月下星群 
〜孤高の昴・異聞

   天上の海・掌中の星

    〜 黒の鳳凰 LAST DESTINY D
 

 
   一の章  火紋



          



 洗い物を済ませて、リビングにて。チョッパーやたしぎを相手に何か語らっていたビビだったが、
「…あ。」
 戸口に立ったルフィの姿に気がついた。両手にお盆を抱えている彼で、まさか下げて来てくれるとは思っておらず、それを見てちょっとびっくりしたせいだろう。
「あ、あのね、御馳走様でした。」
 つい。急いでそちらへと立ってゆくと、少しばかり戸惑ったような顔になりつつも、そう言ってお盆を見せる。様々に並んでいた筈のメニューが、全部きれいに片付けられているではないか。
「全部、食べてくれたのね?」
「うん。とっても美味しかったよ? ミートソースのパスタみたいの、初めて食べた。」
 にこにこっと笑うその笑顔が、作った側には何よりのご褒美だ。何だかこちらまでじわっと目許が熱くなりそうな気持ちになりかかったが、
「そいでね、あのね…。」
「? なぁに?」
 トレイを受け取ったビビに、ちょっともじもじ。だが、優しい気配のままに待っててくれてる彼女だというのへ、甘えても良いかなと顔を上げ、

   「お昼のオムレツ、も一回作ってくれますか?」
   「…あら☆」

 そういえば、とっても食いしん坊さんだとも聞いている。あんなに打ちひしがれていたものが、食欲が出るまでに回復したのねと、何とも分かりやすい復活ぶりへ、だがだが、心からホッと出来たビビであり、
「判りました。すぐに出来るから、ちょっとだけ待っててね?」
「うんっ♪」
 にこぉっと笑ったお顔のなんと眩しいことか。そんな二人の傍らで、
「あ、オレもオレもっ! ビビのオムレツ、食べたいっ!」
 チョッパーが割り込んで来て、二人揃って"ぷくく"と吹き出す。
「分かりました。すぐに作りますからね。」
「おうっ!」
 不思議なもので。先程まではどこかお通夜のようにひっそりと息をひそめていて、話すことさえ何だか話題を選ばねばならないような気がして。警戒が必要だという場合なのでそれも仕方がないことだとはいえ、何だか鬱々と暗く沈んでいたのに。小さな坊やが元気になった、にこにこ笑顔を取り戻したというだけで、場の空気の何と華やいで明るくなったことか。どうにも生真面目で考え方も堅い自分とは正反対、なんとも影響力の大きな、だというのに軽やかなまでの生気に満ちた、生き生きと明るい存在なんだろうかと、たしぎは感心してさえいる。
"…不思議な子だな。"
 先日の初対面の時は、あの破邪のことをよく知らなかったものだから。何て大きな陰の者の気配が人世界に紛れ込んでいるのだろうかと気になって、それで顔を合わせるような運びになってしまったのだが。あらためて向かい合う坊やの柔軟そうな気配、生気のカラーには、成程、誰をでも惹き寄せ、魅了してしまうような人懐っこいものが満ち満ちている。
「…あ。」
 あんまりじっと見やっていたからだろうか。日頃、消気の構えを基本的に取っている筈のたしぎに、ルフィがあっさり気がついた。
「こんばんわ。」
 にこっと笑ってソファーに寄って来る。チョッパーの方はキッチンへ向かってしまったので、話相手がいなくなったからだろうか。思えば自分は、彼に随分と余計なことを言っている。あの翠眼の破邪への悪態の数々はともかくも
(笑)、ルフィ本人へも魔を引き寄せやすい"導引"の性があるだなぞと、不安にしかさせないだろう失言をしていて、その件へは天使長からもやんわりとクギを刺されたばかり。だというのに、
「………やっぱり似てる。お姉さん、俺の従姉妹のお姉ちゃんにそっくりだよ?」
 大きな眸を懐っこく向けて来る。ニコッと笑って、そのまますぐ傍らへと腰掛けて、
「こないだね、メールで写真を送ってもらったんだ。最近会ってなかったから。でも、やっぱりそっくりだった。秋田のたしぎ姉ちゃんの方が、もちっとお姉さんだったかな。」
「???」
 向こうの"たしぎさん"の方が見た目で年上だということだろう。それはともかく。そっくりだと確かめられたことが嬉しいらしくって、
「だったらね、お姉さんは俺のご先祖様かもしれないんだなって。」
「そうなるのかしら。」
 断言は出来ない。何しろ、自分には前世の記憶は欠片ほどだってないのだし、輪廻に関しては特に、曖昧なことを言うのはタブーとされている。小首を傾げるたしぎへと、
「きっとそうだって。」
 ルフィはわくわくと、なお嬉しそうな顔になった。そして、
「きっと良い ばあちゃんだったんだ。うん。」
「………☆」
 おいおい、ボクってば。
(笑)いきなり"ばあちゃん"呼ばわりは失礼だって。
"ま、まあ、そうなるんだろうけれど。"
 つながっていたとして、ずっとずっと過去の遠い縁には違いない。もしかして遠回しの意趣返しだろうかと、ちらっと思ったが、
「だってさ、イヤな ばあちゃんだったら、そんな人の名前、子供につけたくないじゃんか。」
 けろりと言ってにこにこと笑う。寝て起きたら朝が来てるということを、当たり前のことじゃんかと言い切るような。何とも単純で、だけれど妙に説得力のある言いようだったものだから、
「…そうかしら。」
「そうだっ♪」
 顔を見合わせ合い、くふふと一緒に笑う。可愛い子、愛しい子。用心深い たしぎ嬢があっさりと陥落させられているのへ、キッチンに立って背中で会話を聞いていたビビまでもが、思わず"くすすvv"と微笑っていた。



