伝説との邂逅へ… B

        〜ロロノア家の人々・外伝“月と太陽”より
 


        3


 有名なレストランなだけに気の抜けない予約も多数入っていて。グラン・シェフであるサンジが、ランチからディナーまでの全てのオーダーへの指示と来賓たちへのご挨拶などなどをこなして、怒涛のようなお勤めを見事にクリアし、やっとプライベートな住まいの方へ戻れたのは宵も随分と更けてから。予想はしていたが…少年たちはナミとベルからの歓待を受けて、沢山食べて沢山お喋りもし、疲れているだろうからと勧められてお風呂に入ってから、もう既に客間に寝に下がっていた。
"…ま、ナミさんには逆らえんしな。"
 やわらかく微笑って、明かりの落とされたリビングを後にする。


  "………ん?"


「どした。眠れないのか?」
 デッキチェアの一つに身を持たせ掛けるようにして、夜空をぼんやりと見上げている姿が目に入った。就寝前の一服をつけにと甲板へ出て来た来たサンジは、特に隠れ立てもせず彼の傍らへと歩みを運ぶ。頭を斜めによじるように振り返って来た少年は、こちらの姿を認めると、
「うん。ここまでは目印を追って来たって感じだったけど、これからはそうはいかないから。」
 夜陰の中、少々意外に感じるほどの落ち着いた声で応じてくる。内面は…かつて自分たちをさんざん引っ張り回した破天荒船長に似た子だと、その父からの手紙にはしたためられてあったが、どうしてどうして。こんな風に静かに構えると滲んでくる、どこか太々しい落ち着きのようなものは、そうと書いて寄越した男にこそ瓜二つだと思った。
"まあ、明け透けで屈託のないところはルフィに似ているが。"
 あの剣豪は、ずぼらからか、それとも面倒がってか、自分のことや思ったことなどを余り話したがらない方だった。どこまでも野暮ったくて、そのくせ要所要所はきっちり押さえている周到さが可愛くない奴で。今にして思えば…マメな自分とは正反対な彼の、いかにも男らしいそういったポイントが内心で少々悔しかった自分なのかもしれないが。
「何が目標なんだ? ただの物見遊山ってんじゃなかろう。」
 隣りのデッキチェアに腰をかけ、さり気に訊いてみる。昼間、娘のベルが同じことを聞いていたとは露知らずの事で、だが、こんな旅人に聞くことは自ずと似通ってもくるというもの。少年はくすっと小さく笑って見せた。
「父さんからは"自分たちを越えてみろ"って言われた。」
 事もなげに口にするが、
「ほほぉ。」
 それが意味するところが判るサンジは、ついつい意味深な声を返した。何せ、彼の双親は"海賊王"と"大剣豪"だ。二つもの"世界一"という頂点を目指せと言われたことになる。
"しかし、自分で言うかね、普通。"
 ルフィが言うならともかく、あの口の重かった剣豪が"自分を越えてみろ"と言ってのけたとは。自負の強さは相変わらずだよなと、思わずの苦笑が洩れる。そんなこちらには当然気づかずに、少年は淡々と言葉を続けた。
「とりあえずはグランドラインの制覇。でも、その前に行ってみたい場所があるにはあるんだ。」
「?」
 そんな有名な…冒険好きな若者を引き寄せるようなスポットがあったろうかと小首をかしげるサンジへ、少年はぽつりと呟いた。


  「子授け島。」


"あ…。"
 意外な、だが、聞いた途端に色々と理解も追いついた、とある島の名前。この少年と愛らしい妹とが、子供が望める筈のない"彼
の夫婦"に授かった、奇跡と神秘の島の名だ。サンジの反応が彼にも通じたらしく、
「俺の"これから"には関係ないって判ってるんだけどね。不思議だよね。始まりの場所を知っておきたいなって思ったんだ、どうしても。」
 この言いようからして、どうやってあの夫婦の元へ授かった彼らであるのかは知っているらしいが、気のせいか…少しばかり眉間に陰が滲んだような。
「………。」
 無言のまま、急かすでない気配で"話してみな"と促すと、
「俺さ、一昨年辺りの梅雨どきくらいかな? 自分は父さんがどっかの知らない女の人に生ませた子だって、いつ頃かずっとそう思ってたのが、もうもう決定事項みたく凝り固まっちゃってた時期があったんだ。」
「…ふ〜ん。」
