思い出の写真から
〜  アジア編  〜



2001〜2年冬 ラオス






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タイ・バンコクからラオス・ヴィエンチャンへ向かう飛行機の中で
ラオスに着いたら何処を周ろうかと考えていた。

『地球の歩き方』と『Lonely Planet』の2冊を必死に見比べた。

結局、旅に出る前に予定していたルアンパバーン(ルアンパプラーン)を取りやめにして、少数山岳民族の多いルアンナムタ方面に行くことを決意した。




ヴィエンチャンの空港に到着。

査証を取得していないので、空港でを手続きをしなくてはならない。 長蛇の列に並ばなくてはならないのである。
初めに申請の列へ。
次にパスポート返却の列へ。
パスポートは申請順に返却される。 

しかし、順番が過ぎているのに返却してもらえない欧米人系旅行者がいた。
その欧米人系旅行者が窓口に問い合わせに行った。
すると、窓口の人は「順番だ! それとも殺されたいのか!」と怒鳴った。

順番を抜かされたから問い合わせをしただけなのに。

 − この国は、簡単に「殺す」という単語が
         お役所から飛び出す国なんだな −

入国早々のこの国の嫌な光景...。



国際空港のイミグレ&税関を出て即行で向かったのが、隣にある国内線空港だった。
チケットオフィスに行き、ルアンナムタまでのチケットを買った。
残念ながら当日のフライトは無かったので、翌日のフライトになった。
(ちなみに帰りのチケットは売ってもらえなかった。)

首都ヴィエンチャンに足止めになってしまったので、この日は市内観光をすることになった。




ホテルの近くのナンプ広場を抜けてメコン川の川岸へとやってきた。
これが私にとっての初メコンである。
生まれて初めて海外へ出たときの旅行から、あと1ヶ月半で10年になる。
初めの頃は旅の行き先がラテンアメリカ中心だったため、メコンを訪れるまでに、かなり時間がかかってしまったようだ。


 − さて、じっくりメコンを眺めるのは夕方になってから。
           明るいうちに市内観光を済ませよう! −

その場から後ろを振り返ると、そこにはワット・シエンヌン(Wat Xieng Nyeun/寺院)。
その中を見物させてもらうことに。

↑ワット・シエンヌン(Wat Xieng Nyeun)寺院
この寺院には日本好きのお坊さんがいた。




そのあと、ガイドブックに載っているいくつかの寺院や仏塔を訪れた。





それにしても、ヴィエンチャンは田舎である。
道を行く人の数・車の数が少ない。
まったく首都には思えない。(もちろん首都が必ずしもその国で最も都会であるというわけではないが。)
エクアドルの首都キト、ミャンマーの首都ヤンゴンよりはもちろん、ニカラグアの首都マナグアより遥かに田舎である。

ヴィエンチャンは、日本でいえば「市」でも「町」でもなく「村」に当てはまる...そんな風に思えた。


↑ヴィエンチャンの街並み
ワット・ホー・パケオ寺院付近。


夕方までに市内観光を終わらせようと思い、歩くペースを早める。
次はタラート・サオ(市場)へ向かう。


タラート・サオの周辺には多くの人・多くの車が集まっていた。
ココだけは「都市」らしかった。 先程の「村」発言は撤回である。


タラート・サオを見終わるといよいよヴィエンチャンの屈指の観光ポイントであるパトゥーサイ(凱旋門)へ向かう。

 − あっ、あれは! −

遠くにパトゥーサイが見えた。

それほど大きいものではないが、ワクワクして歩くスピードを更に速めた。

そしてやっと到着。


入り口は小さくてみすぼらしかった。
でも、そんなところがいいのだ。
立派で派手になったらラオスらしくないと思う。


↑パトゥーサイ

さっそくパトゥーサイに登り始めた。

パトゥーサイの中で日本人の女の子がラオス人の僧侶にナンパされているのが見えた。
 − 日本人の女性ってもてるんだなぁ。 −
 − それからラオスの僧侶ってスケベなんだなぁ。 −

