月下星群 
〜孤高の昴・異聞

   天上の海・掌中の星

    〜 黒の鳳凰 LAST DESTINY M
 


      四の章  光紋


 
          



 天聖界では、聖封たちが総力を挙げて追跡の網を広げていた。ルフィにかけられた封咒が黒の鳳凰に解かれることを恐れて…という型通りのお題目のためだけではない。大切な仲間であるゾロと愛らしくも幼
いとけないあの坊やの身を案じてのこと。だが、どの亜空フィールドにもその影はなく、
「まさか"上次元階層"へ既に移行しているのでは…。」
「馬鹿を言うなっ。」
 そこまでの力や能力を得たということは、すなわち、相手が既に"黒鳳"としての力を自在に操れる身となったことを示すからだ。封印のみならず探査の能力にも優れた聖封一族の、全精力を傾けるという勢いの探査が執行され、天巌宮に詰めている能力者全てが駆り出された。本人の念じで透視探索が出来る者たちは、それぞれの居室や広間にてただただ意識を集中し、力や能力の低い者は"練念局"に据えられた"場透過
エリアスキャンシステム"という、地上世界のGPSにもどこか理屈の似た理論装置を使っての探査が続けられている。
「まだこの次界内のどこかに居る筈よ。どんな小さな虚数界も見逃さないでっ。」
 陰世界には糸のような切れ目や隙間を介して思いがけない空間へと繋がっているような"虚数界"も多く、そういう階層が重複し過ぎて"混沌の淵"などという歪みの空間が生じたりもするくらいであるのだが。
「あの"混沌の淵"はどこかへ紛れてしまったらしいですね。」
「ええ。もともと定まった座標なぞ持たない浮遊空間ですからね。」
 ナミも、そしてビビも。意識を集中し、何度も何度も天聖界の隅々を浚っている。どうか見つかってという希望・願望さえ"雑念"に数えて押さえ込んでの真摯な念じは、そのまま"祈り"のようでもある。
「…っ!」
 ふと。そんな彼女らの傍らで、たしぎが顔を上げた。
「見つけたっ。」
 まるで自分の頭上にそのビジョンが存在するかのように、中空を見据えている彼女であり、
「誰がいるところ?」
「坊やとあの魔の者がいる。紅蓮の渓谷です。」
「誰かっ! 召喚宝珠をっ! 早くっ!」




 たしぎ嬢の探知した座標は、やはり…錯綜座標という虚数世界の奥向き、そうそう簡単には見いだせないような場所にあり、そこへとこちらから強く働きかけることで何とか入口を開こうと試みたが、
『ダメですっ。あまりに負の圧量が高すぎます。』
『接触しただけで、こちらの世界のどこかしら、汚染される恐れがありますっ。』
 虚数というのはそのまま"負"の性質を帯びてもいる。接触し開口部を設けることで相殺される部分が出る危険性が高いとの報告に、
『…そんな。』
 ナミが歯噛みし、
『已(やむ)を得まい。せめて状況が見えるようにはならんのか?』
 ゼフ翁の指示で執事殿が采配をし、セッティングされたモニター代わりの大ぶりな水晶珠。そこへと映し出されたのは、辺りが灼熱に包まれた場所だ。紅蓮の炎とマグマの炎気。広い広い炎竃
タンドリーの中のようになった"紅蓮の渓谷"。水晶珠越しにという眺めでさえ、熱気が容赦なく伝わって来そうな苛酷な場所のその中央。熔岩の海の中、唯一の存在として高い高い塔のように聳そびえ立つ岩の台地がある。これほどの熱波の中なゆえ、草木一本生えていないただの岩山のその頂上部分は、やや斜面となった平面で、

