして鮮明には聞こえて来ない。ナベや食器の触れ合う硬質な音はさすがに響きもするが、話し声はその輪郭が曖昧にぼやけており、具体的に何が話題になっているやら聞き取りにくく、
"でもまあ、此処で情報を得たところで、港まで連絡する手段はないのだし。"
彼らに関する情報は、むしろ…依頼主である海軍の情報部担当の人から資料をいただいている立場。クルーの総員やら大物が数人いるということも知っていたし、その割に平均年齢が低く、乗組員の総数だってたかだか6人で。毎日操船作業やら雑事やらに全員で当たっているのだろうなということは容易に伺えて、
"こんなチャンスは二度とは来ないって、作戦参謀さんも言ってたじゃない。"
この自分とさして変わらない年頃のお子ちゃま海賊団が、何を勘違いされてかとんでもない賞金額。これはきっと、相手になった海軍の者も大物海賊たちも、油断しまくった揚げ句に自滅したに違いない。それが恥だから、賞金を高額に設定し、早いトコ芽を摘みたいのだろうさと。だったら。ちゃんと心積もりをした上で、こちらからこそ油断させて、罠に追い込み、一網打尽にすればいいだけのこと。
『な〜に、危険はないサ。』
まだまだ、命をやり取りするような本当の修羅場も知らないような若造揃いだからね、素性がばれても"殺さないで"と懇願すりゃあ、度胸だってあってないようなもんだろから、きっと見逃してもらえるだろうよ…と。
"そんな風に言ってらしたもの。"
この道の専門家、経験を積んだベテランな方のご意見に間違いはない。だから、
"私は彼らを信用させて…。"
前以ての打ち合わせがしてある突堤へ、この船を接舷させればいいだけのこと。それにはまず、気を許してもらわねば。それも…。
"普通のクルーでは権限が利かないかもしれないから…。"
懐柔しちゃうなら、ここはやっぱりキャプテンか副キャプテンよね。何たってほら、あたしはお年頃の女の子だし。色々と説得には効果のある立場なんだから、今回はそれを活かせばいい。そろりそろりと足音を忍ばせ、ドアへと近づく。どうやら今は遅いめの昼食タイムであるらしく、やたらと食器の触れ合う音がするし、元気のいい応酬に混じって、お行儀を叱るような叱咤の声も聞こえてくるから…。
"…変な海賊団ね。"
あはは…。(笑) おかずを取ったの取らないの、口に物を入れたままで喋るなだのと、まるで遠足か修学旅行みたいなノリが伝わってくるものだから、
"思ってたよりも楽勝かもvv"
今度は期待にドキドキして来たクレール嬢だ。何しろ…前の時は組んだ相手がそりゃあもう狡い奴で。
"標的の賞金首を大人数で取り囲んだ場所へ呼び出す手筈だったらしいこと、その呼び出す係だった私にも内緒にしていて。"
下手をしたら、混乱の中で彼女も一緒くたに襲われてたトコだったらしいのだが。呼び出す約束になってた場所にその標的さんと一緒に向かう途中にて、海軍の有名な将校さんに呼び止められて。スモーカー…とかいってたかな? そいで、その人が預かるって言ってくれて、しかも…、
"私に声かけてた奴らも、実は別口の賞金首たちだったって言うじゃないのよ。"
仲間割れの巻き添えを食うとこだったのよね。賞金を持って来てくれたメガネの曹長さんからお話を聞いてゾッとしちゃった。ああホントに、あれは怖かった。やっぱり怪しい人と組むのは止した方がいい。今度は海軍からの依頼だからね。頑張って手柄を立てなきゃ…と。ドアに背中でへばりついて、小さな丸い窓からデッキの方を、肩越しにそろぉりと覗いてみたところが。
「…ってことだからよ。」
「え〜〜〜? そんなのって ないよう。」
いきなり隣りのドアが開いて、はっきりとした人声がしたものだから、
「…☆※△△〓▼〇◆◎っ!!」
どっきーんと弾けた心臓を胸に、あわあわ慌てて…ベッドへ後戻り。ばっさんと勢い良くマットレスへ飛び込んだ元気な病人は、急に容体が悪くなり。自分の激しい動悸と真っ向から向かい合って格闘する羽目になった。………単に、食事が終わって主甲板に出入り口のある下の船室へと向かったウソップさんとチョッパーさんの会話が物凄い間近に聞こえただけのことだったのだが、
"ああ、ビックリした。さすがは海賊団、隙を見せないためのフェイントとは、侮れないわね。"
きっと今、キッチンでは主要な顔触れでの重要な会議でも行われているのよ。それを私に気づかせまいとして…などと、シリアスにお顔を引き締めて想像してらっさるクレールさんだったが、
「なあなあ、サンジ。今日のおやつは?」
「てめぇ〜。たった今、昼飯喰ったトコだろうがよ。」
「だってさぁ。なあなあ、教えてくれよう。」
「さあな。まだ決めてねぇよ。」
………ルフィにとっては結構"重要"なことかも知れない。(笑) 自分を驚かせた二人の足音が、キッチン前のデッキから降りてゆき、真下のお部屋に入ったことを確認したクレール嬢は、今度こそはと再びドアへへばりつきに行ったものの、
「…なあ、ゾロ。」
「なんだ?」
がたたんと。重いワークブーツの音を板張りへと響かせて、のっそり出て来た偉丈夫の渋い声に、わわっと頬が赤く染まった。だってだって ついさっき、ボートの中で不覚にも熱に中あたってしまい、ゆらゆらと揺られつつ意識がぼんやりしていたその最中に、大丈夫か?しっかりしろと、一番最初に声をかけてくれた人だったから…ついその、えっと。////////
"あ、あ。何赤くなってんのよ、私。////////"
資料を思い出しなさいっての。あれは懸賞金 6000万ベリーの元海賊狩り、ロロノア=ゾロなのよ? お尋ね者だってことは、天下を騒がす大悪党なのよ。ぺしぺしと頬を叩いて気合いを入れる。この三本も刀を提げてる剣豪さんはさすがに手ごわいだろうけど、
「今からまた昼寝か?」
「まあな。」
「じゃあじゃあ、んとな。俺も付き合ってやるぞ♪」
そんな彼へ、まるで遊び相手に懐きまくるかの如く、盛んにじゃれつく男の子。さっき自分から名乗ってくれたこの船の船長さんで…一億ベリーなんていう破格の賞金を懸けられている、モンキィ=D=ルフィくん、17歳。
"この子なら何とかなりそうな気がするんだな、うんvv"
懸賞金の差額を考えたら、彼の方こそ手ごわそうに思えるんだけど。そこんとこにも綾はあると思うのよねと、クレールさんたら考えた。
"きっと、彼こそが何かしら…海軍の偉い人の秘密とか弱みとか、直接見るか聞くかしたんだわ。"
………ほほお。それで?
