人恋しき 秋の深まりに
      〜かぐわしきは 君の…

     



仏門の“仏”とは、悟りを開いた仏陀、すなわち“如来”のことを指すが、
時代が下がると もう少し対象が広がるようで。
如来を目指して修行中の身の菩薩、(観音、文殊、普賢、地蔵など)
仏教の守護である天部、(梵天、帝釈天、弁財天など)
密教に特有の尊格である明王も含まれるとされている。
(如来も、釈迦如来以外にいらっしゃいますしね。)
明王に関しては、
以前、拙作『天穹に蓮華の咲く宵を目指して』でもちらりと触れたが、
密教に於ける最高神“大日如来”の命を受け、
仏教に帰依しない存在を教化する任に就いた仏尊のことで、
つまりは如来や菩薩と同じ格の存在と言え。
力づくでも構わぬとの命を受けているがため、
恐ろしげな表情を構え、筋骨逞しい姿をし、尚且つ、
煩悩や悪意を聖なる仏界へ寄せぬため、聖なる炎で焼き尽くすとされている。
また、彼らの怒りの形相は、
衆生らを畏怖させてでも教化するためと、
仮の快楽や煩悩に身をゆだねる衆生への忿怒の想いの現れと、
仏界の教えを踏みにじる悪に対する護法の怒りなのだそうで。
仏像でも、蓮台ではなく餓鬼を踏み付けているものが見受けられるのは、
そういった調伏の尊格であることを表してのことだそうな。

 *不動明王は、
  釈迦自身が修行中に襲い来た魔王を降魔の印で調伏した折の、
  厳格で激しい内面の覚悟を表したものとする説もあるそうで。
  穏やかで慈愛に満ちた釈迦も、
  魔王調伏に際しては、
  その護法の決意を鬼のような厳しさで固めたのだとしているそうな。





多重に輻輳している世界のその果て、
仏門への敵意を緩めぬ悪鬼の一派を相手に、
何世紀もの永きを戦い続けている師団があった。
ただ屈服せぬというだけではなく
隙を見ては仏界へ魔手を延ばそうとする不埒な悪意さえ持つ存在であり。
清涼高尚にして、荘厳絢爛たる綺羅の世界を穢させぬためにも、
数多くの神将らが腕に自信の尊格を率いてのこと。
一寸でも圧し負かされぬ、微動だにせぬ鉄壁の布陣を護り抜き、
且つ、周縁各地の悪鬼らを日々平らげては調伏せしめ、
片っ端から帰依させて、解脱を目指す輪廻の道へと導き続けておいで。
仏界でも屈指の要衝のうちの一つゆえ、
生え抜きの神将と、明王の内でも、特に、
それが存在理由とまでされておいでの
究極の武闘派である方々が駐在の任にあたっているのだが。
さすがにそこも諸行無常で消耗もなさるため、
それでも随分なスパンではあるが、
交替で仏界へ休息にと戻られることもあり。
考えるより先にその身が動いていての剣を振るい、
強力な念咒を起こしておらねばならぬよな、
それは壮絶で息をもつけぬような連戦激戦から解放されるひとときは、
さしもの猛将らへも、物を考える余裕とやらを取り戻させてくれる。
休息も大事だが、身内知己の顔を見にと故郷や支配地へ直行する方々も多く、

 “…あのお方は、息災でおられるか。”

