月夜見

   the chase of emergency A
               〜Moonlight scenery
 

 
          



 ここいらは…その建国の時代より以前は、他の近隣地中海地域同様に"オスマントルコ"の支配下にあったらしくって。その余燼だろう、建造物や装束、習慣などの文化面に、ほのかにトルキッシュなイスラム系のムードがある。と言っても…現在の王政下においては、宗教や教育など思想的な面では、先進国並みにどこかアバウトだったりするほどのフリーダムさ。特に何かしらを国教と定めて順守せよとするような"思想強制"はないけれど。そんな中、古いイスラム寺院やトルコの形式を踏んだ建物が町角や王宮などにしっかり残されているのは、華麗で史跡としての価値もあるし、気候にあった合理的な文化だから特に取り壊す必要もなかろうというところからかと。窓や戸前に必ず設けられた庇は、強い陽射しを屋内へ出来るだけ入れない工夫。その庇の装飾でもあるアーチを支える柱の落とす漆黒の影。陶磁のタイルやモザイク、緻密な浮彫細工の施されたエキゾチックな佇まい。地中海気候特有の強烈な陽射しにさらされた白が、空と海の紺碧に拮抗して目映いが、どこか躍動的な石の建造物たちは、また。そんな陽射しから逃れるための工夫がなされたがため、屋内ではブラインドなどで陽を閉ざし、くっきり対照的な陰を呑んで。静かな黒に時間の流れさえ糊塗される。入り組んだ街路。パティオと呼ばれる緑滴る中庭。情熱の気候も陽射しには勝てず、昼間の一時はシェスタという眠りに静まり返る。旅人たちはその沈黙の中に実感するだろう。歴史の名残り、過去の栄枯の残滓を…。




「………というところで。今回の講義は終しまいに致しましょう。」
 歴史の授業を担当するのは、国立大学で教鞭を執っておられる助教授で。金の縁取りも豪奢な、いかにも古めかしくて分厚い歴史の専門書を ぱふたんと閉じると、立ち上がってそれを部屋の壁に据えられた書架へと戻しにゆき、
「来週は小さなテストを予定しております。今日、お話しました範囲からですので、復習をしておいて下さいませね?」
「は〜いvv」
 組木細工の縁取り模様も愛らしい、お勉強用の卓について先生からの講義を拝聴していた王子様は、それはそれは良い子のお返事を返す。それからわざわざ席を立って、退出なさる先生をにっこり笑顔にて見送って……………。

   「うう"…。疲れたよ〜。」

 言ったその途端に、傍らのソファーへ"ばふっ"とダイビング。いろいろな知識を得るのは嫌いではない。歴史や地理や、天文・物理といった、様々に専門的なお話を聞くのも大好きだが、背条を伸ばしてじっとお行儀良くしていなくてはならないというのが、どうにもこうにも窮屈でいけない。姿勢だけじゃあない。ぴしっと糊の利いた、襟の詰まったシャツ(リボンタイ付き)を着て、足元は靴下に革靴という、きっちりした正装もどきな恰好にならねばならないのも苦痛で苦痛で、
「終わったようだな。」
 控えの間にてお勉強が済むまで待っていたゾロが入って来たのへ、
「んん、終わったよ〜ん。」
 頬を埋めたクッションから顔も上げぬまま、ふにゃふにゃと声だけ返してくる。襟元からむしるようにリボンタイを取り去り、うつ伏せになったまま足を尻辺りまで上げ、むぎむぎとくるぶし同士を擦り合わせて何とか靴を脱ごうとしているずぼらな様子へ、くくっと笑い、
「隋臣長が見てたら雷が落ちてるとこだぞ。」
 お行儀も悪いし、そんなことをしてはせっかくの上等な靴が傷んでしまう。足首まで覆うショートブーツタイプの、子羊革の靴。勿論オーダーメイドだから、
「それ一足で、普通の4、5人家庭の1ヶ月分の食費を楽に支払えるんだぞ?」
 だから心して扱いなさいと、日頃だったらあの金髪のお傍衆が言いそうなことを言い置くと、がばっと身を起こしてこちらを振り返り、
「げぇ〜っ、そんな高い靴、何で買うんだよぉ〜。」
 ……………。さすがは我らが王子様。反応の方向が…なかなか一般人ぽくて、ゾロはますます苦笑する。
「一国の王子が安いサンダルでぺたぺた駆け回ってちゃあ、国家の沽券
こけんにかかわるのだよ。」
 国の外に向けて、いかに豊かな国であるのかを誇示する必要がたまにはある。まして、この国のように国民からの支持も厚い王宮は、その有り様がそのまま国の水準の見本でもあるので、何かと気張らねばならないらしい。勿論、そんな"見栄"だけの問題ではなく。高級品や嗜好品。確かに裕福な人間にしか縁のないもの、逆に言えばどうしても必要な訳ではない"贅沢な"ものだが、そういうものを作る職人さんたちは、いなくなってしまっては先々で困る。ある意味で芸術に近いその歴史ある伝統が廃れてしまうからだ。それに携わる人たちは買ってくれる人がいればこそ生計が立っている。よって、王室の方々などが贅沢に装われるのは、伝統文化の継承などを考えると、ある意味"必要なこと"でもある。
「だったら、公式の席でだけ…。」
「こういうものは普段から着付けておかないとな。付け焼き刃は見る人にはすぐにそうだと分かるそうだ。」
「"付け…"なんだって?」



