誠と真琴


高木かおり



 目の前がぼんやりしている。
 ここがどこなのか、今がいつなのか、まるで見当がつかない。
 誠は無意識に瞼をこすろうとして右手を動かしかけたが、その右手が、まるで鉛でも仕込んだかのように重い。――重いというよりも、まるで力が入らないみたいだ。
 ゆっくり何度かまばたきを繰り返して、ようやく両目の焦点が合ってきた。
 明るい照明の光に照らされた天井の色に見覚えがあった。
 二度三度と浅い呼吸を繰り返した後、自分がどこにいるのか気がついた。誠が横たわっているのは、真奈美と暮らしている家の来客用の寝室にある大きなベッドの上だった。
 誠は記憶の糸をたぐり寄せた。
 たしか、真奈美に連れられてエステサロンに行った筈だ。その応接室で特製だというジュースを飲んで……。
 不意に記憶が戻ってきた。
 そうだ。急に意識を失って――真奈美と剛が連れ帰ったのだろうか。だとしたら、商談中になんというみっともないことをしてしまったのか。これでまた真奈美に対して負い目が増えちまったな。
 誠はもういちど右手に力を入れてみた。やはり、ひどい無力感に襲われる。それでも、ようやく右手がのろのろ持ち上がる感じがあった。誠はゆっくり首をまわして、シーツから僅かに浮いた右手を見た。
 最初、それが自分の手だとは信じられなかった。痩せぎすの骨っぽい手の甲だったのに、今はどういうわけか、ぷりぷりした弾力感さえ感じられるほどに丸っこく見える。手首もそうだ。ちょっとしたことで折れてしまいそうな細い手首だった筈なのに、なんだか、むっちりした感じがする。ただ、腫れぼったいというのではなく、全体に丸みを帯びたようなと言った方がよさそうだ。気づかないうちに脂肪がついてしまっていたのかな。ぼんやりした頭で誠が思いつくのはそんなことくらいだった。
 それからも、こちらもやはり力の入らない左手をようやくのこと持ち上げて両手を重ねてみた。そして、両手でおずおずと自分の首筋からお腹のあたりをのろのろ撫でてみる。どうやら、体全体が丸みをおびているようだった。
 まさかエステサロン特製ジュースの副作用か何かってわけじゃないだろうな。急に不安になって、誠は体を起こそうとした。が、まるで力の入らない両手で上半身を起こすのは簡単なことではなかった。
 何度も体をよじって両手を力なく振り回し、やっとのことで上半身を起こすことができた。体にかかっていた真新しいシーツが腰のあたりまで滑り落ちる。
 首を曲げて、何も身に着けていない自分の体に目をやった誠は息を飲んだ。
 両手で確かめた通り体つきが別人のように丸っこくなっていただけではない。一目でそれとわかるくらいに乳房が膨らんでいた。成人女性のように発育しきっているのではないものの、ようよう胸が膨らみ始めた小学校高学年の女の子くらいの膨らみはあった。
 おそるおそる、誠は部屋の隅に目を向けた。ここが来客用の寝室なら、そちらの壁に填め込みになっている姿見の鏡がある筈だった。――確かに、そこには大きな鏡があった。けれど、角度のせいで、ベッドの上にいる誠の姿は映らない。
 誠は体中の力を振り絞るようにしてベッドから床の上におり立った。両手と同じく両脚もまるで力が入らなかったから、ベッドからおりるだけでも大仕事だった。ましてや、鏡に映る場所まで歩いて行くことなど。
 誠はベッドの端に体を預け、壁に両手をついて、ようやく伝い歩きができるようになったばかりの幼児のようなおぼつかない足取りでゆっくりゆっくり体を進めた。
 けれど、あと少しで鏡に映る場所という所で誠は歩みを止めた。自分の体がどんなふうになってしまったのか一刻も早く確かめたいという思いと、ついさっきその目で見た胸の膨らみが本物なのだと再確認させられることへの恐れ。二つの感情のせめぎ合いに、誠の体は小刻みに震えた。しばらくそのままその場に立ちすくみ、震えながら、それでもようやく意を決して再び歩み始める。
 そんなふうにしておそるおそる自分の丸裸の体を鏡の前に晒した誠は、目の前にある鏡に映る姿にもういちど息を飲んだ。鏡の中にいるのは、よく知った自分ではなかった。首の半ばまで伸びた髪、卵形のふっくらした顔、ほっそりした首筋、丸っこくぽっちゃりした体つき、ぷっくりしたお尻、無駄毛が一本もないすべすべした肌の両脚、そうして、小学生の膨らみ始めたばかりのような乳房。鏡の中にいるのは、見知らぬ少女だった。それも、幼児めいた丸っこい体つきの、まだ幼いといっていいような少女。幼いくせに胸だけは膨らみ始めた奇妙な幼女。そして、なんだかそれが冗談みたいに、無毛の股間にはペニスがあった。小さな、ほとんど両脚の太腿の間に隠れてしまいそうな、生まれたばかりの赤ん坊みたいな頼りないペニスが。これは――誰だ? これはいったい誰なんだ?
 しかし、よくよく目を凝らしてみれば、その卵形の顔の中にあるのは、まぎれもなく誠の目であり誠の鼻であり誠の唇だった。
 息を止め、大きく両目を見開いて、誠は床の上にへたりこんだ。
 自分の身の上に何が起きたのか、何をどう考えればいいのか、何もわからなかった。
 回数ばかり多いくせにちっとも息が入ってこない浅い呼吸しかできない。
 体が宙に浮き上がりそうな妙な感覚に包まれる。
 これが嘘なのか現実なのかさえわからなくなってくる。

 床にお尻をぺたっとつけて力なく座りこんだまま大きな鏡を睨みつけるだけの時間が流れて行った。
 不意に、誠の体がぴくりと動いた。
 呆けたような顔に焦りの色が浮かんでくる。
 力の入らない手足を必死の思いで突っ張って立ち上がろうとする。掌を壁に押しつけ、小刻みに震える脚を伸ばす。
 誠が壁に体重を預けるようにしてようやく立ち上がった時、丸っこいお尻がぷるんと震えた。
 ほっと息を洩らして伝い歩きを始める。
 途端に、毛足の長いカーペットに足を取られたのか、誠の体が傾いた。踏ん張るにも力が入らない。そのまま誠は後ろに倒れこんだ。
 あっと思った時には、誠はお尻を床に打ちつけるようにして座りこんでいた。完全に倒れこんでしまうことなく頭を打たずにすんだのは幸いだった。
 が、誠の顔には絶望的な表情が浮かんでいた。
 それもその筈――誠のお尻のすぐ下にあるカーペットがじわりと濡れ始めていた。両脚の間にだらしなく垂れ下がった、とても成人のものとは思えない小さなペニスの先から生暖かい液体が溢れ出してカーペットを濡らしていた。
 誠が伝い歩きを始めたのは、不意に高まってきた尿意のためだった。来客用の寝室は二階にある。けれど、トイレは一階だ。この頼りない脚で階段をちゃんとおりていけるのか。尿意を感じた瞬間、誠は不安になった。それでも、手摺りにしがみついてでも階段をおりてトイレへ行くしかない。考える余裕もなく、誠は立ち上がって寝室のドアに向かって歩き出そうとしたのだった。しかし、惨めな結果だった。階段をおりるどころか、寝室から出ることもできず、床にお尻をつけた格好で、それこそ幼児のようにおしっこを洩らしてしまったのだ。
 その無様な姿は鏡にもくっきり映っていた。それは、なんだかびっくりしたような顔をした丸っこい体つきの幼児が粗相をしてしまった時の姿そのものだった。それも、体に比べて小さなペニスはこそこそと体の下に隠れてしまっているため、とても男の子とは思えない、そう、まだ少女にさえなっていない幼女が床にお尻をつけて座ったままどうしても我慢できずにお洩らししてしまった時そのままの姿。




