月夜見
  
 
夏至白夜 A “蒼夏の螺旋”より

         


          



 数日前に辿り着いたのは、少々くすんだ感のある年代ものの家々が並ぶ住宅街。一見して"外国"だとは判りにくい、だが、少なくとも日本の下町ではないなという落ち着きと、どこかしら基本の縮尺が違う土地柄だと思わせるパーツたちで構成されていて。間違い探しよろしく辺りを見回すとまず最初に気がつくのが、日本ではあって当たり前な"電線"がないし、日本の下町なぞで古い家にありがちな、ガラス格子の横引き戸が見当たらないところなんかは、
「あ、そっか。あれは日本にしかないもんね。」
 連れの少年がポンと手のひらを拳で叩いて見せた。それへと、
「いや、日本にしかかどうかは知らんが。」
 ついつい言い足したのは、中途半端な見識へ感心されるのが少しばかり恥ずかしかったからで。そして、そんな"照れ"が生じたのは、彼ら二人だけの道行きではなかったからに他ならない。彼らの屈託のないやり取りに小さく微笑んだ同行者は、
「もうすぐですわ。」
 車窓から見える道の先を、言葉の調子と視線とで示して見せたのだった。やや郊外にあった空港まで、この車で"お出迎えに"とわざわざ足を運んでくれた、黒髪の美しい女性。
『ニコ=ロビンと申します。サンジェスト様、ナミ様から、お二人のお話は伺っておりますわ。』
 サンジのというより、ナミの身の回りの事務的な部分のアシストを担当している人だそうで、育児に忙しくなった分、ついつい手が回らなくなったり目が届かなくなったところのフォローを、それは完璧にこなしてくれているのよと、相変わらずに闊達で瑞々しいまでにお若い新米ママのナミは、あらためて、それは誇らしげに、彼女を紹介してくれたのだ。成程、あのナミが褒めるだけのことはあって、理知的で卒なく、落ち着きがあって。きびきびとした動作・仕草にも無駄はないが、それでいて…時折見せるソフトな微笑には、豊かな教養のみならず、奥深い内面を感じさせる温みがある。そしてその上、エキゾチックな面差しと均整の取れた申し分のない姿態を持った、類
たぐい希まれなる"美人"でもあって。家庭内でのセクレタリー・マネージメントより、どこか大きな商社などの敏腕秘書という肩書きの方が断然似合いそうな女性である。…まあ、何の職に就くかは、個人の自由なのだが。
「ほら、着きました。」
 住宅街の大通りから引き込みになっているゆるやかなスロープ。さりげなく設けられたつるバラの這うアーチ型ゲイトを通り過ぎ、こざっぱりとした前庭を横手に、ロータリーは玄関前のテラスへと続いている。
「わあ…。なんか、いかにも"洋館"って感じの家だね。」
 ここで"欧州なんだから当然だろう"と突っ込むのは認識が甘い。今時の日本の住宅事情を思い出してご覧なさい。武家屋敷風だとか合掌造りだとかいう、いかにもな日本家屋は歴史ある文化遺産化しつつあり、瓦葺きの切り妻屋根でさえ珍しい昨今。古都や田園の中に残る伝統家屋を見て、他でもない日本人が"わあ…"と感嘆の声を上げとるのだからして。よって、いくらここが欧州でも、どこぞの大聖堂や大使館、はたまた上野駅みたいな建物を"住まいです"と言われたら、そこはやはり驚きもする。ルフィがびっくりしたのは、
『まるで"お城"に住んでるみたい』
と感じたようなものだと思って下さると判りやすいかも知れない。閑静な住宅地の中、緑陰に守られた一番の奥向きにこっそりと、だが一番優雅で大きな屋敷として建つ邸宅。それが、彼らを招待してくれた若夫婦の住まいであったのだった。


