地中海に突き出した小さな半島と幾つかの島々からなる、それは小さくてお気楽な王国。古くはその建国の時代から、豊かな土壌に恵まれていたため、厳しい自然災害からも、そしてそして、周囲の国々の波乱に満ちた動乱や栄枯盛衰も“対岸の火事”でしかないままに。勢力を広げぬことと引き換えにするかの如く、国と王朝の穏やかながら息の長い歴史を現代のこの御世まで紡いで来た、奇跡の王国。………実は“裏の顔”という強かな側面も持っていたが故に、どんな列強国にだって屈することなくいられた訳なのだが、そういったご説明も吹っ飛ばす、とんでもない事態が降りかかって来たのが今回の大問題。
――― 翡翠宮の至宝をいただきに上がります。
そんな不埒な予告状を寄越して来た存在があり、この国お得意の情報網を駆使して探ってみたところ、某国で話題沸騰の義賊、大剣豪とかいう希代の怪盗がこの国へ入国したらしいという知らせ。翡翠宮と範囲を限定して来たあたり、曖昧な言い方に見せて実はしっかと目的のある相手と見た、護衛の陣営。お元気で暴れん坊の主人あるじこそが壊さぬよう失くさぬようにと、国宝の数々は前以て退けてある以上、この宮にあって怪盗がわざわざ予告状を寄越してまで奪いに来る“至宝”といったら…王子様ご本人しかないじゃないかと。真剣真面目に思ったお傍衆たちを、決して“親ばか”と思うなかれ。王国のお日様、王宮の太陽とまで呼ばれて、国民からも広く愛されている腕白な王子様。いくら強気な王国だとて、その時々の世界情勢などなどから、一番にか弱き存在である第二王子が誘拐されそうになったり害されようとしかけたことに関しては、自慢すべきことではないながら、これまでにだって何度となく降りかかって来た事態なだけに。洒落た言いようをしただけのこと、誘拐の予告に違いないと関係各位が色めき立ち、そんな愚行を絶対に許してはならぬと、一致団結、日頃以上の警戒や用心が張られた翡翠宮ではあったのだけれど。
「なあ、サンジ。」
「なんだ?」
王子のように溌剌とお元気だったお陽様が沈むのを、ウッドデッキテラスのジャグジーのお風呂に入りながら見送って。国王陛下も皇太子殿下も、この数日ほどは政務を効率よく片付けるよう心掛けていらしての、ルフィ王子とご一緒の楽しい晩餐をご堪能なさり。ほのかに潮の香りのする風が庭の木々の梢をさわさわと揺らす、穏やかな木葉擦れの音を聴きながら、ゆったりと団欒の談笑などを味わってののち、そろそろ瞼が重くなって来たのでと、小さな王子は隋臣長さんに連れられて、いつもの自室の寝床へ入る。何とも怪しきこの時期だけ、陛下の寝起きなさる本宮にて過ごされた方が、より安全ではなかろうかというご意見も出ないではなかったが。色々な手配りが慣れぬ手順へと変更となる方が、ついうっかりという人為的見落としを起こしやすい故、王子にはいつもの通りの生活をお送りいただくというのを基本方針にしている、お傍衆一同であり。先程まで、これもいつも通りに傍に付いていたゾロが、宮の内部を警護している他の面々との定時連絡の情報交換がてら、一通り見回って来るその間。代わりの監視を担当しつつ、いい子だいい子だ、ネンネしなというのを受け持ったサンジさんへ。掛け布の襟元をぱふぱふ直してもらいつつ、王子様がこそっとした声をかけて来る。
「あのな、あのな。」
「んん? どうした?」
明かりは黄昏時みたいなほんのりとした明るさを残した、間接照明だけに落としたお部屋。別に“喧しいぞ”なんて言い立てる人、傍らにはいないのにネ。不思議と話す声まで小さくなっちゃう。
「あのな? その“怪盗”とかいう奴はサ、正体不明なんだよな?」
「? ああ。」
「なのに何で、ウチの国へ入国したって分かったんだ?」
