緑の海、青い陸おか 〜はじまりのこと


        




  この地を初めて訪れたのは、どんな季節のときだったろうか。
  暑くもなく、寒くもなく、陽射しの元気な、ほどよい気候の頃だったような…。



 第一印象は、穏やかな緑の土地、だった。幾つかの山を越してしまって、振り返っても海は既
とうに見えず。視野の中に広がるのは、平坦な田園風景と雑木林や丘を彩る瑞々しい緑で一杯な静かな風景。それらを裾野に従えた山の連なりと、それに下辺を縁取られた空と。頬を撫でる風までもが草いきれと土の匂いに瑞々しくて、周り全部が水だらけだった海よりもずっと、爽やかな潤いに満ちたところだと思った。

   "………。"

 不思議と気持ちが落ち着いているのが自分でも意外だった。海に居た時の、どこか不安定なればこそ常に感じていた"ワクワク"が薄まったのはともかく、初めての土地、今日から始まる全く新しい生活。それらへの好奇心で少なからず興奮していながらも、宥めるように何かが囁きかけてくるような、時間が止まっているかのような、のんびりと穏やかなそんな土地。


  「そうだろ?
   だから、俺にしてみりゃ、一日でも早く飛び出したくてしょうがなかった。
   退屈な田舎だって、そうとしか思えなかったからな。」


 泥臭いとか野暮ったいとか、そういう意味ではなく。向こう見ずな少年の血気盛んな若い気性が、生え代わったばかりの牙を試したくてうずうずしていて。闘争心とか、攻撃的な熱気とかいう、やたら激しいものに身を焦がしたがるやんちゃな者には、どこかで空回りする想いが切ないあまりに泣きたくなるほど、苛立たしいくらいにのんびりした風土。


  「まあ、ガキだったからな。
   見えてるもんが見えてるだけでしか判らなかったしな。
   どこでだって生きてくのは大変な一大事業なんだってこと、
   今なら少しは分かるような気がするがな。」


 久方振りの故郷の風景を懐かしむような、それでいて…傍らの連れ合いに"こんな田舎"を見られるのが少しばかり照れ臭いと言いたげな、そんな顔をする。いつだって余裕たっぷりで、口の端だけ上げるような笑い方ばかり見慣れてた。だから、そんな顔をされると、こちらまでちょっぴり照れ臭くなってしまう。


  「そだな。これから、戦わなきゃなんないんだもんな。
   全然相手したことがないものばかりと。」


 初めての定住生活。そして、初めての子育て。ひょんなことから授かったこの子らのため、海から上がって陸
おかに根を張ろうと決めた。これからはここで"守りの生活"に入る。けれど、それは"逃げる"ことではなくて、新しい形の"戦い"だと、ゾロのお師匠さんがそれは真面目な顔で言っていた。新居や道場や、その他の様々な…ここで暮らしてゆくのに要り用なあれやこれやを全て手配してくれて。航海の中で得た宝飾品やら金貨やら…はっきり言って少なくはない結構な蓄えの中から"せめて実費だけでも"と差し出したのだが、彼は一切受け取らず、それどころか"何でも相談に来なさいね"と、それは頼もしいお父さんのように微笑って送り出してくれた。彼らの新しい家は隣りの村の外れにあって、黒板塀に囲まれた敷地の中に、移築したばかりらしい板張りの道場が渡り廊下でつながった、どこからどこまでもしっかりと和風の家だった。錦木や寒椿などでささやかながらも端正にしっとりと整えられた庭。家の中の床が膝より高く持ち上げられてあって、間取りもどこか不思議なつながり方になっていて。そんな屋敷にぴったりな家財道具も一式揃えられてあり、

  「お帰りなさいませ。」

 それぞれの腕に抱えた赤ん坊以外は殆ど何も持たぬまま、身一つも同然でやって来た"若夫婦"を迎えてくれたのは、人の善さそうな笑顔のお手伝いさんが二人と、若い青年たちが何人か。彼らが世界一の『大剣豪』と世界一の『海賊王』だと、ちゃんと知ってはいたそうだが、それがどういう意味なのか、お手伝いさんたちは気に留めてはいない様子でいて。年嵩な方のおばさんは"ツタさん"といって、実は…小さかった頃のゾロのやんちゃぶりも結構知っている人だと後で判った。

  「はい。赤ちゃんのことならたいがいはお任せ下さいませな。」

 子供を8人生み育て、孫は今のところ6人も世話して来たそうで、しかもその中には双子が2組もいたそうな。子供たちばかりではなく、

  「ああ、いけませんよ、奥様。
   三和土
たたきで履物はお脱ぎなさいまし。
   足の埃も拭ってから上がるんですよ?」

 そう。初めてルフィを"奥様"と呼んだのも、このツタさんだった。一方で、

  「修行の一環です。何でも言い付けて下さい。」

 何人かの青年たちは、あの師範さんが送り出してくれたお弟子さんたちで、今日からこの家の敷地内の長屋に同居する"門弟"さんたちなのだそうだ。純朴そうな、それでいて芯がしっかりしていそうな、はきはきと明るい男の子たちで、彼らもやはり、ゾロが『大剣豪』であることは知っていた。こちらは、知っていればこそという、どこか憧れにも似たきらきらした表情までがお揃いで、却ってゾロの方こそどこか鼻白らんでいるようだった。



  ―――始まりはいつだってちょっぴり不安で。
      でも、決めていたから大丈夫。
      何があってもこの手を離さないと。
      これからは一緒に生きてゆくのだと…。



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