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黒くツヤの出た30センチくらいずつの鉄棒を繋いだ形の鎖が下がっていて、時折響くは"きぃ…っ"という小さな軋みの音。それをわざと聞きたいかのように、小さく小さくゆらゆらと前後に揺らしていたブランコがそっと止まって。溜息でもついたのか、小さな肩がますます小さく萎しぼんだその時だった。
「よお。」
此処はいつぞやの…彼らが初めて出会ったあの、小さな児童公園の奥。日中の暑さと、夕暮れ近い時間帯のせいだろう。遊ぶ子らの姿もなくて、がらんとした中。ベンチ代わりにブランコに座っていたルフィへと声をかけた者がいる。
「あ…えと。」
あれからも時々鉢合わせる機会は結構あって。顔は覚えていたが、そう言えば。面と向かって言葉を交わすのは初めてな二人であり、ルフィは自分のこめかみを人差し指の先で押さえながら"えっとえっと"と幼い仕草を見せながらも一生懸命記憶の中を爪繰って。やっと"ポンっ"と手を叩くと、
「サンチョ。」
「…サンジだよ。」
誰がメキシコのポンチョかぶったオジさんみたいなんだよとか、訳の分からんブツブツを呟く、どこかスタイリッシュな精霊さんであり、
「そうだ、サンジだ。ごめんな。俺、間違えちゃった。」
恐らくはゾロから聞いていたらしい名前を今度こそ正確に思い出したらしい。…とはいえど、
「おいおい、呼び捨てかよ。」
単なる見かけだけ取っても社会人と少年。それを呼び捨てというのは、成程、少々けしからぬ事。ましてや、この男、あのゾロと同じく、常人以上の生を歩んで来ている身だ。十分過ぎるほどに"目上"である。けれど、
「だってゾロが言ってたよ? 自分もだけど、奴にも"さん付け"する必要はないって。単に年食ってるってだけで、何かしら偉いって訳じゃなしって。」
ルフィの言は悪びれるでないあっさりとしたもの。あんの野郎が…と忌ま忌ましげに口の中で呟いたものの、目の前にいるこの小さな少年本人には罪はない。肩をすとんと落とすと、
「ま、そうだな。堅苦しく構えられてもな。」
彼とても特にこだわりはないらしい。端正な顔を"にっ"と悪戯っぽく綻(ほころ)ばせて、だが、
「どうしたよ。浮かない顔して。」
あらためて訊かれると、
「うん…。」
途端にルフィはどこか戸惑ったような顔になる。そんな少年へくすんと笑い、
「安心しな。今はわざと姿を見せてる。妙な独り言を言ってるようには見えてねぇからよ。」
ゾロと違って細かく気のつく彼であり、そんな心遣いをしてくれたことへルフィはやっと"くすっ"と小さく微笑って見せた。
「やさしいんだ。」
「まあな。小さいもんには基本的に優しいんだ、俺。」
どこかふざけてでもいるかのような言い方だったが、そうやって軽く言って貰えて、尚のこと気が休まった。社交の術に長けているというのか、人懐っこい訳ではないが人当たりを心得ているというのか。恐らくはゾロよりずっと融通というものを理解把握している彼なのだろう。ブランコに腰掛けたルフィを、ポケットに両手を突っ込んだ格好で立ったままで見下ろして。…だが。
「………。」
じっと黙りこくる少年に、急くでなくサンジもまたじっと黙っていて。根気よく付き合ってくれている彼だというのが、何かしら励ましになったような気がして心が解(ほぐ)される。懐ろの中に取り込まれたような、優しい温かな気持ち。そんなにも"さあ、おいで"と構えられているのだなというのが伝わって来て、
「………あの、あのね。」
ちょろっと。話すだけ話してみようかなと、ルフィの口が動き始めた。思えばこの彼は、当事者たち以外で唯一、自分たちのややこしい立場ごと"事情"をよくよく知る人だ。ゾロと同様に不思議な世界からの来訪者であり、自分とゾロの馴れ初めにも居合わせた。だから、ゾロの正体は勿論のこと、少年の側の事情だとかゾロが自分の傍らに居ることの、その始まりからの詳細をくどくどと並べなくとも話の通じる相手である。どうしてくれとかどうしようとか、相談するかどうかはともかく、話すだけ話してみようと、そう思って訥々と語り始めたルフィである。ところどころで閊つかえたり、言い回しが思いつけなくて"えっとえっと"と、言葉の回りをグルグルと先走る気持ちが駆け回ってしまう彼に、やはり根気よく付き合ってくれて、
「…へえ。それじゃあお前の兄ちゃんてのも"能力者"なのか?」
何とか事情を把握してくれたサンジは、感慨深げな声でそうと訊く。もしかして彼の家の血統のようなものなのかもと感じたらしいが、ルフィは小さくかぶりを振った。
