暖かな日差しの中で



   4 恥ずかしい下着


「――ちゃん、起きなさい。もうそろそろ起きなきゃ駄目だよ」
 誰かに何度も体を揺すられて、ようやく早苗は目を開けた。
 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかったが、徐々に意識が戻るにつれ、ここが叔母の家だということをぼんやり思い出す。
「今日もみんなで公園へ行くんだよ。だから、もう起きて」
 まだ完全には焦点の合っていない早苗の瞳に映ったのは真澄の顔だった。
「う……ん」
 言われるまま、早苗は掛布団の端に手をかけた。
 が、急にはっとした顔になって、布団の端を持ち上げかけた両手の動きをぴたっと止めてしまう。
「ほら、京子ちゃんたちが迎えに来てくれる前に朝ご飯を済ませておかなきゃいけないでしょ」
 真澄は少しきつい口調になって急き立てた。
 しかし早苗は
「……もうちょっとだけ寝かせてよ。本当にもうちょっとだけでいいから……」
と訴えるばかりでなかなか体を動かそうとしない。
「駄目よ、早くしなさい」
 真澄は更にきつく言い、早苗の体に掛かっている布団をさっと剥ぎ取った。
「やだ、駄目!」
 早苗は叫び声をあげて布団の端にしがみついたが、力で真澄にかなうわけがない。
「いいから、さっさとしなさいってば。……あらあら、ふぅん、そうだったんだ」
 捲り上げた掛布団を部屋の隅に片付け、早苗の方に振り返った真澄は、早苗のお尻があるあたりを中心にしてうっすらと広がるシーツの染みを目にして呆れ声をあげた。
「駄目、見ちゃ駄目……」
 早苗は敷布団に寝そべったまま身をすくめた。
「早苗ちゃん、おもらし癖だけじゃなくて、おねしょ癖もあったんだ。だから、なかなか布団から出ようとしなかったんだね」
 真澄は敷布団のすぐそばで膝立ちになり、早苗のこわばった顔を見おろした。
「ち、違う……おねしょ癖だなんて……これは何かの間違いなんだから」
 早苗はおどおどと目をそらし、言い訳めいた口調で弱々しく言った。
「布団もパジャマもびしょびしょにしておいて、何が間違いよ。――ほら、これ」
 真澄は薄黄色の染みになった敷布団のシーツを指でなぞり、更に、たっぷりおしっこを吸った様子がありありなガーゼ地のパジャマの股間を指でなぞって、その指先を早苗の目の前に突きつけた。
「……」
「これで決まりね。今から早苗ちゃんは私のこと、『真澄お姉ちゃん』って呼ぶのよ。わかる? どうせ一緒に生活するんだから、従姉妹なんて水くさい間柄じゃなくて、今日から私たち、姉妹になるんだよ。もちろん、私がお姉ちゃんで早苗ちゃんが妹。おもらし癖とおねしょ癖のある子がお姉ちゃんだなんておかしいもんね」
 早苗が何も言い返せないでいるのをいいことに、真澄はにんまり笑って決めつけた。
 と、そこへ、慌ただしくドアが開いて摩耶がやって来る。
「どうしたの、真澄。悲鳴みたいな声が聞こえたけど、何があったの!?」
 部屋に入って来た摩耶はわざと慌てた様子で真澄に訊いた。
「悲鳴をあげたのは早苗ちゃんだよ。私におねしょをみつかりそうになってあげた悲鳴」
 真澄は早苗に気づかれないよう注意しながら摩耶に向かって目配せをして手短に説明した。
「あら、早苗ちゃんたら、眠っている間にお布団を汚しちゃったの? 昼間は洋服とパンツを濡らしちゃうし、夜はパジャマとお布団をびしょびしょにしちゃうだなんて、いったいどうしちゃったのかしらね。――そういえば、昨夜なんて、夕飯の途中で眠っちゃったんだっけ。なんだか、うちに来た途端、本当に小っちゃい子供に戻っちゃったみたい」
 摩耶の方もさりげなく真澄に目配せを返しながらわざと呆れてみせる。
 摩耶の言う通りだった。