            ◇


『ルフィっっ!』
 玄関前で今か今かと待ち構えていたらしく、車から降り立つや否や、早速のように最愛の少年との久々のご対面をじぃっくりと噛みしめつつ、熱き抱擁をやらかしてくれた…そして剣道の元・全日チャンプからの"小手打ち"を喰らった
(笑)ところの、俳優のように麗しきハニーブロンドの若き主人には、
『ああ、まあ広い家…ではあるかな。』
 大した感慨はないらしかった。屋敷が広いのは、彼らがそういう家に造ったからでも希望したからでもなくて。買ってみたらこういう家だったという順番なのだそうで。こういう巨額な買い物へでさえそんな無頓着ぶりを見せる辺り、彼らなりの…とある事情から、物品への執着というか関心というかが薄かった名残りが出たまでのことと言えなくもないが、
『掃除の手が回らないことで、成程、二人暮らしには広過ぎると気づいたんだが。』
 …こだわらないにも程がある。趣味のいい趣きの、緑の広がる広い庭には温室もプールもある。これらは後から増設したものだそうだが、金に飽かせてあれこれと取り揃えたのではなく、広い庭は防犯設備のカモフラージュ、温室は家庭菜園で、プールは防火用水なのだとか。
『防犯用のあれやこれやってのは、Dr.ウソップの発案したのを試験的に設置しているんだけれどもね。いかんせん、ここいらは田舎だからか、今のところサンプルになりそうな"侵入者"はまだ一人も来なくてね。』
 パーティージョークのつもりか、それとも本気なのか。あっはっはっと明るく笑って言ってのけるサンジには、
『………。』
 これにはさしものルフィもちょっと呆れた。彼らの側からの少々キテレツな言い分は色々あるらしいが、若きエグゼクティブの優雅な邸宅ということで周辺住民の皆様からは把握されているらしく、
『それをそのまま素直に受け入れればいいのにね。』
 小さな恋人くんからの耳元への囁きへ、ゾロも呆れながら"まったくだ"と頷首したのは言うまでもないことであった。実際問題として、その評はさして遠い代物ではない。実際にあちこち駆けずり回りこそしないが、長い歳月のうちに培って来た人脈や知識等々による経営コンサルタント、またの名を"経済エージェント"とも呼ばれているその職業では、世界的なレベルで経済界の大物たちから頼りにされてもいる凄腕で。今回のような我儘な"仕立て"をあっさりと組めたのもその実力があってこその言わば余裕。
"あやかりたいとまでは思わんが…。"
 暢気というのか何というのか。世界経済にも影響を及ぼさんという人物とその環境が、こうまで浮世離れしていても良いものかと、ちょっとばかり疑問を覚えた、商社マン2年生のロロノア氏である。
"まあ、俺には直接には関係ないことだから、どうでも良いんだけれどもよ。"
 おいおい。さてはあんたも、実はとっくに"休暇モード"に入っているな?
(笑) 中庭のプールから戻って来た私室にて、備え付けのシャワーをざっと浴びて仄かなカルキ臭を落として。
「…ん。なあ、ゾロ。」
 桁外れに破天荒な招待主殿のお茶目によって、何かと調子
ペースを崩され続けで、それがために少しばかり機嫌が悪い恋人だと…気づいているやらいないやら。ルフィは屈託のない声をかけて来る。ドアのない"刳り貫き"の間口でつながった3つほどの部屋で成り立つこのフロアは、ウォーキン・クロゼットとジャグジータイプの風呂までもが付いていて。ここにいる間の二人にと割り振られた居室なのだが、そのまま"コンドミニアム"として通用するような、マンションフラットほど広々としたゴージャスな代物である。ルフィどころかゾロが縦横間違えて横になっても十分余裕の、欧州仕様キングスサイズのベッドが、天井まである大窓の傍らへと据えられてあり。それだけでは足りないのか、足置きオットマンの付いたひじ掛け椅子と、ロー・テーブルのセットのおまけ付き。そんな風な奥の寝室は言うに及ばず、手前の2部屋の広さも半端ではない。それぞれで10人ほどのお客を呼んでの立食形式のホームパーティーが余裕で開けるほどであり、惜しむらくはキッチンだけがついていない。おいおい 内蔵されたクーラーボックスに、ありとあらゆるソフトドリンクやフルーツ、スウィーツ類をずらりと冷やした、カウンター・バーはあるんだが。こらこら 長い説明が挟まったが、そんなにも間があった訳ではない。声を掛けられたゾロが、
「なんだ…。」
 実は向背には海が迫ってたんですよという、至れり尽くせりなまでに風光明媚な窓辺から振り返ったのは自然な間合いの上でのことであり、
「………。」
