月下星群 
〜孤高の昴・異聞

   天上の海・掌中の星

    〜 黒の鳳凰 LAST DESTINY J
 

 
   二の章  水紋



          



 世界がまだ天と地の区別さえなく、光と闇さえ漠然とした有り様だった頃、後の"日輪"たる一条の光として目覚めた"転輪王"は、その存在を取り込み圧し潰さんとする"混沌"を、逆に稲妻をもって大きく斬り拓いた。が、それが可能な力をもってして下された仕儀でありながらも…一刀両断された"世界"は元に戻ろうとするがごとく、途轍もない反作用を見せた。それは例えば猛々しいまでの大嵐であったり、全てを呑み込もうとする氾濫であったり、あらゆるものを焼き尽くす灼熱の炎群
ほむらだったりした。また、そんな逆流や歪みから様々な邪妖が発生して、王を襲いもした。それらを1つ倒すごとに歪みも均され、1つ封じるごとに世界は安定への進化を辿ったのだが、最後の最後に途轍もない大物が控えていた。

   ――― それが"黒の鳳凰"である。

 暗黒の翼と炎の尾を持つ巨大な怪鳥。聖獣たる龍や麒麟のように万物の能力を備え、中でも再生能力に優れたこればかりは、消滅はおろか叩き伏すことも薙ぎ倒すこともかなわず、転輪王でさえもほとほと手を焼いた。そこで、彼は初めて巧みな一計を案じた。その一計のために生じさせたのが"封咒"一族である。まずは我が身を盾に呼び招いた鳳凰を分断し、邪悪な気のみを巌に封じて、それを聖封らに護らせた。しかもただ封印をなしたのでなく、肉体の方を一部だけを生かしておくことにしたのだ。
『それをいかがなされます?』
 その手に唯一残したのは一本の綺羅らかな尾羽根。聖封一族の長老からの問いに、転輪王は事もなげに答えた。
『"これ"はまた別な場所へ封じようと思うてな。』
『元は邪妖の鳳凰でございます。どのような形であれ、永らえさせて危のうはございませんか?』
『それを言うなら、永遠に封印し切れるというものでもないのだ。お前たちの力を信じぬつもりはないが、私はそこまで自惚れてはおらぬ。』
 転輪王が向かったのは、峰の高みにひっそりと涌いていた、月夜見の光で清められた泉である。聖なる泉の雫にその尾羽根をくぐらせると、泉の中から小さな小さな鳳凰の分身が生まれ出た。それはやがて無邪気そうに泉水の中を泳ぎ遊ぶ小さな子供となり、水面
みなもから跳ね上がると光の衣をまといつけ、王の傍らへと舞い降りて無垢な笑顔を振り向けたではないか。その少年の頭をそっと撫でてやりつつ、
『万が一、いつか封が解かれたとしても、この分身の方こそが"主格"である以上、勝手な暴走は出来ない。』
 転輪王はそうと告げられた。
『この主格が少しずつあの封巌岩から活力を引き出し、自分の身に"正"の力の生気として変換させてゆくのだよ。よって、凶悪な存在としての生気もゆるゆると減ってゆくことだろう。』
 そうして生まれた存在は、そのまま地上へ…人世界へ紛れ込まされた。天聖界と異なる"物質優先"の陽の世界。そこに有るものは皆、それぞれなりの"殻
(マテリアル)"に覆われて存在し、岩石草木のような無機物以外は、短い"生"を業火のような激しい勢いで過ごす。そのような存在たちに溢れている、若くて生気に満ち満ちた世界の中に紛れておれば、必要なものとして引き出される生気も少なくはなかろうから、
『永の輪廻を辿る内には、邪妖としての歪みもすくすくと均されようぞ。』
 復活再生の能力を持つ者、完全封印もまた難しいとあって、こうするしか手立てはなかったそうである。全ての手を打ってから、
『そなたがここを拜
あずかる聖霊か。』
 先の坊やを生み出した清めの聖泉を護っていたのは、月夜見の子・浄天仙聖という若き聖霊長。月夜見とは、転輪王が世界を明暗邪善に分断した時に一番最初に最も清い部分として天の高みへと駆け登った存在、所謂"神族"の中の一人で、日輪が休みし夜を照らす"月光"を司る主長である。その子息として月光による"浄化"を司る浄天仙聖は、それはそれは美しい聖霊であった。しんと淑
しめやかで天鵞絨ビロウドのようにやわらかな夜の生気と、秘やかに蒼く冴えた月光の清かな輝きとをたたえたような、玲瓏にして典雅なそのあまりの美しさと、その後の"世界"を清めに回った働きが転輪王にはいたく気に入られ、天聖守護となるよう任じて、守護としての存在を保つ"核"を授けられたという。



