幕 間


 ルフィの生まれ育った故郷・フーシャ村は、一年を通していつでも夏の気候だったらしい。航海の間は様々な土地を転々としていた訳だから、一つの土地に対する印象は、滞在していた時の気候や風景に集約されている。まあ…グランドラインに於ける島々は、リトルガーデン、ドラム、アラバスタと、どの島も強烈なまでに一つの気候のみで塗り固められている土地ばかりだったのだが。


「なあ、ゾロ〜。」
「んん?」
「どっか行こうよぉ。」
「"どっか"って?」
「どっかって言やあ"どっか"だ。ウチの外。」
「タチバナの町とかか?」
「そんな近くじゃなくて、もっと遠くが良い。山とかサ。今頃の山はサンサイってのが採れるって聞いたぞ?」
「そっか。じゃあ、明日にでも出掛けようか。」
「おうっ。約束だぞ?」
「ああ。」

「…あの〜。」
 そんな会話に恐る恐る割り込んで来た声があって、
「もう始めても宜しいでしょうか?」
 どこか遠慮がちに伺う彼へ、
「ああ。悪かったな。始めてくれ。」
 踏ん反り返って腕組みをしたままという姿勢はずっと崩さないままの師範様だが、そこへ…丁度タイミングよく道場の入口から少々怪訝そうな顔をひょこっと覗かせた少女がいて、
「あ…お母さんっ!」
 目的の人物をそこに認めると、たちまち…見つかって良かったというよりも、何とも言えない渋い顔をする。
「どした?」
「どした、じゃないでしょう。探したんだから。…こっち、早くっ。」
 手招きされてぱたぱたと彼女の方へ向かうのは、この道場の師範を務める大剣豪の妻であり、
「ダメじゃないのっ。今日は昇段試験のある日だから、お父さんは立ち会わなきゃいけないって判ってたでしょっ?」
「だってよぉ。なんかゾロ、暇そうにしてっから、話し相手になってやろうかなって。」
「お母さんってば…。」
 こそこそと小声でお説教をする愛娘と妻のやり取りの声に、ついつい小さく口許がほころんだ師範様で…相変わらずですのね。その声も遠去かり、
「えと…。」
 間合いを見計らっていたのだろう、審判役の師範代がおずおずと再びの声をかける。
「どうした? 始めて良いぞ?」
「あ、っはいっ!」
 師範代はついつい咳払いをして…恐らく自分の気を静めたかったらしいが、それからおもむろに道場の中程に進み出た。
「四段認定、第5試合、始めっ!」
 合図の一声に、たちまちと言うか、ようやくと言うか、踞居
そんきょの姿勢で随分待たされた二人の剣士が立ち上がって、激しく木刀を咬み合わせる打ち合いを始めた。何だか妙な始まり方となったが、響き渡る剣撃の音は半端なそれではない。防具なしの激しい打ち合いは、攻防一体であればこそ、膂力や体力のみならず、凄まじいまでの反射神経と研ぎ澄まされた集中力とを要する、苛酷にして凄惨な剣法でもあり、そうでありながら、今現在、大層な勢いで広まりつつある流派のそれでもあった。それもその筈、何を隠そう、此処は…門構えこそありきたりな規模ながら、剣術の世界では知らぬ者はないとまで言われている大道場。世界中に数多あまたいるだろう剣士・剣豪たちの最高峰の地位である、世界一の大剣豪の座に歴史的最年少で上り詰めた男が師範を務めるとあって、挑戦者や弟子入り志願者の来訪は盆も暮れも正月も関係ないほど後を絶たない。
「それまでっ! 赤の勝ちっ!」
 この東の国のどこやらだか大きな街では、もうちっと穏便な…防具をつけ、木刀ではなく"竹刀"で打ち合う"剣道"というものが派生しつつあるのだそうだが、それが広く普及するのはまだ先のことだろうというのが関係者たちの見解で。理由は多々あるが、何といっても…今はまだ実践の時代、所謂“冒険時代”だからという一言に尽きる。剣の道を修めることが、スポーツとしての…娯楽とか精神修養のためだけとか、そういうもので収まる状況ではない。海には海賊が、陸には山賊や野盗が往来闊歩し、土地によっては…の話だが、隙あらば政権さえ掠め取ろうという企みに揺れる、それはそれは物騒な時代。心身を鍛えたいからというのが目的なのは子供くらいのもので、こんな時代に武術を修めようという者とくれば、悠長な愛好家よりも実戦へ飛び出せるまでの力を得たい者が大半なのだ。
"まあ、それもさすがに安定しようとしかかってはいるのだが。"
 何と言っても海の混沌が収まりつつある。島々とその近海の統治というような、おおよそ政治的な次元の話や、広い海を縄張りに分けるような話はともかくとして、海賊たちによる海路の制覇は、誰がどう極めようととある男を最終的には倒さねば頂点の座を認められず、そしてその男は十年以上も前に行方をくらましたまま。もう死んだか。いやいやたいそうガキだったからそれはあるまい。どこぞの誰それが斬ったと聞いたが。それこそデマだ、頼もしい剣士が右腕だったし、姿をくらましたのはその腹心と一緒にだったらしいし…と、部分的に正しい伝え語りが浸透していて、その伝播にはさりげなく海軍の情報筋も参与しているとか。海の世界の混沌を収めるためであり、それと…もう足を洗った、気のいい"海賊王"とその伴侶の静かな生活を脅かさないためでもある。そして、
「次っ、四段認定、第6試合、用意っ!」
 その海賊王は、先程、娘に促されて道場から出て行くまで、ここの師範の大きな肩にゴロゴロ♪とまとわりついていて、
「始めっ!」
 その頼もしき腹心であった剣士は…といえば、神棚を据えた上座に道着姿でしゃんと背条を延ばして座したまま、
"そういやそろそろ桜の季節だな。"
 きりりとした顔の内っ側で、呑気にもそんなことを考えていたりするのである。

