暖かな日差しの中で



   2 早春の公園で


 髪を結わえたカラーゴムとお揃いのサクランボのボンボンがくるぶしに付いているソックスとピンクの運動靴を履き、風がふくたび裾が舞い上がってアニメキャラのショーツが見えそうになるほど丈の短いチュニックを着て大柄な『お姉ちゃん』に手を引いてもらって歩く早苗の姿は、まさしく、小学三年生の春を迎えたばかりの幼い女の子そのものだった。
(この水溜まりさえなかったら、こんな恥ずかしい格好なんてしなくてすんだのに)
 早苗は、トラックに水をかけられた情景を思い出しながら、車道の大きな水溜まりを横目で睨みつけた。
 水さえかけられなければ、河野家に到着してすぐに荷物を確認し、届いていない荷物があるとわかれば予備の着替えを取りに自分の家へ戻ることもできただろう。
 本当のことを知らない早苗がふとそんなふうに夢想するのも仕方ない。しかし実際には、もしもトラックに水を跳ねられるという偶然のアクシデントが起きなかったとしても、摩耶は庭に水を撒く振りをしながら不注意を装って散水ホースを早苗に向け全身をびしょ濡れにさせることもできたし、あるいは、手を滑らせた振りをして花瓶の水を早苗の頭からかけるということもできるわけだから、早苗の夢想とは裏腹に、いずれ同じ結果が待ち受けているだけだった。

「はい、こっちよ。――次は右に曲がって」
 思っていたよりもずっと広い公園の中を、早苗の手をしっかり握りしめて京子は足早に歩いて行く。
 まだ小学六年生だというのに百六十五センチくらい身長がありそうな京子が大股で歩くものだから、小柄な早苗は遅れないようついてゆくのが精一杯だ。そんな早苗の姿は、まさに、姉の後ろをちょこちょこ追いかける幼い妹さながらだった。
「さ、ここよ」
 まだ春先だというのに額にうっすらと汗が浮かぶほど歩いてからようやく京子の足が止まったのは、広い芝生広場の一角だった。
 田園地帯を造成した郊外の公園だから土地には余裕がある。公園の中心を占める池も元は灌漑用の溜池だったのだろう、周囲が一キロメートルほどありそうで、時おり魚が跳ねて水面に波紋が広がっている。池の周囲に沿って遊歩道が整備され、子供向けの遊具が並んでいる区画や、丹念に手入れされた花壇になっている区画、青々した芝生が生え揃った区画などが点在していた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
 足を止めた京子は早苗から手を離し、少し離れた場所で花を摘んでいる二人組の少女に向かって声をかけた。
「いいよ、京子ちゃんを待ってる間にレンゲもシロツメクサもたくさん摘めたから」
 京子の声に二人の少女は揃ってさっと立ち上がり、麦わら帽子いっぱいに摘んだ小花を抱えてこちらに近づいてきた。
「ほら、これだけ有れば立派な首飾りと髪飾りが作れるでしょ?」
 少女の一人が、花いっぱいの麦わら帽子を京子の目の前に差し出した。
 一方、もう一人の少女は真澄に向かって
「綺麗な首飾りを作ってプレゼントするから楽しみに待っててね。二年生でキャプテンなんて真澄お姉ちゃんが初めてなんだから、記念になるよう、たっぷり時間をかけて、うんと綺麗なのを作ってあげる」
と声を弾ませたが、真澄の背中に隠れて身をすくめている早苗に気づくと、京子がそうだったように興味津々といった表情を浮かべて真澄の背後に廻りこんだ。
「こんにちわ。私、美咲。あなたは?」
「……」
 少女は穏やかな声で話しかけるのだが、早苗の方は身を固くするばかりだ。
「あらあら、早苗ちゃんたらすごい恥ずかしがり屋さんだったんだ。いいのよ、そんなに緊張しなくても。このお姉ちゃんたちは私のお友達で、同じチームのメンバーなんだから」
