キミじゃないと、ダメなんだ

       〜かぐわしきは 君の… 9

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お正月明けから初めての連休となる“聖人の日”
もとえ“成人の日”も過ぎ(書くと思ったでしょ?)笑
いよいよと 冬らしい寒さが本腰入れて居座る頃合いがやって来た。
昔の成人の日だった15日は“小正月”でもあり、
神社仏閣では、
縁起物やお正月飾り、古いお守りなどを引き取り、
まとめてお焚き上げする“どんど焼き”が行われる。
古くは“左義長”という、
小正月に吉書を燃やした宮中行事が元だとかで、
この焚き火で焼いた餅を食べると
縁起がいいとか無病息災とか言われており、

 『鏡餅に飾ってた橙と弊と、
  ドアに貼ってた水引の玄関飾りは持って行こうか。』

 『そうだね。』

七福神のお人形がついた縁起物は
何だか可愛らしいからと、
初めて飾ったのをついつい取りおいていて、
部屋の中へと置物扱いで飾っていたのだが。
それとは別口、水引とワラで目出度い結びようをしたものも、
ドアの小さな表札の上へと貼っていた 聖家で。
ささやかなものであれ、
年の初めに厄を避けての福だけ来ますようにと
この家を守ってくれた縁起物には違いないからと、
ご近所の神社まで持ってゆき、
境内にて始まっていた どんど焼きの焚き火の中へと投じてもらえば、

 『ああ聖さん、良かったらこれどうぞ。』

参拝者の皆様をお世話していた 宮司さんの奥様から、
いい焼きめのついた丸い小餅をいただいてしまい、
さっそくのいい縁起に預かってしまったほどで。

 『これも此処の神様からの、お年始のご挨拶とかかな?』
 『いや、う〜ん。どうなんだろう。』

ただ単にというか純粋に、
宮司さんたちとのお付き合いあっての賜物なんじゃあないのかなぁと、
これまでそういうものと単純に捉えていたブッダとしては。
イエスの小声での囁きへ、
ああこういうところが“神の子”の物の考え方なのかなぁ、
それとも自分の方が、ちょっぴり生者返りしかけているのかなぁなんて、
聖人ならではな“おやぁ?”に、目が点になりかかったそうだとか。(笑)
それも縁起物の1つということか、
お店の初売り用に貼っていたのだろ、
達筆な書による“初春”と書かれたお目出度い図案のポスターも、
何枚かが重ねて投じられていて。
大きな焚き火の少し外側で、
明々とした炎を透かしているのが行灯みたいになっており、

 「あれ、なんて書いてあるの?」
 「はつはる、だよ?」
 「はる? まだふゆなのに?」

焚き火の暖かさにか頬を真っ赤にした小さな子供と、
その母親らしい女性とが、
そんな会話を交わしているのが 何ともほのぼのとしていて温かい。

 「確かにね。
  大寒が来て 立春が来てっていう今からが
  日本では一番寒い頃合いなのにね。」

 「そうだねぇ。」

日本の場合、様々な歳時記の基本となっている昔の暦と
現今の暦とに結構なズレがあったりもするのだが、
それより何より、

 「ほら、日本人っていうのは、
  前倒しの好きな、律義でマメな人たちだから。」

 「ああ、そうだったねぇvv」


  う…。そ、それはあのその、ええっと、うんと。
  ……実際のところ、どうなんだと思います? 皆様。(苦笑)





     ◇◇◇



前倒しの風習がある日本人には(くどい…)、
春は名のみで これからこそ最も寒い季節だと、
それへと立ち向かう覚悟や何やも、
DNAレベルへ染み付いているのであろうけれど。

 “まだほんの数年という身だと、
  寒くなってから大慌てってなっちゃうもんなんだよね。”

イエスをさんざん過保護に遇している大天使たちも、
日本という風土自体へ馴染みが薄いものか、
前以ての諸注意を授けるということはしないようだし。
ブッダの周辺に至っては、
しっかり者で周到なブッダに忠告なんて必要があるものかと、

 “思われているのだろうなぁ。”

挙句、降臨して来てお初の冬に、
ずんと重い風邪を引き込んでしまったブッダだったことへも、

 『そうでした。
  日本の気候はここ数年、微妙に乱高下しておりますから、
  用心深いあなたでも振り回されてしまったのでしょうね』

などなどと、
イエスからのSOSを受けてやって来た梵天が、
罹患した後になって、もっともらしい言いようをしてくれたくらい。
まま、それ以来は十分に注意をしており、
普通の風邪もインフルエンザも、
ノロウィルスによる胃腸風邪にも、何とか縁を結ばずにいるものの。

 “イエスが時々過信するのがなぁ。”

