月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜晩夏黄昏 E


          




 陽の長い夏のことだとて、そろそろ夕暮れ間近い時間帯。外気に満ちた蒸し暑い温気の中にも、頂点を過ぎた陽射しの、心なしか威勢の弱まった陰りや気配が何となく。そんな温気を切り裂くように、

   「哈っっ!」

 人世界のそっちの世界の専門用語で言えば

   《臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前》

という"九字"に当たるような"印"というやつであろう。封印にまつわる咒を唱えながら、ゆるく握りかけた拳の先。ぴんと伸ばして揃えた人差し指と中指で、宙を素早く、縦・横・斜め…と、ざくざく切り裂くようにして特殊な結界を張ったサンジであり、
「…あ。」
 淡く光ったそのシールドの中に守られていながら、それでもう見える筈はない陰の存在に、そうでありながらも気がついたらしい。ルフィが小さな声を上げてブランコから立ち上がり、小さな手が…思わずのことだろう、きゅうっとサンジの着ているダークスーツの前合わせ辺りにしがみつく。地面から不意に沸き立ったのは、粘着力の強そうな泥水のような何か。それが"ぬばぁっ"と、子供たちの遊具である滑り台ほどの大きさにまで盛り上がり、この辺り一帯を泥の沼かと錯覚させるような動きで、あっちへこっちへ波打つように"のったりのたり…"と動き回っているのである。行きつ戻りつしている様が、何かを探しているかのような動きなのはすぐに知れて、
「あれって? …俺を探してるの?」
 自分が強力な結界に取り込まれたから。その気配を断たれたから、業を煮やしてこんな間近にまでわざわざ出て来たのかと、そう訊く彼へ、
「さあな。気になるもんがあって…ってだけのことだろさ。」
 曖昧な言い方をしつつも、その肩に手をやって軽く引き寄せてやる。わざわざ気味の悪いものを見なさんなと、顔を胸元へと隠してやるように抱え込み、
"可哀想にな。"
 ついのことながら胸中で溜息がこぼれた。知らなくていいことなのに。他にも山のように居る、彼と同じような年頃のごくごく平凡な人々には一切見えないもの、関わる機会さえないものなのに。どうしてこの彼にだけ…と、それがまるで我がことのように苛立たしくて口惜しい。あんな異様な化け物に付け狙われて気分の良い筈がないだろうに、一体どうして…と、素人のような"疑問"さえ沸くほどだ。………だが、今の今、しかもこの"自分"が、そんな"現状への駄々"を捏ねていても始まらない。Tシャツ越しの小さな背中。腕を回してくるみ込み、
「俺から離れるなよ? じきにゾロが来るからな。」
 くっきりとした声でのサンジからの言葉に、
「…うん。」
 見下ろした黒髪が………頷きはしたものの、
「………。」
 そのまま力なく俯いてしまった。
「? どうした? そんなに怖いか?」
 しいては…自分が張ったこの結界、そんなに信用されていないのかなと、怪訝そうな顔をするサンジへ、
「…違うんだ。」
 ルフィは力なくかぶりを振って見せる。そして、

