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急造の不気味な祭壇さえなければ、物好きな観光客とてわざわざ足を運ばないだろうほど全く何にもない孤島。今夜も少しばかり強い風が吹き抜ける中、何とか波を宥めつつ、問題の島からの使者たちが船を連ねてやって来た。潮騒の遠く低く響く中、月からの光が真珠色に染め上げたるは。角や縁に金具のついた、頑丈そうな大きな長持ちが3つと、それから。怯えた顔を隠すためにと、腰あたりまである長い紗のベールを頭からかぶっている細身の人影が、荷の後ろから恭しくも従者に手を掲げられて浜へと降り立って。神様に連れ去られてしまう身ならば、せめての装いも綺羅らかに。薄ものながらも金錦の衣装の七彩夢幻と、それを引き締めるは破邪の力を持つ銀鎖の装飾。所作に合わせてしゃらりと響けば、星まで嘆いてすすり泣く。
「この大海を統べる大海神様に奉る奉る。」
丘の上の祭壇にて、恭しくも奉詞を掲げて。いずれも供物を収めた長持ちと、うら若き娘を贄台に据え。従者ともども、島から来た人々が、その足元に引きずる陰さえ重たいかのような足取りで、浜へと引いて…幾刻か。
《 ようやっと覲まみえられたのぅ、娘よ。》
どこからともなくの声に、少女がはっとして凍りつく。篝火さえなく、月光だけが頼りの祭壇は、だが、丘の上という場所柄だから四方八方開放されていて。どこにも誰も隠れて潜みようがなかったから、
“だったらやはり、これは人ならぬ神様の声なのかしら?”
辺りを見回した娘さんのその視線が、何かを見つけて。だが、見つけたことを誤魔化すべく、元の位置へと向き直って身を平伏した。………すると、丘を見上げる木立の内の、先程、島の人々がやって来たのとは正反対の方向から、何人かの人影が姿を現した。
「えらく素直に差し出したよな。」
「村長の娘だろ? 確かよ。」
「人格者ってのはよ、ある意味で融通が利かねぇ馬鹿だからな。自分の身だけが安全じゃあ、示しがつかねぇ申し訳が立たねぇと思うんだろさ。」
首尾よく運んだ安心感からか、それとも気分が高揚してのことか。好き勝手なことを口々に言いながら、祭壇へと近づく一団。
「けどよ、肝心の“本星”を取り込む段取りの方はどうなってんだ?」
「さぁな。ボスと兄ィが詰めてるらしいが…。」
これに味をしめて、他にもまだ何か企んでいやがるのかと。うんざりしたよなお顔になったのは、金髪痩躯のシェフ殿で。
“女性にこうまで酷いことを無理強いしやがったその上へ、まだ何か企んでいやがるってか?”
わなわなとその身を震わせるほどの、その感情は怒り。
「さぁさ、お嬢様。海神様がお待ちですぜ。」
「我らが船へ、どうぞお越し。」
一応は丁寧な言い回しをしているものの、いかにもな芝居ががった言いようが、余裕からふざけまくっている彼らの優越感を伝えて来る。これが本当に怯えている娘御であったなら、そんなことにも気づかぬまま、唯々諾々、言われるままに従っていたところだろうが、
「…え?」
すっくと。そんな音がしそうなくらいに切れのいい所作で立ち上がったお嬢様。上等の紗でおおわれた肢体はあくまでもほっそりと撓やかで、手入れのいい金の髪が透けて見えてはいたけれど、
「ふざけてんじゃねぇよ、このクソ野郎どもがっっ!」
鋭い恫喝と共に、よくぞそこまでとついつい釣られて見上げた爪先が跳ね上がったは、彼らの頭上。淡い色彩の御召し物には似合わない、黒い革靴を履いた御々脚が、ぶんっと風を切って振り下ろされ。一番手前にいた男の頭へと踵がヒットしたそのまま、深々と地面へと叩きつけている恐ろしさ。
「な…っ。」
「何もんだ! お前っ!」
