月夜見 puppy's tail B
 

  水曜日 “ゾロのこと”


 一応立派な毛皮を着ているくせに、夜が更けるとルフィはいつも、自分の部屋のベッドではなく、ゾロのベッドへともぐり込んで来る。暑い寒いという環境条件からではなく、単に人恋しいからなのだろう。冴えた目許もそれは涼しく、凄めば相当に怖いかもしれないほど凛然とした面差しに、上背があってしかも鍛え抜かれた、見るからに頼もしい体躯をした雄々しい保護者は、されどルフィにだけは押しに弱い優しい人でもあって。このごろでは彼の側から"寝るぞ"と声までかけてくれるほど。そして…甘えた盛りの仔犬は、寝る時はパジャマ姿の少年だったものが、起きる時は大概 仔犬の姿になっていて。
「………。」
 ふかふかの毛並みに包まれた小さな頭を"きゅうん?"と上げて身を起こし、カーテン越しの光のせいで、仄かに明るいあちこちをきょろきょろと見回して。空気の匂いや気配を嗅いで、すっかり朝になっていることを確かめると、おもむろに毛布から抜け出し、ベッドから"とたん"と軽く板張りを鳴らして飛び降りて。
「………ん。」
 戻って来ると再びベッドの上へ"ぴょいっ"と飛び乗り、お兄さんの顔を鼻先でちょんちょんとつつく。だが、若くて元気なお兄さんはいくらでも寝ていられるのか、むにむに生返事をするだけで、なかなか起きてはくれないのが常。そこで、
「…っ☆ こ、こらっ。」
 わっふ・わふ、ふんふんふん…と。毛布にもぐり込んでから、お顔と言わず首条と言わず、金色の棒ピアスの下がったお耳、パジャマをめくった胸元やら、腹筋のがっちりと引き締まった堅いお腹まで。鼻面をくっつけたり舐め回したり、甘えまくって擽
くすぐって、
「判った、わ〜かったって。こら、ルフィっ。」
 別に過敏なほど擽
くすぐったがりな方でもないのだが、ふかふかの毛並みをまとった温かい生き物が乗っかってのペロペロ攻撃。何も感じないほど枯れてはいない。人間で言うところのヘッドロックよろしく、首っ玉を掴まえてようやく辞めさせ、
「散歩か?」
 訊くと、わふわふっといかにもお元気なお答えが返る。ふさふさの尻尾でシーツを叩くよに"ぱたぱたぱた…"と音させて振り、再び"すとん"と身軽にベッドから降りると、自分で咥えて来たらしいリード
(引き綱)をベッドの縁に載っける周到さよ。あまりに良すぎる手際へと、

  "…なんか俺、こいつのペースでばっか生活してないか?"

 時には"う〜ん…"と考え込むこともあるけれど、
「…?」
 ふさふさフワフワの長めの毛に覆われた、それはそれは幼
いとけない仔犬の。やわらかなお耳が軽く前へと折れていて、鼻の高い、されど丸っこい、愛嬌に満ちたお顔との睨めっこになって。
「???」
 ううう? と。ひょっこり小首を傾げる仕草なんか見せられたりすると、
「判った。出掛けような。」
 その剽軽さがあんまりにも可愛らしいものだから、結局は根負けして立ち上がる。嬉しそうに足元にまとわりついてじゃれつく仔犬を、踏まないようにと気をつけながら、
「ほら、先に出てな。ツタさんへの伝言、書いておくからさ。」
 こうまで屈強な、一端
いっぱしの成年男子が仔犬相手に話しかけることへの不自然さも何のその。あんおんっと元気なお返事に、くすすと嬉しそうな苦笑を見せるゾロなのである。





