月夜見
桜丘望景A
  



          




 パンフレットで宣伝されていた桜の木は、まるで島がそのまま小さな盆栽の鉢であるかと思わせるほどの対比で、あり得ないほど大きく大きく描かれていたけれど、実際はやっぱりそこまでの大きさではないらしく。それでも…丘の上、まだ若くて頼りない緑を圧倒して、見事な緋色の帯が幾つも幾つも淡い色彩を並べているのが、まだ随分と距離がある海の上からもう見えており。遠来の訪問者たちをやさしく歓迎するかのような、それは見事な光景となっていた。
「あれが“オリエンタル・マザー”とやらがある公園みたいだな。」
「見ろよ、回りの船も皆してあれを目指してるらしいぜ。」
 いつの間にやら同じ航路をゆくお仲間になってた周囲の客船たち。自分たちと同じように甲板に出て来ていた人々も皆、いかにも“行楽に来ました”という軽やかながらも贅を匂わす装いをしており。ふわふわとした春物の衣装も可愛らしい、観光客の女性グループに手を振られ、早速のようにシェフ殿が相好を崩していたりもし。本能レベルで女性には目がない、相変わらずな彼へと苦笑混じりに肩をすくめた航海士さんへ、
「楽しい滞在になりそうね。」
 考古学者のお姉様がそれは艶やかにくすすと笑って見せたのだった。





            ◇



 先にも述べたように、ほんの数日前に立ち寄った前の島にて補給も万全で、此処にはこれといった目的がある訳ではない。ログの関係で通りすがったという格好の寄港であり、観光地らしいからいっそ羽を伸ばしましょうというのが、敢えての目的。なので、わざわざ揉めごとを招くのも剣呑だからと、例によって海賊旗を取り込み、気の合う仲間だけでの旅行中の商人を装っての上陸を果たした。
「海軍もそんなにいないわね。」
 結構栄えている土地みたいなのにねと、ナミが思ったままを口にする。シックな内装がいかにも港町というエキゾチックな雰囲気を出している、街角の小さな喫茶店。暖かな陽気に誘われてか、街路へと向いた窓はすべて大きく開け放たれており。傍らのポプラだろうか街路樹が、まだまだ若い葉のそれでも勢い良く出かかっている梢からの木洩れ陽を、彼女らのついたテーブルの、涼しげなカットグラスの縁へちらちらと悪戯な光として振り撒いている。白くてきれいな手がその上へと陰を重ねて、華奢な脚を品よく摘まんだ。
「怪しまれるような困った事態にならなかったんだからって、あいつらみたいに単純に喜べば良いもんなんだろうけど。」
 船を預けての上陸の際に、埠頭への係留手続きを取ってくれた係員たちも、普通一般の職員という雰囲気の人々であり。もしも怪しき者が接岸したならば真っ先に相対しなけらばならず、場合によっては殺されかねないほど危険な、正に“水際”の担当なのだろうに、それらへの気負いやら用心やら、持ってて当然だろう警戒の気色が丸きりなかったのが何だか意外。いくら観光地だといってもあり得ないお気楽さだわと、それで助かったと思うより、却って不審を感じたらしいナミへと、
「既に外延の海域でそれとなくチェックされていたのかもしれないわね。」
 ロビンがそんな感慨を口にする。
「チェック?」
「ええ。前の島か、それとも途中の航路のどこかでか。どんな顔触れが此処へと向かっているのかを前以
まえもってチェックしているのかもしれない。」
 此処で騒ぎを起こされては、リゾート地ですもの困るでしょう? だから、前以ての首実検が行われているのかも。そうと言って“くすすvv”と笑い、
「それが海軍の手になるものならば、堂々と舳先に座っていた船長さんに気づかないはずがない。」
 なのに。大した咎めもないままに、他の観光客と同じくあっさりと上陸出来たってことは?
「…ってことは、此処ってどっかの海賊の息がかかってる土地なの?」
 それとも、非合法な闇の商いで美味い汁を吸ってるような秘密結社だとか? どっちにしたところで警戒した方が善さそうな相手には違いないと判断し、ついつい声をひそめたナミへ。ロビンは“さあ?”と肩をすくめて、紅茶の芳しい湯気をまとった白磁のカップをついと持ち上げた。
「考え始めればキリがないわよ? 私たちが手ごわいから手を出す気がないのか、どうとでも出来るから手を出さないのか。私たちの手ごわさを見越し、皆がバラけてからの方がと構えてとりあえず上陸させたのか。それとも、全く関心がないのか。観光地としての旨味を損ねるような騒動は嫌っていて、チンピラ程度ではない賞金首に手を出せばどうなるかも承知していて。そこで、何事もないまま何にも気づかぬまま、せいぜい楽しんでから穏便にとっとと出てってほしいのか。」
 簡単なところという例を幾つか挙げてみせ、
「用心深さも必要ではあるけれど、此処が危険な航路だっていうのは、あなただって とうに承知しているのでしょう? 相手の思惑に振り回されるより、自分のペースを見失わないようでいなければ。」
 頼もしい言いようをするお姉様へ、
「…そうかしら。」
 ナミはあくまでも警戒を崩さない構えでいるらしく、
「だって、それって…ルフィたちと同じじゃないの。」
 あんな単純な連中と思考が一緒だなんて冗談じゃない。第一、そんな剛毅さの発露のお陰様で、これまでどれほど要らない騒動に巻き込まれて来たか。それを思うと、ついつい慎重にもなると言いたいらしいナミだったが。そのまま勢い込むかと思いきや、ふっと、
「…変なの。」
 表情を緩めて苦笑する。他の面々のお気楽さを埋めて余りあるほどに警戒心が強いお嬢さんなのは織り込み済みだったロビンが、あらと瞳を瞬かせたほどに意外な、口調や態度の急変であり、
「独りで行動していた頃は、結構無茶もしたのにね。」
 それが今は…随分と慎重になってるなって思ったの。あいつらがもっともっと無茶だからね、きっと。
「変なの…。」
 窓の向こう、ここからでは随分と遠いのに、それでも…若葉の狭間を埋めてあでやかな、淡い緋色の桜の群れたちへと視線を投げて。綺麗な笑い方をしたそのお顔が、けれどどこか寂しそうで。
「………。」
 ロビンは何とも答えぬまま、そんなナミにこそ静かな視線を向けていた。