 次第に冷たくなってくるカーペットの感触に、誠は、あらためて自分自身の惨めな姿を思い知らされた。激しい屈辱と羞恥と、そして、どうしてこんなことになってしまったのかまるでわからないための怯えと。
 誠はもういちどおずおずと鏡に目をやった。
 その時、かちゃりと音がして、分厚い木製のドアが開いた。
 はっとして誠が振り向くのと真奈美が寝室に入ってくるのとが同時だった。
「目が覚めたのね」
 真奈美はいつもと変わらない声で言った。
 誠はまたわけがわからなくなった。幼女のような姿に変わってしまった自分を目にして、どうして真奈美は驚きもしないのだろう。ひょっとして、姿に映ったこの姿は自分にしかそんなふうに見えない幻なんだろうか。でも、それにしても、カーペットのこの冷たい感触は……。
「そんな不思議そうな顔をしなくても大丈夫よ。私がきちんと説明してあげるから」
 真奈美はくすっと笑った。それから、少し間を置いて言葉を続ける。
「でも、おしっこで濡れたカーペットの上にいつまでも座ってちゃ体によくないわね。それに、裸のままで風邪をひいても可哀想だし」
 真奈美は廊下の方に振り返ると、軽く手招きをした。
 真奈美の手招きに応じて一人の女性が寝室に入ってくる。
 その背の高い若い女性の顔を見るなり、誠の息が止まった。それはまぎれもない、梅井綾野だった。
「お呼びでしょうか、奥様」
 真奈美の後ろにつき従うような格好で綾野は恭しく言った。ちらりと誠の方にも目を向けた筈なのに、床の上に座りこんでいる誠の姿を見ても驚きもしない。ひょっとしたら、そこにいるのが誠――自分の不倫相手だということに気がついていないのか。
「まこちゃんを自分の部屋に戻してちゃんとした格好にしてあげてちょうだい。いつまでも裸んぼうじゃ可哀想だから」
 鷹揚に頷いて真奈美は応えた。
 『まこちゃん』というのが自分のことなんだろうなということは誠にもわかった。こちらを見てそう言ったのだし、語感からも確かにそう思える。けれど、新婚生活の中で真奈美が誠のことをそんなふうに親しみを込めて呼んだことは一度もなかった。いつも決まって、『誠さん』と他人行儀に呼びかけてきた真奈美だった。もっとも、そんなふうにしか呼ばれないその原因は誠自身にあったのだけれど。
「承知しました、奥様」
 綾野は深々と頭を下げてから、今度こそあらためて誠の方に向き直った。そうして、誠の両手を優しく引き上げて言った。
「さ、おねえちゃまと一緒にお部屋へ戻りましょうね。いいのよ、お洩らしのことは。あとはおねえちゃまがちゃんとしておいてあげるから」
 それは、まるで幼児に言い聞かせるみたいな口調だった。
「おねえちゃま……?」
 思わず誠は訊き返すように綾野の言葉を繰り返した。けれど、その言い方が、なんだか呂律がまわらないみたいな、力のない喋り方になってしまう。それだけではない。気のせいかもしれないけれど、なんだか声のトーンが高いような気もする。
「そう、おねえちゃまよ。まこちゃん――まことちゃんと仲良しの綾野おねえちゃまなのよ」
 笑い声で真奈美が言った。随分と棘のある笑い声だった。
「さ、まこちゃん」
 綾野は両手に力を入れた。
 だが、誠はぶるんと首を振って両脚を踏ん張った。
 自分の体がどうなってしまったのかもわからないところへ綾野まで出てきたこの状況で、真奈美に言われるまま綾野に従うことなどできるわけがない。
「どういうことなのか説明して……」
 言いかけて、誠は言葉を飲みこんだ。
 今度こそ、はっきりしていた。誠の口から聞こえたのは、誠の声ではなかった。もともと誠の声は低いわけではなかったものの、それと比べるべくもない、幼児のように甲高い声だった。それも、一語一語がはっきりしない、たどたどしい喋り方。「説明して」というところなどは「せちゅめいちて」としか聞こえないほどに。
「いいわよ、説明してあげる。でも、説明を聞いたら、ちゃんとおねえちゃまと一緒にお部屋に戻るのよ。可愛いまこちゃんが風邪をひいたらママも悲しくなるから」
 呆然とした顔をしている誠の耳にまた一つ聞き慣れない言葉が飛び込んできた。ママだって? 真奈美は何を言っているんだ?
「綾野おねえちゃまのことは、まこちゃんもよく知っているわよね。そうよね、だって、まこちゃん――佐倉誠の不倫の相手だものね」
 真奈美は遠慮なしに言った。
 誠の体がこわばった。真奈美が綾野との仲に気づいていることは誠自身も知っていた。だが、こんなにもあからさまに口にされるとは。
「お互いに愛し合って結婚したわけじゃない。昔ふうにいえば政略結婚じゃないか。だったら、不倫の一つや二つ、どうってことないだろう――誠さんはそう思っているかもしれないわね。でも、それじゃ困るのよ。だいいち、そんなことを言い出せば、私にだっておつきあいしていた人がいたの。だけど、藤代家のためにその人とは別れました。きれいさっぱりね。わかるでしょう? 両方の会社にどれくらい大勢の人が勤めているのか、今回の提携が失敗したらその人たちがどんなことになるのか。そのためには非情になってもらわなきゃ」
 真奈美は体を固くしている誠を見おろして言った。
「しかも、不倫だけじゃなく、独断での融資引き受けもあったわね。これを知っているのは今のところ私と、誠さんのお父様だけ。これが社内に知れたらどうなると思う? 両方の会社ともに社員の志気は目に見えて落ちるでしょうね。だって、組織のことを考えてくれる筈のトップの人間が自分の情に流されて勝手な行動を取ったんだってことになるんだもの。私が我慢ならないのは、不倫そのものに対してもそうだけど、そんなことも考えられないでプロジェクトリーダーを務めている誠さん自身に対してなの」
 厳しい言葉とは裏腹に、口調は冷静だった。それが却って真奈美の怒りの深さを感じさせる。
「もう誠さんにプロジェクトをまかせておくことはできません。これからは私が引き継ぎます。でも、せっかく立ち上げたプロジェクトですもの、途中で投げ出すのは悔しいでしょう? だから、リーダーはおりてもらうけど、他の役割でプロジェクトに協力してもらうことにしました」
 静まりかえった部屋の中、真奈美の声だけが響き渡る。
「それと、もう一つ。綾野さんのことは安心してちょうだい。誠さんが独断で引き受けた融資については、私とお義父様で相談した上で緊急役員会議を開いて正式に引き受けることにしました。綾野さんにもプロジェクトに協力してもらうという条件を付けて」
 そう言うと、真奈美は綾野に向かって微笑みかけた。
 綾野は無言で僅かに頭を下げた。真奈美の言ったことは嘘ではない。しかし、綾野は進んでプロジェクトに協力しているわけではない。協力させられているのだ。或る日、急にサクラの社長室に呼び出された綾野は、独断で梅井家に対する融資引き受けを了承したとして特別背任罪で誠を告発する用意があると真奈美から告げられた。そんなことになれば、誠の将来はもちろん、たちまちにして綾野の生家の商売も二進も三進もゆかなくなってしまう。それだけはと懇願する綾野に向かって真奈美は言ったのだった。じゃ、私たちに協力しなさいと。そうすれば梅井家にも悪いことにならないよう取りはからってあげるからと。