            ◇



 ルフィを連れてあちこちを旅していた彼の父は、その途中にて交通事故に巻き込まれたのだそうで。怪我の手当てが遅かったことから左腕が使えなくなり、それが原因ではないのだけれど、まだまだ寿命ではなかったにも関わらず、数年ほどで亡くなってしまったという。よって、それからの数年は、ゾロの父上との二人暮らしとなったルフィであったらしく、
「退屈しなかったか? 気の利かない、口もあんまり利かない、無愛想なおじさんだったろう。」
 自分の父のことだから斟酌なく、ゾロがそんな風に言ってのければ、
「ミホークのおっちゃんは優しかったよ。」
 ルフィはキョトンとしつつ、こんな風に返して来た。
「そうか? 人付き合いの悪い、気難しい人だったろうに。」
 ついでに言えば家事全般が苦手だったろうしと問えば、
「そんなことない。父ちゃんの世話、一杯々々焼いてくれたし、俺にも色々なこと教えてくれて、沢山々々話してくれたぞ。」
 ゾロという自慢の息子がいること。さほど手もかからないままに、立派な社会人になったが、惜しむらくは自分ににて人付き合いが少し下手で。人懐っこかった母親に似れば良かったのになと、寂しそうに笑ってたこと。ねだれば何でも話してくれたと語るルフィであり、そんな濃
こまやかな話なぞ、交わした事もなければ誰かに話しているところも見たこともないゾロにはいっそ意外すぎて。とはいえ、
"この子が相手なら判らんでもないかな。"
 舌っ足らずな声で一つずつ思い出を語ってくれる、屈託のない自然体の少年。文字通り仔犬を相手のお喋りのように、肩を張ることもなく、素直に腹の中をさらすことも出来たのだろうと忍ばれた。