 次々に起きた忌まわしい出来事のせいで空腹さえ感じない早苗だったが、脱衣場で子供用のナイティを着せられた後、「ご飯はちゃんと食べなきゃ駄目」と強引にダイニングルームへ連れて行かれ、真澄と隣り合わせで食卓に向かわされた。摩耶が腕によりをかけて仕上げたシチューも、お手製のドレッシングをたっぷりかけたサラダも、ホームベーカリーで焼き上げたばかりのパンも、本当だったらほっぺが落ちそうになるほどおいしいのだろうが、その時の早苗には味気ないことこの上なかった。それでも全て平らげるまでは食卓の前から解放されないような雰囲気がひしひし感じられて仕方なく口を動かしていたのだが、シチューの残りが三分目ほどになった頃、急に激しい睡魔に襲われて、持っていたスプーンを取り落とし、唐突に意識を失ってしまったのだった。
 だが、それも実は摩耶の仕業だった。
 摩耶が早苗のシチューに睡眠導入剤を混入しておいたせいで、食事の最中に早苗は異様な眠気に襲われて意識を失ってしまったのだ。しかも、摩耶が早苗に服用させたのは睡眠導入剤だけではなかった。昼間ココアに溶かしてそうとは知らぬ早苗に飲ませたのと同じ利尿剤もシチューに混入していた。そして、二つの薬剤が相まって、早苗は夜中に目を醒ますことなく、おもらしと同じくらい恥ずかしい粗相をしでかしてしまったのだった。
(私、どうなっちゃったんだろう。叔母さんの家へ来てからの私、本当にどうしちゃったんだろう)
 摩耶の言葉で昨夕のことをおぼろげに思い出した早苗は、ナイティの股間のあたりを摩耶と真澄の目から隠すかのように体を丸め、摩耶の企みにまるで気づかぬまま、唇を噛みしめて心の中で呟いた。
「ひょっとしたら早苗ちゃん、ちょっと前の講演で臨床心理士の先生が話してくれた事例に当てはまるかもしれないわね」
 摩耶は、ぐっしょり濡れたナイティのお尻のあたりをじっとみつめ、ふと何かを思い出したかのようにぽんと手を打って言った。
「講演って?」
 すかさず真澄が聞き返す。
「毎年、地域のジュニアチームの連盟が開催している講演よ。連盟に加入しているチームのスタッフを集めて、子供たちとどういうふうに接すればいいのか、専門家にいろいろ話してもらっているの。私は正式なスタッフじゃないけど、昔取った杵柄ってことで時々コーチのお手伝いをすることがあるでしょう? そういった臨時スタッフも交えての講演会なのよ」
「ふぅん。で、その講演会に来てたのが、臨床心理士の先生とかって人なの?」
「そうよ。これまで、スポーツ生理学の専門家とか発達行動学の有名な先生にも来てもらっていたんだけど、今回は児童心理に詳しい人ということで、教育委員会からスクールカウンセラーを委嘱されている先生に来てもらったの。で、先生はいろいろ興味深い話をしてくれたんだけど、その中に、今の早苗ちゃんみたいな事例があったのよ」
 摩耶はそこまで言っていったん口を閉ざし、二人と目を合わすまいとして顔をそむけているくせに、摩耶と真澄がどんなやり取りをしているのか気になって仕方ないのだろう、じっと聞き耳を立てている早苗の様子をちらと窺ってから説明を続けた。
「臨床心理士の先生がおっしゃるには、一人っ子というのは、どうしても、実際にはいない兄弟姉妹に憧れを抱くことが多いんだって。それでね、ずっと一人で育った子が何かの機会に年の近い子と一緒に生活することになると、相手を疑似的な兄弟姉妹に見立てて、これまでの寂しさを一気に取り戻すような行動を取ることがあるんだって。もっとも、お兄さんやお姉さんに憧れるのか、それとも弟や妹を欲しがるのかということについては一概には言えなくて、それは人それぞれなんだそうだけど。――昨日から早苗ちゃんの様子を見ていて、その話を思い出したのよ」
「そりゃ、私もお姉さんとか妹とかができたら嬉しいよ。ずっと一人で寂しかったもん。でも……」
