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第二王子であるルフィの居棟となっている“翡翠宮”は、本来は代々の皇太子が寝起きする内宮施設、所謂“東宮”であり。見晴らしや設備などの環境も心地よく整っているのみならず、警備しやすいようにと内宮で最も奥まったところに位置している。ここに住まわれる王族の御方を間近でお世話する侍女や侍官たちも寝起きを共にするため、そのための施設も付属しており、これで結構な大所帯。そろそろ大人の王族としての政務も増えて来た王子であるがため、彼にお仕えする執務官たちも忙しくなりつつある今日この頃であり。生活の場での世話係であると同時、政務関係へでも彼にお仕えする執務官たちが、職務の狭間に息をつく空間には、内宮の予定表のみならず対外的な行事のスケジュール表までが掲示されるようになって久しい。壁の掲示スペースのコルクボードに、飾りのついたピンで張られたそれを。何ということもなく見やっていた金髪頭へ、伸びやかな声がかかって。
「何だか大変なんですってね。」
悪戯っぽい笑い方をし、テラスまでやって来たのは誰あろう、
「…ナミさん。」
負傷したらしいとルフィが思い込み、心配するあまりに医療棟までの大脱走をしでかしたその対象である当の人物で。彼女が故意に運ばせたことではないと判ってはいるが、
「〜〜〜。」
何とも言えないお顔をして見せた隋臣長さんへ、
「ごめんなさい。笑ってていいことじゃないわよね。」
何だか可笑しくてと小さな苦笑はなかなか消せないらしいけれど、王子様の現在の居場所が判らないなんて事がどれほどの異常事態かは判るから。一応は済まなさそうに首をすくめた彼女でもあって。美しいマドンナへ ついうっかりと複雑な表情をしてしまった隋臣長殿もまた、あなたが悪いんじゃないとは判ってますよと苦笑で返す。
「まあ、ただ行方が知れないってだけならいつものことなんですがね。」
「?」
まだ何かあるの? ナミが素直な反応で きょとんと綺麗な瞳を見開いたのへ頷首して、談話用のリビングの中へと戻ったサンジがサイドボードの上から取り上げたのは、堅そうな表紙も仰々しい、A4判サイズの1冊のファイル。
「ルフィの視察が短縮されたのもこれのせいなんですよ。」
そこにはファックスのコピーらしき、少々雑な印刷の資料が混ざった通達書類が綴じられていて、
「…M王国の皇太子、各国歴訪中? ああ、これならあたしも見たけど…。」
それがどうかしたのか? …と訊きかけたナミの声が途切れたのは、記載されてあった詳細のとある部分に視線が辿り着いたから。
「F国にて狙撃未遂?」
ほんの少し、大人の精悍さがにじみ始めたばかりという、それは若々しいお顔のスナップと一緒に添えてあった書類の記載に、ただならぬ事件が起こっていたらしいという記事が続いていたのへ思わず息を呑んだからで、
「M国の皇太子、H殿下といえば、今のルフィと変わらないほどのお若い頃からのずっと、国を挙げてのボランティア活動を先頭に立って指揮しておいでで。どんな勢力へも中立の立場を守りつつ、混乱が続く内戦の地などへ医師団を派遣したり、義援金を募る大規模な事業を組織したりという国際的な貢献でも有名な方です。」
「しかも。」
ナミが“くすすvv”と笑って付け足したのが、
「俳優業の傍らに…というのが小粋じゃない。」
この若さだからして、まだまだ大スターと呼ばれるほどまでの演技力や実力がある訳ではないけれど。留学先のアメリカで素性を隠して出演したアドベンチャー作品が、世界的なヒットを博して話題になった。その後、欧州の小国の皇太子だったという素性がバレてしまってますますの話題を呼び、そんなこんなでほんの数年前まで“スーパー子役”としての愛らしさで名を馳せていた人物だから。今でも世界的な知名度が高く、彼の挙動がニュースに取り上げられれば、誰もが“ああ、あの殿下が”と注目する。
「そんな国際的なネームバリューを持つ“平和大使”である彼を、快く思わぬ組織もあるって聞くけれど。」
決して浮ついたスタンドプレイじゃないのにねと、自分が腐されたかのように眉を寄せたナミへ、丁寧な手際でミルクティーを淹れて差し上げた隋臣長さんも苦笑をし、
「自分たちの主張、イデオロギー的なものを一応は掲げてる中枢部にしてみても、臨戦状態に運んだ以上は敵の逼迫状態を望んでの戦線だったりするのでしょうからね。それなのに…手厚い援助でもって保護し、苦痛や窮状を緩和されては何にもならない、そんな横槍を入れられては戦争だって無駄に長引くだけだ…なんていう勝手な言い分でもって、殿下を敵視する向きも少なくはない。」
やれやれと肩を竦めたサンジは、
