キミじゃないと、ダメなんだ

       〜かぐわしきは 君の… 9


     9




静子さんが無事にゴールしたのを見届けて、さて。
今度は自分が上位を狙う番と、
あ・いやいや、決して我欲や執着あってのそれじゃあなくて、
あくまでの鍛練の帰着先としての高いハードルという意味から、
遥かなる高みを目指してのこと。(…物は言いよう?)
それでなくとも、
愛するイエスからの“頑張れー”を再びみたびと貰ったことだし、
これで滾らずにおられましょうかとの一気呵成。
弾みというか勢いというかがついてという、それは軽快なノリのまま。
ハーフマラソンの部の中では、実はやや中盤陣営にいたはずが、
あっと言う間のごぼう抜き、
先頭集団に迫ろうかという位置へ
ぐんぐんと順位を上げてしまった如来様であり。

 “…ああ いかん。あんまり張り切ると。”

道を急いでいるのじゃあないのですよ、
あくまでもスポーツ、鍛練なのですよという気構えは変わらぬが、
あまりに加速が過ぎれば、
こちらの心情、そこまで見通せないで
ついつい飛び出してくる存在も出るやも知れぬ。
いかんいかんと周辺を見回す余裕を取り戻し、
マラソン用にと車の通行も、沿道からの人の横断も制限された
中通りの前後をさりげなく見渡して。
鹿や馬や、もしかして大穴の大蛇などという
一般市街地に滅多に居合わせない存在の気配がないのを確かめておれば、

 “…おや。”

居たらばきっと、
こうやって探るまでもなくの大騒ぎになっていよう、
鹿やカンタカ、ムチリンダくんは居なかったものの。(確かに…)
最後に追い抜いたそのまま、こちらもペースを落としたがゆえ、
微妙に並ぶ格好になったランナーさんの、
ちょこっと気になる様子が、その代わりのようにブッダ様の目に留まる。
足取りもどこか覚束ないというか、随分とバテておいでのようで、
ぜいぜいという息遣いも荒く、汗もたくさんかいている。
もしかしてペース配分を間違えてしまい、
こんなところで失速なさったのかなぁとも思えたが、

 “こうまで苦しげなのに…。”

単なる代謝のそれでなく、
苦しいからという脂汗もかいてるんじゃなかろかというほどに。
息も絶え絶えならば、もはや口許も緩み切っての壮絶な雰囲気。
なのに、足を止めないでただただ走り続けておいでの心情は、

 “雑念なしの澄み渡ったそれ、
  明鏡止水そのものではありませぬか。”

勿論のこと、わざわざ覗いたわけじゃあない。
ただ、こうまでの疲弊にあれば、
他の皆様も多少はそうであるように、
疲れたとか喉が渇いたという、独り言もどきの思念の数々
抑えが利かずについついこぼれるところ。
だというに、
このお人のお心の周辺にはそういった想いの欠片さえ見当たらない。

  何と素晴らしい求道者か、と。

苦しさの中でも心持ちだけは取り乱さぬぞという姿勢へ、
感動さえしたのと同時、
そんな彼が、自分の腰に巻いた格好のウエストポーチに
ずっと手を添えたままなのにも気がついたので、

 “…ああ、もしかして。”

私にも覚えがなくはないので判りますと、
じんと来たものか目頭を押さえたくなったブッダ様。
というのも、

 “…もしかして腸が弱い方なのでしょうか。”

スタート前に真っ青な顔をしていたお兄さんが、
されど駆け出せば何もかも振っ切っての一目散した揚げ句、
毎年優勝しているというお話があったよに。
こういう仕儀に付き物なのが途轍もない緊張というやつで。
筋骨は鍛えられても、内臓はなかなかついて来てはくれぬもの、
せいぜい体質改善というじわじわした手しかない。
なので、こうまでの精神統一が出来る人でありながら、
なのに内臓の機能がついて来れず、困った事態におありなのかも。

 “ポーチの中は、お薬とティッシュが一杯と見ましたよ。”