 【付け焼き刃;yuke-yakiba】

 にわか仕込みなことや、間に合わせなものを指す言葉。そもそもは、名匠の手による丹念な鍛冶の技にて鍛練された鋼の刀と違い、刃の部分にだけ鋼を焼き付けた"なまくら刀"のことで、当然のことながら剥げやすいし折れやすい。その場しのぎなものは、いかに巧みでもぼろが出るところから、こんな刀が例えに用いられたのだろう。



「ふぇ〜、さすがはゾロだよな。」
 何せその筋では"大剣豪"などというどこかオリエンタルな称号を冠せられた、凄腕の元・戦闘工作員。だから刀が例えに出るんだろうなぁと………かなり的を外した関心をしてくれる王子様へ、
「…おいおい。」
 情けないとも呆れたとも、何とも言えない顔になり、だがだが、
「んん?」
 どっか訝
おかしかったか?と、ひょこんと首を傾げる仕草の幼いとけなさにあっては、
「…何でもない。」
 やっぱり敵わないよなと、苦笑が洩れるばかりである。



   筆者註;日本語での会話ならではな例え話だ
        …とかいう突っ込みはやめましょうね。
(笑)



            ◇


 朝のお勉強が終わって、時計を見やれば10時少し前。午前中のお茶のお時間だ。王子付きの女官たちが、サンドイッチやプチケーキ、クッキーなどと一緒に薫り高い茶器を運んでくる。そこへ、
「サンジは?」
「ああ、今朝早くに出掛けたわよ。」
 本日のご予定を告げに…いつもなら金髪碧眼の隋臣長が来る筈が、今日は書記担当の筆頭秘書官のお姉さんがいらした。王子付きとはいえ、長がつく役職をいただいている最年少者の佑筆殿で、あの隋臣長と共にルフィ王子を幼い頃からずっとずっと支えて来た頼もしいお傍付き。撓
しなやかな指先でファイルを捲りながら、
「何でも"第二王子に是非とも"ってお話があったらしくてね。それで電話でお話しするのも失礼だろからって、直接出向いているらしいの。」
 詳しいところまでは聞いていないのか、ナミの言いようは省略が多くて、
「是非とも?」
 ふわふわのロールケーキの輪切りを丸ごとフォークに刺したままという、ちょぉっとお行儀の悪い構えにて、ルフィが訊き返して来たのへ、
「ええ。留学だか遊学だか、お招きのお声をかけて来た外交官さんがいらしたの。」
 ああそういや昨夜そんなことを言ってたなと、戸口近くの壁に凭れていたゾロもようやく思い出す。護衛官とはいえ、ルフィからすれば身内同然の彼だ。これが表立った公式の場だとか、身内ばかりと言っても遠来の親戚筋の人々までもが集まるような場だったなら、さすがに"身分"というものを弁
わきまえて、きっちり立った上で彼らの会話にも口を突っ込まずに控えているところだが。そんな以外の場にあっては、元・お傍衆の隋臣たちと同様に、まるで兄弟かお友達のような振る舞いをしてもいる。だがだが、彼のお役目は"護衛"なので、そうもゆったり…油断しまくりで寛いでもいられない。それがため、窓辺や戸口近くに立っているのが基本であり、これでも彼なりにお茶に加わっている態度なのだとか。…話が逸れたが、
「確かQ国…じゃなかったか?」
 思い出しついでにゾロはナミへ尋ねかけた。
「ええ、そう。何だ、サンジくんから聞いてたの?」
「まあな。だが…。」
 何の触りもない国名の筈が、この護衛官には何かしら引っ掛かるらしくて、
「? だが?」
 ナミの問いかけるような声へ、
「あそこはある意味で物騒な国だから、用心した方が良いと言っといたんだが。」
 視線を斜に逸らし、何事かへ感慨深げな顔になっている。どこかを見やっているのではなく、自分の記憶のストック内をまさぐってでもいるのだろう。
「そぉお? 治安の良い先進国じゃない。」
「内情はな。だが、政敵が多い。」
「…そうなの?」
 表向きにはそんな気配、わずかにだって伝えられてはいないこと。世界有数の先進国で、政局だって安定しているし、ここ数年ほどは戦争参加もなく、国民たちの生活水準も高い。だが、
「まぁな。」
 ナミからの疑問符に短く応じつつ、ゾロは胸板の前で組んでいた腕を片方ほどき、お茶を淹れてくれた女官がわざわざ傍まで運んで来てくれたのを、小さなトレイごと受け取った。ルフィの身の回りを直接お世話する係の女官たちは、お傍衆の皆様も王族もしくは大臣様方に準ずる方々と見なして接してくれている。こういう表現をすると、畏怖して怖々と粗相の無いよう接しているかのようだが…そうではなく、やんちゃな王子様の大切なお兄様やお姉様たちという感覚かと。にっこり会釈を残して"そそそ…"と退出して行った女官たちを見送りつつ、
「そっちもまた"どこの国が、自治地域が"ってはっきりしてはいないんだがな。」