それは雄々しいお姿をし、武功も数多く
名のある神将様がたからのお覚えも目覚ましい、
こちらの とある明王様もまた、
久々に任を解かれて天界へと戻る途中で、
じわじわと思い起こしたお人があったようで。
それは神々しくも、臈たけた美々しさをたたえたお姿も麗しい、
彼にとっては尊顔を拝するだけで心洗われるような、
そんなそんな特別な如来様であり。
恐らく向こうからはこちらを知りもしなかろう、
何しろそれは多くの信奉者に慕われるお方。
嫋やかで優しく、限りない慈愛に満ちた人なれど、
数多の苦行をその身へそそがれたという盤石の基礎をもお持ちで。
いざ意志を固めれば、
百万の魔王が襲いかかっても一瞬で降伏させてしまえるほどの
強靭な精神力もお持ちの強わものでもあられるというから。
鬼を百万 蹴たぐる自分も、きっとあの方には敵いはしなかろと、
言葉さえ交わしたこともないうちから、そんな“例えば”を思うほど、
実は…憎からずとお慕い申し上げているお人だったりもするし。
あの真珠のような白皙の佳人のためならば、
世界中を敵に回してもかまわないという、
ほぼ煩悩に近い想いさえ浮かび掛かっては
慌てて“おとと…”と反省している日もあったりするほどに。
最初を思い出せないくらいの永きをかけて、
想い続けている存在のこと、
戦場からの帰還と共に、真っ先に思い起こした明王殿だったのだが、

 “………居ない?”

彼の住まいの近辺には、
遠巻きながら常に様々な生き物の気配があったものが。
今はすっかりと閑散としているし、宮自体からも人の気配が薄い。
いやさ、そもそも仏界へと踏み込んだらすぐにも
その高貴で富貴な馨
(かぐわ)しき気配、
どこにおわしてもすぐさま届いたものが、
今はどこにも欠片も感じられないとは如何したこと。
何百年もに渡っての連日連夜という激しき戦闘での疲弊も、
あの方のお姿を一瞬でも拝すれば、あっと言う間に癒されるというに。
一体どうしておいでにならぬかが判らないのが焦燥を生み、
苛々とした揮発性の高いままな身で心当たりを徘徊する。
よもやその御身に何かあったのか、
いやいや、それなら天界がこんなに穏やかなままであろうはずがない。
急な降臨で地上へおわしたか?
いやいや、それだったなら やはり、
経緯を見守り、お帰りを待つ緊張が、
関係する僧院や僧房などに満ち満ちているはずだろうに。
そんな浮足立った様子なぞ一向に見受けられぬ、過ぎるほどの安泰ぶりが、
お前一人だけ事情を知らぬのだとの嘲笑を突き付けられているようで。
他のことならいざ知らず、あのお方のことであるためだろう、
戦場での不覚や失態以上に落ち着けずの、
しまいには何とはなくむかむかと腹まで立って来る始末。
苛立つ気持ちをそれでも何とか押さえつつ、
さりげない風を装って、あちこちへ聞き耳を立てておれば、
少しずつ判ったのが、
やはりあの方はこの天界にはおいでではないという事実であり。


  しかも……


 《 思い切ったことをなさる。》
 《 ほんに、ほんに♪》
 《 天乃国の方々は、基本おおらかだからねぇ。》
 《 でもまあ、あのお方も根をお詰めになる性分だから、
   世紀越えの激務からの息抜きには、丁度良かったのでは。》


  天乃国の何者かとの降臨だ? 息抜きだ?
  そんな馬鹿な話があるものか、
  あの方は この天界の柱だろうに、
  此処にいらっしゃらないなんて あり得ないだろう?


  一体どこにおわすというのだ、我が釈迦如来様は………っ!!




     ◇◇◇



美味しいおやつでお腹もふくれたし、
明日の楽しい予定に気持ちもわくわくと浮かれていて、
胸元もほこほこと それは暖ったか。
窓を斜めによぎって差し込む陽は少し茜色で、
そろそろ夕方に近づきつつある気配を教えていて。

 「さて、じゃあそろそろ。」

夕飯の支度にかかるねと、
ブッダが立ち上がり、キッチンスペースへ向かう。
冷蔵庫の横に吸盤でくっつけたフックがあって、
そこへと提げたエプロンを手にしかかった彼だったが、