「でも、私は誠さんを許したわけじゃないわよ。どうあっても罪は償ってもらわなきゃね。だから、罪を償いながらプロジェクトに協力してもらうことにしたの。うふふ、とっても素敵な方法でね」
 弾んだ声で言いながら、けれど、真奈美の目は笑っていなかった。
「誠さんは気がついていないでしょうけど、三人でエステサロンに行った日からもう一ケ月が経っているのよ。一ケ月の間、誠さんはずっとを意識を失ったまま過ごしていたの」
 しれっとした声で真奈美はとんどもない事実を告げた。
「正確に言うと、意識を失っていたというよりも、意識を失わせてあげていたってことになるかしら。痛みを感じないようにしてあげていたのよ」
「いたみ?」
 幼女のように甲高い声で誠は訊き返した。
「そうよ、手術の痛み。さっき私は、誠さんには罪を償ってもらうと言ったわよね? もっとわかりやすく言えば、これは復讐なのよ。私とサクラと藤企画を裏切った誠さんへの復讐。そのために、誠さんには、もう二度と不倫なんてできない体になってもらうことにしたの。そのためには本当にいろんな方法があるのね。あのエステサロンの院長はね、もともとは腕の立つ形成外科の医師だったのよ。でも、いろいろと問題になる手術を繰り返していたせいで、とうとう医師免許を剥奪されたの。で、いろいろ考えて、医師免許なんて要らないエステサロンを開いたらしいんだけどね、なにせそういう経緯の持ち主だから、どこからともなくいろんな依頼が絶えることなくてね、今じゃ、お金さえ払えばどんなこともやってくれる重宝な存在になっているんですって。その院長がアイディアを出してくれたのよ。誠さんを二度と不倫なんてできない体に変えてしまうためのアイディアを。もちろん、アイディアだけじゃないわ。実際にメスを握ってくれたのもあの院長だった」
 ぞくりとするほど冷たい目の色をした真奈美だった。
「最初に思いついたのは性転換手術だった。男性の体から女性の体に変えてしまえば、確かにもう二度と不倫なんてできない。でも、それだけで誠さんを許す気にはなれなかった。もっと残酷でもっと面白い方法はないかって尋ねたの。そうしたら、笑いながら、子供の体に変えることもできますよって教えてくれたのよ。いくらなんでも脚の骨や脊椎を削って短くするわけにはいかないから身長を縮めることまではできないけど、手足の筋肉を麻痺させて自由に歩けなくしたり、ホルモン操作で体つきを小さい子みたいに丸っこくしたり、ペニスから海綿体をそぎ落として小さなおちんちんに変えちゃったりね。それに、表向きはエステサロンなんだから、無駄毛の処置も当然できますよって」
 誠はあらためて自分の体を睨みつけた。そうか、あのエステサロンの院長が。おそらく、特製だと言って飲ませたジュースに睡眠薬が入っていたのだろう。そうして意識を失ってから麻酔を施して……。
「どんな処置をしたのか教えてあげようか。まず、おちんちんはね、小柄な体に似合わず意外に立派なペニスだったから、それを切り取っちゃうのはいくらなんでも可哀想だってことで、殆どの海綿体を除去して、生まれたての赤ちゃんのおちんちんに作り変えることにしたの。それに、誠さんはもともと童顔だったけど、顎の骨を削ったりおでこを丸くして可愛らしい女の子みたいな顔にしてあげることにしたわ。それから、女性ホルモンを投与して丸っこい体つきに変えることにしたんだけど、ホルモンのせいで胸がちょっと膨らんじゃったみたいね。でも、可愛らしい顔にはお似合いでしょう? もちろん、両手と両脚に力が入らなくなるような処置もしてもらったわよ。あと、顎と頬の筋肉も。ついでに声帯も薄くして声を高くしておいてあげたから、本当に小っちゃな子みたいな喋り方しかできなくなっているわね。あ、そうそう。面白そうだから、ついでに、膀胱の神経もちょっといじってもらったわよ。おしっこが或る程度たまったら、もうすぐに我慢できなくなるように。それこそ小っちゃい子みたいにね。これだけのことをしようとすると、やっぱり体の何ケ所にもメスを入れなきゃいけなかったの。でも、麻酔から覚めた誠さんが痛がる姿を見るのはさすがに辛かったから、エステサロンの特別室に居る間も、家に連れ戻ってからも、傷が治るまでの間、院長の指示を受けて麻酔を施し続けていたのよ。その意識のない間、いろいろお世話をしてくれたのが綾野さん。彼女、今となっては、なくてはならない存在なのよ。誠さんにとっても、私にとってもね」
 真奈美は意味ありげに笑ってみせた。
「これでわかったでしょう? 誠さんはもう誠さんじゃないの。まこちゃん――真という字と琴という字を書いて真琴ちゃんという名前の女の子に生まれかわったのよ。小っちゃなおちんちんのついたちょっと奇妙な女の子にね。それも、ちょっと油断するとすぐにおしっこをお洩らししちゃう困った女の子に。だから、私は誠さんの妻じゃない。真琴ちゃんのママになったのよ」
 真奈美は腰に手を当てて誠の顔を覗きこんだ。
「あ、そうそう。これもちゃんと説明しておかなきゃね。さっきも言ったけど、まこちゃんにはプロジェクトに協力してもらうわよ。今度はリーダーとしてじゃなく、広報活動を担当してもらうことにしたの。まこちゃんがずっとおねむしてる間もプロジェクトは順調に進んでいたの。私と剛さんを中心にね。本当に剛さんは優秀な人だわ。誠さんにも少しは才覚があったようだけど、でも、中途半端な能力だったわね。特に、剛さんなんかと比べると。だから、ま、こう言っちゃ可哀想だけど、誠さんに抜けてもらってよかったかもしれない。但し、広報担当としてなら、まこちゃんは絶対に誰にも負けない筈よ」
 百地のことを親しげに『剛さん』と呼んだ真奈美は軽くウインクしてみせた。
「もう開発プロジェクトは殆ど終わっているの。ブランド名も決まったし、シリーズ名も決まったし。あとはマスコミ発表を待つばかりといってもいいくらいで、その発表用の商品サンプルも完成が近い筈。それで、これから言うことが大事なの。ちゃんと聞いていてね――サンプルはね、どれも、まこちゃんの体のサイズに合わせて作ることにしたのよ」
 誠はきょとんとした表情で真奈美の顔を見上げた。
「あら、わからない? 新しい製品を取引先とマスコミに発表する時、まこちゃんがモデルになるのよ。可愛い子供服やベビー服を着た可愛いまこちゃんがどんなふうにポーズを取ってカメラに写るのか、今から楽しみだわ。うふふ、そうよ。まこちゃんにはプロジェクト専属のモデルさんになってもらうのよ。まこちゃんの体をこんなふうに小っちゃな女の子みたいに作り変えたのにはそういう目的もあったんだから」
 真奈美は体を伸ばした。そうして、綾野に向かって軽く頷いてみせてから、もういちど誠の体を眺める。
「まこちゃんはまだ小っちゃいから、自分だけじゃ何もできないのよ。少し練習すればよちよち歩きくらいはできるようになるでしょうけど、それまでは伝い歩きしかできないし、食事だって一人じゃできない。すぐにお洩らししちゃうから、トイレも無理。つまり、小っちゃな子供っていうより、赤ちゃんみたいなものね。何もできない赤ちゃんのまこちゃんをお世話してくれるベビーシッターが綾野さん。そうよ、綾野さんには、大事なモデル・まこちゃんの面倒をみてもらうことでプロジェクトに協力してもらうのよ。だから、これからは綾野さんのこと、綾野おねえちゃまって呼ぶのよ、わかったわね? ――いいわ、まこちゃんを自分の部屋に戻してあげて」