実に素朴な疑問。何処の誰なのかは誰も知らない人、なのに他国から入国したらしいって、どうやって判ったの? 正体も判っちゃったの? 大きな瞳を黒々と潤ませているのは、まだあんまり眠くはないというシグナルで。多大なる好奇心もあってのことだろうが、それにしたって、
“随分と宵っ張りになったもんだな。”
いつもなら夜になるとすぐさま、眠いようと ぐうにした手の甲で瞼を擦っていたのにな。大きな瞳が傷まぬか、心配したほどだったのに、ベッドに入いればすぐにも“くうくう…”と寝入ったものだったのに。すっかり大人になっちまってと、相変わらずの親ばかぶりで王子の成長を内心では喜びながらも、表面上にはおくびにも出さないまま、
「そいつが何処の誰かは不明なままだ。」
あっさりと答えてやる。途端に、眉をハの字にし、そんなの訝おかしいと言いたげなお顔になった王子様だったが、
「矛盾はないぞ?」
ふふんと、こちらは自信満々なお顔で返したサンジさん。すかさずのように付け足したのが、
「結構な数の窃盗事件を繰り返してる常習犯らしいからな、現場にも山ほどの残留証拠を残してるらしい。その中で、特に“指紋”は両手のが全部揃ってる。」
「え? …なんで?」
今度のは、色々と納得が行かないらしい“何で”を訊きたい王子様。
「指紋って…そんなの残してるの? その怪盗って。」
「ああ。結構油断しまくりだぞ?」
「だって…。なのに捕まってないの?」
「そうらしいな。」
指紋と言えば、全く同じものを持つ人は、一卵性双生児ででもない限り、まずは同世代にいないだろうほどに稀だとか。そうまで究極の“本人証明”を、不用意にも残しまくってて良く捕まらないねぇと。やっぱりどこかで納得が行かないらしい、不審げなお顔をするルフィなのをじっくりと堪能してから、
「照合対象データの中にサンプルがないなら、
それが誰の指紋だかは判らないから、仕方がないさ。」
「照合対象データ?」
ちょっと小難しい専門用語。何のこと? 無邪気な坊やの問いかけへ、こんなことは知らなくても良いこと、無垢な坊やだってことを嬉しく思いつつ、
「だから。前科があるとか、公安や警察関係の仕事についてるとか。国によっては警備員や銀行員も、指紋の登録が義務づけられてる場合があるから。そのデータと照合してみて、誰かのへビンゴすれば、ああこいつかって犯人の身元も割り出せる訳だが。」
「あ………。」
ようやっと、仕組みが判ったらしい閃きの“あっ”。某、おサルさんのクイズ番組だったなら、ここで間髪入れずに“タイムア〜ップっっ!”と叫ばれてるところであるが、(こらこら)
「そういうことだ。」
サンジお兄さんは、にっこりと笑ってくれただけ。つまり。問題の怪盗が活動している国の警察では、件の“大剣豪”事件のファイルの中へ、何処の誰かは不明なままなれど、同じ人間のものと思しき“容疑者”の指紋が一括して集められている。そのデータを引き出して、この国の様々な照合可能な装置への接触を片っ端から洗ったところが、
「空港近くのネットカフェから、端末に触れたらしい指紋が見つかったそうだ。」
何処かへの連絡じゃなく、何かを調べてたらしいがね。空港や港の税関では引っ掛かってないから、何らかの不正な入国ってのをしたんだろうが、入ってから引っ掛かるとはチョロイもんさと、あっさりした言い方をするサンジへ、
「…それって、他の利用者のデータも浚えるってこと?」
ルフィがおずおずと訊いたのは。そんな事が判るのって、何にもしてない人へのプライバシー侵害とやらに触れないの?と感じたから。おやおや、珍しいことに引っ掛かったんだねと、今度こそ心からの思いを乗せた表情を見せた隋臣長さんへ、
「だってよ。どんなサイトを見てるんだろうとか、他人に判るのってヤじゃないか。」
「ま、それはそうだよな。」
俺だって御免だよんと笑い返して、だが、