最上階に登りついた。
たいした高さではないだろうと思っていたが、
上から見ると「結構、登ったもんだなぁ」という感じがした。



さて、次の行き先はタートルアン(仏塔)である。

金ピカな仏塔である。
...思ってたより小さい。
それでも、ヴィエンチャンではメインの観光ポイントのひとつである。


↑タートルアン


市の中心地に戻り、近場の寺院を歩き回った。

この日、半日がかりで市内の歩いていける観光ポイントをまわったが、これといってスゴイものがあるわけでなかった。

でもそんなところがいいと思った。

ラオス政府にはこのまま、あまり観光に力を入れて欲しくない。
観光化され過ぎてしまったら、もう来れなくなってしまうから。



だんだんと日が沈みかかったところで、メコン川沿いを散歩した。


メコン川沿いに屋台が並んでいる。
メコンの風景が綺麗に見える場所を選んでココ・ジュースを注文した。

メコンの風景なんて普通の川のものと変わりない筈なのに、ボーっと眺めるだけで「ああ、ラオスに来たんだな。」と実感できるのが不思議だった。




この日は久々にあちこち早足で歩き回ったので足が疲れた。
初日から飛ばし過ぎたかもしれないと思った。
でも、旅行による足の疲労はちょっと気持ちが良かった。

− 明日は筋肉痛かも...。 −
そのとき『地球の歩き方』に載っているマッサージ店に目が行った。
− 明日に備えて、マッサージでもしてもらおうか。 −

マッサージ店(KAO YOT)に足が向かった。

店の中に入ると、日本人がいた。
彼はそこの店の経営者だった。
ラオスで働いている日本人に会えるとは思わなかった。

マッサージを受けた後にいろいろなラオスの面白い話を聞くことができた。


空はすっかり暗くなった。


『メコン沿いのレストラン街は結構遅くまで(といっても12時くらいまで)賑やかに営業している』との話を、先程の日本人から聞いたので、そこで夕食をとることにした。




「日本人ですか?」

食事が終わり、Beer Lao(ビール)を飲んでいるところへ、日本人の女性が話し掛けてきた。
彼女はラオスを北部から南下してきたそうである。

私はテーブルを彼女のところに移させてもらって、いろいろラオスの貴重な情報や体験を話してもらった。

ちなみに彼女の一番のオススメの地はバンビエンとのことである。
バンビエンでタイヤのチューブの浮き輪に乗ってメコン川に揺られていたのがラオスで一番楽しかったとのこと。



また、彼女から、ヴィエンチャンのお坊さんは日本人女性を見るとすぐナンパしてくるという話を聞いた。

− そういえば、きょうパトゥーサイで日本人の女の子が
                 お坊さんにナンパされていたなぁ。 −

以前、北部の町フェイサイで日本人女性が地元の人にナンパされて家に招かれたところ、睡眠薬強盗の被害にあったという事件が実際にあったそうだ。

男の一人旅は気楽だが、女性の一人旅は大変なようで気の毒に思う。


さらに彼女から貴重な情報をもらった。

最低限ラオス語の数字はマスターすべきだとのことだった。
このあと、英語通用度の極めて低いこの国の田舎で、彼女のアドバイスは非常に役に立った。


この日は大晦日だった。
『大晦日に一人ぼっちでビールを飲むのを免れてほっとした』というのがお互いの言葉だった。



− ラオス 一日目 おわり −








朝、空港に向かった。
日本人の団体ツアーの多さに驚かされた。
(もちろん団体ツアーは日本人だけではないが。)

団体ツアーの人々でも、ここラオスでは気軽に話しやすい。
 「へぇー、一人で旅行してるんですか。」
 「若い人はいいですねー。」
 「最近よく聞くバックパッカーですか。」
などと言われた。

彼らの殆どは、『世界遺産』に登録されているルアンパバーン(ルアンパプラーン)を訪れるのがラオス旅行の目的らしい。


 −私がその人達くらいの年になったら、
       どんな旅行をしているのだろう? −


ラオスの国内線はやはり時間通りには運航していなかった。
数時間遅れてやっと搭乗できた。
飛行機は、外務省から『注意喚起』のでている中国製のプロペラ機だった。


    


行き先はルアンナムタ。
飛行機の中でガイドブックを開いた。

− ムアンシンって、ルアンナムタから近いんだ。 −
− ルアンナムタに着いたらムアンシンへ行こう。 −

今回の旅行の目的地を少数山岳民族の集まるムアンシンに絞った。


ルアンナムタの空港に到着。

空港に、一人の日本人女性がいた。
私の乗ってきた飛行機に乗って(すなわち私と入れ違いに)ヴィエンチャンへ戻るところであった。

「どこを周ってきたんですか?」
「ルアンナムタとムアンシン。」
「これからムアンシンへ行くところなんですが、どうでした?」
「アタシには、肌に合わなかったです。」
「・・・・。 あ、そうでしたか....。」
「すいませんでした。」
「これからムアンシンに向かう人に
              こんなこと言っちゃって。」
「え、いいえ...。」