「真澄が訊きたいことはわかっているわよ。今の話と早苗ちゃんのおもらしやおねしょがどういうふうに結びつくのか、それがわからないんでしょう? いいわ、もう少しだけ聞いていてちょうだい」
 摩耶はもういちど早苗の様子を窺ってから続けて言った。
「女の子の場合は同性の姉妹を欲しがる場合が多いそうなんだけど、特に早苗ちゃんは、お姉さんに憧れるタイプなんじゃないかな。それで、うちに来て真澄と一緒に生活することになって、真澄を疑似的なお姉さんに見たてて、真澄に思いきり甘えたくなったんじゃないかしら。そりゃ、早苗ちゃんの方が四つも年は上よ。でも、身長も体つきも真澄の方がずっと発育がいい上、丸っこい童顔の早苗ちゃんに比べて、真澄は大人びた顔つきをしているじゃない? 子供の頃は早苗ちゃんの方が真澄を可愛がってくれたけど、それだって、一種の代償作用とかいうのかな、『本当は自分がして欲しいことだけど、それをしてもらうのが難しい時は、相手に対してそうしてあげることで最低限の満足を得る』っていう心理状態だったんじゃないかしら。――早苗ちゃんは、真澄のことをお姉さんだと見なして、真澄に甘えたくて仕方ないのよ。ただ、思いきり甘えたいっていう本心をどんなふうに真澄に伝えればいいのかわからなくて、そういうもやもやした気持ちが無意識のうちにおもらしやおねしょを惹き起こしているんじゃないかしら。おもらしやおねしょで汚しちゃったパンツを穿き替えさせてもらうことで、真澄に甘えるきっかけを作ろうとして。先生の講演の中に、それと似たような事例があったのよ」
「わかったようなわからないような、なんだか難しい話だけど、でも、つまり、簡単に言うと、私が早苗ちゃんのことを妹だと思って可愛がってあげればいいんだよってことなのかな? 妹扱いして可愛がってあければ可愛がってあげるほど、早苗ちゃんが喜ぶってこと?」
「ええ、そう。臨床心理士の先生が話してくれたことを要約すると、つまり、そういうことになるんだと思う」
「そ、そんな……私が真澄ちゃんのことをお姉ちゃんだと思って甘えたがってるだなんて、そんな……」
 摩耶と真澄が目配せを交わし合っていることなど知る由もなく、早苗は二人のやり取りにおずおずと割って入った。
 だが、弱々しい抗議の声をあげた早苗は
「あら、そうじゃないの? 真澄に甘えたくて、昨日からおもらしとおねしょが始まっちゃったんじゃないの? 私はてっきりそうだと思ったんだけど、でも、そうじゃないとすると、うちへ来る前から早苗ちゃんにはおもらし癖やおねしょ癖があったってことになるわね。だったら私、姉さんと義兄さん――早苗ちゃんのお母さんとお父さんに一言いっとかなきゃ気が済まないわね。早苗ちゃんにおもらし癖やおねしょ癖があるんだったら前もって知らせておいてくれなきゃ対処のしようがないじゃないって文句の一つも言わなきゃ気持ちがおさまらないわ」
と摩耶から言い返された途端、あとの言葉を飲み込んでしまう。
 一拍おいて、代わりに早苗の口を衝いて出たのは
「お、お願いです……おもらしやおねしょのことは両親には内緒にしておいてください。外国へ行っている両親に心配をかけるなんて……」
という、今にも泣き出しそうな哀願の声だった。
「じゃ、認めるのね? 真澄に甘えたくて無意識のうちにおもらしやおねしょをするようになっちゃったこと、早苗ちゃん、自分で認めるのね?」
「……」
「駄目だよ、お母さん。そんなにきつい言い方したら早苗ちゃんが可哀想だよ。そんなにきつく言わなくても、早苗ちゃん、とっくに自分の気持ちに気がついているんだよ。気がついているから、昨日、お風呂場で私に、これから私のことを『真澄お姉ちゃん』って呼ぶって約束したんだよ。――そうだよね、早苗ちゃん?」