他人の病を癒せるのみならず、本人への病も、
感冒くらいのそれなら、罹患した端から自然治癒してしまうそうで。
なので、病気に縁がなく、
結果 看病の仕方が判らないと言っていた彼だけど。
勝手に治ってしまう…ということは、
全くの全然 風邪を引かない訳ではないということだろし。
それに、

 “そんな身ではあれ、寒い暑いは感じもするのだし。”

しかも、相当にハードルが低いというか、
我慢強い自身と比べなくとも 随分とあっけなく、
リタイアなりギブアップなりしてしまうクチなので。

 治ると判っていても風邪は風邪だ、
 それはそれは大切な人へ、
 そんな病を招くほどの寒い想いをさせるなんて、

 “以っての外、ってもんですよ。”

私がやらいで誰がやるとばかりの意気込みの下、
ついつい胸元にてこぶしを握り締めるブッダ様。
コタツに広げていた献立ノート“冬の部”を、
スマホで呼び出したお料理サイトを参考にしつつ、
それは熱心に読み進めておいでの身であり。
イエスはというと、
馴染みのお風呂屋さんに引き取って貰った
例の仔猫たちへの防寒仕様な寝床を作りにと、
元親の小学生のお嬢さんたちに呼び出されてのお出掛け中。
幸いというか、そこも神の子としての仕様なものか、
極端な好き嫌いはないイエスだが、

 “本来だったら、肉や魚も食べたほうがいいんだろうなぁ。”

家計との兼ね合いもあってのこと、
今のところは頂き物があればという順番なれど。
本来、というか、
野菜こそ育ちにくい気候の土地に生まれ育ったイエスなのだから、
肉食中心だったのも当然のこと。
南米では牛肉より鳥肉の方が高いのと似たような理屈で、
パンや穀物はともかく、
野菜の料理にこそ縁が薄かった彼かも知れぬ。
だというに、
ブッダの作るベジタリアン料理を
美味しい美味しいとそれは嬉しそうに食べてくれて。

 『え、これってトーフなの?
  揚げてあるのを炒め煮にしたの? 凄い工夫だねぇvv』

今でこそ手慣れて来たけれど、
当初は要領も悪くて、味付けも微妙なものが多かったのにね。
わぁいと待ち受け、いただきますと手を合わせ、
ほんのたまには、
食べてすぐ困ったように眉が寄ってしまった時もありはしたが、
そういうときはブッダも以下同文…なほどの代物だったのだし。

 「………。////////」

ああそうだね、
手がかかる子供のようなところも見せつつ、
実は…と後になって気づくようなさりげなさ、
とても思いやりのあふれる態度で、通してくれてたキミだったものね。

 『ブッダから“ただいま”って言ってもらえるなんて、
  ブッダが帰って来たよって言うお家だなんて、
  物凄いことだもんねぇvv』

大仰だなぁと呆れたものの、
ちょっぴり照れちゃったイエスがこっそり囁いたのが、

 『だって、ずっとずっと内緒にして来たでしょう?』
 『あ…。///////』

ブッダへ伝える訳には行かないと、
あのイエスがずっとずっと
口にチャックとばかり、黙り通してたホントの気持ち。
嫌われたり意識されたりするより何より、
やさしいブッダを困らせたくはないからと。
こんなにそばにいることが時に拷問だったろに、
誰にも悟らせないように、
大好きなお友達だという以上には見えないよう
そりゃあ頑張ってた彼であり。

 『だからね、
  そんなブッダに想いが通じた今って、
  夢見てるみたいに幸せなの。』

そうと言って、それは切なそうな笑顔を見せたイエスだったのが、
ブッダにも きゅんと滲みた、それは感慨深かったやりとりで。

 「…………。////////」

無邪気な素振りの陰で、
どれほどブッダを優先し、大事にして来た彼かを、
思い知らされてばかりいる今日この頃だったりもし。

 「…っ、///////」

手を止めて頬杖をついた拍子、ちょっぴり前へ身を倒したからか、
一番下に着ていたシャツの中でするりと動いた感触を“あっ”と自覚する。
まだまだ何でもないものへと馴染み切れてはない“特別”なもの。
セーターの上から胸元へ、手のひらを伏せればすぐにも探れるそれは、
クリスマスにイエスから贈られたシルバーのリング。
他には誰もいないというに、一応 左右を見回してから、
襟元をくつろげ、チェーンを指先で探り当てると、するすると引っ張り出す。
体温で温まったそれらは、そんなせいか何とも人懐っこく見えたし、

 「〜〜〜。///////」

明るい陽の下、自分の白い手のひらの上に見るリングは、
ブッダには 何とも神々しい燦きを放つ“宝物”にしか見えぬ。
たとえ誓約の印の品であれ、
欠けさせたり誰かに奪われるなぞ とんでもないとするような。
外への代替なぞ利かぬ、唯一無二の大至宝。
そのような固執を宿したものを持ってはならぬ身なのにねとの苦笑が漏れてから、

