月下星群 
〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜南京夜祭 D

 
          




「お前、凄いなー。」
 精霊さんたちが修羅場へと出掛けて行って。取り残された小さな坊やは、あんな形で出て行ったゾロだとあって随分としょげていたものの、
『俺、チョッパーって言うんだ。よろしくな?』
 舌っ足らずなお声をした愛らしいトナカイくんに真下からお顔を覗き込まれると、何とか諦めもついたらしい。小さく笑い返して…ちょっと窮屈だった仮装の黒スーツを寝間着のトレーナーに着替えてから、今は二人、ソファーに腰掛けておやつをもぐもぐ平らげながら、自己紹介がてら、自分たちの身の回りのあれやこれやという、他愛のないことを語らい合っていた。実を言えば、諦め悪く"後を追いたい"とか何とか愚図り出すのではなかろうかとチョッパーは危惧したのだが、力が抜けたかのように大人しくなった坊やであり、そんな様子がトナカイくんを安心させたのではあるが。
「んん? 何がだ?」
 凄いと言われるような武勇伝になんて心当たりのないルフィが小首を傾げると、
「そんな小さいのにさ。あいつンこと、怖くないのか?」
 自分より体つきの小さいチョッパーに"小さいのに"と言われてもちょっとピンと来なかったが。
「ゾロのことか?」
「うん。…あっ、おおお、俺は怖くなんかないぞっ、ホントだぞっ。」
 そんな慌てんでも。
(笑) ぶんぶんと腕を振るチョッパーへ、ルフィはクスクスと笑って見せて、手の中に持っていた缶ジュースを一口飲んだ。
「怖くなんかなかったぞ、最初っから。そりゃあ、いっつも不機嫌そうな顔してたけど。最近はいつも笑ってて。仕方ないな〜って笑ってて…。」
 どんな我儘でも大概は聞いてくれる。今夜のパーティーだってそうだ。部屋の飾り付けとか特別な料理の計画とか買い出しとか。いっぱいいっぱい下準備が要ったりするような面倒なこと、ホントはあんまり好きじゃなさそうなゾロなのに。ルフィがやってみたいと言い出したって理由だけでちゃんと付き合ってくれるし、ウソップが来られなくなったとしょげれば、ホントは他人にものを頼んだり頭を下げるのなんて絶対に嫌なことなんだろうに、わざわざサンジを誘って来てくれた。本気で嫌い合ってまではいないのだろうが、それでもサンジにだって都合とかもあったろうに、そこを突然曲げさせたのだし…。
「………。」
 そこまで考えていて、ふと、
「ゾロってあんまり知り合いいないのか?」
 なんたって"破邪"の精霊、そちらの世界では、言ってみれば"殺し屋"みたいなものなのかも。まま、今日の様子からして、上層部からの指示で動いているらしいからそこまでは行かないのかも知れないが、それでもあれほどの"恐持て様"だ。このチョッパーが怖がっていたのは雰囲気に押されてのことだとして、そういう話以前にあんまり人を寄せつけないでいる彼なのかも…と、ルフィは思ったらしいが、
「そんなことはないと思うぞ?」
 小さなトナカイくんは、向かい合うよな格好のままに抱え込まれたルフィのお膝の上で、大きな眸をきょろんと瞬かせて、
「サンジみたいに優しくはないけどさ。そんでも凄腕だからな。有名だし、知り合いだって一杯いるみたいだ。こないだ向こうで会った時も"兄貴、兄貴"ってくっついてるのが二人ほどいたし。ゾロの方は何だか煙たがってたみたいだったけどな。」
 …それって。
(笑) まあ、先々に出ていただくかどうかは未定なので、ここでは触れませんが。えっえっえ…っと可笑しそうに笑ったチョッパーに、
「ふ〜ん。」
 一応は納得したものの。そういえば、ゾロはあんまり自分のことは話さない。それほど口が上手い訳でもないのに、気がつけばルフィの周辺事ばかりが話題になっているよう、場の空気が自然と振り向けられている。そういったことにまで、今、気がついた。