  「なあ、ゾロはどんな奴なんだ?」
  「んん?」

 好奇心旺盛な子供。ルフィは"人型"になっても、どこか仔犬のままなような気性気概をおおらかなまでに示した。実際の話、"人"との付き合いはないに等しい環境下にいるのだから、遠慮とか体裁とかいった表向きとか建前とか、そういった"社交上の潤滑油"には縁がない。思いやりがない子ではないのだが、どうも明けっ広げが過ぎる子なので、他所のお庭で駆け回って来たり、落ちていたからと洗濯物を咥えて好きなだけおもちゃにした揚げ句、引きずって帰って来たり、と。時々、このゾロでさえハラハラさせられるシーンがあったりするのだが、それはともかく。
「見て判らんか?」
「う〜、性格とかじゃなくってさ。」
「どんな子供だったかとかは、父さんから聞いてたろうに。」
「それは小さい頃とか…ずっとずっと昔の話だもん。」
 それが癖なのか、これもやはり本人に自覚はないらしいこと。ゾロのお膝に乗り上がって座って、そのやわらかな頬を相手の胸板へと擦りつけながら訊いてくる。そして、そんな彼であることへ、ゾロの方でももうすっかり慣れつつある。大きな窓も出窓も庭へと向いた明るい居間は、テラスに出られる大窓を全開にしていて。そこから望める庭先では、萌え始めたばかりの芝草の、一面のエメラルドグリーンが何とも瑞々しい。そんな天然の絨毯のところどころ、春の陽射しに照らし出されている白い部分があるのは、テラスから表へと回れる飛石で。雨風に晒されたせいで白っぽさが増していて、その純白が今、目映いほどのハレーションを起こして、不思議と躍動的な印象になる。時折そよぎ入る風に、長い丈のオーガンジーのカーテンがゆらゆらと揺れて、何とも長閑な昼下がり。食後の外出に珍しくも出掛けなかったルフィは、ソファーに座したゾロに凭れて…最初の内は他愛のないお話を持ちかけていたのだが、
「ミホークのおっちゃんは時々書きものをしてた。それが"お仕事"だったんだって言ってた。ゾロは"こんぴゅーた"っていうのを時々見てるけど、あれはテレビじゃないんだろ? あれを観るのがお仕事なんか?」
 なるほど、今現在のゾロの肩書きというか、その主な行動の"中身"を知りたい彼であるらしい。家庭菜園を耕すとか、何かしらの文化教室サロンを開くだとか、ここいらの住人の皆様も、悠々自適ながら何か"お仕事"や"趣味"をなさっている方が少なくない。それで"じゃあウチのゾロは?"とばかり、把握していなかったのが気になった彼なのだろう。それにしても、
「う〜ん。仕事ってほどのもんでもないんだがな。」
 昼間はほとんど外へと出掛けている上に、今まで直接"これって何だ"とか訊いたこともないくせに、
「父さんはPCは使ってなかったろうに。」
 こっちの行動は元より、人世界の新しいものまでも、関心なさそうにしていた割にはよく知ってるよなとこっちから訊くと、えっへんと胸を張り、
「ハロの家のおじさんがハマってるって言ってたもん。"でじかめ"っていうので写真撮ってさ、薄べったいノートパソコンっていうので"へんしう"するんだって。ハロの写真の一杯載ったご本も作ってくれたんだよって。」
「へんしう…あ、編集な。」
 犬は概して、鼻は飛び抜けて良いが目は余り良くないのだそうで。じぃっと獲物を見据え、瞬発力を発揮して捕まえる猫とは全く反対。リーダーの統率の下、群れという集団で行動し、狩りや育児などにもチームワークで当たる種族だから、それで十分に勝手が良いのだろう。だがだが このルフィは、人の姿になれば人間と同じ感応ゲインを持てるため、デスクトップパソコンとテレビとの、モニター画面の違いや扱っている画像の区別もちゃんと分かるという身だ。そこから観察した上でのご質問であるらしく、
「俺がPCで時々やってるのは、依頼があったら調べものをするってバイトだ。」
 本業は別にあるのを知ってるだろがと続ければ、ルフィも"あ・そっか"と思い出す。週に何度か、ジムでのウェイト・トレーニングの指導にと、隣町のスポーツクラブまで出掛けているゾロであり、車での出勤をいつも詰まらなさそうに見送るルフィでもある。
「だってさ、ツタさんはお掃除とご飯作るのがお仕事だろう? 人間の大人って、昼間は何か必ず"お仕事"してるからさ。」
 一人前の大人が…脇目も振らず笑いもせず、真面目にかかりきり状態になることは全て、何かしらの"お仕事"なのかなと思ってしまうルフィならしい。まあ、バイトも"お仕事"には違いないのだが。
「ここに来る前は何してたんだ?」
 幼
いとけないお顔が懐ろから仰ぎ見るようにして訊いてくるのへ、
「父さんから聞いてないのか?」
「うっと、東京で"しょーしゃ"っていうのに勤めてるって聞いた。」
「そう。商社マンだったんだ。会社に入ったばかりの、まだまだ新米だったけどもな。」
 よく思い出したなと、ふかふかな髪に指を差し入れて、頭を撫でてやり、
「色んな業種のお得意先から依頼された物品を素早く揃えたり、企画ものへのプランを立てて見せて他の会社と競り合ったり。逆に、これはっていう新製品とか掘り出し物なんかを関係筋の業界へ紹介したり…ってトコかな。」
 簡単な説明をしてやると、
「…ふ〜ん?」
 広々とした胸板に凭れたまま、ルフィはひょこりと小首を傾げる。
「何か作ったり、誰かに何かしてやったりじゃないのか?」
 彼が直接見聞きして来た中には、そういう"お仕事"しかなかったのだろう。子供のような素直な質問へ、
「そうだな。ちょっと分かりにくいかもな。」
 くつくつと笑うゾロだ。
「それに、俺自身はそんなつもりはなかったんだが、会社の側としてはさ、剣道のチャンピオンだったことを買ってもらえたらしくてな。」
「買う?」
 評価して乞うって意味だよと付け足して、
「そこの会長さんがな、剣道の連盟だか協会だかの偉い人でさ。高校生時代から大学卒業までの7年間をずっとチャンピオンだったからって、注目しててくれたらしいんだ。」
 それで、剣道の世界の後進を育てる事業にゾロを関わらせたかったらしくって。メシの種は心配するなって事でその会社に採用されたらしい…と、かい摘まんで説明し、
「別に物凄く特別な"贔屓"をされてた訳でなし、見込んでくれてた気持ちは嬉しかったけどな。何かこう、やりたかったことじゃないよなって思い続けてたもんだからさ、今度の話を切りに、辞表を出して来たって訳だ。」
「ふ〜ん。」
 自分でもどう言えば良いのかなという戸惑いや、偉そうに一端なことを語っているという照れがあるのか、こちらと何となく視線を合わせないゾロなのが…、
"何か可愛いよなvv"
 どっちが青い子供だか。ついつい"うくく…vv"とルフィが笑って。
「そいで、まあ。辞めるのはこっちの事情からだったからな。剣道の方の用事があれば、その時は遠慮なく呼んで下さいと言ってはあるんだが、ただ頼り
アテにするのは気が引けるのかな。時々のアルバイトみたいなものとして、市場調査だのデータの編纂だのっていうPC仕事の依頼を、時々寄越してくるようになった。」
 ゾロの言葉に、ルフィが顔を上げる。
「じゃあさ、先々でその剣道のお仕事を頼まれるかもしんないんだ。」
「まあな。」
 毎日のトレーニングを欠かさないゾロ。腹筋とか背筋を鍛える色々な体操とか、重たいダンベルを上げ下げするのとか。それから、竹刀っていう棒をぎゅうって絞り込みながらびゅんって風を切って振り下ろす"素振り"っていうのとか。散歩から帰って来ると一通りやってからでないと朝ご飯を食べない彼であり、前は待ってたけどやっぱり我慢出来なくて。この頃ではルフィだけ先にパクパク食べちゃっている。
「…だから。」
「? なに?」
 小首を傾げる小さなルフィへ、

