月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜晩夏黄昏 D


          




 いきなり衝突というなかなかハードな初対面となってしまいはしたものの、可愛い弟がああまで庇ったものを容
れてやらない訳にはいかず。今にも泣き出しそうなほどしょげていた彼を前に、一応は"判ったよ"と引いたものの、
"…………。"
 ルフィ本人が憂慮したその通り、そう簡単には心からの納得に至った訳ではない。それから程なく、当番とやらで、学校の花壇の水やりにと出掛けなければならなくなって。ルフィはどこか後ろ髪引かれるという顔のままながらも、やむなく家から出掛けて行った。それを笑顔で見送って、戻って来た居間の真ん中に立ち、


   「………おい。」


 ややあって宙へと声をかけるエースであり、
「居るんだろ? 出て来いよ。」
 先程そうだったほどの挑発的で鋭い語調ではないものの、低く重い声に変わりはない。それへと、

   「お前も感知の能力を持っているのか?」

 どこからか応じる声があり、
「あの子ほどじゃあないさ。ただ、どういう関わりなのかは未だに判らんが、ああまできっちり姿を見せたものが、そう簡単に離れるとも思えなかったからな。」
 感応で気配を拾ったのではなく理詰めだと断じて、さしてあちこちを見回しもしないエースの横手。丁度、廊下へと出る戸口の脇辺りの壁へと凭れつつ、腕を胸高に組んだ格好で、先程噛みついた相手の姿が空気中から滲み出して来た。黒づくめの長袖長ズボンという、どうかすると芝居がかってさえ見えるいかにもな装束に、緑色の髪を短く刈った若い男で、自分と同じくらいに体格も良く、よほど強靭な自負・自信に支えられているそれなのだろう、いかにも尊大そうな、どこか太々しい態度でいる男。………だが。
"………。"
 そうでありながらも、その鋭角的な面差しに浮かべた表情や態度、雰囲気の中に、凛と冴えて毅然とした何かがある。真っ直ぐにこちらを見やるは、印象的なまでに鋭い龍眼の眸。そして、そこへとたたえられた光からは、何にも恥じない自分というものを誇っているのだろう強い意志が滲み出す。日々克己に励む真っ当な武芸者の、真摯な姿勢が孕む気色にも通じる、鋭く冴えて清冽な緊張感。彼を怪しんでいるエースにしてみればちょっと意外な、そんな気配を帯びた彼が、おもむろに口を開いた。
「全てを信じた訳じゃあなさそうだな、お前。」
 深みのある、響きのいい声だ。言葉の滑舌もよくて、
「まあな。あの子の言葉に嘘がないのは信じるが、お前は"人外"の胡散臭い存在には違いない。それをどうして、言葉書きのみであっさりと信じることが出来る?」
 エースは相手の視線を真っ向から受けて立ちつつ、そうときっぱり言い切った。
「ルフィの言いようから判るのは、ただ単に小者を追い払えるだけの大きな力のある者だってことだけで、その本性が聖か邪か、心根がどうだかまでは俺たちには測る術がないのだからな。」
 本来ならば…礼儀として、若しくは鷹揚さとしての婉曲な言いようも出来る、年齢相応、いや、それ以上の人性であるのだろうに。明け透けな攻勢の物言いに、よほど弟が可愛いのだろうなというのが良く良く判る。それこそ我を忘れてまで、あのあどけない少年を庇い守ろうとしているからこそのこの言動だろうと。
"………。"
 そうと飲めば、彼も自分もいっそ同類項かも知れずで。そんな感慨を得たことへとゾロは苦笑し、
「それで普通だよ。あいつの無防備さの方が問題だ。」
 ふと…彼の弟の無邪気な笑顔でも思い出したか、どこか和んだ眸をして見せた。
「あれほどの力を持っていながら、怖い目にだって遭っていながら、悪いものが集まって来ても手を打とうとしない。」
 あの晩。何かしらの邪妖
(あやかし)に襲われていたルフィを救ってやってから、だが、ゾロは少年を叱咤した。自分の不甲斐なさもあってのことながらだが、彼ほどにそういうものへの感知力があるのなら、どんな方法が、どんな神とやらが効くのかだって判る筈。何だったら武道を齧って持ち得る力を強く外へ放つ術を覚えてもいい。それで精神力を研ぎ澄まし、強い意志という結界を張れば間違いなく安全だのに。
「全くの"来る者、拒まず"なんだからな。」
 だから…その危なっかしいところへとこの兄がやきもきするのも、判らんではないゾロであるらしい。そんな言いようへ、兄上はくすんと小さく笑い、
「ああ、それは仕方がない。やさしい子だからな。繊細で至れり尽くせりっていう優しさとは意味合いが大きく違うが、困ってる奴を放っとけないお人よしで、しかもひどく要領が悪い。」
「成程な。」
 心当たりがあり過ぎて、ゾロもついつい苦笑する。のっけに目撃したのが"そういうの"だった。それに、
"…気づいてやがったか。"
 あれ以来も、やはり少年へと寄ってくる陰の者はなかなか後を絶たない。それを片っ端から、退魔封殺、外道浄滅と追い払いまくっているゾロではあるが、その事実、本人には一言も伝えていない。だから、あんな目に遭う機会が何だか減ったなと感じているくらいで、払っているということまでは気がついていないと思っていたのだが。

