緑の海、青い陸おか 〜はじまりのこと B


        




 此処での最初の日は、今回の一大決意を下した瞬間からずっと、それまでの彼らを煽り続けた様々なドタバタが"ここで終しまいだよ、後は気を静めなきゃね"というキリを一応つけた日でもあって。駆けて駆けて、息が切れそうなほど駆けていたのが"ほら、もう良いんだよ"と肩を叩かれたような、ほっと息がつけたと同時、ちょっとばかりあっけないような気持ちもしていて。



"…ルフィはどこ行ったんだろ。"
 まずは家の中を一通り見て回った。和風家屋の独特な造作は、ゾロには懐かしいものだったがルフィには初めてなあれやこれやで。畳だの襖や障子だの、床の間、欄間、縁側に押し入れ、違い棚に天袋。台所の傍の部屋には床に囲炉裏が切ってあり、中庭には屋根囲いのついた井戸もある。その他、裏には厳重そうな三枚扉の倉などもあったりして。初めて見るものへ口を開いて感心し、椅子やベッドのない、床に直に腰を下ろして脚は折り畳んで座る…という変わった暮らし方には少々戸惑っていたようだったが、
『慣れるまでは椅子やベッドを使うか?』
 訊いてみると、
『ん〜ん、大丈夫。オレも早く慣れないと、この子たちもどっち覚えて良いのか判んなくなるだろし。』
 一丁前に"母親"の自覚に満ちた言いようをしていた彼だった。それから、わずかばかりの荷物を整理し、ツタさんたちが用意してくれた心づくしの…師範からの説明が行き届いていたらしいたぁっぷりの食事を取り、風呂に入るまでは一緒にいたのだが、こちらが久方ぶりの浴衣を着付けている間にパジャマ姿で脱衣所から出て行った。結構広い家なので、一人で方向がちゃんと判るのかなと
あはは案じて、
『おい?』
 声をかけると、
『ちょっと、な。』
 先に戻っててくれよと言う。ツタさんたちに任せた赤ん坊たちの様子を見に行ったのかなと納得し、一人で奥の居室へと戻って…幾刻か。部屋の隅にあった、小窓に雲母紙を貼られた有明に火を入れて、仄かな明るさの中、宵の立ち込め出した庭をぼんやりと見やっているうちに、肌に滲んでいた小汗が心地よく引いた頃合いだったろうか。
「…ゾロ。」
 どこからか声がした。
「? ルフィ?」
 少し遠くて、何かに遮られているような響き。壁越しのような、そんな声だと気づいたまま、剣豪殿の視線が留まったのが、隣室との境になっている襖だ。確かこの辺りの一角の一続きは、自分たちが寝起きしたり寛いだりするのに使って下さいなと言われている。
「? こっちか?」
 立ち上がって足を運び、何の衒いもなく"からり…"と横へ滑らせると、
「……………え?」
 既に敷かれてあった二組の布団の上へ、ちょこんと…今日覚えたばかりの正座で座っていたのは、さっきから帰ってこないなと待っていた小さな"奥さん"だ。
「お前、それは?」
 着ているのはパジャマではなく、前合わせの白い夜着。腰の手前側に結ばれてあるのは帯ではなく共布の紐で、浴衣というよりは寝間着であるらしい。
「ツタさんに着せてもらった。」
 袖を引いて自分の姿を見回すようにしながら、少しばかり恥ずかしそうに微笑って見せて。その顔がまた、薄い闇の中に白く浮かんで何とも愛らしい。
"………。"
 そんな彼に見とれていると、
「…あのな?」
 口火を切ったルフィであり。何となく…立ったままでいるのは不遜なようで、ゾロもまた、膝を突き合わせて向かい合うように、布団の上へ正座した。
「あのな? オレ、ゾロの"奥さん"ってのになるんだよな?」
「あ、ああ。まあ、そうなるのかな。」
 本人の口から、それも愛らしく含羞
はにかみながら言われると、何だかこちらまで照れてくる。それでも"…で?"と促すと、小さな新妻はますます含羞みに頬を染めながら、それでも…顔を上げて真っ直ぐにこちらを見やる。
「陸(おか)に…此処に慣れるまで、色々よろしくな?」
 頭を下げたわけでなし、妻という立場を各下に思っている訳ではなかろう。ただ、これまでと違って、今の自分がはっきりと頼れる人は目の前の剣豪殿だけ。自分が誰かに頼る…かも知れないと、そう思ったこと自体が初めてなルフィであり、
「………っ。」
 そんな信頼をストレートに手渡された旦那様もまた、初めてな体験に狼狽
うろたえそうになるほど内心ではドキドキと慌ててしまったご様子で。おいおい それでも何とか心を落ち着け、
「お前、これまでは"これ"言うと必ず怒ったけどさ。」
 そうと前おいてから、
「これからは俺が守るから。」
 やさしい響きの、だが、厳然とした声が、はっきりとそう告げた。
「お前も、子供たちも、ここの暮らしも、全部俺が守るから。」
 此処は、四方八方を危険に常に取り囲まれてた海の上ではないけれど、生きてゆく上で襲い掛かって来るのは、嵐や海賊だけとは限らない。不束なところだらけだけどよろしくなと折れたルフィへ、全てを背負って守る覚悟があるからと、そうと応じたゾロであり、
「けどまあ、らしくあって良いとは思うけどな。」
 世間並みというものにはこだわらなくても良いからと付け加えたから、
「…うん。」
 頼もしい夫の言葉に、恥ずかしそうな満面の笑みを浮かべながらも、こっくり頷いて見せた若奥さんである。


  ―――何があっても忘れないで。
      一人じゃないってこと、忘れないで。
      そばにいることを、どうか忘れないで。





 ………で。


「…あ、ダメだってっ。オレ、この着物、着方が判んねぇから脱いだら…。」
「平気だよ。俺が知ってるから。」
「えと………。」
 平然と言い返されて、途端に頬が真っ赤になったルフィだ。いつだってリードされてはいたが、何だか今夜は…これまでよりずっと頼もしく思えたから。逞しい身体と大好きな匂いとに、やさしく包み込まれるように組み敷かれながら仰いだ視線が、隣の部屋の…開け放たれたままな障子の向こうの夜空へと向かって、

  ―――月は同んなじなんだなぁ。

 今初めて、そんなことに気がついた彼である。………もっとも、すぐにそれどころではなくなるのだが。
あっはっは♪



  〜Fine〜

  *唐突に始まった奇妙な企画もの。
   書き手の予想に反して意外に好評なものだからと、
   ついつい気をよくしたあまり、煩悩はここまで逆上ってしまいました。
   基本的な設定が少しずつ固まりつつありますが、
   ちょっと待て、自分。
   そんな設定固めて…常設シリーズにするつもりなんだろうか?


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