伝説との邂逅へ… A

        〜ロロノア家の人々・外伝“月と太陽”より
 


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 海上に浮かんでいる代物とは思えないほどい、センスのいい、さりげない豪華さと落ち着いた荘厳をたたえたシックな店。提供する料理の"重さ"別に、オープンテラスのフロアと豪奢なホールとに分けられた店内は、今は昼を待っての準備中で客の姿はない。厨房の方からだけは活気に満ちたやり取りや、下ごしらえの物音などが響いて来ていて、その荒々しさからは戦場のような忙しさ感じさせているばかり。
「サンジくん、早く早く。」
 デッキテラスで一服つけていたオーナーシェフの夫を、キャビンへ…中央ホールのセクレタリーまで呼んだ妻は、どこかわくわくと高揚した気分を押さえ切れないらしく、大きな瞳が何度も何度も瞬きを繰り返している。若いころと何ら変わらず、日頃は至ってドライで冷静な彼女だというのに、珍しくもそんなような感情をあらわにしているのが、サンジには殊の外に意外だった。
「どうしたんです? ナミさん。ハニーが帰って来てたようだったが。」
「ええ。ベルが帰って来たの。それも、オマケつきでね。」
「オマケ?」
 白い撓やかな人差し指が示したのは、まだ開店前の広々としたホールの一角。アール・デコ調の版画コレクションが掲げられた壁と、繊細な組木の手法を取り入れたモザイク調大理石の床が、この店の格調をさりげなく漂わせている店内の中でも、一番見晴らしのいい一等席のテーブルに、見かけない少年が座っている。
「…クラレンスはどうしたんです?」
「とっくに帰ったわよ。何だか怖い目に遭ったらしくて、ちょっと涙目だったけど。」
 応じながら妻がくすくすと笑ったのは、自分が示した謎の少年を見やる夫の眉が、ぐりんと一際高く吊り上がったからで。愛娘につく虫には殊更に神経質な彼の、所謂"逆鱗"に触れたのかしらねと、そんな心情を読んだのだろう。とはいえ、
「そんな顔しないの。あの子はベルの命の恩人なのよ?」
「はい?」
「海王類に襲われたんですって。そこへ飛び込んで来て、あっさり退治してくれて。」
「海王類にっ?!」
 この界隈にはあまり姿を見せないが、巨大なそいつらの殆どが、肉食のすこぶる獰猛な種だ。目撃証言が少ないのではなく、それと分かるほどの至近で目撃した者は、ほぼ、襲われるか食われるかして命を落としているからだとまで言われている。
「助けたって…あの坊主が、たった一人でですか?」
 信じられんとばかり、今度は眸を丸くする夫へくすくす笑いながら頷いて、
「まあ、もっとも、彼にすれば"助けた"んじゃなくて自分の食料を取っただけならしいんだけど。」
 先に一通りの話を掻い摘まんで聞いてあるのだろう。ナミはまるで、自分の手柄や秘密のように、少しずつ真相を明かしてゆく。そうすることで夫を翻弄できるのが、楽しくて仕方がないらしい。
「まあ、助けてくれたっていうんなら、頭の一つも下げてお礼代わりに何か御馳走しないでもないですがね。」
 事情は判ったが、それでも…とどこかまだ不服そうな顔でいる夫へ、