  『ゾロが全部追い払ってくれた。最初の後のそれからのずっとも。
   もう何も出ないのかって思い違いしたくらいに、
   俺が寝てる間にいちいち全部追い払ってくれてて…。』

 彼の側でもちゃんと気づいていたらしく、しかも、気づいていたことをゾロに悟られぬように構えていたらしいと判って、
"そういうところへも敏感ってか。"
 何とも複雑な気分になった破邪殿である。見た目の無邪気な振る舞いと裏腹、意外なところで結構繊細な子だ。器用でドライで卒
そつがない…というような、要領の良い子ではないだけに、そんなにも一杯抱えて抱えて、あとあと負担にならねば良いのだが。そんなこんなと考えているゾロに気づいているやらいないやら、

  「…あんたが悪意のある存在じゃないっていうのは信じても良いのかもな。」

 ふと。兄上はそんなことを口にした。意外な声にそちらを見やれば、ぽそんと腰掛けたソファーに身を深く凭れかけさせて、溜息を一つ。
「正直言って、この家にほとんど一人で居る、いや、居られるようになったルフィってのに、ここんとこ落ち着かなくなっててな。」
 先程広げた山ほどのお土産の、片付け損ねたものだろう。キーホルダーか何かの入った、小さな紙包みを手に取って眺めながら、そんなことを話し始める。
「あれほど懐いているのなら、あの子から直接聞いているとは思うがな。ルフィがここで半ば一人暮らしを始めたのはこの春からだ。見ての通り、さして器用な子でもないからな。親父が長い航海に出るたびに、それまでも預けられてた知り合いの家へ、引き続きご厄介になってたんだが…。」
 先程ルフィ自身が言っていたように"もう大丈夫だから"と本人が言い張っての、お留守番生活が始まった、と、いうことならしくて。
「先月中に親父も既
とうに次の航海に出た筈なのに、逗留先へ電話1本かけて来ない。用事なんてなくても毎日引っ切りなしにかけて来てたのが、だぜ? それで、こっちのあれやこれやを超特急で片付けて来てみれば、お前みたいのが居るじゃないか。ほらやっぱり、こいつには俺が付いててやんなきゃダメなんだって、そうと思いたがってる自分に気が付いて。」
 ここで初めてやわらかく"くすん"と笑って見せ、
「それでちょっとムキになっちまったって訳だ。」
 目許を細めた、気さくそうな笑みをそのままこちらへと向けてくるものだから、
"…さすがはあのお天気坊やの兄貴だな。"
 自分もまた"子離れ"ならぬ"弟離れ"が出来てはいなかったらしいと、自らの非は非としてしっかり認めるところがなかなか天晴な心掛け。
「あの子を助けてくれたってな。それには礼を言うよ。ありがとうな。」
 心細かったろう時に、自分が傍にいてやれなかったのは事実。そして、一応は強い感知の能力がある弟が、怯えるどころかああまで手放しで懐いていたのも、この、霊的な存在の彼とそれなりの…友情なり絆なりがあればこそだろうというのが判らないではない。頭から"丸め込まれているのだろう"と一方的に決めつけたのは、この彼だけでなく弟の価値観や気持ちまでもを傷つけたことになる。今ならちゃんと、こんな風に素直に断じることの出来る本来の判断力がああまで歪むほど、不安だったのは実は自分の方だったのだと、そういったところにまで気がついた辺り、やっと落ち着いた彼であるらしく、
「そんな風に出られるとやりにくいな。」
 一気に友好的な顔をされては面食らうとでも言いたいのか、ゾロの方でも穏やかな声を出す。
「…?」
 小首を傾げるエースへと、渋い表情でにやっと笑って、
「いっそ噛みついてくれた方が闘志も湧く。出てけって怒鳴られたなら意地でも出ていかねぇが、今あんたが"あの坊主をこれからもよろしくな"なんて、しんみりと言い出したら、」
「…言い出したら?」
 その先を促され、


