Moonlight scenery

          "The phantom thief appears." C 
 




 照明を落とされた部屋は、だが、歩みを進めれば、センサーが感知してのことだろう、壁のところどころ、足元に柔らかな光の輪が灯るフットライトが先導してくれる。由緒正しき“東宮”である筈なのに、先進の装備もあちこちに抜かりなく整えた棟。代々の皇太子を、そして今世は王宮の至宝、お日様のような王子様を守っている、緑に包まれた翡翠宮。
「…何を油なんか売ってやがった。」
 控えの間、平生であってもまったく足音を立てない男が、ノックもなしに扉を僅かほど開けば、間髪入れずという間合いで鋭い声が飛んでくる。小型モニターを幾つか並べた机の前に座しているのは隋臣長。モニターの発光を受けて青白く照らされた額に青筋を立て、肩越しに振り返って来ており、さっそくのお叱りへ、
「あ、見えてたか。」
「当たり前だ、この大ふざけ野郎が。」
 どんなに静かでも、気配に変わりがなくとも、警戒態勢下に違いはなく。ましてや、標的が標的なだけに、彼らの緊張は見た目の落ち着きの何百倍のものであることか。とはいっても、指揮する立場の人間が浮足立っていては洒落にならない。そこでと落ち着き払った態度を取り繕って。王子の前でさえ余裕で過ごしていたものが、この彼と向かい合った途端にこの剣幕。知らず、嵩ぶり過ぎた気持ちを発散させたかったのだろうと、心のどこかで自覚する。ど〜んとぶつかっても動じない相手。らしくないおたつきも、重大に構えぬ扱いで受け流してくれると判っているから。こちらからもそこへ乗じるようにして、こっそりと凭れられる相手。言わずとも察し合える呼吸は、何も一体化したい相手にだけ求めるものとは限らない。らしくもねぇ情けない顔してんなと弾き返してくれて、発奮しなよ、でないとこっちの意気も揚がらねぇなんて、けったくそ悪そうに励ましをくれる。喧嘩相手にだって持っていい、掛け値なしの信頼と呼吸。
「とっとと配置につけ、このマリモ。」
「へいへい。」
 すぐお隣りのリビングの、寝室に接した扉近く。何かあった時に真っ先に飛び込める位置。ずぼらだの頼りにならんのと、斟酌のない言いようで噛みついていても、その実力はちゃんと買っているから。本当なら自分こそが付いていたい一番重要なポジションへ、信頼をもって送り出す。


