月夜見
  
 
夏至白夜 D “蒼夏の螺旋”より

         


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 欧州の古いおとぎ話にこういうのがある。昼間の長い夏至の夜は、妖精の世界と人間の世界がとても近くなるのだそうで。特に白夜で明るい夏至の夜、森の中へ迷い込むと、妖精たちが和になって踊っているのに出食わすことがある。でもね、どんなに楽しそうでも声をかけてはいけないよ? 向こうから気づかれてもいけないよ? 悪戯が好きな陽気な妖精。踊りの輪の中、誘われたなら、あっと言う間に月日が経って、一晩だけの筈が数年経っていたりするからね。あなただけ年齢を取らぬままに歳月は過ぎて、家に戻れば皆が年老いていたりするからね。良いかい? そっとやり過ごさなければいけないよ?


            ◇


「…ミス・ロビンが怪しい?」
 いつもの舌っ足らずな声が少しばかり甘く掠れているのは、つい先程まで少々親不孝な睦声をしきりと上げていた名残り。
(…笑)小さく咳をして喉を均しつつ、ルフィが訊き返す。それへと…これもまた、つい先程まで甘く滲んで匂い立っていた汗で、細い髪が丸ぁるい額に幾条か貼りついているのを、大きな手のひらで撫で上げるようにしてどけてやりながら、
「考え過ぎだとは思うんだがな。」
 宵闇が満ちた広々とした寝室の、これまた広いベッドの上で。事後の軽い気怠さの中、溜息混じりに呟いたゾロである。撓やかでさらさらとした肌触りの、随分と上等な寝具であることを差っ引いても、この時期に掛け布にくるまっていて心地が良いというのは、信じがたいし有り難い。日本に居たならエアコンのお世話になるか、さもなくば湿度が高くて蒸し蒸しする熱帯夜に炙られて、寝不足の日々を迎えているところ。うう"、辛いなぁ…ってそれはともかく。
(苦笑)ゾロとしては、何となくの手ごたえだけ、直感だけで人を疑っているというのが気が引けて、これまでルフィにさえも黙っていたらしい。そして、黙ったままで自分なりの観察なんぞをしていたものだから、それをルフィから"彼女に関心があるのでは?"と誤解されかかってた訳なのだが、
「…なーんだ。」
 ついついこぼれた安堵の呟き。それへと、
「?」
 キョトンとするゾロであり、
「あ、ううん。何でもない。」
 まま、それはもう済んだことだし。
(笑) 誤魔化しを兼ねてか、ルフィは幼い額をやわらかな枕へと押しつけながらちょっと考えてみて、
「サンジやナミさんはそういうのに聡いから、危ない人を身近には置かないと思うけどな。」
 そんな風に彼なりの意見を口にする。そして、
「…うん。」
 そうなのだというのは、実のところゾロにも判ってはいるのだ。今現在の肩書きの大きさだけでなく、彼らにはとある特殊な事情というのがある。今は微妙に縁を切ったというか、影響下にはいない彼らであるのだが、冗談抜きに気が遠くなるほどの長い長い期間をかけて身についた、ほぼ"刷り込み"のようなものでもあるそれがための"警戒心"はそう簡単には抜けなかろうから、そこいらの警備会社がマニュアルを欲しがるくらい徹底して用心している筈で、
「ナミさんも何かしら気がついてるような言い回しをしてたしな。」

  『ま、悪い人ではないの。あまり警戒はしないであげて。』

 彼女が怪しく思えるのも仕方がないかもねと、そっちの方の意味からも承知の上でいる…という語調だったような。隙がなさ過ぎるところをゾロが怪しんだと、そう思っているらしくて。
"………。"
 まま確かに、この屋敷の運営に関しては部外者である自分が、こうまで気にすることはない。武道をたしなむ人間だから気になった彼女の鋭さも、敏腕な執事さんということで納得すればいいところ。だのに、どうしてもそうと飲み下せない、看過出来ないでいるのは、
"…一体何を警戒して、緊張しているんだろう。"
 あれが平生から保っているものならば、途轍もない精神力だと感心させるほどに、物凄く気を張っていると判る。もう少しゲインを落としても良かろうに、下手に感知出来るこっちまでが緊迫に背条の産毛を逆立ててしまうほどであり、何かあるのではとゾロがついつい気にするのも、詰まるところはそのせいなのだ。
"う〜ん。"
 そんなこんなを思い出し、どうしたものかと感慨深げな顔になっていたゾロだったが、
"ん?"
 ………ふと。返事がないのに気がついて。横になったままの片頬杖の上から傍らに寄り添った少年を見下ろせば、サイドランプの仄かな明るさの中、まぶたを伏せてくうくうと既
とうに眠りについている寝顔が見えた。すっかりと安心したせいもあってのことというのは、ゾロには…生憎と判ってはいないのだろうが(笑) 、薄く薄く口を開け、まるで泳ぎ疲れての午睡を思わせるような、頬の辺りに淡い疲労の陰を一刷け引いた、屈託のない無心な顔だったものだから、
「…♪」
 その愛らしさにくすくすと、声を出さないようにして笑いつつ、ふわりと軽いシルクの掛け布でくるんでやって。ベッドの真下、脱がせ散らかしながら蹴落としたパジャマや下着などを、長い腕を伸ばして拾い上げてやる。…そうか。いつもそうやって、着せてやっているのね、あなたvv