            ◇



 ほかほかのオムレツをペロリと食べてから、チョッパーやビビらと他愛ないことを話して笑って、瞬く間に宵は深まり。日付が変わりそうな時刻となった頃、チョッパーは天聖界の主人の屋敷へと帰って行った。
『あの水晶珠は持ってて良いぞ。向こうからの呼びかけがあればまた使えるしな。』
 ルフィを元気にした霊信用の宝珠。それを運んで来た彼は、今日のヒーロー、間違いなしでもあろう。厳重な障壁を、だが、やはり"すいっ"と擦り抜けたらしくって。あっと言う間に姿を消したトナカイさんを見送って。ルフィもまた"ふわわ…"と欠伸を洩らしたものだから、ビビがわざわざ寝床までついて来ての就寝と相なった。パジャマに着替えてお布団へともぐり込んだ坊やへ、
「明日はまだ学校へは行けないけれど、お勉強はしましょうね?」
「えー。」
 ビビからのお言葉に、ちょっぴり不満げな顔をする。
「だって1日2日のことなんだろう? だったらそんなに遅れないよう。」
「ダーメ。」
 舌っ足らずな甘ったるい声でねだられても譲らない。こういうところは見た目の優しさを裏切ってしっかりしたお嬢さんであるらしい。ふみみ…と萎
しぼんだ坊やのおでこに、やわらかなキスをひとつ落としてやり、
「さ、おやすみなさい。」
 布団の襟を直してやる。覗いたお顔が仄かに赤くて、
「? どうしたの?」
 訊くと、
「う〜、なんでもないっ!」
 ぷいっとそっぽを向いた。
"何か機嫌を損ねさせるようなことを言ったかしら?"
 そうまでお勉強が嫌いなのかなと…このお嬢さんの方も大概のんびりしてらっしゃる御様子。
(笑)
「…おやすみなさい。」
 小さなお声でのご挨拶はあったので、まあ良いかと深くは詮索しないまま、やわらかな髪を撫でてやってから部屋を出る。廊下の突き当たりには、嵌め殺しになった腰高な飾り窓があって。丁度、雲の切れ間から三日月が覗いているのがよく見えて。
"こんなに静かな夜だのに。"
 本来ならば。何の憂慮とも縁のないままに、明日はどんなお楽しみが待っているんだろうかと、それは屈託ないまま眠っていたルフィであった筈だろうに。世に理不尽は数あると、そんな道理は重々判っていてもなお、今回のこの事態にはついつい溜息が洩れもするビビであるらしい。足音も静かに階下に降りると、たしぎもまた、窓から外を…夜空を見上げている。
「何か?」
 彼女の感応器に何かが触れたのだろうかと、心配そうな声をかけたビビへ、
「いいえ。」
 肩越しに振り返り、黒い髪の女破邪はかぶりを振った。
「ただ、あまりに静かなのが気になって。」
 先程までわいわいと騒いでいたから尚のこと、冬の夜陰の静けさが深いもののように感じられる。その落差が妙に気になった彼女であるらしく、
「"聖衛"の皆様の結界のせいじゃないのかしら。」
 外界との遮蔽が目的の障壁を幾重にも張っている関係で、ちょっとした物音や気配までもが遮られているのかも。
「それなら良いのですが。」
 同じ空間内の気配をそっとまさぐれば、坊やの寝息の気配がやさしいささやかさで届く。元気になってはくれたけれど、それはあの翠眼の破邪からのメッセージに触れることで持ち直したもの。わざわざ奮起して掻き立てた代物だ。
「…そういえば、天使長にはこの騒動の敵対象が判っているのですってね。」
