月下星群 
〜孤高の昴・異聞

   天上の海・掌中の星

    〜 黒の鳳凰 LAST DESTINY C
 

 
   一の章  火紋



          



 年明けからこっち、陽の入り時刻は随分と遅くなった。冬至を過ぎてなお、陽の出がどんどん遅くなっているのと引き換えのこと。そうではあっても、夕食時ともなれば…さすがに明るい灯火が嬉しくなる、人恋しい季節には違いなく。
「ルフィくん? 入りますよ?」
 子供部屋のドア。ゆるく握って丸くした指の背で、コンコンとよく響くノックをし、声をかけたが反応はない。静かに回したドアノブの響きさえ大きなものに聞こえるほど、室内はしんと静まり返っている。明かりはベッドサイドの机用のライトと、ドア近くの足元に置かれた満月みたいなボール型の間接照明だけが灯っていて。
「ルフィくん? 夕食を持って来たのだけれど…。」
 トレイに載せた幾つもの皿や鉢。よく食べる元気な子だと聞いていたから、サンジには及ばないがそれでも自慢の腕を振るって、ハンバーグやらマカロニサラダやら、コーンポタージュにミックスサンド、ジューシィなミンチ一杯のミートソースを平たいパスタシートで包んでトマト風味のデミグラスソースで煮込んだカンネロッニに、やはりお手製の焼きプリン、蜂蜜ソース添えというメニューを運んで来たビビだったが、
「………あ。」
 お昼下がりに帰って来た彼だったからと、おやつを兼ねた昼食に作って運んだオムレツとパンケーキが、机の上、そのままになっているのに気がついて。
「ルフィくん?」
 ベッドの上、窓の方を向いて、心持ち体を丸めて横になっている少年へと声をかける。
「美味しくなかった?」
 訊くと、ふりふりと首を横に振る。
「違うんだ。…ごめんね、作ってくれたのに。でも、なんか俺、食べたくないんだ。」
 こちらを振り向きもしないまま、小さな掠れた声だけが届く。ナミの元から此処へと直行したビビは、先の思わぬ出会い以降、二度目のご対面となる坊やの変わりように、つい息を飲んで言葉が出なかった。あの"初対面"の時も、思わぬ遭遇だったとあってどこか不審げな様子を示していたルフィではあったが、それでもお元気そうな資質は隠し切れず、好奇心旺盛そうな、どこか興味津々という体でいた彼だったのに。
"………。"
 あまりに急な今回の事態とあって、ゾロが不在となる間、彼の身の回りの世話を見てやってほしいとサンジやゼフから言われてやって来たこの家で再会したルフィは、同じ坊やだとは到底信じられないくらいに意気消沈し、すっかりと生気のない表情をしていたのである。とはいえ、
"大好きだったんですものね、ゾロさんのこと。"
 場合が場合なだけに、ビビにも彼の気持ちは痛いほど分かる。その目の前で深手を負って倒れた破邪精霊のゾロ。頼もしい人だから、頼りにしていたからという理由からだけでなく、家族のように馴染んでいた、それは懐いていた大切な人。大きな体のその懐ろに掻い込まれ、坊やの側からも"ぎゅうっ"としがみついていた、何とも微笑ましかったそんな様子が、ビビにとっての彼ら二人の最初の印象でもあるだけに。そんなにも大好きだった人が大怪我を追い、倒れたそのまま帰って来ない心細さを思うと、何とも…かけてやれる言葉さえも見つからない。
「…そう。じゃあ、お腹が空いたらで良いから、いつでも良いから食べてね?」
 すっかり冷めてしまった手付かずの昼の膳とトレイを入れ替えて、あまり押しつけにならないような口調で声をかけ、そっと部屋を後にする。最後までこちらを見ようともしなかった小さな背中がやはり痛々しかったが、なればこそ、溜息ひとつでも易々とその心を切り裂いてしまいそうで、
"…本当に。"
