終章
"…あやや〜。"
居間のソファーに座ったまま、柔らかな腕に抱っこされて体はぬくぬくと暖ったかいのに、心ははらはらと冴え返り、さっきからドキドキが止まらない。止まったら問題じゃないかという、筆者からの詰まらん突っ込みさえも耳に入らぬ切迫した様子で、小さなトナカイの妖魔くんは心底困り果てていた。こういうことに手慣れている、とっても優しいご主人様には早く帰って来てほしいが、反面、その彼と同行している怖い怖い相棒には帰って来てほしくない。傍に付いていながら泣かせたのかと、それは恐ろしい怒り方をするのではなかろうか。大切に守護している坊やにだって、ああまで怖い叱り方をするような男だ。もしかして…問答無用とばかり、噂の精霊刀で真っ二つにされるかも。
"ふえぇぇ〜、そんなのヤダよう。"
チョッパーとしても頑張ってはみたのだ。テーブルの上、クッキーやケーキ、シュークリームといった美味しそうなお菓子を"ほら、食え"と差し出せば、
『それもゾロと作ったのに…』
とばかり、大粒の涙を誘ってしまうし。(いや、正確にはほとんどサンジさんが作ったんだけれども。/笑)
『何かテレビとか観るか? あ、夜中だからビデオの方が良いのかな?』
居間の壁際に据えられたテレビセットへとリモコンを差し向けたものの、映し出された画面は…好天に恵まれたどこぞの広場での駆けっこの模様。この少年の姿も映っていて、だが、
『ゾロと一緒に走ったんだのに…』
おおう、これは例の町内会の運動会の模様を撮ったビデオであったか…と来て、
『あやあや…っ。』
大慌てでスイッチを切った。やること成すことが全て"地雷"に直結するとは、まだ半年にも満たない同居なのに、なんてまあ思い出多き家なんだか。(笑)
"ううう………。"
ますます泣きじゃくる坊やにチョッパーももうお手上げ。いくら"お酒を飲んでいるから普段よりも多少は尋常ではない"とはいえ、一体どうしてこんなにも悲しそうに泣いているのだか。あんなに胸を張って立ち向かったゾロという破邪のことが、今更怖い訳では無さそうだが、だったらなんで、こうまで苦しそうに涙をポロポロこぼす彼なのか。それが全く判らないから始末に負えない。
"泣きたいのはこっちだよう〜。"
釣られたという訳ではないけれど、こうも怖い想いをしたのは久方ぶりで。えくえくと泣き続ける坊やの声があんまり悲しそうで心細いものだったから、
"………ふぇ。"
とうとうチョッパーまでもがその大きな眸の縁に、うるうる大きな涙の粒を溜めかけた正にその時だ。
「ただいま、チョッパー。こっちでは何にもなかったか?」
まるで気配もなく、丁度ここから出掛けて行ったその時と同じくらい静かに。二人分の、それも大層な存在感が同じ空間の中に滲み出して来たりして。あまりに唐突なその攻撃?へ、
「うややっ!」
背後からいきなり撃たれたかのように"びくうっ"と身体を震わせて。その次の瞬間には、
「お、おおお、俺は何にもしてないからなっ!」
チョッパーは慌てたように飛び出して来ると、そのまま一直線に…サンジの長い脚の陰へ、飛び込むように隠れてしまった。………けど、あんた。顔の半分ほどを隠してるだけで、身体は全部出てますよ? それじゃあ逆だってば。(笑) この彼が慌てるあまりにこういう滑稽な隠れ方をするのは、狼狽した分だけ本気で怖がっている証拠だと、さすがにサンジは知っていて、
「? どしたんだ?」
一体何事があったのかと自分の足元へ声を掛ける。だがだが、チョッパーご本人はというと、
「だ…、だからっ、その子が勝手に"酎ハイ"っていうのを間違えて飲んでっ。」
訊いてくるサンジの声よりも、ソファーへと歩み寄ってゆくゾロの背中の方が気になってだろう。恐る恐る眺めやり、やはりドキドキと怯えて見せるばかり。その一方で、
「…ルフィ?」
ソファーの上で膝を抱えて丸くなっている少年。やや低めた声を静かに掛けながら、その小さな肩に大きな手を載せた破邪殿は、だが、
「どした。…泣いてるのか? ルフィ。」
抱え込んだ膝の中へと顔をもぐり込ませるようにしているので分かりにくいが、うくうくとせぐり上げる声が漏れ聞こえて来るのに気がついて。
「ルフィ………。」