嫌な話を耳にしてしまったが、旅の印象は人それぞれなんだと自分に言い聞かせた。
− 俺には楽しい所かもしれないんだ。 −

さて、ムアンシンでは帰りのチケットが入手できそうもないので、
そこへ行く前に入手しておかなくてはならない。
− どこで買えばいいのだろうか。 −
とりあえず、空港職員に聞きまくったが、知ってる人がいなかった。

「エアーチケット、エアーチケット」と騒いでみた。
するとひとりのおじさんが「こっちだ」と私を案内してくれた。

空港の建物からバスターミナル(?)を挟んで合い向かいの建物に連れてってもらった。
そこがチケット販売の代理店だ。
そして、無事に帰りのチケットを入手することができた。
(実は、オンシーズンなので空席がなかったらどうしようと不安だった。)



荷物を受取ったあと、空港からムアンシン行きのバスターミナルまで乗合バスで行った。

ムアンシン行きのバスは午後2時発。
出発までまだ1時間以上もあったので、昼食をとることにした。

食堂に行って、ウドンを注文した。
日本の味付けに近いものがあって美味い。
海外では、"食べ物"に関してホームシック的な感情が発生してしまうこともあるが、ここラオスではそんな感情など無縁に思えた。



ムアンシン行きのマイクロバスは乗客でギュウギュウ詰めだった。
外人は私のみ。
ルアンナムタ=ムアンシン間は2時間とガイドブックには書かれていた。
しかし、実際は3時間もかかってしまった。



 〜ムアンシンへ到着〜



早速ホテル探しだ。


歩いて探し回ろうと思ったところ、変わった衣装を着たオバちゃんが寄って来た。

- オバちゃんの衣装、何族のものだろうか。 -
(後でわかったのだがアカ族の衣装だった。)

オバちゃんは「カチャ カチャ カチャ」と言ってきた。

- きっと外人の私に民芸品でも売りに来たんだろう。 -

オバちゃんをを無視して歩き続けた。

ラオス語わからないから「カチャ」なんて言われても困るし。

オバちゃんは籠の中を開いて私に見せた。
中には細かい葉っぱが入っていた。


 - ん? オバちゃんの籠の中身...
    この葉っぱ、イリーガルなものに違いない。 -
 - オバちゃんは「カチャ」と言ったのではなくて
        「ガンジャ」と言っていたのかもしれない! -

私は「葉っぱ」類には興味ないので、
「NO」と言って、オバちゃんを振り切って歩き続けた。


その後まもなく、一人の日本人を見かけた。
その人(Tさん)が泊まっているホテルに泊まることにした。


日本人の溜まり場宿に泊まったのは久々だった。

たまに日本人溜まり場宿に泊まるのは面白い。


Tさんの話では、この小さい村に日本人溜まり場宿が2件あるとのことだった。
我々のホテルはそのうちの一つで『セングサバン』という。

各部屋に水シャワーがある。 親切なホテルのおばちゃんは湯を入れたポットをたくさん用意してくれている。 このポットの湯は、寒いムアンシンでは大いに助かる。

ちなみにこのホテルで英語ができる人はいない。


↑セングサバン

ムアンシンへ到着したのは夕方だったので、あたりは薄暗くなり始めていた。



夕食の前に辺りを散歩してみた。

すると、ひとりの日本人が声をかけてきた。

「こんにちは。」
「こんにちは。」
「以前、会ったことありません?」
「?」
「一昨年の8月、へーホー(in Myanmar)で会いませんでしたか?」

「・・・・・・

 − 一昨年の8月...。 −
 − 今まで4回ミャンマーに行ったことあるけど。 −
 − 一昨年の8月にもミャンマーに行ってたなぁ。 −
 − 確かにへーホーにも行ってた。 −
 − うーん、そう言えば...。 −
 − うっすらと記憶にある顔のひとだなぁ。 −
 − でもへーホーだったかな? −
 − その状況を思い出せない。 −
 − でもそのときそこへ行ったのは間違えない。 −