 何とも微妙な話題になって、サンジは口をひん曲げると少しばかり曖昧な声を返した。その昔、この子を船まで連れて来た剣豪へ、他でもない自分たちもが一応聞いてみたこと。あまりの似具合に、血の繋がりがどうしたって感じられたからで、
「だって…母親のこと、そうまで隠すなんて訝
おかしいじゃん。いくら好き合ってたって、男同士では子供が生まれる筈、ないんだしさ。」
「まあ、な。」
 成程、子供たち自身が疑問を抱
いだくというケースだってあるのだと、本人から断言されて今頃初めて気づいたグランシェフ殿だ。あまりに不思議が過ぎて、現に見たこと触れたことを"事実だから"と鵜呑みにし、そうすることで納得した自分たちだったが、その事実に触れられない者には、同じように"ああそうなんですか"と信じろと言っても無理な話かもしれない。しかもこの子らは当事者であり、信じられなきゃ好きに解釈すりゃあいいさ…とばかりに開き直れない相手である。だが、
「…誰かから言われたとか?」
 何となく、この、どこか豪放な少年がそういうことにこだわるようにも思えない。見かけで断じてはいけないことではあるが、あの天真爛漫な"海賊王"が精一杯の愛情を傾けて育てたのなら、素直で能天気な子しか育ちようがないような気もして、それでついつい訊いてみたサンジだ。すると、
「いや。俺はそういうのはなかった。あまり気に留めない性分
たちだったから、気がつかなかっただけの話なのかもしれないけど。」
 口調は変わらずに軽く淡々としていて、だが、
「俺は?」
 確かめるように言葉を重ねると、こちらの意図が判ってか、
「うん。…妹はさすがにね。学校の行事やなんかで町の子たちと一緒になることがあってさ。小さい頃から一緒な子たちは何とも思わないことを、妬んだり僻
ひがんでた奴らから色々ひどく言われたこともあったらしくてサ。贔屓目抜きに顔やら性格やら良く出来た可愛い子だから、やっかまれてもいたんだな、結構。」
 自分への痛みよりもキツイことだったのだろう、少年は眉を寄せて吐息をついた。
「でも、ちゃんと分かってて守ってくれる友達の方が断然多かったし、大人しそうに見えて芯も我も強い子だったから、心配はしなかった。」
 小さく笑い、それが…何故だか"にやにや"という笑いに塗り変わる。
「それに、そういう底意地の悪いことをやらかした奴ってのは、大概すぐさま"フクロ"にされかかっちゃあ、当の妹に庇われてたけども。」
「???」
 含みの多さにキョトンとするシェフ殿へ、殊更に父御に似た"にやり"という不敵そうな笑みを向けて来る。
「あいつ本人も知らない親衛隊とかファンクラブとか、4つ以上はありましたから。」
「…そりゃ凄い。」
 きっちり語った彼ではなかったが、それでやっと予想がついた。そういう関係者たちが、彼女を悲しませたり傷つけたりした無作法者たちへ、しっかり報復しようと構えたのだろうと。想像していた以上の"マドンナ"であるらしいとの認識を噛み締めていると、
「で、さ。母さんはいつまでも子供みたいな人で、子供から見ててもそりゃあ可愛くて無邪気で。だから、父さんに良いように丸め込まれて、俺たちのこと一生懸命育ててくれたんだなって。そう思ってたんだ。」
 少年はそんな風に続けて"くくっ"と小さく笑った。
「母さん、父さんに物凄く惚れてるから。子供相手にノロケかけては真っ赤になっちゃうくらいにね。」
「はは…。」
 それはサンジにも想像するのが簡単なことだった。破天荒だが、無邪気で一途で。いつまでも子供みたいで、お日様そのものだったあの船長殿は、どこが良いんだか、無骨で野暮で朴訥で不器用だった剣豪に、そりゃあもう目も当てられないほどに岡惚れしていたのだから。とはいえ、
「だから不平ひとつこぼさないで、どこの子かも判んない俺たち育ててくれたんだなって思ってた。」
 この言い分には頷く訳にはいかなかった。あの無邪気な船長がそうであったと同じように、いやもしかしたら表に出さなかった分、数倍も。あの無骨な剣豪もまた、凜然と冴えた風情や太々しいまでの雄々しさのその陰で、小さな船長のことを掛け替えのない対象として、それはそれは深く慈しんでいたのだから。
「それは…。」
「うん。違うって、今は知ってる。」
 溜息をつくように、小さく笑った。
「俺たちって"授かり物"なんだってね。その話も、母さんが小さい頃から聞かせてくれてて、だけど子供を誤魔化す作り話だって思ってた。」