途端に。どんな苦境に立たされても、辛い戦いを強いられても、二度と再び立ち上がれないのではなかろうかというほどの深手を負った時にも感じなかったほどの、息が詰まって意識が泡立ちそうな、じりじり苦しい何かが胸一杯に込み上げて来る。撫でて宥めようと伸ばしたその手のひらの下、やわらかな猫っ毛が載っかった小さな頭が、止めどない悲しみに震えているのだと、そんな小さな小さなものがくっきりと伝わって来て。小山ほどの大岩がぶつかったってびくともしないくらい傲岸な心臓が、どうしたら良いのだろうかと大恐慌にばくばく言い始めている。
「…ぞろ? 帰って来た?」
「ああ。どしたよ、一体。」
ゆっくりと上げられたお顔には、薄闇の中でもそれと分かるほど、涙の跡が幾条も頬へと刻まれていて。立てていた小さな膝を下ろしながら…というよりも、その膝を突いて前へと踏み出して来た坊やが、
「ぞろぉ〜。」
そのまま懐ろへと飛び込んで、ぎゅうぅっとしがみついて来る。膝立ちになったまま脇から背へと手を回し、精一杯にしがみついて来て。小さな手の力は微々たるものだったが、日頃のじゃれ合いのそれと比べられるゾロには判った。もう離すものかと懸命に、必死になって縋りついているルフィであるのだと。
「ルフィ?」
ゾロから乱暴に振り払われたことへやはり傷ついて、それで泣いていた彼なのだろうか。相手を怖いと思うより嫌われたと思うことの方が…拒絶されたと感じる方が手痛いのだと、金髪の相棒からくっきりと言い放たれたのを思い出す。こうまで懸命にすがりつかれた感覚は、思えば…この彼にしか与えられたことのない、こちらからだって失いたくはないと思ってやまない、唯一にして破格の温もりではなかったか。
「………。」
そぉっとそっと。壊れものでも扱うように。胸元に頬をぐりぐりと擦りつけて来る小さな坊やの、やわらかな髪を撫でてやると、
「…ゾロ。」
まだ泣きやまず、声を撓たわませたままのルフィが、不意にこちらへと顔を上げて来る。
「んん?」
どうしたんだ? と、いつもの呼吸で尋ねると、
「あのな、どっこも行かないで。」
ぐずぐずと鼻をぐずらせて。声も喉の奥に引き吊れて捩よじれそうになりながら。それでも…なんとも妙なイントネーションに震えてしまう声を振り絞り、一所懸命に言いつのる。
「? ………ああ。」
一瞬、意味が分からず眸を見張り、だが…何とも愛らしい懇願なのだと気がついて。ゾロは思わず、少年の髪と背を撫でていた大きな手の動きを止めてしまったほどだ。
「ゾロのこと、大好きだ。だから、此処にいて。」
「…ああ、此処にいる。」
「ホントにだぞ?
どっこも…お願いだから、どこにも行かないで。此処にいて。な?」
「ああ、どこにも行かないさ。」
「ずっといてくれる?」
「ああ、ずっとだよ。だから泣くな。」
見上げて来る大きな眸が、込み上げては頬にこぼれる涙の中で、潤んだそのまま蕩けてしまいそうになっているのが何とも痛々しい。
「お前が泣いてると、俺も…その、穏やかでなくなるんだ。」
「でも…。」
涙が止まらないままなルフィは、ますますうずうずと焦れたような顔になり、その幼い眉をきゅうと寄せて見せる。ゾロからの言葉を信じない訳ではない。言葉というもの自体が焦れったいのだ。聞こえた端から消えてしまう、何とも頼りない呪文。ゾロの側からの言葉だけではない。自分が口にする一言一言までもが焦れったい。この想いの大きさや熱さが、果たしてちゃんと伝わっているのだろうか。ちゃんと伝わっていないから、いつまでもいつまでも痛いくらいに胸がむずむずし続けているのでは? いっそ朝までずっと願い続けて、ゾロからもずっと囁き返していてほしいくらいだと、そんな想いに焦れながら、何度も何度も同じ言葉で掻き口説いてしまう彼なのだろう。
「………。」
フロアスタンドの仄かな明かりの中、どこか悲しげとも切なげとも釈とれるほど、うう"…と焦れながら見上げて来る愛しい坊やのお顔を、こちらも何と言って宥めればいいのやらと、口の回らぬ不器用な我が身に焦れかかっていたゾロだったが。
「…。」
見つめ合っていた眸と眸の間合いが、ふわりと狭まって。目許をぐいぐいと、やや荒っぽく拭ってくれていた指が、そのまま少年の頬を包み込むように揃えられ、
「…あ。」
ちいさくてやわらかな唇に、男の唇がそっとそっと重なった。いかにも幼い未成熟な唇は、だが、しっとりと甘くて、どこまでもやさしくて。ゆるゆると震えて拙い、脆そうな感触は、その体をそっと抱き締めた男の腕へ更なる慈愛と抱擁の力を注ぎ込む。
「あ、ふ…。」