   「それを受けて、あいつを連れてどっかへ高飛びしかねねぇ。」

   「………☆」


 こらこら、そうじゃないだろう。付き合いよく頬杖から顎をかくりと落として、コケかけて見せてくれたエースへ笑いかけ、
「冗談はともかく。
(まったくだ) 俺の本性とやらは、ただ信じてもらうしかないんでね。あんたたちの側から確かめようがないのと同じように、こっちからだって証明のしようがない。妙な言い方だが、人性や行いを見て判断してもらうしかないんだよ。」
 どさくさ紛れに…さりげなく"大切な坊ちゃんと駆け落ちするぞ"と脅迫するよな、とんでもない奴を信用しろってか?
(笑) そんな言いようへ"くくっ"と笑い、
「おもしろい奴だな、あんた。あ、えっと…。」
 さっき弟が呼んでいた名前を、だが、思い出せないエースへ、
「ゾロだ。」
 精霊殿自らが改めて名乗った。それを受けて、
「ゾロ、か。俺はエース。喧嘩を売っといて図々しいかも知れないが、今からでも付き合いを頼んでいいかな? 勿論、弟込みで、だ。」
 屈託のない笑顔つきの、真っ正面からの正攻法。こう出られると不思議なもので、こちらもそういつまでも斜(はす)に構えてはいられない。そうと持ってゆくことの出来るあっけらかんとしたところは、ルフィの傍若無人な懐き方とどこか似ていて、
"外見はともかくも、どこまでもそっくりな兄弟だよな…。"
 血は争えないというところかと、内心で苦笑をしつつ、
「ああ。こっちこそよろしくな。」
 ご挨拶を返した破邪精霊さんだ。先程は目の前に、奪い合う…もとえ、それぞれなりの想いから守ろう庇おうとしていた対象がいたものだから、少々大人げなくもムキになり、熱くなってしまったが。冷静になってようよう見つめれば、また、それなりの言葉を交わし合えば。相手の気概や性分のほど、見通せるだけの力もある彼と彼なのだから、もっと早くに判り合えもしたかも知れずで。逆に言えば、それだけの許容がある筈の彼らから、持ち前の落ち着きや余裕を失くさせたのが、あの、幼くて無邪気な少年だったということになる。………ホント、恋の力って怖いのねぇ。

  "…おいおい。"×2 
(笑)

 気を揃えて筆者に"突っ込み"を入れたところで、完全に仲直りが出来た模様。ところが、
「…っっ!」
「な…っ!!」
 そこへ突然、闖入して来たものがある。開け放たれた大窓の外からぽーんと、まるで柔らかなソフトボールのような何かが室内へと飛び込んで来て。重力に関わりを持たぬかのように、居間の中ほど、高さも中ほどという、いかにも不自然な宙空でぷかりと浮かんで止まったのを確認した途端に、