 最後の言葉は綾野に向かって言いながら、真奈美は誠の耳に囁きかけるように続けた。
「まこちゃんのために予備の寝室を改造しておいたのよ。まこちゃんが喜びそうな可愛らしいお部屋にね。おねむの間、まこちゃんはずっとそのお部屋にいたの。だけど、何も知らずに新しいお部屋でお目々を覚ましたら、まこちゃん、自分がどこにいるのかわからないでしょう? それで、そろそろお目々を覚ましそうだなって頃に、こっちのお部屋に連れてきておいてあげたのよ。だから、自分のお家にいるんだってすぐにわかったでしょう? それに、それまで着ていた物もみんな脱がせて裸んぼうにしておいてあげたから、まこちゃん、自分がどんな体になったのか、それもすぐにわかったでしょう? でも、もういいの。さ、まこちゃんのお部屋に戻ろうね。お洩らしのカーペットは綾野おねえちゃまにお願いして綺麗にしておいてもらうから」
 言われて、誠は、お尻の下がすっかり冷たくなっていることをあらためて思い知るのだった。




 幼児のように綾野に手を引かれ、おぼつかない足取りで誠が連れて来られたのは、来客用の寝室とメインの寝室との間にある予備の寝室だった。
 部屋に足を踏み入れた途端、誠はその場に立ちすくんだ。その部屋は、見覚えのある予備の寝室から、まるで育児雑誌のグラビアでも飾りそうな子供部屋――それも、赤ん坊のための育児室そのままに変わっていた。壁際に置かれた木製のベビータンス、レースのカーテン、小物入れに使うらしい藤製のバスケット。天井にはサークルメリーも吊ってあるし、部屋の真ん中には木でできた純白のベビーベッドさえ置いてある。
「まこちゃんはずっとあのベッドでおねむだったのよ」
 真奈美がベビーベッドを指さして面白そうに言った。
 言われて、誠は気がついた。目の前にあるベッドは、形こそデパートの育児用品コーナーあたりに陳列してあるベビーベッドそのままだったが、サイズの方は、そんなものとは比べ物にならないほど大きかった。クイーンサイズのダブルベッドとまではいかないものの、セミダブルくらいの大きさは充分にある。
「じゃ、綾野おねえゃまにちゃんとしてもらおうね」
 真奈美は誠の背中をぽんと押した。綾野の手にしがみつくみたいにしてかろうじて体を支えていた誠の姿勢が崩れた。それを綾野が慌てて抱き抱え、そのままベッドの方に連れて行く。
「ほら、ベッドの上を見てごらん。裸んぼうになるまで、まこちゃんはこれを着ていたのよ」
 真奈美は、誠のすぐそばに立つと、大きなベビーベッドの上を指さした。
 ベッドに目を向けた誠の表情が凍りついた。そこにあったのは、赤ん坊が眠る時に着せるカバーオールという種類のベビー服だった。お腹を冷やすことがないように袖からつま先までが一体になっていて、股間からくるぶしのあたりにかけてボタンがいくつも並んでいるベビー服だ。そしてカバーオールのすぐそばには、水玉模様の布おむつが用意してあった。それに、レモン色の生地に小熊のアップリケをあしらったおむつカバー。そのどれもが、ベビーベッドと同じように、赤ん坊のものにしてはひどく大きなサイズに仕立ててあった。
 そう、誠が身に着けてほどよくフィットするようなサイズに。
「うちょだ。ぼくがこんなのをきてたなんて、うちょだ」
 嘘だ。僕がこんなの着てたなんて、嘘だ。誠はそう言ったつもりだった。なのに実際に口から出てきたのは、甲高くてたどたどしい幼児そのままの声だった。自分の口をついて出た幼児めいた声に、誠は思わず口をつぐんでしまう。
「嘘なものですか。――ほら」
 真奈美は大きくカーテンを引き開け、誠の手を引いて窓際に連れて行った。
 二階にある部屋の窓からは、豪奢な邸宅にふさわしい広い庭を見渡すことができる。その芝の生えそろった庭の一角で洗濯物が風に揺れていた。わざわざ目を凝らすまでもなく、それが何枚もの布おむつだということは一目でわかった。たくさんの布おむつと、誠がベッドの上で目にしたのと同じ、とても赤ん坊が使うとは思えない大きなおむつカバー。
「あれはね、まこちゃんがおねむの間におしっこで汚しちゃったおむつとおむつカバーなのよ。それを綾野おねえちゃまがお洗濯してお庭に干してくれたの。でも、この季節はいいわね。朝のうちに洗濯すれば、お昼前の今ごろになればすっかり乾くもの。これなら、まこちゃんがどんなにたくさんおむつを汚しても大丈夫だわ」
 誠は力なく、初夏の眩しい日差しを浴びて揺らめく洗濯物から目をそらした。誠が視線を移したその先には、ベビータンスの引き出しからピンクの生地を取り出す綾野の姿があった。
「あの、奥様」
 ベビータンスから取り出したばかりの生地を両手で広げながら、綾野は真奈美に声をかけた。
「おねむの時はカバーオールでしたけれど、まこちゃん、目が覚めた後は、こちらの方がよろしいかと思いまして」
 綾野が両手でささげ持っているのは、パステルピンクの生地でできたロンパースだった。それも、肩紐が幅の広いレースになっていて、下の方がフリルたっぷりのスカート仕立てになった、女の子用のロンパースだった。スカートの下から少しだけ見えている股間のところは、おむつの交換がしやすいよう、ボタンを外せば簡単に開けられるようになっている。
「そうね。その方がカバーオールよりも活動的で窮屈じゃなさそうね。じゃ、それを着せてあげて」
 真奈美は、綾野が手にしているロンパースと誠の顔を見比べて言った。
「やだ。そんなの、やだ」
嫌だ。そんなの、嫌だ。誠はたどたどしい抗議の声をあげて首を振った。
「だって、いつまでも裸のままじゃいけないでしょう? それに、このロンパースだってカバーオールだって、あの布おむつやおむつカバーだって、ママの会社の人達がわざわざまこちゃんのために作ってくれたのよ。それを嫌がるなんて本当に困った子ね、まこちゃんは」
 プロジェクトに参加したデザイナー達は、新しいノウハウを得るために、市場に出回っている数多くの子供服やベビー服を研究した。どんな縫製をしているのか、どんな生地を使っているのか、実用性と見た目の可愛らしさとをどんなふうにして両立させるのか。そうして、既存の子供服を模倣して自分で仕立ててみる。まだ商品サンプルでもない、習作程度のものだ。ただ、習作を仕立てる上で最初の予定とは一つだけ違ったことがあった。それは、実際に子供に着せるようなサイズで作るのではなく、新しくプロジェクト専属のモデルになった『真琴』の体に合わせて仕立てるよう真奈美から命じられたことだった。思ってもいなかったことに戸惑ったデザイナー達だが、いつのまにかプロジェクトの中心の座に収まっていた真奈美の――いつしかプロジェクトの殆ど全てのメンバーがその手腕に一目置き始めている真奈美の指示は絶対だった。麻酔で意識を失わされている誠の体を綿密に採寸して、誠に体に合う子供服の習作を何着も仕立てていった。もちろん、布おむつやおむつカバーも含めて。
 真奈美が綾野に頷いてみせた。
 綾野も頷き返すと、大きなベビーベッドのサイドレールを倒して、左手を誠の太腿のあたりに添えた。そうして右手で誠の背中を支えるようにして、そのまま抱き上げてしまう。女性ながら、もともと大柄でソフトボールの選手だった綾野なら、小柄な誠の体を抱え上げるのも難しいことではない。