   《此処まではもう誰も追っては来れまい。》

 覚えのある声に、皆がハッとする。そこに映し出されているのは…体格は確かに天水宮に現れたルフィと大差無い少年だが、のっぺりとした道化の仮面を顔につけている人物であり。細い三日月の目と口が感情を乗せない笑いを刻んだ、何とも不気味な作りのそれで。しかもその仮面。中央がそのまま真っ黒な"亜空"になっているらしい。
「あれが…"黒鳳"?」
 いよいよ現れたその本性。見た目はやはり何とも小さな少年だのに、天聖界の精鋭たちがこうまでも鼻面を引っ張り回された癪な相手。
「追っ手は出せないの?」
 意気揚々と構えている相手が何とも憎々しいと、ナミが誰へともなく悔しそうに言い返したが、聖封たちは皆して難しそうな顔を見せ、目を伏せる。そして、
「悔しいが彼奴
あやつの言う通りだの。」
 それへと唯一応じた声があった。その場にいた皆が視線を向けたのは、
「お館様?」
 この天巌宮の主
あるじにして聖封一族の総帥のゼフ翁である。
「あの黒鳳、結界に"転輪天廻の封"を使っておる。あれを破れるは神格直系の存在のみじゃ。」
「そんな…。」
 彼らに語り継がれた様々な"創成期"の神話。その中で奇跡として謳われていた様々な事象の大半がどうやら単なる伝承ではないらしいと、今回の騒動で図らずも判った訳だから、そういう存在もまた、この広い天聖界のどこかにいるやも知れないが。今から探せと言われても間に合う筈がないことだ。
「…悔しい。」
 ついのこととて、たしぎが絞り出すような声を放ったが、それはここに集まった全員の気持ちの代弁でもある。自分たちには、ただ見守っているだけしか出来ないのかと。何が選ばれた天聖人かと、その無力さに歯噛みしたくもなる。

   《さあ、もう諦めておしまい。》

 そんな苦衷を尚も煽るかのように、仮面の少年の居丈高な声は響いた。
《あの破邪ももう助かりはしない。お前をくるんでいた障壁がすっかり解けたのがその証拠だよ。》
 黒鳳の声に皆がはっと息を飲んで眸を見張った。
「あの馬鹿っ。やっぱり立ち向かってったのね。」
 どういう無茶をするのよと苦々しげにナミは唇を咬みしめ、ビビが黙って両手の指をきつく組んだ。あまりにも救いの無さ過ぎる展開だから。祈りの対象となるような、何かしらの信仰がある彼女たちではないのだが、何か誰かに奇跡を願いたくなるほどの、切羽詰まった空気に負けてしまいそうな気がしたからだろう。そんな重苦しい空気さえ届かぬままに、紅蓮の渓谷では…世界の終焉に間近い最後の儀式が執り行われようとしていた。
《これまでは小者が集
たかって来て、さぞや怖い想いをしたことだろうの。じゃがこれからはもう、そんな煩わしいこともなくなるぞ?》
 黒鳳の少年の言葉は、まるで独り芝居の堂々とした舞台で滔々と紡がれる名台詞のようであり、
《これがそもそもの有るべき場所だ。》
 愛しい虜囚を言葉でも愛でたくてか、柔らかな喜色に満ちた声をルフィへとかけてやっている。
《お前は幸せなのだよ? これから、この世の最高の存在としての生を送れる。覇者として、永遠にな。》
 投げ出されたそのまま、地に座り込んだもう一人の小さな少年。よくよく見やれば、何だか衣装も替わっている。これから執り行う儀式めいた段取りに、首尾の好もしさへと浮かれた"黒鳳"が無理から彼に着せた晴れの衣装ということだろうか。項垂れた顔は一体どんな悲しみに塗り潰されているのかと、思うだけでも胸が痛む。………だが、


   「…いやだ。」


 彼へと伸ばされた腕が、触れもしない空間の途中で振り払われて。
《…っ!》
 邪妖の少年が意外そうに目を見張る。もう、何の封印の影響下にもない筈の坊やなのに。一体どうして、こんなにも強い力で、こちらからの接触を振り払えるのかと。それへと、

