月夜見

  “万華鏡(kaleidoscope)〜多層界奇譚 E



        
その六  ロンド




 乾いた大陸の内陸部。色々と進んだ現代ならばともかくも、海からも遠く、陸上の交通手段もさしてなかったほどもの古い古い時代になのに栄えたという、不思議な都市の遺跡がある街。誰をも惹きつける歌声を持つ少年が、唐突に眼前へと現れて、

  ――― 探すの大変だったんだからな、もう何処へも勝手に行くなよ?

 意味深な言いようをした上に、その小さな身でもって とんでもない危機からさえ庇ってくれて。大事はなかったが意識が飛んで、そんな刹那に不思議な夢を見たこと、ついつい話してみたところが。もっと思い出してと切なげに訴える彼であり…。

  “………何が何だか。”

 とうとう精霊なんてものまでが飛び出して来た、彼の語る“お話”へ、だが。何故だか一笑の下に振り払えないでいるゾロでもあって。そんな自分であることへもまた、奇妙なことだと納得が行かない。堅実とは言えない稼業についてるナミでさえ飽きれるほどの、ちゃらんぽらんさ、日頃の少々大雑把で自堕落な性分が出たならば。それこそあっさり“馬鹿馬鹿しい”と言い放ち、そっぽを向いて取り合わないか、はたまた邪険にも笑い飛ばしていたろうに。衛生管理のため極限まで無気質な治療室なんてところにいるから、相手の勢いに飲まれてしまうのだろうか。
“………。”
 いいや、それだけではない。妙にリアルに思い出せたものがあったことと…それから。そりゃあ真剣なお顔になって、世にも不思議なお話を自分へと聞かせてくれているこの小さな少年から、何故だか妙に…離れ難くて。
“いつもいつもそれとは知らずに聞いていた、心地いい歌声の持ち主だったからだろうか?”
 いやいや、そんな軽い感触じゃあない。さっきの話をまんま、身に迫る記憶のように生々しくも、思い出せたその寸前にも感じていたような…かすかにもどかしい感覚。大事なことだから、だからこそ思い出さなきゃという逼迫感のようなものが、気持ちの中に少しずつ少しずつ、再び膨らみつつあるのが不思議でならず。
“…何だ? この感じは。”
 放って置いてはいけない何か。思い出さねばならない何か。これまでに一度もそんなものを意識したことのない“何か”が、唐突に、しかもただならない勢いで存在感を主張している。そうであることをきどって構えるつもりはないけれど、その場で飲めないようなややこしいことは、いつだって容赦なく切り捨てて来た“現実主義者”な自分であったはずが、
“何なんだよ。”
 思い出さねばものすごく後悔することのように思えてならず、そこから目が離せない。そんな逡巡に揉まれているゾロであることへ、気づいているやらいないやら、
「ゾロが前の自分のこと、もしかして少しずつでも思い出せているんなら、その精霊が何か仕掛けてくれてるからなのかもしれない。」
 だって、そいつはこう言ってたものと、少年が真摯な声にて続けたは、

  《 …精霊を頭ごなしに怒鳴りつけるとは、いい度胸してんじゃねぇかよな。》

 あの晩に出会い、彼を引き留めようとして姿を現した、自ら“精霊”と名乗った不思議な存在は。ルフィから浴びせられた反駁へ、随分とムッとしたらしかったが…それと同時に、
「何かしら考え込んでから、その精霊は、俺に“チャンス”をくれた。」
 硬い表情のまま、ルフィは言って、

  《 お前の望みを一回だけ叶えてやろう。》

 過去の奇跡をすべて悲しい出来事として思い出してしまったルフィ少年が、そのままじゃあ歪んでしまうのは必至だろうって危ぶみでもしたものか、相手はそんな風に言ったのだそうで。
「望み?」
「うん。」
 こくりと頷き、彼は続ける。本来、生きている間に“前世”にあたる“過去”を思い出すなんて、まずはあり得ないこと。同じような想いを抱いたままの生涯を過ごしていたことまでは、さすがに精霊にも心まで読めないからね、分からなかったことだったらしいけれど、