   「ゾロ、来てくれないかも知れないって思って…。」

 俯いたまま小さな声で呟くから、
"おっと…。"
 そういや、あの破邪の精霊殿。この少年がすがっていた小さな手からさえ逃れるように、唐突に姿を消すという"問答無用"な退場の仕方を見せたらしくて、
「…俺、ゾロのこと怒らせたんだ。」
 やっと浮上していた少年の気色が、それを思い出してか心細げに打ち沈む。
「守ってもらってるくせに、庇おうとなんてして見せたから。だから、ゾロ、怒ったのかも知れない。」
 何も言わず、制止の声にも反応せず、スウ…っと幻みたいに掻き消えたゾロ。何だか、敢然と背中を向けられて"お前なんか知らないよ"と突き放されたような気がして…兄からの不理解よりもずっと胸に痛かった。そして、
「………。」
 思えば、彼の傷心の一番の原因はゾロがそんな態度を取ったという点だろうと、サンジにも察しはついていた。ゾロが彼の兄上と衝突したとして、激しい言い争いだの掴み合いの喧嘩だのになっていたなら、直接引き剥がすなり説得するなりで忙しく、こんなところで人知れず落ち込んでいたりはしない筈だ。話を聞いてくれとばかり、立派に"参戦"していたかも。
こらこら そんな消え方をするほどゾロがヘソを曲げてしまったのは自分のせいだと、少年にそうと感じさせるには十分な、それはそれは判りやすい態度であったから。兄との衝突の原因でもあるそんな自分を責めるように、こんな場所でこっそりと、力なくしょげていた彼だったのだろうに。
"…ふむ。"
 それだから…そんな上へ無理強いするみたいで嫌だとばかり、せっかく教えられた"真
まことの名前"を口に出来ない彼なのだなとの納得を得て。
「…大丈夫。」
 項垂れた頭や細い首を力なく支えている小さな肩に手をやって、あらためての声をかけてやるサンジだ。
「あいつはそうまでチンケなプライドを振り回すような安っぽい奴じゃない。ちゃんと来てくれるから安心してな。」
 胸元へと抱え込んだそのまま、そっと仰向かせるように、柔らかい質の黒髪を頭の上から裾へ向けてわしわしと梳き降ろしてやる。彼が言うような"庇われたことへカチンと来た"なんてな小さいことが原因で臍を曲げたゾロだとは到底思えない。ルフィからすれば、それもまたある意味で"馬鹿にされた"だとか"頼りにされていない"という解釈につながるのかもと、それで怒ったゾロなんだと感じたのかも知れないが、そうではないことくらい、それこそ伊達に長く人と付き合って来た自分たちではなし、わざわざ言われなくとも察しくらいはつく。
"ずぼらな奴だからな。大方、ごちゃごちゃ揉めたり、それへと筋道立てて説得したりするのに付き合うのが面倒だと思って、好きに解釈すりゃあ良いさって構えて、事態を投げて退散しただけだろうに。"
 おおお。さすがは相方で、ゾロの気性のようなものは、きっちり把握なさってらっしゃるらしい。
「心配しなくとも来る。」
 伸びやかで甘い癖のある、やさしい声音での励ましへ、
「でも…。」
 仰ぐように見上げて来たお顔の真ん中、少年の大きな瞳が…まだどこか不安げに脇へと逸れかかる。それへと向けて、サンジは駄目押しの一言を告げてやった。


   「何だったら俺の一番大事なものを賭けたって良いぜ?」

   「………え?」


 何ですて?
「命より大切で門外不出。俺にとっては実家のジジイの大家宝以上の代物だ。もしもゾロの奴が来なけりゃあ、こんなとこからはとっとと逃げ出してから、それをお前にやる。勿体ないが仕方がないさ。」
 あの〜、もしもし? いやに自信満々、それがいかに素晴らしいものであるかを伺わせるような、場違いなくらいににこやかな表情をするサンジなものだから、

   「………?」

 筆者同様、話の成り行きの急な方向転換について行きかねて、何が何だか…とキョトンとしているルフィのお顔を再び覗き込み、
「判るな? 奴は必ず来る。信じな。」
 何だか妙な自信の示し方ではあったが、にんまりと笑って見せる顔付きがあまりにも余裕の笑顔であったものだから、
「…うん。」
 ついついつられて"にひゃっ"と微笑ったルフィは、
「信じる。」
 それは綺麗に透き通った水色の瞳に向かって、そのままくっきりと頷いて見せ。聖封精霊の懐ろへぱふっと柔らかな頬を押しつけた。
"ゾロは絶対に来る。絶対っ!"
 ………妙なチームワークがあったもんである。



