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そんなこんなで穏やかに時は過ぎゆき。人々は睦まじく集い、笑い声の絶えない、心豊かにしてやさしい夏の休暇は、当初のかすかな齟齬までなだらかに均して、それは順調に日々を消化していた。
「スポーツクラブ? そういやあったな。」
欧米では地域が運営するスポーツクラブというものがある。イタリアのサッカーなぞは、クラブチームの青年部がそのまま、セリエAの下、セリエBとかセリエC辺りのプロチームの"プリマヴェーラ(予備軍)"に直結していたりもする。アメリカの野球も、メジャーはさておき、3Aクラス辺りは同じように地域のクラブチームなんじゃなかったっけかな?
「なんだ? クラブに行きたいだなんて。体がなまったか?」
クチバシのようなつばを後頭部へと回して後ろ前にかぶった野球帽に、着ているTシャツは、だが、サッカー日本代表のあのマリンブルーのレプリカシャツ。準備は万端というそんないで立ちで書斎へやって来た、言い出しっぺのルフィを見やってサンジが苦笑して見せると、
「そういうんじゃないよ。あのね、カザリンが言ってたんだ。ハーフパイプを開設した記念にって、ボーダーのハメル=マークソンが来るんだって。」
「???」
ルフィの説明には専門用語が多すぎて。ついつい"お兄さん、よく判らないぞ"という顔になるサンジである。さて、1つずつ検証してゆきましょう。
「カザリンってのは斜はす向かいのお家の、上のお姉ちゃんだよな。」
「うん。」
日本流に言うところの高校一年生くらいの女の子。銀色に近い金髪の巻き毛が可愛い、スポーツ大好き少女で、ルフィに一番最初に声をかけてくれた人懐っこい子だ。
「…ハーフパイプってのは何だ。」
「あのね、ローラーブレードとか、ボードとかのフィギュア競技の、エアの練習とか大会とか開くとこだよ?」
「………。」
ハーフパイプ。パイプを茶筒に見立てたとして、立てて置いた上から下までを半分に割ったものを横にして、そのまんま埋めたような形状の、サーキットというかステージというか。そうやって作った急傾斜を、ローラーのついたもの(主にはスケートボード)で滑り降り、その勢いを生かした宙空へのジャンプの中で見せる、様々な技の難度や完成度を競う、一種アクロバティックなスポーツが、近年人気を博しつつある。アメリカでは"Xゲーム"などと呼ばれてもいて(他に"バンジージャンプ"なども入るらしいが。)、スリリングで華麗な演出が受けているというところか。
「ほら、スキーでのモーグルとかエアとかって競技と一緒だよ。」
「…ああ、成程。」
ここに至ってやっと納得し、手のひらへ拳を打ちつける辺り。見かけを大きく裏切って、やはり結構なお年なんだね、サンジさんたら。(笑)
「で、ハメル=マークソンってのは有名な選手なんだ。」
「うん。それもカザリンが教えてくれたんだけど、全米チャンピオンで、何とここの町の出身なんだって。」
「ほほお。」
こればっかりは…サンジらがこの町に居を据えたのはほんの一年ほど前の話だから、関心のあるなしに関係なく、知らなかったのは当然のことだ。
「だからサ。カザリンや他の子たちと一緒に、観に行っても良いでしょう?」
腕の中に抱えているのは、近所の誰かさんから"お古"を譲ってもらったスケートボード。ここで覚えたばかりのスケボーがすっかり気に入った彼であるらしく、その熱が"プロの妙技もどうしても観たいぞ熱"をも煽っているのだろう。
「判った判った。ウチのボックスカーで出掛けると良い。レナートさんに言えば出してくれるから。」
「やたっ!」
途端にはしゃぐ少年へ、それは眩しそうな苦笑を見せながら、
"………。"
ふと、手に取ったままでいた白封筒の表書きに気づいたサンジは、ほんの微かに眉を顰めて。デスクの引き出しを1つ開け、そこへとさりげなく滑り込ませた彼である。
「…っ!」