確かに…美しいラインがくるぶしまで流れる薄物のドレスと、魔物からの妖気を払うとされている銀の鎖を美しくもあしらった、装飾品の数々をその身につけられた。紛うことなき、生贄の娘さん…の筈なのだが、
「あーっ、そっ!! こういうカッコしてると余計に大暴れしたくなんのは何でだろうかねっ。」
「それはあれだぞ。進んでこういう楚々としたカッコしてるんじゃないっていう心理の現れだ。」
ドレスの陰から這い出して来た、チョッパーからの的確な指摘にあって、
「成程、ねっ!」
祭壇を駆け降りつつ腿辺りまでたくし上げたドレスの下には、どうかご安心をの細身のズボン。片足を軸にした、お得意のぶん回しによる大旋回の回し蹴りが炸裂し、
「わっ!」
「はがっ!!」
取り囲んでいた賊どもが次々に弾き飛ばされ、壇上から落っこちるわ、段差の壁へ叩きつけられるわ。そういう打ち合わせを前以て通してあったんじゃないのかと思えるほどの段取りの良さにて、ドカドカごっつんと怪しき男たちが薙ぎ倒されてゆく。
「他愛のねぇ奴らだねぇ。」
「油断もしてたんだろけどな。」
まあねぇ。か弱きお嬢様を一人、掻っ攫うだけだって気構えしかなかったでしょうからねぇ。
「大体よォ、いくらそのお嬢様が金髪だったからってだな。」
ほほぉ。それでこういう割り振りになったらしく、ベールを頭に留めているヘアピンを、1つ1つまさぐって外しながら、
「そんなもんカツラでどうにでもなろうがよ。」
不満を零したシェフ殿だったが。どうせナミさん辺りから“お・ね・が・いvv”とか囁かれてその気になったんでましょ?
“…うう"。”
たじろぎも一瞬のこと。さぁて縛り上げとくかとばかり、傍らの長持ちの蓋を上げ、そこから取り出したロープの束をばらしつつ、意識を失った賊どもへ近寄りかかったサンジだったが、
「…サンジっ、奴らが来るっ!」
チョッパーが掛けた声へと顔を上げ、視線の先に信じがたいものを捕らえて…動作が止まった。
◇
思わぬ乱入者たちの生の姿、その勢いの迫力には、
「何よ、あれっ!」
「野牛の群れね。十頭以上はいるかしら。あんなものが駆け抜ければ、牧場の柵だって砕けるわよね。」
もしかしてという予想というのか、懸念があったればこそ、説得係のチョッパーを祭壇の方へ待機させておいたものの。こうまで勇壮な頭数だとは思わなかったもんだから、さしもの策士さんも焦った焦った。
「何でああまでの野牛の群れなんかっ!」
浜側の木立に身を潜ませていたナミが思わずの声を上げている。勿論のこと、この島には自然生息してはいない種。わざわざ連れて来たに違いなく、
「そうね。もしかしたら、生け贄を運んで来た人たちへダメ押しの脅しのために、準備していたのかも。」
相変わらずに冷静な状況分析をこなすロビンさんは“参謀補佐”だそうだが、
「あら?」
「な、なになになに?」
そんな彼女が意外そうな声を上げたので、これ以上の何事が起きたのと訊いたナミへ、
「あれって船長さんじゃあないかしら。
真ん中の野牛の背中に乗っかってるけれど。」
「はいぃい〜〜〜っ?」
楽しそうねと微笑ましげに笑ったお姉様へ、
「笑ってる場合じゃないってばっ!」
慌ててナミが木立から飛び出し、丘の上を駆け抜けんとしている“生きてる重戦車部隊”を眺めやる。
「………あ。」
月の明かりを背後に背負った牛の群れの一団の中、ほぼ均等な高さで足並そろえて駆けてる彼らのその背中から、ぴょこりと飛び出して揺さぶられているのは、確かに見慣れたシルエット。
「何やってんのよ、あいつはっ!」
自分たちとは違う木立ち茂みに待機していた彼らだったから、そこで連中が仕込んどいた野牛たちを見つけたのだろうが。
「ルフィ?」
祭壇の側のサンジとチョッパーの驚きも半端ではなく、
「な、んで?」