 早苗が何も答えられないでいる本当の理由なんてまるで思いもよらない京子はおかしそうにくすっと笑い、真澄の背中にしがみつくようにしている早苗を二人の前に押しやった。
「この子は島田早苗ちゃん。真澄お姉ちゃんの従姉妹なんだけど、この子のお父さんのお仕事の都合で二年間ほど真澄お姉ちゃんちで預かることになったんだって。四月から三年生になるそうなんだけど、ほら、それにしちゃ背が高いでしょ? だから、四年生になったらうちのチームに入るよう誘ってるの。二人からも誘ってあげてね。知り合いが多ければ多いほど入ってみようかなっていう気持ちが強くなるんだから」
(わ、私の方がずっと年上なのに……)
 京子が何度も口にする『この子』という言い回しに、早苗の頬がかっと赤くなる。しかし、早苗のことをすっかり小学三年生だと思い込んでいる京子の目の前で今更これまでの経緯を説明することはできない。
「あ、真澄お姉ちゃんの従姉妹なんだ。じゃ、改めて自己紹介しておくね。私、美咲。藤木美咲。京子ちゃんと同じで、新学期で六年生になるの。よろしくね」
 最初に美咲と名乗った少女が満面に笑みを浮かべて言った。
「私は田原良美、二人と同じ六年生よ。早苗ちゃんが四年生になってチームに入る時、私たちは中学生の部に上がっちゃうけど、チームは同じだもん、一緒に頑張ろうね」
 続いて良美と名乗った少女も早苗に向かってにこやかに微笑みかける。
 だが、早苗はまだ口を閉ざしたままだ。
「ほらほら、駄目じゃない、早苗ちゃん、上級生のお姉さんが挨拶してくれているのにだんまりだなんて。本当だったら下級生の早苗ちゃんの方から先にご挨拶しなきゃいけないのよ」
 早苗が唇をぎゅっと噛みしめている本当の理由を充分に知っていながら真澄はお姉さん風を吹かせて言い、わざとのような困った顔つきで美咲と良美に話しかけた。
「ごめんね、二人とも。この子ったら、ちょっぴり顔見知りなところがあるのよ。私が代わりに謝るから許してあげて」
「そんな、ごめんだなんて。私たちだって低学年の時は知らない人の前に出たら恥ずかしくて何も言えなかったもん」
「そうそう。気にしなくていいのよ、早苗ちゃん。新学期から三年生っていっても、ついこのあいだまで二年生だったんだもん、きちんとご挨拶できなくても仕方ないわよ。ご挨拶は一緒に遊んで仲良しになってからでいいのよ」
 自分よりも六つも年下の少女たちに庇われて、早苗の頬がますますの羞恥に熱くほてる。
「駄目よ、こういうことは最初が肝腎なんだから。いい? 早苗ちゃんは来年になったら私たちと同じチームのメンバーになるのよ。ちゃんとご挨拶できるよう今のうちにお稽古しておかなくてどうするの!」
 とりなす少女たちに向かって軽く首を振り、真澄は早苗を叱責した。
「だ、だって……」
 真澄の予想外にきつい口調に思わずびくっと肩を震わせて早苗は口ごもる。
 そして、しばらく逡巡した後、躊躇いがちに爪先立ちになると、真澄の耳元に口を寄せ、いかにも情けなさそうな声で囁きかけた。
「ひどいじゃない、真澄ちゃん。私、宅配会社の手違いで着る物が届いてないから仕方なく真澄ちゃんのお古を着ているだけなのよ。なのに、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのよ」
 真澄はひょいと腰をかがめて弱々しい訴えに耳を傾けたものの、その哀願に応じる気配などさらさらみせず、皮肉めいた笑みを浮かべると、こんなふうに言葉を返した。
「ふぅん。じゃ、私がみんなに説明してあげようか? 早苗ちゃんは高校生なのに、小っちゃい子供みたいな格好をするのが好きなんだよって。小っちゃい子供の振りをして自分より年下の子に甘えるのが大好きなおかしな子なんだよって」
「そんな、そんな……」
「それに、高校生のくせに、こんなお子ちゃまパンツを穿いて喜んでる恥ずかしい子なんだよって」