 やおら背もたれから身を起こし、
「だって、それだと俺たち捨て子だったってことになるだろ? それにしちゃあ、俺の姿は父さんにそっくりで、間違いなく血はつながってるって思うじゃん。」
 それまでのどこか淡々としていた様子とは違って、少しばかり憤慨の素振りをして見せる彼だ。
「母さんは嘘のつけない人だったからね。だから、これは絶対父さんが丸め込んだんだって、動かしようのない事実みたくそう思い込んでた。」
 子供はいつまでも"子供"ではない。様々な可能性を手繰り寄せ、現実に一番則した答えというものをこそ"正解"なのだと、そこだけはまだ子供な融通のなさから来る潔癖さから、そうと決めつけることで容赦なく自分を傷つけて。
"………。"
 どちらかと言えば…ルフィやゾロとは違って気を遣ったり回したりする"細かい方"だったサンジには、そんなような彼ら子供たちの側の戸惑いやら不安やらが何となく判る。苛酷だったり奇妙だったりするよな生い立ちや環境を、負い目にだけは感じたくなくて。だが、そんな心積もりで客観的に把握出来ていればいるほど、同情されたくないという気持ちもまた鋭く働いて、却って過敏になってしまいもするものだ。
「そんな風に思ってた頃に、一度、父さんのことをひどく言ったら妹が物凄く怒ったことがあってさ。俺がそんなだったら、あの子はあの子で、やっぱり母さんがよそで知らない女の人に生ませた子なのかって。」
 ………おや。
「周りがそうと思ってたような、連れ子がいる者同士の再婚?ってのを信じていれば、そんな深刻でもなかったんだろけどさ。そん時は、あいつがあんまり泣くから、ぼろぼろ泣くから。よその子の自分をとっても可愛がってくれてるのに、血のつながりがあるって思うんなら尚のこと、父さんのこと悪く言うなって泣くから。」
 大人しげで愛らしく、誰からも好かれる素直な気性をしていた、それはそれは可憐だった妹が、たった一度だけ…ひどく意固地
ムキになって、泣いてまで兄を非難した。それは彼にとっても随分と衝撃的な運びであったことだろう。
「ずっとずっと、そんな不安を黙って抱えたままで我慢してたんだなって分かってさ。父さんや母さんを、嫌いならともかく大好きだったからこそ物凄く辛かったろうに、そんなこと欠片
かけらほども洩らさずにニコニコしていてさ。そいで、ああ俺って自分のことしか、自分中心の考え方しかして来なかったんだなって思ったよ。」
 その時のことを、思い違いだかそれともあまりに酷いパターンへ決めつけていたことへか、思い出して照れているというような顔になり、
"…青春だねぇ。"
 いや、おちょくって言うのではなくて。真っ直ぐすぎて周りがまるきり見えていなかったり、時期がこなけりゃ理解出来ないからと大人に言われることへ、不満で一杯になってしまったり。もう大きくなったからと、いつまでも"子供"じゃないと地団駄踏んでるけれど、大人からすりゃあ背伸びしてやっと届いている、やっぱり子供。そんな姿が、一途さが、微笑ましいやらくすぐったいやら。
「で、その君らの言い分ってのは…?」
 第三者である自分に、これだけ整理して語れるほどだ。何となく予想はついていたが訊いてみると、向こうにもサンジの訊きたいことが判ったらしく、
「ああ、うん。その大喧嘩はまんま父さんと母さんにも聞こえててさ。すぐにも"そこに座りなさい"って運びになった。」
 ますますの照れ笑いを見せて彼は続けた。
「改めて…信じられないのも無理はないけど、お前たちは授かった子だって説明された。でも、捨て子だなんて思ったことないって。こんなにも自分たちそれぞれに似てるんだもの、子供が出来っこないのを可哀想に思った神様が、わざわざそっくりな子をって授けて下さったんだってずっとずっと思ってたって。」
 ルフィらしい言いようだなと思った。勿論、彼は心からそうと信じているのだろうし、自分たちだってそうだと思っている。初めて彼らに引き会わされ、その出生をルフィが断じたその時も、そして今現在も。その赤ん坊がこんなに大きくなり、しかも一丁前に自分の意見というものを語れるまでになったとは。
"俺も年を食ったってことかもな。"
 おいおい、何をしみじみと。
