規格外的恋愛に於ける etc.
A
                   『蜜月まで何マイル?』より


          


 最初は仲間。一番古株の。それが何だか妙に意識し合うようになり、その"意識"がこいつをひねさせたのはまあ判らんでもない。孤高の人斬り、泣く子も黙る"海賊狩り"とやらだったらしい朴念仁。非力な善男善女にしてみれば、暴力的で非道で恐ろしい筈の海賊をあっさりと叩き伏せ、無残に斬り刻む冷酷で残忍な男…実際にはそうまで酷い仕置きをする奴ではなかったようで、そこんところは尾鰭のついた過大評価な部分も多々あったんだろうが…そんな奴が恐ろしくない筈はなく。狩り取る海賊どもからだけでなく、一般市民の皆々様からさえ恐れられていた"血に飢えた魔獣"。途中参加の俺でも聞いてる話、冗談抜きの"人斬り"ではあったらしいから。刃向かう奴には待ってましたとばかりに強腰なくせに、こんな自分が誰かに受け入れられる筈はないと、勝手に先回りして冷めてた節があってな。…え? 誰かさんにもそんな節はあったんじゃねぇかって? 夢を諦めて苦虫噛み潰してた? さてね、そりゃあ誰の話だろな。
(笑)ともかく、だ。そういう奴が、一緒にいることや一緒に何かをすることが爽快でたまんねぇ奴ってのを見つけちまったから…。後は察しがつくだろう? 今時、妙に自分に厳しいってのか、苦難やピンチに叩かれることで鍛えられるって思ってるよなアナクロ野郎で、そのくせその分、他人に甘い。シビアな顔の裏っ側で、非力な者にはこっそり尽力してやるような奴で、破天荒ぶって荒くれぶってる割によ、実は臆病でもあったってんだから笑わせやがる。………いやま、笑っちゃ悪いかな? 何せ、意識しちまった相手がまた悪いからな。物事を真っ直ぐにしか捉えられない、感情を包み隠さずでしか発露出来ない、不器用なんだか無垢なんだか、そういう"小僧"が相手だ。しかも、お互いの"野望"と"矜持"とやらを一番に理解し合ってる、二人といない最高の"相棒"なんだかんな。自分の誇りや器を正当に評価された上で見込まれてる相手だ。そんな奴からもしかして、軽蔑されて一気に見下げられてみな? こいつは手痛いぜ? けどな、誰かを好きんなるってのは…うん、どう言えば良いのかな。屈服ってんでもない、降参ってんでもないけど、どっかそれに近いもんだってあるだろ? 何せ、最高の存在価値を認めた相手だかんな。大切にしたいし、そいつがそいつらしくあるためにって方向での助力や労苦を惜しまなくなるし。それに…忘れちゃあいけないのが、ぶっちゃけた話、大好きな対象なんだから、ずっと傍らにおいて眺めてたくもなるだろし。そんな風に、相手を守ったり、はたまた独占したりってためなら、体面取り繕ってられねぇってのかな。執着やら出て来るし、盲目的にもなる。自分が二の次になり、世の条理さえ敵に回し、やがては自分が壊れかねない。それが恋愛のもたらす無限の情熱の怖いとこさ、マドモアゼル。クールに自分を保てれば保てたで、選りにも選って相手から疑われかねないしな。『アナタ、ホントにワタシのことをアイシテいるの?』ってサ。
………話がずれたな、悪りぃ。つまりは、真剣に純粋に不器用なくせしやがって、繊細な箱入りのお嬢さん以上に、相手をオトすのも自分の気持ちをアザムくのも難しいって手合いの人間にハマっちまったって訳よ、奴はよ。しかも、だ。傍で見てる者にバレバレな想いの丈だってのに、お互いには気づいてない。いやさ、気づかれまいって飲み込んでてよ。…ああ、そうさ。実のところは"両想い"だったんだから笑わせやがる。だもんだから、いっそ俺たちが強引に何か小細工してやろうかいと思ったほどだぜ。おうよ。今はもう、そんな葛藤があったなんて夢か幻か、もしかしてどこかの誰か他人の話なんじゃねぇの?なんて澄ましてやがるほど、しっかりくっきり通じ合っててよ。それからは打って変わって…さっきもちらっと言ったが、目も当てらんねぇくらいに、やに下がってベタベタしてやがるって訳だ。あんだけヤキモキさせやがってこれだ。やってらんねぇってな。(笑)