            ◇


 Dr.ウソップという名前。一番最初のお話の、クライマックスに出て来たことを覚えてて下さってらっしゃるとありがたい。そう。あの"第一話"と…いうか、まさか続き物になろうとは思わなんだ、結構ミステリアスで緊張感もあった…と思うお話のいよいよの対決という下りにて、彼の手になる発明品を幾つかご披露した筆者でございまして。長い長い逃亡生活の中で、サンジがその身を守るためにコネを持った"裏世界"での、結構有名なジャンク屋というか発明家というか。論理をかっ飛ばして"感性"とか"直感"で物を作ってしまう辺り、某・成原博士にも通じるものが………いやその
ごにょごにょ(笑) 画期的なものも少なくはない彼の発明品というのは、されど当たり外れが大きいのだそうで。表に出られない理由は幾つもあるらしいが、恐らくはその辺りが一番大きな原因なのではなかろうか。
「防犯グッズのモニターってのをやらせてもらってるんだがね。これがまあなかなか。」
 最初に彼自身が言っていたように、こんなに鄙びて静かな町に、そうそう泥棒やら強盗やらはやって来ないのだそうで。サンジは少しばかり困ったような苦笑を見せる。
「安全に越したことはないじゃない。」
 居間のテラスには朝の爽やかな風と光と。瑞々しい翠の中、ひなたぼっこにと白い籐の揺り籠ごと持ち出された小さなベルちゃんが、ご機嫌そうに小さな手をしきりと振って見せる。それへと眩しげに目許を細めて、
「あんまりピリピリしていたら、ベルちゃんだって落ち着かないよ。」
 そうだよね〜と赤ちゃんへ相槌を求めながらルフィが言うのへ、サンジも頷いて小さく笑い返した。青く澄んだ大きな瞳を思い切り見張って、あう・うー・んくぅ…とご機嫌そうに何やら話しかけてくる愛娘。たいそう細くて柔らかな亜麻色の髪を白い指先でそぉっと梳いてやりながら、
「そうかい。そうなんだ。んん?」
 いちいち応対してやっているサンジというのが、何とも見もので面白くって。世間様が言うほど?鼻の下を伸ばしている訳ではないけれど。闇の中に映える白い顔をどこか斜に構えさせ、口唇の端に冷ややかな笑みを浮かべつつ、暗い色合いのスーツで鎧ってスタイリッシュにビシッと決めているのが"基本形"だった彼が。打って変わって…眩しそうに眸を細めつつ、腕まくりをした清潔そうな純白のシャツによく映える、淡彩パステル画調でやわらかく微笑っているのは、慣れのない者にはさぞかし違和感も大きいことだろう。
"俺はこっちのサンジの方が好きだけどな♪"
 心から安らいでいる顔だなと思う。自分と一緒にいた頃も、こういうやさしい顔をしてくれたサンジではあるけれど。今にして思うと、どこか別物な、切なげな寂寥感の滲んだ笑顔でもあったような気がするのだ。ルフィへの負い目をずっとずっと忘れなかった、それがために、何よりも…自分の命よりもルフィをこそと優先し続けた優しい男。
「なあ、サンジ。」
 ざあぁぁ…っと潮騒が沸き立つ。本物の波の音ではなくって、庭を彩る瑞々しいまでの翠の茂みたちが、強く吹きつけた潮風に次々となぶられて、大きく揺れた響きだったのだが、
「んん?」
 その風のあおりに髪を揺らしたサンジを見やって、
「今、凄んごい幸せだろう。」
 傍らに置かれた陶器製のガーデンテーブルに両手で頬杖をつき、にこにこと微笑いながらそんなことを訊いてくるルフィへ、
「…まあな。」
 ちょっと間が空いたのは、わざわざ問われるまで意識していなかったからか。
"………。"
 思えば。気の休まることのない"永遠"を、ただただ意味のない惰性で駆け続けていた自分だった。ふとした折々に、様々な緊張や逼迫を…それも命を懸けた綱渡り的な、心臓に痛いほどの緊迫を味わったり。そうかと思えば、愛しい人から、されど逃げ回らねばならない孤独にちりちりとする痛みをやはり覚えたり。何も成せないままに、気が遠くなるような"永遠"を孤独のまま生き続けねばならないその空しさに、焦燥感も寂寥感もいつしか擦り切れて。笑うことも泣くことも忘れ、ただただ疲れて。物陰に隠れての隠遁生活がベースになってた頃に出会ったのがこのルフィだった。懐ろに抱えた愛らしい温もり。時々罪悪感を覚えもしつつ、だがだが…もう一度歩き始めてみようやという気持ちを掘り起こしてもくれた瑞々しい生気に満ちていて。そして、それを契機に"今"へと至る新しい歯車が動き始めたようなもの。
「? どしたんだ?」
 何とも言えぬ、感慨深そうな顔になってこちらを見つめてくるサンジに、ルフィは小さく首を傾げて見せる。
「いや、お前ってさ…。」
 もしかして"天使"なのかも知れないなと、思いはしたが口にするには陳腐な一言。
「俺?」
 言葉半分で放り出され、だから?とますますキョトンとしている少年へ、
「何でもないよ。ただまあ、奴みたいな朴念仁にはやっぱり勿体ないかなぁってな。そう思っただけだ。」
 誤魔化すに事欠いてそれを持ち出すか、小舅殿。
(笑) 