 早苗に対してわざときつくあたる摩耶と、それこそ幼い妹を庇う優しい姉さながらに振る舞ってみせる真澄。体を流れる同じ血がそうさせるのか、逃げ道を一つ一つ塞ぎ早苗をじわじわ追い詰める二人の息はぴったりだ。
 ジュニアチーム連盟の主催で講演会が行わたのは事実だし、講演会に招かれた講師が臨床療法士の資格を持つスクールカウンセラーだったのも事実だ。しかし、そのカウンセラーが話したのは、摩耶が得々として説明して聞かせた内容とはまるで無関係の事柄だった。
 そう、もっともらしく聞こえる摩耶の説明は、臨床心理士の肩書きを利用して早苗を精神的に屈服させるために摩耶自身が用意しておいた、まやかしの説明なのだった。しかし、そんな潤色の説明でも、恥辱に満ちた粗相を立て続けにしでかして動揺を抑えきれずにいる早苗の心の隙を突くには充分だった。
「さ、約束通り、私のこと、『真澄お姉ちゃん』って呼んでちょうだい。『真澄お姉ちゃん』って呼んで、どうしてほしいのかちゃんとおねだりするのよ。そしたら、早苗ちゃんがおねしょでびしょびしょにしちゃったパンツを脱がせて新たしいパンツに穿き替えさせてあげる。染みになったパジャマを脱がせて、可愛いお洋服に着替えさせてあげる。でも、呼んでくれないんだったら、いつまでもそのままだよ。そのままでいて、びしょびしょのパジャマ姿を京子お姉ちゃんたちに見てもらうといいよ」
 真澄は早苗の顔を正面から覗きこむようにして言った。
「ま、真澄……真澄お、お姉ちゃん。……私、お、おねしょ……しちゃった……の。だから、新しい……パンツを穿かせてちょうだい。それと、か……可愛いお洋服も着せてほしいの。お願い、真澄……お姉ちゃん」
 この場から逃れ出る術などありはしない。痛いほどそう思い知らされた早苗には、声を震わせ、羞恥にまみれた表情で、そんなふうに真澄に向かって『おねだり』するのが精一杯だった。




 京子たち三人が河野家を訪れたのは、午前九時までもう少しという頃だった。
 昨日と同じように自分でダイニングルームのドアを開けて入ってきた京子は、食器を片付け終えて一息ついている摩耶の顔を見るなり
「ね、おば様。二階のベランダに干してある布団、誰のなんですか? 三人で話してて、ひょっとしたら早苗ちゃんのじゃないかなってことになったんだけど、そうなんですか?」
と、興味津々といった感じで話しかけた。
 それに続いて
「だって、昨日早苗ちゃんが着てた服が布団の横に干してあるんだもん、そうに決まってるよ」
「だよね。それに、ベランダがある二階の真ん中の部屋、たしか今までは誰も使ってなかった筈でしょう? それが、早苗ちゃんがこのおうちにやって来て、二階のベランダに洗濯物が干してあるんだもん、間違いないと思うんだけどな」
と言葉を交わしながら、美咲と良美も姿をみせた。
「……!」
 三人の言葉に、早苗の頬がかっと熱くなる。
 先に朝食を済ませ、「早苗ちゃんと真澄が朝ご飯を食べている間に洗濯を済ませておくわね」と言ってダイニングルームをあとにした摩耶が向かったのは、早苗のために用意してあった二階の真ん中の部屋だった。そして摩耶は敷布団からシーツを外し、昨日早苗が身に着けていた洋服や下着と一緒に洗った後、早苗の部屋のベランダに干したのだ。それも、シーツだけでなく本体の生地にもくっきりとおしっこの染みが広がっている敷布団と並べて。
 河野家の敷地は生垣で囲われているのだが、垣に使っている木は子供の背丈ほどの高さに刈り揃えてある上、二階にある三つの部屋はどれも玄関側に面しているため、河野家を訪れる人たちの目には、二階の様子がほぼ丸見えだ。もちろん、二階のベランダに掛け渡したロープで風に揺れる洗濯物と、ベランダの手摺りに干してある布団とを、真澄と早苗を公園へ誘うためにやって来た京子たちが目にしたとしても、なんら不思議なことではない。そんな事情を考慮に入れて、摩耶は早苗の洗濯物を中庭の物干し場ではなく、わざわざ二階のベランダに干したのだった。
