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来訪者はよくよく見知った知人であったらしくて、少年はあっと言う間に三和土たたきから飛び出して、そのまま両手を広げて相手へ飛びついている。まだ随分と年若い青年で、身長の対比は丁度ゾロとの差と同じくらいだろうか。さして手入れもしていなさそうな、長めだがぼさぼさの髪に、いつも笑顔が絶えない性分かと思わせる、にこやかに口角の上がった口許。いかにも屈託のない風情である青年の、程よく隆起した肉置きの胸板へTシャツ越しに頬をくっつけて、
「なあなあ、もう研修とか合宿とか終わったんか? センセーへのご挨拶とか、協会の公開練習とか。」
幼い舌っ足らずな声が、それへは不似合いな四角い言葉を懸命に数え上げると、相手がそっと先を横取りする。
「ああ。レセプションも発表会も、全部きっちり終わったよ。」
そう言えば彼が喜ぶから、そうして生まれる笑顔が見たいからと言いたげな、楽しげな呪文でも唱えるような口調だ。腕の中、覗き込んだ小さなお顔へ、それはそれは愛惜しいと言いたげな優しい眼差しをじっと向けていて。その人懐っこい表情は…容貌こそまるきり違うが、陽気で気さくそうな雰囲気はルフィに似ていなくもない。
"成程な、あれが兄貴か。"
ルフィが屈託なく語る様々な話の中、何かにつけ名前のちょいちょい出て来た、少年の大好きな兄上。弟の不思議な力に随分と早くから気がついていて、小さい頃は何をおいてもと庇い守り、いつもいつも傍らに居てくれて。得体の知れない魔物からだけではない、心ない人々からの冷遇からも弟を守った"よき理解者"。気さくで優しくて頼もしい、何にも替え難いくらいに大好きな兄貴なのだそうで、
"…ふ〜ん。"
成程、まるで…仔犬が長く留守だった大好きな主人へと、テンションの制御も出来ぬまま甘えて甘えてまとわりつくようにじゃれついていて、
「こらこら、上がらせてくれって。」
「だってさvv」
玄関へと入り、家へ上がり込むというそれだけのことへ数分も費やさせる始末であり、これは半端な懐きっぷりではないというもの。…まあ、単純に考えても、たった一人でこの家でのお留守番をこなしていた彼であり、性格やら物の把握やらがずっと大人びているような子であればともかくも、まだまだ甘えたで、何かと拙くて。とてもではないが中学生には見えなかったりもするような、極めて無邪気で無防備なお子だ。家人の帰宅は何にもまして嬉しかろう。兄の方でもそんな彼が可愛くて可愛くてしようがないのか、
「へぇー、きれいに片付けてるじゃないか。」
玄関回りや廊下などを見渡して、そんな風に声をかけてくれる兄であり、途端に、
「偉いだろー♪」
ルフィもまた、自分の手柄をえっへんと威張って見せる。………実は、ゾロに尻を叩かれるようにして片付けたというのが一番正確な"正解"なのだが、まま、言っても判ることでなし、実際に片付けたのは自分だし…と、いうことで。(笑)
「よーし。良い子にしてたなら、ほれ、お土産だ。」
にっかり笑顔のまま、兄は持っていたボストンバッグを丸ごと手渡した。結構大きかったのに重さはさしてないらしく、
「やたっ!」
いつもの事なのか嬉しそうに受け取って抱え込むと、だが、だからと兄を放り出したりはせず、居間までの廊下を随行し続けるルフィだ。
「何? 何が入ってるんだ?」
「開けてみな。」
「うんっ!」
外の廊下だけでなく部屋同士でもつながっているダイニングに向い、慣れた様子で台所に足を運んで冷蔵庫の扉を開ける彼をやっと見送り、ルフィは居間のローテーブルの上へバッグを置いてファスナーを開いた。中に入っていたのは、色とりどり、様々な店の包装紙にくるまれた小箱や紙袋である。
「わぁ〜、一杯あるぞ。これ全部か?」
「ああ、全部だ。協会長さんが下さった物もあるぞ。お前によろしくって。」
「白髭のおっちゃんか? 元気なんか?」
「元気さぁ。お前に会いたがってたぞ? あ、ほら。そこの青いチェックの。それが協会長さんからのだぞ。」
「何だろ♪」
テーブルの上、小山状態の包みたちの中から示された包装紙を見つけると、不器用そうにペリペリとはがし、出て来た箱に表情を輝かせる。
「わあぁっ、新しいやつだ。」
「…何だ? そりゃ。」