            




「ジジィが言うには、お前はその浄天仙聖とかいう聖霊の末裔なんだと。」
 孫から"ジジィ"呼ばわりされてはいても、こちらも世界の始まりから存在した"封咒"精霊一族の長。そんな人物がこんな折に言ったことならば、徒に出鱈目であろう筈もなく。
「聖霊か…。」
 自分の呟きを飲み込んで、ゾロはただ黙っている。

   『一刻も早くルフィを助け出さにゃあならんのだっ。』

 まだ完全な身ではないというのに…何故だか自分にと付けられてあった見張りも護衛も、まとめて聖霊刀の峰打ち一閃にて振り切って。控えていた部屋からの大脱走を敢行し、この聖宮からいよいよ外界へ飛び出さんとしていたゾロだと聞き、

   『ちっ、あの馬鹿がっ!』

 こちらはもっと重傷で"まだ起き上がるのは…"と侍従たちが不安がるのを振り切る格好で、サンジが直々に…寝間からとはいえかなりがところ強引な方術をもってしてそれを食い止め、元居た部屋へ吹っ飛ぶほどの強制送還をビシッと決めて。

   『………どっちもどっちですね。』

 やや若君に同情しつつも、たいそう冷静に見解を述べた執事さんだったのはさておいて。この現状下にあって、重要な"鍵"に当たる本人が勝手な行動を取るなと戒めるためにも、彼らさえ聞いたばかりの衝撃的な事実を当人へも伝えておくべきだろうと、ナミと二人で決めたこと。そして、その二人から全てを聞いた"ご当人"はというと、
「………。」
 厳しい表情にてただただ考え込んでいる。
"まあ…無理もなかろうがな。"
 天聖界に於いてさえ、今や伝説上にしかその名を留めないほどの遠い存在。聖霊というのはそれぞれにただ一つの事象を司る象徴存在で、その事象に関する能力は絶対無敵。故に精霊よりは格が断然上ではあるが、遍
あまねく広い対応力となると案外脆く、極端に悪い言い方をするなら…たとえその族長クラスであっても今の"破邪"という立場に比べると随分非力な存在だ。それに、いくら月夜見様の子であると言っても、その発端には色々あろうから、悪くすれば神の瞬き一つで生じせしめた程度のものであるのかも知れない。
"………。"
 耳朶に下げた三連の棒ピアスが、力なくその頬へとすべり落ちた。やや俯いた堅い横顔。瞳の奥深い潤みが伏しがちになった瞼の底に光を沈め、その表情に翳りが深まる。豪放磊落、傲岸強壮、自信満々に見えてはいても、自分の立場や実力をともすれば過小評価するところがある彼だと、しかもまったく容赦がないところが彼の…実は最も融通の利かない、高潔なまでに質の高い潔癖さの裏返しであるという点を、ナミとて重々承知しているが、
「思い沈んでどうなるものでもないのよ? ましてや、今はそれどころじゃあないの。良い?」
 何やら考え込みかかるゾロへ、半ば尻を叩くような良いようで発破をかけ、
「黒の鳳凰の封を解いたところで、今は器のない身。さしたる力を安定して放てはしないわ。主格である"核"を継ぐあの坊やがいる以上、勝手な制御はままならないだろうし、あなたに封印をかけられたままな状態の坊やだから、そうそう簡単に完全融合も出来ない。封石から出たとしても…完全復活を遂げたくば、坊やを手に入れたその上で、あなたを何とかせねばならないのよ。」
 すっぱりと言い切る。物騒ながらも違
たがえようのない事実なのだろう。ナミは淡々と語り、
「判るわね? よってあなたも不用意に宮の外へ出ぬように心得ること。いいわね?」
 そう言い置いた。途端にゾロは険しいままの顔を上げる。
「守られるのは性に合わん。」
 すぐさまの応じであった。ナミからの言いようが命令がかったそれだったからではなく、そっけない言葉の裏に守る側の姿勢が何となく察せられて…そんな気遣いこそが気に障ったのだろう。ナミの側でもそういった答えが返ってくることは重々承知していたらしいが、今回の一件に際しては、そのような個人的な志向を優先して聞けるものではないというもの。それこそ本気も本気、にこりともせず言葉を返してくる。
「忘れないで。あなたがある意味で"最後の鍵"なのだということを。」
 そこへと重ねて、
「いいか? お前が奴に倒されない限り、あの坊やも…ルフィも封咒に守られてて無事なんだ。それを思えば、迂闊なことは出来んだろ?」
 サンジまでもが言いつのる。日頃の飄々とした気安さを乗せぬ毅然とした顔。こうなるとさすがは"聖封"の束ねの御曹司で、誰が相手でも有無をも言わせないという厳然とした趣きがある。ゾロとしては憮然としつつ、だが、敢
えての反駁はなかった。破邪や聖封という特別高等精霊たちの中でも殊の外に冷静で理性的なこの二人には負けるが、ゾロもまた…無頼を装いつつ、建前に縛られるタイプなだけに。このようにはっきりと"言葉"や"態度"で示した以上、取りつけた約定は一応は守られると見て良かろう。…とは言っても、見張りは厳重に、外からのみならず内からも警戒をするようにと、重々命じ直したのは言うまでもなかったが。