   「ゾロにあんなことをした奴が良い奴な筈ないだろうっ!」

 拒絶の態度もあらわに、それは威勢のいい啖呵を切ったルフィであり、
「俺がどう生きるかは、俺が決めることだ! お前なんかに好きにはさせない!」
 勢いが高じた金切り声が、悲痛にも掠れて捩
よじれる。だが、その語調はしっかりしていて、
《なにを…。》
 息を呑んだ魔道の少年。それを…黒鳳だかなんだか知らないけれどと、きつい眼差しで睨み返してくるのは、目許が赤く腫れ上がった坊や。目の前で、大切な人が暗黒の淵に突き落とされた。地上とは勝手が違う世界だ。理屈や何や、よくは判らないけれど、同じように飛び込んだ大きな岩がほろほろと砕けたほどの空間。そんなところへ吸い込まれたら、人ではない精霊であっても無事で済む筈がない。
"ゾロ…。"
 絶望は絶望でも、自分の身へ迫る恐怖というものではない…半身をもぎ取られた、絶大なる"喪失感"という名のひりひりと痛い絶望。呆然としたままだった彼が、その痛みに上げた悲鳴のような鋭い拒絶が、水晶珠を通してこちらにも届いて。
「ルフィくん…。」
 何とも健気で悲壮な声かと、ナミもまた例えるもののないほど痛々しい面差しになった。邪妖たちに付け狙われて、危険な立場にあった子供。そうと判っていたのに、守ってやっていた筈だったのに。こんな結果を招くとは…自分たちは救いようのないほど、傲慢で怠惰だったのだろうか。
"…悲しすぎるわ、こんなこと。"
 悲痛な面持ちで皆が見守る中、悲しげな決意の滲んだ顔をそのまま上げて、ルフィは訥々と言いつのる。
「俺…俺、もういい。ゾロがいないんだったら、俺のせいでゾロが死んじゃったんなら、それ以上なんてどこにもないんだもん。」
 ふらりと。どこか高みから吊るされた操り人形のように力なく立ち上がって、
「今の俺に出来ることって、俺にしか出来ないことって、もう後は1つしか残ってない。」 そのまま…じりじりと後ずさりを始める彼である。

   「………まさか。」

 その意図を…不吉な先を感じ取り、たしぎたビビが青ざめる。その先読みは黒鳳にも沸いたものであるらしく、
《悪ふざけはおやめ。あんな小者の後を追おうというのかえ。》
 断じたその言葉の尻尾にかぶさって、
「そんなじゃないっ!」
 ルフィが叫んだ。
「ゾロは小者なんかじゃないし、俺は後を追うんじゃない。お前なんかの好き勝手を許したくないだけだっ!」
 ぎりと睨みつけてくる眼差しは、真摯な鋭さにきりきりと尖るばかり。

   《や、やめろっ!》

 邪妖が制しても、何の反応も出ない。言葉のみならず、何かしらの方術も放っているのだろうに、その後退を停められない。ルフィの身を包む何かしら青白い放電があって、それが弾き飛ばしている。思えば、最初の邂逅の場で、ゾロが倒れたその時にも放たれた青白い炎。この黒鳳が最初に搦め捕ろうとしたその魔手を、一切寄せつけなかった激しい放電。それが今またパチパチぱりぱりと弾けては、引っ切りなしに放たれているらしい術を片っ端から蒸散させているらしくて。

   《馬鹿なっ! あの破邪はもういない。
    彼奴からの影響は、封咒は、もう解かれている筈じゃっ!》

 ここまでのずっとずっと、余裕の攻勢を次々に仕掛けては、腕の覚えがある面子揃いの天聖界の皆を良いように引き摺り回し、悠然とした高笑いを続けて来た筈の黒鳳が、明らかに狼狽し、悲鳴にも似た絶叫を上げる。自慢である筈の方術も咒法も、少年には届かない。

   《やめろっっ! そんな勝手は許さぬぞっっ!》

 すがるような懇願とさえ感じられそうな響きを帯びたその声にも、ルフィの表情は動かない。じりじりと背後へ、下がって下がって、岩棚の縁まで追い詰められて。もう後がないということへ気づいて………さすがに震えながら"ごきゅっ"と息を呑んだのも一瞬。ぎゅうと眸を瞑って、