 「あ。」

何にか気づいたような声を出し、
卓袱台のところからイエスが“どうしたの?”と首を伸ばせば、

 「うん、今 窓の外を何か飛んでってね。」

駐車場とは反対側の物干し場からの飛来物で、
白っぽいそれは、バスタオルのようでもあってと言う彼なのへ。

 「ありゃ、じゃあ私 見て来るよ。」

ブッダは支度があるんだしと、腰を上げかかったイエスだが、

 「ううん、私が行くよ。」

支度といってもまだ時間はたっぷりあるし、
炊き込みご飯の予定だったので、
ゴボウやニンジン、椎茸などへの下ごしらえでもと思っただけのこと。
ふふと小さく笑ったブッダは、
エプロンを戻すと、そのまま玄関へと向かい。
すぐに戻るという軽い物腰であったのへ、

 “本当に骨惜しみをしない人なんだよね。”

お行儀よく閉じたドアを見やりつつ、
イエスはあらためて、働きものな伴侶の美徳を
ふふーと嬉しそうな笑顔で讃えたのであった。




一応の目串を刺して出て来たものの、
アパートの敷地を取り巻くフェンスに引っ掛かるか、
その向こうのお隣の生け垣へでもかぶさっているかと思ったブツは、
見回したブッダの視界の中のどこにも見当たらずで。

 “あれぇ? おかしいなぁ。”

こっちだと思ったんだけどと、
お顔を向けた その向背から、再びの風がひゅうと吹く。
台風が多かったせいか、今時らしき風にもさほど怯むことはないけれど、

 “………あれ?”

今 吹いたこの風は、何か変だと感じた。
変というか、この地上での縁がない風、
かすかに白檀の香りを孕んだ、
やや厚みのある、存在感のあるそれだと、

  天界は、極楽浄土の風ではないかと

思ったその途端、その身はふわりと浮かび上がっていて。
周辺の情景が目映いばかりの白に弾ける。
思わぬ運びと いきなりの閃光に、
うっと眉をしかめて顔の前へ手をかざし、
反射的に眸を庇ったブッダだったが。
そんな自分を取り巻くように、
静かながらも旋風が忍び寄って来たのへはギョッとして、

 “何奴か…。”

明らかな人為と、素早く気配をまさぐれば、
閃光も今は落ち着いての、だが、
周辺の様相もすっかりと違っているではないかと唖然とする。
松田ハイツのフェンス内にいたはずが、
見慣れたアパートどころか、
周辺にほどよく密集していた家並みもすっかりと消え失せての、
そこは何もない空間だったから。
先程の閃光ほどではない、
むしろ穏やかな明るみの滲む白っぽいそこは、
次界と次界の狭間にあたる亜空間であるらしく。
ささぁと吹き寄せた清かな風が、
桜のような淡い緋色の花びらを撒いて、
彼の身を撫でるように吹き過ぎれば、

 “…これは。”

さっきまで着ていた、
いつもの白地のTシャツとブルージーンズといういで立ちが、
あっと言う間に天界のそれへと入れ替わる。
ただし、柿色の衲衣ではなく、
菩薩らがまとうような条帛
(じょうはく)と裳という格好だったので、
軽やかな更紗仕立てなのが、
肌を大きにさらしているようで何とも落ち着けなかったし、
そんな身と化していたのを見回しておれば、
肩へとぱさりと落ちて背や胸元へとすべり落ちたのが、
螺髪が解けたらしき自身の長い濃色の髪。
どうやら神通力が封じられたようであり。
そうまで迂闊でいたつもりはなかったがと、
警戒するより…はぁあという吐息をつくと
自分の背後においでの誰かをあらためて見澄ますことにする。

 「仏界の方ですね。私に何か御用でしょうか?」

何の断りもなく、いきなりこんな非礼を働いた相手だ、
こちらから歩み寄ってやる必要なぞなかったけれど。
亜空間というのは下手をすると時間の流れも異なる場合があるので、
ついつい焦ったまでのこと。
早く戻らねばイエスに心配させてしまう…と、
それをこそ優先したまでだのに、

 「声が尖っておいでだ。」

何ともトンチンカンなことを返して来た相手は、
ブッダの側には見覚えのないお顔ながら、
装束や覇気の厚みと重さから、明王格の尊とみえて。

 “何なのだろう…。”