   ……………………………………。


 静寂に満ちた夜陰の中、目映いほどの月の光が、天井の高いリビングの横手にある、大きな窓から差し込ん来ている。それこそ防犯のため、カーテンは引いておらず、窓の格子がくっきりと、単色の絨毯の上に描かれていて。その格子柄がすぅーっと輪郭を曖昧なものにしたのは、光源となっていた月へ薄い群雲が差しでもしたか。窓の外、見通しを遮らない程度に中庭を囲む木立の梢も、その緑葉を青い光を浴びて濡らしていたものが、端から順々に光沢を夜闇の中へと沈めてしまう。無音の中で繰り広げられている、月光が紡ぐドラマの一幕。シンと静まって幾刻か。再びの蒼光の出現に、梢たちがさわさわと揺れているのが浮かび上がる。海に間近い丘の上にある王宮だから、その庭には一日中吹き寄せる潮風があって。今は夜中だから、陸から吹き降りてった一陣が、木々の先をくすぐったのだろう。
「………。」
 そういった気配へ気を取られているのではなく、すべての気配を均等に機械的な感覚で拾いつつ。置物のように椅子に座ったままでいた護衛官殿。ふと、
「…っ。」
 何にか気づいて顔を上げる。彼の姿も画面の片隅に押さえていたモニターを観ていた隋臣長が、こちらもやはり目許を瞬かせ、他の画面をザッと確かめてから席を静かに立ち上がる。
「どうした?」
 少しだけ開けたドアから顔だけ出して訊けば、
「何か物音がしたような気が…。」
 既に立ち上がっている頼もしい背中が視野に収まった。顔を寝室への扉へと向けたまま、あまり周囲には散らない、通りのいい声がそうと応じて来る。
「そっちはどうだ?」
「特に怪しいものは映ってないが。」
 室内側と中庭へ続くテラス側からとの両面から、窓や扉は監視され続けていて異状は無い。無論、室内自体も暗視用のカメラで見守られており、どこといって特に変わった様子は見られない。こっちのリビングと同様に、床に落ちていた格子窓の陰が、ぼんやりしていたところから、徐々に徐々にくっきりとした輪郭へ、浮かび上がり直しているところ。
「一応確かめておくか。」
 無事ならそれに越したことはないのだしと、こっちを肩越しに振り返って来て、目顔で了解を取る彼だったので、
「ああ。」
 任せたと頷いた隋臣長さんは、元居たモニター前へと立ち戻る。過敏になっているのは自分だけではないようで、日頃の図太さは何処へやらだなと思ったものの、
“勿論、そうであってもらわねばならんのだがな。”
 椅子には腰掛けず、寝室を映し出しているモニターを見やる。暗視カメラの映像の中、部屋の隅で何かが動いて見えたが、
“………メリーか。”
 ナミさんの“総動員”対策の一環で、あのモップ犬のメリーちゃんも今夜だけ特別に王子の部屋の一角へと寝床を移されており、それが不意なお客様のご訪問へ立ち上がって来た模様。画面の中へと現れた同僚さんの長身へ、尻尾を振り振り近寄ってゆく愛嬌のよさは何とも可愛らしかったが、番犬の役目を果たせるのだろうかという不安も招く。まま、いつぞや、ゲリラが診療センターをジャックした時は大活躍した彼女だったのだし、ルフィがピンチとなれば、それなりに活躍もしてくれることだろうよと。何でもないこと、思っていたそんな時だ。


  ―――
カカッッ! と。


 直前までの静寂をさえ塗り潰したのは、同じ無音の、されど真逆の存在。モニター画面が全て、一時的な焼きつきを起こしたほどの凄まじい閃光が“ぱぁっ!”と放たれたものだから、
「うわっ!」
 不意なこととてさすがの反射で、顔を眸を庇うように腕を盾にして覆ったサンジだったが、光が収まったのとほぼ同時、肝心なモニターが使いものにならない状態なのを確かめるまでもなく、控えの間から飛び出している。
「ルフィっ!」
 寝室への大扉は、さっきゾロが入ったその時に閉められたまま。そのノブに手をかけて。本来ならば中からの反撃を避けるべく、戸口の脇へ身を避けつつ開けるのがセオリーだったが、余程に気が動転していたか。そのまま無造作に…というよりも、一瞬の猶予さえ惜しんでという勢いで引っ張り開けて、中へと飛び込んでいる。
「ルフィっ!」
 大切な王子の名を鋭い声で呼ばわったが、室内はあっけらかんと静かなままだ。窓の格子の柄の影絵がくっきりと落ちた床も、月光の青さにぼんやりと照らされて、その輪郭をぼやかしている壁も。家具調度も、何ら変わりなく整然と居並んでおり、動転し切って飛び込んで来たのが滑稽なくらい。

  「な………。」

 静まり返った室内に、何だかキツネにつままれたようなという気分になりもしたが、
“ルフィはともかくゾロの返事さえないってのは…。”
 やはり不審。暗いままでは何も確かめられぬと、照明のスイッチを壁にまさぐってみたところが、
「…おっ…っとぉ。」
 身構えのなかった方向、いきなり腰あたりに何か暖かいものが触れたものだから、心臓が胸の奥から迫
り上がって来そうなほどギョッとした。そんな彼へと濡れた鼻面を擦り付けて来たのは、
「…メリーか。」
 その鼻先と口許しか見えないくらい、全身が長い毛並みに覆われている大きなワンコ。さっきまでゾロに懐っこくお尻尾を振っていた彼女をモニターで見てもいる。何かあれば吠えるくらいはするだろうに、こちらさんもまたいつもと変わらない態度でいるから、
“夢、でも見てた、のか?”
 さっきの閃光は監視モニター自体の機器系統の故障か何かだったのか? だがだが、だったら、
「………ゾロはどこへ行ったんだ?」
 彼は確かにこの寝室へと入った筈。なのに、何でまた、返事もないし姿もない? あまりの静かさに気押されしてか、少々行動が及び腰になっていたサンジだったが、何でもなかったのなら重畳なのだからと、意を決して歩き出す。それこそ防犯の意味からそんなにも窓辺ではない、部屋の中ほどに据えられた、天蓋とカーテンのついた大きめのベッド。先刻、自分が寝かしつけた王子様が無邪気にも眠っている筈の寝台の間際へと、足を運んだその時だ。

