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――― 何も"これからのずっと"という話ではないってのは分かってる。
彼女を国まで送り届ける、ほんの数日の間だけ。
なのに何でかな、妙に腹が立って苛ついちゃって。
そういう気持ちが潮が引くようにどこかへ立ち去ると、
今度は無性に寂しくなっちゃって。
自分でも………なんかよく分かんない。
前方から吹きつける潮風もどこか やわい、それは穏やかな日和の中を小さなキャラベルはぐんぐんと進む。麦ワラ帽子の下で、猫っ毛がさわさわと躍って頬に擽ったいのを、手のひらでぐいっと、頬を撫でるようにして払いのけて。見るともなく、進行方向の空にふかふかと浮かんでいる真っ白な綿雲を眺めやる。
"………。"
カザリン皇女が加わって、今日で4日目に入った。さすがにこうまで日が経てば、新聞にも皇女が行方不明であることが掲載されていて、通報者には 100万ベリー、無事に保護してくれたら懸賞金として1億ベリーを進呈…などという豪気なことが載ってもいて。ナミが瞳にベリーのマークを浮かべて、分かりやすくも はしゃいでいたが、
『でも、俺たちが王宮とやらにまでは行けないよなぁ?』
ウソップが"そこんとこを どうするんだかな"と危ぶんでいたのを聞き流しつつ、
"…まだ たった4日目なのか。"
もっと。そう、1週間くらい経ってるような気がするルフィである。言いたいことを言わないまま腹の底に潜めて過ごす、所謂"冷戦状態"というのは、はっきり言って得意ではない。直接ど〜んとぶつかって白黒はっきりつけるのが、海の男の一番"男らしい"喧嘩だし、そういうのしか やったことがなかったルフィだったから。こういう"腹芸"で長期戦を耐え忍ぶのは一番苦手なのだ。第一、これって…正確には"喧嘩"ではないのだし。
――― でもだけれど、やっぱり…何だか。
ゾロがいつもみたいに毅然としていないから、女子供へも素っ気ない野暮天じゃないから悪い…なんて。ついつい彼だけを非難してるよなこと、思っている自分だと気がつく。
"………。"
そして、それを柄にもなく喉の出口近くに引っかけたままでいる。言いたいことを何でもそのまま言っちゃうのは大人げないとか、そんな風に体裁を考えて振る舞ったことが、やっぱり これまでに一度もないルフィには、全くもって珍しいことだろう。
"だってサ…。"
自分から進んで構ってやっている訳ではないけれど、でもでも、ああまでベタベタと まとわりつくカザリンを"煩い"と振り払わないゾロ。そんな彼であることへ、分かりやすくも ちょこっとだけムッとしているルフィであり、
"………。"
だけど、それだって元を正せばやっぱりゾロのせいではないような。コトの始まりは、まとわりついてる側の、あの小さな皇女様の大胆な言動のせいであるのだし。それに、あんな…皇女様だとは分からないくらいに屈託なく振る舞う愛らしい幼子に、がぁ〜〜〜っと噛みつくように怒鳴り散らしたり、凍るような眼差しで怯えさせるなんてのは、確かに…一端いっぱしの剣士や海の男には情けないほど大人げないことだろう。それに加えて、
"いつもだったら、こうまで話が根深くなんないもんな。"
ゾロは俺んなんだかんなって、言っちゃうのは容易たやすいことで。これまでだって結構…チョッパーとかウソップとか、ナミやロビンにも、何かにつけて面と向かって言って来たような気がする。それこそ、本人が照れようが怒ろうがお構いなしに堂々と。だが、今回の相手はたまたま拾って送ってくこととなった小さな女の子だし、ナミからも、
『次の島まで送り届けるまでの間だけの我慢じゃないの。』
ゾロがあんたの一番のお気に入りだってのは分かっているけど、少しの間くらい辛抱なさいと、そんな風に言われてもいる。漂流した末に知らない人ばっかの船に乗ることになっちゃって。しかもそれが海賊船で。お元気そうに見せてても、実のところは独りぼっちで心細いに違いないんだから、ほんの数日くらい我慢して、ゾロを貸してやりなさい…と、だ。