            ◇

『凄げぇよなぁ。どこ行く訳でもないのに、暑いのや寒いのが向こうから勝手に来るんだもんなぁ。』
 この土地に落ち着いて、一番最初に"妻"が感心したのが季節の移り変わりである。先にも述べたが、彼の生まれ故郷は一年を通してほぼ同じ気候だったそうで。それから飛び出したのが大海であり、しかも一つ処に落ち着いてはいなかったものだから、この島は暑かった、あの土地は寒かった、というような印象で把握されている。たとえ"四季"がある土地であったにせよ、滞在したのが数日であれば、他の季節の風情を知りようがないからで、しかもグランドラインには、春島、夏島、秋島、冬島と、割とめりはりのはっきりした土地が多かったため、一つの土地に色々な気候が巡り来るというのは、それこそ不思議な体験だった彼であるらしい。
『これじゃあ、着る物にしても食い物にしてもよほど沢山なきゃいけなくて、大変なトコなんだな。』
 衣替えなんていうのも初体験だったらしく、夏には夏の涼しい格好、冬には冬の暖かな格好にタンスの中身ごと入れ替えなきゃならないのをたいそう不思議がっていたし、季節ごとに美味しいものがあるのは…食いしん坊な彼にはたいそう嬉しそうな様子だった。これもまた、世界は広くて地域や人により常識は異なる…という一例だろう。