           
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 町一番のカジノだということで目星はつけやすかったが、町自体が小さいため、さほどの大きさではないのへちょっとばかり拍子抜けする。3階建ほどのちょいと煤けたビル風の建物で、大きめのゲームセンターに怪しげな2階3階が乗っかっているというところか。カジノというと、ちょっと前に砂漠の王国で悪辣な陰謀を構えていた某ワニ男もそうだったことをついつい思い出した彼らだったが、さすがに向こうは"王下七武海"だっただけのことはあって。まあ、悪巧みにせよ副業にせよ、あの腐れ外道の規模を普通の悪党に求めるのはむしろ酷かもしれない。(すいません、私情がつい出ております。ダーティーヒーローのサー・クロコ○イルがお好きなファンの方、気分を害されたなら申し訳ありません。)とはいえ、
「真っ当なお楽しみだけって風体じゃねぇな。」
 正規の"カジノ"は大概、交換所で現金をチップに替え、それでスロットマシンやルーレット、もしくはテーブルについているディーラーとのカード勝負といった賭けを楽しむ。手持ちのチップがなくなればゲームオーバーということで、持ち金以上の遊びは出来ず、一応の健全さが保たれる…筈なのだが、そこはそれ、大人の娯楽なだけに様々な抜け道もあって。飴をしゃぶらせて上手く釣り上げた客から借用書を取って、無い金まで絞り取り、破滅へと導くなんてのは、子供向けのアニメにさえ出て来るほど分かりやすい筋書きだろう。無い金は絞り取れないから、そういう場合は金の代用物を差し出させる。例えばそれが妙齢のお嬢さんなら、同じ経営者が営む風俗店で働いて返して貰う。但し、そんな怪しいカジノの系列店なのだから、もしかすると…カジノでバニーちゃんになったり、キャバレーでただ酌をしてりゃあ良いとは限らない。春花の盛りを安売りさせて、あたら若い花を散らさせるよな、とんでもない女衒
ぜげんである場合も珍しくはない。あからさまに売春宿とは出来ないまでも、知ってる人には知られてる。そんな構造の店も、こういう…港への外来客の多い繁華街には珍しくはない。
"ここもそういう店って気配が脂粉の香りンなってぷんぷんするよな。"
 おやおや、そういうお店には馴染みがおありで? サンジさん。
"ば〜か。そんな湿っぽい店は嫌れぇなんだよ。だから避けるための嗅覚が発達してんだ。"
 ははあ、お見それしました。そーれはともかく。
「こういう場合は、やっぱ正面じゃねぇわな?」
「ああ。」
 酔客たちや船乗りたちといった男衆たちを、それなりの流れで飲み込んでいる正面エントランス。その壁の高みに掲げられた、ぴかぴかとにぎやかしいネオンを忌ま忌ましげに見切って裏口へと回り、打って変わってたいそううらぶれた路地の奥、一応は扉灯が頭上に灯された、通用口らしき入り口を見つけた彼らだ。こういう建物にはよくあることで、こちらの面には見事なまでに窓がない。隣りというかすぐ裏に並び立つ別のビルとさして隙間もなく接しているから開けても意味がなく、設置する必要はない…という建前の下、同じ建物の中で営まれている裏の稼業での、客の料金踏み倒しや女たちの足抜けを防ぐための処置なのだろう。
「おう、何だ? 兄ちゃんたち。」
 そこには、店への関係者かどうかを見極めるためだろう、なかなか恰幅のいい男が立っていた。
「へぇ。表にゃいなかった"黒服"がこんな裏に居
んのかい、この店は。」
 もっさりと熊のようにガタイの馬鹿デカイ、いかにも"力だけ自慢"風の男ではあったが、客のセンスや品性を吟味する"黒服"と捩
もじったサンジの口利きに、
「ああ"? 粋なこと言う兄ちゃんじゃねぇか。」
 厭味もどきな因縁つけだと、ちゃんと判った辺り、こういう係に据えとくには惜しいだけの機転の利く奴でもある様子。目許を眇めて威圧っぽく大きく胸を張って歩み寄って来た熊男を、
「…っ!」
 もちっと何か言い合ってから蹴り倒してやろうと構えていたサンジの傍ら、