「よっく見てよ。あの子、どこかで見た顔だと思わない?」
 ナミは取って置きの"切り札"を彼に振った。
「え? ………あっ!」
 妻が視線でもって重ねて注意を向けさせた少年は、丁度窓の外を眺めている横顔をこちらにさらしていて。最初はファー仕立ての帽子でもかぶっているのかと思っていたが、染めたものではなく地のものだというなら割と珍しい、淡い緑色の髪。それを少年ぽい長さに伸ばしてぱさりと流した横顔には、確かに…いやと言うほどの、だが懐かしい"見覚え"がある。左の二の腕には渋めの赤いバンダナを巻いていて、傍らの椅子に立て掛けた刀は、長めの柄
つかに綾糸をぎっしり巻いた日本刀で。
「髪を短く刈っていて、も少しガタイがデカけりゃ、本人と思うところですよね、ありゃあ。」
 妻の言いたかったことにようやく気づいて"くつくつ"と笑う若きオーナーであり、
「でしょ、でしょ? あたしもビックリしちゃった。」
 さしてマナーにうるさい店ではないが、それでも気張って"一丁裏"を着て来る客が多いそれなりの豪奢さでも名を馳せているこのレストランに、そこいらの船員の作業着のような粗末な身なりで座っていることへ何の物怖じもない。ファーストフード店にでもいるような、鼻歌でも歌っていそうな呑気そうな顔だ。
"まあ、ウチのハニーが強引に引っ張り込んだんだから、準備がなかったのは当たり前なことではあるんだが。"
 その愛娘はといえば、
「パパ、今日のAセット、大盛りでお願いね? 急いでよ?」
 通り過ぎざまに歌うような声でそんな風に言い置いて、その問題の少年がいるテーブルへと真っ直ぐ向かってしまった。それも、わざわざ…先月サンジが街からデザイナーを招いて作らせたところの、お気に入りのワンピースに着替えて、だったものだから、
「あ、ハニー…。」
「制
める間もあらばこそね。」
 愉快そうな顔をする妻へ、
「そんな呑気な。」
 夫は不満げ。だが、
「だって、何たって"命の恩人"なんだし、愛想を振り撒くのはあの子自身の意志の問題だわ。これまで、あたしたちが無理強いしなかったからってのもあるけれど、他人に言われて気持ちを曲げる子じゃあないでしょう?」
 妻の言いように間違いはない。マナーも思いやりの何たるかも教えたし、我儘に育てたつもりは決してなかったが、それでも随分と甘く躾けた自覚はあって、何より"自分"というものをそう簡単に曲げる子ではない。誰にでも胸を張れる"自分"であるならそれはポリシーとしては正しいと、その心意気をわざわざ褒めて育てた、勝ち気で頼もしい愛娘である。
「けどですね。あの顔のBFや恋人は勘弁してほしいですよ。なんか…選りに選って"あいつ"が自分の娘婿になるようで。」
 娘婿とはまた気の早い…と苦笑して、
「あら。でも、笑うとルフィの方にそっくりよ? …あ、ほら。」
 何が話題になったやら、眸を細めて大口を開いて、軽やかに笑う明るい笑顔。そこには確かに、彼らの大好きだったあの無邪気な"海賊王"の屈託ない面影がまんま引き継がれてもいる。
「そうですね。麦ワラ帽子がないのがちょっと物足りませんが。」