幸い、沿道のコンビニや商店の中には、
ランナーや応援の人たちへ
トイレを開放してくれてもいるとか聞いている。
ぎりぎりまで頑張り通そうという覚悟でおいでなら、

  せめて係の人への声掛けは任せていただこう、と

さすが、弱っている人を放ってはおけない慈悲深き如来様。
お相手も さほどペースは落とさぬまんまなのを幸いに、
さっきまでは静子さんの伴走を務めたのの延長よろしく、
見ず知らずのこの人の、伴走役のつもりになりつつあったのだけれども…。

  イエス様にも目撃されたその慈愛の心根、
  あとで捩れたりはしませんかねぇ……。





     ◇◇◇



さて、こちらは
そんなブッダ様が二度目を通過していかれた折り返し地点だが、

 「…まずい、イエスの兄貴。」

さあいよいよブッダもゴールだと、車へ戻り掛かった声援班へ、
すぐにも帰り道へ出られるよう、対行車がないかとの見張りに立ってた若いのが、
さささっと歩み寄って来ての言うことにゃ、

 「そりゃあ要領よく行き来してたのをチェックされたか、
  タツの兄貴がマッポに職質されてんですよ。」

肩越しに見やった車の傍らには、成程 お巡りさんが立っておいでで、
バインダーを手に何やら長々と質問中らしく。
ドライバー氏の、急いでいるからこその苛々している素振りが、
状況が状況であるせいか、ますますと怪しまれてもいる様子。

 「ありゃあ時間が掛かりそうですぜ。」
 「ありゃ…。」

これはしまった、選りにも選って ここに来てのそれはないよと、
イエスにも“だから…”の先、コトの深刻さにはすぐさま気がついた。
このままでは、ブッダがゴールするところへ駆けつけられぬ。
しかも、下手を打てば…同乗者だったということで、
イエスまでもが職務質問という名の事情聴取を受けることになりかねない。
何しろコンビニ強盗とかいう事情も絡んでいるだけに、と。
まだ公開されてはない そんな背景までも知っているものだから、
じゃ・そういうことででは済まないだろうと見通せる始末の悪さよ。

 “あれって時間が掛かるんだよねぇ。”

経験者は語る。(こら)
自転車で迷子になったいつぞやみたいに、
身分証も携帯電話もなしという身じゃあないので。
こたびは頭から不審と決めつけられまではせぬだろが、
それでも余計な時間を取られるのは間違いない。
大変な想いでゴールしたその身へ、
余計な心配までさせてどうするかと。
とんだ一大事へ凛々しい眉を寄せておれば、

 「そこで。
  兄貴だけでもブッダの兄貴を追ってくれやせんか?」

若いのが背後から引き出したのが、
何でそんなものまで積んであったか、
折り畳んでハッチバックに搭載してあったらしい、
スポーツタイプの自転車で。

  …そりゃあ、何かと疑われるわ。
(こらこら)

そんなこんなと ごちゃごちゃ段取りを組んでおれば、

 「あ、そこの人…。」

それこそ非常警戒中なればこそか、
別のお巡りさんが見とがめて駆け寄って来かかる。
何も後ろ暗いものなぞないのだけれど、
これこそ非常時ゆえの緊急避難。
背に腹は替えられないので 法をも侵すぞごめんなさいという、
彼には珍しい“力技”を繰り出すことにしたヨシュア様。
よし来たとハンドルを受け取り、
高々と脚を振り上げ、サドルへ颯爽とまたがったそのまま、

 「じゃあ行くねっ。」

えいやと押し出した最初のひとこぎこそ、
微妙に よたたっと左右にぶれての縒れたけど。
(苦笑)
それを見守る恐持てのお兄さんたちを 微かにコケさせたのもご愛嬌。
あとの漕ぎようはなかなか様になっていて、
凍るような風の中、それは素晴らしい加速に乗って、
さっき車で通った抜け道を、
やや前傾姿勢になっての疾走で駆け抜けることと相成った。

 “待っててブッダ。きっと追いつくからね。”

いやあの、
目指すところは そこじゃあないのですけれど……。(う〜ん)