 何でこんなことになってしまったのか、どうしてあんな幼
いとけない坊やがこんな試練に立たされねばならないのかと、今更ながら切実に思う。ナミのところで聞いて来た、今回の事態の奥深さや大変さを思うとなお、気が滅入りかかるが、
「…うんっ。」
 周囲が沈んでいては始まらない。分かりやすく大きく頷いて気持ちを切り替え、階下までとたとたと軽快な足取りで降り立った。今時風の洋間ばかりの2階建ての分譲住宅。階下にはリビングとダイニングキッチンがあって、リビングのソファーには黒髪の少女が座っている。降りて来たビビを見て、
「どうでした?」
 引き締まった声をかけてくる彼女へ、肩をすくめて首を横に振り、
「やっぱりゾロさんのことが心配なんでしょうね。しょんぼりしたままよ。」
 抱えて来たトレイを続き間のダイニングの先、カウンターの上に載せ、
「でもね、いつ元気が復活しても良いようにって、こっちも構えてなきゃいけないわ。」
「??? どういうことですか?」
 意味が判らなかったのだろう、きょとんとする彼女へ、
「だから。サンジさんからいつも聞いていたの。あの子、ルフィくんがいかに元気で溌剌としていて、周りの人たちをまで明るくしちゃえる素敵な子なのか。今はしょげちゃっているけれど、大丈夫。すぐにも元通り、元気な彼に戻るから。」
 ぐっと両手を拳に握り、大丈夫を連呼するビビの様子は、自分をこそ奮い立たせたいという風にしか見えないが。それでも…得体の知れない緊迫感に包まれた今、明るく軽やかにそよいだ救いの空気ではある。
「それじゃあ、私は何をすれば良いでしょうか。」
 ソファーから立ち上がった少女へと、
「あ、ううん。あなたは待機していて下さいな。」
 胸当てのついたエプロンの腰紐を結わえながら、ビビは小さく苦笑を見せる。何も一緒に立ち働きましょうというつもりはなかったらしく、
「たしぎさんには、気配に注意するっていうお役目があるのだし。」
 はい、もうお気づきでしたよね。ビビと一緒にルフィ坊やの傍らへ"待機せよ"と送り込まれていたのは、新米破邪のたしぎ嬢。こんな事態に、彼女のような新米破邪が頼り
アテにされたとは、自分でも思っていない彼女であり、
『枯れ木も山のにぎわいってところなのでしょうね。』
『えと…。』
 あまりに斟酌なくスパッと言ってのけた彼女には、ビビが思わず返答に困っていたが、別にいじけて嫌みを言った訳ではない。大方、そのランダムに働く霊感の強さを買われたまでのことだろうなと、何となく気がついてはいた。殊に、この家の坊やへ"何かしら大きな存在を招き寄せる導引の気がある"と最初にすっぱり見抜いたのも彼女である。ルフィが持つ力の属性は、これまで誰にも"こうだ"と断じることが出来ずにいたのだが、それを見抜いた感応力はやはり只者ではない彼女だということか。
「判りました。」
 ビビから言われて再びソファーへと腰掛け直す。傍目には何ら変わりのないこの家だが、実を言うと…その周囲の四方に"聖衛"の精霊たちが封咒を唱えながら鎮座しており、宙空にも何人か、また、そのそれぞれの間にも隙間なくという勢いで、二十数名ほどというかなりの数の精鋭精霊たちが、周囲への警戒を怠ることなく、緊迫したままに詰めている。たった一人の子供を守るためにこうまでの堅い守りを張るというのは、近年にはまず無かったことなだけに、この事態に対して天聖界がどれほどの警戒を敷いているのかも窺えて。
"せめて。事が起こった時に、少しでも力になれれば。"
 破邪としての初仕事がこんな物々しい代物になった緊張に、どうしても体が堅く強ばってしまう。それを振り払おうとしてだろう。たしぎ嬢は深い吐息を一つつき、何とか集中を絶やさぬようにしようとばかり、目を伏せたが………その途端。