 口外無用と指示されはしたが、たしぎにだけは構わないという付け足しをされている。万が一…などと案じることで、聖封きっての心強い護衛の力を信じないのではないが、今回ばかりは前例のなさ過ぎる事態。どんな"きっと"も"絶対"も、脆くも突き崩されかねない。そして、そんなにも深刻なのだという現実の重さ、新人であるたしぎには重々知らしめておいた方が良かろうと、ナミも判断したらしい。
『プレッシャーに潰されるタイプではないようですからね。』
 負けん気が強くて怖いもの知らず。正義感が強すぎるあまり、まだまだどこか揮発性が高い彼女だが。黙って撓
しなう"様子見"までは知らないらしき、危ないくらいにお堅いこところが、これからの先々で均されたなら、きっと頼もしい破邪になるだろうというナミからの太鼓判の下、今回の現状というもの、たしぎにも話しておいてほしいと言われている。
「判っているとまでの断言はなさらなかったけれど。これほどまでの事態を引き起こせる存在が解放されたとお話しでした。」
 聖封総帥の御曹司でさえ寄せつけぬ強靭膨大な結界封咒を、真昼の陽世界に繰り出せるその上、天聖界随一の力を誇る破邪をあっさりと倒し、そんな彼が専属で守って来た坊やを…恐らくは再び狙いかねない、強大な邪妖。
「"黒の鳳凰"を封じていた封石が、天巌宮から消えていたそうです。」
「…? 黒の鳳凰?」
 ビビの言葉に、たしぎもやはり眉を寄せる。よほど名のある大邪妖か、強大な一族の眷属・末裔の名が飛び出すかと思っていたところへ、お伽話の架空の生き物の名前が出て来たのだから、そうそう簡単には飲み込みにくいことだろう。そういう仰々しい名を借りただけの別口の邪妖の眷属の話だろうかと、怪訝そうな顔になるたしぎに困ったような顔を見せ、
「そうね、そうよね。私もびっくりしましたもの。こんな時に、それも現状を掻き集めてタイムラグの出ないようにと刷り合わせていた場で、一体何の暗号なのかしらって。」
 ビビはそうと続けて、
「神話の中に出て来る生き物。あとほんの数年ほどでそれで済む存在になった筈だった。ところが…どうやら、こちら側からの都合でばかり、お話は紡がれてはいなかったらしいの。」
 それは真摯な表情で言葉を紡ぐ。聖封一族の中でも名のある家系の御令嬢、どこかおっとりとして見えはするが、その能力と気性の芯がしっかりしている点では、新人であるたしぎを補佐するに十分な資質を持ち合わせてもいる、何とも頼もしい存在。そんな彼女がこんな場面で繰り出したことなのだから、場を茶化すような冗談ごとではないのだろうけれど…。
「ちょっと待って下さい。じゃあ、その鳳凰は実在の邪妖だったというのですか?」
「ええ。」
 やはり真面目な顔つきで"こくり"と頷くビビ嬢だ。
「人世界の方々には聖獣たちの大半が架空の生き物に過ぎないけれど、全部が全部そうではないということを多少は知っているでしょう?」
 例えば、あのチョッパーなどが良い例だ。彼だけではない。自分たちもまた、様々な空間を一瞬で自由に行き来でき、能力如何
いかんでは空にだって浮くことが出来る。人世界の人間たちから見れば、架空の存在、妖精みたいな生き物だということにもなろう。
「それはそうですが…。」
 そんな初歩的な事は、幼い子供でなし、既
とうに理解出来ている。ただ。選りにも選って世界の始まりを物語る壮大な神話の中で、最大の難敵として登場した存在。それが実在のものであり、しかも現世に解放されたかもしれないだなんて…。
「………。」
 やはりどこかで"現実"につなぐことが出来るまでの納得が行かず、考え込んでしまったたしぎであったが。そんな彼女の横顔を黙って見やっていたその時だ。