穏やかな日々が続いていたせいで、家人たちに油断があったのかどうかは判らない。温室やプールのある中庭を縁取り、裏手に切り立つ海への断崖までを埋めていた緑の茂みを、音もなく乗り越えて来た一団があって。相槌や手振りのみでの、一声も発しない"示し合わせ"の様子からして、かなりの下準備を積んだ、その道のプロたちであることが窺えた。棘の多いヒイラギや蔓バラ、野バラを選んで茂らせた裏庭の自然障壁を突破されるのに…それでもかなりの時間を費やさせたのは成功だったが、そのあちこちに設置されていた感知器たちが作動しないようにと、悉く対処されていたのは相手に軍配が上がったというところか。
「きゃあぁぁっっ!」
屋敷の中ながらも、大きく開け放たれたテラス側の大窓の傍ら。窓と窓の間の猫脚の卓に据えた、伊万里だろう大きな陶器の花瓶の花を取り替えにと来ていたメイドさんが、ザンッと茂みを鳴らして飛び込んで来た人影へ…絹を裂くどころではない、何十年も開けられなかった大きな木戸を開けた時の金釘の軋みの音を、何十倍にも増幅したかのような鋭い悲鳴を上げて見せた。(後で聞いたところ、声のよく通る人ばかりを採用していたそうで。何を基準にされるやらですな。)
「…っ!」
悲鳴の余韻がまだ尾を引いているうち、鳩尾みぞおちへと拳を叩き込まれて、メイド嬢はあっけなく気を失った。
「お、お嬢様…。」
必死で伸ばした腕の先。窓辺の揺り籠で午睡中だったベルちゃんの安否を、最後まで気に病みながらである。
「…。」
侵入した賊は二人で、やはり無言のまま目配せで示し合わせると、一人がベルを抱え、もう一人は露払いだろう、小型拳銃を手に、先に立って駆け出した。
「待てっ!」
騒ぎを聞きつけ、長い通廊の端、裏手の通用口から入ったルフィは、丁度手にしていたスケードボードを手前に投げると飛び乗っての追跡を敢行する。そんな大仰なと思うところだが、これが結構長いからで。見えてはいるがその実、賊たちのいる地点、かなり遠かったのだ。
「ベルちゃんを返せっ!」
つややかな大理石の廊下は、だが、抵抗が無さ過ぎてなかなか…思うようにはスピードが出しにくい。これではスタート地点のハンデを消化出来ぬまま、ギリギリ追い着けないかもと、ルフィが歯噛みしかかったその時だ。
「…ゾロっ。」
賊らの行く手へ立ち塞がったのが、カヤックボートの櫂のようにも見える、クロケット用のバットを肩に担いでいたゾロである。突然体格のいい男が、しかも"凶器"を持って現れたものだから、
「…げっ。」
賊の二人が一瞬怯ひるんだ。何でそんなものをまた都合よく持っていたかといえば、出掛けるための車の準備をしていたところが、何の拍子でかボックスワゴンの側壁部のトランクルームがぱかんと開いて。陽の目を見たのがこのバットを含むクリケット用具一式。欧州では野球の代わりのように浸透しているスポーツだそうだが、日本人の彼には馴染みがなくって。それで、こちらに来て随分馴染んだ運転手のレナートさんから、どういう競技なのかの説明を受けていたらしい。(国にもよりますが、野球がマイナーなイギリス辺りではサッカーやラグビーに並ぶくらいメジャーです。あと、東欧ではバレーボールやハンドボールが盛ん。世界って広いなぁ。)
「どした、ルフィ。」
彼もまたメイドさんの悲鳴を聞きつけてやって来たには違いないが、今ひとつ状況が把握出来てはいないらしい。そんな彼だと一目で察した少年は、だが、そこは慣れがある。
「そこの二人っ! ベルちゃんを攫おうとしてるんだっ!」
実に短い言いようだったが、これで充分通じるからおサスガ。もうほぼ眼前というほど迫って来ていた賊らであり、しかも、
「チッ!」
この事態を引き起こした側なのだから当然と言えば当然のことながら、相手の方が状況対応スピードが速い。走る速度は緩めぬまま、露払い役の先鋒がジャケットの懐ろへと腕を突っ込む。威嚇のつもりという余裕はなかったことだろうから、こんな場合の一般人の適切な対処は、
@体を出来るだけ小さく、あるいは平たくして
Aとにかく地に伏せる。
が"正解"。ちなみに、警察関係者から職務質問を受けた場合は、手は頭の上へ。むやみにポケットなどへ手をやらないこと。
『銃を取り出そうとしていると思ったから』