   ―――ざっ・と、

 何か風のような、気配というのか感触というのかが通ったような…気がしたのを"んん?"と確認し直す間もあらばこそ。
「あ…。」
 驚いたような顔付きでどうっと足元へ倒れ伏した黒服熊男。ちゃりっと秘やかに響いたのは刀を鞘に収める音で、
"…おいおい。"
 雄々しい腕を型通りに引いて身構えたまま、腰から引き出した格好の鞘へとなめらかに収めた刀の鯉口を、たった今、パチリと締めた彼に唖然とする。抜刀の気配すらないままに、正しく問答無用で斬りつけたゾロだったらしくって。明かりが乏しいから断言は出来ないが、倒れ伏した男から流血の気配はない様子だから、どうやら"峰打ち"というやりようで殴りつけただけであるらしいが。それにしたって…日頃つとめて冷静な彼にはあるまじき行動だ。
「お前、要らん殺生は避けろよな。」
「あん? 何がだ。」
 ぎろっと睨み返す眸がかなりのレベルの本気で殺気立っており、仲間内でも怖いほど。だが、
"これでも抑えてはいるみたいだよな。"
 峰打ちで留めた辺り、まだ何とか…常人並みには冷静である様子。それが判る相棒は、
「まあ良いけどよ。後先くらいは考えろよな。こいつが鍵を持ってなかったらどうやって入るんだ?」
 肩を竦めて、引っ繰り返ってる熊男の傍らに長い足を折り畳むようにして屈んだ。そのままジャケットのポケットをまさぐると、安っぽいリングにまとめられた3つほどの鍵を発見。その中の一つが通用口の鍵であり、二人はそっと踏み込んでとりあえずの侵入には成功した。裏口同様に殺風景で素っ気ない廊下。ところどころに雑然と物が積まれ置かれていて、まるで薄暗い洞窟や隧道のようだ。誰の姿も見えないのは、表の客あしらいに出払っているのか、捕まえた賞金首の監視に人手を割いているからか。
「…それにしても、妙だと思わんか?」
「何がだ。」
「だから。こんなちゃちい建物、奴ならゴムゴムの何とかであっさり叩き壊して出て来れようにってな。」
 先程自慢げに話していた男衆たちに確かめるのを忘れていたが、いくら"顔役"の本拠であれ、こんな小さな町のそれ。本格的な"海楼石"仕込みの牢屋だの、強化溶接の鋼の鉄格子だのの準備があるとも思えない。建物の中が妙に静かなのも気になる。
「本人に捕まってるって意識がないならないで、カモフラージュを兼ねて嚮
もてなされてる馬鹿騒ぎが聞こえてもいい筈だしよ。」
 表商売のカジノの喧噪が、なけなしながらも防音設備があるのか、それとも単に仕切りが分厚いだけなのか、壁の向こうからの遠い音として響いてはくるが、それが却ってこちらの棟の静けさを強調しているほど。こんなに静かなのがどうにも怪訝だと連ねるシェフ殿へ、剣豪殿の返事は短くて。
「さあな。」
 訳すと"俺の知ったこっちゃねぇよ"というところか。そもそも、船長殿とて伊達に途轍もない懸賞金が懸けられている訳ではない。どんな事態に陥っても基本的には自力で何とか出来るだけの能力を持っていて、とんだ"抜け作"ではあるものの、日頃のピンチにはある程度"放ったらかし"を決め込むことも少なくは無い彼らでもある。何せ…一応は"船長"なのだし、何でもかんでも"おんぶ日傘"で通させるほど、彼らもそうそう人間丸くはない。
おいおい よって、様子見の出来ることであるなら放っておく。だが、悪知恵に長けた人間にどうかされているのだとなると、逆にどうにも落ち着けなくなる。ルフィのせいというよりも、勝手に気になり駆けつけたくなる。何しろ、くどいようだがあの船長殿の呑気さと言ったら、一通りの事態収拾が済んでからコトの発端に気がつくくらい…と言っても過言ではなく、巧妙な策略にコロッと足元を掬われるなんて造作もないこと。(すいません、日本語が変です/笑)よって、今回は"こりゃあ不味いな助けなくては"と構えるだけの事態だと踏んだ二人な訳だが、
"…ったくよ。"
 まだアイドリング状態に留めてはいるが、いつでもクラッチアウト出来るのが見え見えな相方で、
"早いとこ見つけて退散するに限るな、こりゃ。"
 サンジはこっそり溜息をつくと苦笑をこぼした。実際、大変な事態だし、自分もまた船長殿が心配でもあるのだが、相方がこうまで我を忘れた興奮状態にあるとなると、不思議なものでこちらは妙に冷静になれる。