「そりゃあさ。力の弱い存在からすれば、生気が強い者ってのは、ただ其処に居るだけで怖かったりもするけども。同じくらいのレベル同士なら問題ないから、よっぽど後ろ暗いところがないんなら、いくら"破邪"でも怖くはない。傍にだって寄れるさ。」
 いやに胸を張ってるチョッパーで、そういや あんた、こないだ怖がっとりゃせんかったかね。
"だから。もう平気なんだよ。"
 ははぁ〜、それで"強いレベルが同じくらいなら平気だ"なんて強調しとるんだな。サンジさんと一緒の時なら、そりゃあ怖くはないだろし。
"うるせぇなっ!"
 あっはっはっはvv 筆者が使い魔くんをからかってた そのごちゃごちゃをよそに、
「…そっか。友達いるんだ。」
 ルフィは…何だか声を低めているから、
「?」
 頭に乗っけた山高帽子の重さで"こてん"と転げないかと心配になるほど、チョッパーが首を傾げて、
「どしたんだ?」
 そんな声をかけている。これまで、ルフィが眠っている時にしか会ったことはないチョッパーだったが、それでももっと…覇気というのか元気というか、そういう生気に満ちていた屈託のない子だったのを良っく知っている。サンジから聞いていたそれはお元気なエピソードの数々もまた、彼自身がお日様のような子で、いかに周りを元気にしてくれるのかと、そういうお話ばかりだったのに。あの翡翠眼の破邪に…怖がってこそいなかったものの、ああまできつく叱られたことがさすがに堪
こたえている彼なのだろうか。じっと見つめていると、
「ん…。」
 我に返った…にしては、何となく薄い反応のままに、
「ゾロってサ、俺のこと放っとけないからって、チビなのに怖い目にあってるのが可哀想だからって、この家に居てくれてるけどさ。そっちの世界に、ちゃんと友達とか家族とかも居るんだろうなって思ってさ。」
 訥々とした声で、そんな言葉を紡ぎ始める。
「…ルフィ?」
 やっぱり元気がない坊やなのが気になったチョッパーがかけた、案じるような声にも反応を返さず、
「前にさ、サンジが"上の人から言われて俺んトコに来たゾロじゃない"って教えてくれたけど。ずっとこっちに居るのって、時々はイヤになるんじゃないのかなって。一時的なのだけでなくってサ、帰りたいなって思うことだってあるのかもしんないなって…。」
 声がしぼんだのとほぼ同時、チョッパーを抱え込んだその腕が、不意に小さくその輪を縮めた。
「えっ?」
 びっくりしたトナカイくんが相手のお顔を見上げようとした矢先、
「………
(くすん)
 頭上から小さく小さくしゃくり上げるような声がしたから。
「な…っ。お前、どした? 泣いてるのかっ?」
 これはますます困った事態だ。愛らしい容姿をしているせいか、チョッパーは大人たちに構われる側にばかりいた。そんなせいでか、自分より幼い子供の、しかも宥め方や慰め方なんて良く知らないのだ。だっていうのに、ルフィの声はどんどんと湿って掠れて捩
よじれてゆくばかりで、
「俺、ゾロんこと怒らせたんだ。どんな我儘言っても怒ったことないのに…。あんな、あ、あんな風に、怒ったまんま消えちゃって…。」
 うぐうぐと涙に途切れ始めた幼い声。あややと慌てたチョッパーの眸が、すぐ傍らのローテーブルの上に留まる。ちょっとシックな、背の高いフロアスタンドだけを灯した、夕暮れ時のようなほのかに暖かな色合いの光の満ちた居間だったが、そんなぼんやりとした明るさの中、少年がさっきから口をつけていた缶ジュースに目が行って、
"…あれ? この匂いって?"
 いかにも"冷たい飲み物です、すきっと喉越しも爽やかですよ"というデザインのその缶から、ほんわり漂うこの甘い匂いは………、