     ◇◇◇



さすがに大会慣れした人たちが大成を占める先頭集団だったが、
例年にないレベルの寒さだったのが影響したか、
あと2キロという辺りで順位的には膠着状態となり、
スパートかけて飛び出す人もまだ出なければ、
力尽きて脱落する人もない様子。
沿道沿いのガードレールの外側に立つ、
蛍光色の黄緑という派手なウィンドブレーカをまとった人たちは、
大会の運営執行員の人らしく。
急な事態の発生など運営上の不具合が出ないかどうか、
体調を悪くした人が出ないかどうかの見守りと同時進行で、
自分の立ち位置を駆け抜けるランナーのゼッケン番号を
次々に本部へ伝えるという役目も担っておいで。
それらを本部のPCで特別なアプリにかければ、
登録されている参加選手のコース上での現在位置がマップに刻々と記され、
登録番号さえ判っておれば、
応援する人たちのスマホでも見られる…という次第なのだが。

 「…はい? Fの2393、今 通りましたが。」

途中で脱いだか、
ゼッケンビブスを羽織ってない人もいなくはないが、
そこはこっちも慣れた顔触れを配置しているため、
滅多に読み間違えることはないし。
二人一組のうちの片やが
念のためにとズボンの方に留められた番号札を
やはりスマホで撮影して確かめているので、

 「Fの2393、だったよね?」
 「うん。間違いないよ。」

その前後を続々と通過する顔触れも、
携帯型の端末の上へ記された番号を
タッチペンでチェックする形で手際よく報告してゆく彼らだったが、

 「でも、そういやいきなり現れた人には違いないよね。」

端末の液晶画面の上、
順当にやって来た一団の中に その番号が見当たらなかったものだから、
已なく口頭での報告となったほど。

 どんだけのスパートを掛けたんだろか、
 この聖さんって人も凄いごぼう抜きしたけれど、
 それに釣られたのかしらねぇ、と

ほのぼのとした会話を交わしていたところへ、
本部から確認の通話が再び掛かって来ての曰く、

 【 そんな筈がないんだって。
   Fの2393で登録した人は、今フルマラソンのコースを走ってる。】

 「………え? フルマラソン?」

だってそんなと慌てるお嬢さん二人の狼狽ぶりから、
会話は半分しか把握出来ていなくとも、異常事態らしいことは拾える。

 「ちょっと。何かあったらしいよ。」
 「何なに、どうしたの?」
 「うん何かね、フルマラソンに出てる筈な人と
  同じ番号の人がこっちでも走ってるらしいって。」
 「何それ、あり得なくない?」
 「つか、何でそんなややこしいことになってんのよ。」
 「番号がブッキングしたとか?」

何番よそれ、確か、Fの23…えっとぉと、
知り合いが出ているものか、
この寒い中だというに、沿道に立って見物していたクチの女子高生が
そんな会話を交わしているのが耳に入ったとある人。

 「F…。」

ある意味、そこでまず気づかねばいけない、
フルマラソン組の通し番号だったらしく。
よって、こちらの上位集団の中、
それで始まる番号を身につけていたのは一人だけ。
しかもしかも、

 「何かサ、
  そういえば確認の写メを撮ろうとしたら
  ササッて隣の人の影へ隠れようとしたんだって。」
 「やだ、それって十分ヤバくない?」

かつての一時期、
美味しいとかサイコーという意味だった“ヤバイ”だが、
今時は 危険という順当な意味でしか使われてはいない。
よって、怪しいという意味で間違いはないその上、

 “Fっていったら、あの怪しい人の番号じゃないかっ。”

カーブだったこともあり、スピードを緩めたその刹那、
耳へと飛び込んで来たお嬢さんたちの会話の断片が、
抜け道のあちこちで危うく接触事故もどきまで起こしつつ、
(こらこら)
それでも何とか此処まで追いすがれたイエスの心持ちの、
ドキドキという不安要素を煽り立てての加速させる。
自転車を駆使したというに
諸般の事情から(…)やや遅れたのは不覚だったが、
そのお陰で思わぬ情報が得られたワケで。
フルマラソンのコースを今現在走っている人と同じゼッケンをつけてるなんて、
どう考えたって怪しすぎるし、

 “ブッダが、妙に案じてるような顔して見てたのが気になる。”

