『部外秘資料』が語る,横浜市立大学の"独裁官僚"と似非民主制

 

2003年1月28日

総合理学研究科 佐藤真彦

 

 

 2003年1月8日の大学改革戦略会議(以下,戦略会議)で「確認された」2つの資料,『横浜市立大学改革の方向性について』(以下,『部外秘資料1』 http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-01/030108bugaihishiryou1.htm ),および,『大学改革戦略会議:本学の問題点・課題について(幹事会の議論から)』(以下,『部外秘資料2』 http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-01/030108bugaihishiryou2.htm )は,「今後,・・・(この)改革の方向性の大枠の中で,各部局ごとに中期目標・中期計画(案)を検討してもらう」ための指針となる極めて重要な資料である.

 

 「いずれも学内資料ですので,部外秘(原文には,太字強調のほかに下線あり)の取り扱いをお願いします」となっている.

 

なぜ,"部外秘"なのか?

 「学内資料ですので,部外秘」を字義通りに解釈すれば,"すべての"学内資料は秘密ということになるが,常識的には,一般市民の目にとまる"学外に公表した場合,今後の大学改革に支障をきたす"学内資料は秘密という意味だろう.その場合,単に事務局にとって都合が悪いからという理由ではなく,なぜ,"学外に公表した場合,支障をきたす"のかをきちんと説明する責任(説明責任,アカウンタビリティ)が生じるが,そのような説得性のある説明はまったくない.

 

情報公開徹底の方針と矛盾

 このような事務局の姿勢は,『部外秘資料1』にある今後の方針「市民に期待される市立大学をめざし,情報公開を徹底する」,および,現横浜市長中田宏氏の第一番目の公約「情報公開の徹底」に矛盾する態度であろう.

 

 とくに,中田氏の言う『「情報の公開と提供」は,一歩進んで行政の側から積極的に情報を提供することまで含んで,政策の意思形成過程についてもできる限りお見せしましょうということです』(平成14年6月17日,ダイレクトメッセージ"職員の皆さんへ"<vol.2>『情報をオープンにすることから始めよう』より)という画期的な政策であるが,説明責任を欠いた"部外秘扱い"は中田氏の政策の対極にある姿勢であることを指摘しておく.

 

『部外秘資料』を公表する理由

 事務局が"部外秘"に指定した学内資料を,一般市民の目にとまる学外に公表するようなことは,事務局をはじめとする大学首脳部の反感を買うリスクを考えれば,通常,誰も敢えてやろうとは思わぬ行為だろう.

 

 実際,以下に指摘するように極めて問題性のあるこれらの『部外秘資料』は,1月8日の戦略会議で了承された後,直ちに相当数の教員に配布されて,現在では学内に広く行き渡っていると思われるにもかかわらず,3週間ほどが経過した今日においても,学外へ漏洩・公表された形跡はないし,(1月9日の総合理学研究科委員会で私を含む少数の教員が強く問題にした事例以外に,少なくとも私の知る限りでは,)学内でとくに問題になったという評判も聞かない.

 

 なかばあきれつつも,むしろ,長いものには巻かれろ式に,あるいは,戦略会議の方針にすり寄る形で,つまり,『部外秘資料』の趣旨に合わせる形で,「中期目標」・「中期計画」の作成に苦慮しているというのが現状であろう.

 

 これでは,学問の自由と大学の自治の喪失という"大学の死"を宣告された大学人自らが,その"墓穴"を無理矢理に掘らされているという構図になる.

 

 民主主義を支える根幹である思想・表現の自由に直結した,学問の自由と大学の自治にたいするあからさまな侵害を,目の当たりにしながら沈黙したままでいることは,批判精神を自ら葬り去るとともに,良心にたいしても自ら背くことを意味する.

 

 今回,『部外秘資料』を敢えて公表することにした理由は,横浜市大"改革"の欺瞞的な実態を広く知ってもらい,また,そのことがきっかけとなって批判の声が各所であがり,今後の改革が少しでもよい方向に向かうことを期待するからである.