   「ちょっと待て、お前っ! これ、もしかして酒じゃないのかーっ?!」

   「ふぇえ〜〜〜んっっ! ぞろ、帰って来なかったらどうしよーっ!」





    ………あ〜あ、知〜らないっと。
こらこら





            ◇



 さて、一方のこちらでは。もうすっかりと暗い晩秋の夜陰の底の、冷たい風が吹きわたるその中を、二人ほどの人影がそれは素早く駆け抜けて。

   ――― …っ!

 次の瞬間には随分と高いビルの上、冴えた月光を背景にして佇んでいるのが見て取れる。風よけにと口許にゆるく構えた両手のフードの中で灯した炎に、白い面差しが浮かび上がり、ツンとする煙の香をほんの一瞬だけ漂わせた直後に闇に没した。ぴんと指先から弾かれたのはマッチの軸で、最初の一服の紫煙を尖らせた口許から吹くようにして吐き出した聖封様は、
「お前ね、ちょっとは口の利き方ってもんを考えないと。」
 黙りこくったままな相棒へと、そんな声をかけている。
「………。」
 やはり黙りこくったままなゾロであることへも構わずに、サンジは斟酌のない言葉を重ねた。
「そのうち、あの子から愛想尽かされるか、それとも、おまえ自身があの子をひどく傷つけるようなことになっちまうぞ?」


    すると………。


   「…判ってるよ。」


 帰って来たのは溜息混じりの打ち沈んだような声だったから、
"おや。"
 自分よりも月に近い側に立つ、いかついまでに屈強な大男のシルエットへ、思わず"ちろん"という視線を投げてみたサンジだ。相棒からのお節介な忠告へ、だが、いつものように無視
シカトを決め込んだり、煩いと邪険に払い飛ばすでないこの反応は、彼自身の心情の揺れをも如実に示しているのではないのだろうか。
"やたら馬鹿でっかいカボチャもどきをさっき叩き切った時までは、すこぶる冷静だったんだがな。"
 あら、もうお仕事はお済みでしたの?
"ああ。都電の一車両分くらいはあった雑魚の合体霊だったんだが、見事な瞬殺だったぜ? 多分にあれは"八つ当たり"だろうがな。"
 あはは…、それはともかく。向こう側を月光に照らし出されてのそのあおり、こちら側は…身につけた相変わらずの黒づくめの装束ごと、すっかり闇の色と同化した影絵のように見える相棒へと視線を据える。すると、
「あいつはさ、妙なところで気を遣うんだよな。」
 ゾロは…普段からも重い口をなお重たげにぼそぼそと、独り言のような口調でそんなことを紡ぎ始める。
「もっと、用心しろよと思うような肝心なところばっか抜けててな。そのくせ、俺なんぞにいちいち気を回すんだ。」

