月下星群 
〜孤高の昴・異聞

   天上の海・掌中の星

    〜 黒の鳳凰 LAST DESTINY N
 


      四の章  光紋



          



 あれほどまでに灼熱の赤が立ち込めていた空間が、宙を舞い飛んでいる真白き羽根により、その苛烈なまでの熱気を柔らかに宥められつつある。光さえこぼしながらの羽根の乱舞は負や邪の気配、生気を中和するエナジーであるらしく、この坩堝
るつぼのような空間を、まるごと埋め尽くして塗り替えようという勢いだ。そんな形勢の中、宙に浮かんだままにて足下を見下ろすと、
「よくもまあ、好き勝手を散々とやらかしてくれたよな。」
 ゾロはその口許をやや吊り上げて、先程までそれこそ散々に苦汁を飲ませてくれていた小さな存在へ、ゆったりとした声をかける。
「他のやんちゃは許せても、こいつを泣かせて追い詰めたそれだけは絶対許せんな。」
 人形のように感情の動かない、道化の仮面を睨み据え、滔々とまくし立てる雄々しい破邪のその懐ろからは、
「………。」
 大好きな庇護者の深い懐ろ、頼もしい胸板に小さな手でしっかと掴まったまま、幼
いとけない坊やがやはり相手をじっと見据えている。
「こいつも、天聖界も、お前なんぞには勿体ねぇからな、絶対に渡さん。」
 にやっと笑って、ゾロはこうも付け足した。
「俺は欲が深けぇんでな。」
 何とも見事な余裕の口上。眼下の敵を完全に小者扱いの見下し台詞であり、
《………くっ!》
 追い詰めていた筈の、あと少しで全てを成就させていた筈の"黒鳳"が、逆に何とも苦々しい気配の滲んだ声を出す。妙なもので、さっきまではあれほど…小憎らしいまでに余裕に満ちて見えた同じ仮面の顔が、今度はかなりがところうろたえて見えたりする。
《何をいい気になっておる。お前ごときがこの妾に勝てると思うてか?》
 彼の後背に再び、余りある妖気が炎のように立ちのぼる。
《その坊を拾い上げてくれたは重畳。さあ、こちらへお渡し。お前にもそれなり、礼は設けようぞ。》
 何とか威容を保とうと高笑いを見せようとするのだが、周囲を埋めつくし始めている純白の羽根の勢いに、どこかしら気色が不安げだ。それへとこちらも"ふふん"と笑って、

   「来やっ!」

 ゾロが軽く頭上に構えた右手。そこに光が集結し、するすると長い形状に育つと白い鞘のあの刀が現れる。それを見て、
「…あ。」
 ちらと初めて不安げな顔になったルフィだ。だって、
「それ…。」
 さっき、あの少年との斬り結びで刃が折られた筈だ。柄を握って下げ緒を歯で引く、いつもの仕草。鞘は空気に溶け込むようにふわりと消えて、そこから現れたのは…やはり半ばで折られた白直刃である。だが、
「大丈夫、心配はいらねぇよ。」
 翡翠眼の破邪は太々しく笑って見せ、柄の先、握った手の小指側の端を、手元へと引き寄せて、
「…ほら。」
 何かをルフィへ促した。
「え? え?」
 戸惑う彼が見上げて来るのへ、こくりと頷きを一つ。それで意が通じたか、坊やはその小さな手を柄頭へと触れさせた。そこへ、

   「浄魔封滅っ!」

 心の奥底からの叫びとともに、ゾロの…いや、彼とルフィが手を添えた"和道一文字"が白熱灼光に包まれる。すると。折れた筈の刀がするするとその丈を伸ばして、すくすくと育ってゆくではないか。
「あれは…」
 元の長さより大きく育った、刃も柄も雄々しく伸びた新たな剣。舞い散る羽根の只中を貫いて、白銀の稲妻が閃き、刃の輪郭を弾くように撫でた。
「…ふわぁ〜。」
 光が収まったことで、ルフィがそろそろと手を引っ込めて、ゾロの肩口に掴まり直す。そんな彼の前、まるで盾のように構えられたる精霊刀は、
《………っ。》
 外観だけで十分に"黒鳳"をたじろがせるまでの風格を呈していた。長く雄々しくその容貌を変じさせた煌めく刀身は氷のように冴え、月光のように蒼く尖った存在感を辺りへと撒き散らしている。こちらも長めに伸びた柄には、糸を巻いて固められたその間に幾つもの水晶珠が嵌め込まれていて、身構えるゾロとその腕に守られたルフィとをくるみ込む、緻密な障壁咒があふれ出ているらしい気配。そんな大太刀を、こちらも大きな手ががっしと握り、