"だから、海軍としては名誉のために口を封じたいのよ。終身刑にして一生牢獄に閉じ込めておきたいのよ。"
よって。こんな子供みたいな船長さんなのに、恐持てのする剣士さんよりも懸賞金が高いのだと? 老婆心ながらご忠告申し上げるならば、こんな風に思うんですがね。
――― 恋愛対象と喧嘩を売る相手は、第一印象で決めない方がいい。
◇
まるで、柄に合わない小型犬をその長い脚へとまとわりつかせながらのお散歩でも楽しむかのように。自分よりも小柄で細っこい船長さんと連れ立って、上甲板へと足を運んだ剣豪さんであり、
"お昼寝かぁ…。"
今日は陽気が良いから、そう運んだのね。でも困ったな。早く話を切り出さないと、船が島の海域に入ってしまう。その直前くらいには、指定されてる突堤へ船をつけるようにって彼らを丸め込まなきゃなんないのにと、いまだ医務室のドアに背中をくっつけたままにて考えあぐねていたクレール嬢だったが、
"…とりあえず。"
そぉっとドアを開くと、左右を見回し。ついでにキッチンのドアに耳をつけて中の会話に耳を澄ます。どうやら何か流行のものの話に花が咲いているらしく、中に居残っているのは女性陣とフェミニストなシェフさんという取り合わせだから、これは少しばかり沸いていそうだ。
"よぉし。"
甲板に出てくる気配は無しと見て、さささと素早くデッキを駆け降り主甲板へ。それから、やはり素早い足取りにて甲板を進み、上甲板のぎりぎり真下に、やはり背中でへばりつき、
"どっちが先に寝付くのかしら。"
此処で様子を伺って見ることにする。どう見ても護衛も兼ねている副長さんなのだろうから、不用心にもルフィより先に寝てしまうということはなかろうけれど。こんな大海のど真ん中。海賊船なり海軍の艦隊なりが近づいたとしても、まだ遠いうちからそれなりの気配が届くのだろうから、
"それから起き出したって、対応には十分 間に合うのでしょうよね。"
…妙なところで彼らを買いかぶってるお嬢さんである。(笑) もしかしてルフィの方が元気が有り余って眠くならなかったなら、その場から引き離して懐柔作戦に出ようとの算段を固めて、さて。
"…う〜ん。"
ただ真下にいるだけでは、波の音が邪魔で会話の声なぞなかなか聞こえにくいもの。そこでと、適当な樽を押して来て、そこに乗っかり耳を澄ますと、
「………だもんな。」
何とか声が拾える程度に会話が聞こえて来た。樽に乗ったせいで高さも稼げたが、こうまで至近から覗き込む訳にもいかないので、甲板の上へと落ちている二人の陰にて状況を想像しつつ、会話の盗み聞きを開始すれば………。
「…だろうが。」
「何言ってんだ。昨夜、寝かしてくんなかったゾロが悪いんだからな。」
……………はい?
「嫌なら嫌って、そう言えば良いだろうが。」
「言ったサ。もう眠たいようって。なのにゾロは、なんか…しつこくしてさ。」
「そうだったか?」
「そうだった。俺はやだやだって言ったのに、
そうかそうかって笑ってばっかで聞いてくんなかった。」
……………はいぃ?
「でもなあ。お前の"やだ"は、
そのまま聞いてやると拗ねることもある"やだ"だろうが。」
「………んなこと、ないもん。///////」
ゾロの馬鹿、すけべ剣士。そんな誹謗の声と共に、ばふっという胸板でも叩いたような音がして。悪かったって。笑いを含んだ響きの良いお声にくるまれて、だからな…なあ聞いてるか? 怒っているんだか、それとも…睦言なのか。いやに甘えた声がして。
"………なになになになになに〜〜〜〜っ!"
あわわとその場で凍りついたクレールさんだったのは、恐らく…免疫がなかったからでしょうな。やっぱ経験が浅いわ、この人。(笑)
"ちょっと待ってよ、これって、まさか…。"
愕然呆然とした彼女の胸中の混乱や いかばかりか。お気の毒だがちょこっと覗かせてもらうことにしましょうか。
"じゃあ………色仕掛けは通じないの ?!"
………おいおい。案外と頼もしいことを思ってる彼女だったが、
「諜報活動はそこまでにしてもらいましょうか?」
そんなお声を唐突にかけられて。はっとしたそのままに顔を上げれば、いつの間に近寄っていたのやら。キッチンキャビンにいた筈の美人クルーのお二人さんが、それぞれに味のある微笑を浮かべて、樽の上へちょこんと乗っかったクレールちゃんを見守っていたのだった。
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