            ◇


 着替えて来たベルの気配を感じてだろう。こちらを振り返った少年は、
「ホントに良いのか? 御馳走になって。」
 遠慮の気配は無さそうな、実ににこやかな顔付きで聞いてくる。ベルはにぃ〜こりと笑って見せて、
「勿論よ。だってあなたはあたしの命の恩人なんですもの。」
 ややもすると強引に、この海上レストランまで引っ張って来た。命の恩人だから…というのは口実。この、突拍子もない少年に関心が沸いたベルである。このグランドラインの只中に位置する海域を、あんな小船で、たった一人で、悠々と航海していた、自分とさして年の変わらぬ少年。いくらこんな冒険時代でも、だからこそ海賊だって闊歩しているし、まだまだ未知の部分の方が多い大海を、あんなわずかばかりの装備でよくもまあと。呆れながらも、反面、何だかワクワクがしてやまない。
「ねえ、あなた、どこの海から来たの?」
「んん? 東の海
イースト・ブルーからだ。」
「それって外の海よね?」
「ああ。ここから言えばそうなるな。」
 イースト・ブルーといえば、自分の両親がいた海だ。それを思い出して、ベルは何となく嬉しくなった。此処で生まれて育った彼女は、外海どころかこのグランドライン自体についても良くは知らない。日帰りで戻って来られる範囲までしか遠出を許されてはおらず、だがそれは"たいそう危険だから"だと重々言い聞かされて来たからだ。噂の海王類を見たのこそ、今日が初めてだったものの、大人たちもそうは出歩かないのだよと当たり前のことのように言い聞かされていて、そんなものだと思い込んでいたせいもあろう。両親からあふれんばかりの愛情に包まれて、何不自由なく甘やかされて過ごしているせいもあるかも。
「此処へは…グランドラインへは何をしに来たの?」
 何を聞いて良いのやら。相手の持ち札の想定さえ出来ず、ベルは幼い子供のような聞き方しか出来ない自分にちらっと苛立った。もっと気の利いた会話だって出来る自分なのにと思うと、悔しくもあったのだ。そんなことは全く知らないだろう少年は、
「そだな。とりあえずは一周してみようかなって思ってる。」
 しれっとそんなことを言う。初対面の相手にそうそう何でも腹蔵なく話せるものではなかろうから、それが全てではなかろうが、
「とりあえずって。そんな簡単なことじゃあないのよ?」
 乗っていた船だって単なるボート(一応は帆つき)だったし、どう見たって"漂流者"ととっつかっつ。そんな軽すぎる装備で、しかも自分と大差無い年頃のこんな少年が、大人が船団を組んでたって油断すればあっさり遭難してしまうと聞く、この"グランドライン"を航行出来るはずがない。
「けど、此処までは来れたんだぜ?」
 少年は"へへっ"と愉快そうに笑い、
「見たところ、この海域以外知らないみたいだけどさ。此処は"グランドライン"の結構"奥向き"なんだぜ? それこそ、あの程度の装備で此処まで来れたってのは自慢して良いほどにね。」
「う…。」
 痛いところを突かれてベルが口ごもる。彼の言うように、自分は此処にいながら、だが、此処のことをほとんど知らない。大阪人が誰しも通天閣の正確な高さまで一々知らないように
おいおい、港区民だからって青山や赤坂を隅々まで知っている訳ではないようにこらこら、それを責められる筋合いではないし、彼もそういう意味で引き合いに出したのではなかろうが。
"…でも。"
 悔しいなと実感した。ワインやお花や有名な絵画、美術品。大人も顔間けなほど物凄く詳しい分野だってあるのに、それを引っ張り出してもきっとこの少年には関心のないことに違いなく、そしてそんな"世界観の違い"が、何だか…こっちの持ち物の方が貧相にさえ思えてしまったベルでもある。彼の関心があるものは、自分の手で触れたり掘り出したりした様々な体験。他の誰にも全く同じものは持てないだろう、究極の個々人の持ち物だ。それに比べて、自分がささやかな自慢に出来そうなスキルと言えば、ハイソサエティとやらを自称するよな気障な人間が、暇つぶしに触れて、その知識をひけらかすような種のもの。日頃そういうのを野暮だと小馬鹿にしているせいで、尚のことそんな感触さえして、
"うう"…。"
 プライド高きお嬢ちゃんには結構堪えた様子である。…と、そこへ、
「あの〜〜〜。」
 不意にそんな声がした。見やると、こそこそっとホールの中央入り口から顔を出した黒髪の少年がいて。そちらへ視線を投げた件
くだんの少年が、
「あ、衣音
いおん。こっちだ、こっちっ。」
 すかさず手を振って明るい声を投げる。すると、
「こっちだ、じゃあないっ!」
 かけられた能天気な声が、向こうの少年から遠慮を剥ぎ取ったようだ。なかなか機敏な身のこなしで"すたすた…"と入ってくるや否や、間際まで寄った声の主の頭を容赦なくポカリと殴りつけている。
「いってぇ〜っ! 何すんだよっ。」
 コツというものを心得ている殴り方で、相当痛かったらしい。緑頭の少年が文句を言うとすかさず、
「お前、自分が迷子だったって自覚はあんのか? どんだけ捜し回ったと思うよ。」
「だって"オールブルー"へ行くってのは決まってたことじゃん。ウソップさんが言ってたろ? 大いなるヒントが与えられるだろうって。」
「一口に"オールブルー"って言っても広いんだよ。オマケに中に入るのだって一苦労なんだからな。」
「何だ、お前、怖かったのか? 俺はすんなり入れたぜ。」
「俺はお前を心配してたんだっ、あほうっ! 収容ボートで越えられるストームじゃあなかったろうがっ!」
「へへぇ〜だ。見事に越えられました。」
「ああ、ああ。そうだろうよ、人にさんざん心配させたクセによっ!」
 けたたましい口論が始まってしまったから。
「…あ、あの。」
 ポカンとしているベルの傍ら、
「ちょっと良いかな。」
 またまた割って入った声がある。
「…はい?」
 これには少年たちもあわや掴み合いになりかかっていた手を止めて。そちらを見やると、金髪碧眼で長身痩躯、なかなかダンディな男性が約一名。自分たちを…まるで久々に逢った我が子のように、懐かしそうな、愛おしそうな、微笑ましげな表情で見やっている。そんな彼へ、
「パパ?」
 ベルまでがキョトンとして声をかけた。彼女のお父さん、すなわち、この豪華なレストランのオーナー殿ということで。にっこりと笑った彼は一言、
「君への手紙を預かってる。」