「元々はそんなでもなかったらしいんだけどね。俺の傍にいて色々と不思議なことに接する経験を一杯したから。怖がってわんわん泣いたりする俺が、何を見てるのかって一生懸命判ろうとしてくれたのが祟って、感じ取る感覚も鋭くなってるんだって。」
それもまた"自分のせい"なのだと、大好きな兄のせいではないのだと、庇うようにも聞こえる言いようをし、
「兄ちゃんが…エースが言うことの理屈も分かるんだ。聖の者か、それとも力のある邪の者か。自分たちには確かめようがないからっていうのはさ。」
「…ふぅん。」
成程ねぇと、サンジは相槌半分な溜息をこぼす。現実的で、しかも筋の通ったご意見だ。それが"自分たち"のことを言っているのでないならば、一も二もなく"そりゃそうだろう"と深々とした相槌を打っているところだ。
「エースはさ、ずっと俺を守ってくれてた。今だって…弓道始めたのも、他の武道にしても、精神統一だとかが形の無い"邪"を払うことに通じるからって手をつけたんだ。」
邪妖そのものからも、奇異の目で見やる周囲の人々からも、そして、それらの圧迫から挫けそうになるルフィ自身の心の闇からも。可愛い弟だからと、二人っきりの兄弟だからと、ただただ守ってやらねばと構えてくれていた、やさしくて強い兄。………そして。
「でも。だからって、ゾロのこと、悪いものだって決めつけて酷く言われると凄く悲しいんだ。だって、俺、ゾロのこと好きだもん。」
語尾がかすかに掠れかかり、
「ゾロって…誰か偉い人から言われて俺に付いてるんじゃないよね?」
不意にそんな風に訊かれて。サンジはこくりと頷首する。
「ああ、そういう順番じゃあない。」
偶然出会って、自分自身の耳目でお互いを知って。その上で、ゾロが自分から彼の傍らに居るのだ。天使長ナミからのお達しは、言わば後から付いて来た"許可"のようなものだろう。サンジの返事に、だが、ルフィはさほどの喜色は見せず、
「助けてくれたからとか強いからとか、そういうのじゃなくて。優しいし、何か、辛抱してまで我儘とか子供っぽいこととかにも付き合ってくれるし。」
そんな言い方をするものだから。彼の言いように、
"……………。"
呆れたのではなく、必死で笑い出しそうになるのをこらえているサンジだったりする。
"だ、誰が辛抱してまでだって?"
喜んで、だってば、ねぇ? そんなこちらの心情など知る由もない少年は、訥々としていた中に少しばかり熱の加わってきた口調で、言葉を紡ぎ続けた。
「ゾロは俺みたいな子供にちゃんと付き合ってくれるし、昼間は眠いだろうにいっぱい相手もしてくれる。こんな小さいのに可哀想だって、怖かったろうって言ってくれたし、そいで、これからもずっと守ってやるって言ってくれたし…。」
ルフィの視線が膝へと落ちて、
「俺、そんな言われたの初めてだったから。…凄い嬉しかったんだ。」
言われるまで全然気づかなかった訳ではない。必死で我慢していたこと。でも、誰にも言えなかったこと。なのに、逢って間もない筈のゾロは…邪妖に気がついたのは、彼が言うところの"関係者"だったから論外へ置くとして、ルフィの押し隠していた心情にまであっさりと眸が届いて読み取ってくれた。そういったことは彼の能力の範疇外な筈なのに。あんなにぶっきらぼうで素っ気ない彼が、ぎゅうっと自分のこと抱き締めて、
『ホントは怖かったろうに。』
響きのいい低い声でそう言ってくれた。
『もう良いからな。俺がいる。お前に出来ないなら、これは俺の役目だからさ。』
大きな手で髪を撫でてくれた。
『一人で泣くのは泣いた内に入らんのだ。』
闇の中でもそれはそれは綺麗だった、翡翠の眸で見つめてくれたから。それがとっても胸に滲みて、あの後、涙がなかなか止まらなかった。本当はとっても優しいのに、それでは示しがつかないのか日頃は恐持てぶってる、背が高くて大きな、とっても強くてピアスの似合う、緑の髪と眸の大好きな破邪の精霊。思うだけで泣きたくなっちゃうほど、切ないくらい大好きで大事なお友達。
"………お友達、ねぇ。"
らしいですよ、はい。
"そう思われてんだなぁ。"
可愛らしい告白を聞いた聖封の精霊さんとしては…何とも言えぬ、感慨深げな顔つきになった。
"あいつの方はもう一歩ほど踏み込んで、誰でも良いのではなく自分こそが守ってやらねばって、そうまで…愛惜しいってところまで想っているようなんだがな。"
サンジがそんな風に推測している"ゾロの側の想い"とやらも、実のところは当人だけが制御管理し得るところの持ち物なだけに、単なる憶測に過ぎない感触ではあるが、
"当たらずしも遠からじ…だと思うぜ?"