      ・・・・・。」

「はい。確かに一昨年の8月へ−ホーに行きました。」
「ん言われてみれば...なんとなく覚えていますよ。」
「こんなところで再会するとは。」
「すごい偶然ですね。」
「ホントに。 こんなこともあるんですね!」
「海外でであった人に、違う国で会うなんて初めてですよ!」
「僕も!」


旅行中、ある国で出会った人と別の国でまたバッタリ会うという話はよくあるけど、私にとってはこれが初めてだった。

...いや、よく考えたら、初めてではない。
1992年、メキシコのペンション・アミーゴ(日本人溜まり場宿)で会った人にグアテマラで5人も会った。
でもそのときはメキシコとグアテマラは同じ時期の旅行であって(すなわち1回の旅であって)、今回のように全く別の旅で出会ったのは初めてである。

1年半ぶりだったのに覚えていてくれてとても嬉しい。
こちらの方は、あいまいな記憶で申し訳ない...。
− うーん、でもへーホーだったかなぁ。 
   会ったのはニャンウー(の空港)だったような気もする。 −




散歩を終えて、ホテルへ戻った。



私と、同じホテルに泊まっている3人と、別のホテルに泊まっている1人と(合計5人の日本人)で夕食に行った。

旅先で大勢の人と旅を語りながらの食事は楽しかった。


きょうムアンシンに着いたばかりの私は、ムアンシンの情報をその場で集めた。

 Tさん:
ホテル『セングサバン』を紹介してくれた人。 タイ語ができるので、このホテルの人とかなりコミュニケーションがとれる。ラオスは初めてではなく、ラオスの情報をいろいろ持っている。アカ族の集落をメインに周るムアンシン北東部のサイクリング&トレッキングのルート・コースを説明してくれた。
 ●さん:
我々とは別のホテルに宿泊。この辺りのヌシのような風格を持っている。Tさん同様、ラオスの情報をいろいろ持っており、サイクリング&トレッキングのルート・コースを説明してくれた。
 Nさん:
私が明日行こうとするコースをきょう周ってきたばかり。
Nさん曰く、「ガタガタ道をチャリで周るとケツが痛くなるからやめた方がいい」とのこと。(− そういうことを言われると迷ってしまう。 −)
 Aさん:
この中で唯一の女性。私と同様きょうムアンシンに着いたばかりである。ここに来る前は雲南省を旅してきたとのこと。




食事が終わる頃、遠くから音楽が聞こえてきた。
  − きょうは元旦だからお祭りでもあるのかな。 −
皆で音楽の聞こえる方へ行ってみることになった。

その音楽は野外コンサートのものだった。





我々は入場料を払って、会場の中に入る。

そのコンサートは歌・踊り・喜劇で構成されている。
しかし歌も踊りも大したことない。
さらに喜劇は言葉の解らない我々には面白くない。

ちょっと退屈に感じ始めた。



ステージでの女性歌手が続いている。 たくさんのファンから『花輪』が渡されている。

うしろ(会場の出入口)を振り返ってみると、その『花輪』が売られている。
そこで花輪を買っているNさんの姿を発見。

 − なんと、さすが行動派のNさん! −


Nさんは「あの歌手に花輪を渡す」と言い残し、ステージの方へと向かい、そのまま群衆の中へと消えてった。

30分くらいした後、Nさんが『花輪』を持ったまま戻ってきた。 
残念ながら、『花輪』を渡すタイミングを失ったらしい。
...残念なNさん。


さらに、いろいろな歌手の歌やダンスが続いている。



再びうしろを振り返えると、またNさんの姿。

歌手に渡しそびれた『花輪』を小さい子供の首にかけているのである。
その子は大喜び。

その子はお礼にキャンディーをNさんに渡した。 ついでに(何もしてない)私たちにまでキャンディーをくれた。
子供たちの気遣いがとても嬉しかった。



コンサートは続いていたが、寒くなったので我々は帰ることにした。


ホテルに帰ってきた。

当然、電気はついていない。
ムアンシンでは電気供給時間は午後6時から午後9時までである。

ホテルの人は、階段や廊下にろうそくを置いてくれていた。

我々はろうそくの灯で少しお茶をして、そのあとそれぞれの部屋に戻り1日を終えた。



− ラオス 二日目 おわり −




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(アジア編)
* 2001年春 ミャンマー
* 1998/9年冬 フィリピン


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