           ◇


   《まだ完全に一体化出来てはおらんかったようだの。》

 胸元まで上げた自分の手を見下ろし、ぽつりと呟いたのは、天水宮から姿を消したルフィである。彼は"混沌の淵"に立ち戻っていたようで、先程の一連の攻勢がすんでのところで躱されたことへだろう、苦々しげに眉を寄せている。………と、
《…っ!》
 何かしらの苦痛に襲われ、眉を寄せ、崩れるように倒れかかったその身が宙空に溶けて。その解
ほどけた残像の中から再び現れたのは、先程たしぎやビビを、そしてナミやサンジをも翻弄していた魔道の少年。ゼフ翁の構えた反撃から逃げ延びたは良いが、こちらもまた肝心な"目的"は果たせなかったようである。
《………。》
 暗黒と混沌の大邪妖。それが黒の鳳凰であった筈。転輪王によって意と精とに分断され、精は封じられ、意は淨天仙聖の清めを受けて、地上へただの子供として降臨してしまって…幾星霜。封印された暗黒の力もどれほど残っているものか。
《…まあそれはこれから紡げばいいことだが。》
 小さな吐息を一つつくと、傍らに穿たれた泉水を見やる。泉がたたえている水は単なる清水ではないらしく、先にたしぎらと立ち合っていた時とはかなり異なる様相を呈している。水面下に巨きな光源を呑んででもいるかのような、乾いた強い光が一様に放たれていて、黒鳳を名乗った少年の顔を不自然な陰影の中に沈めている。そんな泉水の真上に浮かんでいるのが、再びの昏睡状態に入っているらしき小さな坊や、ルフィであった。夢さえ与えられない無の眠りに捕らわれているのか、何の表情も浮かべぬ幼
いとけない顔。どういう魔法か、まるで目には見えない平らな床が延べられてでもいるかのように、宙空に真っ直ぐ横たわっている。それへと真下の泉からの光が陰影余さず照らす情景は一種異様な趣きでもある。
"………。"
 それらの光に視線を奪われている魔道の子供は、一見、美麗な容姿と肢体を持つ少年であった。ただ…その顔は冷たく硬い氷のような寡黙さで塗りつぶされていて、
《厄介な封をされておるものだ。》
 破邪の内の誰か、こうまで執拗で堅いところから察して、てっきり天使長ナミがかけた封咒だと思っていた。だったら彼女を亡き者にすれば良かろうと乗り込んだのだが、そこに居たのはこの少年の傍らに配されていたあの"翠眼"の破邪であり、少年を包み込んでいた護壁は彼へと反応して見せた。
《…淨天仙聖か。》
 ゆらゆらと水面
みなもが揺れる。幼い坊やが眠るその夢をそよがせるかのように。そよいだ気配はそのまま、最初の接触を図った時の、あの不可解な青白い炎を思い起こさせた。この手で切り裂いた本人の体が倒れ伏しても尚、坊やを守るための護壁が見せた強い反応。遠い遠い記憶の中にもあった、浄天の聖霊長と同じ波長を持つ厄介な存在。
《二度までも邪魔だてされたが、今度はそうも行かぬだろうよ。》
 縦に糸を引く光彩を沈めた金の瞳。感情を読めぬ眸のまま、口許だけで"にぃ…っ"と笑った少年であり、その姿をたちまちの内にも宙へと掻き消してしまう。誰の気配もなくなった空間の、泉の上に居残った方の少年の横顔は…何故だかひどく寂しげなそれに見えた。













          



