思い出の写真から
〜 アジア編 〜



1998/9年冬 フィリピン



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 〜 フィリピン・ルソン島東南部のビコール地方 〜

観光客らしき人は私以外見当たらなかった。


ビコール地方への第一歩は、レガスピからだった。

大きな都市だった。


都会は人々がドライなだけにあまり面白みが少ない。



フィリピンはスペインの影響を受けていると思われ、
ラテンアメリカ同様、町の中心部に立派な教会が建っている。






年末年始は雨季である。

レガスピは雨が降ったりやんだり。
雨はときどき滝のような大雨になった。

本来、ここは遠くに写るマヨン火山の眺めが素晴らしいところの筈だが、山には雲がかかりその美しさを見ることができなかった。







大都会を離れて、小さな町・イリガへ。


↑イリガの中央公園の入り口には
日本風の鳥居があった。

この町には日本人が一人住んでいて、
レストランを経営しているのだそうだ。

イリガの中央公園は面白い公園だった。

チリの小さな町・ラ=セレナを思い出させる町の雰囲気だった。

小さい丘を登ると町が見渡せた。

遠くにはイリガ山が綺麗に見える。


観光で来るなら、レガスピよりここの方がずっといいと思う。

落ち着いた感じの町であった。



町の中央には線路がまっすぐ走っている。

遠くの地平線に消えていく線路に沿って
散歩すると、とても気持ちがよかった。

線路沿いには、所々小さな家が建っている。


こんな線路にも列車が確か1日に2本も通っていた。







大晦日、公園で下の写真のように全身を黒く染めた人の集団を見かけた。

顔を見ると他のフィリピン人とちょっと(いや全然)違っていた。

髪の毛の縮れ具合などニューギニア系やアフリカ系に近いように思えた。(といっても、ニューギニア人はテレビや写真でしか見たことないが。)

イリガ山の麓に『ネグリット族』が住んでいると聞いたことがある。

もしかして彼らが『ネグリット族』なのか?

なぜ質問しなかったのか、今、後悔している。

他にもいろいろ聞いてみたいことがあった...。


写真を撮らせてもらった。

写真を撮っても撮影料を要求されることはなかった。






夜、ホテルのスタッフの人に教会の大晦日のミサに参加しようと誘われた。

この国・この町のことをいろいろ知りたいと思っている私は喜んでミサについて行った。

言葉がわからなかったのでちょっと退屈なミサだったが
(いや言葉がわかっても退屈だったろう)、
この雰囲気を味わうのもたまにはいいと思った。






年が明けた。

町の人々の新年の挨拶をしている姿が見える。

なんと、フィリピンの新年の挨拶は、
「ア ハッピー ニュー イヤー。」
英語と同じだった。







この町を拠点として日帰りで行ける観光地には
『ナガ』と『ブヒ』がある。

ホテルのスタッフたちに
『ナガ』と『ブヒ』で、どっちがお勧めか聞いたところ、
みんな口をそろえて『ナガ』との答えが返ってきた。

『ブヒ』は、雨季はそれほど綺麗ではないとの話だった。



ナガへ出かけた。


↑ナガ教会

ナガはレガスピ同様、都会であった。

ここで買ったナッツは有名だったそうで、後で食べたらとても美味しかった。

町の北部にあるナガ教会にはたくさんの人で賑わっていた。

この町の見所と言えば、この教会のほかは町の南部にある
市場くらいなものだった。




イリガに戻った。

イリガくらい町が小さい方が、私には合っている。


この町の子供たちの笑顔が可愛い。


ビコール地方の多くの子供たちは、カメラを向けると
なぜか親指と人差し指で『L字』を作り
アゴにその2本の指を当てるポーズをとるのであった。






私の泊まっていたホテル『BAYANIHAN HOTEL』の
レストランのウエイトレスに写真を撮らせてもらった。


フィリピンに来てから女性と話をする機会が殆どなくて
ちょっと寂しかったが、朝この可愛いウェイトレスから
「GOOD MORNING!」と挨拶してもらったときは、
そんなことだけでもとても嬉しかった。







ブヒにも行ってみることにした。

ブヒってなんかの動物の鳴き声みたいでカワイイ発音である。

ジプニー(乗合トラック)に乗ってブヒへ向かう。
ジプニーの中で、珍しい外国人旅行者の私は、ちょっと人気者になった。


ブヒに着いた。

イリガよりさらにずっと田舎である。


天気が悪い所為か、中央公園には人があまりいない。

湖を目指して歩いた。


湖にたどり着いた。

対岸の山には雲がかかっている。
もし晴れていれば、きっと綺麗な景色なのだろう。


↑所々で闘鶏が行われていた。

村の中を散歩した。

するとおじさんグループがやってきた。

「どこから来たのですか?」
「日本からです。」
「こちらはバランガイのリーダーです。」
「こんにちは。」
「こんにちは。」

バランガイとは村とか集落とかエリアというような意味であるらしい。

「もし暇でしたら、このバランガイのリーダーが
    あなたとお話をしたがっているのですが...。」

− えー。 話、つまらなそう...。 −
− バランガイのリーダーともあろう人から
      声をかけてもらったのは有難いのだが...。−

「もっといろいろ村を歩き回りたいので...。」
「すみません。」

断ってしまった。

あとから考えると面白い話を聞くチャンスだったかもしれない。



ブヒの人々は気さくに話し掛けてくる。
特に子供たちが人懐っこい。

そして子供たちは、写真を撮られることが大好きなようだ。
(その点、一昔前のキューバ人のようである。)


↑教会の中
教会の中に入ってみた。

メキシコや中南米では基本的に教会内の写真撮影は禁止されている。
しかし、子供たちに写真をせがまれてしまった。

− 教会の中で写真とったら怒られるのではないだろうか? −

大人たちは笑っている。

− どうやら大丈夫らしい。−

ということで写真を撮った。
別に現像して渡してやるわけではないが、子供たちは大喜びだった。


静かな村、人懐こい人々、綺麗な湖....
散歩するには最高であった。


もっとブヒに滞まりたかったが、帰りのジプニーがなくなると困るのでイリガに帰ることにした。







帰国の日が近づいてくる。

イリガを出発してレガスピに戻った。


レガスピは雨が降ったり止んだりと相変わらず、天気が良くない。

レガスピの思い出は、乾季に来ていたらきっと別のものになっていたと思う。

夕方になると半袖では寒く感じた。
ハロハロ(フィリピンのカキ氷)は暑い時に食べてこそ美味しいものだと思う。 しかし雨が降って少し肌寒いなかで、それを凍えながら食べた。




マニラに戻った。
私のホテルはマニラのマカティー市にあった。
(首都マニラは、多くの"city"が集まってできている。)

マカティーは、にぎやかな街であった。
そこにはいろいろなデパートが集まってる。


↑マカティー・コマーシャル・センター(デパート)の中

マカティーで一泊し、日本へ帰国した。





「1998/9年 冬フィリピン」 終わり


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(アジア編)
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* 2001/2年冬 ラオス





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