 真澄はまわりの少女たちに聞こえないよう声をひそめてそう囁きかけ、早苗が着ているチュニックの裾を、風の悪戯を装ってさっと捲り上げた。
「へーえ、可愛いパンツを穿いてるんだ、早苗ちゃん」
「でも、そうよね。低学年の女の子っていったら、たいてい、こんなアニメのパンツを穿いてるよね。とっても似合ってるよ、早苗ちゃん」
「それにしても、早苗ちゃんくらいの年だったらパンツが見えてもあまり恥ずかしくないから自由に体を動かせて羨ましいな。私たちだったら体操着の時でないと思い切り体を動かせないもん」
 早苗は慌ててチュニックの裾を両手で押さえたものの、バックプリントをあしらった女児用ショーツを少女たちは見逃さなかった。彼女たちが口々に交わす言葉によって、いよいよ本当のことを話しづらい状況に追い込まれてゆく。
「早苗ちゃんが事情を話しにくいんだったら私が説明してあげるわよ。『早苗ちゃんたら、私たちよりもずっと年上の高校生のくせに子供みたいな格好してるんだ』って囃したてられてもいいならね。さ、どうするの?」
 とどめを刺すように真澄が早苗の耳元に囁きかける。
 少女たちへの『ご挨拶』をいつまでも拒み続けたらどんな目に遭うのか、いやでも早苗は覚らざるを得なかった。
 早苗は諦めの表情を浮かべ、おずおずと少女たちの方に向き直った。
「ご挨拶する前に一つ忠告しておいてあげるわね、早苗ちゃん。うちのチームでは、メンバーどうしで名前を呼ぶ時は、苗字じゃなくて下の名前を呼ぶ決まりになっているの。その方が親しみが湧いてチームのまとまりが強くなるからよ。特に女の子どうしだと、年下の子は年上の子を『〜お姉ちゃん』、年上の子は年下の子を『〜ちゃん』って呼ぶの。本当の姉妹みたいに呼び会うことで気持ちが通じ合うようにするためよ。さ、私の忠告を守ってお姉さんたちにご挨拶なさい」
 それまでかがめていた腰を伸ばしながら、真澄は早苗の顔を横目で見おろして言った。
「……京子ちゃ、ううん、京子お……お姉ちゃん、美咲お姉ちゃん、良美……お姉ちゃん、わ、私、島田早苗です。今度、三……三年生になります。まだ一緒のチームに入れないけど……ら、来年まで待っていてください。そ、それと、まだ同じチームじゃないけど、仲……仲良くしてください。お願いします、お姉ちゃんたち」
 しばらく逡巡した後、浅い呼吸を何度か繰り返してから、よく注意していないと聞き逃してしまいそうな小さな声で早苗は言い、ぎこちないお辞儀をした。
「はい、よくできました。ちょっと声が小さかったけど、今日はこれでいいってことにしてあげる」
 打ちひしがれたような表情でのろのろと顔を上げる早苗に向かって真澄はにまりと笑って言った。
「お利口さんだったわよ、早苗ちゃん。きちんとご挨拶できて」
「ほんと、ほんと。私がチームに入った時なんて、四年生だったけど、こんなにちゃんとできなかったもん。本当にお利口さんだこと」
「うん、えらいわよ、早苗ちゃん。来年になって新しい子が何人くらいチームに入ってくるかわからないけど、きっと早苗ちゃんが一番のお利口ね」
 三人の少女は代わる代わる早苗を褒めそやし、交互に優しく頭を撫でた。
(少しでも早くここから逃げたい。こんな所から逃げ出して、元の自分に戻りたい。で、でも、そんなことに気を取られて油断しちゃ駄目よ。へたなことを言って私が本当は高校生だってことがばれないように気をつけなきゃ。気をつけながらこの子たちの遊びにつきあって、夕方になるのを待つのよ。夕方になればみんな自分の家へ帰るんだから。そうしたら私も真澄ちゃんと一緒に叔母さんちに戻って、もう乾いている筈の私の洋服に着替えて、それで、今日のことなんてみんな忘れちゃえばいいのよ。小学生なんて移り気なものなんだから、明日になったら他のことに夢中になっているに違いない。そうよ、明日からこの子たちと顔を会わせないよう注意して生活すればそれでいいのよ。うん、あまり気に病んじゃ駄目。今はただ、私の本当の年齢を知られないように気をつけることだけに集中するのよ)