   「………。」


 ルフィは自ら、足場のない宙へ、身を乗り出してしまったから。

   「なっ!」
   「ルフィくんっっ!!」

 見守っていた精霊たちも息を呑み、思わずの悲鳴を上げる。いくら何でも…これは哀しすぎる悲壮な決断ではなかろうか。どうして彼が、あんなに小さな少年が、そこまで追い詰められねばならないのか。高さがあるのが恨めしい。加速をつけて落ちてゆく小さな体が、周囲の赤い光りに照らし出されて、既に燃えているかのよう。
「…どうにかならないのっ?!」
 何が精霊か、何が天聖界の存在かと、自分たちをさえ呪いたくなる悲痛な場面。顔を背けては尚の罪になるとばかり、血の涙があふれるのではなかろうかと思われるほど、しっかと瞳を見開いて凝視していたナミが、

   「あ…。」

 だが。

 ………ハッとした。





   「ルフィっ!」




 どこにその入り口があるのかさえ分からない、真っ赤に灼けた空間の、その天穹の高みから姿を現した人影があったのだ。


   「ゾロっっ?!」



 まるで弾丸のような加速での、ほぼ"落下"。その姿を捉えられたのはさすが肉眼のみに頼らない能力者たちであればこそ。あのルフィがこれ以上はない絶望を感じ、まずは選ぶまい"死"を選択したほどに惨い最期を遂げた筈の彼らしかったが、
「生きてらしたのね。」
 ビビが表情を輝かせ、だが、ナミやたしぎがますます息を呑む。………そう。


   ――― 間に合うか?


 追っているゾロ本人もかすかに眉を歪めている。落下以上の猛烈な加速を乗せた急降下でなければ追いつけない。しかも、ただその腕に庇えばいいというものではない。真下に迫るは熔岩の海だ。十分な高さがあってさえ、放たれる熱気に炙られた肌から燃えて焦げて蕩けてしまいそうな、とんでもない灼熱に満ちた世界のその底に、容赦なく満ちた熔岩の海へ、何の抵抗もなく吸い込まれてゆこうとするルフィ。

   「…ぞろっ。」

 こちらに気づき、懸命に手を延べて来ようとする姿が顔がまた、痛々しい。

   「ちっ。」

 自分はどうなってもいい。骨も何もひとつ残さず溶けてなくなってもいい。この少年をこそ生かさねば、彼がいなければ意味がない。灼熱の風を切り、あと少しだと腕を伸ばして、

   「ルフィっ!」

 追いついた小さな体。やっと掴まえた幼
いとけない少年を、両の長い腕にてくるみ込み、ぎゅうと抱き締めながらその懐ろの深みへと押し込むゾロだ。間近になった温みが、健気な感触が、泣きたくなるほどに愛惜しい。やっと掴まえた、やっと触れることの出来た小さな存在。ずっとずっと逢いたかった愛惜しい坊や。



   「………ぞろ。」
   「んん?」
   「ぞろ、だいすきだ…。」



 その愛しい子供が涙声で囁いてくれた精一杯の睦言に、翡翠眼の破邪の胸が、尚のこと痛んで…そして………。







   「きゃあっ!」

 見ていられず、ビビが両手で顔を覆いながら悲鳴を上げ、たしぎも思わずの事ながら顔を背けた。ナミが唇を噛み締めながら息を飲み、ゼフ翁が喉奥にて低く唸った。ゾロがいかに強い護壁能力を発揮したとて、ただ覆い尽くすような庇い方では、とてもではないが助かる筈はない。二人揃って一瞬にして、骨まで蕩かすマグマの中に蒸散してしまうのが関の山。灼熱に視界の歪む熔岩の沼。そこへと至る空間の、もうどこにも影はない………。






   《………馬鹿者が。》



 こちらもまた呆然と…二人が呑まれた灼熱の海を眼下に見下ろしていた存在が呟く。
《何と勝手なことを。》
 呪咒が満願を迎えて解き放たれ、早速にも探し当てた筺体。理想通りの深くて豊かな器としてそこにあった、幼
いとけない子供。これは牛耳るのも簡単かと構えたものが、こうまで手古摺り、しかもその結果がこれである。
《…仕方がない。この体で我慢するかの。》
 小さな白い手を自分の胸元へと広げて伏せる。
《真の筺体には到底及ばぬが、これもまた悪くはない器なのだしの。》
 やれやれという溜息を洩らした黒鳳が、小さな肩を落としたその足元。遥か下方の眼下にて………。








