思い出の写真から
〜 アジア編 〜



2001年夏 ミャンマー(ビルマ)


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お坊さんとパゴタの国・ミャンマー。

そして、
『アウンサン・スーチー女史』と『ビルマの竪琴』
で有名な国・ミャンマー。

ミャンマーを訪れたのはこれで4度目。
↑マヌーハ寺院 in Bagan。
ミャンマーでは『一休さん』のような
可愛いお坊さんたちをよく見かける。

バガンの子供たちは人懐っこくて可愛いが、外国人にお寺の中を案内してガイド料をもらおうとする子が多い。

しかし、写真撮影料を欲しがる子供たちが少ないところなど、まだ捨てたもんじゃないと思える。




バガンにはたくさんのパゴタ(仏塔・寺院/パヤー)が点在している。

その中で『日の出』と『日の入り』が最も美しく見える寺院は
シュエサンドー・パヤー(パゴタ)であると地元の人たちは言う。

しかし『日の入り』は観光客がどっと押し寄せるので落ち着けない。

できれば早起きして『日の出』を見る方が良い。
その『日の出』の美しさを、他の観光客の群集に邪魔されずゆっくり眺めることができたら、『3文以上のトク』であると思う。

しかし、今回は日の出は見なかった。

↑シュエサンドー・パヤーから眺めた風景。
遠く左隅に見える寺院は、
地元の人に最も人気のあるアーナンダー寺院

この美しい眺めは見ていて飽きない。











  〜 バガンの隣町・ニャンウー 〜

ここのゼー(マーケット)を歩き回るのは面白い。

しかし、早朝と夕方のほかでは、閉まっている店が多い。
日中は暑さが厳しく客が少ないからだろう。
(オンシーズンだったら外国人がたくさん訪れるので日中も営業する店が多い。)



朝、ゼー(マーケット)へ散歩に行った。

「I remember you!」と声をかけられた。

そこには懐かしい顔があった。

私が前の年、ここを訪れたのを覚えていてくれたようだ。


ミャンマー人は本当に記憶力がいい。
私の場合は写真を持っているから知り合った人々の顔を記憶しているわけだが、彼らは前回ほんのちょっと話をしただけなのに一年ぶりに来た私を覚えていてくれる。

ヤンゴン、マンダレー、バガン、ニャンウー、ヘーホー、インレーに私を覚えていてくれた人はたくさんいた。

とても嬉しい!
↑ニャンウーのゼー。
私のことを覚えていてくれた。

こんなにも私のことを覚えていてくれるんだったら、翌年もまた戻って来たい。









  〜 インレー湖の町・ニャウンシュエ 〜

ミャンマーのお坊さんは圧倒的に男性が多いが、女性のお坊さんもたまにに見かける。

↑女性の僧侶たち in Nyaung Shwe。

「写真を撮ってもいいですか?」
と尋ねると、親切な女性のお坊さんたちはOKしてくれた。

しかし、カメラを向けると恥ずかしがって目線を外すのであった。








ニャウンシュエから川沿いに湖方面に散歩していくと、突然、巨大な仏像が出現する。
ミャンマーの仏像って愛嬌があってカワイイ。

これだって立派な仏像である。
カワイイけど。

これらの仏像に、ミャンマー人の愛くるしく優しい性格がよく浮き出されていると思う。







宿泊していたホテルで知り合った韓国人の美貞と夕食を取ることになった。

彼女は英語がペラペラでカッコ良かった。

一緒に行ったレストランは『FOUR SISTERS』。
地元の料理が食べられるレストランである。
料理に定価がなく、満足した分だけ払ばよい。


下の写真のように音楽を演奏してくれることもある。

ただ、料理にどのくらい支払うべきか頭を痛める。






ニャウンシュエの観光の目玉は、インレー湖のボート観光と、近くの山へのトレッキング。

この日はドイツ人・ユタとアメリカ人・スティーブと私の3人でボートをチャーターしてインレー湖めぐりをした。

浮島の畑や織物工場、鍛冶工場などを見物した。

↑インレー湖内の島の織物工場のおばあさん。

工場では、人々が皆一生懸命働いていた。

そこを我々観光客がゾロゾロやってくる。

ここの人たちはどんな気持ちで働いているのだろうか。





湖内に『ジャンピング・キャット』で有名なお寺がある。

そこに到着すると、ひとりのお坊さんがこっちにやって来た。
「去年ここに来たよね。 覚えているよ。」

こんなところにまで、私を覚えていてくれた人がいたのには感激した。

↑ときどきこんな沈みかけたボートを見かける。
大丈夫だろうか?