  「…!」

 そこからだとやや横手になっていた、中庭へ出られる大きなガラス扉が、軋みの音もないなめらかさで外から開いたではないか。しかも、そこから入って来た人影があり、こちらへハンドライトを差し向けて、
「誰だっ!」
「手を挙げてこっちを…っ。」
 向けと掛けられかけた声が途中で立ち消える。………そう。外から無造作に入って来たのは、

  「隋臣長殿?」

 中庭からこの部屋を監視していた警備部の人間たちである模様。顔を目がけていたハンドライトを外し、
「一体どうなされたのですか?」
「…それはこっちが訊きたいのだがな。」
 まったくである。彼らが踏み込んで来た、二枚合わせの観音開き、ガラスのはまった格子の大窓は、内側から鍵がかかっていた筈なのに。そしてこれが一押しの大問題。ベッドの中は裳抜けの空で、ルフィの姿が何処にもない。何が起こっているのやら、とりあえずルフィの行方だけでも知りたいと、叫び出したくなる気持ちを何とか押さえて。妙な格好でのご対面と相成った警備官たちに向き直る。
「ルフィ王子を見なかったか?」
「あ、はい。見ました。」

  ………おや?

 この警備官たちは、さっき中庭でこの扉の戸締まりを確認していたゾロに声をかけた二人でもあり、
「先程、途轍もない閃光が放たれたのへ、私どもが駆けつけましたと同時に、ロロノア殿がルフィ殿下のお手を引いてテラスへと出て来られまして。」
「な…っ。」
 彼らの片やは目視班の人間だから、モニター越しではなく直接、ここの窓という窓から凄まじい光が外へとあふれ出たのを目撃したのだそうで。じゃあやっぱり。さっきの異常事態は錯覚や幻覚やカメラの異状では無かったらしく。
「後ろを気にしつつ、足早に出て来られまして。」
 出て来た彼らの後ろをということは、室内を警戒していたことになる。