どことは敢えて言わないが、そんな理由から警官が発砲しても、結果"丸腰"だったのに射殺されてもお咎めはない国があるので要注意。(いや、そんだけ物騒なんですよ、某・先進国って。) ………話が逸れたが。
「………っ!」
眼前に迫る怪しい賊どもと、そやつが懐ろへと滑り込ませた手が何を意味するものなのか。知識で判ってはいてもそうそう反応出来るものではない。だから、反射的に"伏せっ"が出来るようになっとかんといかん訳だが…って、いやいや、そうじゃなくてだな。そこがさすがは、こちらも剣道の元全日本チャンプである。
「…っ!」
肩口に平たい側の先を引っ掛けるようにして持っていたバット。流れるような動作であっと言う間に正眼に構え、グリップ部分をぐぐっと引き絞ると、勢いよく懐ろへと突っ込まれた相手の手が次の刹那、外へと出て来る直前という瞬時の隙間を目がけて、
「…哈っ!」
賊の手首をそれはもう思いっきり打ちすえている。遠慮の差し挟まるような余裕はそれこそなかったんでないかいという"瞬殺"であり、あとで"過剰防衛を問われやしないかしら"と心配したナミさんへは、
『大丈夫だよ。ゾロくらいの上級者なら手加減だって芸の内なんだから。』
胸を張って言ってのけたルフィだった…のだが。こらこらルフィくん。芸ってのは何、芸って。(笑)
「ぎゃあぁぁっ!」
その筋のプロさえ跪ひざまづかせた一撃を食らわせたは良いが、その男の後へと続いていたもう一人は、
「手ぇ出すんじゃねぇぜっ!」
薄くて小さなブランケットごと抱えていたベルちゃんへと、銃を構えた手元を誇示して見せるものだから、
「う…っ。」
さしものゾロでも、この人質があっては手を出せない。その間合いに相棒が立ち上がらないかと賊がちょこっと待ったのは仲間意識からではなく、居残らせたなら…取り調べにて一味の情報を引き出されるやもという恐れからだろう。だが、ゾロからの小手弾きが相当に痛かったらしい相棒は、蹲うずくまったまま起き上がれないでいる。
「チッ。」
仕方がないかとやっと見切って、
「どけよ、そこ!」
視線はこちらへ、だが、銃口はベルちゃんの顔に向けたまま。あくまでも自分の背後は見せないようにして、行く手を遮っていたゾロをやり過ごそうとする。一体何が起こっているのやら、恐らく理解してはいなかろうベルちゃんが声ひとつ上げずにいたのは、後から思えば大助かりだったのだが、最も無力で最も抵抗しない対象を誘拐しようと狙い、しかも逃走においては楯に取るとは、卑怯この上もない輩たちである。
「…ベルちゃん。」
この状況からルフィもスケートボードを止めて、少し離れて成り行きを見やっていたのだが、悔しさに変わりはなく、
「ベルっっ!」
広大な屋敷の奥向きからマラソンして来た…というのはちと大仰だが、上の階の北の端の書斎から今やっとこさで駆けつけたパパ上が悲痛な声を上げる。命に代えてもと常から思っている対象。それが悪辣な賊の手の中に居るのだ。掴み掛かってでも取り戻したいところなれど、今回ばかりは、そういった瞬発的な衝動や怒りを抑えられた精神力をこそ褒めるべきな状況であろう。
「いいかっ! 誰も動くなよっ! 動くとこのお嬢ちゃんがどうなるかっ!」
賊の方もまたさすがは玄人で、追い詰められていたものを素早く持ち直した冷静さよ。銃を構えながら、家人たちとの距離を測り、前庭へと突っ切れる大窓の一つへにじり寄りかかっていたその瞬間。
「…っ!」
誰かが気配なく真後ろに立っていたことへ、今やっと気がついてぎょっとしたのだろう。ベルちゃんへと向けていた銃を咄嗟に相手へ向けたのも、人質を楯に取れば相手は手出し出来ないという理屈よりも原始的な、所謂"防衛本能"の方が働いたせい。ところが、
「…えっ?」
何を思ったか、賊の真後ろに立っていた女性、ロビン嬢は、その銃口をがっしと掴み、自分の体へと引き寄せたのだ。
「何しやがんだっ!」
力づくで没収されそうになったその拍子、引き金にかかっていた指に力が入ったらしくて、
「………っ!!」