            ◇


 そんなこんなでのんびりと日は過ぎて。ゾロが資料を運んで来たところの"某商社基幹部のライン管理に於けるシステムチェック"とやらも、Mr.サンジェストの手により着実に進んでいるらしく、
「当初の予定は2週間と踏んでいたんだが、どんなに遅らせてものんびり構えても…1週間もありゃあ、バックアップ・チェックも、紙と電卓を使った机上検算までも出来ちまうことだからねぇ。」
「………おいおい。」
 そうまで手際を引き伸ばしとったんか、あんたは。
「何しろそう滅多には逢えない特別ゲストが来ているからねぇ。」
 執務室のデスク前。ローテーブルの傍らへ据えられたソファにちょこんと座って、ゾロとサンジの仕事ぶりを眺めていたルフィへと、にぃっこり微笑って見せたりする余裕よ。ところが、
「ダメだぞ? サンジ。ちゃっちゃと済ませてくんないと、俺だって困るんだからな。」
 その"特別ゲスト様"本人が、ちょいとばかり唇を尖らせて見せたから、
「おや? 何か予定でもあるのかな?」
「うん。ゾロの実家に帰って、お姉ちゃんたちに逢うんだvv」
「………っ☆」
 途端に…ここまでの会話でもう既に苦虫を噛み潰しかかっていたゾロが、書類を腕に抱いたままソファーの上でコケかけた。
「ゾロ?」
 まさか自分の発言のせいだとは思わずに、どうしたんだ?という声を掛けてくるルフィへ、
「一体いつ、そんな"予定"が立ってたんだ?」
 がばぁっと身を起こしつつ、そんな話は全く聞いていなかった婿殿が尋ねると、
「こっちに来る前に電話があって、伯母さんが言ってたもん。お盆になったら遊びに来てねって。大好きだった白玉とか心太とかおはぎとか、一杯作ってあげるってvv」
「う…。」
 さすがはお母上。何が彼の心を掴むかはお見通しであるらしく、ぐうの音も出ないゾロの向かい側、デスクからわざわざ立って来たサンジはサンジで、
「"おはぎ"は判るが"シラタマ"と"トコロテン"ってのは何だ?」
 こんなに嬉しそうな彼だとあってライバル心に火が点いたか
おいおい、チェックシートやフローチャートの書類をそっちのけで、ルフィに詳細を聞き始める始末。
「あのね、白玉の方は、上新粉っていうお米の粉で作ったお団子のことでね。捏ねて丸めてさっと茹でて…。」
「それって"花見団子"や"みたらし団子"の作り方じゃないのか。」
「んと、ちょっと違うんだな。甘くないし、みたらし団子よりしっかりしてるし。」
「ふんふん。」
「そいで、出来たお団子を砂糖蜜のシロップに浮かせて食べるんだよ? かき氷に添えても美味しいんだvv 心太っていうのは寒天のもうちょっとコシのあるやつで、突き器っていうお道具で細長く突き出して、三倍酢のおつゆにつけて、麺類みたいにつるつるって啜って食べるんだよ?」
 欧米の人たちには"啜って食べる"という習慣はない。以前『
炎水晶』のBにてご紹介した事情のせいであり、所謂"貴籍"に属すお上品な方々を"行列の出来るラーメン屋さん"あたりに連れてったら、あまりの様相に神経が耐えられなくなって引っ繰り返るかもしんない。(笑) こちらのMr.サンジェストに限っては、その辺りへの理解もちゃんとあって、
「そっか。…じゃあ、今日のお三時には"白玉"ってのを作ってみよう。」
「わあvv ホント?」
 すっかりとお菓子談義になっている彼らに、
「お前らなぁ…。」
 ゾロが…怒るのを通り越して呆れている。平和だねぇ、うんうん。
(笑) 