 ちょいと言葉に詰まってしまったのは、広い広いベッドの上に…正座を崩したような、脚の間に尻を落とし込んだような座り込み方をしたルフィであったのが、何とも言えず愛らしくて。それでちょいと見惚れてしまったまでのこと。タンクトップは濃紺で、細い肩に軽く羽織ったコットンのシャツは、プール遊びをする直前までゾロが着ていたものの無断借用。下には、インナーだろう、腿の半分ほどまでの丈の、ゆったり大き目の短パン姿。その膝頭の内側に両手をもぐらせて、細っこい肩をすぼめた、どこのAVギャルにも引けを取らんぞ(但し"萌え対象"限定/笑)という、それはそれは愛らしいポーズにて、
「なあって。」
 何がお望みなのか、しきりと自分を呼ぶ彼なものだから、
「何だよ。」
 その長い脚で広い部屋をあっと言う間に横切り、そのまま傍らへと寄ってやる。同じベッドの端へと腰を下ろすと、その途端、膝の間へ両手を突くようにして身を乗り出し、ぽそんと届いたこちらの懐ろへ、そのまま頬を擦り寄せてくる彼で。
「ん〜。」
 すりすりという頬擦りは、少しずつ、胸板から鎖骨辺りへ、そして顎の下へ潜っておとがいへと上がってくる。仔猫のようなこんな甘え方には覚えがあって、彼の方からの………へのお誘いであり、
「…おいおい。」
 言外に"まだ昼間だろうが"と言いたげな恋人さんであるのは少年の方でも承知なこと。こういう"堅物"なところも、彼らしさというのか、今時には希少な性格として堪らない"魅力"ではある。それでも、いやいや、それだからこそ、自分から積極的になってみたのだからして、
「んん、良いじゃん。なあ…。」
 耳の下まで到達した小さな唇が、甘い囁きと共に吐息を吹きかけてくるのへ、
"どこで覚えてくるんだか。"
 口調はどこか端的でつれないが、決して呆れてしまったゾロなのではない。拙い中にも絶妙な、とある要素が散りばめられていて。例えばちょっと幼い甘ったるい香りやら舌っ足らずな声音やらという要素に、ついついツボを擽
くすぐられてしまう自分が情けないと、呆れるとしたならそんな自分へため息一つ。そうして、
「ルフィ…。」
 撓やかな背中をわざとゆっくり撫でてやると、
「…ん。」
 大きな眸を薄く伏せて。ふる…っと肩を震わせて、腕で支えていた小さな体をこちらへもっと凭れさせて来る。やわらかな頬は肩口へと伏せられていて。そんな彼の小さな顎先をひょいと指先に掴まえて、
「あ…。」
 何か言いかけたのか、それとも微笑おうとしただけなのか。薄く開きかけた口唇を奪って貪れば、
「ん、…ん。」
 どこか戸惑いを含んだような、覚束ない仕草で胸元へしがみついてくる小さな手の温みが何とも愛惜しい。唇を離しても、すがりついたまま離れようとはしない彼であり、
「お買い物のついでに、サンジとナミさん、ベルちゃんのお散歩に出掛けてるんだ。あれこれまとめ買いになるんで時間も掛かるから、夕飯時まで好きに過ごしなさいって。」
 ベルちゃんというのは、若夫婦の間に先々月生まれたばかりな娘御の名前。お母さんから明るい亜麻色のつややかな髪を、お父さんからはアイスブルーの瞳を受け継いだ、色白な愛らしい赤ちゃんで。美人の奥さんとこんな宝物までがありながら、その上にまだルフィにまで未練がましくちょっかいを出して。某サイトオーナー様が烈火のごとく怒ってたぞ? サンジさん。(こらこら、他所様を担ぎ出さない/笑)話が逸れたが、家族水入らずのお買い物に出ていて家人は不在…なことを言いたいらしい。
「だからってだな…。」
「いいじゃん。なあ…。」
 ねだるように甘く囁かれて、
「………。」
 適当にいなせなかったのは何故だろうか。いつもとは違う環境と、始終傍らにいる愛らしい恋人と。広い屋敷の人口密度の少ない中、一緒にいるのは愛娘込みでラブラブな若夫婦であり、あっけらかんと睦まじいところにアテられていて。何より、休暇中であるという開放的な気分が、日頃はまだ何かと照れが出てしまう筈な彼を"やや"積極的にしているというところなのだろうか。…いや、表向きは"出張中"なんだけれどもね。
(笑)
"…そういえば。"
 ふと気づいたのが、此処に着いてから、いやいや此処へと辿り着く旅程も含めると、数日ほども彼へとロクに触れてはいなかったような。…って、淡白な人だねぇ、あんた。
「………。」
 食べて食べてと言わんばかり、軽くついばんだだけで酔いそうになった甘い唇が、あどけない中に微かな媚態をにじませた愛しいお顔が、すぐ目の前に。これで食指が動かないほど、まだ枯れてはいないから、
「ルフィ…。」
 今度はゆっくりと合わせた唇。軽やかにやわらかく、甘い熱を仄かに含んだ、極上のビロウドのような感触。しがみついてくる小さな手の懸命さと、離れかかった隙間からこぼれた吐息のくすぐったさに、愛しさも増して。
「…ぞ、ろ。」
 お互いの薄いシャツ越し、くったりと凭れかかってきた小さな体がほのかに熱いのがまざまざと判る。まだかすかに水の香りの残る黒髪に鼻先を埋めて、懐ろの中、楽々と収まっている小さな体を抱き締めた男は、だが……………。