   《ゾロっ! 急いで柿ノ木公園まで来いっ!》

 誰の姿もないというのに不自然なまでのくっきりした声質での、そんな大声がしてから弾けて消えたものだから。
「…なっ。」
 エースが身構えてソファーから立ち上がりかけたのへ、だが、
「ああ、驚かなくてもいい。」
 名指しをされたゾロ本人は悠然としたもの。居間から庭へと出られる大窓へ歩み寄り、庭のあちこちをキョロキョロ見回して、
「出て来な。判ってるんだぜ? チョッパーとかいったな。サンジが呼んでんのか?」
 そんな声をかけて見せる。………ははぁ〜ん。さては、ゾロの正体を知ったんで、ちょこっと怖くなったな。(笑)
「ち、違うもんっ!」
 MCへとムキになって答えたところ、
「だったら早く返事をせんか。」
 こっそりと隠れていた紫陽花の茂み。その頭の上からの、ご本人の声にぎょっとして、
「あわわ…っ!」
 ぴょ〜んと飛び上がったそのまま宙へ姿を消しにかかる。それに気づいたゾロが、
「あ、こらこら。逃げる前に………。」
 も少し詳細をと引き留めかかったが、そもそも逃げる準備をしていたのだろう"ピンポンダッシュ方式"な伝言の届け方でもあって。角や蹄といった特徴を可愛らしくデフォルメされた、愛らしいぬいぐるみのまんまなような姿の小さなトナカイくんは、
「俺は何にも知らないよぉっ。」
 あっと言う間に、文字通り、雲を霞と逃げてしまったから…その逃げ足の速いこと。あれほど偉そうだったくせに、妙なところで怖がりやがってと、ちっと舌打ちをこぼしたゾロへ、
「柿ノ木公園なら俺が知ってる。」
 そんなお声が背後からかかった。振り返ると、エースが軒先から真摯な顔つきで頷いている。
「表通りはともかく、ここいらは俺のガキの頃からさして変わってないもんでな。柿ノ木公園ってのは、ここから西へ行った一番近い児童公園のことだ。」
「あ…。」
 そんな短い説明で、ゾロにもそれがどこなのかがすぐさま判ったらしい。
「けど…。」
 さっきの物怪はサンジの使い魔だ。それがまたなんで自分を呼びに来たのだろうか。しかもあの命令口調な言い草だ。あれだけ怯えていたのだからして、本人の言い回しではなかろう。きっとゾロの格や評判のようなものを後から知って、それで怖がっていたに違いなく、となると、
"サンジの言ったそのままを伝えたってことだ。"
 だとして、何故本人が来ないのだろうか。てくてくと歩く必要はない身だ。そして、そういう身の上であればこそ、自分たちの間でのある種の"本人証明"とでも言うのだろうか、何かしらの約束事だとかはわざわざ作っていない。先程のこの兄上の言いようではないが、間違いなく本人の言であるという証明が難しいため、実は伝言というのはあまり信用しない彼らでもある。どこをどう辿って来たものなのかがはっきりしないものは、彼らの職業柄、逆襲を構えた邪妖による罠である可能性も大きにあるからで。
「どうした?」
 庭先で不意に黙りこくったゾロに、エースが怪訝そうな顔をする。無頼というのか自負の塊りというのか、躊躇・狼狽といった言葉には無縁な男に見えたものが、打って変わって、何故こんなに深慮に固まってためらっているのかと不思議に感じ、
「誰かに呼ばれたんだろう?」
「ああ…。」
 問われて見やったエースの、少しばかり小首を傾げているその仕草に。誰かの同じ仕草がふわりと重なった。


   『ゾロって"活け作り"じゃないのか?』
(…選りにも選ってこん時のかい/笑)

   「…あっ!」


 やっとのこと、頭の奥深くから鋭く飛び出して来た"合点"があって、

   「ルフィっ!」

 …がどうしたのかも説明せぬまま、あっと言う間にその姿を宙へと掻き消した精霊殿である。そして、
「ルフィがどうかしたのか?」
 いくら反射神経に優れていても、これを引き留めるのは容易ならざる事。後に残された兄上が眉を寄せたのも一時、
「…場所は判っているんだし。」
 呟きながらの歩調がすぐさま駆け足になり変わり、そのまま玄関の方へと走り出していた彼だった。

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 *案外とあっさり仲良くなってるみたいですが、
  それとこれとは違うって部分も勿論あるんだろうなぁ。
  まだ子供なんだし自覚も無いみたいだから、手ぇ出したら許さんとかさ。
(笑)
  いえ、はい。それどころじゃないんでしたっけね。