  《 そういえば、お前の言う“一生に一度の悲しい出会い”が起こるのは…。》

 もしかしたら、それが影響したのかもしれない、この遺跡の近辺でばかりだと気がついて。だったら…この土地でもう一回、どんな形であれ二人が再び出会えたなら。お前の持つ、そいつへの記憶を特別に戻してやるからよ。だから、自分で首根っこ掴んで訊いてみな。何でいつもいつも庇ってくれたのか。そして、どうしてその後、いつも再び逢えなくなってしまうのか。一旦別れたその瞬間にこんなにも切なくなるのは、またしても再会出来なくなるのだとお前の心のどこかで判るからってのもあるんだと思う。だからやってみな…って言い残して消えた“精霊”であり。
「…この街に来て、ゾロをたまたま見かけたその瞬間に、精霊が約束したまんま、これまでのことを全部思い出せて。そいでそこから、ああ、夢なんかじゃなかったんだって思ったもん。」
 初めて顔を合わせてからのずっとずっと。何がそんなに楽しいものやら、こんなむさ苦しい男に向けて、ああまで屈託なく笑ってたルフィが今は、思い詰めたような堅い顔でぽつりと呟いた。

  「逢いたかった。ずっと…。」

 命懸けで助けてくれた人だからと、恩に着るから忘れないってだけじゃあない。もう二度と逢えないんだって心のどこかで悟るから、だから余計に別れが悲しくなる。切なくて堪らなくなる。精悍な姿も男臭くて頼もしく、きっぱりとしていたその気概も、こんなにも覚えてて。触れた手を放したら最後なんだと、いつもそうだったこと、ついつい思い出したら…あのね? 声をかける前からどんなに胸が痛くなったか。

  「なあ、思い出せたなら判るんだろう?」

 ルフィは今にも泣き出しそうに、目許を曇らせて訊いてくる。こんなにも何度も何度も出会って、そして。
「いつだってその身で庇ってくれて。しかもその度に…どうして姿を消すの? どうして二度と逢えないの?」
 出会うたびに危地から庇ってくれる人。そこにも何か理由があってのことか? だから、話せないまま姿を消すのを余儀なくされるのか? やっとのこと、捕まえた人。この世界ではまだ、何も起こってはいないけど。それでも思い出せたものがあるのなら、あなたの気持ちを話してよ教えてよと、詰め寄るルフィであったものの、

  「これが何度もの繰り返しだとして。
   だけど今回は、俺がじゃなくて、お前が庇ってくれたんだけどもな。」

 ゾロが返した言葉は…何故だか異様に冷めた一言であり。
「それは…。」
 だって、危ないと思ったから。ゾロが怪我とかしたら大変だって思ったからだと、答えつつも…何だか空気が冷めたのを感じ取り、言葉を濁すルフィへと、
「お前を庇った“俺”だって、同んなじだったんじゃないのかね。」
「………え?」
 虚を突かれたような顔を上げたのへ、
「他人事みたいな言いように聞こえるだろうがな、俺からすりゃ“他人”のことだから仕方がねぇ。」
 そんな風に前おいてから、
「お前さんみたいな小さな子供が目の前で危ない目に遭いかけていて、それをどうして助けたんだって聞かれてもな。危ないって思って咄嗟に…ってのが、せいぜいの理由じゃあないのかね。自分なら少しは大人な分、子供が受ける痛みよりは我慢も利こう、何とか肩代わりも出来るだろうと思ったからだとしか言いようがなかろうよ。」
「…相手が俺じゃなくてもってこと?」
「多分な。」
 息をつくように小さく笑って見せてから、
「大体だ。お前、そんなことを聞いて、それからどうするつもりなんだ?」
「…え?」
 馬鹿げたことだと取り合わないのではなく、まともに応対するゾロではあるものの、その言いようの温度の低さへと、ルフィがその表情を曇らせる。そんな彼であること、きっちりと受け止めながら、
「助けてくれた将校だとか、水晶を盗みに来た泥棒だとか。もう一回逢いたいとでも? 礼でも言いたいのかよ。」
 どっちにしたってなと呟いて、
「そいつらが何をどう思ったかだなんてのは、この俺に聞いて判ることじゃなかろうよ。俺からすりゃあ、お前は今日逢ったばかりのガキだからな。」
「でも…。」
「まあ、確かに妙な夢を見たりもしたさ。何かの加減、お前と同じ、そうさなドラマでも観たのを思い出したんかもしれない。」
 意識が曖昧なときは、何でも簡単に信じ込むって聞いたことがあるしと、妙にさばさば言い返すゾロでもあって、
「そんな…っ。」
 作り話なんかじゃないと。言葉を連ねかかったルフィを遮り、

