その七 共鳴
姿もなく吹き寄せる風が、木々の梢をさわさわと打ち鳴らす。角の丸い雰囲気こそ同調し合っているものの、いかにも手作り、だからこそ不揃いな家々が続く街並みや、水清き水路に添う石畳の街路に石作りの噴水のある広場。不躾にも視野を遮り、野暮ったくも空を狭めるような高層建造物はさしてなく、その拵こしらえこそ いかにも鄙びた風情ではあれど、実を言えば…端から端まですっかりと人造物まるけの観光地であり。テーマが“自然回帰”であったがために、露骨なまでのエンターテイメント性が強い、いかにもな“媚び”が少ないのがせめてもの救いというところか。こればっかりは作り物でない季節々々の風が街角を吹き抜け、街路樹のやわらかな葉を揺らし、枝間から降りそそぐ木洩れ陽が、光のモザイクみたいにそこここで遊ぶ。そんな緑あふれる水の街へ、作り物ではない天然の、風や空気に触れることでの癒しや憩いを堪能しにと訪れた人々は、和んだ心へ染みとおるような、それはそれはピュアな音楽に気がついて、あらと おやと その眼差しを瞬しばたたかせる。懐かしい唄、喧しくない曲相、そしてそして…知らずハミングしているほどに、抵抗なく感性へ馴染んでしまう、何とも気安い、且つ魅惑的な声。
――― 誰だっけ? これ。
んっとねぇ〜〜〜。誰だったかなぁ。
どっかで聞いたことがあるよな気はするんだけどぉ。
此処のご当地歌手とかじゃないの?
CDとか出てないのかなぁ?
うるさいくらいに歌手やタイトルを連呼するでなし、何かしらのCMへのカバーでもなし。そんなさりげなさが却って人々の関心を招いているらしく、ほんの数日の滞在というクチの観光客たちさえ、歌声の主を知りたがり。それが嵩じてのことだろう、Web上の掲示板などでも取り上げられるようになるのに、そうそう時間はかからなかった。
◇
あんな奇妙な衝突いざこざがあったのに、サンジェスト氏には何も話さなかったルフィなのか。彼への警護というゾロとの契約は解かれないままだったし、さすがに本番が間近いこともあって、ウェブにての宣伝も本格的に始まったからだろうか。それまで気ままにこなしてた隠密行動、別名“お元気な外出”というのも敢えて自粛しているらしい、唄うたいの坊やであり。これじゃあ、屈強なボディガードじゃなくたって良かったですわね、いいえ、彼を見て“今迄みたいな無体は出来ない”って観念してくれたのかも知れませんてと、細かい事情を知らない外野にあたる、ナミやサンジェスト氏は好き勝手なことを言い。それを裏付けるかのように、どこかおどおどとした視線を寄越すばかりとなってしまった小さな坊やを、少々遠巻きに眺めるだけとなってしまったお仕事を、ゾロの側でも寡黙なまんま、何となくこなしている内にも。ルフィを核にした一大プロジェクトへの本番に向けて、時間は容赦なく流れゆき。
――― そうして。
いよいよのシークレット・ライブが始まった。予定としてはこの街では中規模クラスの音楽ホールにての数ヶ所開催と計画されていたのだが、コンピュータなどを一切使わない、今時には希少な形式のライブなのだから、その程度の方が勝手もいいし、希少さゆえの世間からの関心も呼ぶ。よほどに宣伝がうまかったのか、オープニングの場となった公会堂会場は前売りだけで全てのシートが埋まっており、
【皆様、お待たせいたしましたっ!】
噂のボーカルが紡ぐ、シークレットライブがとうとう待望の幕を開けた。一応の進行役、DJとして有名な男性タレントに紹介されてステージに出て来たのは、意味なく派手な装束を着るでない、誰も知らない小柄な少年。弾けるような笑顔が、ステージの後背にセットされた大きなビジョンパネルへと映し出されたものの、見知らぬ主役へ、観衆たちもどこか戸惑いを隠せないような顔をしていたものが。そんな空気は数分と保もたなかった。………千人近い聴衆たち全ての眸も耳も意識も、あっと言う間に、揃ってステージに釘付けとなってしまったから。
――― そこで紡がれたのは、誰もへ通じる魔法の詞だったのかも。