「ご存知でしょう? 殿下の財団にはウチも随分と援助しています。今回の殿下の外遊はそれらに対するお礼のご挨拶をという外交目的ですから…。」
「近々ウチにも来る…いらっしゃるんだったわよね、そういえば。」
宗教的にも民族的にも、対外的には中立という立場は似たようなもの。地域や思想や何やに偏った格好の同盟だの連合だのというものにも、こんな小さい国なのに一切加担してはいない王国ということで、そういう向きからの協力要請を望まれやすい国であり、
「F国での狙撃未遂騒ぎのせいで、日程は延期となりましたがね。その正々堂々とした行動の全てを、平和への殿下なりの攻撃(アタック)となさっておられる以上、極秘の外遊なんてものは一切なさらない方だから。そして、そうである以上、ウチにもお出でになるんだって“予定”は世間様にも広く明るく知れ渡ったままです。」
あまりに衆目の集まる場でのこととなろうから、警備だって半端じゃなかろうし、執行は難しいその上に、非武装で善意の大使に刃を向けるとは何事かと、世界中からの猛烈な非難が集まることも必至。なれど、成功すれば…脅威勢力としての宣伝になるのは間違いなくて、
“諸刃もろはの剣ってトコでしょうかね。”
そういったリスクさえ厭わないでの救済活動は、武器を手にしての戦いのドラスティックな面から比すれば…困難も多かろうし、気を長く持たねばならぬ、正に茨の道。それでも奮闘なさっておられる、明るい気性と“天使のような”と謳われた健やかな笑顔とで、様々な苦衷にある人々を照らしてらっしゃるH皇太子には、ルフィ命の隋臣長様だとて尊敬の念を向けないではなくて。とはいえ、
「延期になったことで、先乗りして準備する不心得な手合いが国内に入り込まないかって。公安系の事務局や現場はぴりぴりしているそうですよ。」
この国自体には恨みはないがと、やっぱり勝手な言い分で、そんな物騒なことの舞台にされては堪らない。
「他人事じゃあないってことね。」
一応の非常事態訓練というのをついさっきやってみた訳ではあるけれど、あんなものは素人たちへの付け焼き刃な代物。人の命さえ宣伝の素材にしか考えていないような凶悪な輩が相手では、何の足しにもなりはしない。自分たちは楯になるつもりでいるから構わない。ただ、そんな輩が狙うのは…宣伝素材としての効果を見越される対象、つまりはその皇太子や彼と握手を交わすだろう王族の人間…ということだろうから。
「………。」
サンジの心配そうな お顔の真意が判ったナミとしては、
「あたしたちのルフィに関しては、当代随一な腕前の護衛官に精一杯気張ってもらいましょ。」
自分への慰めも兼ねて、そんな風に言ってから、やわらかく苦笑して見せるしかなかったようである。
◇
暦の上では秋だというのに、目映い陽光に満たされた健やかさと、そして瑞々しさとを誇ってのことか、滴るような緑が潮風にはたはたと揺れている庭園をのんびりと歩いて歩いて。辿り着いたは白亜の楼閣。王宮内の医療実務を一手に扱っているのみならず、国内随一の施設とスタッフを誇る、その名も王立総合医療センター。
「名前があったんだな。」
「一応はな。」
そうしとかんと郵便物が届けられんだろうが。あ、そうか…と。何とも間の抜けた会話を交わしつつ、エントランスを入って真っ直ぐ、慣れた足取りで外来の待ち合いロビーへと入る二人連れ。さして重大な病状にある外来患者は居ないのか、あまり人の姿もなかった通廊を素通りし、奥向きへと足を運んだ彼らが立ち止まったのは、廊下を突き当たったところに立ち塞がっていたドアの前。特に仰々しい装置だ何だがある訳でもなく、だが。立ち止まった二人それぞれに、頭上の天井からスポットライトがピッと当たって、そのまま瞬時に掻き消える。不審人物か登録されてる人物か。それを瞬時に判別するシステムだそうで、きっちりと見分けてもらえた二人は、しゅんとなめらかに開いたドアの向こうへ、そのままスタスタと足を進めた。いたって清潔そうな、だが、こういう施設にありがちな、冷たそうなほどまで愛想を削りまくった芸のなさはない、柔らかな印象の満ちた調度やユニット類の並んだ特別診療ゾーンへ入れば、白衣を着た大柄な青年がフリップバインダーを持って来た看護師に何やら指示を出している姿が見えて。
「よお、チョッパー。」
ウソップが手を挙げて声を掛ければ、
「おお。来たか、二人とも。」
にこりと無邪気な笑顔を上げる。彼こそはこの施設の、主に臨床スタッフたちのリーダーで、トニートニー・チョッパーというお医者様。元は北の方の国からの留学生だったのだが、成績優秀だったことと大学で手掛けていた新薬の研究をまだ続けたいということで、半永住という形でこの国へ籍を置き、この施設で働いているのだが、殊に第二王子からの信頼が厚く、腕白で生傷が絶えなかった王子を見て来た侍医たちからの推薦もあって、先年、王宮担当の典医へと抜擢されたのだとか。