一応は真剣な作戦中にロデオもあるまいにと、こっちへ突っ込んで来る恐ろしい軍団の中に混ざっている仲間へ…気を飲まれてたところへと、
「あっと言う間に、自分で、跨がっちまってな。」
お目付役のお声が届く。とにかく先んじようと頑張ったらしく、野牛を追い抜いて駆けつけたのは、大きな肩を上下させている緑髪の剣士さんであり、
「息切れか?」
もうそんな年齢かいと、この期に及んでそんなからかいの言葉を投げて来るシェフ殿へ、じゃきりと振りかざしたるは魔剣“三代鬼徹”だったりし。
「二人ともっ、そんな場合じゃないだろがっっ!」
猛牛軍団がもうもう間近に迫っているのに、仲間内で揉めててどうするかと。チョッパーが必死で怒鳴ったことで、ケッと気を吐き、それでも“現在”を見直して。
「走るぞっ!」
「ああっ!」
ドレスの裾が邪魔なシェフ殿を、それでも気を遣ったか先に行かせ、小さなトナカイドクターを小脇に抱えてゾロが殿(しんがり)。そこらに伸びてる賊どもは、可哀想だがこれも自業自得と捨て置いて。一目散のまっしぐら、木もなく開けた広場を突っ切ると、特に木々が密集して生い茂っている木立を選んで飛び込んだ。さすがにこれは、判りやすい“障害物”だと判断したか、野牛たちも進路を変えて、追っかけていた彼らからは逸れていったが、
「何でまたあんなにも足並みが揃ってやがるんだ?」
「悪魔の実の能力者がいるのか?」
ここへと連れて来られたのだって相当な無理強いだったろに、その上まだ柔順に、誰ぞの言いなりになっているなんて。間近に誰の姿もないから尚のこと、自然のことでは有り得ないぞと、そんなことを持ち出したサンジだったが、
「いや、違うぞ。」
眸を血走らせて駆け回る野牛たちの心は読めないが、そんな暴走に怯えていた、野兎たちから話が聞けたチョッパーが言うには、
「どっかに隠れてる誰かが気持ちの悪い音を立てているから、
それで言う通りにしているだけなんだって。」
「気持ちの悪い音?」
こちらは、少し離れた位置の“大本営”にいる女性陣二人。双璧とチョッパーの会話を彼らの傍らに咲かせた“耳”で聞き取ったロビンがついつい呟き、
「…あっ、もしかして“あれ”のこと?」
ナミの声に肩越しに振り返れば。自分たちからはさして遠くはない辺り、芝草の上へ伏せている怪しい男が一人いる。何やら持っているらしく、その手のひらへもう一方の拳を立てて当て、ゴマでも摺るかのような仕草をしているのだが、
“何かを揩すり合わせてる?”
自分までが野牛たちの蹄に巻き込まれては大変だから、よほど集中しなけりゃいけないのか。横手に潜んでたナミたちには気づいていないらしく、
「人の耳では拾えない周波数の音なのかしら?」
小首をかしげたロビンの言葉へ、
「そうか。だから、ルフィの奴も一緒になって駆け回っているのね。」
「………え?」
「あ・そっか。ロビンとチョッパーには言ってなかったわね。」
ま〜ったく、どこまで野生の動物並みなんだか。あいつ、動物にしか影響しないはずの音に操られてたことがあったの。(『珍獣島のチョッパー王国』ですな)
「でも、ということは…あいつら牛飼いなのかしら。」
いや…ナミさん、ナミさん。(苦笑) 意外に手古摺っているせいでか、突拍子もないことを言い出す参謀さんであり。それが聞こえた訳でもないだろが、
「しょうがねぇな、ったくよ。」
やれやれと後ろ首を大きな手で掻きつつ、チョッパーをシェフに任せ、木立から這い出ると。駆け回る野牛の群れの前へと、おもむろに立ちはだかった剣豪さん。地上の騒動なぞ知らないという、澄まし顔の月の真下。呼吸を整え、腰を落として身構えて、両手は腰の刀の鞘と柄へ。眼光鋭く、野牛の一団を大きな砲弾か何かのように1つの塊として睨みつけると、
――― 哈っ!!