銃声というのは、銃の大きさにもよるがさほど派手なものではない。かんしゃく玉か爆竹の破裂音の方が激しくて大きいくらいで、文字通り、手のひらに収まる程度のサイズの拳銃なら、車のパンクを思わせるような、パンパンっというあっけないほど乾いた音がするのだそうで。
「…っ!」
「ロビンさんっ!」
すぐ間近で目撃した人々の表情が凍りつく。シンプルなデザインのブラウスシャツの、淡い色合いだった胸元を鮮血に染めて、スレンダーな体が銃勢に弾かれるように心持ち背後へぐいぐいと圧し負かされて後ずさる。
"なんて無茶なことを…っ。"
あれほど"隙なく"構えていた冷静さはどこへ行ったのか。やはり目の前でのこの展開には頭に血が昇ってしまった彼女だったのだろうかと、そうこう考えていたゾロの方もまた"かぁ〜〜〜っ"と頭に血が昇って来たらしく、
「このっ!」
まだ銃口を離さないロビンだったのが痛々しくて、空いていた間合いを詰めるように踏み込みながら賊へ掴み掛かろうとしたその時だ。
「…フォロー、お願いします。」
そんな声がした。
「え?」
至って冷静、たいそう落ち着いた声音であり、ぎょっとしたゾロのその眼前。それは凛々しいまでの鋭い眼差しとなった"彼女"が、銃を抱え込んでいない方の手のひらを、下から思い切り突き上げたのだ。
「ぐあっっ!」
その手は真っ直ぐに賊の顎へ入り、そのまま上へと弾き上げている。これも以前どこかで例に挙げたことがあるような気がするのだが、顎というのはこめかみで頭へダイレクトにつながっている関係上、ガッツンゴッツン系の衝撃を与えられるとモロに頭へ伝わって物凄く響く。ボクサーや格闘家ほどに慣れがないと目眩いを起こすほど、それはそれは堪こたえるのだそうで。何が起こったのだかさえ判らなくなったのだろうその男が、手を緩めた端から落とされかかったベルちゃんを、
「おっとと…っ。」
こちらだとて、何が起こっているのだか…把握はしても理解には間がかかりかけていたゾロが、それでも自慢の反射神経でがっちりと受け止めていて、
「きゃう・んくぅ・だあ♪」
あやされたのだと勘違いでもしたのか、やたらご機嫌なお声を上げるお嬢ちゃんに、場違いにも周囲が一瞬だけ和んだほど。おいおい 凶器から離れるべく取り急ぎ避難した先で、
「ベルっ!」
気が気でなかった父上が伸ばす腕へと渡され掛かると、
「う"…うう"…。」
たちまち愚図りかかる困ったちゃんだったりする"お約束"はともかくも、(笑)
「諦めなさい。発砲したことは不問にしてあげるから、抵抗は辞めて。良い?」
至って冷静な声がして。そちらを見やると…やっと集まって来たレナート氏や男衆たちの手へ、観念したらしい賊の二人は手渡されている。彼らから没収したらしい拳銃2丁を手に、それぞれの安全装置を確かめているのは、
「…おい。」
間違いなく胸元へ、しかも2発もの弾丸を至近から食らった筈のニコ・ロビン女史だ。ブラウスは依然として鮮血に黒々と染まっているし、セミタイトなスカートにも点々としぶきが飛び散っており、
「ああ、これは…。」
「暴漢を驚かすための"血糊"が装備されたアーマーだ、なんてのはナシだぜ?」
相手の言葉尻へと重ねるように、眸が据わったゾロがきっちり言い放ったのを聞いて、
「バレちゃったわね、とうとう。」
こちらもやっと駆けつけたマダム・ナミが、ロビンの肩口へ後ろからしがみつく格好になって"くすす"と微笑う。それへと振り向いて、
「…奥様。」
少々戸惑って見せるロビン嬢へ、
「良いのよ。この人は、私たちのこと、ちゃんと知っているの。話したでしょ? ルフィくんとの経緯いきさつも。」
ナミは殊更に悪戯っぽく笑って、ロビンとゾロと、両方の顔を交互に見やったのであった。
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恐らく逃亡用だったのだろう、玄関前に停まっていた不審な車とその運転手は、ルフィたちと一緒にスポーツクラブまで出掛ける予定だったご近所のお父様方が、
『此処は私有地の私道だぞ』
『大体、お前たちは何者なんだ。』