「そうよ、二階に干してあるお布団は早苗ちゃんのよ」
 摩耶は心の中でにまりと笑いつつも、表情は平静を装い、軽く頷いて答えた。
 と、三人の少女たちが互いに顔を見合わせ、しばらく声をひそめて何やら囁き合った後、京子が早苗の顔をちらちら見ながら、躊躇いがちに言った。
「じゃ、あの、えーと、お布団の染みも早苗ちゃんの――ですか?」
「ええ、そうよ。あの染みは早苗ちゃんのおねしょの痕よ」
 遠慮がちに訊く京子に対して、摩耶の方は、それが自分の仕組んだことだとはおくびにも出さず、しれっとした顔で答えた。
「あ、やっぱり。――だから、パンツが三枚も干してあったんですね」
 京子は納得顔で頷きかけたが、じきに困惑の表情を浮かべて
「あれ? でも、一枚は公園でおもらししちっゃた時ので、もう一枚がおねしょのだとして……もう一枚はどうしてなんだろう?」
と呟いて、首をかしげる。
「もう一枚は、うちの庭で失敗しちっゃた時のよ。昨日、帰り道でも早苗ちゃん、おしっこが出そうになってたでしょ? それで急いで帰らなきゃって私がおんぶしてあげたんだけど、結局、間に合わなかったんだ。家に着いて油断したのかな、玄関のすぐ前で失敗しちゃったのよ」
「あ、そうだったんだ。それで三枚なんだ」
 真澄の説明を聞いて今度こそ納得の表情を浮かべた京子は
「それで、うちのお母さん、これを私に持たせたのね。『河野さんの奥さんがお困りのようだからこれをお渡しして』って。――おば様、これ、母からの預かり物です」
と言って、手に提げていた大きな紙袋を摩耶に手渡した。
 受け取った摩耶はちらと紙袋の中を覗き込むと、目を細めて大きく頷き、
「ほら、京子お姉ちゃんが早苗ちゃんのためにとってもいい物を持ってきてくれたわよ。早苗ちゃんからもきちんとお礼を言いなさい」
と、食卓の向こう側に座っている早苗に向かって手招きをした。
 それに対して早苗は何やら嫌な予感を覚え、椅子の上で身を固くするばかりだ。
 しかし、そんな早苗を、真澄が
「いい物って何かな。ほら、せっかく京子お姉ちゃんが持ってきてくれたんだから、紙袋に何が入っているのか見てみようよ」
と促して、力尽くで京子たちの近くまで連れて来る。

「やだ、かっわい〜い、早苗ちゃん!」
「お人形さんみたい!」
「お人形じゃなくて、アリスよ、アリス!」
 早苗は京子たちから見て食卓の反対側に座っていたから、どんな服装をしているのかいまひとつ判然としなかった。それが、真澄の手で強引に立たされ、全身を京子たちの目にさらした途端、黄色い歓声があがった。
 歓声は、おそるおそるといった足取りで早苗が近づいてくれにつれ、ますますかまびすしくなる。
 が、早苗の今日のいでたちを目にすれば嬌声の一つもあげたくなるのは当然のことだろう。それほどに今日の早苗は愛くるしい格好をしていた。
 昨日身に着けていたのよりも更に子供っぽい雰囲気のふんわりしたシルエットのブラウスの上に、背中の結び目が大きなリボンふうになっている純白のエプロンと、裾をパニエで丸く膨らませたピンクのワンピースを組み合わせたエプロンドレスを着て、脛の少し上までのシルクのソックスを履き、髪をワンピースと同じ色合いのリボンでポニーテールに結わえたその姿は、まさに不思議の国のアリスさながらだった。しかも、ふわっと膨らんだスカートの裾からドロワースが少し見え隠れする様子が、ますます幼児めいた印象を強くしている。
「うわ、ふりふりだぁ」
「絵本から抜け出してきたみたい」
「ドロワース、化繊なんかじゃなくて、ちゃんとした木綿仕立てなんだ。すごいね」
 口々に嬌声をあげながら、三人は早苗のまわりを取り囲んだ。