「やだ。おむちゅなんてやだ。ぼくはあかちゃんじゃない」
 横抱きにされながら、誠は綾野の手から逃れようと手足をじたばたさせた。
「ふぅん。まこちゃんはママの言うことが聞けないの。そんな困った子にはお仕置きね。綾野さん、まこちゃんをこっちに頂戴」
 そう言って真奈美は部屋の隅にあるロッキングチェアに腰かけた。
 言われるまま、綾野は横抱きにした誠の体の向きを変えさせて真奈美の膝の上に預けた。
 真奈美は右手を高く振りかざすと、剥き出しの誠のお尻を強くぶった。びしっ!という激しい音が部屋の空気を震わせた。休む間もなく、二度三度。
「やめて、やめてったら」
 うつぶせの格好で真奈美の膝に乗せられた誠の声は、突然の出来事に震えていた。
 が、真奈美は手を止めない。それから何度も何度も誠のお尻を叩き続ける。
 そして誠のお尻が真っ赤になる頃になってようやく手を止めた。
「どうなの?」
 誠の顎先に左手の指をかけ、誠の顔を持ち上げるようにして真奈美は言った。
 誠の目には、明らかに許しを乞う色が浮かんでいた。暴力というものは、思う以上に簡単に人を屈服させる。特に、逃げ出すあてのない状況で自由を奪われた中で与えられる暴力による肉体的な痛みは、それを受けた者にしか、その苦痛はわからない。しかも今の誠のように羞恥と屈辱にまみれた上で与えられる痛みなら尚のこと。
「わかったのね? ちゃんとママの言うことが聞けるのね?」
 念を押すように真奈美は言った。
 が、誠は押し黙ったままだ。
 しかし、真奈美がもういちど右手を振り上げた途端、
「わかった。わかったから、もうぶたないで」
と、情けない口調で哀願してしまう。
「じゃ、ごめんなさいを言いなさい」
 表情を緩めて真奈美は言った。
「ご……ごめんなたい」
「ごめんなさいママ、でしょ?」
「ごめんなたい……ママ」
「おねえちゃまには?」
「ごめんなたい、綾野……おねえちゃま」
 誠の顔に浮かんだのは決定的な敗北感と屈辱の色だった。
「それでいいわ。やっぱり、小っちゃい子には、理屈じゃなく体に覚えさせないとだめみたいね」
 笑い声で言って、真奈美は誠の体を抱えたままロッキングチェアから立ち上がった。
 綾野以上に軽々と誠の体を抱え上げた真奈美はベッドに向かって歩き出した。五〜六歩も歩けば、おむつとおむつカバーが用意してあるベビーベッドはすぐ目の前だ。静かに立ち止まった真奈美は誠の体をおろした。
 不意に、布おむつの柔らかな感触がお尻から伝わってきた。想像以上に柔らかくふっくらした感触が誠の羞恥を掻きたてる。
 誠が思わず目を閉じるのと、綾野が誠の足首をつかんで高く持ち上げるのとが同時だった。左手で誠の足首を支えた綾野は、右手で布おむつの端をつかむと、誠の両脚の間を通してお腹の方に伸ばしていった。それから、そっと誠の足首をベッドの上に戻して、おむつの下に右手を差し入れた。おむつをあてる時に上を向いてしまった誠のペニスを下向きに、つまり、おヘソの方ではなくお尻の方に向け直すためだった。こうしておけばおしっこが横洩れする心配がない。
 デザイナーが習作として誠の体に合わせて仕立てたそのおむつカバーは、横当てのおむつを使わない、股おむつ用のカバーになっていた。横当てのおむつを使うタイプのおむつカバーに比べて赤ん坊の股関節脱臼を防ぐことができるのに加えて見た目がすっきりした感じになるので、ベビー用品店の陳列棚に並んでいるおむつカバーは殆どみんなこのタイプになっている。
 綾野はおむつカバーの左右の横羽根をおヘソのすぐ下のところで重ね合わせると、互いをマジックテープでしっかり留めた。それから、その上に、やはりこれもマジックテープで前当てを留めて形を整える。おむつカバーのフロントにあしらったアップリケの小熊の顔は楽しげな笑顔だった。
 おむつをあて終えた綾野は、今度は、誠の脚とお尻を僅かに持ち上げて、肩紐のボタンを外したピンクのロンパースを足先から上半身の方へたぐり寄せるようにして着せた。おむつをあてている時の手つきも、ロンパースの股間に並んだ五つのボタンを留め、誠の上半身を起こして肩紐のボタンを留める手つきも、実に手慣れた感じだった。それは、意識を失っていた誠の世話を綾野が何日も続けてきたという何よりの証しだった。
 続けて綾野は、サクランボを模したボンボンが付いた、ロンパースと同じ色のソックスを履かせた。それから、エプロンのポケットから小さな櫛を取り出すと、誠の髪を撫でつけ始める。意識を失っていた一ケ月の間に誠の髪は随分と伸びて、首筋の半ばあたりに達する長さになっている。その髪を綾野は内側から掬い上げるようにしながら小振りの櫛で梳かしつけては、後ろの方で左右に振り分けて二つの房にまとめた。そして仕上げに、それぞれの房を、ソックスに付いているのと同じボンボンをあしらったカラーゴムできゅっと結わえる。それは、小さな女の子がよくしている、ツインテールという髪型だった。
「いかがでしょうか、奥様」
 誠の髪を整えた綾野はすっと身を退いた。
「うん、いいじゃない。何もしなくても可愛いまこちゃんだけど、こんなふうにすると本当に可愛らしいこと。どこから見ても小っちゃな女の子ね。それも、まだおむつの取れない赤ちゃんの女の子。ちょっと背が高いみたいだけど、それは仕方ないわね。もっとも、モデルになってもらうには、体が大きい方が着ている物もよく目立つからその方がいいわけだし」
 真奈美は誠の頭のてっぺんから爪先まで無遠慮に眺めまわして満足そうに言った。
 真奈美の言う通り、今の誠の姿は、大きなベビーベッドの上に上半身だけ体を起こして座っている幼女だった。身長は元の誠のままだから幼児にしては随分と高いが、その他は、ロンパースに包まれても一目でわかるぽっちゃりした体のラインといい、カラーゴムで結わえたツインテールの髪型といい、おむつで膨れたスカート付きロンパースのお尻といい、どこから見ても幼女そのものだった。本当ならペニスのためにおむつカバーの前の方が大きく盛り上がってしまうところだが、海綿体を削り落とされた上に前立腺を摘出されてしまったために勃起することもなくなり、綾野の手でお尻の方に向けられたままおむつの中で小さくなっている赤ん坊なみのおちんちんの存在は、どんなに目を凝らしても、ロンパースの上からでは到底わからない。
 真奈美は、まだぎゅっと目を閉じたままの誠の体を抱き上げると、ベビータンスの横に置いてある姿見の前に立たせた。
「ほら、見てごらん。まこちゃんはこんなに可愛らしくなったのよ」
 誠の体を背後から支えるようにして真奈美は囁きかけた。
 けれど、誠は目を開こうとはしない。
「ママの言うことを聞けない困った子はお仕置きだったわよね? せっかく綾野おねえちゃまがあててくれたおむつだけど、お仕置きの時には外さなきゃね。そうしないとお尻をぶてないものね」
 にっと笑って真奈美は言った。そして、ロンパースの股間のボタンに指をかけた。
「やだ。おちおきはやだ」
 誠はたどたどしく言った。
「そうね、お仕置きは嫌よね。お尻をぶたれるのは嫌よね。じゃ、まこちゃんはどうすればいいのかな?」