 “ああいや、物をではなくて そのような“思考を”だったっけ。”

物自体には罪はなく、
そんな執着心を持つのをご法度としているというのが正しい順番。
かように基本の順番までもが曖昧になりかかるほど、
此処にいないイエス自身に匹敵するよな愛しさで、
手の上の小さなリングに見ほれたそのまま、
深瑠璃の双眸をうっとりとたわめ、
瑞々しくもふっくらした口許を甘くほころばせてしまう如来様。
どんな施しや供物も別け隔てのない有り難いものだったが、
それらとはまるきり別の次元の存在であり。
イエスが時に口にする
“アガペーとは別の、それに負けないほど大きな愛してる”というの、
ああ こういうことかと、これのことかと、
自身の胸へと込み上げる ぎゅうとした熱や甘酸っぱい陶酔で
実感出来てしまえるこの至福よ。

 『ごめんね、ブッダ。//////////』

甘えん坊で奔放なイエスが、
なのになのに…無理強いはしてないか、甘え過ぎてないかと、
それは気を遣ってくれていて。
戒律も厳しいし、何より、生真面目なブッダだからと。
後になって“うわぁ//////”と真っ赤になって後悔しないかまで、
ようよう考えてくれているのは判るのだが、

 “……ああ、どうしよう。///////”

もしかして、私のほうこそ随分と箍が緩んで来てはないかしら。
壊れやすい何かのように、
それは大切にしてくれる、気を遣ってくれているイエスなのに、

 『…私だって、
  キミへは時々 ふしだらなことも想うんだけど。』

あんな挑発めいたこと、わざわざ口にしてしまったのは。
明るい中での濃密な情をそそがれて、
すっかりと酔ってしまったからでもあったけど。

 “リードしたいと思わなかった?”

確かに、こういった行為へは
戒律的にも文化にも差があってのこと、どちらからも馴染みは薄く、
イエスに比すれば 随分と初心な自分だとも思う。
だからこそ、イエスも気遣いを忘れないのだろうに、

  そう。だというに、

  特別だからこその そんな気遣いが
  時々焦れったくなるなんて……

 「〜〜〜。/////////」

やや悩ましげなお顔になって、片方の手をそろりと伏せたは、
耳の付け根とおとがいから、首条にかけての肌の上。
ほのかにひんやりとした指先が触れる頬を
それは優しくなぞってゆくイエスの唇が、
耳朶からするりと喉元へすべり込むのを。
そういえば このところ、
当たり前の流れとしている自分なような。
自分でも柔らかいなぁと思うこの肌を、
それはそれは優しく愛でてくれるのが、
指先よりも性急な想いを感じる唇で求めてくれるのが。

 慣れぬこととて乱れもする、
 それを堪えるのは恥ずかしいからに違いない。
 なのに……

 「……どうしよう。////////」

だってあのあの、あんな素敵な人が。
繊細そうな線の細さと、なのに
眉を寄せて鹿爪らしいお顔をすればそれなり険しくなる
男臭いざっくりした鋭角さも持ち合わす
それは凛々しい風貌のあの人が。
誠実そうにふんわりと微笑ってくれる、
甘く和んだ眸をしてこちらのお顔を覗き込んでくれると。

  総身の血脈が沸き立ったり、
  そうかと思えば
  すうと冴えすぎてのこと気が遠くなりかけたり。

それはそれは翻弄されているよな気がするなぁと、

 「〜〜〜。/////////」

思う端から…頬は赤くなるわ、口許は落ち着かないわ、
触れている首条もとくとくと脈打つのかほんのりと熱くなってくるわ。
まだまだ制御なんて仕切れてはないようだとの認識も新たに、
小さな指輪をその手へ愛おしく眺めつつ、
ほぉと甘い吐息をついてしまう、釈迦牟尼様だったようでございます。





    お題 B“指輪”



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  *原作ではブッダ様の方が、
   鎮守祭りではしゃぐイエス様へ
   “此処の神様に見つかると不味い”なんて
   窘めるような言い方をしておいででしたが。
   宮司さんとのお付き合いがあれば、
   ブッダ様とて“此処が神社だ”というのは
   その次って扱いになるんじゃなかろかと思いまして。

  *……で。
   あのあの、すんませんです。
   ちょっぴりけしからぬとした幕間に出て来た展開を
   ついつい反芻しているブッダ様だったりします。
   そう言うのはイヤなのよと、
   断固として読まなかった人には二重の失礼ですね。
   露骨じゃなきゃいいってもんじゃなし、
   うあこれは辛いとのご迷惑をおかけしました、ごめんなさい。


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