            ◇


 途中でやっぱり脱線してしまったが、それでも今週中…滞在期間10日という案配にて仕事には方をつけるから心配しなさんなと、Mr.サンジェストは約束してくれて、
「おふくろに感謝かな。」
 傍に居たとて手伝うこともそうはないからと、執務室から退出しつつ、ゾロがそんな風に呟いた。
「何で?」
 聞き咎めたルフィに、男臭い顔へ少々気後れの気配を見せつつも、
「…うん。こういう言い方は招待してくれてるあいつに悪いが、このままだといつまでも…夏の間中ってノリで此処に引き留められそうな気がしててな。」
 正直なところをこっそりと囁くゾロだったりする。そこまでしか言わなかったものの、そんな待遇がちょっと困ると感じている彼だという風情が、言外にありありと含まれていて。気候もよし、環境も素晴らしい。ヴィクトリア王朝風の優雅な洋館は、ゆかしき見かけを裏切るほどに設備もあれこれ完壁で。メイドさんやら家長兼任の一流コックさんやら
(笑) 身の回りを構って下さる方々もいて…と、こんなにも至れり尽くせり。一般人がしかもタダでこんな待遇を受けるなんて、まずは出来なかろう極上のご招待を受けていながら、それを鬱陶しがるのは罰当たりだと重々判っているのだが。それでも…何だかちょっと落ち着けない。車を借りてちょいとドライブなどに出掛けている分には、いつもの旅行と同んなじで奔放な雰囲気を楽しめるのだが、戻って来たこの屋敷で…身の置き場に何となく困ってしまう。こんな風に思ってしまう自分は罰当たりだと感じる"義理堅い"ところのあるゾロは、同時に…ちょこっと貧乏性というか、自分のことは自分でやりたがるタイプなので、こんなにも長い間の"お客様"という待遇は苦手ならしいのだ。そして、
「ふ〜ん。」
 そういう彼の性分を、知ってはいたがこうまで"借りて来た猫"状態になろうとはと、そんな風に感じてだろう、小さく笑ったルフィはと言えば。
「じゃあ伯母さんじゃなく俺に感謝してよ。」
「…??? 何で。」
 意味がよく分からない。故郷への里帰りという話を彼が持ち出したから、だろうか? 問うと、ゾロのすぐ前を後ろ向きになって歩きつつ、くすすと悪戯っぽく笑って見せて、
「だって、伯母さんから電話があったっていうのは嘘だから。」

   「………はい?」

 おいおい、ちょっと待って下さいな。
「…ルフィ?」
 知らず、立ち止まってしまったゾロへ、こちらも足を止め、
「だってサ。ゾロってば何遍言っても塩竈
しおがまのお家に連れてってくれないんだもん。」
「塩竈って…。」
 その地名は紛れもなく、ゾロの実家のあるところ。さ〜あ、地図帳を開いてみようvv
(笑) 
   *すいません、このお話限定の設定ということで。
「くいなお姉ちゃんとメールで"帰っておいでよ"とか色々話しててね。伯母さんがおはぎとか一杯作ってくれるからって話をしたのはホントだけども、伯母さん本人とそういうお話をしてはないんだな、うん♪」
 ふふんと鼻高々に言ってのける少年であり、
「…お前。」
「だから、感謝したいんなら今度こそ塩竈に行こうな?」
 思わぬ段取りに呆気に取られている大好きなゾロの、頼もしい腕へと甘えるようにしがみついて眩しいばかりに笑って見せる。一体いつからこんな策士になったのでしょうか、この坊やったらもう。
(笑) 




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