            ◇



 一度でも足を運んだり実際に行ってみた場所ならイメージを思い浮かべるだけで確実に、その場所への関わりがあるものや人の残留思念を後辿りする方法でもかなりの至近へと、一瞬でフライト出来る精霊さんは、チョッパーが運んで来た伝言の"柿ノ木公園"がどういう場所かを、エースの一言であっさりと思い出せていた。ここから一番近い児童公園。それはすなわち、自分とルフィとが初めて出会ったあの公園のことだと。

   「…っ!」

 フェンスの手前まで辿り着いた途端に押し寄せて来たのは、ただならぬ邪妖の気配。前作で天使長が感嘆していたことだが、どうやら感知や護壁能力も少しは高まっているようで、
「あれは…。」
 つつじの茂みの向こう、人影はない敷地の内に、よくよく覚えのある結界の存在と、それの外側、大きな何かがズルズルと這いずる気配がある。中へと入りかけて、だが、
「………お。」
 誰かが駈けてくる気配を背後に感じたゾロだ。肩越しに振り返ると、一本道の向こうからやって来るのは、瞬間移動をしたことで置き去りにした格好になった少年の兄上だ。健脚だなと感心し、辿り着くまでちょいと待つ。いつもの常で"関わらせるべきではない"と思わんでもなかったが、
「よお。悪かったな、話途中で先に来ちまって。」
 声をかけると、さして呼吸も乱さぬ様子のまま、
「いや、急いでた気持ちは判るからな。それに、ルフィに何かあったんだろう?」
 心配そうにその眉を寄せている。自分が心配になって反応を示したその勢いに負けないくらい、彼にとっても大切な弟。この場から退避させられるものならこの彼に任せねばと思いもしたゾロだったのだが、

   《グズグズしてんじゃねぇよっ。とっとと中に入って来んかいっっ!!》

 かなりの音量での霊信が鳴り響いて、肩をすくめた。
"こりゃあ、そういう余裕はないか。"
 気が長いんだか短いんだか。自分への斟酌ない態度はいつもの事だが、多分、一緒に居るルフィへの負担を考えての怒声でもあろう。そして、
「この声って。」
 先程、突然飛び込んで来た光玉から聞こえた不思議な声と同じもの。それと識別出来たらしいエースへ、
「ああ、俺の相棒でな。ここの中であんたの弟を守りながら、俺が到着するのを待ってる筈だ。」
 親指を立てて園内を示す。その園内には、巨大な泥の山が…どういう訳だか勝手に動き回っているのが、フェンス沿いの茂みや木々の間に見え隠れしていて、
「…あれは?」
「やっぱり見えるのか。」
 ぎょっとして息を引いた彼にゾロは大きな肩をすくめて、
「恐らくは"式神"の変化したものだ。誰かがいい加減な術で生み出すか呼び出すかして、後始末を怠ったんだろうよ。」
 そんな風に説明する。こうまで省略された説明で、
「成程な…。」
 深刻そうな顔になる辺り、さすがはそういった知識も得ていた身なのだろう。あっさり理解出来たエース兄はともかく。海洋ロマンアドベンチャーもののパロディサイトで"陰陽道"の話を持ち出されても、よく判らない方も多数おいでだろう。そこでちょこっと説明を。


  【式神;shiki-gami】

 日本では平安時代に盛んだったところの、"陰陽道"という学問・方術の中の秘法呪術の一つで、道教呪術から発展したものだとする説もある。式というのは使役するという意味で、この場合、あらかじめ"式神"という神や存在が居るのではなく、鬼神を使役する術という意味。よって、陰陽師が方術により、召喚あるいは無機物操作して使役する鬼神や妖
(あやかし)のことをそうと呼ぶこともある。(歴史上では阿倍晴明の十二神将が有名。)
 鬼神を召喚する場合、外界・異界から招いた様々な"鬼"を制御出来る力が当然必要で、制する時間が限られていたり、術者の思う通りに扱えないことも多々ある。無機物操作というのは、紙や木を人や獣の形にし、それへ"気"を送り込んで実体化させ操るもので、"簡易式神"ともいう。このタイプはあまり力を持たない場合が多いが、術者の与えた"気"が続く限り、いつまでもどこまでも使役出来る。(これらの他に、霊能力の高い生物に術をかけて自在に使役する方法もあったらしい。)