   「………っ!」

 あっと言う間に立ち上がり、しかも肌身離さず抱えていた精霊刀を、それは素早い早業ですらりと引き抜いていたから、
「…たしぎさんっ?」
 遅ればせながら、キッチンの方からもビビがすっ飛んで来たし、リビングを取り囲む三方の壁からも、警護に当たっている"聖衛"の顔触れが数人ほど、ぬうっとその姿を現している。こうまで厳重に固められた守りの中、あり得ない筈の隙をついてそれは見事に飛び込んで来た"何者"かは、だが、

   「ななな、なんだようっ! 俺はっ、何にもしてないぞっ!」

 あまりに沢山の存在から、しかも攻撃一歩手前という緊迫感一杯の構えで見据えられたものだからだろう。怯え切ってがたがたと震えながら、それでも一丁前な啖呵は切って見せる小さな魔物。小さな体には茶褐色のふかふかの毛並み。丸っこい角に、濃緋色の山高帽子をかぶった彼こそは、
「…チョッパーじゃないの。」
 真っ先に攻勢を引いたのはさすが"聖衛"の皆さんで。ビビがそんな声を上げた瞬間にはもう既
とうに、元の配置へ戻られた様子で姿もない。そんな状況の流れへと、
「え? え?」
 確かに見栄えは何とも可愛らしい魔物の子供だが、この厳重な包囲網を易々と掻いくぐった存在だ。侮ってはいけないのではなかろうかと、依然として構えを解かないたしぎ嬢には、
「大丈夫よ、たしぎさん。この子はサンジさんの直属の使い魔くんなの。」
「え?」
 ビビが苦笑混じりに説明してやった。
「きっと、サンジさんがここに張られてある"聖衛障壁"と同じ咒をかけて寄越したの。その場合は難無く擦り抜けられるのよ。」
 そんな簡単なものなのかと呆れてはいけない。ここに集められたは、くどいようだが聖封一族の中でも特にと厳選されたる"防御封印"の使い手たち、すなわち名だたる実力者たちばかり。そんな顔触れたちにより…これと決まった定番の封咒ではなく、時間により組み合わせを変えつつという、それは複雑にして強固な障壁封咒が施されているのだから、確かにそうそうあっさりと掻いくぐれる筈はないのだが。それを見越して解析し、チョッパーにまんま同じものをかけてしまえるサンジの側の手腕や資質の方こそが、並外れて素晴らしいという理屈の順番になるのであるらしい。

   「で。一体どうしたのかな? チョッパー。」



            ◇



「………。」
 ほんの半年ほど前までは、この家で殆ど"独りぼっち"だったのに、それが当たり前だったのに。今は。ゾロがいないのがひどく寂しい。ビビさんもたしぎさんもわざわざ来てくれてるのに。庭やお屋根にも何人か、頼もしそうな精霊さんたちが一杯来てくれてて、守ってくれてるって判る。………なのに。
"………。"
 何だか胸の奥がひどく閊
つかえてて。お腹もちょっとは空いてるような気がするのだが、何かを食べたいとまでは思わない。高ぶってた気持ちが疲れてかそろそろと落ち着くそのたびに、何度も何度も脳裡に蘇るのは、背が高くて野性味いっぱいの容姿をした、ぶっきらぼうで、けどでも坊やにだけは優しかった破邪さんの、響きのいい声や心地のいい温みと、それから…どんなに呼んでも応答がなかった冷たいお顔。
「…ぞろ…。」
 大好きな破邪、大切な精霊。とっても強くて頼りになって。でも、無茶も一杯するらしいから。怪我だけはしないでって、いつもいつも言ってた。だのに、
"俺が呼んだからだ。"
 怖くて怖くてそれでつい、ゾロのこと、呼んだ。教えてもらってた"真
まことの名前"で。絶対に駆けつけてくれる、魔法のような大事な名前で。