ルフィが歌ったのは、オーソドックスな古めのポップスと、これも有名なアリアをアカペラで何曲か。それから、透明なハーモニーを背景にちょっぴり不思議な音律の民族音楽を2つほど。場内が陶酔の静謐に清められたところへ、今時のチャートのベスト3なんぞにランキングされてたメジャーな曲を歌ってノリを盛り返し、一番最後に彼の持ち歌とやらを幾つか初披露して幕という流れ。ウェブサイトでの謎めいたCMが功を奏してか、客の関心は全くなかった訳ではなく、入りだって想定以上だったのだし。小気味いいテンポの曲からすべり出すよに始まったライブは、オーディエンスたちの感性をしっかと掴んで離さず、終始 高いめのポテンシャルを保ったままに、彼らの感応の全てをルフィへと釘付けにし通せて。殊に、オリジナルの数曲は、ほんの数曲しかなかったにもかかわらず、全曲が流れたことがなかったせいだろう、場内の聴衆すべてが固唾を呑んでたんじゃなかろうかというほどにも、集中してくださったほど。ちょっぴりドラマチックな詩を唄った一曲は、歌われている恋人たちがどんな仲直りをするのかと聞き手をはらはらとさせつつも微笑ませたし、ルフィがステージの端から端まで、運動会かと思わせるほど駆け回るお元気なロックには、若い観客たちが立ち上がって一緒に踊り、優しいバラードでは年配の方々までもが釣られてのハミングでリズムを刻んで下さって。………そしてゾロは、
「………。」
すっかりと声を失くしていた。カリスマというのは こういうものかと。もしかしたらばこの世には概念しか残ってはおらず、実際にはもはやあり得ないかもしれない希少なものを、奇しくも目の当たりにするという希有けうな経験を、開演からさして時間も掛からぬうちに、その眸その耳、その身で体感したような気がしていた。あんなにも小さな少年なのに。過ぎるほどに無邪気で、礼儀も怖いものも公平均等に“物知らず”の子供なのに。これほどの観衆たちからの注目をその身に全て浴びつつ、歌い始めた途端に発揮された、
――― その存在感の何たる大きさか。
声が、表情が、仕草が、態度が。どれをとっても誰とも違い、誰をも惹きつけてやまない。乱暴な所作で振り切って見せるつれなさにさえ、こちらの胸の底、鷲掴みにしてますます離さぬ威力を持っていて。
――― 印象的、なんて、ありふれた一言しか出て来ない、
自身の描写力の足りなさが不甲斐ないほどもの、奇跡の存在。
一旦寄せられた視線をそのまま捉まえて離さない。これが初めての正式な顔出しで、彼を知っている人なんて誰一人としていない筈なのに、最初の一曲でほぼ全員の関心を、心を、一気に掴んでしまった物凄さ。唄の間の軽いお喋り、一番最初に彼を紹介したDJとのちょっとした掛け合いでは、年齢相応にあどけなくも幼い面を隠さずにいて。会場からも小さな笑い声が上がっていたものが…曲が始まるとそれぞれに宥め合って静まり返る、微妙なチームワークまでもが生まれていたほど。
“歌声のせいだけじゃない。”
確かにルフィの歌唱力とやらは大したものだと思う。声の張りや深みが違う。声を聞いた耳からだけでなく、肌からさえ染み通るような存在感に満ちていて。歌詞に添った曲想を感情豊かに歌い上げ、これが所謂“歌の表情というもの”なのだと、こういうことへは全くの素人な筈のゾロにまで知らしめた。だが、そんなものは彼の一部に過ぎない。ここに集まっている観客たちは、今ステージにいる彼しか知らないのだから仕方がないが、思えば…リハーサルの時やホテルにいた間でも、何の気なしの所作やら屈託ない言動が、周囲の人々からの注意や意識をついつい集めていたし。妙な好奇心を寄せさせてなるものかと、そのたびに鋭い視線を少し離れたところから送っていた、睨み方の怖いボディガードさんまでもが、一緒に際立つ結果を招いてもいたほどで。
“……………。”
目映いばかりのスポットライトを全身に浴び、これだけの人々からの注目を受け、文字通りの“瞬く間”にあっさりとアイドルになってしまった、受け入れられた小さな少年。世界的な市場で名を馳せる大きなレーベルが構えたプロジェクトであり、事前からの水面下の行動があったが故の…大人たちによる様々な根回しやら下準備やらが行われたからこその、当然の成果だと言えばそれまでなのかも知れないが。先にこの子の声ありきでスタートした、ルフィという“素材”あってこそ生まれた企画なのであり、
“そんだけの子だったから。”
俺もついつい呑まれてしまったのかな。現実離れした感覚を、知らずその身へ植えつけられて。それであんな不思議な物言い、どこか遠いファンタジックな世界のお話にも、するすると引き込まれてしまった自分だったのかもと、苦笑しかかったその時だった。
“…ん?”