"…っていうか。両方が盛り上がってカッカしてちゃあ、どこにどう付け込まれるか判んねぇだろうが。"
 ははあ。そういや、ご存じですか? ウチの"サンジさん"は、大人っぽくてスマートで、クールに落ち着いてるとこが受けてるそうですよ?
"へえぇ、そりゃあよく見抜いてるこったよな。"
 でも、それって"らしくない"かもだから、方針変えよっかなと。
(笑)
"おいおい、おいおい。"
 などと雑談してたら、
「…お前ら。」
 ゾロさんから睨まれた。は、はいっ。真面目にやりますっ。
「………。」
 気配をまさぐるように通廊を進めば、奥まった部屋の中からだろう、ダミ声の入り混じった笑い声がドッと上がって、
「………だ。そろそろ駅に到着する時間じゃねぇのか?」
「へぇ。お迎えに行きますかね。」
 そんな会話が続いたから、どうやらそここそがこの怪しい館の主人の控える本丸であるらしい。眉を寄せた二人が顔を見合わせ、ドアの前に辿り着くと、
「哈っ!」
「呀っ!」
 片やはドアを枠ごと蹴り壊し、片やは倒れかかったドアを…一緒に崩れ落ちた一回り大きめの縁ごとスパスパと滑らかに切り刻んでいて。床についた頃には多数のカマボコ板へと変貌した"元ドア"がからんからんと落ちたそのあと、随分と広くなった戸口から悠然と入って来た男が二人。…派手なご入来であることよ。
「な、なんだ。お前ぇらっ!」
 突然の乱入者に、室内で寛いでいた面子たちが飛び上がって驚いている。よほど、あの熊男によるガードを信頼していたのだろう。垢抜けない中年崩れの男たちが5、6人。
「お迎えってのは、もしかすると海軍の担当官のことなのかな?」
 ダークスーツのポケットへ両手を突っ込んだまま、片側だけが見えているアクアブルーの眸が鋭く睥睨してくる長身痩躯のヤサ男と、
「………。」
 その傍らで…丸太のように逞しく筋肉の隆起した二の腕からほどいた黒いバンダナを、無言のまま頭へ回してぎゅううっと絞めている、見るからに危険な凶器の香りのする男。
「…あっ、お頭! こいつら、あの坊主の仲間ですぜ。」
 やっと驚愕という名の呪縛が解けたらしく、部屋の中央に据えられたソファーの傍らに立っていた三下風の男がまずは口火を切った。
「確か、そっちの奴が"元・海賊狩りのロロノア=ゾロ"で、もう一人は…。」
 シェフ殿を指差したまま…空気が止まり、
「何てったっけ。」
「………っ(怒っ)!」
 あ〜あ〜あ〜。わざわざ怒らしてどうするね。こめかみに"ぴききっ"と血管が浮いたシェフ殿は、
「てめぇらなんぞに名乗る名前はないっ!」
 おいおい、こらこら。どっかで聞いたぞ、その台詞。
「てあっ!」
 啖呵を切ったその直後、早くも飛び蹴り一閃、凄まじい瞬発力の攻勢が連中へと躍りかかっていて、
「わわっ!」
一同が固まっていた応接セットへ向けて、弾けるような"蹴撃"を加えたサンジであり、
「うわぁっ!」
 まずは…という威嚇攻撃だったのだが、その効果は絶大だった様子。何しろ、かなり堅い素材のものだろうローテーブルが、見事にばっきり真っ二つになったのだから、それをごくごく間近で見た連中の驚きと恐怖のほどはいかばかりか。
「た、助けてくれっ!」
 まるで突然飛び込んで来た野獣から逃れるように、一刻も早くこの場から退散しようと闇雲に駆け出した面子の前へと、
「………。」
 無言のままに立ちはだかったのは、一見物静かだが、その実、足技コックの何倍も致死数の高い刺客殿である。
「ど、どけぇっ!」
 走り込みながらババッと忙
せわしく手を横に振って、邪魔者でしかない彼を退路から退けようという仕草を見せた先頭の男が、
「…がっ?!」
 いきなり仰向けざまに宙へと舞った。決して小柄な人物ではない。むしろ、こういう職種、こういう世界で幅を聞かせるには有利なほどに、十分大きな体格をしている。そんな男が、一直線に駆け出したその初速を上方向へと易々弾き飛ばされている。それも、思い切り踏ん張った上での力の籠もった拳によるアッパーカットを受けたからではなく、鞘に収めたままな刀をひょいっと腰から引っ張り出しただけの“仕草”によるものだというから物凄い。片手でのビリヤード、いやいやけん玉遊びにも似た何げないノリで"すっ"と繰り出された柄で、顎裏をがつっと一撃されただけ。その結果、足元が空中に軽々浮くほど宙へと飛ばされて後ろざまに倒れ込み、