   『初めてだな。』

 今までのずっとは、怖いなって思うような相手に一人でいる時に出会っても、我慢して呼ばなかった。頑張って帰れば、家まで辿り着ければ。ゾロが居るって判ったら、どんな怖い奴でも向こうから怖がって近寄らなくなるから。ただ、そんなことしてたら"意味ねぇだろが"って時々叱られちゃったけど。叱る時でもゾロはすごく優しくて。お膝に抱えて、温かい懐ろに囲うように引き寄せて。今度からは気ぃつけろよって、おでこをくっつけて言い聞かせるゾロだったから。反省するより、また何かで叱られたいかななんて思ったくらいで。
"………。"
 温ったかくて自信満々で、いつだって頼もしいカッコいいゾロ。大好きな精霊。大切な精霊。ゾロを悪霊か何かだと誤解したエースと揉めかかった時だって、どっちかっていうとゾロの方に加担してた。ゾロを誤解されたのがすごく哀しかった。
"俺が呼んだから、俺を守ろうとしてあんな怪我をしたんだ。"
 あんな…ピクリともしなかったほどの大怪我で、大丈夫なはずない。サンジはあっと言う間に治るなんて言ってたけれど…。
"俺が居たからいけないんだ。"
 こんなにも小さくて弱くって。ゾロが放っておけないくらいに頼りなくって。ホントは時々にだけ来れば良いのに、ずっと傍に居なくちゃいけないなぁって思わせちゃって。
"…エースん時と一緒じゃないか。"
 昔、兄に一杯無理させたのと何ら変わりのないことを、あの精霊にも強いていた自分だと思うと、何だかもうもう、このまま消えてしまいたくなるルフィであるらしく。
"…ぞろぉ。"
 このお元気な"お日様坊や"がそうまで後ろ向きに思い詰めるということ自体、もう既に只事ではない。時々思い出したように悲しいのが沢山込み上げて来て、ぐすぐすと涙をこぼしては枕に顔を埋めていたルフィだったから、
「………ルフィ?」
 ノックの音がして誰かが名前を呼んだけど、何だかもう、お返事するのも疲れてしまって。そのまま黙っていると、
「寝ちゃったのか? ルフィ。せっかく俺様が来てやったのによ。」
 ドアがすいっと開いて、聞き覚えのある舌っ足らずな声が入って来た。
「ルフィ、寝たのか? せっかくいいお土産持って来てやったのに。」
 ぽてぽてと。特長のある足音。床に敷かれたラグの縁を回るようにして、窓側、ルフィが体を向けている方へとわざわざ回って顔を覗き込んで来たのは、
「…チョッパー。」
「当たりだvv」
 えっえっえっ…と嬉しそうに笑って見せたのは、サンジのお供でよく遊びに来ている直立トナカイの魔物、チョッパーという使い魔だ。こんな事態の只中だというのに、彼は普段とまるきり変わらぬ様子でいる。ちょっぴり偉そうで、そこが可愛い無邪気なトナカイさん。ああ良いなぁ。チョッパーは"いつも"の中にいるんだ。他の人たちみたいに"昨日の続きの今日"の中にいるんだ。正体の分かんない何かに大事な人を傷つけられた訳でもなくて、それと気がつかない"幸せ"の中に当然顔したまんまで居るんだと、羨ましいなと、相変わらずにどこか後ろ向きなままのルフィ坊やだったが、
「シケた顔してんじゃねぇよ、このヤロがっ。」
 チョッパーはそんな風に言い放ち、
「俺が良いお土産を持って来てやったからな。それ見て元気出せ。」
 ちょいと帽子のつばを蹄の先で持ち上げて見せる。そこから"ころん"と転げて出て来たのは、
「…水晶玉?」
 チョッパーの小さな蹄の先で摘まめる、ビー玉みたいに小さなガラス玉。けれど、透明感がちょっと違い、深みのある色を呑んで奥深い光を蓄えている様が、この薄暗い部屋でも見て取れた。
「明かり、点けた方が良いかしら。」
 彼と一緒に部屋へ入って来たビビがそうと訊いたが、
「いや、中から光が出るからな。このくらいの方がいい。」
 チョッパーは鹿爪らしい言い方をし、小さな小さな水晶玉をベッドの上、ルフィの顔近くへと置いてから、
「んと、ん〜〜〜〜〜、やっ!」
 何やら唸ってから、ちょんっと天辺をつつく。すると、水晶玉はポンッと弾んで大きさを増した。ビー玉サイズだったものがいきなりソフトボールくらいにまで膨れたものだから、ルフィもこれにはビックリして見せ、
「凄いな、チョッパー。」
 可愛い手品に感心して見せるが、
「これはまだ準備だっ。」
 チョッパーの、どこか芝居がかった…愛らしい真面目なお顔はまだ崩れない。大きくなった水晶玉の、やはり天辺を蹄の先でつつきながら、う〜ん・む〜んと大きな瞳を眇めて見せて、
「えいっ!」
 強めの気合いをかけると、
「………え?」
 ただ透明で、シーツの白と室内の薄暗さを吸い込んでいただけだった水晶の中に…すうっと青や紫の光が渦を巻く。そしてその渦の中心がふわりとほどけて…。

   【………フィ、ルフィ? 聞こえるか?】

 自分へと呼びかける声がした。この声は………?