うん。筆者もそう思う。(笑) とはいえ、蚊帳の外の人間が言えることや出来ることには限りがある。
「結局はお前自身が決めることだぜ?」
サンジはどこか和んだ眼差しのまま、ルフィへとそんな声をかけていた。
「? 何を?」
こちらへと向けて視線が上げられたお顔の中。潤みかけてた眸の縁を、撓やかな白い指先でそっと拭ってやりながら、
「誰の言うことを一番に尊重してやるのかとか、誰をどう説得するのかってことだよ。」
「…うん。」
そこはやはり"大人"のご意見。どうしようって困っているばかりでは事態は進まないからと、中途半端な助言や気休めの慰めではなく、すっぱり"核心"を突いてくるところは、何だか対等な相手への扱いのようで。とはいえ。容赦がないようにも聞こえるけれど、その眼差しはやさしくこちらへと注がれていて。それがこの金の髪をした精霊からの励ましのように思えたルフィは、あらためて顔を上げて見せると、
「判った。よっく考えて二人とも説得する。」
しっかりとした声で、そんな風に言い切った。
「だって、やっぱり二人とも大好きで大切だもの。それに、」
言葉を区切った彼に気づいて、サンジが"んん?"と小首を傾げて見せると、
「俺、実は物凄げぇ欲張りなんだ。だから、二人ともでなきゃイヤだ。」
にっこり笑ってのこの発言へは、サンジも堪らず"くつくつ…"と笑って見せる。
「そりゃあ良いや。」
過剰に心配せずとも大丈夫。人を思いやるばかりの"優柔不断"な子ではなく、芯はしっかり強い子だ。二人して"くすくす"と笑い合い、こちらでも何だか妙な友情が成立した模様。ややこしい憂鬱には鳧がついて、
「ところで、お前、お兄さんを名前で呼んでるのか?」
「? うん。シャンクスのことも…直接には"お父さん"って呼ばないよ。」
あ、やっぱり"シャンクス"って呼んでたの、お父さんのことだったのね。屈託なく答えたルフィだったが、
「日本人なのにか?」
これはちょっと意外。そう思ったらしいサンジへ、
「俺んち、俺が小学校に上がる寸前くらいまではノルウェーの方にいたんだ。シャンクスの乗ってた船の関係で。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
でも、英語は苦手なのね。
「だって、物凄く小さい頃のことだし、家ん中では日本語使ってたし。日本に来てからは日本語を覚えるのに大変で…って、あんた誰だ?」
あ、いやいや、どもども。失礼しましたぁ。
「???」
「あー、気にしない方がいいぞ。何ならゾロに浄封滅してもらえ。」
「魔物なの?」
「似たようなもんだ。」
おいおい。(笑)
「あんたはともかく…陰ん中に何か居るな。」
「………え?」
ええっ? あ、ややこしいので筆者は去りますが、
「………。」
サンジがそのアイスブルーの瞳で睨みつけているのは、まだ陽は高くとも黄昏色が滲み始めている夕暮れ時の空気の中、ブランコに座った少年の足元から伸びている、小さな黒い陰の頭の部分である。
「サ…。」
「いい子だからじっとしてな。」
声を掛けようとしたルフィの、ブランコの鎖をつかんだ小さな手に自分の白い手を添えて、言葉を遮ったサンジであり、
「ここに結界を張る。俺の使徒にあいつを呼びに行かせるから、それまでちょいと我慢しててくれな?」
先程までとは打って変わって、きりりと冴えて冷たく鋭い表情になった彼は、だが、重ねた手のひらを柔らかく握って、少年へ"大丈夫だよ"という優しい励ましの思いをそっと伝えてくれたのだった。
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*単なる争奪戦では終わらないようです。
このややこしい時に、厄介な乱入者が出たようで。
あ、いえいえ、サンジさんのことではありませんよ? はい。(笑) |