  「はいぃ?」


 さぞかしびっくりしたことだろう。当てのない旅なのに、本人にさえ行く先の定まらない航行だのに。何故こうまでピンポイントで、手紙が追っかけて来たのかと。目顔で伺うようにしながら、恐る恐る受け取った封筒。少しばかり角が擦り切れてはいるが、封はそのままの和封筒で、
「…おいおい、あいつからだぜ。」
「凄いなぁ。お前の行動、お見通しなんだ。」
 仲間なのだろう、衣音と呼んだ少年との間に広げられた桜の模様の便せんには、流れるような細い筆跡で、心配してます、気が済んだら早く帰って来てねといった意を込めた文字が綴られてあって。こそこそと囁き合う彼らに、明るい陽射しに透けていた文面が知らず読めてしまったことから、
「何よ、それ。あなたの恋人からの手紙なの?」
 ここに至って、細い眉をついっと上げて、ベルがようやく口を挟んだ。怒る筋合いではない筈なのだが、こういう風におざなりに扱われるのに慣れがなかったせいもあろう。少々語調がキツいのへは頓着しなかったらしいが、
「恋人なんかじゃねぇよ。妹だ。」
 誤解は解きたかったらしい少年の応じへ、
「だな。物凄くかわいい、母親似の小町娘、なんだろ?」
 横から入った、それもたいそう的確なフォローの言葉へ、
「………え?」
 再び、緑頭の少年がキョトンとする。にやにやと笑っているこの男性は、一体どうしてそんな事を知っているのだろうか。この、グランドラインの中にある"オールブルー"にだって初めて来た自分なのに………、あ。
「もしかして。おじさん、俺の両親を知ってるのか?」
 そう。心当たりが1つだけあると、今になって気がついた。かつて、この偉大なる航路で、今の自分とさして変わらないほんの小僧・若造でありながら、名のある大物海賊たちをバッタバッタと薙ぎ倒す大暴れをした父と母だと。そんな彼らの知己だとすれば、父の方にそれはよく似ている自分の容貌はいい目印。こんな風に声をかけて来ても不思議はないのかも。
「半分だけ当たりだな。」
「…半分?」
「坊主の両親を知ってるってのは大当たりだが、おじさんはなかろう。」
「あら、お父さんと同い年だもの。"おじさん"で充分よねぇ。」
 またまた乱入者の登場で、
「あ、ママ。」
 にぃっこりと微笑っているマダム・ナミは、先程一応ご挨拶こそしたが、
「それじゃあ、もしかしておば…。ふぎゃっ☆」
「あなたも、こいつの両親とは顔馴染みなんですね?」
 女性への恐ろしい蔑称を口走りかけた少年に、すかさずヘッドロックをかけながら、衣音が穏当な聞き方をする。それへと頷いて、
「ええ。とっても懐かしくて大切な仲間だったの。…ああもう今日は商売なんてやってられないわね。サンジくん。あたし、今日は有給扱いにしといてちょうだい。さ、こんなホールよりもプライベートデッキの方へ移りましょう。見晴らしももっと素敵よ? 二人とも好き嫌いはない? 食べたいもの、何でも沢山注文してよね?」
「ナ、ナミさん?」
 それはそれは手際よく、二人のかわいい少年たちを引き連れて、店の奥向きへと立ち去ってしまったマダム・ナミさんで。その場に取り残された父と娘は、しばし呆然と立ち尽くすばかり。
「…パパ。ママって"ツバメ"作るタイプなのかも?」
「………☆」
 こらこら、ベルちゃん。
(笑)



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