   「え? あ…ぞ・ろ?」

 信じられなくて、でも。聞き間違える筈のない声。大好きな響きの、深みのあるあの声だ。
「ゾロなのか? なあ、ホントにゾロなのか?」
 どこかもどかしそうに訊いてから、チョッパーが"土産を見て元気を出せ"と言っていたのを思い出す。慌ただしくも横になってた身を起こしてから、そぉっとそぉっと水晶玉を両手で持ち上げて、その中を覗いてみると。
「………あっ!」
 見えたっ。
「ゾロ、ゾロだっ。」
 横向きになっているゾロの顔が見える。思わず水晶の向きを変えてみたが、ゾロの顔はやはり横になっていて、
"あ、そうか。"
 怪我の手当てが終わって、ベッドに横になっている彼なんだと、思いが至る。
「…ゾロ。」
 ああやっぱり、怪我は重いんだなとあらためて思った。お顔も何だか元気が足りない。挑発的って言うのかな、隙なく構えてて挑みかかって来るような、そういうピリってした張りが ちと薄い。だけど、
【こら。何て顔だ。】
 先にそんな風に言われてしまった。
【要らないことばっかり考えていたんだろう。】
「だってさ…。」
 ああ、温ったかい声だなと思って。そのせいで、また眸の奥とか鼻の奥とかが"つんっ"てして来たルフィだ。そうなるだろうと見越したのか、タオルを何枚か持って来ていたビビが、ベッドの端にそれを置き、にこにこしているチョッパーを促して"そぉっ"と二人ともお部屋から出て行った。それに気づいたのだかどうか。ルフィの眸と想いは、もはや水晶珠へと釘づけである。
「怪我は? 痛い?」
【んん、今はもう平気だ。一日二日寝てりゃあすっかり治るとよ。】
「…そか。」
【心配させたみたいだな。】
「ん〜ん、俺は良いんだ。」
 答えながらもタオルを鷲掴みにし、ルフィは顔をその中へと埋めた。
【ルフィ?】
 怪訝そうな声をかけられて、
「…ごめんな。」
 タオル越しの小さな声。くすんと息をついてから顔を上げ、
「あんな、さっきまでは悲しくて寂しくて。俺のせいだよなって思って辛くてさ。」
【…こら。】
 ああ、やっぱり叱られた。
「でもな? 今、ゾロの声聞いて、お顔見たらな? 急にお腹とか体中がぽかぽかして来た。」
 うまく言えないのが もどかしくて、うずうずする。さっきまで消えちゃいたいって思ってたのが、早く会いたい、ゾロに直に会いたいって、早く明日に明後日になれって思う。頑張って笑ったら、そんな気持ちが伝わったのか、
【すぐに治してそっちに帰るからな。】
 にやって笑ってゾロが言う。本当に何でもなかったっていう、張りのある声と態度になったのが嬉しい。あんなに悲しくてあんなに怖かったのが、そしてあんなに苦しかったのが嘘みたいに薄くなったから、
「うん。早く帰って来てね? 早く傍に来てね?」
 急っつくように言ったら、
【………。】
 ゾロ、ちょっとだけ黙った。何だか、じってこっち見てる。
「ゾロ?」
【ああ、いや。…うん、早く帰るよ。】
 わぁ〜、そんなふんわりした笑い方って滅多にしないのに。いつものキリリってしたお顔も大好きだけど、そんなやわらかいお顔も出来るんだなぁ。嬉しくて、でも、
「………。」
 やっぱり何だか。胸の奥にうずうずってしてる何かがある。ゾロは遠いとこにいるんだなって思ったら、凄く凄くもどかしくて。お顔が見えても声が聞けても、文字通りの"ガラス越し"だから。大きな手にも触れないし、温ったかい胸にもしがみつけないんだもん。これが"切ない"っていう気持ちなんかな。
【…不安にさせちまったみたいだな。】
 何だか神妙な顔をするルフィに、ゾロもまた静かな声になる。苦笑を見せて、
【本当にな、怪我はもう随分と良いんだ。】
 そんな風に繰り返し、
【怪我よりもな、お前がそんな顔してる方が辛い。】
「…ゾロ。」
 自分にだけは、それはそれはやさしい精霊。笑ってなと、心配すんなと、こっちにばっか、気を遣うゾロ。厳しい顔で冷酷なまでの仕置きをする、破邪の中でも最も強い、途轍もないほど凄腕の彼だのに。柄ではなかろう幼い子供のお守りのようなことを、手際よく温かく…時々は手を抜きつつも
(笑)きちんとこなして構ってくれる、なかなか寛大な精霊。この世にただ一人、自分にだけの笑顔やキスだと思うと、それだけで胸の奥が体の芯が蕩けそうになる、大好きなゾロ。
"…だから。"
 だからあんなに怖かったし、こんなに辛いんだ。頼りにしているからじゃあない。好きだから、大切だから、心配で心配でこんな切ないんじゃないかっ。
「…うん。元気になる。」
 ルフィは懸命に笑って見せる。
「今はちょっと、お腹が空いてて引きつってるけどな。すぐ元気になるっ。」
 何だそりゃあと、妙な言い方にゾロが笑って、釣られるようにルフィも笑った。何だかまた、涙が出て来そうな気持ちも込み上げて来たけれど、頑張って頑張って"えへへ"と笑って見せたルフィだった。






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