『本人が口にした訳じゃあないけどさ。』
ルフィにしてみれば、以前からいるご典医様たちは、病に倒れた母上を助けられなかった方々であったせいだろうか、本人もそこまでは全く意識してはいないらしいのだが…それはそれは医者嫌いで通っていたのだそうで。診察を受けましょうという段になるや、ますます熱が上がるほど暴れたり逃げ回ったりなんて毎度の話で、高熱に浮かされて意識はほとんどない筈なのに、水薬をどうしても飲み込めなくて吐き出すほどの拒否反応が出たケースもあったらしい。ところが、新設された小児病棟への視察の席にて、小さな子供たちに懐かれていた大きな若いセンセーに、一目惚れの勢いでルフィもまた猛烈に懐いてしまい、そこから始まったチョッパー先生とのお付き合い。
「さぁて、ゾロ、そろそろ観念してもらうからな。」
手首をひねったというウソップへの治療にと、準備されてあった湿布薬やら包帯やらを載せたトレイを手元に引き寄せつつ、渋面を作っている護衛官さんへにっこし笑って見せるお医者様だが、
「そういう誤解を招くような言いようをすんなっての。」
依然として むむうと不貞腐れているゾロであり、
「誤解〜〜〜?」
ま〜だ往生際悪く誤魔化すかなぁと、斜(ハス)に構えて見せるウソップへ、チロリと“この野郎が調子にノリやがってよ”と語りたがってるお顔を向けた………そんな時だ。
「ナミ〜〜〜っ!」
がっしゃんと。派手な音と共に飛び込んで来た闖入者があったらしく。警報が鳴り響いて窓にシャッターが降り始める。
「…反応の順番がおかしくないか?」
「だよな。」
飛び込んで来られてからあちこち閉まってしまっては、立て籠もられてしまうだけだろうがと、結構暢気に状況を分析した、護衛官と狙撃手さんだったのは、
「ナミっ! …って。あれ? なんでゾロとウソップが居んだ?」
まさかお前らまで怪我をしたんかと、ドタバタ駆け込んで来たお声の主の正体が、最初の第一声の段階で判っていたから。
「何をまた、とんでもない方法で乱入して来るかな、この王子様はよ。」
わたわたと職員たちが慌てふためく中をやって来た王子様へ、ゾロが目許を眇めて見せたが、
「だってよ、ナミが怪我したって…。」
「バカっ。それは訓練で使ったメールの見本だっ。」
おお、事情はもう届いていたんですね。勘違いしたままに突入を敢行して来た王子様を怒鳴りつけてから、チョッパーは改めて護衛とメカニックのプロたちへも言葉を投げた。
「ウチの警備システムはあれで正常に動いてるんだよ。入ることを許可されていて、妨げる必要のない人物が、まさか大窓を蹴破って飛び込んで来るとは思わなかったまでのことだ。」
ちょぉっと混乱気味なセンセーですんで、判りやすく紐解けば。此処のエリアは、扱っている研究内容や入院している方々のプライバシーへの、機密保持や警護の徹底、若しくは衛生上の関係などにより、部外者の立ち入りを制限している区画だが、ルフィ王子はそこへと出入りすることを許可されている人物だから、侵入へは何のアラームも鳴らなかったのだけれども。
「そんな人物が強化ガラスを蹴破って突入して来るとは思わないよなぁ。」
とはいえ、最初のガードを許可なく通過した人物への阻止という順番じゃないと、その突入へは間に合わないシステムだってことには違いなく。
「改良の余地有りだな。」
技術部の精鋭さんが肩をすくめ、
「ウチの衛士長にも伝えておく。」
護衛官さんが苦笑をし。そしてそしてそんな傍らでは、王子様が右往左往。
「だからっ! ナミはどこなんだよっ!」
「お前は、人の話を聞けっ!」
王国の太陽とまで称される王子様を掴まえて、こうまで偉そうに説教出来る人物が何人も集まっているのが王宮ならではです、うんうん。
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*このお話ののっけでウソップがゾロに試射してもらってた、
カラーボール射出装置ですが、
何と、実際に携帯タイプの小型のが開発中なんですってね。
太めのテレビやビデオのリモコンくらいの大きさで、
子供の玩具のスーパーボールくらいの“弾丸”を2発装填出来て、
しかも赤外線使用の照準器つきという本格派。
当てたい場所へレーザー光の点が当たるように構えてから、
バシュッと発射したならば、
ボールを投げるのだとなかなか当たらないのに比べて
かなりの的中率で命中するのだそうで。
これをテレビのニュースで見た時は、
ありゃま やられた〜と妙な感慨に耽ったもんです。(苦笑) |