「ワン○ースワンっていうゲーム機だよ。あ、ソフトも一緒だ。5本もあるvv」
ハンディタイプのTVゲーム。そういうものに喜ぶお子様な弟の無邪気さへか、それとも…恐らくは高齢なのにも関わらず、今時の子供にウケるものを知っていた協会長さんへか、クスクスと笑って見せ、
「またゲームか。お前、沢山持ってるだろうに。」
「遊べるソフトがバラバラなんだもん。これも欲しかったけど、わざわざ買うのはなぁ…って思ってたんだvv」
それを思わぬところから頂いたとあって、素直に喜んでいる弟で。ミネラルウォーターだろう、1.5リットルのペットボトルを、少々行儀悪くそのままラッパ飲みした兄上は、
「ちゃんとお礼を言うんだぞ? 電話じゃあ捕まりにくい人だから、手紙でも良いからさ。」
そこはやはり"大人"である。ちゃんと礼儀を通さないとなと、それなりの言葉をかけて来たが、
「おうっ! …じゃあ早いとこ遊んでみないとな。」
ぽそんとソファーに腰掛けて、箱から取り出したゲーム機の電源をさっそく入れているルフィだったりする。
「こらこら。」
「だって、どんなだったかって聞かれたらどーすんだ? 答えられないじゃんか。」
相変わらずにお元気で調子がよくて。傍に居るだけでこちらまで楽しくなってくる陽気な少年。いつまでも無邪気でかわいい、そんな弟を微笑ましげに見やっていた兄上だったが、
――― …っ!
ふと。眉を寄せると、ペットボトルは流しの上、足早に居間へと向かって来る。その気配に気がついて、
「…? エース?」
ちゃっかりした物言いはいつものこと、こんないきなり叱られるような覚えはないのだがと、不審げな声を掛けるルフィに真っ直ぐ近寄り、それから…彼の真ん前に背中を向けて立ちはだかって、
「出て来いっ!」
突然、怒鳴ったのだ。まるで武道の気合いのように、ビンッと張りのある大声で。
「………エース?」
身を起こしながらキョトンとするルフィの声にも振り返らず。ただ…いつの間にやら片方の腕が回されて来ていて、まるで何かから庇っているかのような態勢でいる。
「昼日中からは出て来られないのか?
その程度の分際で、俺の弟を狙うとはいい料簡だな。」
何でも和弓だかアーチェリーだかの国際代表選手であり、交換留学生としてカナダの大学に通っているという話だ。他にも色々な武道を極めているとかどうとか、そういえばルフィから自慢半分に聞かされたことがあったのを思い出し、
「身を隠してるのは、あんたの弟も知ってることだぜ。」
何となく…その言われようにカチンと来て、すんなり姿を見せている辺りが、相変わらずに負けん気の強い精霊さんであることよ。同じ居間のダイニングに近い側のテーブル前。まさに"忽然"と、いつの間にという現れ方をしたゾロであり、わざと悪ぶってでもいるような…ご期待にお応えして"悪霊"ぶってみました風の態度を示しているものだから、
「貴様、人外の者だなっ。」
「まあな。」
このやりとりに一番最初に機転が回って…というか、唯一、両方へ事情が通じているからこそ、彼らの間での立場や感情の不整合とかいうものにもハッと気がついて、途端に慌てたのがルフィである。
「ちょっ…何を言い出すんだよ、ゾロっ! エースも、勘違いしないでっ。」
自分には慣れもあるし、何よりも"大好きな精霊"さんだが、初対面の兄にはそんな訳にはいくまい。こういう存在を理解してはいる人物だが、理解しているが故の…何というのか、これもまた一種の"偏見"とでも言うのだろうか。人外の者で、人に化けられるとあってはさぞかし腕も立つに違いない。そんな奴が大事な弟を丸め込んで何をする気だ…と、そんな風な誤解をしている兄だと、あっと言う間に気がついた。
「ゾロは違うんだ、なあ、エースっ!」
ソファーから立ち上がって、立ちはだかった兄の大きな背中に…ちょっと怯ひるむと、それでも脇へと大回りして横合いから腕を取る。だが兄は、自分には滅多に見せない厳しい顔付きのままでいて、こちらを向いてもくれなくて。
「ゾロも、何でそんな言い方すんだよ。」
誤解を招いてもしようがないような、挑発的な言い回し。ローテーブルを挟んだ向こうにいる緑髪の精霊へ、不審げとも不安げとも取れそうな声音で問いただす。そんな弟へ、
「ルフィ、どいてな。」