  「ライブイベントとやらで使うエピソード作りとかなんだったら、
   あいにくと俺は付き合えねぇからな。
   どっかで他の、もっと映える相手を当たってくれねぇか。」

  「………っ!」

 鋭角的な眼差しが、いつの間にやら完全に凍っている。話の途中で適当に突き放すでなく、根気よく最後までを聞いてやったのは、彼が…ルフィが自分のガードする対象であり、つまりは“雇い主”でもあるからか。小馬鹿にしている訳ではなさそうながら、けれど。淡々とした警戒心にて鎧われた、つれないお顔が見返して来るばかりであり、
「おあいにくだが、俺は“運命”なんてもんは信じない。輪廻転生とやらもな。」
「俺だってそんなもの、信じてなかった。」
「じゃあ、何だってそんな話を信じてる?」
 しかも、その精霊とやらの用意したお膳立てに甘んじて乗っかってよ、他力本願もいいとこじゃねぇか。
「それは………。」
 結局はまたぞろ操られているだけじゃあないかという、ゾロが突きつけた言いようがようよう判ったからこそ。それを説き伏せられるようにとうまく口が回らないのか、ふしゅんと萎んで項垂れた坊やに。可哀想ではあったがとどめを言い放つ。


  「とにかく、だ。
   生まれ変わりだの前世だのなんてのには、
   今でいっぱいいっぱいな俺には何の感慨もないからな。
   それ以上は何処ぞの宗教家にでも相談しな。」








            ◇



 鼻先で嘲笑うような言い方は避けたつもりだったが、それでも。あまりににべもない言いようをしたからか、ルフィは一気にふしゅんと萎
しぼんだままになってしまい。大事も無さそうだからと即日退院を許されて、とっとと起き上がったゾロに、無言のまま大人しく従い、ホテルまでを送らせてはくれた。ロビーまで着くとそのまま客室へ向かうエレベーターへと駆けてったので、此処までが担当かなと見切ったまんま、自分はロビーに待機することにする。案の定、さして間を置かず、マネージャーのサンジェスト氏からのメールが携帯へと入り、その後の打ち合わせを簡単に送って来たが、外出時とホテル内ながらもオープンスペースになってる場所での行動に付き合ってくれればいいとのこと。小さな液晶画面の中に、それらを確認しながら、ふと。胸中をよぎった想いがあって。

  “…半分は信じてるような言いようをしてたな、俺。”

 精霊のお膳立て…とは、何とも笑える言い回しだったよなと苦笑が洩れる。だってあの子が、そりゃあ悲しそうな顔をしたからね。彼の話を、言いようを、信じてみたい気持ちもなくはなかったのだけれど。
“………。”
 懸命に言葉を尽くしても信じてもらえない辛さや歯痒さを、知らないほどにも無感動・無慈悲な自分ではない。受け入れてもらえない痛み、どうでもいい相手ならともかく、大切な人、大事な存在からの拒絶ほど手痛いものはない。それでちょっとばかり焦ってしまった自分だったのかもと顧みて、だが。

  “そんなもん、信じてどうなるんだ。”

 そんなもんは知らないと言わんばかりの態度で押し通したものの、実のところは…確かに思い出せたものもあった。だけど。そういう“不思議”もアリなのかもと、百歩、いやいや千歩くらいは譲ってやったとしたってだ。じゃあ今ここで、それを思い出してどうなる? もう一回って何かをやり直せるのか? 馬鹿馬鹿しい。大きな仕事を前にして、そんな世迷い言につきあってる場合じゃないっての。それにだ。

  “…どんなつもりでやったことか、だなんてな。”

 それは全部、前世とやらでの“俺”がしたことで、この俺がやったことじゃない。さっきは確かに、いきなり脳裏へフラッシュバックした記憶があるにはあったが、何があったのかが見て取れただけで、その時その時の“自分”がどんな心情でいたのかまでは、あいにくと判らなかったから。前世という定義が今一つ良く判らない今、それはこの“自分”ではないのだとも思ったから。だったら答えようがないじゃないかと、あんな風な言いようを返してしまったゾロであり、
“俺はそんな、初対面の坊主を命投げ出して守るような、出来た男じゃないっての。”
 ちょっぴりハイソな方々が行き交うロビーを満たす、さわさわとした品の良いざわめきに包まれた中で、姿の見えない苛立ちに眉を寄せる。本当に思い出せないことが、何でこうまで苛つくのか。