 それが水であるかのような、だが、血の色にも似た禍々
まがまがしい、とろりとした飛沫の冠の輪を跳ね上げて、沸々と灼熱のあぶくを噴き続ける坩堝るつぼへ確かに深々と沈んだはずなのに。





   「………え?」
   「何?」





   彼らが深く飛び込んだ場所が、


   内側、水面下から煌々と目映く輝く。


   真珠の白で、陽光の白で、


   それはそれは目映い"生"の白で、照り輝く。






   《………なっ!》


 そのままその光は熔岩溜まり全ての面
おもてを覆い尽くし、
 辺り一面の空間へは、
 軽やかに舞い散るたくさんの純白の羽たちが
 雪のように花吹雪のように、とめどなく吹き出して来る。
 それだけでなく、なんと…。


   「あれは…っ?!」









   「済まんな。怖かったろうに。」

 青い長衣の男の姿。頼もしい肉置きの片方の腕の肘あたりへと座らせ、もう一方の腕で上体を抱きかかえるという、いわゆる"子供抱き"という抱え方。音もなく静かに静かに、立ったまんまの自然な姿勢でのゆっくりとしたその上昇に合わせているかのような。穏やかに噛み締めるような口調で声をかけてやると、

   「ん〜ん。」

 坊やがふりふりとかぶりを振る。どういう訳だろうか、ルフィが着ている衣装はあの最初のパジャマであり、

   「どこか痛くはないか?」
   「ん〜ん、へーきだ。」

 落ち着いた穏やかな声へやはりかぶりを振って見せ、そのまま頑張って幼
いとけない腕を回すと、力いっぱいに…広くて大きな相手の肩口へぎゅむとしがみつき、

   「やっと逢えたね。」
   「そうだな。」

 秘やかな甘い声で囁き合い、くつくつと穏やかに微笑い合って。まるで何事もなかったかのように、間近にお顔を寄せ合って。まるで他愛のないことのように、やっとの再会の感触を明かし合う。


   ………何か。

   そう、何だか不思議な出来事が起こっている。

   不思議な現象、神憑りな奇跡。

   その"不思議"の最たるものが………。




   「ぞろ。」
   「ん?」
   「背中。羽、生えてるよ?」
   「らしいな。」


 健やかな張りも力強い、弓形(ゆみなり)に大きな大きな純白の翼が。緑髪の破邪のその広い背中のかいがら骨の辺りに1対。確かに存在するのだが…本人にも予測はなかった代物ならしく、
「なんで…?」
 深い絶望に揉みくちゃにされ、死を決意したほどの緊張感が一気にほどけた反動でか、日頃にも増しての幼い口調で、細い細い声にて訊いてくる坊やへ、
「さあな。」
 くつくつと何とも愉快だと言いたげな顔にて笑ったゾロだ。着ている服を突き破っての生え方ではない。ということは、実体のない代物だということか。だが、それにしては。素晴らしいまでの力強さと美しさに輝く、何とも見事な翼である。
「………。」
 ルフィが訊きたかったのは翼に関してだけではなく、そちらへもまた…きゅう〜んと甘えるお声が聞こえそうなほどの、じっと向けられる眼差しにて判ってはいる破邪殿らしいのだが。
「本当にな、俺にもよくは判らんのだ。」
 口下手だからとか、言葉に起こして言い表すのが面倒だからだとか。いつもの不精から言っているのではないらしい。本当に、彼自身からして、自分の身の上に起こったことへの理解が、今一つ追いつかないのであるらしく、ともすれば困ったような顔になり、

   「あの、食らい込みの亜空間に吸い込まれかけてた時にな、
    どこからか銀の矢が間近にまで飛んで来た。
    それを掴んだら、そのまま勢いよくこの空間まで一気に送ってくれてな。」