「な…っ!」
「うわわっ!」
 後続しかけていた面々を下敷きに伸びてしまう。
「どこ行こうってんだ、ああ"?」
 間近になってやっと判ったことだろう。静かは静かでも、幽鬼のような静かな殺意を冷ややかに立ちのぼらせている彼の、底冷えのするような気魄の厚み。達人でもない素人が、
「ひえぇぇっっ!」
 身に迫る冷たい空気として感じることが出来るほどというのだから、
"おぅおぅ、怒っとる怒っとる。"
 直接対峙する者には恐ろしかろうが、仲間内には頼もしいほどに小気味良い。ちゃっかりと、がらんと空いたソファーに片膝立てた行儀の悪い座り方で座を占めて、傍らのご立派なデスクの上に煙草盆を見つけると、蓋を開けてごっそりと頂き、一本だけ口へと咥えるサンジで、
「俺たちがどういう用件でわざわざ足を運んだのか。もうそろそろピンと来ても良いんじゃねぇのか?」
 金むくの荒鷲をデザインした、ご大層な卓上ライターで煙草の先へと火を点けて、ああん?と答えを促す仕草。正に"前門の虎、後門の狼"というこの状況下では頭も凍りついてなかなかその"ピン"がやって来ない様子だったが、
「………っ、あ、えっと…。」
「とっとと引き渡さんと、いくら温厚な俺らでもトサカに来たらば、素人さんには止めらんねぇぜ?」
「う…ぐ。」
 一応は"こういう世界"で大きな顔をしている男衆を掴まえて。だが、そういう連中を"素人"呼ばわりしてしかるべき、どこか次元の違う、レベルの違う人種だというのは、この速やかにして無駄のない、たった二人での奇襲の見事さから、この港町にて"顔役"を張っているらしい彼らにもそれなりに理解は出来た様子である。
「………っ。」
 やはり無言なまま、床をダンッと刀の鞘の先、鐺
こじりで突いた剣豪殿の催促に、一同は再び震え上がると、
「む、向かいの部屋ですっ!」
「鍵はそこにっ!」
「下の段の、い、一番左ですっ!」
 口々に言って、何とかお怒りを静めてくれと、そして出来るだけ早くに撤退してくれと言わんばかりの祈るような顔付きとなる。いつもいつもホントの素人さんを相手に何をやってる自分たちなのか、少しは判った…なら良いのだが。
う〜ん 示されたのは、二人が入って来た時に抉られた戸口のすぐ脇の壁。あと数センチほどもサービスしていたらば一緒くたに抉っていただろうそこには、ボードにずらりと掛け具が据えてあり、番号の札がついた鍵がずらりと引っかけられてある。
「向かいの部屋?」
 そんな近場だったとは、と、サンジが首を捻りつつ、それでも鍵を片手に足早に廊下を横切って目的のドアへと向かった。
「あんだけ騒いだのに聞こえねぇってのかね。」
 ついつい呟いた独り言。結構大きな音を立てての大暴れをしていた彼らであり、自分たちが来たというのが、彼に伝わらなかったのだろうかとふと感じたのだ。表と楽屋裏との境は壁が厚いらしいが、こちらの部屋毎の仕切りは…先程蹴破ったドアから察しても、大して頑強ではない安普請。届かなかったとも思えないんだがと怪訝に感じつつ、それでもまあゴールには至ったらしいと安堵気分でドアを開く。眼前に広がったのは、乾いた照明に照らし出された、家具も何も置かれていない部屋。窓もないため照明が灯されていたのだなというのが判るほどに、殺風景な一室だったが、
「…ルフィ?」
 壁に凭れて座り込んでいるのは、確かに見覚えのある麦わら帽子の少年で。手錠もかけられていないし縛られてもいない。だが、それって…何か訝
おかしくはないかという違和感が、先程よりも強く、胸の中にじわじわと膨らむ。こんな扱い、いくら暢気な彼でも何か訝しいと感じるだろうし、それなりの抵抗をする筈ではなかろうか。ドアが開いた気配にも身じろぎ一つしないという反応の鈍とろさも気になった。傍らへと寄り、屈み込んで肩へ手を置くと、ふっと気づいたように顔を上げて来た。………が、
「…ぞろ?」
 薄く笑ってそんな風に呟く。いくら何でもこうまで近づいているのに見間違える筈はない。背条にいやな汗が滲み出す。そんなこちらに一向に構わず、小柄な船長殿は衒
てらいなく腕を伸ばしてくると、こちらの首っ玉にきゅうっとしがみついて来て、
「ぞろ。」
 何が可笑しいのか、くすくすと笑って見せるから、