 その大きな手にはおままごとのお道具に見えなくもない、それは可憐なティーカップをひょいと持ち上げ、芳しい香りのするお茶を一口いただいた護衛官殿であり、
「大きな国や豊かさで有名な国には良くあることだが、世界の治安への一翼を担ってるという肩書は、そのままテロリスト集団には格好の標的にだってなりかねない。」
 例えば、某国で起こったのあの凄惨な爆破テロ事件は我々がやったのだという犯行声明は、直接被害を受けなかった国へ対する脅威にもなる。これだけのことが出来る組織なんだぞと、妙な言い方だが一種の"プレゼンテーション"、宣伝効果にもなりかねない。
「…ふ〜ん。」
「まあ、そうそう単純な連中ばかりじゃあないんだろうが。それを悪用して脅迫の道具に流用するような小者だとかは、五万といるだろうしな。」
 確証があることでなし、何よりもQ国自体には何の非もないこと。それらを踏まえて、実際にどうするのかは王やサンジが検討をすることで、自分はただ“用心しなよ”と忠告しただけだと言葉を区切るゾロに、ナミは肩をすくめて見せて、
「ま、心配は要らないわ。だってサンジくん、断るつもりらしかったし。」
 そういう大きな話題だのに、留学する当の本人に話が全く上がって来ていないというのはよくあること。お忙しい方の場合、これから自分がどこへ行くのか、当日の朝あたりに初めて聞く…ということだってあるのだそうだが、
「国王様も"今時のお勉強なんてのは、国内で十分こなせることだし"と仰有ってらしたそうだし。…そうね、政敵云々という点をお考えだったのかもしれないわね。」
 あと、これはある意味で"蒸し返してはいけないこと"という暗黙の了解があるエピソードも1つ。数年前、やはり留学先で、この無邪気な王子様が愛らしいお顔に傷をこさえてしまった大事件があって。何故どうして…という裏書に関しては、既に当事者の全員が納得済みであるのだが、それでもつい最近やっと鳧がついたこと。まだ少々ひりひりと心に痛む傷なので、あまり触れたくはないというところ。まま、今回はそこまで考えた皆様ではないのだろうが、
「よかった。外国って、うちん居るより堅苦しいもんな。」
 あ〜あっと背伸びをしてにっこし笑った王子様に、ゾロもナミもくすくすとやわらかく微笑んだ。そんな和やかなティータイムの場に、
「失礼致します。」
 女官が一人、丁重な身ごなしで戸口にて礼をし、その後に続いて来た青年を部屋へと導きいれる。
「あら、ウソップ。帰って来てたのね。」
 真っ先に気がついたのが佑筆殿で、あっけらかんとした声をかけたのへ、
「まあな。参ったぜ、まったくよ。薮蚊は多いわ、バギーはエンコするわでよ。」
 やはり口利きが気安いこの彼もまた、ルフィには気の置けないお傍衆の一人で、ウソップという乳兄弟。母王妃が早くに亡くなられたその後を、母親代わりになってお育て遊ばした乳母の子供で、手先が器用な上にコンピューターに詳しくて。彼もまたルフィの周囲を固める頼もしき隋臣の一人なのである。
「でも、準備はきっちりして来たからな。明日の晩をお楽しみにってとこだ。」
 高い鼻をなお高く、ふふんと聳えさせて威張って見せる彼であるところを見ると、
"また何か企んでやがるってか?"
 中身を聞いていないゾロが苦笑し、
「何だ? 何かあるのか?」
 ルフィがわくわくっと身を乗り出した。おやや、王子様にも内緒ですか?
「ふっふっふ。明日だよ、明日。」
「ずりぃい、教えろよぉ〜。」
 ソファーからわざわざ立って来て、シャツの胸元、小さな手できゅうと掴んで。そのまま揺さ振りながらおねだりする王子様だが、そんなくらいで暴露してはそれこそ薮蚊の奇襲に耐えた意味がなくなるらしい。
「こらこら、クリームついた手で何すんだ。これはカヤが勉強の手を休めてわざわざアイロンかけてくれた、ありがた〜いシャツなんだぞ。」
「だったら言えよぅ。」
 …とごちゃごちゃしつつも、
「それよか。おい、客人たちが来てっぞ。」
 王子は放っといて頭越し、ナミやゾロという"大人"組へと声をかけたウソップで。
「客人たち?」
「ああ。それがな、何か話が急でよ。ただ、サンジの落款
らっかん用の指輪の印が書類に押されてあるんでな。それでってことで係官たちもわたついててさ。お前らのレベルんトコで何か聞いてないかって。」
「???」


 ………ウソップさん、省略し過ぎです。




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 *さあさあ、やっとなんとか、タイトルに仰々しくも掲げたお話へと、
  動き出しそうな気配です。
  ホンマに年内に決着するのでしょうか。
  書いてる方も予断を許しません。(おいおい)