 今にも衝動的にこの場から逃げ出しそうになる自分をかろうじて宥め、落ち着きなさい落ち着きなさいと何度も自分自身に言い聞かせてかろうじて息を整える早苗。
 しかし、この先に尚これまで以上の羞恥と屈辱が待ち構えていることを、この時の早苗はまだ知らなかった。




 手提げ袋から取り出したレジャーシートを芝生広場の一角に広げ、その上で少女たちに教えられるまま小花の首飾りを作る早苗だったが、不意に腰をびくっと震わせ、どこか落ち着かない様子で睫毛をしばたかせた。
「どうしたの、早苗ちゃん? 丈の短いチュニックだから寒くなってきたんじゃない?」
 なぜとはなしに心ここにあらずといった様子の早苗に、京子が気遣わしげに声をかけた。
「……ううん、なんでもない……」
 京子に声をかけられた早苗は慌ててかぶりを振り、小花を首飾りに編み込む手を改めて動かし始めた。
「そう? だったらいいんだけど」
 それ以上は気にするふうもなく、京子も自分の作業に戻る。

 だが、静かな時間はあまり長くは続かなかった。
 再び早苗がびくんと腰を震わせ、今度は荒い息をつき始めたのだ。
「早苗ちゃん、本当に大丈夫なの?」
 京子が急いで近づき、そっと肩に手を置いて、うなだれる早苗の顔を覗き込んだ。
「な、なんでもない……」
 早苗は頑なに言うのだが、京子は納得しない。
「なんでもないわけないでしょ? どうしたのか、ちゃんと話してごらん」
 早苗の肩を何度も優しく叩きながら京子は穏やかな声で促した。
「黙ってちゃわからないでしょう? どうしたのか、お姉ちゃんたちに話さなきゃ駄目じゃない」
 横合いから真澄の声も飛んでくる。
 それでようやく早苗は小さく頷き、二人の顔を見ないようにして弱々しく言った。
「お、おしっこなの……」
「あ、おしっこがしたかったんだ。なぁんだ、そんなことだったら遠慮なんかしないで早く言えばいいのに」
 心配顔から一転、晴れやかな笑みを浮かべ、京子はくすりと笑った。
「だ、だって……」
 まわりの少女たちにすればなんというほどのことではないだろう。しかし、トイレへ行って用を足そうとすればどうしても女児用のショーツに目をやらざるを得なくて、それを目にした途端、自分が今どれだけ恥ずかしい格好をしているのか改めて思い知らされる羽目になる。それが嫌で、さほど強い尿意ではないからみんなが帰路につく夕方まで辛抱できるだろうと判断して、これまでトイレを我慢していた早苗だった。だが、尿意の高まりはどういうわけかいつもと比べものにならないほど異様に激しく、気がつけば、ちょっと油断しただけでくじってしまいそうな状況に置かれているのだった。
「トイレは池の向こう、ほら、滑り台やブランコが並んでいる場所があるでしょう? あそこの、そう、あのジャングルジムの横のコンクリートの建物よ。あのへん、通路がちょっとややこしいから私が手をつないで連れて行ってあげる。はい、立って」
 京子は、それまで早苗の肩に載せていた手を目の前に差し出した。
 自分よりもずっと年下の小学生に手をつないでもらってトイレへ連れて行ってもらうなど羞恥の極みだが、もうそんなことも気にしていられないほどに尿意は高まっていた。
 早苗はすがるようにして京子の手を握り、下腹部に余計な力を入れないよう細心の注意を払いながらおそるおそる立ち上がって、情けない声で懇願した。
「あ、あまり早く歩かないでね、京子お姉ちゃん。ゆっくりじゃないと私、私……」