 それこそ幼児に言い聞かせるような真奈美の口調だった。
 誠は無言でゆっくり瞼を開いた。
 目の前の大きな鏡に映っているのはツインテールの髪が卵形の顔によく似合う可愛らしい幼女だった。まだ一人ではしっかり立つこともできないのか、背後から母親に支えてもらっている無力な幼女だった。スカートの付いたロンパースのお尻をぷっくり膨らませた、まだおむつの取れない幼女だった。
 誠は、力の入らない右手を僅かに揺らしてみた。鏡の中の幼女も右手を揺らした。それが、鏡に映る幼女が誠自身なのだとあらためて思い知らされた瞬間だった。
 想像したこともないような羞恥と屈辱の瞬間だった。




 真奈美は誠の背中を押すようにして綾野のそばに連れて行った。
「さ、そろそろお昼の時間ね。私が準備してくるから、綾野さんはまこちゃんをお願いね」
 真奈美は誠の体から手を離して言った。
「あ、昼食の準備は私がいたします。このお家に寄せていただいてからずっと私がさせていただいていたのですから」
 誠が倒れないようそっと手を差し伸べながら、恐縮したような口調で綾野が応えた。
「いいのよ。これまではまこちゃんがずっとおねむであまり手がかからなかったから家事も手伝ってもらっていたけど、もうまこちゃんもお目覚めなんだから、これからは綾野さんには本来のお役目を頑張ってもらわなきゃ。まこちゃんのベビーシッターっていう、とても大切なお仕事を」
 真奈美は諭すように言った。それから、意味ありげに笑って言葉を続ける。
「お昼近くでお腹が空いているのは私達だけじゃない筈よ。私が二人のお昼の用意をしている間に綾野さんはまこちゃんにお昼をあげてちょうだい」
「――承知しました、奥様」
 少しだけ間があって、綾野は恭しく頷いた。

 真奈美が出て行ってしばらくの間、部屋の中は静まりかえっていた。
 誠と綾野は無言のまま互いに相手の顔を見つめていた。
 しばらくして先に口を開いたのは誠だった。
「……なんとかちてにげだちぇないのかな。このままここにいたら、まだなにをちゃれるのかわからないよ……」
 なんとかして逃げ出せないのかな。このままここにいたら、まだ何をされるのかわからないよ。自由にならない口の動きに堪らないほどのもどかしさを覚えながら、誠は綾野に言った。
「ここから逃げることはできません。だいいち、お家から抜け出したとしても、その体では逃げ切ることはできないでしょう?」
 綾野は首を振った。
 確かに、このままこの家から逃げ出したとしても、その後どうすればいいのかなんてわからない。自分の体を元に戻すにはどうすればいいのかもわからない。それでも、とにかく誠はここから逃げ出したかった。
「それに、もしも私が誠さんを連れて逃げたりしたら、奥様は私の家が受けている融資のお金をすぐに引き上げてしまわれるでしょう。そんなことになったら……」
 綾野は言葉を濁した。
 誠も何も言えなかった。
「それに私、このお家での生活、かなり気に入っているんですよ。だから、逃げ出す気もありません」
 少し考え込むような顔つきになった綾野の表情が不意に変わって、意外な言葉を口にした。
 誠は不思議そうな表情で綾野の顔を見上げた。
「誠さんと私との仲は、所詮は不倫関係です。いつ離れ離れになってしまうのか、二人一緒にいる時も私はずっと怯えていました。でも、このお家にいれば、ずっと誠さんと一緒にいられるんです。いつまでも誠さんのお世話をできるんです。私は却って嬉しいくらいなんですよ」
 言葉通り、綾野の顔は晴れ晴れしているように見えた。
「誠さんがエステサロンに連れて行かれた翌日、私もあのサロンに連れて行かれました。そして、体中に包帯を巻いた誠さんの姿を見せられながら注射を打たれたんです。注射はその日だけじゃありませんでした。次の日も、その次の日も――誠さんの体に残る傷が殆どなくなって包帯もみんな外しちゃう日くらいまで。何の注射だと思います?」
 綾野の顔には微笑みさえ浮かんでいた。そうして、誠が何も応えないのを見ると、身に着けていたエプロンを脱ぎ捨ててブラウスのボタンを外し始める。
 ブラウスのボタンを上から三つ外した真奈美が胸をはだけると、地味なベージュのブラが見えた。そのブラが普通のとは違うことに誠もすぐに気がついた。乳首が当たるパッドの周囲に細い線が走っているのがわかる。それは、授乳用のブラだった。
 それにしても、妊娠もしていない綾野が何のために授乳用のブラなんて着けているのだろう。一瞬わけがわからなかった誠だが、すぐに真奈美の言葉を思い出した。綾野さんはまこちゃんにお昼をあげてちょうだい。部屋を出て行く前、真奈美は確かにそう言った筈だ。でも、まさか。
「私が打ってもらった注射は特殊なホルモンたったんです。子供を生んでいない女性でも母乳を出すことができるようになる、まだ認可されていない特殊な合成ホルモン剤だったんですよ。何のためにそんな注射を打ってもらったのか、もう誠さんにもわかってきたんじゃありません?」
 綾野はブラの右のパッドを外した。マジックテープを剥がす微かな音が誠の耳にも聞こえた。
「処置を受けたばかりの誠さんは、鼻にチューブを入れて、そのチューブから流動食を胃に流し込む方法で栄養を補給していました。でも、いつまでもそんな姿は可哀想です。かといって、奥様がおっしゃっておられたように顎と頬の筋肉の力も弱められているから、意識が戻ったとしても普通の食べ物を口にすることもできません」
 綾野は誠のお尻を右手で支え、左手を背中にまわして誠の体を抱き上げると、ロッキングチェアに腰をおろした。誠のすぐ目の前に綾野の乳首があった。
「つまり、誠さんが口にできるのは柔らかい離乳食くらいしかないんです。それと、飲み物くらいしか。飲み物の中で体に一番いいのは、もちろん母乳です」
 綾野は誠の体を抱き寄せて、ピンクの乳首を強引に口にふくませた。
 途端に誠は、自分がとても空腹だということに気がついた。綾野の少し青臭いような何とも表現しようのない匂いのする乳首を口にふくまされた途端、たまらないほどお腹が空いていたんだということに気づいたのだ。
 意識しないまま、誠の唇が動き始めた。綾野の乳首を求めて誠の舌もおずおずと動き出す。
「奥様の説明にはなかったようですけど、誠さんは胃にも処置を受けているんですよ。アメリカでダイエットのために開発された方法らしいですけど、なんでも、胃を小さくする処置だそうです。こうすれば少しの食べ物ですぐに満腹感を得ることができるらしいんですけど、誠のさんの胃も、そんなふうになっていると教えてもらいました。だからすぐにお腹がいっぱいになるけど、でも、その代わりに、すぐにお腹が空くんだよって」
 綾野の乳首から母乳が溢れ出た。乳首の青臭いようなどこか懐かしいような不思議な匂いが母乳の匂いだということに誠は気がついた。
「ホルモン投与のおかげで母乳が出るようになった後は、誠さんの栄養補給はチューブの流動食から私の母乳に代わりました。小さな胃ですぐにお腹が空くから、生まれたての赤ちゃんみたいに三時間ごとに私がおっぱいをあげていたんですよ、昼間も夜中も。サロンの特別室にいる間も、今から一週間程前にこのお家に戻ってきてからも。最初はとても奇妙な感じだったけど、何日か経つうちに、誠さんに私のおっぱいを飲んでもらう時間が来るのがとても待ち遠しくなってきて――私の腕に抱っこされて無心に私のおっぱいにむしゃぶりつく誠さんがとてもいとおしくなってきて、それに、誠さんが吸ってくれるおかげで、それまでは痛いほどに張っていたおっぱいが楽になっていくのが嬉しくて……」