   「…お前ら。こいつに何をした。」

 すうぅっっと。辺りの空気の温度が急激に下がったような。もしくは、目には見えない炎に一気に炙られて、ひりひりとする火傷を外気に触れる肌全部へと負ったような。そんな感触を覚えて、実に分かりやすくゾッとする。サンジの後から足を運ぶ格好となった部屋のその戸口、室内の一部始終を見やった上で、そんな一言と共に幽気を放つ剣豪に、彼の背後の後方から
「ひえぇぇぇっっ!」
 腰が抜けて立ち上がれないそのまま、身を寄せ合って部屋の限界まで後ずさりしたらしい連中の野太い悲鳴が聞こえて来た。単なる見物なら笑える光景だったが、こっちも真剣それどころじゃない。とりあえず、ルフィを抱え上げて戸口へ戻って来るサンジに背を向けて、
「何をしたって訊いてんだ、ああ"?」
 苛立った語調で言葉を重ねたゾロへ、
「あ、あの、悪魔の実の能力者だということで、暴れられては困ると思いましてっ!」
「で?」
「眠っててもらおうと、お出ししましたケーキに薬を…。」
 それを聞き咎め、
「眠るぅう?」
 戸口まで歩みが至って、いよいよ殺気立っている剣豪殿と並ぶ格好になったサンジが、引っ掛かったフレーズを繰り返す。
「こいつのどこが寝てんだよ。」
「あ、いえ、ですからっっ!」
 冷や汗をだらだらと、絞れそうなほど吹き出して、頭目らしき男がしどもどと言葉を探す。それへとゾロが、
「…っ!」
 鋭い視線のオマケつきで、スラリと引き抜いた刀の切っ先を"ちゃりっ☆"と向ければ、
「あ、っははいっ! 実は商売で使う…あの、その、ふらふらと"その気"になっちまう薬ってのと間違えましてっっ!」

   ……………。

 何とも鈍臭い不手際に、他人事ならここで大爆笑だったろう。だが。その対象が、そんなものを盛られたのが、彼らの大将だというのはさすがにいただけない。

  「………何んだと?」

 姿を拝んだだけで魂ごと蒸散させてしまう、凄まじい神通力を帯びた鬼神を思わせるような男から、鋭いまでの一瞥を振り向けられて。
「ひいぃぃぃっっっ!!」
 背条から手足から、髪や髭の先までも。体のどこもかしこも凍てついてしまうほどの恐怖を、目から…視覚から与えられたのは、彼らには恐らく初の体験だったのではなかろうか。しかも、
「あ、あのっ! 大丈夫ですっ! 自然に代謝されるちゃちな薬で、あのっ! もちろん、誰も、指一本触れてはいませんし…。」

   「………っ!」

 その表情を動かした拍子に"ぴききっ"という堅い音がしたんじゃないかと思うほど。常から深い眉間の皺が切り目のように深くなり、その切れ長の瞳がなお獣じみて見えるほどに吊り上がっていたらしく。それを真正面から見た格好の連中は、いつ気を失ってもおかしくはないほど、恐怖にまみれて緊張したらしい。
"馬鹿な奴らだねぇ。"
 まったくである。要らないことを言うから…。


   息の根を止めるところまでのご大層な仕置きは、
   却って勿体ないので下さなかった剣豪であったとだけ、
   ここには記載しておきましょうか。………合掌。


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