舞台の袖の、スタッフたちの出入りの邪魔にならない辺り。最低限の“関係者”スタイルということで、ボディガードと分かりやすいように、地味で安いがそれなりの格は張れそな“既製品スーツ”とやらを、一応 着つけ通していたゾロだったのだが。そんな自分の陰が足元で揺れた、ような気がした。あんまり暗隅にいると、首輪のない黒猫が闇溜まりにいるような案配で、却って驚かせてしまい要らない邪魔になりかねないので。多少は明るさのあるところに立っていたのだが。そんな彼の足元に淡く落ちてた陰が左右に揺れて。地震か? いやいや、この街はどういう訳だか地震には縁がないままにン十年という、至って頑健な土地らしく。ゾロも他所の地でかすかな地震を体感してビックリしたほどに馴染みはなく。何かに呼ばれたような気がし、頭上を見上げて…息を呑んだ。
――― どうあっても避け切れない危機というものが、
この世には やはり、存在し得るものなのだろうか。
彼の生命力はそれほどまでに…死神たちが争って欲しがるほど、目映くて躍動的で美しいというのだろうか。強烈な光が生み出す漆黒の影。何か大きなことを成す存在には必ずついて回る、途轍もないリスク。此処より高みへのステップアップには、それを乗り越えるだけの運が必要だということか、それとも。自分の身を、命さえもを、投げ出す者が現れることが、カリスマたる証明ということか? そして、
「っ! ルフィっっ!」
ああ、そうだったよな。お前の何に惹かれるんだか。あまりの無防備さに舌打ちが出るのかな。それとも、こんな俺よか価値のある子だって俺なりの目利きが働いて、黙ってじっとしていられなくなるからなのかな。そんな気持ちを自覚する前に、自分で自分を納得させるより前に。不器用さや下らない虚栄心、見当違いな用心深さが邪魔をして、素直になれぬまま、いつだって………こんな幕を引いてしまう。
――― それは。
一体 誰の、どんな不手際が招いたことだったのか。
百キロ近くはあろうかという、大人の一抱えはあった大型の照明器具が。最後の曲のクライマックス、場内総立ちという興奮状態の最中に、場違いな闖入を果たして………真下に立っていた少年への、不意な落下を敢行したのだ。そんな悲劇を、だが、最も間近に目撃し、その場に立ち尽くしてしまったのもまた、ほんのついさっきまで、このステージの主役を張っていた少年その人であり。
「………いや、だ。」
何かに思い切り背中を押された。退けという乱暴さと…だのに何故だか、退いた先に無事に立っていられるような。その場に突き倒されるような狼藉ではなく、其処に居てはいけないと“守られた”ような、そんな強引さに押しのけられた。そうやって引きはがされた立ち位置で、何が起こったというのだろうか。離れた先から、自分が立っていたところを、一呼吸もないほどの素早さで振り返ったら…そこには。それが照らしていたライトが消滅したがために生まれた、ぼんやり暗い陰の中。フローリングの舞台の上へ、倒れ伏している誰かがいて。はっきり見えないにも関わらず、そうであってはならないと強く思っているものだと、現実は最も残酷で最も無情な答えを、彼の眼前へと引き摺り出した。観客たちがパニックを起こすからと、幕を引けとの声が飛ぶ。それでなくとも、いきなり照明が消え、演奏が立ち消えた異常さから、客席からはそのあちこちからざわめきが生じかかってもおり。舞台の上の惨状に気づいた女性客の悲鳴が上がるのも、時間の問題なのかも。だが、そんな周囲の情勢なぞ、ルフィには一切届いてはいなかった。大きく見開かれた琥珀の眸は、豊かな表情を浮かべていた潤みや光をその底へと沈め、先程までの伸び伸びとしていた声はどこへ蒸散してしまったのか、呼吸に混ざって掠れるばかりな、擦過音しか聞こえては来ず。
「…いやだ。もう、いやだ。」
ややあって。引き寄せられるようにその足が進む。袖にいたサンジェスト氏がさすがに気づいて、こんな修羅場からは いち早く退避させねばと思ったか、こちらへと踏み出しかかったのだが。コーラスやバンドといった、演奏を支えていたバックの面々が少なくはない人数立っていたステージ上は、恐慌状態に陥ったままで右往左往する人々が、急な流れのようになってもいて、なかなか外からは踏み込めず。そうこうする内、ちょっとしたスチールユニットほどもあるだろう大きな照明の下に倒れている存在の間近、がくりと膝をその場に折ると。目を開けない彼の、表情の乗らない顔を、頭を、膝の上から懐ろへと抱え込み。ルフィは、動かない体へと必死になって話しかける。
「帰って来てよ…。また逢えなくなるなんてイヤだよ。こんなの、ちっとも幸運じゃないって言ったろ? 覚えてなかったのかよ。」
あれほど言ったじゃないかよ。そんなもの信じられないって思ったんなら、だったら何で俺んこと、庇ったりした? ボディガードたって、実質は単なる子守だったのに、命に代えてもって契約じゃあなかった筈だのに………。
「なあ…答えろよ。」
まだこんな温かいのに。そういえば、こうまで手で触れたのも、あの日以来のことなのに。こんな形でだなんて、そんなのないじゃんかよ。なあ。………なあって。答えろよ。こんな時まで、無愛想なままでいるなよ。なあ。
「ぞろーーっ!!」
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