  『どうかされましたか?』
  『よくは判らんのだが、発光弾が仕掛けてあったらしい。
   他にも何かあるやも知れんので、王子を一旦、此処から退避させる。』

 緑頭の護衛官殿はそうと言い、頼もしい懐ろへパジャマ姿の小さな王子を庇うようにお守りしつつ、中庭へと踏み出してゆく。
「我々もお供しますと申し上げたのですが。」
「そんなにも人数が固まって動けば、相手へ此処にいるぞと教えてしまうようなものだからと。」
 王子を速やかに安全な場所へ。それをこそ優先したかったゾロなのだろうから、自分の能力への自負もあってのその発言は、正しく最善の選択だ。
「では我々はお部屋の検分にと、つい先程、そこの噴水前にて…。」
 ゾロや王子とは右と左へ分かれたのだと言う彼らであり、
「そう、か。」
 実直な彼らの言うこと、此処へと駆けつけたのも素早い対処であり、何処にも落ち度や疑う余地はない。何よりも、王子が無事なのならそれに越したことはなく、
「ゾロが一緒なら確かに問題はないな。」
 サンジもまた、ほうっと息をつき、スラックスのポケットから携帯電話を掴み出す。国王陛下の秘書、ルフィ王子、皇太子殿下の秘書、と来て、その次の短縮ボタンは。忌ま忌ましいながらも連携の必要がたんとあるからと記憶させた、あの緑頭の護衛官の携帯の番号。それを押しての呼び出しをかけたが、
「………?」
 コールも短く、その後すぐに。電波が届かないか電源を切っておられますと、無気質な声が告げてくる。くどいようだが、ついさっきまで此処にいた相手だ。それに、こんな事態の真っ最中に、何でまた連絡ツールの電源を落としておくのだ? 訝(おか)しいなと、もう一度。リダイアルを押すと、今度はつながったが、それと同時にすぐ背後から、単調な呼び出し音が聞こえて来た。
“え?”
 任務用の電話に着メロもなかろうということで、宮の人間たちは皆、普通の電子音のまま、微妙に音の波長を違えて使っており、
「…はい。どうした…って。何だ、お前か。」
 ばったんと。寝室のドアを開けてリビングの方から入って来た人物が、自分の携帯を頬に当てているのが見える。彼はそのまま壁へと腕をすべらせて、室内の照明を明々と点けてくれたのだが。
「どうしたんだ? …ルフィは何処だ?」
「何処だって…。」
 短く刈った緑の髪に、お仕着せのやぼったい半袖シャツにくるんだ、屈強精悍な体躯も撓やかな。鋭くも涼しげな眼差しと、果敢な気概を表す鋭角的な面立ちをした、この翡翠宮専属の一等特別護衛官、ロロノア=ゾロ氏、その人だったもんだから。
「お前、今まで何処にいた?」
「何処にって。…そうそう、さっきそこの二人に中庭で会ったよな?」
「は、はいっ。」
 その時に、お前は王子を連れてたんだろうがと問い詰めんとしかかったサンジに先んじて、
「それから、此処へ入りかけたら、入口で事務官に呼び止められて。」
「…事務官?」
 作戦遂行へは緻密にあたるくせして、自分の使命以外へは割と大雑把で。あの失踪から戻って来てもう2年にはなるというのに、此処の関係者や係官以外の名前はなかなか覚えない護衛官殿だが。だからこそ、名前が出なかったということは、見覚えがない事務官だったらしいなというのが即座に判った辺りの、隋臣長殿の反射はおサスガで。
「緊急の変更事項が持ち上がったから、本宮まで運んでくれと言われたんだが、向こうじゃ知らないと言われるしで。」
 こんな状況だからこそ、事態の急変も有り得ること。とはいえ、ゾロとて不用意に“ああそうですか”と予定外のそちらへ動いた訳ではない。こちらにはサンジが詰めている。他の警備官たちとの、直接顔を合わせあっての情報の刷り合わせをしにと、ゾロが外回りに出た直前、彼とも直接の申し送りをしてから交替したのだから。どんなに遅くなろうとも、自分が姿を見せるまではルフィの傍らから決して離れないサンジだろうと見込んでの行動であり。これはこれで、ゾロの側からのサンジへの信頼の現れ。だがだが、
「ちょっと待て。お前が言う、彼らと会った“さっき”ってのは…。」
「だから…。」
 腕時計を嵌めた腕をわざわざ持ち上げる彼の動作に。サンジと、そこに居合わせた警備官たちとが、それぞれに驚愕と共に口を開け、肩や背をわななかせる。

  「さ、さっきのは…。」
  「だが、あんなにロロノアさんだったのに?」

 歯の根も合わぬとは正にこのこと。幽霊でも見たかのように、いやいや、あまりに重大な責任問題へ腰が抜けそうになったのか。ガクガクと怯えて震え出す警備官たちを、叱咤してか、それとも励ますためか、

  「信じられないのも無理はないが、事実は事実だっ!」

 サンジがビシッと言い放ってから。ただ一人だけ事情が飲み込めていない護衛官殿の肩をポンポンと叩いてやり、
「よっく聞け。」

  「ほんのついさっき。
   お前に 姿も声も瓜二つで、その制服と同んなじ恰好をした、
   メリーからも懐かれるばかりで全く吠えられなかった男が現れて。
   堂々とルフィ王子の手を取って、何処ぞへ連れ出したんだ。」

  「………っ!?」



   まあまあ、どうしましょっ。





 


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  *私どもは、彼と彼がそっくりさんだって事は重々承知なんですが、(笑)
   それを知らなかった方々と、他の誰でもない“彼ご本人”は、
   それを知ってて利用して、こういう風に仕掛けたんでしょうかしらね?
   まだまだ続きますんで、どかお待ちをvv