天界で何かあったのだろうか。
いや、それならまずはスマホへの連絡があろう。
そんな格好での伝達が適わぬ事態だというならば、
梵天がそれこそ超高速での降臨を構えるはずで。
何にせよ、このように見ず知らずの明王殿が
しかも前触れもなくやって来るなぞと、
さしもの釈迦如来であれ、ちょっと想像が追いつかぬこと。
やや比重が異なる空間なのか、
長いそれが下ろされたブッダの髪が、
ほんの僅かほど宙へと浮いてのゆらゆらとたゆとう。
白い頬やまろやかな肩へもやさしくかかるその髪といい、
どちらかといえば臈たけた印象を強める菩薩の装束といい、
そのような形でこちらを飾り奉ったこの武将の思惑が判らない。
忿怒のお顔はもはや地のそれ、
ブッダへとお怒りという訳でも無さそうだし。
むしろ、優しくたわめられた眼差しからは、
恭しくかしづきたいかのような、そんな覚束ぬ様子さえ感じられるのが、
ブッダの側へも不可解さを招くばかりであり。

 “???”

これがか弱くも打ちひしがれた存在が相手であれば、
安直ではあれ、どうかしましたかと優しく問いかけてもいただろが。
強引にこんなところへ連れ込まれて、どうしましたかもないだろと。
一見、嫋やかで麗しい風貌をなさっているが、
そこは…実は結構頑迷で、
我を折られるよな扱いなどへと一旦へそを曲げると、
そんな相手を見込み直すなんて融通、なかなか利かぬ気性の如来様。
長い睫毛に縁取られた、潤みの強い大きな双眸を、
やや眇めての相手を見据えると、

 「御用がないというのなら、私は帰りますよ?」

白い珠玉から刻み出したかのような、
なめらかにやさしい御手をお顔の前へとかざし、
何かしらの印を結ぼうとするのを見やり、

 「帰る? 何処へです?」

低く響く声で、その明王はわざわざと訊く。
深瑠璃の瞳をますますのこと眇めるブッダなのへ、

 「あなたの居場所は仏界でしょう。」

どんなにその表情が尖ろうと、
神々しいまでにつややかな深色の髪を下ろした、
それは嫋やかに気高い姿の君が居るべきところは、
ごみごみした下界なぞではないはずと。
まるでブッダの冒している誤りを正しに来たとでも言いたげな彼であり。
しかも、

 「あなたほど徳の高いお人が一体何をしているのですか。」

 崇高な身をあのような小さな住まいに置き、
 凡庸な衆生に身をやつして紛れ込んだ この世界で

 「あのように頼りない相手と睦まじくしておられようとは。」
 「……っ。」

滑舌のいい声が、容赦なく断罪するのを、
だが、黙って訊いておれば、

 「恐ろしいものから庇うのみならず、慈母のように甘えさせもし、
  食事の支度に身の回りの世話まで手掛けておいでとか。
  いくら神の御子といえど、そうまで尽くす義理がありますか?
  あなたには何も得るもののない
  このような無為な日々の送りようをなさるなぞ、
  気が知れませんね。」

一体 何が目的なのか。
もしかしてあの方を、仏門へ帰依なさるよう計らうおつもりか?
だとしても、何もあなたが直々になさることではありますまい、と。
時折 風に乗って舞ってはブッダの総身を取り巻く花びらを使い、
どうどうどうと、実のない行いを正さぬブッダを宥めたいらしき明王殿。
慈愛に満ちた身には、威容もそなわっての富貴にも泰然としておられ、
どんな天女でも女神でも足元にも及ばぬほどの、
光り輝く存在であられたというに。
質素な装いに威光もすすけさせ、毎日を単調な奉仕に費やして。

 「例えば、
  頼もしい者へすっかりと凭れて
  安んじていたいとは思わないのですか?」

あなた様はそうあるべきと言わんばかりの武将殿。
そのまま連れ帰るとでも言いたいか、
顔の前へとかざしたままだったブッダの手の、
それは優美な手首のところを、大きな手でぐいと掴みしめたれど。