短い言葉をかけたエースは、そのまま…ルフィに掴まれた腕を、それは器用に軽く捌いて。素人目には一体何をどうしたのかも判らないアクションで、あっと言う間に元の位置、自分の背後へ匿うように押し込んでしまった。
「人の姿を真似られるとはな。こういう奴らは人を言いくるめたり惑わしたりするのが得意なんだ。お前は素直な子だからな。悪辣な術や何かで、幾らでも騙すことが出来るんだろうよ。」
もうすっかりと、頭から疑ってかかっている兄だと、ありありと判る。
「違うっ! エース、ゾロは悪い邪妖ものじゃないっ!」
行く手を遮っている兄の腕を何とか押しのけて、前へと出かかったルフィに気づいて、
「大人しくしてな、ルフィっ。」
「違うんだったらっ!!」
懸命に縋りつくのだが、体格が違う。腕力だって違うし、気負い立って攻勢に出かかっている者の気勢は、そのまま腕力や反射にも影響が出る。それはあっさりと兄自身の背後に押し込まれ、
「いいから。お前は黙ってな。」
怖がらせぬようにとギリギリ気を遣ってだろう、出来るだけ抑えた声で言い諭されて。それから、返す刃のような勢いで、
「聖の者か、それとも力のある邪の者か。俺たちには確かめようがないからな。こんな幼い子供を丸め込むのは、さぞかし簡単だったことだろうよ。」
ゾロへと言い放たれる声の鋭さが、そのまま自分に向けられているかのようにルフィにも痛い。自分が信じたものを否定される痛さと、それより何より、自分の声が、言葉が、兄に通じていない、届いていないというのが、胸の奥をひりひりとさせるほど辛い。
"………ゾロ。"
さっき、どこか悪びれたような言い方をして以降、悠然と腕を組んだまま何も言わない彼であるのも気になった。初対面の相手から…何も知らない相手から、いきなりこんなに腐されては頭に来ても仕方がない。兄が本当は気の良い優しい人だと知っているから、そして、ゾロが…兄が誤解しているような魔的な妖邪(あやかし)ではないと重々知っているからこそ、どちらへも歯痒くて喉の奥や胸が苦しくなる。
「聞いてっっ! エースっ! 聞いてってばっっ!!」
話を聞いてほしくって、とうとう悲鳴のような金切り声を上げるルフィであり、
「…ルフィ?」
さしものエースでも一瞬怯んだその隙を突いて。やっと腕を掻いくぐって前へと飛び出したルフィは、ほんの数歩分の間隙さえもどかしげに、飛びつくような勢いでゾロの上背のある体へ、胸元へとしがみつき、
「………。」
吐息をひとつ、震えながらの深呼吸のように細く細く吐き出すと、そこから肩越しに兄の方を振り返って、
「ゾロは、ゾロは怖いの一杯追い払ってくれてるんだっ!」
そんな風に言い放ったのである。
「…ルフィ?」
あまりに強い語調であったのと、自分を振り払い、選りにも選って怪しい邪妖へと助けを求めるようにしがみついたルフィだったことが、エースの度肝を抜いたらしい。どこか呆然としかかっている彼へ、
「エースには黙ってたけど。この頃、あのお札があっても関係なく、何かが一杯来るようになってたんだ。」
彼が窓の上へと指さしたのは、いつぞやにゾロが見つけてサンジに話したところの"魔物よけ"のお札だ。
「…それって。」
こんな言いようで理解が追いつく辺り、やはりあのお札とやら、この兄が取り寄せて貼ったものなのだろう。
「この頃って、いつからだ。」
気を取り直したか、そうと訊くエースへ、ルフィは唇を噛み締める。
「一昨年の暮れくらい…から。シャンクスが、父さんが家にいて、俺もこっちに呼び戻されて一緒にお正月したんだけど、何か一杯気配がして、姿も見えて。もうお札も効かないんだって判ったんだ。」
一昨年の暮れというと、この少年がまだ小学生だった頃だ。
「そんな前から、か? 何で連絡しなかった。」
その時、この兄は留学先に居て、遠く離れていたのだろう。ルフィは何とも答えぬままに視線を落とし、
「…俺、ウソップんチに預けられるのが嫌だって言い出したの、もう中学生になったからっていうのだけが理由じゃないんだ。そんな風な、何か怖いのがまとわりついてくるようになって。そんなのが、俺だけじゃなく、ウソップとかおばさんとかにも手を出すようになったらって思ったから。だから、一人で、ここで留守番出来るって、言い出したんだ。」
ただ"お元気"なばかりではない。気立てのいい、懐ろ深い、人を思いやることの出来る優しい子だ。そんなこんなに気がついて、一生懸命に考えて、それでそういう運びになるよう持っていったのだろうし、