 ゆっくりじゃないと私しくじっちゃいそうだから。さすがに最後の言葉は口にできなかったが、早苗が言いたそうにしていることはそれとなく伝わったようで、京子はおどけた様子でウインクをしてみせると、
「わかってるわよ、ゆっくり歩いてあげる。お姉ちゃんにまかせてついてらっしゃい」
と、それこそ幼い妹をあやすかのように言うのだった。

「小っちゃい子は何かに夢中になるとそれに集中してトイレのことも忘れちゃうっていうけど、本当にそうだったのね」
「そうね、このぶんだと、うちのチームに入った後も、練習に夢中になっちゃってトイレへ行きそびれるなんてことがあるかもしれないから、私たちが気をつけてあげなきゃいけないかな」
「うん、確かにそうだね。練習の合間合間に『おしっこはいいの?』って聞いてあげなきゃね」
「だけど、そんな早苗ちゃん、手間がかかるっていうより、とっても可愛い感じじゃない? なんていうか、小っちゃい子と一緒にいると癒されるみたいな?」
「やだ、まだ小学生のくせに母性本能全開じゃん、美咲ちゃんたら」
 そんな美咲と良美のやり取りを背中で聞きながら、早苗は用心深くゆっくり歩き始めた。下腹部に余分な力が入らないよう、そろりそろりと。
 しかし、歩みが遅いと、そのぶん、トイレへ辿り着くのに時間がかかる。池の向こう側にあるトイレまではかなりの距離だ。
(まさか、このまま間に合わないなんてことないわよね!?)
 さっきよりもまた一段と高まってきた尿意に、早苗は両脚の腿を擦り合わせた。

 京子に手を引かれた早苗はやがて芝生広場と遊歩道との境界までやって来たのだが、その時はもう早苗の目には、なかなか距離が縮まらないトイレの建物しか映っていなかった。
 知らず知らずのうちに歩みが急ぎ足になってしまう。
「きゃっ!」
 不意に体のバランスが崩れた。足元への注意が疎かになり、雑草どうしが絡み合って小さな輪になっているのに気がつかず、早苗はそこに足を引っかけて躓いてしまったのだ。
「あ、危ない!」
 前のめりに倒れそうになる早苗の体を俊敏な身のこなしで京子が正面から抱き止めた。
 そのおかげでかろうじて転倒は免れた早苗。
 だが、その顔が絶望的な表情に歪み、両目が涙に潤む。
「早苗ちゃん……?」
 一瞬何が起こったのかわからず、京子の瞳に困惑の色が浮かぶ。
 早苗の口から嗚咽の声が漏れ聞こえたかと思うと、ぴちゃんという水音が微かに聞こえて遊歩道の路面にしぶきが散った。
「い、いやぁ!!」
 物悲しげな嗚咽が痛々しい悲鳴に変わると同時に、遊歩道に飛び散るしぶきの数が増え、ぴちゃんぴちゃんと途切れ途切れに耳に届いていた水音が、ぴちゃぴちゃという断続音になり、遂にたぱたぱたぱという連続した水音に変化してゆく。
「ふ……ふ、ふぇ……ふぇ〜ん、ぇえ〜ん」
 早苗は誰とも目を合わせまいとして京子の胸元に顔を埋め、幼い子供そのまま手放しで泣きじゃくった。
「そう、間に合わなかったのね。でも、いいのよ。早苗ちゃんはまだ小っちゃいんだもん。まだ二年生から三年生になったばかりだもん、失敗しちゃっても仕方ないのよ。いいわ、私の胸で泣きなさい。泣いて泣いて涙が涸れちゃうまで泣くといい。その間におしっこもみんな出しちゃおうね。おしっこも涙もみんな出しちゃって、その後でちゃんと後片付けをしようね」
 京子はツインテールに結わえた早苗の髪を右手の指でそっと梳かしつけ、何度も背中を撫でさすりながら優しく言い聞かせた。




「終わったみたいね」
 それまで左右の内腿を擦り合わせていた早苗の両脚が僅かに開きぎみになるのを目にして、真澄は京子に告げた。
「もういいの? もう、みんな出ちゃったの?」
 自分の体にしがみつく手から少しずつ力が抜けてゆくのを感じた京子は、早苗の背中をぽんぽんと叩きながら優しく話しかけた。
 けれど、早苗からの返答はない。力の抜けた腕で京子の胸にすがりついたまま、決して顔を上げようとはしない。