わらわらと集まって取り囲んで、結句"不審者"として取り押さえてしまっていて。ベルちゃん誘拐事件は、これにて"未遂"に終わったのであった。
賊どもを最寄りの警察へと引き渡し、現場に一応いたからと、サンジが事情聴取にと呼び出されていて。この騒動ではスポーツクラブへ出掛ける余裕はないからと、残念だけれどお土産話を待ってるからと言い置いて、ルフィも同行は遠慮して、さて。
「脅迫? しかも何ヶ月も前からだって?」
場所はリビングルームへと移っていて、ついでに時間も少々移行している。説明に立っているのはマダム・ナミであり、その傍らには籐の揺り籠に戻されたベルちゃんがすやすやと眠っており、籠を挟んだ脇に控えているのがミス・ロビン。くどいようだがあれほどの至近。たとえ銃口の小さな…22口径辺りの銃だとて、位置が位置だ。下手をすれば心臓や肺への貫通創で即死しているほどの一大事。そして、彼女が言いかけた"アーマー"も、実は装備していないことくらい、あの薄いブラウスのシルエットからしてバレバレなことであり。
"まあ…某国戦闘機に少年雑誌を宅配させられるほどのコネを持ってる旦那だから、そういう先進の装備にだって通じているのかも知れないけどもよ。"
ゾロさんたらま〜だ根に持っているのね、少年ジャ○プ空輸事件。(笑) それはともかく、ナミさんが話してくれたのは、経済エージェントのMr.サンジェストへ執拗に届けられていた脅迫状の話である。
「他愛のないものや嫌がらせとしてなら、毎日のように届くから気にしないのだけれど、その脅迫状だけは本格的で巧妙で、内容はどこか曖昧だったわ。どこの誰が差出人なのかを暈すためだと思うんだけれど。」
ナミは肩をすくめて見せ、
「サンジくんほどの敏腕ともなるとね、頼られた人には成程幸運を招くけれど、その対面にある人には疫病神みたいなもの。何しろ、莫大な利権さえ動かせる手腕だから、敗者の側が味わう苦汁は並大抵のものではないのよ。」
その理屈は判らんでもない。法に触れるようなことはしなくとも、誰かがずば抜けて儲かれば誰かは損をしているのが"経済"というもの。よって、恨むものも居ようし、それとは別口、無理から傘下に収めて利用しようと画策する手合いに目をつけられることだってあるに違いない。
「警察へは…。」
「届けても無駄よ。ううん、それどころか相手に付け込む隙を与えることにもなりかねない。」
ルフィからの声に、ナミはきっぱりと言い切った。
「今回、あの人の"公私混同"で此処へ来たあなたなら判るでしょう?おいおい 一流商社のトップという大物さえ易々と動かせる彼だから、逆に言えば大物から目をつけられかねないの。警察自体を疑いはしないけれど、直接動く末端の人達の中に内通者がいたら? こちらの情報はそれは堂々と筒抜けになってしまうわ。」
「…そっか。」
警察機関まで信用出来ないとは、大物にしか判らない苦悩と悲哀ってやつですね。日頃全く縁のない、社長だの総務部長さんだのに空港まで直々に見送られ、
『くれぐれも粗相の無いように』
などと言い置かれて"出張"に送り出されたゾロとしては、たいそうリアルな実感を伴う"事実"でもあるから世話はなく。
「………で?」
まま、そういった事は今回の"誘拐未遂事件"に関する背景。もう片付いたそれら以上に、ゾロが知りたいのは
「そうだよ。それで?」
ああ、ごめんごめん。同席しているルフィも知りたいと思っているのは、何事もなかったかのようにピンシャンしているミス・ロビンにまつわる話だ。…と言っても、実は事実とやらは薄々感づいてる彼らでもあるのだが。
「…わざわざ訊きたい?」
こらこらナミさんも。小さく苦笑し、一応は本人へ会釈を向けて"了解"の意を酌んでから、
「お察しの通り、彼女は昨年の夏の初めまでの私たちと同じ、不老不死の特性を持っている身なの。」
…お初なのにいきなりこのお話をお読みになられてらっさる器用な方。若しくは、今年に入ってからの単発ものしか読んではいなかった方。一番最初の『蒼夏の螺旋』全9話、ここでしっかりお読みになって下さいませ。………良いですか? 読んで来られましたね?