何と言っても慈愛の如来だもの、
苦しそうな人を見れば同情の気持ちも沸くに違いない。
確かに、異様なくらい覚束ない足取りだった人であり、
されど、いよいよ苦しいとなったら棄権すればいいものを、
沿道に人だかりがない辺り、そんな気配もなかったらしく。

 “棄権出来ない理由というのが、もしかして…。”

自分たちも翻弄されかけたそれ、コンビニ強盗の犯人だからだとしたら?
徒歩で逃げていたそのさなか、警察がどんどん手配をしてゆくのを知り、
自業自得ながら追い詰められていた犯人だったが。
そんな事態をよそに、大人数がどっと走っているのを見かけたら?
しかもしかも、どうやってだか参加証みたいな番号札も手に入れたのでと、
素知らぬ顔で紛れ込み、
とりあえず検問から離れてゴール地点まで何とか辿り着き、
そこから改めて別方向へ逃げようという、
魂胆かもしれないじゃあないですか。

 “ぬぁんて大胆不敵なっ!”

いやあの、イエス様?
まだそうと決まった訳じゃあないのだけれども、聞いてます?
この寒さだからか、スタート&ゴール地点の盛況ぶりに比べれば、
沿道に出ている人もさほどの大人数じゃあなくて。
よって自転車での併走もありとされたか、それとも止めようがなかったか。
コース沿いの舗道で渾身の疾走をするイエスだったのへ、
注意しに飛んでくる人もいないまま。
でも確か、交通法の改正で、
自転車は舗道を走っちゃいかんのではなかったか。
この春からだったかな?(よい子は真似しないでね?)
やや傾斜があったところを、どうかすると立ちこぎになりつつ、
よいしょよいしょと頑張れば、

 「あっ!」

夢にまで見た…は 大仰ながら、
今朝方 此処へ来てから、
すぐのこととて離れ離れとなってしまった愛しい君の、
見間違えようのない まろやかな背中が視野へと収まる。
軽やかな歩調に合わせてのそれだろう、
時折 白い吐息をまとわせつつも、
しゃんと伸びた背条首条が凛然と麗しく。
いかにもな上背のある、成年男性のそれでありつつ、
だのに、優しい印象もする大好きな背中。

 “……いやいや いやいや。/////////”

ああ素敵だなぁと あらためて魂抜かれるほど
うっとり見ほれている場合じゃあないし。
そんな彼がちらちらと見やるのが、
すぐ傍らをよろよろと もはや惰性で走り続けているらしき、
身元不詳の怪しい人物で。
汗みずくになっての髪も乱れまくり、
表情も怪しく朦朧としているのが見るからに察せられ。
そこいらにひょいと立っていたらば
怪しい風体だからという壊れっぷりからも、
はたまた安否を気遣われてという方向からでも、
悲鳴を上げられかねないほどの崩れようであり。
そんな彼だからと案じておいでのブッダなのだろうことが、
イエスからすりゃあ歯痒い限り。
だって、

 “その人の傍に居ちゃあ危ないんだってばっ。”

ゴールと折り返し地点との移動中に訊いた話によれば、
コンビニへ押し入った賊とやら、
お金を奪ったその際に、
脅しのためか逃げるためにか
刃物を振り回して店員さんに怪我もさせており。
見やれば腰のバッグから手を放さぬのも怪しい限り。
もしやそこには、ナイフか包丁か、
人を傷つけた凶器が潜ませてあるのやも知れぬ。
そんな身勝手で危険な犯人だというに、
イエスもまっしぐらしている途上の舗道の先、
先程からあちこちに見受けられるお巡りさんが姿を現すと、
そうまでふらふらになっているにも関わらず、

 “ああーーっっ!”