"……………。"
ゾロとしてはもう一つ二つほど。気がついたことがある。
"そういう順番で"留守番暮らし"へと運んだんじゃあ、化けもんが出るとは言えないよな。"
以前に彼もまた、どうしてもっと本格的な札なり神様なりの力を借りないのかと、ルフィを問い詰めたことがあった。その時に彼が言った"来訪者たちを無下に突き放せないから"というのも理由ではあろうが、もう一つ、そういう騒ぎや苦衷を示せば、この兄貴が心配して、やはり一人暮らしはさせられない…ということになりかねないから、黙っていたのでもあろうと。そして…。
「でもっ! ゾロが全部追い払ってくれた。最初の後のそれからのずっとも。もう何も出ないのかって思い違いしたくらいに、俺が寝てる間にいちいち全部追い払ってくれてて…。だから、ゾロは悪いのじゃないから、大丈夫なんだ。」
何とも口下手で、そして誰より本人こそがそれを焦れったがっている。むずがり半分に、それでもきちんと説明しようと、しゃにむに言いつのる彼であり、
「………。」
そんな言葉を聞いた途端。
「…あ、ゾロっ!」
ふっとその姿を宙へと溶け込ませてしまった精霊殿だ。掴んでいたシャツの感触や本人の温みが、指の間から砂をこぼすように引き留めようもなく消えたのへ、突然のこととて驚いて振り返ったルフィだったが、間一髪遅かったようで。どんな顔をしていたのかも見ることが出来なかったのが、
"…ゾロ。"
ちょっぴり悲しい。こんな小さい自分に庇われたのが我慢出来なかったのだろうか。それとも、胡散臭いと思われながら我慢してまで居着く義理はないと思って、帰ってしまったのだろうか。
「……………。」
見るからにしょぼんと小さな肩を落として、何も残ってはいない両手を見下ろした後、背後の…やはり何もない空間や壁、夏の昼下がりの陽射しが目映い窓の方を所在無げに見やる弟へ、
「…そっか、分かったよ。」
エースは溜息をつくと苦笑し、こちらへゆっくり向き直った弟の肩を引き寄せて、そぉっと髪を撫でてやる。
「ごめんな。友達なんだな。さっきの。」
こんなにも悲しそうな顔をさせてしまったことへ、大反省している彼なのだろう。どんなに怖い目にあっても頑張って笑って見せていた愛しい子。そんな我慢強い彼を、こうまでも哀しげな、心細げで切なげな顔にしてしまったことを重々と悔いる兄であり、
「うん。凄い大事な友達。だから、嫌われたくないし、ずっと仲良しでいたいし…。」
ルフィとて、このエースが自分をどれほど心配しているのかはやはり重々判っている。自分の同い年の友達というものも積極的には作らずに、ずっとずっと傍に居てくれたし、いつもいつも気を配り目を配り、恐らくはルフィ本人が知らないところでも様々に、粉骨砕身、その身を削ってでもというくらい、弟を大事にしてこその手配り采配にばかり余念がなかった彼だと、後から思い知らされることが、それこそ一杯一杯あった。
"…でも。"
ゾロは違う。エースが至れり尽くせり、まるで温室の中に大切に守ってくれたのと違って、ゾロはルフィの子供っぽい我儘には動じず、付き合ってくれるという形以上には手を出して来ない。………いや、お遊びの許容内では散々に甘やかしているようだが、それとは別の、何かしら真面目な話をする時などに。(笑) エースと同じくらいの、いやホントはもっと年上の大人として、ちゃんと自立せよと監督してくれてるような、そういう構え方を忘れない。だからこそ、自分も頑張りさえすれば、いつかはそんなゾロと対等になれるかも知れないと、そんな風に思って頑張れる。
"怒ったんかな、ゾロ。"
何も言わず、あんな風に消えたのは初めてのこと。お前なんか知らないよと、突き放されたような気がして。ルフィは癒えぬまま収まらぬままの…胸の奥の小さな火傷のような疼痛にばかり心を取られ、気もそぞろなまま兄の手になぐさめられていたのだった。
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*さっそくに火花を散らすかと思いきや、
ゾロさん、挑発しただけで退場でございます。
第一ラウンドは、兄エースの勝ちということなのでしょうか?
それとも、仲裁に入ったルフィの一人勝ちかな?おいおい |