「恥ずかしいのよね。三年生になるのにおもらししちゃって恥ずかしいのよね。いいわよ、気が済むまでお姉ちゃんにしがみついているといい。ほらほら、そんなに泣かないの。小っちゃいうちは誰でもしちゃう失敗なんだから、お姉ちゃんたちは早苗ちゃんのこと笑ったりしないよ。だから、ほら、よしよし」
 力なくしゃくり上げる早苗をあやす京子だったが、当の早苗にしてみれば、自分よりもずっと年下の小学生にあやされればあやされるほど屈辱に胸がはちきれそうで、ますます涙が溢れてくるのだった。
「可哀想だね、早苗ちゃん。あんなに泣いちゃって」
「そうだね。それに、あのままじゃ、おうちまで歩きにくいよね。私たち、何かしてあげられないかな」
「うん、私もそう思う。でも、どうすればいいんだろ」
 小刻みに肩を震わせる早苗の様子をちらちら窺いながら交わす美咲と良美の会話が真澄の耳に届く。
 真澄は二人に向かって軽く頷いてみせ、
「ありがとう、二人とも。それに京子ちゃんも。早苗ちゃんが迷惑をかけちゃったのに嫌な顔もしないで心配してくれて」
とよく通る声で言って早苗のすぐそばに歩み寄り、チュニックの裾をぱっと捲り上げて、しとどに濡れた女児用ショーツをしばらくみつめてから、その視線を徐々におろした。
 真澄の手がチュニックの裾を捲り上げた瞬間、早苗は身をよじったが、それ以上はどうすることもできない。
「両脚を擦り合わせながらのおもらしだったから、おしっこは内腿を伝ってまっすぐ流れ落ちたみたいね。そのせいで靴下も靴もびしょびしょだけど、逆にチュニックは濡れずに済んだみたい」
 早苗の下腹部を無遠慮に眺めまわしつつ真澄は聞こえよがしに言い、美咲と良美の方に向き直って付け加えた。
「これなら、パンツだけ穿き替えさせれば大丈夫よ。靴と靴下が濡れちゃってるから少し歩きにくいかもしれないけど、自分自身の失敗なんだから、そのくらいは辛抱するしかないわね」
「でも、替えのパンツなんて……」
 真澄の説明に安堵の表情を浮かべる二人だったが、すぐに思案顔で互いに目を見合わせる。
「ああ、それなら心配要らないわ」
 真澄はいささか皮肉めいた笑みを浮かべて言い、首飾りを作っていた場所へ引き返すと、レジャーシートの上の手提げ袋に右手を突っ込み、なにやらくしゅくしゅに丸まった純白の生地を取り出して足早に戻ってきた。
「ほら、これ」
 戻ってきた真澄は手提げ袋から取り出した生地を二人の目の前でさっと広げてみせる。
 真澄が広げたのは、早苗がおしっこで濡らしてしまったのとはまた別のアニメキャラをプリントした女児用のショーツだった。
「低学年の子って、レジャーシートを敷いてない地面でもお構いなしに直接座ったりするし、とにかく場所を選ばずに動きまわるじゃない? それですぐにパンツを汚しちゃいそうだからってお母さんが手提げ袋に替えを入れておいてくれたのよ。早苗ちゃんが不注意でパンツを汚しちゃったらすぐに取り替えてあげられるようにね。まさか、こんな形で役に立つなんて思わなかったけど」
 最後の方はうふふと笑いながら真澄は説明して、もういちど早苗のチュニックを捲り上げ、三人に指示を与えた。
「そういうことだから、京子ちゃん、早苗ちゃんが暴れないようにしておいてね。変に体を動かしてチュニックまで汚しちゃわないように。――良美ちゃんはこの裾を持ち上げていて。あと、美咲ちゃんは早苗ちゃんの靴を脱がせてちょうだい。靴を履いたままだとパンツを替えてあげられないから」
「うん、わかった」
「まかせといて」
「真澄お姉ちゃんにパンツを穿き替えさせてもらう間じっとしていようね、早苗ちゃん」
 三人の少女は口々に応じ、早苗の背中に両腕をまわしておとなしくさせたり、チュニックの裾を高々と持ち上げたり、左右の足を交互に上げさせたりと、てきぱき体を動かし始めた。