「じゃあ、やっぱり…。」
理屈は判るが…何ともはや。ちょっと言葉が続かないゾロへ、にっこりと笑って見せたミス・ロビンは、
「ええ。あのくらいの銃弾ではかすり傷一つも残せません。何でしたらご覧になりますか?」
ブラウスのボタンへ手を掛けるから、
「あ、いや、そのっ!」
焦る彼の前へ憤然と立ち上がり、
「だめ〜〜〜っ!」
ルフィが目隠しのように立ち塞がったのが、何だか笑えたやり取りだったが。
――― 閑話休題。
「ベルを生むので国へと帰ったのは知ってるでしょう?」
あれは確かゴールデン・ウィークの頃でしたね。その間の暇つぶしにと、サンジさんが単身で日本へやって来て結構掻き回してくれたお話は『初夏緑条』に詳しく記しておりますが。(笑)
「あの時に、ビビ様…御領主様の一人娘でらっしゃる方なのだけれど、その方がベルをいたくお気に召されてね。サンジくんの肩書きもよくよくご存知だったから、国から出てくのならせめて彼女を連れて行ってと仰有ったの。」
そう言ってロビンを手のひらで指し示し、
「彼女は国で最も腕の立つ護衛官でね。ベルは勿論のこと、私たち家族の身も守って下さる、護り神というところかしら。」
「…成程な。」
決して鷹揚そうではなく、あくまでも控えめな態度がしっかりと板についていたのは、半端でない歳月をそういう"護衛官"という立場にて過ごしていた人だったから。そして、丁度ゾロやルフィがやって来たこの数日、妙にぴりぴりと緊張していたのは、問題の脅迫状に対して、どんな手を繰り出されるのだろうかと警戒していたから…という訳で。
「凄腕でもあろうが、いざとなったら文字通り"捨て身"で守る…か。」
これほどインパクトのある護衛の仕方もそうはあるまい。感心してだか呆れてだか、どこか力の抜けた声を出すゾロへ、
「そ。この子がちゃんと理解出来る年頃になるまでは無茶はしないでって、一応言っておいたのだけれど。」
「今回は事情が通じている方々の前でしたから"ああ"したまでです。」
ミス・ロビンは毅然とした表情で言い切った。単なる武闘派ではなく頭も切れる人物であるのが、
"このお気楽夫婦には丁度いいバランスなのかもな。"
何とも頼もしいとゾロは苦笑し、今やっと彼女への警戒心を解いたのでもあった。
………でも、だからってことで馴れ馴れしくなると、
今度は若妻が黙ってないと思うの。(笑)
◇
さて。約束の期日にはシステムチェックも終了し、明日の飛行機で帰国だね、元気でねというパーティーが開かれて、その翌朝。よくよく晴れ渡った早朝に、空港へと向かう車が玄関へ回され、山のようなお土産と共に荷物を積み込むゾロとルフィの姿があった。本人達が持って帰るお土産は…機内で食べなさいと渡されたサンジ特製のお弁当やら生菓子やら(ご当地特産の温泉まんじゅうや煎餅おいおい)であり、こちらが本命、似合いそうだから買ってしまった、可愛いから買ってしまった、会ったら渡そうと買ってしまった、etc.…な理由で揃えられてあった様々な品々の方は、引越便もかくやというパッケージにて空便で送り出したそうだというから、相変わらず半端ではない。
「いい子でいなくてもいいから元気でな。」
おいおい。
「サンジこそ、ナミさんもベルちゃんも同じに好きでいなきゃダメだよ? 焼き餅なんか焼かせたらいけないよ?」
こらこら、それって誰に説教されたんだね。相変わらずに未練は尽きず、いつまでもこうしていたいというのが切々と伝わって来そうな愁嘆場…ではあるものの。
「あ、そうだ。」
何を思い出したのか、愛惜しげにぎゅうぎゅうと抱っこされていたサンジの胸元を少しだけ押して遠のかせ、
「…ルフィ?」
怪訝そうな声を掛けられても気に留めず、改めて向かい合ってから、少年は"びしぃっ"と立てた人差し指でその愛しいお兄様を指さして見せる。
「こらこら。人を指さしちゃあいけないぞ。」
「うん。でも今は大目に見てよね。」
そんな会話が挟まっては、せっかくの迫力が削がれやせんかね、坊っちゃん。(笑)