「…アレはどうした?」
「アレってなんだよ。」
 判っていながら聞き返し、ちろんと見やる顔が…笑っている。
「ちゃんと名前があるんだから、アレなんて言ってちゃダメだぞ?」
 そうと窘めながら、急須を傾けてとぽとぽと熱いお茶をいれている手つきもなかなか様になって来た"妻"であり、
「それでなくたって、目の届くところにばかり居るって訳にはいかなくなるんだし。」
 おお、一丁前な大人の台詞だ。成程、一理はあるもんだから、目の前へごとりと湯飲みを差し出された"夫"は、
「………。」
 どこか憮然とした顔になり、いい香りの焙じ茶をずずっとすする。ここはこの若夫婦が使っている奥まった座敷で、床の間には通いのお手伝いさんが生けた梅の小枝。隣りの違い棚には、紐で蓋を結わえた文箱と、春めいた気候に合わせて飾った、桜の絵つけが可憐な小ぶりの一輪挿しの焼き物が置かれてある。青々とした畳に落ちる陽射しもいよいよ春めいて、そよと吹く風にはかすかに甘い香りが乗ってもいるよう。
"………。"
 実は…ちょっと前まで、目には見えない形でのすったもんだがあった一家である。目の中に入れても痛くはないから、入れられるもんなら入れてみろとばかり
おいおい、それはそれは可愛がっている愛娘に想い人とやらが出来て、父親大驚愕…という、まあ良くある一大事件で。しばらくの間、むっつり静かに不機嫌だった大剣豪も、少しずつ妻が言い諭して何とか落ち着きを取り戻しつつある様子。行儀のいい子で、何より父親が大好きな娘だから、心配するようなことはないってとさんざん言い続けたルフィに、
「…お前、平気なんだな。」
「だってさ…。そっちこそ、なんでそんなに嫌がるんだ?」
 さも不思議そうに訊く妻へつい気色ばんで、
「あの子はお前に瓜二つなんだぞ? そんな…他所の男に渡せるか。」
 おおお。それって間接的にノロケてないかい? そういう含みに気づいているやらいないやら、
「けど、いつまでも嫁にやらないって訳にはいかないぞ?」
 けろりとした言葉を返す妻であり、
「それは…俺がいいって思った奴を婿に取れば…。」
 そんな言い分を並べる夫の声を、容赦なく途中で遮った。
「まったそんないい加減なこと。ゾロのことだもん、絶対そんな奴見つけらんないし、誰を持って来たって気に入らないに決まってる。それにそんな結婚、かわいそうじゃん。」
 大剣豪だろうが王様だろうが、どこの父親も娘への想いは詰まるところ似たようなものというところか。とはいえ…それを言うなら、この妻は微妙に普通一般の"母親"とは違う。何と言っても"男"なのだから、どうかするとゾロと同じく父親の気持ちを抱く筈だのに、娘への感慨、感じ方がやけにどっしりと母親めいていて、
"………。"
 相変わらずに不思議な人物であることよと、久し振りにそんな感慨を受けたゾロでもある。
「…お前って凄いよな。」
「? んん?」
「何でも受け入れられるからな。」
 思えば昔からそうではなかったか。どこか奇妙な感覚で仲間を集め、様々な冒険に飛び込んだ。ハラハラさせられることも多かったが、振り返ってみればその全てが彼らしいカラーのものばかり。世間一般だとか常識という名の多数決だとかに押し切られず、頑としてポリシーを守り、正道主義を貫き続けた"男前"な海賊王。そんな彼が、今は自分の"妻"としてちょこんと傍らに座っているのが、何だかくすぐったいし面映ゆい。
「おう、凄いだろー。参ったか。」
 よく判らないまま、それでもにっかと笑ってガッツポーズを取るところがまた可愛くて、
「ああ、参った参った。」
 眸を細めてくつくつと笑うゾロの笑顔は、
"あやや…。"
 逆にルフィをたじろがせる。今でも大好きな剣豪の、年輪を経て渋みと落ち着きの増した笑顔がこんなにまでも素敵になるとは思ってもいなかった彼であり、
"参ってるのはこっちもなんだけどもな。"
 でも、癪だから絶対言わない。言ってやるもんかと思った途端に、
「…どした?」
 くすくす笑いがあふれて止まらない。
「何でもないよ。」
 幸せよね、うんうん。


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   〜Fine〜 01.12.14.


  *性懲りもなく続きを書いてみました。
   いえ、なかなか好評なようなので。
   微妙に尻に敷かれている剣豪ですが、
   ご本人たちが幸せならそれもまたご愛嬌ということで。

  追記;この道場で教えているのは“三刀流”ではありません。(そら、そうだろう。)


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