 成程、確かに形勢は決して良いものではない。ルフィを奪われ、こちらの手駒は皆して様々に痛手を負っている。中でもサンジの傷はかなりのものだ。
『それでも、まだ。ルフィくんは無事よ。』
 ナミの言いようはよくよく理解出来る。浄天仙聖とか何とかいう、ややこしい前世の話は…そうしても良いのかどうかはともかく さておいても。
こらこら 基本的な次元の話、護壁封咒は唱えた者にしか解くことは出来ない。専門家とは言い難いゾロが施した代物ではあるが、それでも正式な咒を唱えた封印であり。力任せに解放しようとすれば、どのような"器"なのかは知らないが、普通の生身の人間にすぎないあの少年の身自体が砕けてしまうに違いない。
『となると、奴はあんたに接触を取りたがる筈。い〜い? 判るわよね? あんたが此処に居る限り、あんたが無事で居る限り、坊やもまた安全なのよ?』
 ナミが顔を合わせる度というほど何度も何度もわざわざ言って聞かせたように、もしもこの立場に置かれた者が自分ではなかったなら、やはり同じように言い含めたに違いない。他の者の働きを信じて軽挙妄動は避け、その身を死守することをこそ使命とせよと。

   "………"

 理屈は判るが、それでも何か。胸に飲み込み切れないまま、閊えて引っ掛かるものがどうしても出てくるもので。
「………。」
 ふと。宙へと指先を水平に振って小さな輪を描き、そこから手の中へぽとりと取り出したのは小さな水晶の宝珠だ。ルフィとの霊信に使ったもので、今は当然つながってはいないが、卓の上へと置いてちょいちょいと頂上を指先でつつくと、
《…ゾロ? ゾロだっ。》
 あの会話を記憶させたその画像が浮かび上がって来る。選りにも選って彼を守るために遣わされた自分が目の前で倒れて、さぞかし怖かったことだろうに。こちらが何とか無事だと知るとやっと生き返ったというような声を上げ、早く会いたいと愛らしい駄々を捏ねた坊や。
"………。"
 短いやり取りを映し終え、宝珠は無言のままで不思議な光をまとっているばかりの状態へと戻る。人世界の時間でほんの半日と少しほど前のことだのに、ずっとずっと遠い記憶のような気がして、それもまたやるせない。
"お前も…。"
 その無言のたたずまいには、何だか気の逸りを宥められているような気もしたが、歯痒い気持ちは燻ったままなかなか収まってはくれない。実際の話、世界がどうのとかそういう大きな話には耳を貸すつもりはなかった。たとえ世界が…人世界のみならず、この天世界までもが闇に呑まれたとしても、あの坊やには替えられない。だが、今回の場合はそうではない。ルフィの身の代の安全にかかわる鍵だと言われては、今一つ、行動に出られない彼であり、そんな自分の不甲斐なさにも実はぎりぎりと腹が立つ。
"せめて、真
まことの名前を呼んでくれたら。"
 いっそのこと、そういう否応なしの力に身を任せられたら良いのにと。この彼がそんな気弱なことを思うあたり、かなり追い詰められてもいる。自身への呵責や艱難辛苦ならどんなものにでも耐えて見せるし、逆に"何ほどのものだ"とばかり、一気に打破することだって出来ようが。あの子がどこかに捕らわれの身になっているのだと、冷たい獄につながれて寂しい想いをしているのだと思うと、もうそれだけで、こんな傷なぞどうでも良いほどに、もっと奥深いところがずきずきと痛んでやまない。
"黒の鳳凰の構えた呪咒…か。"
 人を…それもこの自分が愛しいと大切に思っている存在を掴まえて、自分の"筺体"とは何と滸
おこがましいことを言いやがるのかと。それを思うと、今度は苛々々と腹の底が煮えてくる。
"………。"
 ぎゅうと抱き締めると声を上げて笑ってはしゃぐ、無邪気な子供。ゾロが大好きだよと、臆面もなく言ってくれる愛惜しい少年。それがそんな…よく判らない運命を抱えていただなんて。
"…ルフィ。"
 そうと知っていたならば、もっともっと厳重に守ったのに。他の人間なんざどうでも良い。彼さえ無事ならそれと引き換えに世界が滅んだって良い。時々我儘で甘えん坊だが、心根は際限なく優しくて。自分を苦しめた悪霊たちでさえ、その身を楯に…自分さえ我慢すれば良いのだと庇おうとしたお人好し。深色の眸に澄んだ光をたたえた、その先々が本当に楽しみな坊や。
"………。"
 もしかして、自分と関わったことがその覚醒を早めたのではなかろうか。特別な精霊だったと分かったが、その特別な部分があの少年にも何かしか波及したのでは?
"…くそっ。"
 もともと何かやかやと考え込むのは苦手な方だ。ずっとずっと、深くは考えず、杓子定規な対応ばかり構えて来たから。もしかしたら…この事態は、そんなずぼらばかりして来た自分への大いなるしっぺ返しなのだろうか。
「………。」
 ぐるぐると悪い方へばかり思考が回る。らしくもないそんな想いを振り切るように、深々としたため息を一つついた時だった。