「それからは、もう、そんなことはどうでも良くなった。母さんも妹も大好きだし、父さんのことだって…ホント言うとカッコいいよなって尊敬してんだ、これでもさ。あんな田舎に引っ込んでもうだいぶ経つってのに、腕は全然衰えてない。俺みたいな未熟者の言いようじゃあ頼り(アテ)になんないかもしれないけれど、気が遠くなるほど強いって、ああいうのを言うんだろうなって、いつもいつも思ってた。この旅の途中でも、父さんより強そうな奴ってのには今んとこ一人として会ってないしさ。」
 少年はどこか誇らしげに笑って、
「ただ…自分のすぐ回りのごちゃごちゃが整理されちゃったからかな。無性に外の世界に出てってみたいなって思うようになった。父さんと母さんが出会った広い世界って、海ってどんなトコなんだろって。」
 物心ついてからこっち、ずっとずっと山野辺の陸
おかで暮らして来た自分。穏やかな田舎の静かな生活が嫌いな訳ではない。家族も友達も大好きで幸せで、毎日結構楽しくて。ただ、じっとしているのが窮屈ではあった。熱を入れていた剣術の稽古も、此処ではこれが限度という一通りのレベルにまで達してしまうと何だか物足りなくなって来ていた。そんな中、不思議なことに…幼い頃に母が時々語ってくれた"海の話"を何故だかしきりと思い出すようになった。広い広い大海原を舞台にした、海賊たちや海辺の住人たちの繰り広げる冒険話は、いつだって自分たちをワクワクさせてくれたものだ。話下手で言葉を余り知らない母の話す拙いものだのに、それらはどんな絵本の作り話より飛びっきり楽しかった。可憐な人魚の伝説や砂漠の国の王女様の冒険には妹が瞳を輝かせ、窮地に立っても鮮やかな知恵を繰り出して乗り切った話には衣音が微笑い、山のような海王類を倒した話には少年自身が思わず身を乗り出して聞き入ったものだった。そしてそして、海の底や空の上、信じられないような世界へも旅をしたという冒険談はいつまでも尽きなくて。子供たちは、皆して"それからどうなったの?""お母さんはどうしたの?""お父さんはその怪物をやっつけたんでしょう?"と、時間も忘れて"もっともっと"と聞きたがった。それらがただの"別世界の話"ではないのだと、あらためてそうと意識しだして…。気がつけば、今は此処でこうしている。
「授かり物だって話、今は本当に信じてるんだ。」
 少年の呟きに、サンジがふと顔を上げた。その気配にくすくすと微笑い、
「意外だろ? でも、海ってとこは、広くて広くて、まだ誰にも踏み込ませてないトコだってあるくらいで。人間の賢しさくらいじゃあ分析し切れない色々だって眠ってるかもしれないって。」
「…親父さんの台詞か? それ。」
「ん〜ん。これはチョッパーさんから聞いた。何となくで思ってたこと、こんなきれいに言葉にして貰ったの初めてだったから、勉強って大事だなって思ったよ。」
 成程…と、すっかりとふっ切れた、和んだ顔をしているなと、改めて思った。内なる何やかやには整理がついていると言う。そんなところが、割り切りの良さが、何だかかつての船長を思い起こさせた。あっけらかんとした、そのくせいつも顔を上げて胸を張っていた、小さかった船長の堂々たる風情を彷彿とさせる。………と、
「…すいません。何か一杯喋っちゃったな。こんな洗い浚いには、誰にも話したことなかったのに。」
 頭をがりがりと掻きながら、不意にどこか恥ずかしそうな、年齢相応な顔になるから、サンジも思わず苦笑する。そういえば、昔はよくルフィやゾロの"相談相手"の役を引き受けてもいた。答えを欲しがるルフィが自分から持ちかけて来るのとは違い、ゾロの場合はこちらからこそ痺れを切らして"何かあったのか?"とカマをかけてのそれだったのだが。口の重い相手に結構付き合えたことからして、もともと"聞き上手"な自分であったのかも。含羞(はにか)みに染まった顔に、懐かしい仲間の面差しを見たことで、サンジにもついつい思い出すことがあった。
「俺たちは皆、お前の"お母さん"に…ルフィに惹かれて海に出た。」
 目の前にいるこの少年と同じくらいの、まだまだ子供に毛の生えた程度の若造だった頃のこと。
「もともと"住んで"はいたがな、どこか…糸の切れた風船ぽくてフラフラしててさ。もっと性分
たちの悪いことには、どっかの枝に引っ掛かったままで"しょうがないじゃないか"って言い訳しながらしぼみかかってた奴もいたし。」
 他の奴のことまでは知らないが、少なくとも自分はそうだった。