疚しい身なればこその的確な反応、
こそこそっとブッダ様の陰へ身を隠そうとする姑息さが、
いやさ、私の大事な人へ気安く触れるという
世を恐れぬほどの 抜け抜けとした振る舞いが。
このメシア様には これまでまず帯びることがあり得なかったそれ、
目覚ましいほどの憤怒を、
その腹臓へ めきめきと…もとえ沸々と沸き立たせて止まず。

 「ああ、でも…。」

此処ではたと気がついたのが、
この舗道と彼らが駆けている車道の間には、
がっつり頑丈な鋼のガードレールが延々と連なっている。
口惜しいがこれを自転車で飛び越すまでの技能はなし、
せめてありがたいことでも思っておれば空を飛べたかも、
…いやいや、それはそれで大問題だろうし、
じゃあ自転車から降りてから、跨いで越えたとして、
あのペースで走っている彼らには到底追いつけるとも思えない。
何とか追いついて声を掛けるしかないのかな、
でもでも、此処までを頑張って走って来たブッダなのに、
そのせっかくの道程を踏み付けにしていいものだろか。

 “確かマラソンって、
  外の誰かが触れたらそこで失格なんだよね。”

それが声掛けであれ、立ち止まらせる訳にも行かぬ。
何かあったの?と案じたブッダは、
マラソンよりもイエスを優先してくれるだろうから、
それでは何にもならない気がするし。
さりとて飛び掛かってとかいう荒ごとも自分には無理だしと、
徐々に近づくブッダと不審者を射程に入れつつ、
さあて どうしたもんかと
自転車を漕ぎながらぐるぐると考え込んでおれば、

 「…あ、イエスさんだ。」
 「どしたの、ブッダさんの伴走?」

少し前方からの声がした。
いかにも女の子の、可愛らしい声音には聞き覚えがあって。
え?と見やった先に立っていたのは、
日曜だのに部活があったらしい、
制服の上へコートを羽織った姿も愛らしい、
女子高生の……

 「…エミちゃんっ、
  そのラクロスのスティック、今すぐ貸してっ!」

 「ははは、はいっ!」

肩から提げてた大きなドラムバッグに収まり切らぬか、
甘い茶髪のお嬢さんが、手套はめた手で じかに持っていたのが、
先のところの輪っかに網のついた、ホッケーのバーみたいなスティックで。
日頃は物腰も柔らかな彼には珍しく、詳細は語らずの問答無用。
とはいえ、大声を掛けるコツも心得ておいでなところが
さすが、かつて厳しい環境下での宣教活動や、
はたまた荒野で魔王との対峙をこなした御仁だけのことはあり。
腹に力込めての一喝は、なかなかの覇気を孕んで彼女まで届いたようで。
何がどうしたと戸惑う暇間さえなくの即座という反応で、
はいと進行方向へ差し出されたそれを、
僅かにでも止まることなく、疾走しながら がっしと掴み取ったヨシュア様。

 “転ぶだけでいい、いや、離れてくれればいいんだ。”

自転車を走らせながら、ぐるんと器用にスティックを回せば、
その先の網のところに光の玉が宿り始める。
居合わせた顔触れは殆どがランナーたちの快走に注目していたし、
警戒中の警官が二、三人ほど、
あっとこちらを見やったようだが、今はいちいち構ってなぞおれぬ。

 “スプーンじゃなくとも原理は同じ。
  道に迷った子羊よ。
  慈愛の一閃、言霊ショットを食らいなさいっ!”

お髭を蓄えたお顔も精悍に凛々しく冴え渡り、
それは見事なバランスによる鮮やかなフォームは、
武道における鋭い太刀の一閃を思わせる冴えで 見た人々を凌駕して。
大きく振りかぶったスティックは、煽りの呼吸も絶妙で、
ぶんっと目当ての人物へ目がけて振り下ろせば、
その先から一直線に、光の何かが飛んでゆく。

 「え?」
 「あの人、何か投げた?」
 「いやいや、何も飛んでないし。」

人が集まってるところでの危険行動には違いないから
レッドカードものじゃああったがと、
やはり見逃してはもらえぬか、お巡りさんが殺到して来かけたその矢先、

 「わっ、たっ、とっ。」

目標を一人と定めた、特殊な導きの光弾だったので、
目がけられた側は、
避けようもないままに とんっとこちら側だった肩を突かれて、
その場でたたらを踏んでしまう。
間が良い、間が悪いというのはあるもので、
サイズがそもそも窮屈そうだったウエストポーチの留め具が、
どんっと尻餅をついて圧迫された腹にとうとう耐え兼ねたか、
ばつんと弾けて地面へ落下。
それを後続のランナーが蹴り飛ばしてしまい……