「ウチは情報を戦力にしている国だぜ? まあ、プライバシーに抵触することと紙一重には違いないから、慎重にかからにゃならんのは言うまでもないことだし、乱用なんて以っての外だが。」
誰も彼もが覗かれてる訳じゃあない。先に了解を得てからしか、それが“誰の情報か?”には触れないし、用向きがあった対象以外のデータには勿論のこと関心を寄せたりはしない。それでも気持ちの良いもんじゃなかろうから、こんなことが出来るってのは国家内極秘事項の内のトップシークレットになっているし、
「どしても収まらないって言うなら、国王様に掛け合って、それから議会で暴露。お前の責任と度量においての対処をすれば良い。…大人になってからな。」
あんまりな言いようだと、サンジにだって判っているし、シャンクス陛下もこればっかりは。苦々しいお顔になって、でも、取りやめるとか公開するとか言い出せはしなかろう。これもまた、大人の世界の不条理な条理。まだ納得が行かなくてか、う〜んと唸っている王子様へ、
「勿論。その怪盗さんへの追跡調査もここまでが限度。」
「???」
「ウチの国ではまだ“何もしていない”人物だからね。今のところはまだ単なる観光客だもの、入国の事実を拾っただけで、何を調べたのかへは触れてない。」
「………そか。」
やっとのこと。安心したように吐息をつく。まだまだ無垢で、正道をこそ順守したがる真っ直ぐな王子様。駄々をこねたり、我儘を言ったりもするけれど、色々な道理があるということ、1つ1つ理解して来たその上で。何で正しいことを貫けないの? どうしてそんな狡いことを選んでいいの? 純真な心はまだ今少しは、清濁併せ飲めないらしいから。どうせなら彼本人だけはいつまでも清廉潔白でいてほしいと思いつつ。誤魔化し半分な言い回しとか、そのうち並べなきゃならないのかな? 自分がウソつきの汚名をかぶることは厭わないけれど、そんな小細工を知った彼が二重に傷つくのはダメだろうしな。今からそんなことまで先回りして心配している隋臣長様。きょろんと大きな瞳に見上げられ、
「さあさ、早よ寝ろ。」
布団を直せば、
「うん、おやすみねvv」
にっぱし笑った王子様。瞼を伏せたのを見届けて、枕灯のスイッチを切りがてら、ついつい何げに見やったデジタル表示の時計が示していたのは、10時半。………こんな早くに眠ってしまうお子の、一体どこが“すっかり大人”なんでしょうか?(笑)
“ま、嘘は言ってないからな。”
寝室を後にし、次の間の も一つ廊下側の控室にて、護衛官殿が戻って来るのを待つ。そこには…ルフィがお食事にと出ていた間に設置したモニターが、テーブルの上へ数台設置されてあり、主に寝室の窓やテラスへとカメラが向いてる映像が映し出されていて。外側からの出入りへは、他の警備課の者たちが複数で監視の目を光らせており、だが、そんな事実をルフィには告げていない。堅苦しい監視は嫌がるだろからで、もしかしたら黙ってたことを後々で叱られるかもしれないが、これぞ正に“背に腹は代えられない”事態であり状況だからね。ルフィの身の安全への万全が計れるのなら、どんなズルだってしてやるさと、隋臣長様、悪魔とだって契約しかねない勢いです。
“結構強かな相手でもあるこったしな。”
ルフィには途中までしか告げてはいないが、問題の指紋をネットカフェにて残した人物は、実は…それ以降、存在した形跡を一切何処にも残してはいない。外来者が立ち寄るだろうホテルや観光施設、銀行のATMや乗り物の切符を買う端末のタッチパネルからも情報は出ないまま。…そんなとこにも情報収集のシステムが置かれてる国なのね。
“だから、そういう点は大目に見て下さいって。”
はいはい。…で、カフェで残したのだけが、むしろ何かの間違いだったかのような徹底ぶりの“怪盗・大剣豪”さんであり、
“窃盗とは関係のない、バリッバリの“観光”で来てるとか?”