   「………矢?」

 小首を傾げる坊やを、余裕の片腕だけで抱っこし直すと、空いた手にはズボンのポケットから取り出したのは2つのビー玉。いや、これは…。
「あ、それってあの水晶玉だ。」
 昨夜、チョッパーが持って来てくれた"霊信珠"。状況が判らないままに落ち込んでいたルフィに、この天聖界からのゾロの姿を届けてくれた水晶玉だ。でも…2つ共を彼が持っているのはおかしいのでは? 大きな手のひらに転がる、透き通ったあめ玉のような水晶玉へ、ゾロはやはり自分でも不思議そうに、
「此処に着いたら、矢はこれに変わっちまった。」
 おやおや…? それって………?
「ふ〜ん?」
 まだ飲み込めていないルフィが、何だか小さな動物みたいな仕草にて、ちょこっと小首を傾げると、そんな彼の小さなおでこへ自分の額をちょいとくっつけ、

   「もしかしたらな、お前の兄貴が何かしてくれたのかも知れん。」
   「エースが?」
   「ああ。」

 ルフィは知らないことだが、あの妖魔はエースの元にもその存在を現している。それを不審に思ったエースの、彼らを思い念じる何かが届いたのだとしたら…。
「矢と言やぁ、あの兄さんだろうが。」
 いささか乱暴な言いようになるのは、やはり細かい仔細までは判らないゾロだから。それへと、
「凄いねぇ。」
 我が兄ながら、そんなまでの力があったのかと。はう〜と感嘆の吐息を洩らすルフィだが、
「何言ってる。」
「???」
 お前が凄いんだぞ?と、ゾロの翡翠の眸が笑う。彼にそうまでさせたのは、外ならぬこの弟の存在があってこそのこと。大切な、可愛い弟。初めて見たろう、人と同じ"大きさ・姿"の破邪という精霊をさえ恐れずに、真っ向から立ち向かおうと構えたほどの、頼もしい弓の名手。彼をそうまで鍛えたのもまた…本人の資質もあろうが、それへ火を点けたこの坊やの存在というものが大きかった筈。
「そか。」
 くふふと笑うルフィの頬が、ぽふとこちらの首条に埋められて。何とも言い難いほどの愛惜しい感触と温もりに、至福を感じている破邪の切なげな笑い方には…後日、天聖世界の方々が、

   『あんな笑い方が出来る奴だったのか』

と、しばらく語り草にしたほどだったとか…。



 額同士をくっつけ合うように、それはほのぼの語らい合っていた二人だが、そんな"別世界"へと、
「…くっ!」
 すっかり放り出されていた格好の黒鳳が、しゃっと腕を払って鋭い刃を飛ばして来た。宙に現れたは、素早くて狙いも正確な、鋭い切っ先の数本の小刀
こづかたち。だが、
「…。」
 ゾロの背で柔らかな羽ばたきを見せて"@わ…っ"と開いた翼のその先が、触れもしないで跳ね飛ばしてしまったから。この真っ白な羽は、どうやら空や宙に浮くためのものではないらしい。その素晴らしい威力を見やって、


   「聖護翅翼だわ。」


「ナミさん?」
 こちらは水晶珠越しに見守る面々。やはり呆然としていた一同だったが、そんな中、ナミが思い出したようにそんなことを言い出した。
「楯としての純白の翼。どんな攻撃もどんな瘴気も寄せつけない、どんな防御封咒より強靭な翼なのよ。」
 浄天仙聖。神格に連なる存在なればこそ、その身に宿すことが出来た聖なる翼だということか。だが、これまでの彼の生の永き歳月の中、一度たりとも…兆しさえ出なかったもの。どんな大怪我を負おうと、どんな窮地に立とうと、彼はあくまで"破邪"でしかなかったのに…。
「やっと掴まえた、腕に抱いたルフィくんを、何があっても守らねばと、あの土壇場、もう後がないって場面でそうと堅く決意したのが目覚めを招いたんじゃないのかしら。」
 ナミにしたところで正確な詳細が分かっている訳ではない。けれど、これまでの苦戦苦衷の最中と、今の彼との違いというとその点しかないのだし、
「黒鳳が巡らせた"転輪天廻の封"さえ掻いくぐったは、神格者である証し。」
 ゼフ翁もそうと呟き、水晶珠の中、それは余裕綽々な構えの翡翠眼の破邪を…今時風の浄天仙聖と認めた様子。そんな力強い後押しの下、皆して…この形勢逆転と相成った状況を固唾を呑んで見守った。無論、先程までの絶望感からではなく、胸に沸き立つ希望の興奮を抑えながらだ。





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