  『ごめんな?』
  『ゾロにもいっぱい準備させたもんな。』

 彼を守りたいとする自分へ、何でいちいち気を遣うのかが判らずに戸惑ってしまう。それもやはりこちらが力不足である結果で、気を回し切れていないからなのだろうか。あんなにお元気で溌剌としていて、生気の塊りなような子だというのに、その内面には…小さくて繊細で、そのくせ他人へ大きく両腕を広げてくれる、もう一人のやさしい坊やがいる。寂しさや孤独をよくよく知っていればこそ生まれたと、そうと考えるとちょっぴり悲しい優しさかも知れなくて。そしてそうまで繊細な面を持つ彼であるからには、サンジが言うように、いつか…選りに選ってこの自分こそが、そんな彼を手ひどく傷つけてしまうようなことだって起こり得るのかも知れなくて。
「………。」
 それを思うと何とも気が重い彼であるらしい。だが、
"そりゃ、お前…。"
 坊やにとってはゾロが大切な存在だから気を回すんじゃないかよと、当たり前の順番だろうがと、思わず突っ込んでやりたくなった聖封殿だ。邪妖に負けぬ屈強な精神力と破壊の力でもって、触れるものを皆、切り崩して来たような。とことん豪快で荒くたい彼だとて、今はそういう繊細な何やかや、すんなり理解出来る心情が芽生えつつあるタイミング。こちらはそういうことへこそ親身に当たっていた存在なだけに、簡単な基本を叩き込んでやることくらい大した労力ではないのだし。今後を思えばいっそのこと、この機会にしっかりレクチャーしてやった方が良いのかもしれない。………とはいえ、
「………。」
 どうしたもんだかと口ごもったサンジである。言ったところで認めたがらぬ彼だろう。いやさ、そうであるならいっそ重荷になる前に心置きなく嫌われるような間柄でいようと、下手な演技でそう持ってくかもしれない困った奴だ。いやいや、そんなことをすれば却って坊やが傷つくと、今し方言ったばかりだからそれはないかもしれないが。
"切ないねぇ、純な恋心ってのは。"
 逃げたり避けたり、身を躱すような余裕
(あそび)のない純粋な想い。相手が愛しくて堪らず、相手に求められたくて堪らず。愛しい人を傷つけたくなくて臆病になり、そのくせ些細なことへまで過敏になり。強く抱きしめた力で相手を苦しめやしないかと、高ぶってやまない自分の気持ちを持て余す。
"恋情どころか、普通の人付き合いさえ面倒がってさぼってたような奴だからな。"
 早い話、免疫がなさ過ぎる。しかも相手もあんなに小さな坊やと来て、
"危なっかしい組み合わせだよなぁ。"
 まま、強いて大丈夫と見なされるだろう点を挙げるなら、この破邪殿、多少の雨風には負けないくらいに打たれ強い。
(笑) 雨風は冗談だが、太々しいところは筋金入りな筈だから、あの坊や本人からの言動へはともかく、それ以外からの突っ込みには冷静に受けて立てるだけの面の皮の厚さを持ち合わせてもいよう。…ということで、
「あのな。そんな風に気を回す坊やだって判ってんのなら、もっと手前の方にある、分かりやすいことへも、しっかり留意しろよな、お前も。」
 声の調子は淡々としたまま、そんな風に言い出すサンジへ、
「? 何がだよ。」
 ゾロの方では意味が把握し切れていないらしく、怪訝そうな声を返してくる。
「だから。ああいう子が、一番傷つくのはどういうものへかってことだ。大変なんじゃないかって下手に不安にさせたり心配させたりしないとか、そんなことよりもっと最初、もっと分かりやすいことがあるだろうが。判んねぇのか?」
 基本中の基本じゃないかと、ちょいと熱くなって語り掛ける。だというのに、
「ああ"?」
 回りくどいこと言ってんじゃねぇと、目元をきつく眇めるゾロであり、そうなるとこれはもう条件反射の"喧嘩腰"。こちらも呆れたのを通り越し、むっとした顔で言い返していた聖封様だ。


   「大好きな相手から嫌われるってのが、一番堪えることに決まってんだろが、
    こんの唐変木がっ。」

   「…っ!」


 風に乱される髪を指先や手のひらで押さえつつ、サンジは容赦なく言葉を重ねてやる。
「あんなきつい言い方しやがって。確かに、普通の人間には危険な場所だ、お前が万が一を考えて"とんでもねぇ"って思った気持ちは判るがな、そんな危険性、あの子の方だって一応は判ってた筈だ。その上で、見ておきたいって言い出したのは、それはつまりお前のことが好きだからじゃねぇのか? 腕っ節を信用してないからじゃねぇ。お前のことを知りたくて、危ないことならそれだけ労
ねぎらいたくてのことだったってのに。なんだ? あんな言い方しやがって。きっと今頃、怒らせた、嫌われたって思い込んで、ひどくしょげてる筈だぞ。」
 おおお、鋭いぞ、聖封様vv
「お前が自分を怖がってくれても良いからって斜に構えるのと、あの子がお前から嫌われたんだって感じて傷つくのとは全くの別もんだろうがよ。そういう使い分けも出来ん身で、ややこしい"振り"なんかするんじゃねぇよ。大切な人の心を振り回すなんざ、未熟者には10万年早えぇ。そこんとこしっかり覚えとけっ。」
 やさしいんだかやっぱり乱暴なんだか、びしっと言い放った聖封様に、
「………。」
 ぐうの音も出ず、ただただ押し黙る破邪である。そんな横顔を照らす月光は銀色に冴え返り、無表情なままに彼らを照らしているばかり………。




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