 

 また,虚構の体制が何よりも恐れるものは真実を暴露されることであり,くり返し真実を暴露されることにより,虚構の体制はやがて崩壊するであろうことを確信しているからである.

 

2つの委員会を支配する"独裁官僚"

 今回の『部外秘資料』ほど,横浜市立大学"改革"の欺瞞的な実態を自ら語るものはないだろう.すなわち,"辣腕"官僚がしゃにむに推進しようとしている,"官僚独裁"とそれを糊塗する虚構の"似非民主制"の下での大学"改革"という実態である.

 

 大学"改革"の枠組みと方向は2つの"(似非)民主的な"委員会によりオーソライズされることになっている.一つは,学外の委員で構成される"横浜市立大学の今後のあり方を考える懇談会"(通称,「あり方懇」)である.もう一つが,学内の委員で構成される"大学改革戦略会議"(戦略会議)である.

 

 「あり方懇」の問題性,とくに,座長の橋爪大三郎氏(東京工業大学教授),および,それとコンビを組む"辣腕"官僚池田輝政氏(横浜市大理事・総務部長)の問題性に関しては,徹底的な分析と論証がすでに公表されている.とくに,横浜市大教員組合による『あり方懇傍聴記』(なかでも,平智之氏による『第3回傍聴記』2002-12-9 http://ebawww.yokohamacu.ac.jp/~kogiseminagamine/ ; http://www2.big.or.jp/~yabuki/ ) ,および,佐藤による『学問の自由と大学の自治の敵:橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性』2002-12-11http://satou-labo.sci.yokohama-ac.jp/page024.html ; http://www2.big.or.jp/~yabuki/ )と『徹底論証:学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性と国公立大学独立行政法人化の行き着く先』2003-1-10http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page035.html ; http://www2.big.or.jp/~yabuki/ )などを参照されたい.

 

 なお,橋爪氏は,第5回「あり方懇」(2003-1-16)で,「市の財政状況を鑑み,横浜市大を廃校あるいは売却することも選択肢とせざるを得ない」とする私案を中間答申し,その内容が新聞の第一面に大きく掲載されてセンセーションを引き起こした(2003-1-17 http://www2.big.or.jp/~yabuki/doc03/kana0117.pdf 参照)が,そのこと自体は,『第3回傍聴記』2002-12-9で指摘された「橋爪氏の言いたい放題の非常識ぶり」を自ら証明し,かつ,世間に公表したに過ぎない.

 

 橋爪私案のねらいは,「思い切った改革ができなければ,(東京都立大学を)売り飛ばすぞ!」という現東京都知事石原慎太郎氏による脅し(2000-9-29 http://www.ne.jp/asahi/toushoku/hp/net/nethefo1298.html 参照)と同様,("辣腕"官僚池田氏の意を汲んだ)"廃校・売却という脅し"によるドラスティックな改革の方向への誘導を意図したものに違いない.

 

 いっぽう,戦略会議は,横浜市大改革の方向性という大枠を打ち出して中期目標・中期計画に反映させるための,学長諮問による学内委員会で,学長以下,学部長ほかの全ての部局長,学長指名の教員,および,事務局首脳などで構成される.戦略会議は,管理者的教員の"民主的協議"に基づく委員会という体裁をとっているが,事実は"辣腕"官僚の完全支配下にある"思考停止状態"というのが実態であることが,今回の2つの『部外秘資料』から見てとれる.

 

 すなわち,横浜市大の"頭脳"を結集したはずの戦略会議の出した改革の方向性は,第3回「あり方懇」で「滔々と披瀝された荒唐無稽な池田私案の構想」と本質的に同じであり,『部外秘資料』からは,「あり方懇」だけでなく戦略会議幹事会においても,池田氏が自らの構想を「滔々と語り」それを教員が"拝聴する"という光景がありありと目に浮かぶ.