 もちろん、パジャマを脱がされ、こんないかにも幼児めいた格好をさせられるのを早苗は拒んだ。しかし、「おもらしとおねしょが治らないような子にはこういう格好がお似合いなのよ。お姉さんぽい格好ができるのは、おもらしもおねしょもしなくなってからよ」とぴしゃりと決めつけられると、それ以上の抵抗はできなくなり、小学生でも高学年になれば恥ずかしくてとても着られないようなエプロンドレスを着せられて、朝食のためにダイニングルームへ連れて来られたのだった。

「よかったわね、早苗ちゃん。お姉ちゃんたちから可愛い可愛いって褒めてもらえて。じゃ、京子お姉ちゃんが何を持ってきてくれたのか見てみようね。うふふ、これを着けたらもっと可愛らしくなるわよ、きっと」
 最後の方は思わせぶりな笑い声でそう言って、摩耶は、大柄な少女たちに取り囲まれておどおどしている早苗の目の前で紙袋に右手を差し入れ、大きなビニールのパッケージを取り出した。
 パステルピンクのパッケージの表面には、四歳くらいの女の子の顔写真と共に『大きなお子様でも安心のビッグサイズプラス パンツタイプ/女の子用』という内容表記と『コットンの肌触りと横漏れしらずの立体ギャザー』というキャッチコピーが大きな字体で印刷してあった。
「あ、京子ちゃんが持ってきたの、紙おむつだったんだ。随分大きな紙袋だから気になってたんだけど、何を持ってきたのか、やっとわかった。――え? でも、どうして紙おむつなんて?」
 摩耶が取り出したピンクのパッケージを目にして美咲が思案顔で京子に問いかけた。
「私が京子ちゃんのお母さんに電話でお願いしたのよ。親戚の人だと思うんだけど、京子ちゃんのおうちに子供を連れた若い女の人が遊びに来ているのをよく見かけることがあってね、それで、その子供というのが小さな女の子で、いつも短いスカートを穿いているから、時々捲れ上がっちゃって、スカートの下の紙おむつがちらちら見えていたの。だけど、一週間ほど前に見た時は紙おむつじゃなくてパンツになっていたから、もうおむつ離れしたのかなと思って、それで、もしも余っている紙おむつがあるようなら譲って欲しいってお願いしたの」
 答えたのは摩耶だった。
 そして、その後を
「おば様がおっしゃっている女の人っていうのは、私のお母さんの妹なの。近くに住んでいて、子供――私から見れば従妹を連れてよく遊びに来るんだけど、そのたびに従妹の紙おむつを持って来るのは大変だから、お徳用パックっていうのを買ってうちに置いてたの。でも、ちょっと前におむつからパンツになって、買い置きしておいたおむつが要らなくなっちゃったのよ。それで、今朝、お母さんが、真澄お姉ちゃんちのおば様から電話で頼まれたからって、私に持たせたの」
と京子が続け、更に摩耶が
「紙おむつっていうのはよく伸びる素材でできているから、このくらいのサイズだと、小学生でも着けることができるんだそうよ。だからお願いしたの」
と付け加えて、パッケージに印刷してある『大きなお子様でも安心のビッグサイズプラス』という文字を人差指でなぞった後、その指先を早苗の下腹部に向けた。
「あ、そうか、早苗ちゃんに」
 摩耶が人差指を早苗の方に向けてすぐ、良美がぽんと手を打った。
「う、嘘でしょ、そんな……」
「三年生になる早苗ちゃんがまさかおもらしやおねしょをしちゃうなんて思いもしないから、何の用意もしていなかったのよ。それで困ってたんだけど、これで一安心。本当、持つべきものは御近所さんね」
 まさかという思いと共に弱々しくかぶりを振る早苗の声に覆いかぶせるようにして摩耶がわざと明るく言った。
 そこへ京子が
「それで、あの……おむつは夜だけなんですか?」
と、遠慮がちながら、どこか興味津々といって様子で摩耶に尋ねる。