   「…っ。」

 ビビが鋭い動作で顔を上げた。堅く厳しい表情を呑んだその頬を撫でた風にハッとしてから、何もない中空に何かを捜し回るように素早く視線を巡らせる彼女であり、
「どうしたの?」
「今、何かしらの結界が断ち切られた気配があった。」
「結界?」
「ええ。」
 この家を取り囲む強靭な結界のことだろうか。だが、それは…それらは、そうそう簡単には突破されない代物である筈。女性陣二人は静謐をたたえた周囲を見回し、結界内の様子をそれぞれにまさぐる。
「パティさんもカルネさんもまだ持ちこたえてらっしゃるけれど…。」
 一番の外向き、結界封咒を唱えていらした何人かの気配が消えている。
「ルフィくんの傍へっっ!」
 顔を見合わせて頷き合い、強く念じて…頭上に位置する子供部屋へと"飛んだ"二人だったが、
「………なっ!!」
 ほんのつい先程、幼い坊やを寝かしつけた静かな寝室が、まるで嵐の只中にさらされた空間のように、横殴りの突風によって掻き乱されているではないか。しかも、


   
「ルフィくんっ?!」


 毛布や枕が吹き飛ばされたベッドは、誰の姿もない空間と化している。カーテンをなびかせ、細かい様々な雑貨を木の葉のように舞い上げ吹き飛ばして。凄まじい突風が吸い込まれている先の壁には、暗黒の中に垂らされた深紅や紫の染料が渦を巻く…亜空間への窓が開いているから、
「そんなっっ!」
 この家を取り巻く強固な結界を壊しもせぬまま、音も気配もなく侵入していた者があるということか。しかも…既にルフィを攫ってしまったと?
「………ビビさん。」
 長いポニーテールを強い風になぶられるまま、この信じられない光景を前にして呆然と立ち尽くすビビに。何とか我に返ってもらおうと声をかけかけたたしぎだったが、
「…っ!」
 そんな彼女らを目がけて、どんと音がしたかもしれないほどの一際強い突風が横合いから襲い掛かった。
「あっ!」
 抵抗どころか向き直る隙さえないまま。二人は…壁に穿たれた亜空間への入り口へ、大きな波に浚われたかのように、軽々と易々と飲み込まれてしまったのであった。




  〜 to be continued
(初稿 1997.5.30. 2002.12.15.〜)


 *さあさあお話はまだまだ続きますが、火紋の章は此処までです。
  いよいよの佳境…とはいえど、、
  ジェットコースターで言うところの
  最初のお山の頂上にまで来たというところでしょうか。
  筆者の集中力が途切れない事を、どうか皆様、見守ってやってくださいです。


←BACKTOPNEXT→**