報告III ジュマ民族
(バングラデシュ旅行記)
ジュマたちの町 / バングラデシュ(2004年5月)
- 少数民族とのふれあい - 前編
バングラデシュの山道を進んでゆく。
私を乗せたバスはコックスバザールから少数民族の住むバンダルバンへ向っている。 バスの隣の席の人はベンガル人。ベンガル人はこの国の人口の大部分を占める民族だ。ビデオカメラを手にしているところを見るとかなりのお金持ち。とは言え、やはりベンガル人。気さくな人。我々は雑談をしてバス中の暇な時間を潰す。 ようやくバスがバンダルバンに到着。 バスから降り、そこから宿まではリキシャで行くことになる。 リキシャとの値段の交渉を始める。英語が通じない。数字(金額)でさえも。 そこへ、さっき隣の席だった人が割り込み、値引き交渉を手伝ってくれる。 宿のレセプションでチェックインの手続き。台帳に氏名やパスポート番号などを記入。これで完璧かと思ったところで思わぬことを訊かれた。 「Permission(入域許可)は?」 「Permission? 持ってません。」 しかしその場はそれで何ともなかった。 宿に荷物を置き、町を歩き回る。 メイン通りの商店街はベンガル人たちで賑わう。少数民族の住む地域という感じはしない。 細い道に入り、ムスリムの国・バングラデシュでは珍しい仏塔(ペゴタ)を目指して進む。 途中でビルマ文字の書かれた塀を発見。 - もしかしてこの地域の人々、ビルマ語通じるのでは? - さらに歩くと竹でできた小さな家の建ち並ぶ集落にでる。 そこの人々を見ると我々日本人とよく似た顔を持っている。 - 少数民族だ! - カメラを向ける。嫌がるだろうか。 彼らは嫌な顔をしない。撮影。彼らは微笑む。私も微笑む。 彼らがどんな民族なのか知りたい。 私は自分の胸に手を当てて「ジャパン」と言った。彼らは「ジャパン、ジャパン」と口にする。 胸においた手を彼らの方向に向け「マルマ? チャクマ? ラカイン?」と民族名を並べてみた。 彼らは「マルマ」と答えてくれた。 子供たちが「ジャパン・ガー」「ジャパン・ガー」とはしゃぐ。 「ジャパン・ガー」という言葉、ビルマ語では「日本から」という意味である。 もしかしたらマルマ族の言葉でもそういう意味なのかもしれない。そうだとしたらマルマ族はビルマ人ときっとかなり近い民族だろう。 ![]() また歩き出す。 小山のてっぺんに仏塔がそびえてるのを発見。その小山を登る。 そこで子供たちに囲まれる。 その中に多少英語のできる少年がいた。 また民族名を尋ねる。彼らもマルマ族だった。 その英語のできる少年の話だとこの付近一帯はマルマ・カントリーなのだそうだ。 小山を降りる。 細い道を進む。 マルマの子供たちの写真を撮る。 すると、おばさんに呼び止められる。おばさんに「Sit down」といわれる。 片言の英語が話せるようだ。 私はおばさんの横に腰を掛ける。 私はここの人たちがどの程度ビルマ語が通用するのか試したくなった。それに英語よりもビルマ語のほうが彼らに入り込み易そうな気がした。(誤解のないように。こうは言っても私のビルマ語は片言にも達しないような低レベルである。) おばさんにビルマ語を使って尋ねてみる。 「このあたりはマルマ族がたくさん住んでるの?」 「ええそうよ。」 「(おばさんも)マルマ族なの?」 「わたしはビルマ人よ。」 「おお、ビルマ人とは!」 だからビルマ語が通じたわけか...。 おばさんは汗だくの私の様子を見て、コップ一杯の水を出してくれた。 正直な話、ほんの一瞬、これ生水かも?という不安が頭の中をよぎったが、そんな風に考えるのは失礼だろうと思い直した。 仮に生水だって、その厚意は有難い。感謝の気持ちいっぱいで水をもらう。うまい。 それにしてもバングラデシュの山奥の少数民族の町でビルマ人に出会うとは思わなかった。 |
宿に向かって歩く。
先ほど仏塔の小山に一緒に登ったマルマの少年の一人に再び出会う。 この少年とは言葉は通じない。 少年は"ここに座って待ってて"と簡単な身振りで表現する。 私はちょこんとそこへ腰掛ける。少年どこかへ行きそしてすぐ戻ってきた。 少年はコーラとコップを手にしてる。 コップにコーラを注いで私に渡す。 このあたりの集落の人々、本当に親切。 |
宿に戻る。