インレー湖の周辺に住んでいる民族は、
ビルマ(バーマ)族の他には、インダー族、パッオゥ族、トンユー族がいる。

これらボートをうまく操っているのはインダー族である。

湖の東岸にはパッオゥ族、
西岸にはトンユー族が住んでいる。







ボートでの湖内廻りの次の日は、美貞とコッパとでトンユー族の村へサイクリングに行った。

コッパとは、我々のホテル専属のトレッキングのガイドで、
前日は美貞のガイドをしていたのである。

コッパはこの日は仕事がないからと、無料でサイクリングのガイドを名乗り出てくれたのであった。

サイクリングの途中の田舎の長閑な景色は素晴らしかった。



この日、トンユー族のひとつの村で定期市が開かれていた。

ここで偶然スティーブと遭い、我々は合流した。

スティーブのTシャツには日本語で『ウルトラマン セブン』と書かれている。
タイで買ったとのこと。
『ウルトラ セブン』ではなく『ウルトラマン セブン』であるところが面白い。



ゼー(マーケット)の端にギャンブル屋があった。

↑ゼーのギャンブル屋。
目が真剣な人もいた。

スティーブも美貞もギャンブルに参加したので、
日本では決してギャンブルをしない私も参加することにした。

まず100チャットを出資するとそれが当たって200チャットとなって戻ってきた。

次に、その200チャットを出資するとまた当たって400チャットになった。

でも本当は、外人の私には400チャットはそれほどの金額ではないので、地元の人が当たればよかったのにと思った。

2連勝で辞めておいた。

これ以上勝ったら、村人たちに申し訳ない。





ゼー(マーケット)の開かれたこの村は、お菓子作りが盛んに行われていた。

米や豆から甘いお菓子を作るのである。

お菓子を作っているところを見せてもらったり、お菓子をちょっと食べさせてもらったりした。

とても美味かった。


↑お菓子作り。

上の写真の家では二人の美人姉妹がお菓子を作っていた。
彼女たちは、7人姉妹で男兄弟が一人もいないのだそうだ。



田舎の家々を訪ねるのは、とても面白い。

しかし外国人観光客の多いニャウンシュエをはなれると、英語が殆ど通じなくなる。

私はミャンマー語をほんの少し勉強してきたが、殆ど役に立たないレベルであり、このサイクリングでは殆どコッパの通訳に頼りっぱなしだった。

こんど来るときはミャンマー語をレベルアップして来ようと思った。




帰り際、温泉にも寄っていった。

湯はあまりキレイではなかった。

水泳パンツを用意していなかったので、初めから湯につかろうとは思っていなかった。

でも4人みんなで足だけ浸かった。





自転車でどんどん帰路を進むと、水牛が水溜りで水浴びをする姿が見えた。

私にはそののんびりした光景がとても印象深かった。








ホテルのあるニャウンシュエに戻ってきた。

無料でトンユー族の住む地域を案内してくれたコッパにお礼を言った。






この日の夕方、このニャウンシュエで祭りが行われることになっていた。
祭りは、確か5時半開始だった。 

村の人たちは、その時間まで楽器演奏や踊りの練習をしていた。

その練習の光景を眺めていたら、踊りの練習に加わるようにと誘ってもらった。


↑踊りの練習をする陽気なミャンマー人たち

私も練習に参加させてもらったが、ちょっと見ただけではあまり上手く真似できなかった。






祭りが始まるまでホテルに戻ってちょっと一休みすることにした。


このホテルに、様々な国からやって来た旅行者が10人くらい宿泊していた。
皆、フレンドリーな人たちだった。

ホテルの2階では、暇なときは皆で集まってお茶会or飲み会になる。

このときも、私がホテルに戻ってくると、何人かでお茶会が行われていた。

私もそれに混じった。

すると、一人のオランダ人女性が私に
「見たわよ。 さっき、踊りの練習してたわね。」
と言ってきた。
− ゲッ 見られたのか、恥ずかしい。 −
「まぁ、踊り、嫌いじゃないからね。」


彼女はいろいろと私にミャンマーのことについて尋ねてきた。
私の知っている限りの話はした。

でも、彼女はなぜ"ミャンマーについて"の質問ばかりを私にしてくるのだろうと疑問に思っていた。

そのわけは、後でわかった。

彼女は私のことをずっとミャンマー人だと思い込んでいたのだった。
(たぶん、仕事をサボって外国人たちのお茶会に参加してくる不真面目なホテルの従業員だと思っていたのだろう。)
ミャンマーのことは、"ミャンマー人の私"が詳しいに決まっていると思ったらしい。