 「…随分と勝手なことをお言いですね。」

触れられても動じもせぬまま、だが、
武道の要領を心得ておいでなものだろか。
それはあっさりと
相手の頑丈そうな重々しい手を、振り払って外してしまい。

 「ではお訊きしますが、
  あなたは鬼や魔王らとの戦いに疲れて戻ったおり、
  どのように安らぎたいとお思いですか?」

深瑠璃の双眸、半ば伏せる格好の半眼となり、
そうと訊いたブッダであり。

 「例えば私が相手であれば、
  あなたに負けぬ雄々しさで、
  次の戦も励もうぞとその肩を叩いて差し上げますが。」

 「え…?」

ここで初めて、意外そうに眉を震わせた明王殿だったのへ、
ふうと吐息をついて見せ、

 「私は確かに諍うことを嫌っておりますが、
  あなたと同じ仏界の者、
  それが魔王への調伏ならば、心へ護法の怒りも灯しましょう。」

そうと言って、胸元をぐんと張って見せれば、
瀟洒な更紗の衣紋がたちまち、
雄々しき武装の上へと羽織られた、埃よけの羽根飾りのような趣きへと転じる。
それだけ、その下へと覆われていた肢体が 屈強な張りを帯びたからであり。

 「駆けるのに疲れた仔馬のように、
  ただただ気を抜いて守り切ってほしいのならば、
  しっかと守っても差し上げますが?」

 「あ、いや…そうではなくて。」

何だか思っていたのと勝手が違うと感じたか、
浮足立っての戸惑うばかりとなられた武人の彼なのへ、

 「そう。あなたのような勇ましい方々ならば、
  仏界まで戻っての休息には、
  嫋やかでやさしい天女や天人たちの醸すよな、
  柔らかな慈しみに包まれて、静かに休みたく思うものでしょう?」

くすすと口許をほころばせたそのまま、

 「私をそのような優しげな対象だと思うていたなら
  それは大きなお門違いというものですよ。」

やれ可笑しいとくっきり笑って差し上げていたところへ、

 《 ブッダ? 何処にいるのー?》

外の空間からの声がした。
まるで、まだ巣立ち前の仔猫が、でもでも母親恋しやと
寝床から恐る恐る出て来たような覚束ぬ声音であり。
それを苦々しく聞いた武将の明王殿とは全くの反対、
やや棘々しかった表情へ即座に温かな気色を灯すと、
声がした方へとその手をかざしたブッダであり。

 「お話は此処までですよ。」

振り向きもせぬまま、その手をどんどんと延ばしてゆき、
その姿を宙へと溶かし込んでゆく。
ああと再び手を伸ばしたが、間に合いはしないまま、
青みを帯びた深色の髪をたわめかせておいでだった麗しき佳人、
白皙の美貌もて、白い肌を内から輝かせていた慈愛の如来様は、
あっと言う間に元の世界のアパート前へと戻っておいで。

 「呼んだ? イエス。」
 「あ、ブッダvv」

螺髪も服装も元通り、何にもなかったかのように、
ひょこりとイエスの前へと姿を現した彼であり、

 「なかなか帰って来こないんだもの、どうしたのかなって。」
 「おや、そんなに掛かってた?」

それは意外と、双眸を見開いたブッダだったのへ、
ううと言葉に詰まったヨシュア様、

 「いや…ほんの5分ほどだったけどさぁ。////////」

甘えたことを言ってる自覚はあるものか、
それでも案じたものは案じたのと、
福耳の下がる肩口へぽそりと額を乗っければ、

 「……………あ。」

さすがは最聖で、残り香か何かに気づいたらしく。
茨の冠をわざわざ外し、念入りに肩口を嗅いでから、

 「もしかして“お客様”?」
 「うん。でも、もう帰られたよ。」

そんなまでするイエスが何だか愛しくて、
頭を乗っけられた側の手で、よしよしと髪を撫でてやるのだが。

 「もうもう、しっかりしてって言ったばかりなのにぃ。」

天界からの誰かしら。
もしかしてそのまま君を攫ってってたらどうしたのと、
聞く相手が微妙におかしくないかという
微妙な詰りようをするイエスなのが、
ますますと愛しいやら可笑しいやらで。
ついつい くつくつと笑い続けるブッダであり。