「俺も誤解してたけどさ、仲間が出来ることってのは、それだからって"自分"を後回しにしたり、"誰かのため"って大義が優先されるってことは無いんだ。それもやっぱり自分のためなんだよな。」
「???」
「仲間っていう組織の立ち方にもよるんだろうが、誰に強制されるでなく、自分の意志から動くんなら、守ってやろうとか、力を貸してやろうとか、そう思ったのは"自分"だから、自分のための行動、だろ?」
 少年が、ゆっくりと噛みしめて、こくりと頷いたのを見やり、
「そういったこと、一杯教えてくれた、味あわせてくれたからな。ルフィには、お前のお袋さんにはホント感謝してるんだ。」
 サンジはそう言うと、今まで忘れていた煙草を手の中で思い出し、だが、そのままジャケットの懐ろへと入れ直す。
「さて。明日は早くに発つんだろう? ぐっすりと眠っておきなさい。」
「はい。」
 立ち上がるとぺこりと頭を下げて、キャビンの方へと軽快な足取りで歩み去る。無邪気で屈託のない若々しさは、だが、どこまでも撓
しなる柔軟性と共にあっけないほどの脆さを孕んでもいて。少年の述懐を聞いていて、何だか…そんなような繊細で脆そうなところを垣間見たような、そんな気がしたサンジである。
「…まま、鉄でも何度かは叩かれなきゃ、鋼鉄
はがねみたく強くはなれんもんだしな。」
 ぽつりと呟いたその言葉尻、
「そうよね。でも、あの子ならそれにもちゃんと耐えられそうじゃないの。」
 続いた声にぎょっとして振り返ると、
「こんなところで逢い引きだなんて、隅に置けないわね。」
 ガウン代わりだろう、足元まで丈のあるスプリングコートを羽織っている愛妻のナミがくすくすと微笑っている。彼女が立っているのはこのデッキのすぐ真下、ホールのテラスに続いているステップで、そこに出て彼らの話をそれとなく聞いていたらしい。
「いつもの一服にしてはなかなか帰って来ないから。それで来てみただけよ?」
「ええ。判ってますって。」
 そうそう監視監督のきつい彼女ではない。むしろ…もっと嫉妬
やきもちをやいたり、いろいろ束縛してくれたって良いのにと思うほど、日頃の表現体はドライでつれないのが彼女の持ち味で。だがそれは、聡明で理性的な彼女が物事を常に客観的に見ようとするために身につけた、言わば習性のようなもの。長年荒くれ共のただ中で頑張っていた彼女には、ある意味で"自己防御"の役割も果たして来た部分だから仕方がない。長年一緒にいて、さんざんからかったり袖にしたりし続けて来た相手に、今更甘えるのはちょっと気恥ずかしいから。強がってそんなポーズを取り続けている彼女なのだと、夫の方で何となく判っているから問題はない。(ヒューヒュー♪)それはともかく。
「ルフィと一緒であっけらかんとしてるだけかと思ってたけど、ゾロみたいに黙って考えてるトコもあったのね。」
 どこかしみじみとした言いようをするナミだ。
「ゾロみたいって…。考えてましたか? あいつ。」
「ええ。何も言わずにね。」
 それって…ルフィのこととか、ルフィのこととか、ルフィのこととか、ですか?
「こらこら。」
 あはは、逆に突っ込まれてしまいました。
(笑)ナミはナミで、サンジとはまた少々違った角度から、彼らを見守り把握していた訳で。そんな中で彼女なりに感じていた、彼らの気性や性分や何かというものがあるのだろう。
「でも、ホントに"海賊王"になるつもりなのかしら。」
 自分が親になると、そうでなかったころには実感の薄かった想いも何かと抱えるもので、やりたいことをやらせてあげたいと思いつつ、だからと言って"危険"や"悪名"をわざわざ選んでまで目指して欲しくないと思うのもまた"親心"だ。
「それでなくたって、今は微妙なムードの海賊世界だっていうのに。」
 ………はて? それって?
「さてね。それこそ、あの子たちが決めることですよ。一応の覚悟があって海へと飛び出したんでしょうしね。」
 どこか愉快そうに、そしてどこか羨ましげに、海上レストランのオーナー殿は相変わらずの鬱陶しさで伸ばしたままな金の前髪の陰で、くすんと笑うと夜空を仰いだ。ほんの数年前に頼もしい仲間たちと仰いだその時と、何ら変わりのない見事な星空を………。



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