    ――― ………。


 声が聞こえた。いや…風がそよいだほどの微細な気配だ。
"…これは?"
 馴染みのある感触なのがゾロの気を引いて、気配の源を辿らせる。

    ――― なんで…こんなことになっちゃってるんだろう。
        俺のせいなんかな。
        皆を困らせて、ゾロにも怪我させて…。

 かすかなかすかな声での独り言。寂しそうな、辛そうな声。

    ――― …来ないで。

 かすかな…今にも途切れてしまいそうな声。

    ――― 来ちゃダメだ、ゾロ。

 息を呑んで立ち上がる。覚えのある波動と感触。直に接していた時はこうまで弱々しいものであったことなぞ一度もなかったが、それでも判る。

    "………ルフィか?"









            ◇



 別に"虜囚"とかいう扱いではないのだが、それでも一応の用心にと、その居室には入口と窓の外とに見張りが立ったし、ちょっと庭先へ、ちょっと鍛練へ
こらこら と出歩くのへも屈強な侍従が何人かお供をした。彼を害する存在の不意な闖入へ対抗するための護衛…というよりは、彼自身がこの聖宮から脱走しないがための、仲間による盾のようなもの。
『外へ飛び出したいなら、この忠実なる侍従たちを蹴倒してからになさって下さい』
という方向でのプレッシャーをひしひしと感じる。
"…と、考えるのは穿ち過ぎだろうか。"
 彼を狙うはおよそ"強さ"というレベルでは途轍もない存在だから、この場合、守られる側の彼こそが最も頼り
あてになることだろう。そういう護衛がないとは言わないが、どうもそんな"型に嵌まった"代物ではないような気がするのだ。何と言ってもここは"天巌宮"であり、ここのお館様はあのゼフ翁だ。ついでに言えば、今はナミも避難して来ているという布陣であり、負傷したサンジへの負担をかける行為は、相手が誰であれ絶対に許さんだろう、凄腕冷徹なる恐ろしい執事もいるとあって、
"この天聖界でも指折りの、頼もしき頭脳派が大結集しとるのだからな。"
 なればこそ、その狡猾さをついつい勘ぐりたくもなるのが、実際のところかと。
「…ゾロ様、あまりお出掛けにはならない方が。」
 ちょいと庭先に出たいだけだと、すたすたと長い回廊をゆけば、戸口からついて来た連中だけでなく、角ごとに立っていた歩哨らしき面々までが案じるような声をかけてくるほどで。
"…これはちっとばかり難しいかもな。"
 胸の奥底、何やら企んでいたらしい緑髪の破邪精霊さんは、だが、ようよう歩き回った末にとうとう諦めたのか。
「………。」
 何人もの明らさまな尾行者たちを引き連れた格好で立ち止まると"はふう…"と溜息を一つ。そして、

   「こんな鬼ごっこなんて聞いたことがないぞっ。
    もうゾロの変化
へんげなんかしてやんねぇっ。」

 妙なことを怒鳴って、その体が"するするしゅるん"と小さくなった…から。……………あ。

   「な…っ!」
   「チョッパーじゃないかっ。」

 おおう、それはまた…。だが確かに、皆の前に立っているのは、あの愛らしい、毛皮むくむくのトナカイの使い魔くんだったから。
「破邪様は いかがしたっ?!」
「知らないよぉ。」
 警護担当の恐持てな方々に取り囲まれて、ひえぇっと怯えて見せて、
「鬼ごっこして遊んでやるからって。そいで、ゾロに化けてみろって言われて…。」
「何ぃっ!」
 どうやら幼(いとけ)ない使い魔くんを唆
そそのかして、上手く加担させた上での"脱走計画"を敢行したゾロであったらしい。







   *さあいよいよのタイマンです。おいおい
    破邪さんと黒の鳳凰、直接対決です。
    ここまで本当に長かったです。
    でも、ちょっとまだ書き上がってませんので、少しばかりお待ちを、です。


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