 外界・異界から招いたものであるのなら尚のこと、扱いは慎重にせねば、その術は下手を打てば本人に跳ね返る。何しろ次元の境を歪めて、本来は居るべきでない次元へ引き摺り出すのだ。強大なものであればあるほど空間そのものからも拒絶されようし、若しくは引き換えの何者かをそちらの"亜空"へ相殺のために引き摺り込んでいるやも知れず、何にせよロクなことにならない代物。そして、悪質霊だけでなくそういったものをも処理するのも"お仕事"な彼らであり、
「どうするね、此処で待ってるか?」
 そんな言いようをして、ゾロはエース自身に選ばせることにした。本当だったなら、変な言い方だが…これもある種の"問答無用"で、その鼻先にて結界を張り巡らせて部外者扱いをするべきところ。ただ接するだけでも多大な気力を消耗しかねないほど、冗談抜きに関わるとロクなことがない相手だ。ここは専門家である自分たちだけであたるべきではあるのだが、
「同行させてもらいたいね。」
 問われたエースはにやりと笑った。弟の窮地でしかも相手は異様な存在。愉快な筈はないが、それでも強かそうな、そういう表情。
"だろうよな。"
 思っていた通りの応えにゾロが苦笑する。彼の心情が判ってのことというよりも、
"結界の外に置き去り…なんてことをしたら、自力で穴開けて入って来ようとしかねねぇ。"
 ああ、成程ねぇ。たとえ、これからサンジの張るだろう結界が強固なものでも、そのすぐ間近で何やら…術だの気だのを張られては、どんな形の影響が出るやら判ったものではない。何と言ってもただの素人ではない人物。どんな護符やらまじないやらを知っているやら。
"ナミの護符を知ってて取り寄せてたくらいだからな。"
 そうでしたね。かなりディープに詳しいそんな人物とあって、ならばいっそ、と同行させる構えを取ったゾロであるらしく…義理のお兄さんになるかもしれない人だからっていう、贔屓とか遠慮とか、弱気とかいう気持ちが起こってのことじゃあなかったのね。
"…ああ"? なんだ、そりゃ。"
 そんな凄みを帯びて睨まなくっても…。まま、今のは聞かなかったことに…。
(笑) 相変わらずのごちゃごちゃはともかくも。
「俺たちが踏み込むと同時に、相棒が公園全体に結界を張る。恐らくは、あらゆる出入りを封じる"合"ってやつで、かなり強固な代物だ。コトの決着が着くまで、俺たちもこの中に封じられるようなもんだ。それでも良ければついて来な。」
 どうかすると乱暴な言いようだが、それはこれから飛び込む場が、他でもない"戦場"だからこそのもの。…それにしては眸が煌々と輝いている精霊殿であり、どこか獣めいた生気あふれる趣きになっている。そもそも攻勢担当の彼だから已
やむなきことで、なんでもない先程の対峙の場でもどこか挑発的だった彼を覚えているエースとしては、
"こういう性の精霊なのだろうな。"
 人間でいうところの個性のようなもの。眉を顰めるよりも今は頼もしいと思おうと、何とか割り切ったらしい。無言のまま"にっ"と笑い返して、それを"了解"という答えにする。

   「よし、入るぞっ!」



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 *書いても書いても終わりません。
  っていうか、サンジさんの一喝ではありませんが
  とっとと戦いに突入せんかいと、私も思います。
おいおい
  時々趣味に走りかけているからだと判ってはいるのですが、
  ついつい説明おばさんになってしまう Morlin.を、どうかどうかお許しくださいませ。