「あのな、サンジがそんなこと、故意(わざと)にはしないと思うけど。ゾロのこと苛めたら俺が怒るんだからな。それは覚えといてよね。」
「…おや。」
唐突な…これまでの彼の口からは気配すら飛び出したことのない内容だったがため、ちらりんと見やった当の本人はと言えば、
「………はい?」
何が何やら訳が判らないという顔で呆気に取られているようだからして、まさかとは思ったが彼が愚痴ったりしたせいではないらしく、
「急なお仕事が入って約束がお流れになったら俺だって詰まんないんだし。」
こらこら、坊っちゃん。(笑)
「第一、仕事とかでゾロがキツい目に遭うと、俺だって心配して大変なんだ。それくらい判れよな。」
おおう、これはまた一丁前な。…とはいえ、これは相手によっては逆効果なんですがね。こうまで擦れっからした世迷い事を言うようになったのも、全てはあの男のせいだとばかり、もっと巧妙な、一見しただけでは首謀者に辿り着けないような策を取られかねないのだが、
「…了解。肝に命じておくよ。」
それは爽やかに笑って見せるサンジであり、ルフィは"うんうん"と大きく頷首すると、にかっと笑って…再びその懐ろへと滑り込む。
「ホントだぞ? 俺、ゾロもサンジも二人とも大好きだからな? どっちかを嫌いになるのは絶対に嫌だからな?」
いい匂いのする温かな胸元から見上げて来る童顔と大きな眸へ、
「ああ、約束だ。」
世界一の"公私混同"お兄さんは、だがだが、世界一大好きなお日様少年からの厳命には逆らえないらしい。名残りは尽きないがいい加減にしないとキリがない。相変わらずに時折吹き寄せる潮風の中、
「さ、出発だ。」
「あ、うん。じゃあ、サンジ、ナミさん、ベルちゃんも、またね?」
促されて車へと乗り込み、窓からもさらばさらばと大きく手を振って。なめらかに走り出す振動に、色々あったバカンスもこれで終わりなんだなぁと思うと、ふと、胸の奥がつんとばかり小さく痛んだ。
「…ルフィ?」
遠ざかる皆を見ようともせず、力なく俯いてしまった少年であると気がついて、
「………。」
そぉっと胸元へ引き寄せれば、微かに"…くすん"と鼻を鳴らして、小さな手がしがみついてくる。鼻の先、動こうとしないままな小さな頭へ、こちらも…感慨深げに小さく小さく寂しさの滲んだ微笑い方をしていたゾロだったが、
「…また来ような。」
「え?」
そんな囁きが聞こえて、ルフィが…意外そうな顔を上げる。
「今度はこっちからさ、遊びに行くよってメール出して。それで遊びに来ような。」
やさしい眼差し。深みのある声。
「…いいの?」
だってゾロ、サンジと居る時は楽しそうにしてなかったのに。自分へ構いたがるの、ちょっと怒ってたくせに。そう思って、だから意外で。それで…おずおずと訊き返した少年へ、
「いいも悪いもなかろうが。家族なんだ、会いたい時には会いに行くさ。」
柄ではなかろうにそんな言いようをして、
「ゾロ、それ、変〜。」
当の少年から笑われていたりして。何だと、親切に言ってやれば。親切じゃない、それは思いやり。どっちでも良いさ、それを笑うとは何事だ。どっちでも良いなんて言うような人が、繊細そうなことを言ったって聞けません…。なかなか即妙な応酬が、されど実に楽しげに繰り出される車内。その様子が…実はモニタリングされていようとは、全く気がつかなかった二人であった。
「サンジくん、悪趣味〜〜〜。ベルにますます嫌われるわよ?」
「ますますってのは何ですよ。」
色々あった夏のバカンス。何はともあれ、一件落着でございます。
〜Fine〜 02.6.16.〜7.20.
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*ああ。やっと終わった。
どうなることかと思ったけれど、
ちゃんと目的の展開へ辿り着けたんでホッとしております。
どっちにしたってどこが"ナミさんBD企画"なんだか
よく判らないお話ではございますが。
少しでも楽しんでいただけたなら本望。
夏本番に向けてのお中元です。
とゆことで、さらばだ、とうっ! |