 

 これで,「あり方懇」の最終答申は,さらに2回の審議を経て2月下旬に市長宛に提出される予定となっているのに,何故か,その最終答申の内容を戦略会議がすでに熟知しているように見えることも説明される.

 

 したがって,横浜市大"改革"は,大学内外の2つの委員会での"民主的な"議論を通して方針を出すという偽装が施されているが,その実態は"辣腕"官僚の池田氏の主導による官僚独裁下の非民主的な"改革"にほかならないことが分かる.なお,池田氏の手法は,「法的な根拠を欠いたヤミ権力の行使(つまり,"おどし")が直接的であからさまな点と,"鈴木宗男ばりの"高圧的・独断的ふるまいや説明責任(アカウンタビリティ)を一切果たそうとしない点」を特徴としていることは,すでに指摘したとおりである(『徹底論証:学問の自由と大学の自治の敵・・・』参照).

 

『部外秘資料』の奇妙な2重構造

 『部外秘資料1』には,わざわざ「今後は,会議で配布された資料(『部外秘資料2』)ではなく,こちらの資料(『部外秘資料1』)をご利用くださいますようお願いします」とある.ということは,事務局(すなわち,池田氏)がとくに秘密にしたい資料は『資料2』であり,『資料1』は公表されてもあまり問題がないと考えているらしいことが分かる.ちなみに『資料1』は,『資料2』にある構想のとりまとめであり,『資料2』は戦略会議幹事会における池田氏の生々しい発言をそのままの形で載せた"発言集"である.

 

 おそらく,幹事会委員以外の戦略会議委員に池田氏の生発言を知らしめることで,池田氏の意図の周知徹底を図ったものと思われる.

 

 さらに,『資料1』には池田氏の発言集を基にした本文のほかに,<指摘された課題>として池田氏の生発言をマイルドに修正したものが載っている.このスタイルからは戦略会議(幹事会)は,教員にたいして池田氏が"課題"を指摘したものを専らまとめる場であると認識されているらしいことが分かる.したがって,戦略会議(幹事会)が,横浜市大の"叡智"を結集して将来を議論する場であるとは到底思えない.

 

池田氏の生発言の問題性

 何よりも驚くことは,『第3回あり方懇傍聴記』にある「荒唐無稽としか思えない池田氏の構想」の基となったと思われる生発言の数々であろう.そこには,学問の自由とそれを制度的に保障する大学の自治の重要性を理解しようとする姿勢は微塵もみられず,また,官僚と同じく教員も,平等に憲法によって基本的人権を保障された,個人の尊厳を有する存在であるという認識すらも感じられない.

 

 要するに,極めて問題性のある発言のオンパレードであるが,このような発言を放置して,部外秘とはいえ大学の公式文書に載せることにたいして,戦略会議の面々は何も抵抗を感じなかったのだろうか.

 

 たとえば,「教授会がごちゃごちゃいわなければ,すんなり決まる.その辺をはっきりするということだ.」という発言は,"独裁官僚"の本音と精神構造がストレートに露呈したものであろう.何とも,暗澹たる思いがするとしか言いようがない.

 

 また,「医療の安全が優先しすぎて,経営にたいする感覚が薄らいでいないか.」とか,「カルテの問題ひとつにしても,経営に対する意識の薄さが露呈している.個々の医師もそうだが,全体として十分な取り組みがない.」などの発言は,最近の"患者取り違え手術事故""ラベル貼り間違え事故"などの教訓をすっかり忘れてしまったかのような発言であると非難されても弁解できないのではないのか.

 

 池田氏の発言の全体像は『資料2』を読んで頂くこととして,ここでは,その中から問題発言のさわりだけを『資料2』の順番にしたがって取り上げてみよう.

 

・予算に興味をもつなら,責任を持ってもらいたい.例えば,金が足りなければスクラップを出すことだって必要となる.