 うっとりした表情で綾野は囁いた。
 その表情を目にした途端、誠の背筋を冷たいものが走った。誠は真相に気づいたのだ。綾野がこの家から逃げ出す気を起こさないのは、母乳を出させるために投与したというホルモン剤の副作用に違いない。妊娠もしていない女性に母乳を出させるような劇的な効果のある薬剤なら、精神の方にも働きかけて、その女性の母性本能をひどく高ぶらせてしまうこともあるだろう。そうだとしたら、綾野はもう自分のことをかつての不倫相手などとは見ていないかもしれない。ずっと誠さんと一緒にいられるんです。いつまでも誠さんのお世話をできるんです。そう言った綾野は、かつての不倫相手としてではなく、それこそ一人では本当に何もできない幼児を見るような目で自分のことを見ているのではないだろうか。ひょっとしたら、まるで誠が自分の子供ででもあるかのような気にさえなって。だからこの家から逃げ出す気にもならないのだとしたら、もしもそんな向精神作用があることを知って真奈美がホルモン剤の投与を院長に指示したとしたら――綾野の心は目に見えない檻に閉じこめられたのと同じだった。綾野はそれが自分の意志だと思っているかもしれないけれど、実は周到に仕組まれた罠そのものだったのではないか。
「ほら、お口がお休みしてますよ。たくさんおっぱい飲まなきゃ元気になれませんよ、まこちゃん」
 真奈美が部屋から出て行った後は『誠さん』と呼んでいたのが、誠に乳首をふくませて急に『まこちゃん』という呼び方に変わった。
 誠は、乳房を突き出すようにして体に力を入れ直した綾野のきらきら輝く瞳を見て、ひよっとしてという思いが辛い確信に変わってゆくのを感じた。同時に、自分が完全に逃げ場を失ったことも悟らざるを得なかった。ただ一人の味方だと思っていた綾野まで真奈美の側についてしまった今、誠をこの屈辱と羞恥の世界から救い出してくれる者はどこにもいない。
 かつての恋人だった女性の乳房に顔を埋め、自分の意志とはまるで無関係に、ただ空腹を満たすために母乳を貪り飲む誠。意識を失っていた間ずっとそうされていたためか乳房や母乳の匂いにまるで嫌悪感を覚えることなく、むしろ懐かしく感じてしまう誠。綾野の胸から伝わってくる心臓の鼓動の音に奇妙な安堵感さえ覚えてしまう誠。
 ひたすら惨めだった。いっそ死んでしまいたいくらいに惨めだった。その時になって、誠は、顎や頬の筋肉が無力化されている本当の理由を知ったような気がした。それは、誠が舌を噛み切るのを防ぐためではなかったろうか。もしもそうだとしたら、誠には自ら命を絶つ自由さえも真奈美の手によって奪われてしまったことになる。
 誠の背中を綾野はあやすように軽く撫でさすりながら母乳を与え続けた。




 真奈美が部屋に戻ってきたのは、誠の口にふくむ乳首を綾野が右の乳房から左の乳房に変えさせて間もない頃だった。
「さすがにまこちゃんを抱っこして階段をおりるのは大変でしょうから、ここへ持ってきたわよ」
 真奈美は、いい香りのするパスタを載せたトレイを小さなテーブルに置いて言った。
「すみません、奥様」
 綾野は顔を上げて言った。
「いいのよ、こんなことくらい。もう夏も近いし、食欲が出るように香辛料たっぷりのペペロンチーノにしてみたの。ちょっとニンニクを効かせすぎちゃったけど、それは許してね」
 笑顔で応えた真奈美は綾野と誠の傍らに立つと、誠の顔を覗きこんで
「よかったわね、まこちゃん。おねえちゃまのおっぱい、おいしいでしょう? 本当はママのおっぱいをあげたいけど、ママはおっぱいが出ないからごめんね」
と言いながら、人差し指で誠の頬を軽くつついた。
 ちょうど母乳が口の中に流れこんでいた時にそんなことをされたものだから、顎と頬に力を入れられない体にされている誠の唇が微かに開いて、母乳が一筋の条になって溢れ出してしまった。唇の端から顎先を伝って、白い小さな滴がピンクのロンパースの胸元に滴り落ちる。
「あらあら、大変だこと。せっかくの可愛いお洋服がシミになっちゃうわね」
 大変そうではない、どちらかというと面白そうな声で言って、真奈美はベビータンスに駆け寄った。そして、一番上の引き出しから、飾りレースで縁取りした純白のタオル生地でできた大きなよだれかけをつかみ上げた。
「綾野さん、ちょっとごめんなさい。まこちゃんにこれをつけてげるから、少しの間、おっぱいをあげるのを待ってもらえるかしら」
 手にしたよだれかけを誠の目にもよく見えるように高く差し上げて真奈美は言った。
「はい、奥様」
 綾野は体をそらして誠の唇から乳首を離そうとした。
 けれど、誠の唇は離れない。誠はすがるみたいにして乳房に顔を埋めようとする。
「あらあら、おねえちゃまのおっぱいがそんなにいいの? うふふ、まこちゃんは本当に甘えんぼうの赤ちゃんなのね。おむつの外れない、おっぱいが大好きな赤ちゃんのまこちゃん」
 真奈美はもういちど誠の顔を覗きこんだ。
 誠が綾野の乳房から離れないのは、綾野の乳房が好きだからではない。ここで綾野の乳首から口を離してしまえば、真奈美が持っているよだれかけを着けさせられるからだ。これ以上に幼児めいた格好をさせられるのに抵抗するには、綾野の乳首を吸い続けるより他にしようがなかった。
 しかし、それも無駄な抵抗だった。綾野が両手を少し下におろして上半身を起こすと、誠の唇はいとも簡単に綾野の乳首から離れてしまった。その瞬間、綾野の乳首の先から滴っていた母乳が二滴、三滴、ロンパースの上に落ちてゆく。
「すぐにすみますからね。ちゃんとよだれかけを着けたら、また、すぐにまこちゃんの大好きなおっぱいですからね」
 言い聞かせるように囁きかけながら、真奈美は、誠の首の後ろで細い紐を手早く蝶結びに結わえ、胸元に大きなよだれかけを押し当てた。それから、よだれかけがずれないようにもう一本の紐をこれは背中のところで結わえれば、それでおしまいだった。
 ピンクのスカート付きロンパースの胸元をよだれかけで覆われた誠は、それまでに比べても更に幼い姿になった。ボンボンの付いたソックスを履いて、ソックスと同じボンボンの付いたカラーゴムで髪をツインテールにまとめた誠。唇の端を母乳で汚してしまった誠。股間にボタンの並んだピンクのロンパースを着て、胸元にはよだれかけが揺れている誠。大柄な綾野の腕の中で、そんな誠の姿は幼児というよりも乳児めいてさえ見える。
「さ、いいわよ」
 誠の唇と頬をよだれかけの端で優しく拭って、真奈美はにっと笑った。

 それから再び綾野の乳首を口にふくまされた誠だったが、あまり飲まないうちにぶるんと首を振った。それは、胃を小さくする処置を受けたせいでじきに満腹になってしまうからというのだけが理由ではなかった。それよりも、不意に高まってきた尿意の方が大きな理由だった。来客用の寝室での羞恥のお洩らしから、まだ一時間半も経っていない。なのに、もうおしっこが出そうになっている。
「といれへちゅれていって。お、おちっこだから」