 決して京子に邪気があるわけではない。ただ、本来ならおむつなんてまるで無関係な筈の年齢の女の子がパンツの代わりにおむつを着用させられるという、普通なら滅多に遭遇できない場面に出くわしたものだから、好奇の念をどうしても抑えきれなくて訊いてしまったのだ。結果としてそれが早苗にどれほどの羞恥を覚えさせたとしても、それは決して京子の責任ではない。真澄とは異なり、京子たちは摩耶から企みに協力するよう求められたわけではないのだから。しかし、京子たち三人の少女が、摩耶の巧みな誘導によって、自分ではそうと自覚しないまま、早苗を精神的に追い詰める役割を担わされているのもまた紛れもない事実だった。
「ううん、そういうわけにはいかないわね。昨日は二度、公園とうちの庭で失敗しちゃったんだから、昼間も必要でしょうね。これからまた早苗ちゃんを公園へ連れて行ってくれるんでしょう? 昨日みたいなことになったら早苗ちゃん自身が辛いでしょうから、前もってそれなりの準備をしておいてあげなきゃいけないんじゃないかしら」
 京子に尋ねられて摩耶は即座に答えた。
「い、いや……お、おむつなんて絶対にいや〜!」
 摩耶が口にした『昼間も必要』や『それなりの準備』というのが紙おむつのことを指しているのは明かだ。早苗は金切り声をあげて後ずさった。
 だが、自分よりも遥かに大柄な少女たちに取り囲まれ、退路を塞がれて、その場から逃げ出すことはかなわない。
「早苗ちゃんはお利口さんなんでしょう? だから、そんなに嫌がってないで、おば様におむつを着けてもらおうね。三年生なのにおむつは恥ずかしい? うん、そうだよね。でも、お姉ちゃんたちは早苗ちゃんのこと絶対にからかったりしないから心配しなくていいよ」
「そうだよ、早苗ちゃん。今日またお花の首飾りを作ってる最中に昨日みたいなことになっちゃって悲しい思いをするのは早苗ちゃん本人なんだよ? 昨日みたいに濡れた靴や靴下で歩くのは嫌でしょう? それも、今日はせっかくのシルクの靴下だっていうのに」
「誰かにおむつを見られちゃうのが恥ずかしいのかな。だったら、おむつの上にドロワースを穿いてればいいんだよ。ふっくらのドロワースだから、おむつの上から穿いても窮屈じゃないよ、きっと」
 京子たちは、幼く無力な友人の粗相を案じ、おむつの着用を口々に勧めた。実はそれが、知らず知らずのうちに自分たちを『無自覚の協力者』に仕立て上げた摩耶の企みに手を貸す行為なのだとは露とも知らぬまま。

「早苗ちゃんのことを心配して京子お姉ちゃんたちもこう言ってくれてるんだから、もう嫌がっちゃ駄目だよ。ほら、お姉ちゃんが着けてあげるからおとなしくしてなさい」
 言葉に窮して早苗が黙りこんでしまうのを待って、真澄が少女たちの輪の中に入り、早苗の後ろに立った。
「い、いや! 赤ちゃんじゃないんだから、おむつなんていや〜!」
 その場から逃げらないことは充分にわかっていながら、早苗は手足をばたつかせて抵抗する。
「やれやれ、困った子だこと。いいわ、みんな、昨日公園で早苗ちゃんのパンツを穿き替えさせてあげた時みたいにして手伝ってちょうだい」
 わざとらしく溜息をつき、いかにも年下の従妹の我侭ぶりに呆れ果てたとでもいうように肩をすくめてみせて、真澄は三人に言った。
 早苗の正面に立って背中に手をまわした京子が自分の胸に早苗の顔を押し当てさせ、パニエでふっくら膨らんだスカートの裾を良美が高々と捲り上げ、シルクのソックスを履いた早苗の足首を美咲がつかんだのは、あっという間のことだった。
「いやだったら、いやなの! やだ、ドロワースを脱がせちゃ駄目〜!」
 京子の胸に顔を埋めさせられているせいでくぐもった声を振り絞り、早苗は泣き喚いた。
 しかし、真澄の手が止まることはない。