祭りの始まる時間が近づいてきたので、私は外に出た。



大勢の人がパレードを見るために道を囲むように集まってきた。

そして祭りは始まった。


私もパレードを見物していると、私の知り合い(ミャンマー人)が私を見つけ、パレードに参加するように言ってくれた。

ちょっと恥ずかしかったが、御輿のようなものを(担ぐというより)手に少しだけ持たせてもらった。






次の日・・・
コッパのガイドでパッオゥ族の住む地域へトレッキングに出かける日であった。
(今回はこちらからガイドを申し込んだのでもちろん有料。)



↑トレッキング・ガイドのコッパさん

山を登ると、インレー湖や周辺の村の美しい景色が眺められた。




山頂には大きな僧院があった。


たくさんのチビッコ坊さんがいた。

そこの囲炉裏を貸してもらって、昼飯を食べた。



じゅうぶん休憩を取ったあと、再び出発した。



↑パッオゥ族の子供

途中で多くのパッオゥ族の人々とすれ違った。
畑仕事をする男の人たち、家の庭に出ている女の人たち、元気な子供たち...。

小さい集落を訪れるのは楽しい。


パッオゥ族のおばさん。
パッオゥ族はこのおばさんのように
頭にはターバンを巻き黒っぽい服を着ている。

山を下った。

帰りは、ボートに乗ってニャウンシュエに向かう。


↑インダー族特有の漕ぎ方である。
通常は左足を軸として片足立ちになり右足で漕ぐ。
(しかし、足が逆になっているのも見かけた。)
この日は疲れた。






次の朝、早く起きた。

この日、ニャウンシュエを出発する日だった。


知り合いになった地元の人たちに別れを告げるために、朝の散歩に出かけた。


− こんな早い時間に、みんな起きているだろうか。−


おじいさんが庭でホウキがけをしていた。
この前、私にお茶を入れてくれたおじいさんだった。

「きょうヤンゴンへ行くんだ。(この前はアリガトウ。)」


ほかにも何人か知っている人に会えた。

朝ごはんをご馳走してもらった。



「みなさん、ありがとう。 また来るね。」

ニャウンシュエを出発し、ヤンゴンへ向かった。






ヤンゴン着。
今回初のヤンゴン宿泊。

ホテルは去年泊まったホテル。
ホテルのスタッフは私を見るなり
「I remember you!」。

私って、実はミャンマー人に覚えやすい顔なのかもしれない。





ホテルに荷物を置いて、ヤンゴンで最も立派であろうと思われるパゴタ(寺院)である『シュウェダゴン・パヤー』へ向かった。

↑シュエダゴン・パヤー
『シュウェダゴン・パヤー』の入場料はUS$5.00。
US$5.00といえば、ミャンマーではかなりの高額である。
しかしミャンマー人は入場料は無料であった。


『シュウェッタゴン・パヤー』に入っていった。
普通ならば入り口で、外国人は入場料を払うように呼び止められるのだが、私は呼び止めてもらえなかった。

結局『シュウェッタゴン・パヤー』の入場料を払い損ねた。
(日本人だということに気づいて欲しかった。)

実は私は今まで多くに人に『ミャンマー人に似ている』とか『ミャンマー人ですよね?』とか言われ続けているのである。

↑シュエダゴン・パヤー内

大勢のミャンマー人が仏像にお祈りしている。


パゴタ(寺院)の中は神聖な場所である。
靴やサンダルなどは履いていてはいけない。
しかし、パゴタ(寺院)の中で、ゴロ寝したり弁当を食べたりすることは許されているらしい。

私も寝そべってみた。
すると注意されてしまった。

寝そべる向きが違っていたらしい。
寝そべるときは、頭と足の向きを寝釈迦と同じにして寝るのが普通らしい。






↑ヤンゴン市内。
大勢の人が道端でお茶をしている。


↑ヤンゴン市内。
遠くに見えるのは『スーレー・パヤー』

この日ヤンゴンのホテルで1泊。




帰国の日の朝になってしまった。

さて、荷物をまとめて空港へ行かなくてはならない。
ホテルをチェックアウトした。


ヤンゴンを飛び立って日本へ向かった。





「2001年夏 ミャンマー」 おわり  


《注》 翌年、上記「トンユー族」の村へ再訪した。
    話を聞くと、その村は「トンユー族」ではなく
    本当は「インダー族」の村であった。
    どこで話を間違えたのかわからないが、
    「トンユー族」というのは勘違いであった。
    ちなみに「トンユー族」の村はそこから徒歩で
    山を越えなくてはならない場所にあるらしい。



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(アジア編)
* 1998/9年冬 フィリピン
* 2001/2年冬 ラオス



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