            ◇



「桜の花ってサ、1つだけだとただの小さなお花なのにね。」
 豪奢な薔薇や艶やかな洋蘭のような、華やかさや存在感なんて到底持ってない、慎ましやかなお花なのにね。それがこんなに一杯集まって咲くと、一気に圧巻なまでの存在感を帯びる。ただ“沢山あるから”だろうか? 1本の樹にだって見事なまでの景色があって、深みのある奥行きへ…視線が心が引き込まれてしまうのが、さくらの不思議。
「チョッパー、転ぶなよ?」
「うんっ!」
 向こうの方が、奥の方が花が多いよと、広々とした公園の中をたかたか駆けてゆく小さなトナカイさん。さすがは目玉の公園で、丘の上という、港からは少々距離のある位置にありながら、それでも…着いたばかりらしい観光客たちがカメラを提げてそぞろ歩く姿があちこちで目につく。お土産屋だとか飲食店やら、観光地にはお決まりの遊興施設も、清潔そうなものから怪しげなものまで一応の一通りは取り揃えられているのだが。まだ陽が高いこともあってか、外を歩く人の姿の方が断然多くって。
“観光客が可愛いのは、それなりに精一杯装ってるからだろけど。”
 そんなお客さんを相手にちょっとした軽食やら飲みものやらを売るお姉さんたちも、清楚で素敵だなぁと、ついつい鼻の下が伸びかけるシェフ殿なのが相変わらず。
(笑) どのお花も新鮮で愛らしく、綺麗で可憐で目移りしちゃうよなと、ワクワクと心浮き立っていたものが、

  「…あれ? ゾロ?」

 連れだったトナカイさんの怪訝そうな声が聞こえたため、まだ早い柳のような、それは撓やかな手足をしたお嬢さんたちへと向けていた桃色の想いを、地に足つけた現世へ力技で引き戻されてしまったシェフ殿であり、
「どしたんだ? ルフィは一緒じゃないのか?」
 足元から見上げてくる小さな船医さんへと視線を合わせつつ、ごりごりと後ろ頭を大きな手で掻いている青年がいる。確かに、見慣れた剣豪さんのむくつけき姿だったが、
「?」
 何故だろうか、どこか…心許ないようにも見えて。
「どしたよ。さっそくはぐれたのか?」
「そんなんじゃねぇよ。」
 もともと一緒にいた訳じゃないと、ぼそぼそと応じる。今 訊かれて初めて…そういえば一緒じゃないと気がついたような、そんな顔をして見せるゾロへ、
「そんなこともあるんだな。」
 へぇ〜っと感心するチョッパーであり。あらたまった言われようをこそ意外に感じたか、“???”と怪訝そうに眉を寄せた剣豪だったが、
「気がついてねぇのかよ。」
 サンジの口許からは呆れたような苦笑がついつい洩れた。
「余程のこと判りやすい格好で、制
める隙もないくらいの勢いでルフィが飛び出してった時はともかく。大概は、お前ら二人、いつも一緒に船を降りてるからな。」
 ちなみに今日は、皆してぞろぞろとのんびり下船した訳で。こういうパターンだと、彼らは二人一緒であろうと思うのが、他のクルーたちの“当然”とか“必然”になっている。ルフィに用があるならゾロを、ゾロに話があるのならルフィを探せ、というように。
“それも今更な話だが。”
 ともすれば馬鹿げているほど無謀な野望。人生懸けて叶えんとしているお互いの“大望”とやらを認め合った、一番最初の仲間だからね。阿吽の呼吸もお見事に、何かと仲が良いのは構わない。ただ、選りにも選って一番迷子になりやすい“方向音痴”同士の組み合わせなもんだから。宿や船へと連れ戻すため、チョッパーが鼻を利かせるケースがどれほどあったか。そんなせいもあって、邪心なく他意もなく、一緒じゃないなんて珍しいと言い出した船医さんであったのだが、
「…別に、思うところがあった訳じゃねぇよ。」
 何でもなさそうに言う割に、妙にテンションが低いような。そんな彼へ、
「いつもがか? それとも今回は、か?」
 からかうように ニヤニヤと訊いたサンジへは、
「…さぁな。」
 おやや、と。今度はチョッパーも小首を傾げた。こんな風にからまれたなら、いつもだったらあっさりと罵り合いになってる彼らなのにね。お互いに相手の言いようへ眉を吊り上げ、喧嘩腰の物言いになり、それぞれの必殺技さえ飛び出しかねないような勢いの喧嘩に発展するのが常だのに、
「…じゃあな。」
 用がないならまたなとばかり、さっさと歩み出してしまう剣士さんだったりし、

  「なんか変じゃないか? ゾロ。」
  「…ああ。」

 頼もしい背中はいつもと何ら変わらないのにね。何だか様子がおかしいなって、小さな船医さんと心優しきシェフ殿は、同じ何かを案じながら、仲間の背中が緋色の風景の中、歩み去ってゆくのを見送ったのだった。









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  *あああ、意味深な引きにしてしまいましただよ。
   深刻でもないし、さして叙情的なお話でもありません。
   所詮は、荒くたいおばさんが書くお話ですゆえ〜〜〜。