「いや! こんな所でそんなのいやだってば」
 誰とも目をあわせまいとして京子の胸に顔を埋めたまま、早苗は金切り声をあげて体を捻った。
「ほら、動いちゃ駄目よ」
 良美は捲り上げたチュニックの裾の上から両手で早苗の腰をつかんだ。まだ小学六年生とはいえ、良美も京子と負けず劣らずの体格の持ち主で、いつも好成績を収めている有力チームのレギュラーだから、非力な早苗はたちまち自由を奪われてしまう。
 その間に真澄がショーツのウエストゴムに指をかけ、すっと引きおろした。
「や、やだ……」
 早苗は京子の胸に顔を擦りつけるようにして力なく首を振った。
「仕方ないでしょ? 誰の目にもつかない所で替えてあげようと思ったら、濡れたパンツのままトイレまで歩いてかなきゃいけないのよ。そしたら、滑り台やブランコで遊んでいる子たちになんて言われるかしら。それでもいいの?」
 真澄の言う通りだった。公園の中で身を隠せそうな場所といえばトイレの中しかない。しかしトイレへ行くには、遊具広場を横切って設けられている遊歩道を歩くしかないのだが、そこには、母親に連れられた幼稚園児くらいの子供たちや、友人どうし連れだって来ている小学生たちが何人も遊んでいる。そんな子供たちの目の前を濡れたパンツからおしっこの雫を滴らせながら歩こうものなら何と言って後ろ指を差されるかしれたものではない。
 さっきよりも弱々しく早苗が首を振った。
「だったら、そんなにむずがらないでいい子にしてようね。ちゃんとご挨拶できるお利口さんだねってお姉ちゃんたちに褒めてもらった早苗ちゃんだもん、おとなしくしてられるよね?」
 優しく諭すように言って、真澄は、おしっこに濡れて肌にべっとり貼り付いているショーツを、ウエストの部分からくるくる丸めるようにして手早く足首まで引きおろした。
 両脚の腿を擦り合わせた状態でのおもらしだったから濡れているのは脚の内側だけだったのだが、お尻の部分といいクロッチの部分といい乾いたところなどまるでないほどたっぷりおしっこを吸ったショーツが滑り落ちると、脚の外側までじっとり濡れてしまう。
「あ……」
 早苗の口からあえかな喘ぎ声が漏れ、背中がぷるぷる震えた。しかし、このままの姿で子供たちがいる遊具広場へ連れて行かれることを思うと何もできない。
「そうそう、それでいいのよ。おとなしくできて、早苗ちゃんは本当にお利口さんだこと」
 靴下だけになった早苗の足を良美が上げさせるのに合わせて真澄はびしょびしょのショーツを脱がせ、代わりに、家から持ってきた新たいショーツの股ぐりを片足ずつ交互に通させる。
「本当だったら新しいパンツを穿く前に綺麗に拭いてあげなきゃいけないんだけど、まさかこんなことになるなんてお母さんも思ってなかったみたいで、お尻拭きは用意してないのよ。土が付いたり草の汁が付いたりするかもとは思っても、三年生になる早苗ちゃんがまさかおしっこで濡らしちゃうなんて思わないもんね。でも、明日からはちゃんとお尻拭きも持ってこなきゃね」
 真澄は、両脚に股ぐりを通したショーツをゆっくり引き上げながら早苗の耳元で、けれど誰の耳にもはっきり聞こえる声で言った。
「も、もう、おもらしなんてしない。だから、お尻拭きなんて……」
 早苗は、京子の胸に顔を押し当てたままのせいでくぐもった声を絞り出した。
「そう? お尻拭きなんて要らないの? 明日はおもらしなんてしないんだ。ふぅん、本当にそうだったらいいわね」
 真澄はショーツの股ぐりのゴムが撚れているのを直しながら意味ありげに言い、厚手のコットンでできたショーツ越しに早苗のお尻をぽんと叩いた。



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