   「聖浄滅成っ!」

 じゃきっと鍔を鳴らして身構えたるは、恨み重なる憎っくき魔性へ向けて。…とはいえ、懐ろに抱えた少年へ片腕を取られ、彼を取り落とさぬよう、振り回さぬようという、言わば片手間のような余裕の立ち姿のままなのが、今度はこちら側の優勢を示していて。何とも心憎いばかりの頼もしさよ。
《………くっ。》
 逆に、黒鳳の少年はというと。自分を取り巻く状況の激変に、何かしら感じる危機感があるのだろう。気を許せば取り込まれそうな圧倒的な正の気配に、打って変わって落ち着かない様子を見せていて、
《小癪なことを…っ。》
 それでも、これまでの気勢は何とか保とうと思うのか、忌ま忌ましげな声で顔を振り上げ、
《…来やっっ!》
 やはり先程の妖光刀をその手に掴み出す。そんな彼へ向けて、


   「哈っっ!」


 頭上に軽く振り上げた刀をぶんっと。まとった水気を切ったという程度の軽々とした仕草で振り下ろしたゾロであり。
《な、なにっ!》
 その切っ先から飛び出したるは、弾けんばかりの光の刃。大きなブーメランのように宙を滑空し、避けようのない速さと威力にて、黒鳳の体、見事に胴斬りにしてしまう。


   《…ぐあぁっっ………!》


 脾腹に食いつき、背後へ通り抜けた光の刃。その勢いに押されて数歩ほど後ずさってから、地に崩れ落ちた魔性の少年。立てた腕でやっと身体を支えて呻いていた黒鳳のその顔から、道化の仮面が砕けて取れた。
《ぎぃ…。》
 顔を上げた彼は、もしかするともう…その身に宿っていた"黒鳳"自身ではなかったのかもしれない。ルフィが死んだと思ったその時に、この体、この器で我慢するかと呟いた彼だった。ということは、仮の器として"誰か"の身に宿っていたということではなかろうか。だが、
《…が…。》
 縦に張られた糸のような光彩。あの闇の邪妖・黒鳳としての力を満たしていたがための強い闇の力にまみれたまま、暴走しかかっている。
「…ゾロ。」
「ああ。」
 それが"誰"であれ、このままに捨て置く訳にもいかないからと、翡翠眼の破邪は再びその剣を高々と振りかざす。


   「哈っっ!」


 新たにほとび出た光は、さながら…刃のような鋭さと逃れることも刃向かうことも許さぬ容赦のない力強い速さで放たれ、辺り一面、この空間内にある全ての存在を飲み込むかのように広がった。そして、その身に光の侵食を受けた魔性の少年は、

   《ぎぃやぁーっっ!》

 その存在がまとっていたのだろう、黒の鳳凰の影が叩き出された。その陰を追うように宙空へ放たれた灼光は、忌々しい闇禽の影に力強くからみつき、頭から喰らい尽くさんという勢いで影を呑み込んでゆくではないか。
「………すごい。」
 ほとばしる閃光はあまりに目映く、中空にわだかまっていた闇の澱みはかつかつと呑まれて掠れ、


   《な、なぜ…っ!》


 さしたる抵抗もないままに消えてゆく。

   《なぜ、この"黒の鳳凰"たる妾が…妾が滅するのじゃ………っ。》

 その断末魔の声も何かも、剣が放った聖の力に相殺されてすっかりと消滅したらしく、

   「…。」

 辺り一帯が闇さえ呑むほどの炎華焔光におおわれて、余燼を許さぬ勢いで闇の陰を一気に蒸散させる。純白を通り越し、痛いほどの、質量があるのではと感じるほどの強烈な光がほとばしり、辺り一面を圧倒する。






 





   「………。」


 再び。柔らかな光とそれに寄り添う静かな陰が世界に戻った。辺りに満ちるは、ただただ静かな"無"。耳鳴りを誘うような素っ気ないそれではなく、森閑謐々、寂寥として莫。それはそれは安らかで、ここから何かが始まりそうな"無"だ。他の次界との接点から注がれていた歪みと、それを灼熱にて蕩かしていた莫大なエナジーまでもが、今の凄絶なる浄化によって均されたらしい。………と。

   「…っ。」

 宙空なのか、それとも地なのか。純白の風景の中に"ことん…"と力なく倒れ伏した少年の姿が見えた。まるで桜花が風にまろびながら散ってゆくかのように、はらはらと、ほろほろと、その姿はたちまちのうちにも変化してゆく。装束も真っ白な、無邪気で健やかな、愛くるしい無心の顔へとだ。それへと、

   「………。」

 どうしたものかと顔を見合わせる二人なのを見て、


「…何をしているの。」
 水晶玉を介して見守っている側の陣営は、ついつい歯痒い声を上げた。
「そんな危険な存在、触れてはならないわっ。」
 またもや、何かしらの呪咒を残した黒鳳なのかもしれないではないか。そんな曖昧で危ない存在、空間ごと封をして葬り去るに限る。ナミが堪らず立ち上がりかけたのは、何とかしてその意志を伝えたかったからだろうが、

   「…あ。」

 それを引き留めた声が小さく上がった。大きく眸を見張ったその人物は、

   「あのね…。」

 ルフィに何やら耳打ちされたゾロが、その小さな誰かをそっと、もう片方の腕へと抱えたのへ…礼をするかのように頭を下げて見せたのであった。






 


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