宿の主人といっしょに一人の男が私の部屋にやってきた。 男は私の名前を読み上げる。 どうやらお役所の人間らしい。 名前を確認した後、私に質問する。 「Permission(入域許可)は持っているのか?」 「いいえ、持ってません。」 「それでは来てもらう。」 私はホテルから数百メートル離れた事務所に連れて行かれた。 - どうなってしまうのだろう。 - すぐに返してもらえるのか。或いはこのエリアから退域させられてしまうのか。まさか牢屋なんてことはないだろうな...。 ちょっとドキドキしながら事務所の中へ入る。 机に向かって座らされる。 もう一人の男が現れる。一枚の白紙を渡される。 「これから私の言ったとおりにその紙に書きなさい。」 「はい。」 「I am inform that....」 (はっ? informって普通の動詞だからbe動詞のamなんてつかないぞ。) 私は彼の言ったそのままの間違った英語で書き始める。 記載の内容は、パスポートに記載された私の情報と滞在日数などで、最後に「滞在許可をお願いします」ということを書いて終わり。 10分くらいで用が済んだ。 但し、この小さい町の外へ出ることは禁じられた。 彼らの話では、Permissionが必要な訳は、このあたりは非常に治安が悪く危険だからとのこと。 彼らのいうその理由が本当であるかどうかはわからない。バングラデシュ政府の抱える少数民族問題に外国人に触れられるのを嫌がってのことに思えてならない。 このあと少々雑談になった。根は悪い人じゃないようだ。気さくな人だった。 |
宿に一旦帰り、気を取り直して、また商店街を歩く。
シャンバッグが売られている店を発見。シャンバッグとはビルマで広く愛用されている男女兼用のバッグである。 そこで店の主人に話し掛けてみる。 「おじさん、ビルマ人なの?」 「ビルマ人だ。」 - わっ、やっぱり! - 「ビルマ人はこの辺多いの?」 「ああ、多く住んでいる。」 しかし店の主人の口調はちょっと冷たい感じがしたのでそれ以上話はできなかった。 今度はビルマ文字とベンガル文字が併記された店を発見。 この店もシャンバッグを売っていた。 店の女主人に話し掛けてみる。 「ビルマ人ですか?」 「いいえ、わたしはラカイン族よ。あなたはどこから来たの?」
「日本からです。」 「この隣の店の人は日本語話すのよ。」 「え、本当?」 私は隣の店を訪れる。 「こんにちは。」 「こんにちは。」 「わ、本当に、日本語話せるんですね。」 「はい、少し話せます。前はもっと話せましたが、少し忘れてしまいました。」 「でも、日本語お上手ですよ。」 「お兄さんはベンガル語(バングラデシュの公用語)は話せるのですか?」 「いいえ、全く。」 「ハハハ。この前ここに来た日本の方もベンガル語は全然話せませんが、ビルマ語を話せました。それで日本語とビルマ語を半分ずつで話しました。」 「へぇー、そうだったんですか。」 「それから、その前に来た日本の方も同じくベンガル語は話せませんがビルマ語は話せました。お兄さんも同じですね。ここに来る日本人は面白いですね。」 「僕の場合はビルマ語は少しだけですけど。」 我々は日本語で会話を続けた。 ちなみに店の主人はマルマ族。 「ところで隣の店の人ラカイン族ですけど、マルマ族とラカイン族はお互い言葉は通じるんですか?」 「通じますよ。ラカインとマルマの言葉は一緒です。多少違うところもありますけど。」 「そうですかぁ。」 バンダルバンの話をいろいろ聞くことができた。 店の主人より: 「もしバンダルバンに訪れる機会があったら、是非ここにお話しに来てください。日本語の勉強になるのでたくさんの日本人が来るのを大歓迎します。」
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夕方、選挙カー(といってもリキシャにスピーカーを付けたもの)が大音響で選挙活動をしながら商店街を走る。
支持者が列を作って騒ぎながら町を歩く。 ちなみにこの日の2日後が選挙活動最終日だそうで盛り上がり方がすごい。 ちょっと見ただけならば祭りのパレードにも思えてしまう。 ちなみに彼らはベンガル人。 先住民のマルマ族には無関係な選挙のようだ!? 選挙立候補者のポスターを野良ヤギがむしゃむしゃ食べている。 バンダルバンには野良ヤギがいっぱい。 |
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