 今度は自分から乳首を離すと、誠は懇願するように言った。大の大人が「おしっこだからトイレへ連れて言って」と口にするのはどんなに惨めなことだろう。それでも、それこそ本当に赤ん坊のようにおむつをおしっこで汚してしまう羞恥に比べれば、まだ、そう懇願する方がいくらかマシだった。
「あら、もうおしっこなの? さっきしたばかりなのにね。だけど、まこちゃんみたいに小っちゃい子だと仕方ないわね。小っちゃい子は膀胱も小さいから、すぐにおしっこしたくなるのよね。そうね、膀胱が小っちゃいんだものね」
 真奈美が何度も口にした「膀胱が小さい」という言葉を耳にした途端、誠は知った。真奈美はあからさまには言わなかったが、膀胱を小さくする処置も施したに違いない。でなければ、こんなに早く尿意を感じる筈がない。そして、誠は思い出した。真奈美はこうも言った筈だ。膀胱の神経もちょっといじってもらったわよ。おしっこが或る程度たまったら、すぐに我慢できなくなるように、と。
「はやく、といれ。おちっこだから」
 早く、トイレ。おしっこだから。およそ、成人が発する言葉ではない。小学校の低学年でも恥ずかしくて口にしないだろう。けれど、そんな言葉を口にせざるを得ないほどに誠は切羽詰まっていた。
「大丈夫よ。お洩らししてもいいように、まこちゃんはおむつをあててるんだから」
 真奈美は、おむつで大きく膨れたロンパースのお尻をぽんと叩いた。
「やだ。おむちゅは、やだ。といれへいく」
 ただでさえ甲高い誠の声が金切り声になった。
「そう、そんなに言うならいいわ。せっかくまこちゃんがおしっこを教えてくれたんだからトイレへ連れて行ってあげる。綾野さん、まこちゃんをおろしてあげて」
 唇の一方の端だけを吊り上げるような笑い方をして真奈美は言った。
「承知しました。じゃ、まこちゃん、ちゃんと立っちできるかな」
 言われて、綾野は誠の体を支えながらそっと床におろした。
「さ、いらっしゃい」
 床におり立った誠の手を引いて真奈美が背中向きに歩き始めた。
 今にも倒れそうな足取りで誠もゆっくり歩き始めた。ロンパースのお尻を左右に大きく揺らしながらおぼつかない足取りでよちよちと進む幼児の歩き方で。
 のろのろした歩みのせいで、部屋を横切り、ドアを過ぎて廊下に出るまでに一分以上もかかっただろうか。
 綺麗に磨き込んだ廊下を二歩三歩と進んだ所で、急に誠の足が止まった。
「どうしたの、まこちゃん。まだトイレじゃないわよ。トイレは階段の下にあるのよ」
 真奈美は軽く誠の手を引いた。
 誠は絶望的な表情で真奈美の顔を見上げた。
「まこちゃん、どうしたのかな?」
 何が起きたのか、真奈美にはおおよその察しがついている。なのに、わざと知らんぷりをして言うと、それまで誠の手を引いていた右手を誠の腰に巻きつけるようにして膝を折った。
 しゃがみこんだ真奈美のすぐ顔の前が誠の太腿のあたりだった。スカートの下からロンパースの股間のあたりを覗きこむような格好になった真奈美の耳に、小川のせせらぎのような水音が微かに微かに聞こえてきた。見上げると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた誠の顔があった。
 真奈美は左手の掌を誠の股間にそっと押し当てた。太腿がぴくぴくと震える感触が伝わってくる。そうして、おむつカバーの中の布おむつが誠のおしっこを吸ってゆっくりゆっくり温かくなってくる感触と、おしっこを吸った布おむつが僅かずつ膨らんでくる感触が、ロンパースの上から微かに伝わってきた。
 誠の膀胱の神経は、膀胱がおしっこでいっぱいになるまで尿意を脳に伝えないよう細工されていた。言い換えれば、尿意を感じた時には、もういつ膀胱から溢れ出てもおかしくないくらいおしっこが溜まっていることになる。つまり、誠の体は、尿意を感じて二分ほども我慢するのが精一杯というふうに作り変えられてしまっているのだ。すぐにおしっこで一杯になってしまう小さな膀胱。尿意を感じてすぐにおしっこを溢れさせてしまう膀胱。見た目だけでなく、誠の体は、その内側も、おむつを手放せない幼児と同じにされてしまっているのだった。
「泣かなくていいのよ。赤ちゃんがおむつを汚すのは当たり前なんだから。赤ちゃんがおしっこで汚したおむつはママやおねえちゃまがお洗濯して綺麗にしてあげる。だから、さ、お部屋に戻って綾野おねえちゃまにおむつを取り替えてもらいましょうね」
 真奈美は、その場に立ちすくんでいる誠の体を抱き寄せてこんな言葉を付け加えた。
「でも、おっぱいを飲んですぐにおむつを汚しちゃうなんて、まこちゃんはミルク飲み人形みたいね。うん、そうだわ。おっぱいを飲ませてあげるたびにおむつを汚しちゃう可愛いミルク飲み人形なんだわ、まこちゃんは」

 再び真奈美に手を引かれて部屋に戻った誠を綾野は軽々と抱き上げてベビーベッドの上に寝かせ、ロンパースのボタンを外し始めた。
 ボタンを外してロンパースのお尻を開くと、レモン色のおむつカバーが現れる。綾野は慣れた手つきでおむつカバーのマジックテープを外していった。前当てを誠の両脚の間に広げて横羽根もさっさと外してしまう。
 おむつカバーの中のおむつは、お尻のあたりがぐっしょりになっていた。
「やっぱりまこちゃんは女の子なのね。男の子だったら前の方が濡れる筈だけど、まこちゃんのおむつは、お尻の方がびしょびしょだもの」
 ベビーベッドの傍らに立った真奈美がくすっと笑って言った。
 おむつをあてられる時に綾野の手で下を向かされた誠の小さなペニスは、おむつの中でじっとしていた。前立腺と精嚢を摘出されて勃起する能力も射精の能力も奪われた上で小さく作り変えられたペニスは、おむつの中で向きを変えることもできないほどに無力だった。だから、まるで女の子みたいにお尻の方を濡らしてしまったのだ。
 綾野は、さっきおむつをあてる時にそうしたのと同じように誠の足首をつかんで高く持ち上げ、ぐっしょり濡れたおむつを手前に引き寄せた。お尻が当たるあたりの部分がぐっしょりのおむつだが、その他の部分は殆ど濡れていなかった。小さな膀胱ではおしっこを貯める量が限られているため、お洩らししたとしても、おむつがひどく濡れてしまうようなことがないのだ(その代わり、恥ずかしいお洩らしを何度も何度も繰り返す羽目になるわけだが)。
 真奈美が差し出したポリバケツに濡れたおむつを入れてから、綾野は新しいおむつを誠のお尻の下に広げた。それから、新しいおむつを誠のおヘソのすぐ下まで伸ばす。――どれもこれも、みんな手慣れたものだった。誠の体の包帯が取れてから今日まで、綾野はずっとそうしてきたのだから。ただ、それまでと違う点が一つだけあるとすれば、それは、誠が意識を取り戻しているということだった。ただ眠っているばかりの誠のおむつを取り替え、何も言わない誠に授乳していた時に比べて、ささいなことにも反応するようになった誠のおむつを取り替えてやり、乳房の感触をしっかり感じながら乳首を口にふくむ誠に母乳を飲ませる今の方が、なんだかぞくぞくするような悦びを覚える綾野だった。それが特殊な合成ホルモンの作用で母性本能が異様に刺激された結果だということも知らず、かいがいしく誠の世話を続ける綾野だった。



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