  
Z・Z・Z・Z・Z……………。

  「…ルフィ?」


 聞こえて来たのは健やかな寝息だったものだから。怪訝そうに眉を寄せてから、とろんと蕩けていた少年の顔を再び覗き込んで、


   「……………お〜い。」


 その気満々に煽られたものを中途で放り出されるのって、専門用語で"生殺し"っていうんだってね。(いや、何がって…。)
"…こいつは。"
 人間の生物としての根本に根付く三大欲求は"食欲・睡眠欲・性欲"なのだそうで。どうやら、情欲の高まりと睡眠欲の高まりという二つの本能的な欲求の違いを、本人からして勘違いしていたルフィであったらしい。すっかりと安心しきってすやすやと寝入る恋人さんへ、それはそれは呆れ返ったのも数刻のこと。
「………。」
 いかにも幸せそうな寝顔へとついばむようなキスをして、そぉっとベッドへ横たえてやる。無邪気でかわいい愛しい人。言動も好奇心の向く先も、それはころころと目まぐるしく変わりやすくて、
"ホンっト、退屈させねぇよな、いつまでも。"
 健気で一途な顔もするし、甘えたな声も出すし。調子のいい言い分もあれば、してやったりという笑い方もする。時々我儘で、こちらを困らせるほどに臍を曲げることもやっと昔並みに増えて来て。そんなこんなの何よりも、お元気で溌剌とした、思うままに振る舞う彼を見ていると、不思議と心和む自分に気がついているゾロでもある。どこか臆病で壊れもののような繊細さに気を取られ続け、慣れない気遣いも頑張ってこなして来たが、本来は奔放であってこその彼だと、それこそが一番の魅力だと思い出したから。
"………。"
 壊れもの扱いをすることでますます臆病な彼にしていたのかもしれない。そうではなくて。振り回されても動じない、そんな自分であればいいだけのこと。
「…ん、んぅ。」
 頬に一房だけこぼれてくすぐったそうな髪を、慣れた手櫛で梳き上げてやり、ついでにやわらかな頬をふにふにと突々いてやる。無邪気で奔放でかわいい愛しい人。朴念仁だった自分の心を、本人不在のまま7年間も捕らえて離さなかった掛け替えのない存在。ベッドに突いた両の腕の間、無防備なまでにくうくうと寝入る小さな肢体をじっと見下ろして、
"二度と再び、手離すもんかよな。"
 淡く微笑って…そっとそっと頬に口づけ。そしてそのまま傍らに身を横たえて、こちらも眸を伏せるゾロである。




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