 

・教員は商品だ.商品が運営に口だして,商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため,大学のためになるのか.

 

・大学院の特勤は億単位だ.院生を持たない教員になぜ支払わなければならないのか.

 

・大学の中に厳しさがない.極端に言えば要らないカリキュラムの教員がなぜ必要なのか.

 

・教員はだれにも管理されていない.自己管理だから問題なのだ.国立は教員評価がはじまった.評価が一番低い教員はクビになることだってある.

 

・大学として十分な学生指導をしていると自信を持って言い切れない.

 

・意欲のない学生はキックアウトすればいい.実力よりいい点をつけて単位認定するのは,自らの指導に自信がない証拠ではないか.

 

・文系でいえば後期課程をもっていながら博士論文も書かせない,書かせられないという状況があるのではないか.

 

・改善するためには,現在の人事制度を全面否定して,ゼロから立ち上げるしかない.発議権は現場に与えられたとしても,最終決定は全学的制度の下で決定すべきである.

 

・旧来の学部自治が人事に関する無責任体制を生み出している面がある.

 

・「自治」には人事や教員の管理も入っているが,果たしていないと思う.自分たちに都合のよい所だけ自治と言っている.他の人を排除するという消極的自治.本来の責任を全うしていないと思う.

 

・人事を誰が握るかですべてが決まる.私立の理事会のように,決めたものを拒否できるシステムを作るべきであろう.

 

・大学教員はパーマネントで,教員を管理している人が誰もいない.そういうものを作らない限り,よくやっている人が馬鹿を見ることにもなると思う.

 

・横浜市から金をもらってこの大学が成り立っているという意識がない.喩えて言うならば,生んでくれた親に何をしてあげられるのか.大学が持つ資源で地域に何が出来るのかを考えなければならない.

 

・目標,評価,運営費交付金(資金)はリンクする.文科省は,国公私立ともに7年に1度評価しなければいけないという方針を出している.評価を受けない限り大学を存続させないということだと思う.横浜市が一番評価するのは,やはり地域貢献だと思う.

 

・経済研究所は極論すれば何もしていないのにそのまま生き残っている.

 

・医療の安全が優先しすぎて,経営にたいする感覚が薄らいでいないか.

 

・カルテの問題ひとつにしても,経営に対する意識の薄さが露呈している.個々の医師もそうだが,全体として十分な取り組みがない.

 

・教授が診療科部長を兼ねていることから,教育が忙しくて診療に手が回らない,診療が忙しくて教育に手が回らないと,責任があいまいになっている.

 

・私学では,教学の流れと経営管理の流れがあるが,大学が存在するというと決定的にお金の問題が大きいから,どちらを優先するかというと経営管理である.

 

・建学の理念と経営とどちらを優先するかというと,定員割れしている大学などは経営だ.そうでない大学でも経営の理念を前提にして運営している.

 

・定員を増やせば偏差値が下がる.そうすると推薦が来ない.定員を増やすのではなく,教員を半分にすればいい.

 

・教授会がごちゃごちゃいわなければ,すんなり決まる.その辺をはっきりするということだ.

 

・教員は現実は違うのに自身をスーパーマンだと思っている.なんでも出来ると思っている.そこに事務が配転してくればやる気がなくなる.

 

・教員は横浜市に雇われているという意識がない.設置者がつくった制度を知らないで議論している.権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない.

 

・教員は自分の役割をはっきり認識していない.制度の上にたった自覚がない.何でも出来ると思っている.事務局の責任も8割はあると思う.うるさい集団に対して面倒くさい,やめようと思って,力を発揮していない.

 

・大学人の自由でありたいという願望があるわけだが,そのことと教員ひとりひとりがどういうふうに今の制度を認識しているかということの差の現れだと思う.市大の教員になった時に,公立大学であるということ,だからこういうルールがあるのだということを知らしめないといけな

い.