どんっ!と。辺り一帯の夜気が膨張し、そこにいた人々を外へと押し出しかかったのは、それだけ厚くて重い剣圧が一気に放たれたから。とんでもなく簡単に例えれば、思い切り振り回したものから外へと向けての風が起こるようなものだが、それはそれは鋭く研ぎ澄まされた細身の和刀でとなると、そうそう風など起こしようがないのは明白。斬りつけるためにとそそがれた力と気勢と、それから…剣士にしか判らないだろう何かしら。心意気だか気魄だか、静めた心に浮かび上がった、何の不純物もない冴えた気概を載せた そりゃあ大きな力が、場の風や空気さえ圧倒して震わせ、どんっと強い圧となって弾き出す。たった一本の刀によって、発揮されたる居合いの気魄。気が動転して暴走していた野牛の群れも、大きな風という壁に一気に押されて進むことが敵わなくなり、そこへすかさず、すべての牛の首元へ一対ずつの白い手が咲き、角を握ると“ぐいんっ”とひねり上げる。力よりもタイミングが効いたのだろう。重戦車のようだった大きな獣たちが、次々に芝草の上へ頭から平伏してゆき、もがきながらも鼻息荒く唸っている。
「行けそうか?」
「うと、うんっ。やってみる。」
まだ少し、興奮状態は続いているようだが、それを静める特別なハーブオイルを大慌てて用意した手際はさすがの名医さん。実はずっとここに隠れてたんですよの、ちょっぴり腰が引けているウソップに手伝わせ、牛たちの鼻先へと嗅がせて回りつつ、落ち着きなさい、自分たちは敵じゃあないと諭して回っているチョッパーを眺めやってた面々が、
「………さて、と。」
ぐるりんと。芝草の上へ伏せていた男の方へと、視線と意識を差し向けて見せて、
「どんな手品を使っていたかは知らないけれど、頼もしい手駒だった牛たちは、もう使えないわよ?」
腰に手を当て、にんまり笑う、参謀様の笑顔が…斜め後ろからという月光の角度のせいだろうか、妙に迫力を帯びていて怖かったりして。そんな状況を見てのことか、
「ひっ!」
これはヤバいぞと別な方向から飛び上がった気配があったところをみると、まだ他にも賊の面子がいたらしい。
「どれほど取りこぼしたんだよ、警察は。」
そですよねぇ。(苦笑)そっちの面子たちもこの展開には相当に驚いたのだろう。そのまま逃げ出そうと踵を返したらしかったが、
「そうは行かない。」
まるで女神様のようにそれは嫋やかに、ロビンがにっこりと笑った途端、
「えっ!」
「なんでっ?」
足首が地面に縫い止められて動かなくなり、そこへとすかさず、
「貴様ら〜〜〜〜っ!」
少し遠くからの怒号に乗せて、何かが夜陰を縫ってひゅんっと飛んでくる気配。何だなんだとお仲間たちまでが闇を透かし見たのとほぼ同時。彼らの視野を真横に貫き、一本の長い腕がひゅんっと伸びて飛んでゆき。飛んでった先にて“ばちこーんっっ”と物凄い音を立てて何かへ当たった。
「チッ、外したか。」
飛んで来た方からのルフィの声と、
――― めきめきめきめき、がりり、ばり、ばさばさばさ、ばきごき・どさんっ
この音はもしや、結構大きな樹がたったの一撃だけで、見事にへし折られた音ではないのでしょうか。攻撃としては空振りだったが、効果は覿面にあったようで。
「ひぇえぇぇっっっ!!」
「お助け〜〜〜〜っ!」
「勘弁してください〜〜っ。」
押し潰されるところだった大木を前に、地べたへとへたり込んだ男たち。そのせいで彼らの足首を掴んでいたものが間近に見えるようになって。それが…地面からにょきりと生えた、お揃いの白い手だと解り、尚のこと怖くなったのか、
「もう…もう、堪忍して下さいよう〜〜〜っ!」
情けなくも泣き叫び始めた連中であり。
「大の男共がみっともないわねぇ。」
あ〜あ呆れたとばかり、大きな溜息をついたナミさんの背後にて、
「いや〜〜〜。予備知識がなきゃ誰であれ怖いって。」
「そだよな〜。」
「相変わらずに、エグい作戦だったしよ。」
「そだな〜。」
「自分は一番安全なトコに隠れててよ。」
「…いや、それはウソップも一緒だろうが。」
やっとこ野牛たちを宥め終えた後方支援組の二人が、こそこそと物騒なこと、囁き合っていたのでございました。
「こら、そこっ!」
「ひぇぇええぇっっっ!!」×2
月夜の大騒ぎ、これにて閉幕…ってですか?(苦笑)
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*やっぱしドタバタした騒動になりましたです。(苦笑)
まだちょっと続きますので、お付き合いのほどを。 |