 「あっ、わあっ!」

尋常ではない焦りようで、慌ててバッグを追った彼だったが、
複数車線が行き交うほどの道幅はなかった反対側、
そちらは月極め駐車場の金網フェンスが
連なってたところへと引っ掛かったそのまんま、
だらりと下がっての、何とか止まったものの。
ファスナーの金具で引っ掛かったものだから、
重さに引かれてジッパーがあっさりと開き切り……。

 「…え?」
 「何これ?」
 「もしかしてこれって…。」

時折強く吹く北風に撒かれ、
凍るような気温の大気の中を、ふわりはらりと飛び交うわ、
女神の衣か、天女の領布(ひれ)か。
淡いオレンジ色や、紫にピンクが、
風を透かすか、オーガンジーの軽やかさ。
はたまた、セクシーな黒サテンに
シルクのリボンがひらひらまといつく…というよな仕様の、
小さな三角の布が何枚も何枚も、
そのウエストポーツの中から、
たとい手品師の仕込みでも
こうまでの枚数入ってないぞというだけ出るわ出るわ。
しかも、

 「…まさか。」
 「あ、あのパンツ、ママの…。」
 「ななな、なんてことっ!」

沿道にたまたま居合わせた女性陣の中から、
そのような微妙なお声がじわじわと沸き立つに至り。
コース上でも何だ何だと立ち止まるランナーが出るのへは、

 【 緊急事態ですが、マラソンは続行中です。
   ゴールまで走らないと失格ですよ。
   ランナーの皆さん、わき見しないで走って下さいっ。】

係員の方が咄嗟にハンドマイクでそのように呼びかけたので、
ほんの一呼吸ほどしか止まった人は出なんだし、

 「? いえす?」
 「此処はいいから、ブッダも走ってっ!」

さすがに、あれほどの覇気が
すぐ間近の宙を翔ったという気配には気づいたか。
沿道にいたイエスの姿を捉えたブッダがキョトンとしていたのへ、
走って走ってと腕を煽って急がせて。
レース自体はそのまま続行されるようだったけれど……。

 「………でも、あれってもしかして。」

寒中の空を はたたと飛び交うわ、
あでやか可憐なパンティやスキャンティたちに相違なく。
お巡りさんたちから取り押さえられ、
とうとう観念した登録偽装ランナー氏は、
どうやら…コンビニ強盗ではなくて、下着泥棒さんだった模様であり。
いやまあ、悪いことをした人には違いなく、
だからこそ、お巡りさんからこそこそ身を避けてもいたのだろうが。

 「じゃあ、コンビニ強盗はどこ行ったのかな?」
 「ああ、それなら立川駅の構内で捕まったよ。」

こちらはこちらで、自転車に跨がったまま、
何が何やらと、やっぱりキョトンとしていたイエスの独り言へ、
すぐ傍らから答えてくれたお声があって。
え?とそちらを見やったれば、
お巡りさんがにっこり笑って すぐ傍においで。

 「このイベント中は、
  舗道も車両の乗り入れ禁止になってたんだけど。」
 「あ…。」
 「知らないじゃあ済まないよ?」

しかも結構な早さで漕いでたし、
こんなの振り回すなんて危ないことして、と。
お顔こそにっこり笑顔だったものの、
これはそれなりのお叱りが来そうな雲行きであり。

 「ま、とりあえずこっちへ来て下さいね。」
 「…はい。」

身柄確保された下着泥棒さんと同じ扱いではなかったけれど、
それでも路肩に停めてあったパトカーの方へと招かれて、
調書を取るからと言われては似たようなもの。

 “うああ、ブッダのゴールが見れないよぉ。”

それだけが心残りだったイエス様だったそうでございます。







お題 E“久し振りに”




BACK/NEXT


  *ショムジョが今一つ判りませんが、
   恐らくきっと、
   ホッケーやラクロスに似てるんじゃないかなと思いましたので、
   イエス様にはめずらしい、アクション系の活躍をさせてみました。
   でも、せっかくのブッダ様のゴールが見れなかったのは残念でしたね。


めーるふぉーむvv ご感想はこちらへvv

 掲示板&拍手レス bbs ですvv


戻る