  「無理から"仕事"を辞めて来た訳じゃあないんだよ。安心しなさい。」
  「あやや…☆彡」

 どうしてバレちゃったんだろうかと、ここまではどこか無邪気なお顔でいたものが"あやあや"とばかりに狼狽
うろたえて見せる。そんな坊やへ、
「大人を舐めなさんな。」
 そのくらい判らなくてどうするよと、おでこ同士をくっつけてにっかりと笑うゾロであり、
「ふみみ…。/////
 これはまた…口惜しいけど一本取られたなと、おマセさんなルフィも小さく苦笑い。ルフィにはベタ甘に見せといて、だがだが…こんな風な察しの良さも、時々見せる頼もしい人。

  "ホント、ゾロってカッコいいもんなvv"

 毎日のトレーニングだって、それは真剣にあたる真面目な彼だ。冬場でも竹刀を振るたび汗が飛ぶほど、きっちりと体を温めるまで頑張るゾロで。しかもしかもその姿の何ともカッコいいこと。無駄なく引き締まった身体は着痩せして見えるから、服を着ちゃうと分かりにくくなるのだけれど。鋭角的な鋭い面差しがそりゃあ良く映える、赤銅色に陽灼けした肌のぴったり張りついたその下で。力強くも隆々と盛り上がり、俊敏に機能する肉置き
ししおきの、何とも躍動的で魅惑的なことか。カッコいい、素敵なゾロ。一緒に暮らしてるってこと、誰にだって自慢出来るし、言い触らさなくたって…実はあちこちで噂をよく聞く、話題の人でもあるゾロ。何だか嬉しくって、うくく…なんて笑ってると、

  「旦那様、坊っちゃま。デザート、召し上がりませんか?」

 キッチンの方からぱたぱた…とスリッパの音。途端に、
「あ、ツタさんだ♪」
 ゾロのお膝から素早く降り立って、リビングの戸口までお出迎えにと立つ坊やであり、
"…なんだ。"
 さては。出来立ておやつが食べたいから、お外へ行かないでゾロをお相手にお喋りなんぞしていたのだなと、ルフィの思惑に気がついて"くつくつ"と小さく笑うゾロであり、
「ゾロ、ゾロ。ケーキだぞvv ふかふかのココアのケーキvv」
 茶器や蓋付きのケーキ皿を載せたワゴンを押して来たツタさんに、はしゃぐようにまとわりつきながら戻って来たルフィへ、こらこら邪魔しちゃいけないだろうがと窘めつつも…眸の色もたいそう和んだまま、苦笑がついつい口元や頬に浮かんでしまうゾロなのである。



   *地方選挙ですねぇ。
    家の前の通りを始終のように選挙カーが走るので、
    なかなか集中しにくいです。
    ちっ、神戸は関係ないと思ってたのになぁ。(迂闊な奴。)
    さてとて。
    お次はどこかで聞いたことのあるお名前の家政婦さんのお話です。


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