名残り惜しげに、下唇を少しだけちゅっと吸い上げるようにして。そっと顔を離した男の腕の中、ルフィは ほやんとしたまま、真っ赤に熟れた頬を相手の胸板へと伏せるようにして凭れかかった。いくらなんでも、キスの意味くらいは知っていた。知ってはいたが、こんなにも…こんなにも相手の懐ろ深くに抱き寄せられるものだとは、こんなにも相手の温みや匂いを間近にしつつ、一つになることなのだとは知らなくて。眸を閉じた夢幻の中、何も包み隠さぬ想いだけを抱いて、大好きな精霊に包み込まれるように抱き締められた暖かさが、さっきうっかり飲んでしまったサワードリンクよりもずっとずっと甘くて優しい酔いを体中に運んで来る。
「…な? 俺はどこにも行かない。行けっこないんだよ。判るな?」
「えと…。」
「俺も、お前のことが大好きだ。だから、他のどこにも行かない。ずっとずっと傍にいる。いいな?」
やさしくて甘く掠れた低い声が、そのまま少年の身の裡うちを温かく蕩かして。さっきまであれほど焦れったかったのに、とげとげと小さな不安が一杯詰まってて息苦しいほどだったのに。そんな胸の裡の何もかもを、すっかり溶かし去ってしまったから、
"………キスって凄い。"
いやその、おいおい。そんなコメントがありますかい。これだからお子ちゃまは。(笑)
「うん。俺も好き、大好きっ。」
今度は一転、それはそれは嬉しそうに、柔らかい頬をこちらの胸板へぐりぐりと擦りつけて来るルフィであり、
「好き…だ、よ…。」
緊張感が萎えた途端、心が凍えていた余波であちこちで閊つかえていた本物のアルコールが、一気に全身へと回ったらしい。ふにゃあと甘い吐息をつきつつ、あっさりと沈没。さしてかからぬ内にも、それは安らかな"くうくう…"という寝息が聞こえて来た。
"………ったく。"
屈託がなくて明るくて、愛らしくて懸命で。そしてそして…こんな小さな身の奥底に、それはそれは広い懐ろを構えている、やさしい子供。どんなに撓しなっても折れないような、若竹の強靭さを備えながらも、ホントは辛くて寂しかったと泣いて見せた…その姿の痛々しさが何とも愛惜しくて。
"………。"
百戦錬磨、どんな怪物にも笑って相対せる鬼神とまで恐れられた、この"翡翠眼の破邪"が、こうまで心を搦め捕られてしまった恐るべき子供。
"呑まれちまった、か。"
もう彼からは離れられないなと思った。真まことの名前を教えたのはどこか同情に近かった気持ちからだが、むずがる彼へと口づけたのは、間違いなく"恋慕"の想いからだという自覚がある。泣かせたくはない、手放したくはない。命に代えても守って、ずっとずっとその傍らにいたいと心から思った。無心な顔で眠る坊やの様子をそっとそっと覗き込み、腕の中に抱え上げて2階のお部屋へ運ぶことにする。
"明日の朝は大変だろうな。"
アルコールは…子供用のシャンパンの"シャンメリー"でさえ一滴だって飲めないと、妙なことへ胸を張って威張っていたくせに。アメリカンサイズの缶の、半分近くも飲んでいるから、これはやっぱり"二日酔い"に襲われること必至だろうと思われて。うっかりやらかしたその失態に、くつくつと笑った、お父さんのような大柄な精霊様の……………………その背後。
「…じゃあ、帰ろうかねぇ、チョッパー。」
「あ、えと。うん。帰ろうかね、サンジ。」
「…っっ! ………お前ら、まだ居たのか。」
――― まったくもって迂闊です、破邪様。………苦笑
おまけ 
「すぉうなの。とうとう手を出したのね、あいつってば♪」
「いや、キスしただけですが。」
「ふっふっふっvv 今後、どこまで我慢できるのかしらねぇ。」
「ナミさん? もしかして楽しんでませんか?」
「当ったり前じゃない。
管理職なんてのはね、ストレス溜まるか暇かのどっちかなのよ。
どうせ同んなじストレスなのなら、
楽しいストレスの方が良いに決まってるでしょう?」
「豪気なナミさんもステキだ〜♪」
〜Fine〜 02.10.19.〜10.25.
*破邪様、頑張りましたよ、かずとさんvv(こらこら/笑)
ハロウィン話はこのシリーズにうってつけかなと思ってましたが、
私事ながら急にあれこれと立て込みまして、
こんなバタバタした10月末になろうとは思ってなかったので、
ちょっと誤算だったかなと。(笑)
書きながら間に合うのかが気になって、ただただハラハラしておりました。
何とか鳧がついて良かったです、はいvv
さあ次はキリリクと剣豪のBD話だぞっと♪
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