 《 …………。》

もうもうと膨れるイエスを促して、
揃ってアパートへ戻るブッダの姿を、未練がましく見やっておれば、

 《 判っただろう? 武の明王よ。》

芯の強そうな声がして、
亜空へと滲み出して来たのは、彼にも頭が上がらぬ梵天の姿。
武将たる明王に負けず劣らずの屈強な肢体に、
実用的な甲冑をまといし天部は、やはり同じアパートを微笑ましく見やると、

 《 シッダールタを、
   ただ嫋やかな仏だと思っていたなら大きな誤解だ。
   あれで百万の魔王を調伏した剛の者だし、
   王子だったころに修めた武術の腕は、全く衰えていないのだからな。》

その気になれば、
神将に交ざって餓鬼らの討伐や夜叉たちの平定にだって向かえる
一端の闘将でもあるのだと、
自分が守護する対象へとんでもない言いようを構えてから。

 《 それにあれを怒らせたな、キミ。》
 《 確かに、侮蔑に値しますね。》

勝手に高貴でゆかしい存在と決めつけられては腹も立とうと、
そこは納得したらしい武将明王に、

 《 そこではないよ。》

いやいやいやと もっともらしくかぶりを振ってから、

 《 メシアを貶めただろう。》
 《 …………え?》

意外なところを指摘するのへ、
どういう冗談かと
そこは実直そうに戸惑いを見せる彼だったが、

 《 神の御子というお立場は伊達ではないのだ。
   ほら、感じ取れないか?》

視線で示したは、結界の外の世界の小さな集合住宅で。
二階の隅の小さな部屋に戻った二人から、
幼子の内緒話のようなくすくすと笑い合う気配がし。
やや気を張ったことが堪えたか、
窓辺に座り込んでいたまま、
ブッダがその懐ろへと凭れて来たのを受け止めたヨシュア様。
間近になった額の白毫へやさしく口づけを落とすと、
こちらの、神将武将である彼らに比すれば頼りない腕を、
それでも翼のように広げて愛しい人の背をくるみ込めば。
そこから発するは、優しくも大いなる覇気の力。

 《 あ…。》

意識してのそれではないようで、
指の長い手で優しい背中を撫でてみたり、
はんなりと微笑って何か話しかけたりと、
もっぱらそちらで癒しているものと、双方ともに思っているようだが、

 《 先の瘴気の騒動では、
   あの規模の負の塊りをたった一人で相殺浄化したという話だし。》

 《 な…っ。》

そうまでの御力を持つメシア、その偉大さは馬鹿には出来ぬし、

 《 これ以上の干渉は、私が許さぬよ。》

あれで十分、休養をとりつつ行楽を楽しんでおいでのお二人だけに、
邪魔をするのは野暮というものと。
こちらも生真面目が過ぎる武将殿の
大きな肩をポンと叩いてやって、
秋空の上、天の仏界へと戻って行かれる。
思わぬ訪問者のせいで、ちょっぴり疲れてしまった釈迦牟尼様だが、
優しい愛しいヨシュア様の覇気に包まれれば、
あっと言う間に癒されましょう。
かさこそと窓の外で躍る落ち葉の囁きも届かぬまま、
静かに寄り添い合うお二人だったのでございます。








お題 D “冷たい唇”



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  *思わぬ来訪者篇でした。
   いつぞやの猩猩じゃあないですが、
   こういう実直素朴な崇拝者も多いと思うのですよ、ブッダ様には。
   そして、イエス様ならともかく、
   それ以外の存在には決して流されないのもまた
   お強いブッダ様ならではということでvv


ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv

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