「ナミが言うんなら正しいことなんだろうしさ。小さい子が独りきりって心細いだろなってのは分かるしさ。遠いとこに引き離されてる訳じゃなし、ほんの何日かだけの辛抱くらい出来るけど…。」
さすがに…慣れない隠し事が膨張して腹が一杯になっていたのか。自分へと言い聞かせるように、ぽつりぽつりと声に出して呟いていたらば、
「…そうか。
何〜んか様子が変だ変だと思っていたら、
そんなことを吹き込まれとったんか、お前。」
「………えっ☆」
まさかのお返事があって、ぎょっとした。一人になりたい時に登ってしまう見張り台。狭苦しい床に座り込み、お膝を抱えて潮風の中へぶちぶちと愚痴っていたのを、選りにも選って当の本人に聞かれてしまったらしい。弾かれるように身を起こし、顔を上げると…いつの間にそこに居たんだか、気配もないまま、見張り台の縁囲いに軽く手を掛け、さして幅もない主帆の桁の上に危なげなく立っているゾロである。真っ直ぐにこちらを見やる彼の視線に、
「な、何が変なんだよっ。」
負けるもんかと、往生際悪くも言い返したルフィだったが、
「いつもなら…たとえばチョッパーが相手だったらどうだ? 競争するみたいに"一緒に遊ぼう"って運ぶ筈だろうがよ。」
そうそう使い減りするような やわなお兄さんではないのだから、いつもチョッパーと一緒に"ゾロ登り"をして遊んでいるような感覚で(何だそりゃ/笑)一緒に遊べばいいものを。それだのに今回は。妙に皇女様に遠慮して、席を外したり、何にも言わないままでゾロとの距離を保っていたり。宵も更けて自分たちの部屋へと戻っても、言葉少ななままに背中を向けて、とっとと寝てしまう彼だったり。あまりに取り付く島のないままに過ごした4日間であり、
"な〜んか妙だと思ってたら。"
他の誰かの心細かろう心情だとか立場だとか。全く理解せず、介してもやらない彼だとまでは言わないが、それでも…あれほどお元気なお姫様へのそんな奥深い機微にまで気が回るとは、ルフィにしては何だか妙だよなと思ってはいたらしき剣豪さんであり、
「ナミに言い聞かされたってんなら納得もいく。」
彼自身がぶちぶちと呟いていたように、コトの理屈を彼でも理解出来るようにきっちりと、噛んで含めるようにそれはそれは細かく説教されていたのなら、こんな運びにだってなろうというもの。
「俺への焼き餅だってんなら、俺は喜んだ方が良いのかな?」
彼には似合わぬ(笑) そんな洒落たことを言ってる割に…どこか眇めた目許なのが、彼もまた…この愛しい船長さんとの擦れ違いに、随分と煮詰まりかかっていたことを、きっちりと示しているのだが、
「…それだけじゃねぇもん。」
ここまで黙って聞いていたルフィが、ゴムゴムの頬をぷうと膨らませて逆襲にかかる。
「なんだよ。」
「ゾロだって、全然怒って見せないしさ。だ〜っ、煩いって一声怒鳴れば、あっさりと怖がって寄って来ないもんをさ。」
馴れ馴れしくも擦り寄ってくる小さなお姫様。小さな手でペタペタと、おでこやら胸板やら脚やらを触られ叩かれしているのへ、初日の晩は"鬱陶しいぞっ"と今にも爆発しそうなまでになっていたのに。それが…何でまた、諦めてしまったようにその気勢を収めてしまい、皇女の"じゃらし役"へと落ち着いてしまった彼なのか。
"そりゃあサ…。"
さっきまで思っていたように、そんなことするのは大人げないからだと言われればそれまでなのだが。でもだけど、そもそものゾロはどこかで"大人げない"青年ではなかったか。こらこら そして、そんなところが沈着冷静な彼には珍しくも"分かりやすい"部分であり、彼なりの一種の青さ、年齢相応の"可愛げ"ではなかったか。そっぽを向きつつもこっそりと。ホントは大好きなゾロだからとちゃんと見ていたらしいルフィの言に、
「それは…。」
何か言いかけて、だが、
「………。」
口を噤んだゾロであり。そんな態度もまた…同じ感覚から出ている彼女への気遣いに思えて、カチンと来た船長さんで。
「…それと。」
ま、まだ何かあるんでしょうか?
