報告III ジュマ民族
(バングラデシュ旅行記)
ジュマたちの町(2004年5月)
- 少数民族とのふれあい - 中編
翌日、再びマルマ族の集落へ散歩に行く。
仏塔のある小山の麓の寺院の中へ入る。
そこに大勢のマルマの人々がお参りに来ていた。 端っこに座って、人々の様子を眺める。 すると子供のお坊さん達が私のためにわざわざ天井のファンを回してくれる。 子供のお坊さん達が英語を話せる人を連れてくる。 ほんの少し話をした。 話の中で、予想通り困ったことを尋ねられる。 「あなたの宗教は?」 日本人には難しい質問。 特になし....とは答えにくい。とりあえず「仏教」と答える。日本人の多くは(信仰心ナシだが)葬式のとき仏教の僧侶を呼ぶから、全くの『嘘』にはならないだろうと思った。 「そうですか。それならばあちらの建物へどうぞ。」 新しい建物の方へ案内される。 そこでも大勢の人が集まっていた。 大勢が一人の僧侶の方を向いて座っている。 その僧侶はこの寺院で一番偉いらしい。 私はその僧侶に呼ばれる。 僧侶は英語が話せる。そして話をする。どこから来たのかとか何日間滞在するのかなどという『お決まり』の質問から始まる。 そして少々の話をする。 このあと、その僧侶にこの寺院で昼食を食べていくように勧められた。 お言葉に甘えて寺院で、おばさんたちと一緒に昼食を食べた。 ![]() カレーとご飯。 スプーンをだしてもらうが、私もみんなと同じように手で食べる。 ここのおばさんの一人が有名なペゴタ(仏塔)に連れて行ってくれるという。 夕方、そのおばさん(以下、セニョーラ[仮名]という)とその友達(以下、アミギート[仮名]という)と一緒にペゴタへ行く。二人とも英語が話せる。 町から出る。 ベビータクシー(オート3輪タクシー)で十数分くらい走る。 下車して小山を登る。 ペゴタがそびえている。 セニョーラの話では、このペゴタは国一番の大きさを誇っているのだそうだ。 セニョーラはペゴタのところまで登ったら疲れたらしくそこから動かない。 私とアミギートでペゴタを一周。 「Masa、何故バンダルバンに来たの?」 「ジュマ民族のことが知りたいと思って。ベンガル人政府にジュマ民族の伝統や文化が無視されているって知ったから。」 ジュマ民族とはバンダルバンを含むチッタゴン丘陵地帯の先住民族の総称。マルマ族やチャクマ族、ムロン族、ボン族...などがいる。 「バンダルバンに入植してきたベンガル人は本当に悪い奴らなんだ。」 「インターネットで見たんだけど、多くのジュマ民族の人たちがベンガル人の市民や軍隊によって殺傷されたり家を放火されたりしたらしいね。」 「でも元からバンダルバンにいたベンガル人はノープロブレムさ。問題を起こすのは新しくやってきた方のベンガル人だ。」 |
ペゴタのある小山を降り、ベビータクシーに乗る。
次に訪れたところは『ORPHANAGE』。マルマ族の仏教系の孤児院である。 |
セニョーラはこの孤児院を支援している者の一人。
「わたしはね、ここの子供達をみんな自分の子供のように思ってるの。」 とセニョーラは言う。 セニョーラやアミギートの話では、この孤児院は資金が足りなくて非常に困っているそうだ。 もちろん、だからと言って私に寄付を要求なんかしない。マルマの人々はそういう誇り高い人々なのだ。私は、少しだけ寄付をしたいと考えたが結局渡しそびれた。 |
ここの院長はお坊さん。実はこのORPHANAGE(孤児院)の出身だそうだ。 その院長は英語が話せる。またビルマを訪れたことがあるとのこと。 きっと子供の頃ここで一生懸命勉強して偉くなったのだろう。 この孤児院に来ていた別の人にも会って話をした。(ここで働いている人かどうか未確認。) |
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その人は強調して繰り返し言う。
「我々は少数の民族。ベンガル人のされるがままになり、人数で勝てないから何もすることができない。」 |
バンダルバンへ帰る。 ベビータクシーやリキシャが拾えなかったので歩いて帰ることに。 遠くにバンダルバンの町が見えてくる。 選挙の大音響の宣伝がこんなとこまで聞こえてくる。 我々はそれが可笑しくて笑ってしまった。 アミギートは言う。 「選挙でベンガル人はスピーカーを使って自分を目立たせる。我々マルマ人だったらあんなことはしない。スピーカーでは人のハートを動かせないから。」 |
バンダルバンへ到着。
セニョーラがアミギートと私に、夕食をおごってくれる。 マルマ族の集落の食堂へ。マルマ族の食堂には看板など無い。 入る前は民家かと思える建物。 テーブルにつく。 うどんがでてくる。(おそらく米から作られたのだと思う。) 食べる。 うまい! 「おいしいね、これ。なんていう食べ物?」 「モンディーっていうんだ。」 「これとよく似たのビルマで食べたことあるよ。」 「そう?」 「ビルマのモヒンガーっていう食べ物にそっくり。」 公式: "ビルマのモヒンガー" + "にんにく" ≒ "マルマのモンディー" |
食後、アミギートと別れる。
セニョーラは別の大きな家に私を連れて行く。家というよりお屋敷だ。 セニョーラの友達がでてくる。 彼の名はセニョール(仮名)。 おとなしめの感じではあったが、話を続けるたび、どんどん気が合っていく。 夜もかなり遅い時間になる。 セニョーラはここで帰ることになった。 「セニョーラ、きょうはいろいろとどうも有難う。」 「どういたしまして。そうそう、明日チッタゴンへ行く前に、うちにちょっと顔を出していきなさい。お別れはそれからよ。」 「うん。」 セニョールと私は居酒屋へ向かう。 ベンガル人の多くはムスリムであり酒類を飲む習慣は殆ど無いが、マルマは地酒を飲む。 居酒屋も看板など無く、普通の民家っぽい店。 マルマの酒はアラという。米でできた酒。ラム酒にちょっときつい匂いが付いたような感じ。アルコール度数はおそらく40度〜50度のような気がする。 コーラ(バージンコーラ)で割って飲む。おつまみ(?)はチキン&エッグ・スープ。 私はマルマのことが知りたくてたまらない。 セニョールは飲みながらマルマのことをいろいろ話してくれる。 だいぶ飲んだ。飲み代はすべてセニョールのおごりだった。ちょっとふらふらしながらセニョールのお屋敷へ戻る。 「夜、もう遅いから、うちに泊まっていきなよ。」 といわれるが、本当は宿に帰りたい。遠慮はしたのだが結局泊まることに。 夕食をご馳走になる。2度目の夕食だったので実はすでに満腹だった。 |
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