それか、彼には“お仕事”でありながら、こっちの予告状騒動とは全く別口な件での来訪とか? それならそれで自分たちへは“願ったり叶ったり”な事態ではあるが、
“………でもなぁ。”
それならそれで、何でまた中途半端に、一瞬とはいえその足跡を覗かせた? 純粋な観光なら尚のこと、そっちの国とウチとは公安での協力条約を結んではいない間柄なのだから、こういう形で得た情報なら特に知らせたりなんか出来はしない。そのくらいは心得てもいように、だから…隠す必要はなかろうに。何で急にあたふたと隠した? 勘ぐれば何だって怪しく見えるとは言うけれど、相手は切羽詰まった素人じゃあない。それだけに、こちらもついつい過剰なほど慎重にもなる。
“………お。”
そんなこんなと考えもって、惰性で視線を流しかけたモニター画面の1つ。テラスに出る大窓へと近づく人影があったのへ、おおっと思わず身を起こした隋臣長さんだったのだけれど、
「………何をやっとる。」
観音開きに合わさった真ん中、優美な彫金のほどこされた小さな把手を両手で掴むと、何度か引っ張る仕草を見せたその人影は、カメラに気づいてにんまりと笑った笑顔も忌ま忌ましい、お仲間の護衛官殿だったもんだから、
「油売ってないで早く戻って来んかい。」
こっちからの声は届かないと判ってはいても、ついついモニターに話しかけてしまったサンジさんである。
◇
そのモニターへと画像を送っていた、当の“現場”では。同じ画面を観ていたクチと、目視で中庭を警備していた班の一人とが、怪しき人影へ素早く駆け寄って来たものの、
「ご苦労。」
広い背中の上辺を縁取る稜線として、かっちりしたラインが連なる肩口越し。ひょいとこちらへ振り返ったのは、彼らの同僚さんにして、皆が頼りにしている凄腕の戦闘担当、ロロノア=ゾロ氏だったものだから。
「ああ、ロロノアさんでしたか。」
「ビックリしましたよ。」
侵入者ではないと判って、一気に緊張が解けたと心からの安堵の声を出す僚友たちへ、
「済まんな。」
こちらさんも苦笑い。宮の中を歩いていて ふと思い立ち、建物の一角を縁取るように巡っている、庇のついた渡り回廊を通過して中庭へと出て来た彼だそうで、
「今夜は月があるから、却って影が濃いだろう?」
明るい反面、闇溜まりの漆黒も深い。モニター監視ではそこへの見落としがあるやも知れないからと、目視班も居はするが念のため、自分でも回ってみたのだそうで、
「じゃあ、後は頼むな。」
「はいっ。」
「お任せ下さいっ。」
ぴしっと姿勢を正しての敬礼を受け、擽ったそうに苦笑する。男臭さの滲んだ、いかにも頼もしき精悍さを感じさせるお顔であり。じゃあなと手を挙げ、すたすたと立ち去る後ろ姿もまた、凛然とした風情の中に、きりりと冴えて油断のない何かを孕んだ、シャープだが重厚な雰囲気をたたえた、申し分のない偉丈夫さん。
“結構な反射だったから、テラス側は安心だとして。”
故意に、建物の縁に落ちてた闇の深みを辿ってから大窓に近づいてみたが、それでも素早く対応して、各担当が飛び出して来た迅速さに…くすんと満足の笑み。日頃は単独であたる“護衛”という任務であって、初心者や学生じゃああるまいし、寂しいとか心許ないとかそんな可愛いことを思ったことはさすがにないものの、一致団結、同じことを頑張りましょうと、慕ってくれてる様子がダイレクトに伝わって来たのは、正直言って。ちょっぴり気恥ずかしいながら…嬉しくもあったらしい。いやあの、ほのぼのしとる場合じゃないと思うのですが。(苦笑) それに…このゾロさんて、果たして“どっちの”ゾロさんなんでしょうかしらね…?
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*さあさ、やっとのことで舞台は本番へ。
問題の怪盗さんは、今何処におわすのか。(うふふのふvv) |