「ゾロ、あの子に言われてたろ? 自分の傍に仕えないかって。」
ちろんと恨めしげに見上げられ、だがだが、剣豪殿はというと、
「………まあ、言われはしたさ。」
馬鹿正直な剣士さん、ついつい"是"と頷いてしまったから、あんたってば もう…。
「でも、そういう話をしたってだけだぞ?」
それはそれはお転婆で、城内の奥向きにじっとしているのは苦手な皇女様。今回のようなことも、実を言えば結構頻繁なアクシデントであるらしく、おいおい
『近衛に頼もしい供の者が欲しいと常々思っていたところだ。』
後を継ぐ嫡子ではないので、何も自国の島にずっとずっと大人しくしていることもない。冒険の旅、大歓迎な姫だから、
『世界一の剣豪になりたいのなら、それに付き合ったっていいぞ? お前はただただ剣の道を極めればいい。』
身の回りの世話や、航海術などへは、専任の供を沢山引き連れての旅をすればいい。苛酷な航路のグランドラインだが、そこを開拓するのもまた一興。正式な国家の船団ならば、海域ごとに海軍だって補佐してくれようし、その先々にて腕に覚えの相手を探して対決をすればいいだろう…と。そういう話をしていたのを、実はルフィも漏れ聞いたらしく、だが、
「なんかサ、まったくだよなって思ってさ。」
それに関しては、何だか…思うところの雲行きが少々違うルフィであるらしい。むうと不貞腐れていたお顔を、やや俯かせてしまい、
「この船だと、ゾロ、剣の修行とか鍛練とか、思うように出来てないんじゃないのか?」
冒険好きで後先のことを全く考えない、それはそれは危なっかしい船長さんのお陰様で、確かに強い敵との命懸けの手合わせという試練にぶつかる機会も多く、それだけならば…剣の腕をめきめきと上げたいゾロにしてみれば、願ったり叶ったりな環境でもあろうけれど。自分がじゃれつくのを手初めに、様々な雑用だって割り振られているし、真剣勝負の場と同じほど、馬鹿馬鹿しい騒動にも目一杯巻き込まれているような。そもそもルフィの目指す夢とゾロが目指す野望とは、微妙に似ていて、だが根本的なところが非なる別々のゴールなのであって。その似ている部分というのもまた、似ているならばその先で…いつか向かい合い、対峙し合わねばならないという意味合いでの"属性"を差していて。そこまで細かく色々と考えてみたルフィではないのかも知れないが、それでもでも。この船から離れたとしても、ゾロの側には一片の不都合もないのだと、それに気づいてしまった彼であるらしい。訥々と語ってから、
「………。」
ふしゅんと萎んだ、何とも情けないお顔になったルフィであり、
「…あのな。」
どこか拗ねたように俯いてしまった小さな船長さんに、ゾロは…聞こえないようにと そっと溜息を一つついて。
「ルフィイ。」
見晴らし台を囲う枠をまたいで、座り込んでる少年の傍らにしゃがみ込み、
「拗ねてんじゃねぇよ。」
小さな肩を懐ろの中にくるみ込んでやる。まだ寒いほどではなかったが、それでも潮風にさらされて冷えかかっていた肌に、傍へと寄った相手の温みが…まるで見えないケープみたいに伝わって来て。
"…ふにゃい。"
心地の良い暖かさに、ついついルフィの側からも擦り寄れば、
「順番を間違えてねぇか? それ。」
間近に響いたのは、深みのある大好きな声だ。
「俺はお前と"海賊になる"って約束をしたからこの船に乗ってんだぜ? だから、お前の横にずっと居ることが前提なのに、勝手が良いとか悪いとか、そういうことが先に来てどうすんだよ。」
耳へだけでなく、胸元にくっつけた頬にも低く響いて心地良い声音。
「ん…。」
抱いてくれてる頼もしい腕も、引き寄せられた逞しい胸板も、ああゾロだなぁと実感出来る大好きな部位(ところ)。鞣した革みたいな感触のする肌は、いつものシャツ越しでもそれと分かる躍動感と温みとを伝えて来て…愛おしくて堪らない。おとがいの下、引き締まった首元に頬をくっつけて、これも大好きな匂いに包まれたまま、風に揺れてチカチカ光ってる棒ピアスを鼻先に眺めやる。大きな手が背中をごしごしと撫でてくれてて、
「…ゾロ。」
駄々を捏ねてる子供に、慣れない手を焼いてるっていう、そんな扱い。でも、不思議と不快じゃない。こんなにも落ち着いていて存在感があって。なのにその手に構えた剣を操れば、それはそれは切れのある所作を見せる。恐持てがするのは、それだけ強い男だからで、どうしても雰囲気の中に孕んでしまう、気骨の野太さや印象の強さ。でもね、見るからに野趣あふれる、奥行きも深くて男臭いゾロのその芯にいるのは、誠実で頑迷で…それから。実は実は微妙に純ピュアな、そんな彼なんだと、ルフィはちゃんと知っているから。
「…うん、ごめんな。」
久し振りの温かな懐ろの中は、切ないくらいに気持ち良くって。何であんなに距離を取ってたんだろう。こんな風に暖めてもらってなかったから、だからあんなに苛ついてたんだ。分かってみれば簡単なこと。なのに…慣れないくせして馬鹿なことをしてたよなって、そんな風に感じて、ついつい口許が嬉しそうに"にい"とほころんだルフィであり、
「なに笑ってんだ?」
「んん? 馬鹿だなぁって思ってさ。」
「誰が。」
「俺と…ゾロも。」
「おいおい、俺もかよ。」
そうだ!と くっきり言い切って、見交わした視線が何だか…これも久々だからか妙に眩しい。くつくつと笑い出した剣豪さんに、こちらも笑いながら、嬉しいのが高じてか"ぎゅうっ"て抱きついて。
"ああ、やっぱり俺、ゾロが大好きだ。/////"
そんな今更なことをしみじみと噛みしめた船長さんであったりしたのだった。………御馳走様でございます。(笑)
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*やっと気持ちが通じた二人のようですね。
この子達って、焼餅も続かないのか。
そこまで出来上がってるんだなぁ…。 |