  「何よ、シケた顔しちゃって。」

 不意な声にハッとして。顔を上げると、サンジェスト氏との打ち合わせや契約が一通り済んだのか、スーツ姿のナミがエレベーターゲージから出て来たところ。
“つか、今までかかってたってかよ。”
 とうに事務所に戻ったもんだと、はたまた“時は金なり”とばかり、別な依頼人のところに運んでいるんだろうと決めつけて、意識の外にあったもの。よほどのこと気が合ったのか、それとも、美味しい話でもって口説かれていたか。あまり関心を寄せた覚えはなかったが、色恋沙汰で浮かれてたり沈んでいたりを一度も見たことがなかった、色よりお金の結構シビアなお姉さんだってのはよくよく知っていたから。
“実はやり手なんかね、あっちの優男。”
 大きなレーベルのそれなりの地位へ、あの若さで到達しているほどだしな。酸いも甘いも知り尽くし、多少は汚いことにだって通じているほどに、世慣れていもすることだろうから。それでと…キツネとタヌキの騙くらかし合いでもしていたのかねと、少々冷めた視線になったところが、
「まさかまさか、あの坊やに妙な手出しとかしたんじゃないでしょうねぇ。」
「…おいおい。」
 いきなり何を言い出すかな。だってあの子、何だか妙に大人しく戻って来たわよ? それに あんたってば女っ気なさ過ぎなのが怪しいと思ってたんだけれど…そっかそういうことだったのか。何を勝手に納得してやがるかな。安心なさい、あたしゲイには理解あるから、但し あの子はダメだからね、商品に手ぇ出してどうすんの。予想があったこと無かったこと、ゴチャゴチャと言い合って、それから…ふと。

  「なあ、この土地ってのは、不思議現象とかで有名なんか?」

 エントランスと奥のエレベーターホールとが一望出来る位置の、ロビーラウンジのテーブル席へと座を占めて、お茶を楽しむ利用者の振りをしつつ警護の続き。そのついでにとナミへと話を振ったゾロであり、
「何よ、薮から棒に。」
 今時の流行や、都市伝説とか噂話とか。てんで関心なかったくせにと混ぜっ返せば、そういうのじゃなくてと正されて、
「不思議現象ねぇ〜。」
 極細面相筆の軸のように
(おいおい)そりゃあ細身のシガーを咥えると、金のライターでカチリと火を点け、む〜んと目許を細めて見せたが、情報ならお任せの彼女も、さすがにそういう曖昧なことにはアンテナを向けてはいなかったらしく、
「あんまり聞いたことがないわねぇ。」
 曰くが幾らでもありそな古い遺跡の上に出来た街だとは言ってもさ、開発が整って、人がこんなにも住み始めて、まだそんなにも、何十年もは経ってない訳でしょう?
「周囲のいかにも派手なアミューズメントランドがある土地に比べれば、自然回帰を看板にしている大人しさだとはいえ。此処だって今や商魂逞しい観光地ですからね。そういう湿っぽい話なんて広まりようがないだろし。」
 単なる古い街だったって以上の、遺跡に伝わる話もこれといってはないし。底の浅い、子供騙しな怪談だの伝承だのならともかくも、此処と言えばってクチの話は聞いたことがないわよと、すっぱり言い返したナミであり、
「何なに? あの坊やがそういう話が好きなのかしら?」
 ボディガードや運転手をさせたことがこれまでに一度もなかった訳じゃあないけれど、ああまで幼い子供の相手だなんて、そういえば初めてですものねぇ。愉快だと笑ったナミは、だが、
「いぃい? 何と言ってもあの子は、そりゃあ大きなプロジェクトの中核って存在なんだからね? 絶対に怒らせたりしないこと。どんな腕白や苛めにも、耐えるのよ? 判ったわね、シンデレラ。」
「………その呼び方だけは辞めろ。」
 少々落ち込んでいた気概を、あっさりと巻き返せるまでに浮上させてくれたことには礼も言うけれど。相変わらず、こうまで屈強な男衆をてんで恐れもしないお姉さんへ、別な意味合いから向かっ腹が立ったらしい、即席ボディガードさんであったりしたそうな。










←BACKTOPNEXT→***


  *うあ〜〜〜、やっぱり何だか、こういうお話って難しいですね。
   ドカバキ・みょんってな荒くたいお話だけを、
   大人しく書いてろってことなのかなぁ…。