「そう、そんなにこのドロワースがお気に入りなの。そうよね、エプロンドレスを着てドロワースを穿いた早苗ちゃん、とっても可愛いもん、気に入らないわけないよね。でも、ちょっとの間だけ我慢していてね。おむつを着けてあげたら、すぐにまたお気に入りのドロワースを穿かせてあげるから」
 真澄は小さな子供をあやすようにそう言ってウエスト部分のゴムに指をかけ、美咲の手を借りて木綿のドロワースを脱がせた。
 早苗は両脚をもじもじと擦り合わせるのだが、まばらな恥毛しか生えていない童女のような股間が丸見えだ。
「よかったね、ここの毛があまり生えてなくて。もしもここの毛が私みたいに濃かったら、みんな、早苗ちゃんが何歳なのかいろいろ考えちゃうよ。そしたら、本当のことを知られちっゃたかもしれないね。でも、このくらいだったら、小学三年生でもちょっと早熟な子だったら生えていることもあるから怪しまれないで済むよ。よかったね、本当に。――でも、本当に早熟な子だったら、おもらしなんてするわけがないんだけど」
 真澄は背後から早苗の耳元に口を寄せ、摩耶の手からパンツタイプの紙おむつを受け取りながら、ねっとり絡みつくような声で囁きかけた。
 それに対して早苗は何も言い返さない。言い返せるわけがない。
「さ、おむつを着けようね。京子お姉ちゃんの従妹のお下がりのおむつを。お下がりのおむつをプレゼントしてくれたんだから、京子お姉ちゃんの従妹の方が、いつまでもおもらしの治らない早苗ちゃんよりもお姉さんだよね。今度どこかで会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃ駄目よ」
 真澄は最後の方をうふふと笑って言い、ウエストギャザーと股ぐりのギャザーを指で押し広げた紙おむつを早苗の足に通して、ゆっくり引き上げた。

「よく似合ってるわよ、早苗ちゃん。自分の目で見てみる?」
 腰まで引き上げた紙おむつのギャザーの撚れを直し、紙おむつに包まれた早苗の下腹部を眺めすがめつしながら、真澄は満足そうに言った。
 しかし早苗は、実は高校三年生の身でありながら幼女のお下がりの紙おむつを着けさせられた屈辱と羞恥に誰とも目を合わせることができず、京子の豊かな胸に顔を埋めたまま唇をぎゅっと噛みしめるしかできない。しかも、紙おむつの股ぐりのギャザーが腿をぴっちり締めつる感触に恥辱の念が際限なく掻き立てられて、ますます固く口を閉ざすばかりだった。
 だが、可愛らしいエプロンドレスにサクランボ模様の紙おむつ姿の早苗が京子の胸に顔を埋めている光景は、まだおむつ離れできない幼い妹が姉に甘えて大きな体にしがみついているようにしか見えないから皮肉なものだ。
「じゃ、次はドロワースね。ほら、早苗ちゃんのお気に入りのドロワースよ」
 早苗のおむつ姿を存分に楽しんだ後、真澄は紙おむつの上からドロワースを穿かせ、下に何も着けていない時と比べてドロワースのお尻の部分がふっくら膨らんでいる様子を目にして改めて満足げな笑みを浮かべると、摩耶の方に振り向いてそっと目くばせをしてみせた。
「よかったわね、早苗ちゃん、お姉ちゃんたちにおむつを着けてもらえて。これなら公園で失敗しても安心ね。おむつを汚しちゃったとしても、すぐにこうやって取り替えてもらえるんだから」
 真澄と目くばせを交わしながら。摩耶もいかにも満足そうな声で応じた。しかも、今日も早苗が公園で恥ずかしい粗相をしでかしてしまうことが予めわかっているかのような言い方で。
 もっとも、それもその筈、昨日のココアや夕飯のシチューに続いて、今朝のコンソメスープにも摩耶は遅効性の利尿剤を混入しておいたのだ。そう、早苗が公園でしくじってしまうことが予めわかっているのは当たり前。そうなるように摩耶自身が仕組んだことなのだから。



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